第九編
第一章 真の父母と祝福
一 祝福の意義と価値
1.祝福とは何か
①祝福の意義
祝福は、真の父母と真の子女が出会い、創造目的を成し遂げることを意味します。
神様は二性性相としていらっしゃいます。これをプラスに分立させたのが男性のアダムであり、マイナスに分立させたのが女性のエバです。そしてアダムとエバを再び合わせた姿のようなものが子女です。このように神様を中心として一代、二代、三代が形成されるのです。
では、この三代の中で問題が起こったのは何代かといえば、二代目のアダム、エバの代です。アダム、エバが神様の愛を中心として一つになれなかったのです。もし、アダムとエバが神様の愛を中心として一つになっていたならば、神様が臨むことのできる因縁が決定され、そのことによって子女にも、神様と関係を結ぶことのできる愛の基準が連結していたことでしょう。それを「祝福」と言うのです。
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統一教会で行う祝福結婚式は、ただ単に男女が出会って一家庭をつくる婚礼式ではありません。今までの結婚式は、自分を中心としたものでしたが、私たちの結婚式は、神様に喜びを返すような内容をもって歴史を蕩減する貴い条件として、神聖で盛大に挙行します。私たちの結婚式とは、アダムとエバの堕落によって始まった神様の恨を解き、イエス様が成し遂げられなかった新郎新婦の基準を通過することだ、ということを「原理」は明らかに説明しているのです。
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「祝福」という言葉は、統一教会から始まった言葉ではなく、創世時から堕落した以後今まで、歴史過程を通じて神様の内心の中に一つの願いとして、神様がいつもこれを追求し願ってこられたものだということを知らなければなりません。
そのような希望の一日を取り戻すために神様は、今まで受難の道を歩んでこられましたが、いまだにこの日を取り戻せないでいるのです。ゆえに、この一日を取り戻すならば、この日は歴史的な解怨が成就できる日となり、神様の歴史的な願いを成就できる日になるというのです。このようなことを考える時、この祝福の場が、どれほどとてつもないかという事実を知らなければなりません。
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人間の先祖のアダムとエバが堕落したその日から、人間は神様が祝福してくださる一日を待ち焦がれてきました。
祝福の場は、過去から今までつづられてきた歴史過程における、あらゆる悲しみを清算することのできる場です。今まで成就できなかった神様の願いが、新たに出発できる場であり、新たな人間の未来が出発するきっかけとなり得る一つの基点なのです。
今の時代は、蘇生、長成の段階を越えて、完成段階へと進んでいく時代なのです。縦につくられた歴史が横的に越えていくべき時代なのです。すなわち、六千年の歴史をすべて一度に越えていく時代なのです。ですからサタンの侵犯圏内を抜け出さなければならないのです。
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それでは祝福とは何でしょうか。今までの歴史的なサタン圏を完全に越えさせる関門なのです。
祝福は、真の父母の因縁を継承することです。この日のために、先生は精誠を尽くして闘ってきました。したがって、真の父母がサタン世界と闘ったその看板を掲げて祝福するのです。
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先生が生涯で最も貴いと考えたものとは何でしょうか。祝福です。皆さんにとっても、人類歴史始まって以来、最高の贈り物は、祝福です。
今日、皆さんは、まだ真の父母と完全な因縁を結ぶことができないでいます。ですから、その因縁を結んであげるためにしてあげるのが、統一教会の祝福です。
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祝福を受けた人は、霊界に行っても先生が永遠に責任を負います。先生が主管して指導します。祝福とは、このように先生と永遠の因縁を結ぶものでもあります。
祝福をしてあげるということは、天の全権を委譲してあげることを意味します。
祝福は、天国の門を開くことであり、天国は、子女をもって家庭が入っていく所です。
祝福とは、永遠の宝物です。子孫万代を今から出発するという一つの契約です。ですから、それを汚す時には一族が関係します。イエス様を十字架につけることによって、一国家が関連することになったように、一族に連結されます。
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祝福とは、歴史が追求してきた万民解放の門を開く鍵なのです。
祝福を受けるということは、とてつもない事実です。祝福を受けた人は、神様の代わりに「私が定めれば天宙も定める」という心で、主人として振る舞える人にならなければなりません。このような条件が備わってこそ、天が私たちを中心として生活理念を立てることができるのです。
神様の祝福は、絶対的に公的なものです。その祝福は、ある個人だけのためのものではなく、またある家庭だけの、ある国家だけの、ある世界だけのためのものではありません。神様の祝福は、宇宙全体のためのものです。
