侘輔 「露とくとく心みに浮世すゝがばや」。『野ざらし紀行』に「西上人の草の庵の跡は、奥の院より右の方二町計(ばかり)わけ入ほど、柴人(しばびと)のかよふ道のみわづかに有て、さがしき谷をへだてたる、いとたふとし。彼とくとくの清水は昔にかはらずとみえて、今もとくとくと雫落ける。」と書き、この句を載せている。貞享元年、芭蕉41歳の時の句。
呑助 「心みに」、この言葉が何を意味するのか、分かりにくいですね。
侘助 一つは「心み」は「試み」という意味をもたせようとしているのかもしれない。もう一つは私の「心身」にという意味があるのかもしれない。
呑助 解釈はどうなるんですかね。
侘助 一つは、汚れた浮世をとくとく湧き出る清水で試しにすすいでみたいものだと、いうこかな。もう一つの解釈は浮世に生きる私の汚れて心身をこの清水ですすいでみたいものだと、いうことになるのかな。
呑助 俳句としては、いまいちという感じですか。『野ざらし紀行』にある言葉、「彼とくとくの清水」とは、有名な清水ででもあるんですか。
侘助 芭蕉は西行の歌に痺れていたでしょ。西行は三年間吉野山に庵を結び、暮らしていたことがあったそうだ。その庵跡がある。その傍に西行が飲み水として、生活用水として利用したのではないかという清水が湧き出るところがある。
呑助 それが、「かのとくとくの清水」ですか。
侘助 「「とくとくと落つる岩間の苔清水くみほすほどもなきすまひかな」と西行の歌なのではないかと言われているものがある。この歌は西行の歌集『山家集』に見当たらない。その他の歌集にもないらしい。だから西行の歌なのか、どうか、疑わしいもののようなんだ。しかし芭蕉自身はこの歌を西行の歌だと信じ、西行を慕って西行の庵跡を訪ね、「とくとくの清水」と書いている。
呑助 今も岩間からとくとくと滴り落ちて来る清水を手に掬って飲んだ芭蕉はこの水を西行も飲んだのかと、感動したんですね。
侘助 西行が飲んだこの清水で私の心も体も漱ぎたいという気持ちを詠んだ句が「露とくとく心みに浮世すゝがばや」だったのではないかなぁー。
呑助 芭蕉は、吉野山に参詣し、西行の庵跡を訪ね、西行が飲んであろう清水を自分も又飲み、感動したということですか。
侘助 更に芭蕉は『野ざらし紀行』の中でこの句の後に「若(もし)これ扶桑(ふそう)に伯夷(はくい)あらば、必ず口をすゝがん。もし是、杵(許)由(きょゆう)に告ば耳をあらはむ」と書き足している。
呑助 伯夷、杵(許)由とは、なんですか。
侘助 古代中国にいた清廉潔白な政治家だったようだ。
呑助 もし日本に伯夷のような清廉潔白な政治家いたならば、きっとこの清水で口を漱ぎ、許由のような人がいたなら耳を漱いだにちがいないということですか。
侘助 だから芭蕉は湧き出る清水で口を漱ぎ、手拭を清水ですすぎ、体をふいたのかもしれないな。
呑助 西行が使った清水でなくとも芭蕉は口を漱ぎ、汚れた体をぬぐった。