辛崎(からさき)の松は花より朧にて 芭蕉
句郎 「辛崎(からさき)の松は花より朧にて」。『野ざらし紀行』に「湖水の眺望」と書き掲載されている。貞享二年、芭蕉42歳。
華女 「辛崎の松」とは、特別な名木でもあるのかしら。
句郎 近江八景の一つに数えられている。「辛」の字が「唐」になっているが歌川広重に描かれた「唐崎の夜雨」が残っている。今も唐崎には四方八方に伸びた大木の松がある。
華女 今、句会でこの句が出されていたら私は取らないわね。
侘助 伏見西岸寺任口(にんこう)上人様より有難いお言葉を頂きたいということなんじゃないのか
句郎 何も感じないということなのかな。
華女 そうよ。琵琶湖には行ったことがあるけれども唐崎の松など見たこともないし、見たいともこの句を読んで思わないわ。
句郎 「辛崎(からさき)の松」に対する思いが我々にはないからかもしれないな。
華女 名所には、確かに季語に匹敵する連想力があるわね。唐崎の松を知らない者にとっては、想像力の働かせようがないもの。そうでしょ。
句郎 俳句を楽しむためには、知識が必要なのかもしれないな。
華女 広重の名所絵近江八景の一つ「唐崎の夜雨」を知っているだけでも芭蕉のこの句に対する理解が違ってくるように思うわ。
句郎 広重はほぼ19世紀前半に生きた人だから芭蕉より百四、五十年後の人だけれど、広重が描いた絵が当時の人々に売れたという事実は憧れの一度は行ってみたい思う名所だったんだろうね。
華女 映画「ローマの休日」を見た人が一度はトレビの泉に行ってみたいと思うような働きが広重の名所絵にはあったし、芭蕉の句にも近江八景の一つ「唐崎の松」とはどのよう松なのか、見てみたいと想像力を刺激する働きがあったんじゃないかと思うわよ。
侘助 今の我々は情報が溢れている時代だからね。動画や写真ですぐ唐崎の松も広重の絵も見ることができちゃうからね。
華女 でも芭蕉について、少しいろいろなことを知ると少し分かってくることもあるように思うわ。芭蕉は近江というか、琵琶湖の畔に対する特別な思いを持っていたのかなと思い始めているのよ。
句郎 確かに近江を詠んでいる句があるよね。
華女 「行く春や近江の人と惜しみける」なんていう有名な句があるじゃない。この句、近江の人とだから句になっているんでしょ。「上野の人」じゃ句にならないのよね。
句郎 この句には「唐崎に舟を浮べて人々春を惜しみけるに」という前詞があるよ。唐崎の松を海から眺めたことだろうね。
華女 「錠明けて月さし入れよ浮御堂」も琵琶湖なんじゃないかしら。
句郎 堅田で詠んでいるからね。
華女 「四方より花吹き入れて鳰の波」。この句も琵琶湖周辺で詠んでいるんでしょ。
句郎 「鳰の海」とは、琵琶湖のことのようだからね。芭蕉にとって琵琶湖は特別に地域だったんじゃないのかな。琵琶湖畔の膳所義仲寺に芭蕉の墓はあるようだからね。芭蕉にとって確かに琵琶湖は特別な場所であったことは確かなんじゃないのかな。
華女 辛崎の松にかかる霞は桜の花だったのよ。