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「祝福」という言葉は、福を祈るということです。祝願する(祈る、願うという意味)の「祝」という字です。福を祈るのに、どんな福が一番貴いのでしょうか。愛の福が一番貴いのです。統一教会は、そのような意味で「祝福」という言葉を使うのです。一番貴いもの、宇宙の公約を代表した一番核心的な起源が、男性と女性が結合するところから始まるので、その祝福が一番偉大だというのです。
その偉大なものが福を祈れば最高の福になるので、統一教会では結婚式を「祝福」と言います。初めて来た人々は、こういうことを知らなければなりません。統一教会で「祝福を受けた」というのは、今日この世で「福を受けた」というのとは違います。神様の立会いのもとに、真の父母を通じて結婚式をしてもらったということです。
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今、あのイギリスの王室にある五三〇・二カラットのダイヤモンドは、昔アフリカでは石ころの扱いを受けていたのです。ダイヤモンドが世界で最も貴い宝石になることを誰が知っていたかというのです。きらきら光るのを見て、単なるガラスの塊だと思っていたのではありませんか。全く同じです。この貴い祝福を受けたことは受けたのですが、これがダイヤモンドであるにもかかわらず、単なるガラスだと考えているのです。何も知らずにいたのが、先生から話を聞いてから「ああ! 貴いんだな」と言っているのです。
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祝福の中で一番重要なものとは何でしょうか。お金ではありません。名誉でもありません。いかなる権力でもありません。息子、娘が栄えていくことです。皆さんがそれを知らなければなりません。祝福の中で一番良い福とは何でしょうか。息子、娘が天の愛を受けることができるように生まれることです。それは立派に生まれることです。
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するとどうなるのでしょうか。その息子が私より神様の愛をたくさん受ければ、恩恵を受けるようになります。そうではありませんか。山の谷間の向こうからこのように下りてきた電線のようなもの、この送電線のようなものを見れば、伸びていますが、ここでぎゅっと引っ張ればピンと張るのです。同じように、子供が天の愛をたくさん受けるようになれば、私がそれだけ落ちたとしても、ぐいっと上がることができるのです。恵みを受けるのです。
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祝福の場に参加する人がいるならば、彼はただそのまま一人の男性、あるいは一人の女性という立場で参席してはいけません。その場は、今まで六千年間この世に来ては逝った数多くの男性、あるいは数多くの女性を代表した場です。その場に皆さんが招請を受けたという認識をもたなければなりません。皆さんは、そういう事実を内情的な心情で体恤しなければなりません。
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祝福が成される今の時は、どのような時でしょうか。今は、神様の願いが成される最高の時であり、六千年間苦労してきた神様の恨が終わる時であり、この地へ来られ、御苦労された神様の息子、すなわちイエス様の願いが成される時です。それだけでなく、人間が創世以後、初めての愛が始まる時であり、万物の歓喜と尊貴と栄光を受けることができる時です。神様にとっても、この日がどれほど良いでしょうか。罪悪がみな消え、光明の太陽が昇った明るい天地を迎える日、すべての自然が和動し、すべての万象が踊る明るい朝、勝利の朝を迎える日です。
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先生は今、現実はこうですが、後日、先生が祝福した者の中から最後に残った一人が、世界的な人的資本として残り、栄光を受けることを希望して生きています。
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②祝福の価値
皆さんは、摂理的に見るとき祝福がどれほど重要なのかを知らなければなりません。神様を中心として祝福を受ける場は、地上天国と天上天国が出合う場です。横的に、永遠な世界と瞬間的な世界が出合う場です。
祝福は、天地で最も貴いものです。同時に、極めて恐ろしいものです。もし祝福を受けた夫婦が、互いにほかのことを考えるならば、それは相手を蹂躙することです。皆さんからまず善の先祖、地、国が生じるのです。したがって祝福を受けた人は、目覚めれば、天地を考えなければなりません。祝福は、人に福を分けてあげるためのものです。
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祝福の場は、恐ろしい場であり、ここでは、いい加減な自分の感情は通じません。一生命の価値は、宇宙よりも貴いものです。ゆえに、一人に責任をもつには、永遠を中心として責任をもたなければなりません。こういう問題が左右する場が祝福の場であることを皆さんは、はっきりと知らなければなりません。ですから自分の一生で、そのような一時をもったならば、彼は幸福な人です。このようなとてつもない祝福の場に皆さんが加担するためには、歴史的な決心をしなければなりません。
