醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  545号  白井一道

2017-10-19 14:11:03 | 日記

 春なれや名もなき山の薄霞  芭蕉

侘輔 「春なれや名もなき山の薄霞」。『野ざらし紀行』に「奈良に出(いづ)る道のほど」と前詞を付け、載せてある句である。貞享元年、芭蕉41歳の時の句。
呑助 「春なれや」とは、どんな意味なんですか。
侘助 春になったんだなぁーと、いうような意味なんじゃないの。紀貫之に「咲きそめし時よりのちはうちはへて世は春なれや色の常なる」という歌があるそうだ。屏風絵に描かれた春の花の絵を見た貫之が「うちはえて、即ちいつまでも屏風絵に描かれた花の色はかわらない」と、詠っている。
呑助 伊賀上野から奈良にでる峠越えの景観を詠んだ句なんでしよう。
侘助 名もなき山にかかった薄霞を見て、春になったんだなぁーという感慨を詠んだんだろうな。
呑助 何でもない句なんですが、なんとなくいいということなんですかねぇー。
侘助 厳しい冬から解き放された開放感が静かに表現されているということなのかな。
呑助 難しい言葉が一つもない句なんですね。
侘助 春の空気感がいいのかな。
呑助 その空気感が表現されているんじゃないんですか。
侘助 そうなんだよね。「道のべの木槿は馬にくはれけり」。この句に共通する空気感が表現されているように思うね。
呑助 そうですね。そんな感じがしますね。
侘助 『万葉集』に柿本人麻呂の「ひさかたの天の香具山この夕べ霞たなびく春立つらしも」という歌があるんだ。この歌が詠んでいる世界は芭蕉の「春なれや名もなき山の薄霞」と同じ世界かなと思うんだ。更に『新古今和歌集』にある後鳥羽院の歌に「ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山霞たなびく」がある。この歌は『万葉集』にある歌の本歌取りの歌だ。
呑助 芭蕉の句は日本の伝統的な詩歌の世界を句に詠んだということになりますか。
侘助 芭蕉の句は、日本の伝統的な『万葉集』や『古今集』、『新古今和歌集』の詩歌を継承し、新しい文芸としての句に発展させているということが言えるということなんじゃないかと思う。
呑助 文芸というものも全く新しいものを創造するということはできないということですか。
侘助 今までの人が築いてきた成果を継承し、発展させることが新しいということなんじゃないのかな。
呑助 今までは「天の香具山」だったものが「名もなき山」になった。こう詠むことによって農民や町人が身近に親しんでいる山にも美しいものがあると主張したということですか。
侘助 「天の香具山」でなく、「名もなき山」と詠むことによって貴族の独占物であった詩歌を庶民のものにした。公家や武士が独占していた文化、文芸というものをその国に住むすべての人のものにした。文芸を享受する人々を拡大した。ここに日本の文学史において芭蕉がした画期的な役割があるように考えているんだ。
呑助 「春なれや名もなき山の薄霞」。この一句には新しい文芸が息づいているということなんですか。
侘助 そうなんだと思うけどね。