醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  539号  白井一道

2017-10-11 11:53:51 | 日記

 馬をさえながむる雪の朝哉  芭蕉


侘輔 「馬をさえながむる雪の朝哉」。「旅人をみる」と前詞を書き、この句を『野ざらし紀行』に載せている。貞享元年、芭蕉41歳の時の句。
呑助 芭蕉はこの句をどこで詠んでいるんですか。
侘助 熱田での作のようだ。
呑助 大雪の朝、出かける人々を眺めていて詠んだ句なんですかね。
侘助 こんなに大雪じゃ、出かけることができるのか、どうか、思案していると浮かんできた句なんじゃないのかな。
呑助 雪の中、出発しようとしている旅人を乗せる馬でさえもが雪を眺め、怖気づいているように芭蕉には見えたということですか。
侘助 雪であろうと雨であろうと寒かろうが旅人にとっては行かざるを得ない状況にあっては、怯むことなく、出発していく旅人の心意気のようなものを芭蕉は表現したいと思ったんじゃないのかなと考えているんだけどね。
呑助 馬は乗る人を見るようだから。
侘助 旅人が雪に怖気づいてしまったら、その気持ちが馬に伝わって馬は雪の中を進むことができなくなってしまうからね。
呑助 馬は実に利口な動物だと言われているらしいから。
侘助 この句を俳諧の発句として芭蕉は詠んでいる。俳諧の発句としてこの句を読むと解釈が少し違ってくるようにも感じるな。
呑助 どんな風に読みが違ってくるんですか。
侘助 前詞に「旅人をみる」とあるじゃない。朝、雪の中を馬に乗って街道を行く旅人を見ているのは芭蕉なんだ。だから普段は馬に乗って行く旅人を眺めることはあっても特に印象に残るようなことはない。さらに馬を眺めるということもないが、雪の朝、馬に乗って街道を行く旅人を見ているとその馬をさへ眺めてしまう。美しい一幅の絵になっていると思ってしまう。このように客人である芭蕉は亭主に挨拶したと理解できないだろうか。
呑助 馬でさえもが朝の雪に逡巡しているということではなく、普段は目にも留まらない馬でさえもが目に留まる景色だということですか。
侘助 そんな景色を眺めさせていただき、ありがとうございましたと主に挨拶したということなのかもね。
呑助 あぁー、これは挨拶吟ですか。
侘助 俳句は挨拶だと言われているから。挨拶である以上は招かれた館で目についたものを詠む。これが即興ということなんじゃないのかな。
呑助 雪の朝、馬に乗って街道を行く旅人を見て、これは一幅の絵だと詠んで挨拶したということですか。
侘助 そのようにも解釈できないかな。
呑助 芭蕉のこの発句に対して座の人は何と脇を付けたんですか。
侘助 閑水という同人が「木の葉に炭を吹き熾す鉢」と付けた。
呑助 鉢に木の葉で炭をおこしましょうと、いうことですか。
侘助 わかるでしよう。寒うございますね。今、火鉢に炭を熾します。
呑助 戸を開けて外を見ると冷たい風が入って来る。さぁー、火鉢に炭を熾しましたと、いうことですか。
侘助 そんな句を詠み合って楽しむ遊びが俳諧だったんじゃないのかな。