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祝福は、その価値を知って受けなければなりません。祝福を受けることによって、第三イスラエルの位置に立つようになるということを知らなければなりません。皆さん、祝福の意味と価値を知ってみると、祝福を受けずしては、人間完成の道へと行くことができません。結婚していない人々を大人として扱いますか。人間の世の中でも、処女が死ねば処女の怨霊で、チョンガー(独身の男性)が死ねばチョンガーの怨霊と言います。それは、誰かがそのようにしたのではありません。天道がそのようになっています。
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国の国王も国民もサインするのは同じですが、その内容においては天地の差があるように、祝福においても外的に見れば何でもないようでも、その内容と価値において見れば、とてつもない差があるのです。
皆さんが衣食の問題が大変だといって、なすべき使命を忘れて、神様が下さった祝福をお金で売るのですか、そのような考えでしょうか。神様の祝福は、天と地を与えたとしても絶対に引き替えることができません。
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祝福には、全世界を与えたとしても引き替えられない価値があります。時には、私が祝福してあげたことを後悔することがあります。祝福は、一人の男性と一人の女性が神様のみ意を中心として、「真の愛を実行する真の父、真の母になれ」と言って、してあげたものです。
祝福の場とは、どんな場でしょうか。祝福の場は、世界で一番良い場です。その祝福の場は、誰と関係を結ばなければならないのでしょうか。皆さんは自分自体で完成するのではありません。父母の愛によって完成するのです。子供が親の懐から生まれれば、立派に生まれたとしてもそうでなくとも、その親の姿に似るのです。それと同じように、統一教会では真の父母の道理を教えます。それが皆さんには、福の中の福です。
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八十歳を越えたおばあさんたちも、祝福を受けることができずに死ねば、天国に行けないという事実を知っているために、死んでいく最後の瞬間でも何千里も何万里も向こうに男がいても、その男と絹織り糸を結んで、祝福の条件だけでも受けたいと思うのです。統一教会ではこのようになっています。先生はこのことをやり遂げなければならないので、星回りが悪い人です。
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祝福を受けたということは、メシヤが二千年間の苦労によって地上に基盤を築き、選ばれた民族と教団と自分の氏族を中心として、新郎新婦の名前で出発することができる時が来たということです。皆さんが氏族的メシヤになることができるでしょうか。先生と父子の因縁が結ばれたがゆえに、サタンもどうすることもできないのです。このように祝福は、本当にとてつもないものです。
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イエス様が二千年の間、精魂を尽くして成したかったこととは何でしょうか。婚宴をしようとされたのですが、婚宴とは何でしょうか。正に祝福です。イエス様が二千年間願ってきた、その願いを成就する基準が祝福の婚宴です。婚宴しようとするならば、新郎の前に新婦が現れなければなりませんが、それがキリスト教の終末です。ですからキリスト教を越えずしては、天国に行くことができません。
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イエス様が来て、四千年の歴史を終結させて新しく出発しようとしたものとは何でしょうか。家庭がないために滅びました。家庭があったならば、氏族は自動的に時間がかかっても横的な面において歴史を通じて蕩減できるのです。そうなれば、イエス様の一族が生じていたでしょうし、イエス様の民族が生じていたでしょうし、イエス様の一国が生じていたのではないかというのです。そのようにすることができる家庭をもつために、イエス様が三十三年間苦労したのです。三十三年間苦労してももてなかった家庭なのに、皆さんは祝福の価値を知っていますか。祝福は、六千年間探し求めてきた恨の解決門なのです。
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「小羊の婚宴」は人類歴史上、初めて人間が祝福を受けて家庭的な救いの基準を立てることを意味します。これが六千年の歴史が探し求めてきたものです。「小羊の婚宴」をする新郎新婦が、真の父母の使命をもって現れることです。ゆえに、再臨主の祝福を受ければ、その家庭の救い主として、その家庭の救いの門を開くことになります。
