先週、4月10日に亡くなった母の話を少しさせてください。
同日、夕刻にいよいよ呼吸も浅くなり、脈拍も低下していく母の手を握りながら、私は熊本に住む母の18歳離れた妹(私の叔母)に電話をかけました。
よく「意識はなくても人は最期まで耳は聞こえる」と聞いていましたので、最後に実の妹の声を聞かせてあげたかったのです。
スマホのスピーカーを母の耳元にそっと置きます。
妹は「美代子ねえちゃん、美代子ねえちゃん・・ 私だよ美枝子だよぉ。聞こえるかい?美代子ねえちゃん、ずっと苦しかったね。よく我慢したね。でも、もういいんだよ、お疲れさまでした・・ ありがとうありがとう・・・」と泣き笑いの声。
そして、私に「去年ん夏ね、美代子姉ちゃんば見舞うたときね。美代子姉ちゃん丁度寝とったんやばってん、うわ言でずっと、お母しゃんお母しゃんとずっとばあさんの名前ば呼んどったんやばい。」
「美代子姉ちゃんな6人兄妹ん一番上で、野良仕事で忙しかじいさんばあさんの代わりにずっとうちらん面倒ばっかりみていて、本当は甘えよごたったんにすっと我慢しとったんやろうね。」と。
「美代子姉ちゃん、うちん参観日にずっと親代わりで来てくれとって、どうもありがとうね。ごめんね。ごめんね。」と泣いています。
そして、母は最期に大切な妹の声に包まれて逝きました。
気のせいかもしれませんが、母の眼にはうっすらと涙が溢れていたように見えました。優しく穏やかな死に顔でした。
そして翌夜、母の亡骸と一緒に葬儀場の親族控室にて休んでいると叔母から電話がありました。
「伽於(私)と伽幸(弟)に美代子姉ちゃんのことでどぎゃんしてん伝えとかなけばならんことがあって電話したんばい。ちょっと話してんよか?」
と昨年夏に母のお見舞いに行った時の話をしてくれたのです。
「美代子姉ちゃん、子供たちん顔も分からんくなっとると聞いとったけん、久々に会ううちんことば忘れてんしょうがなかと覚悟して会いに行ったんやばってん、病室んドアば開けて顔ば見すると、美代子姉ちゃんなうちば見るなり熊本弁で、あれぇ美枝子ちゃんどぎゃんしたと?急に来て元気やったかかとうちんこと覚えてくれとってたいぎゃうれしかったんばい。ほんなこつ会いに行ってよかったて思うたんや。」
「それからお互いに会うとらんこん何十年分ん写真も持って行ったと。子供や家族ん写真、親戚ん写真、熊本ん実家や町、それから熊本地震ん時ん街ん様子とかたくさん持って行って、ずっと話したんばい。」
「そん話ん中でどぎゃんしてん美代子姉ちゃんにずっと聞こごたったことがあったけん、初めて聞いてみたんばい。そりゃ今んごつ新幹線や飛行機もなかような時代に熊本から北海道に嫁いで不安じゃなかったと?どぎゃん覚悟で行ったと?美代子姉ちゃん幸せやった?って」
「そぎゃんしたら美代子姉ちゃんなこう言うとったんだばい。美枝子ちゃんな熊本で井坂しゃんちゅう立派な旦那しゃんば見つけたけん幸せになれた。たぶんうちゃ北海道まで来て父しゃんと一緒になることで幸せば見つけようとした。父しゃんな変わり者だばってん、うちに手ば上ぐることものう、まじめに働いてくれて、息子二人ば立派に育て上げたし、そん息子二人も愛する人ば見つけたけん二人ん娘がでけた。そしてしっか家族ば作ってくれたけん、今じゃ孫が6人、ひ孫が2人に囲まれて幸せだ。やけん北海道に来たことばいっちょん後悔しとらんし、北海道に来たけん幸せになれたんや。美枝子ちゃんも家族ば大切にするったい。」
「もう涙が止まらんかったばい。そして美代子姉ちゃん幸せで良かってん思うたばい。そして伽於は昔から今でもずっと自慢ん息子で誇らしかって言うとったばい。」
「そればどぎゃんしてん伝えよごたった。やけん残されたふたりは元気でいて欲しかし、美代子姉ちゃんにほんなこつ愛されて育てられたちゅうことばずっと覚えとって欲しか。」
叔母の話をスピーカーフォンで聞いていた僕ら兄弟二人はもう涙が止まりませんでした。
母の気持ちを分かっていたはずなのに、十分に分かってあげられていなかったかもしれないと・・・
そう思いながら母の亡骸を見つめていました。
耳の遠いオヤジだけが一心不乱にエロ雑誌を読んでいるのが可笑しかった。
あなたは十分お袋を幸せにしたんだね。かっこいいよ。でも、エロ雑誌はなぁ。
四十九日の法要が終わってホッとしたら、男3人で母の生まれ故郷熊本に行ってみようと思います。叔母に会って私たちの知らない母の話をもっともっと聞いてみたいと思っています。
ありがとうお母さん、さようならお母さん。