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「いただきます」を考える

2010-03-15 | 民俗
小学校で読み聞かせをしているためもあって、日本の昔話もよく読んでいます。
最近の絵本は現代的な言葉遣いで書かれていますが、古い昔話集などでは会話が妙に間延びしているように感じます。
最近の特色なのか元々ある傾向なのかは分かりませんが、会話の中での定型句は短く変化することが知られています。
「とうもありがとうございます」が「どうも」へ変化するように、挨拶でも年々短縮されているのですが、慣れてしまうとこれが当たり前になって元になっている型を忘れ去ってしまうために、そもそもの意味が分からなくなってしまいます。

お金を払っているのに「いただきます」と言うのはおかしい、という意見は極端な例ですが、元の意味の代わりに経済を指標とした考え方で理解しようとすれば、こんな解釈になってしまうのも仕方ないのかもしれません。
童話以外にも古い邦画の台詞で聞く以下の会話から、「いただきます」は「めしあがれ」などの食事を勧める言葉への返答として成り立っていたと考えられます。
食事を作る人と食べる人の関係性は、金銭の介在や調理の労力の劇的な省力化で大きく変わっています。
現代では食事を勧める言葉はほとんど死語となっていて、だから「いただきます」の意味が流動的になりつつあるのかもしれません。



「どうぞめしあがれ」
「では、いただきます」

「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」

あおもりくまの生態 いただきます
TERRAZINE 「いただきます・ごちそうさま」こそ日本文化そのもの