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統一教会に入って皆さんが祝福を受けたということは、神様が四千年間摂理してこられた土台の上に、イエス様を送り、み旨を中心として家庭を復帰したという勝利的基準に立ったということです。それで皆さんの子孫は、復帰摂理において何の功労がなくても、皆さんの勝利の基準を通じて、四千年の復帰摂理で功臣となった先祖たちの恩賜を受け継ぐことができる立場に入っていくのです。
エデンの園で、男性の前に女性を創造しなかったならば、どうなっていたでしょうか。女性がいるという事実は、宇宙的な真理です。奇跡の中の奇跡が、男女が存在するということです。片方だけ存在するとすれば、何も存在しないのと同じです。人類はおしまいです。統一教会の祝福の価値が、こういう角度から十分に分からなければなりません。
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一度相対者に会えば、それは永遠と連結します。宇宙を与えても、神様を与えても買えない本然の夫婦の愛に感謝して、強く大胆でありなさい。統一教会の真の愛を味わった者たちは、世界のどこへ行っても、その愛の光が共について回るようにならなければなりません。人類を、全宇宙を、真の愛を中心として愛さずしては、絶対に天国に行くことができないのです。
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「神様が変わらない限り、私は変わらない。過去、現在のいかなる人やいかなる物が、サタン世界の生命、サタン的愛、サタン的理想を私から完全に奪っていっても、私は行くのだ。さらには、神様が変わるようなことがあっても、私が神様を元に戻していくのだ。神様が絶対的でなければ私が絶対的にしてみせる」と、こういう考えをもたなければなりません。そのようになれば、神様でも絶対服従します。「私は、金の輝きのように、ダイヤモンドのように硬く、変わらない光をもっている」と、そのように考えなさいというのです。そのような立場で、そのような日を見つめて、神様がアダム、エバの祝福の一日を願っていたというのです。
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皆さんは、神様を探す必要はありません。それよりは愛が必要だというのです。この愛さえもてば、神様は自然に私のところに来るということです。私に捕らえられるというのです。ですから神様を探す方法は、世界人類を兄弟と思い、神様のように父母のように愛して行動することです。そうすれば、すぐに神様は私のところに来るというのです。それで宗教では愛を語っているのです。しかし、このことが成されなかったために、今日、統一教会はこれを再び復帰するために、このようなことをせざるを得ないということを知らなければなりません。祝福はこの場で受けますが、一つになり、これを中心として拡大さえすれば、この宇宙は皆さんのものになります。
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宇宙は、生きるか死ぬかの決定点です。
三・一運動に参加した三十三人の中に李甲成という人がいるでしょう。今、その人一人だけが生きていますが、三・一運動について考えるとき、その人が大統領よりも高いですか、高くありませんか。それは尋ねるまでもなく、より高いというのです。同じように、先生を通じて祝福結婚をした人は、世界的な栄光を受けることでしょう。
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たとえ一番最後に結婚した一双が、夫婦とも、目も一つなくて、鼻も曲がって、耳も一つなく、腕も一つない不具の中の不具であったとしても、彼らは世界的な栄光を受けるようになるでしょう。そのような身体上のことが問題ではなく、先生を通じて祝福を受けたということそれ自体が問題になるということです。それは数億万ドル与えても買うことができないのです。私たち統一教会のお嬢さんたち、それを知っていますか。どれほど知っていますか。
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③祝福は人類が通過すべき公式路程
統一教会を中心として成される合同結婚式は、統一教会にだけ限られる結婚式ではありません。これは、全人類が必ず通過すべき公式的な路程なのです。これをはっきりと知らなければなりません。それでは祝福結婚式をやらなければならない根本的な原因はどこにあるのでしょうか。それは、私たち人間の始祖が堕落したからです。
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もし人間の始祖が堕落しなかったならば、今日、私たちが祝福を受ける、このようなことはなかったはずです。しかし堕落することによって、再び神様の主管圏に越えていかなければならない復帰路程が残るようになったので、私たちはこのような道をさかのぼっていかなければならないのです。今日、人間たちが宗教を信じるのも、このためであり、歴史が指向してきたのも、やはり同じです。
