醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  554号  白井一道

2017-10-28 15:15:22 | 日記

 いざともに穂麦喰はん草枕  芭蕉

句郎 「いざともに穂麦喰はん草枕」『野ざらし紀行』にある句である。貞享二年、芭蕉42歳。この句には『野ざらし紀行』にはない次のような前文がある。「伊豆の國蛭が小嶋の(僧)桑門、これも去年の秋より行脚し (て)けるに我が名を聞て草の枕の道づれにもと、尾張の國まで跡をしたひ来りければ、」とある。
華女 「穂麦」とは、麦飯というように考えていいのかしら。「伊豆の國蛭が小嶋」とは、どこにあるのかしら。
句郎 西伊豆の伊豆の国市に源頼朝が流刑になり、二十年近く過ごした場所が今は公園になっているようだ。
華女 頼朝の流刑地が観光名所になっているのね。
句郎 『おくのほそ道』の道筋が今では観光名所になっているわけだからね。
華女 この句には、理解に苦しむものが何もない句ね。
句郎 誰にでも心を開いていた俳諧師だったんだろうね。
華女 そうじゃないと俳諧師という仕事は成り立たなかったんじゃないの。
句郎 芭蕉は商売人として成功した俳諧師だからね。
華女 現代だって俳人として生活を成り立たせるには大変なんじゃないの。
句郎 そうなんだろうね。高濱虚子なんていう俳人だって商売人だったんじゃないのかな。
華女 ただ単にいい句を詠むことができただけじゃ、生活はなりたたないでしょうね。
句郎 そうだと思うね。俳句というものもお稽古事と思っている人は結構いるんじゃないかな。
華女 特に若い女性にはいるかもしれないわ。
句郎 日本舞踊、生け花、茶道、琴など趣味的なものには特にお稽古事という思いはあるんじゃないかな。
華女 それらの先生は皆、商売人よね。
句郎 芭蕉はそのような商売人であると同時に農民や町人の遊びであった俳諧を文学へと発展させた文学作家であった。ここに芭蕉の偉さがあるのかもしれない。
華女 そういう点では高濱虚子も同じなんじゃないの。
句郎 あぁー、そうかもしれないなぁー。まず商売人であったし、文学者であったことも確かなんじゃないのかな。資本主義社会にあっては、すべての芸術家はまず商売人でなければ、庶民にその芸術が広まる事はないだろうからね。また別の言葉で言えば大衆性ということなのかもしれない。
華女 まず商売人でなければ生活が成り立たないものね。武士は食わねど高楊枝なんていう言葉があるけれども、飢えと貧窮、病苦に生きた芸術家がいたことも確かよね。
句郎 芭蕉も商売人として一流であったが家族を持つことができなかった。俳諧師として家族を持つことができるということは凄いことだったのかなと思うね。
華女 男にとって家族を持つと言うことは男が男になるということなのよね。そういう点で俳諧師として家族をもつことが江戸時代にはできなかったということなのね。
句郎 江戸時代、家を持ち、家族をもつということは、男にとってのステータスだったんじゃないかな。
華女 女にとっても男の妻になるということは大変な事だったのね。