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これから人類は、どこへ行くべきでしょうか。「全人類は祝福の門を通らなければ、天国に行くことができません。数多くの人々がキリスト教を信じていますが、そのキリスト教自体も祝福という門を通らなければ、天国に行けません」。このように言えば、キリスト教では、「統一教会のレバレンド・ムーンは独善的な発言を多くする」と不平を言います。こういう考えをする人、またそのように話す人がいるかもしれませんが、それはその人たちの言葉であって、統一教会でいう祝福結婚は、堕落した人類にとっては必ず行くべき道なのです。どんなに反対しても、霊界と肉界を連結して天国に入っていく上で重大な問題となるのが、この祝福結婚だというのです。
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結局、最後の目的はどこにあるのでしょうか。真の家庭を取り戻そうということです。これが堕落した人間が探し求めてきた最高の目的なのです。この真の家庭を成すためには、真の人が出てこなければなりません。真の人の中でも真の男性が先に出てこなければなりません。その真の男性が真の女性を探して立てて、神様を中心として聖婚式をすることによって、初めて真の家庭が出現するのです。
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人間が堕落することによって、こういう起源をもつことができなかったので、私たちは今までのすべての家庭を否定し、新しく神様の摂理のみ意に従って、このような家庭的基準を踏んで越えていかなければならないのです。もしその基準を越えていくこができなければ、堕落した人間は本然の世界へ戻ることができない、というのが原理的な見解です。
堕落した人間たちは、誰でもこの公式的な条件をたどっていかなければ、神様の前に立つことができないということを知らなければなりません。
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天国理想は、結婚して家庭をもたなければ成されません。統一教会ですべての善男善女たちが祝福を受けなければならないというのも、天国理想を実践していくためです。未婚者はもちろん、既に結婚した人であっても、一定の基準を備えて再び祝福を受けなければなりません。すべての人が祝福を受けなければならない理由は、創造理想世界へ帰るためです。もともと創造理想の世界は、真の男性と真の女性が祝福を受けてつくっていく世界ですが、堕落によってそういう愛の歴史が一度も現れなかったのです。
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堕落とは、サタンを中心として結婚式をしたことです。サタンを中心として結婚したので、神様を中心として、神様のみ名によって結婚しなければなりません。その結婚は、世界史的な結婚です。一民族の中での結婚ではなく、民族を越えてサタン世界を超越した立場での結婚です。サタン世界を越える場です。
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エデンの園において本来アダム、エバの息子、娘の結婚式は、神様の命令によってアダム、エバがするのです。私たちの結婚式も同じ理致です。それで私たち統一教会では、真の父母のみ名によって祝福してあげるのです。今までこの世で、自分のお母さん、お父さんが結婚の主礼に立って結婚式をするのを見たことがありますか。そのような人はいないのです。それを見るとき、この世には完成した人がいないということを物語っています。
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結婚式は、正に愛の伝授式です。神様の愛をもって父母が生きるように、皆さんも父母の愛を神様の愛の代わりに受けて、「このように生きよ!」という愛の伝授式が結婚式だというのです。神様の愛を父母から受けるのです。ある有名な人から受けるのではありません。それは天使長がしてくれる結婚です。名のある人が片方だけ来て結婚式をするのは、みな天使長にしてもらう結婚式です。
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愛で堕落したがゆえに、復帰するにおいても、天を中心とした新しい父母の愛と関係を結んでしなければなりません。それで統一教会で合同結婚式をする時は、先生とお母様、二人でしてあげるのです。それが愛の伝授式です。ここで造成された伝統は、永遠の伝統になるのです。革命は必要ありません。このように革命の必要のない新たな伝統が、この天地間に立てられるとき、ここから新たな家庭と、新たな氏族と、新たな民族と、新たな国家と、新たな世界が形成され、この地球星を主管することができるのです。
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誰も手をつけられないことに統一教会は着手して、再創造の道へと導いてきたのです。これができる日には世界が一つになるのであり、悪のサタン世界を天の国へと転換させることができるのです。今日米国が、若者たちが自ら相対を得られるようにしてきたのはおかしなことです。キリスト教文化圏なのに、聖書が認めないことをやっているのです。これは物質文明と共にサタンに侵食され、サタン側的な自由主義によって、そのようになったと見るのです。
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ところが皆さんは、なぜそのようにしませんか。サタンがやってきたことを、私たちはすることができません。愛とは何でしょうか。神様から、父母から受け継いだ結婚をするのが原則であるにもかかわらず、神様と関係のない自由結婚を唱えたことが堕落なので、これを根本的に根絶しなければ、天の国に戻ることができません。
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ここは、天道を立てる所です。私は死んでも原理原則を立てるために、私の生活を捧げてきたのに、この結婚という問題に対して、皆さんの言うことを聞いて、適当にする男ではありません。
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2.祝福から見た真の結婚観
①真の結婚は神様の形状に似るためのもの
結婚は、なぜするのでしょうか。神様の姿に似るためです。神様は二性性相でいらっしゃる方として各一性が合体化した一体的な存在であられ、その神様の分性的人格自体が男女なので、彼らが合性一体化することによって、種のようになり、神様の本性の場に戻らなければならないのです。
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結婚の最高の神聖さを私たちは謳わなければなりません。男性と女性が愛することができる道は、結婚生活なのです。そのように一つになることによって誰に似るのでしょうか。神様に似るのです。男性と女性が一つとなってこそ、御自身の形状どおりお造りになった神様に似るのです。そうしてこそ神様が臨まれるのです。
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原理について考えるとき、アダム、エバが堕落せずに完成していたならば、結婚式の場へと進んでいたことでしょう。言い換えれば、アダム、エバが神様の実体対象として神様が主体になられれば、彼らは対象になるのです。そのような立場で、愛の主体なる神様から対象的な立場の愛を連結させることができるその土台として個性を完成し、結婚することによって、祝福は成されるということを知っています。
完成は結局、結婚をいうのであり、結婚は、神様の愛の顕現をいうのです。別の言い方をすれば、結婚がなかったとすれば、現在、人類のこの世における愛というものが始まらなかったと見るのです。その愛の主人とは誰でしょうか。人間ではなく神様だということを私たちは知らなければなりません。
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結婚は、創造理想を完成するためのものです。すなわち、創造目的を成し遂げるためにするということです。すると創造目的は、誰の目的でしょうか。アダムの目的である以前に神様の目的です。ですからアダムが喜ぶ前に神様が喜ばなければならないのです。そのようにならなければなりません。このように見るとき、結婚を誰ゆえにするのでしょうか。神様ゆえにするのです。言い換えれば、神様の創造目的というみ旨のためにするのです。み旨は創造理想を完成することです。
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結婚をなぜするのでしょうか。アダム、エバが自らの愛を探していくためのものではありません。縦的な神様の愛を核として、その核を中心にその分身として一つの球形を成すためのものです。それが理想です。神様の創造理想もそういう愛を中心として結着するのであり、人間の男性と女性も成熟して、そこで愛の結着点が生じ、生命が連結されるのです。ですから生命によって連結されるのではありません。愛によって連結されるのです。縦的父の愛と横的夫婦の愛を中心として、本然の愛の種が初めて連結されるのです。
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成熟したアダム、エバが愛の因縁を結ぶことができるその時になれば、神様は二性性相としていらっしゃるので、男性性相はアダムに臨在し、女性性相はエバに臨在するのです。神様が私たちの体と心の中に臨んで、神様が結婚式をするのです。アダムの心は至聖所のようなもので、アダムの体は聖所のようなもので、その中に神様がいらっしゃるのです。そのようになっていたなら、アダムは神様の体になるのであり、エバも神様の体になるのです。
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神様の男性格的性稟に似たのがアダムであり、女性格的性稟に似たのがエバです。この二人が結婚式をすることが、宇宙の王権を立てる式ではありませんか。それは何の王権ですか。愛の王権です。
結婚をなぜするのでしょうか。神様を愛するために。神様を愛して何をするのでしょうか。神様の軸と一致するためです。一致して何をしようとするのでしょうか。一致すればどうなりますか。なぜ一致しようとしますか。絶対的な神様の愛を中心として、永遠の愛を中心として永生がなされるのです。それだけではありません。そのように接触した、そこから宇宙の相続権が伝授されるということを知らなければなりません。愛を中心として造られた被造世界は、神様のものですが、私のものとして相続権が与えられるのです。
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結婚した夫婦の愛というものは、神様の縦的な愛に接ぎ木されるのです。神様の縦的な愛と一つになるときは、これを離す者がいません。しっかりくっついていて、離す者がいないのです。ですから人々が生きる生活において何がどうであれ、愛の道を求めていくのです。
自らの価値をどのように取り戻すのか、これが問題です。男性として生まれたのは、女性のためであり、女性として生まれたのは男性のためです。この男性と女性がなぜ一つにならなければならないのでしょうか。一つにならずしては神様の愛を感しることができないからです。これが問題です。男性と女性が完全な愛によって一つにならなければ、神様の愛を所有できないということです。結婚をなぜするのでしょうか。神様の愛を所有するためです。
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絶対的な神様も、愛が絶対的に必要なので、絶対的愛の対象が必要だというのです。
アダム、エバが完全に成熟して新郎新婦として神様の前に対象圏を成して、神様の祝福を受けることによって、神的愛による家庭になったならば、それが本来エデンで堕落しないで成し遂げていた完成圏でした。その完成圏に現れたアダム、エバになっていたなら、その場は、どんな場でしょうか。祝福を受ける場です。
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福の中で一番貴い福は、神様の愛です。その次は、神様の創造の権限を引き継ぐことです。神様がアダム、エバを創造したように、創造的権限を与えられるのが子女なのです。皆さんがなぜ子女を愛しますか。神様の創造の偉業を横的に実体圏で受け継いだのと同じなので、アダム、エバを造っておいて、神様が喜んだその喜びを代わりに感じるためです。
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その次は、神様が天地万物を主管されたように、万物を主管させるために、私たちに主管権を与えました。したがって結婚するその時には、神様の愛を相続して、再創造の権限と主管権を完成圏に立って受け継ぐようになるということを皆さんが知らなければなりません。それで結婚式というものは、愛の顕現をいうと同時に、創造権と主管権を与えられるものです。
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創造理想は、自らを中心として成されるのではありません。すべての心情が主体的な神様と一体となって、神様が動ずれば私が動じ、神様が静ずれば私も静じ、心情的一致点を中心として内外が一つにならなければならないのです。このように神様の前に和することができる基準を立てなければ、創造目的を成し遂げることができません。
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②結婚は愛の完成のためにする
結婚自体は何でしょうか。結婚をなぜするのでしょうか。何ゆえにするのでしょうか。男性に会いたくて、女性に会いたくて、するのではありません。愛を完成させるためにするのです。男性が探さなければならない愛は、女性でなければ見つかりません。一人では絶対に見つかりません。女性が探さなければならない愛は、男性でなければ絶対に見つからないのです。
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男性が個性完成をしようとするならば、相対完成をしなければならないので、結婚をしなければなりません。結婚をしなければ、愛圏内に行けません。なぜ結婚をしなければならないかといえば、お互いに神様の愛に接するためです。神様の愛に接するために、男性と女性は結婚しなければならないというのです。男性と女性が結婚して、神様の愛がそこに臨むことによって、愛を中心として一つになるので、神様が、その時から宇宙と神様御自身を相続させてくださり、神様の愛まで相続させてくださり、神様に属するすべてのものを相続させてくださるようになるのです。
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結婚は、なぜするのかといえば、自分の個人的愛を完成させると同時に、相手の愛を完成させるためです。個人の愛を完成させると同時に、神様の愛を完成させるために私が結婚するというとき、気分がどんなにいいですか。地上に神様が愛することができる土台を準備するために、男性と女性は結婚しなければなりません。
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二人が愛によって一つになったその基準の上に、初めて神様の愛が訪ねてくるのです。結局は、神様の愛のために、また神様の愛のために生きることは、私が神様の愛をもつためなのです。「ため」に与えるから愛が来るし、愛が来るので神様の愛を自分のものにすることができるのです。
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