③ラケルとレア
―宗教経典―
主は、レアが疎んじられているのを見て彼女の胎を開かれたが、ラケルには子供ができなかった。レアは身ごもって男の子を産み、ルベンと名付けた。それは、彼女が、「主は私の苦しみを顧みてくださった。これからは夫も私を愛してくれるにちがいない」と言ったからである。レアはまた身ごもって男の子を産み、「主は私が疎んじられていることを耳にされ、またこの子をも授けてくださった」と言って、シメオンと名付けた。レアはまた身ごもって男の子を産み、「これからはきっと、夫は私に結び付いてくれるだろう。夫のために三人も男の子を産んだのだから」と言った。そこで、その子をレビと名付けた。レアはまた身ごもって男の子を産み、「今度こそ主をほめたたえよう」と言った。そこで、その子をユダと名付けた。しばらく、彼女は子を産まなくなった。
ラケルは、ヤコブとの間に子供ができないことが分かると、姉をねたむようになり、ヤコブに向かって、「私にもぜひ子供を与えてください。与えてくださらなければ、私は死にます」と言った。ヤコブは激しく怒って、言った。「私が神に代われると言うのか。お前の胎に子供を宿らせないのは神御自身なのだ。」
ラケルは、「私の召し使いのビルハがいます。彼女のところに入ってください。彼女が子供を産み、私がその子を膝の上に迎えれば、彼女によって私も子供を持つことができます」と言った。ラケルはヤコブに召し使いビルハを側女として与えたので、ヤコブは彼女のところに入った。やがて、ビルハは身ごもってヤコブとの間に男の子を産んだ。
そのときラケルは、「私の訴えを神は正しくお裁きになり、私の願いを聞き入れ男の子を与えてくださった」と言った。そこで、彼女はその子をダンと名付けた。ラケルの召し使いビルハはまた身ごもって、ヤコブとの間に二人目の男の子を産んだ。そのときラケルは、「姉と死に物狂いの争いをして、ついに勝った」と言って、その名をナフタリと名付けた。レアも自分に子供ができなくなったのを知ると、自分の召し使いジルパをヤコブに側女として与えたので、レアの召し使
いジルパはヤコブとの間に男の子を産んだ。そのときレアは、「なんと幸運な」と言って、その子をガドと名付けた。レアの召し使いジルパはヤコ
ブとの間に二人目の男の子を産んだ。そのときレアは、「なんと幸せなことか。娘たちは私を幸せ者と言うにちがいない」と言って、その子をアシェルと名付けた。
小麦の刈り入れのころ、ルベンは野原で恋なすびを見つけ、母レアのところへ持って来た。ラケルがレアに、「あなたの子供が取って来た恋なすびを私に分けてください」と言うと、レアは言った。「あなたは、私の夫を取っただけでは気が済まず、私の息子の恋なすびまで取ろうとするのですか。」「それでは、あなたの子供の恋なすびの代わりに、今夜あの人があなたと床を共にするようにしましょう」とラケルは答えた。夕方になり、ヤコブが野原から帰って来ると、レアは出迎えて言った。「あなたは私のところに来なければなりません。私は、息子の恋なすびであなたを雇ったのですから。」その夜、ヤコブはレアと寝た。神がレアの願いを聞き入れられたので、レアは身ごもってヤコブとの間に五人目の男の子を産んだ。
そのときレアは、「私が召し使いを夫に与えたので、神はその報酬をくださった」と言って、その子をイサカルと名付けた。レアはまた身ご
もって、ヤコブとの間に六人目の男の子を産んだ。そのときレアは、「神がすばらしい贈り物を私にくださった。今度こそ、夫は私を尊敬してくれるでしょう。夫のために六人も男の子を産んだのだから」と言って、その子をゼブルンと名付けた。その後、レアは女の子を産み、その子をディナと名付けた。
しかし、神はラケルも御心に留め、彼女の願いを聞き入れその胎を開かれたので、ラケルは身ごもって男の子を産んだ。そのとぎラケルは、「神
が私の恥をすすいでくださった」と言った。彼女は、「主が私にもう一人男の子を加えてくださいますように」と願っていたので、その子をヨセフと名付けた。
創世記29.31 ~ 30.24 (キリスト教)
―み言選集―
ヤコブがハランに行って21 年を経ながら、ラケルをもらうために7年間苦労したのですが、父のラバンがサタン側のレアを抱かせました。ヤコブが復帰できるアダムの使命を完遂するためには、アダムが堕落したために、レアを通して堕落した過程を経なければならないのです。レアを抱えて越えていって、初めてラケルを抱えるようになりました。
世界全体の摂理を見れば、神様を中心として二人の女性が現れます。堕落した女性と復帰された女性がいるのです。レアが妹ラケルの愛を奪いました。サタン側の代表であるラバンを中心として、救援摂理においてサタンがレアを抱え、ラケルの行く道までふさいでいたのです。その女性二人の愛の争いがヤコブ家庭の問題です。
エデンの園で愛を中心としてカイン・アベルとサタンが出発したように、神様の立場とラケル的な目的に従っていく本然の世界で、カインが現れて自分を中心とする愛を占領するためにしたことと同様の形態が展開するのです。愛を中心としてサタンが先に主導権を握ろうとします。それで、神様の理想を破壊させ……。これが2000 年後にヤコブ家庭に起きるのです。これが蕩減復帰です。
蕩減は、「目には目、歯には歯」のような形態で表れます。サタン側の父がレア側に立っていますが、母はサタン側に勝つためにレアとラケルを一つにしなければなりません。ところが、これを知らなかったのです。リベカ(注27)がアベル(ヤコブ)を立て、カイン(エサウ)の心を動かし、イサクを屈服させるために内的にどれほど苦衷を受けたでしょうか。
今まで歴史時代において、ヤコブがラケルとレアと一つになったところでラケルのみ旨が成し遂げられようとすれば、兄が自然屈服しなければなりません。
兄が100 パーセント屈服し、弟を長子のように侍り、兄のように侍らなければなりません。逆さまにならなければならないのです。(注28)
(244-239 ~ 240、1993.2.14)
今、アメリカ女性の中で幸福な女性がいますか。すべてレアとラケルのような関係になっているので、これが度数を超えて平準化され、フリーセックスまで出てくるようになったのです。サタンがそれを利用します。レアとラケルが妬み嫌うことを中心として、天と一つになるためには、互いが同じ立場に立たなければならない立場にいて、愛を中心として水平基準に置かれるので、フリーセックスのような概念が入ってくるのです。
愛の争いのためにレアを中心とする僕、三人の女性たちが十人の息子を生み、ラケルは二人の息子を生みましたが、これが北朝イスラエルと南朝ユダ、カイン世界とアベル世界に完全に分かれました。家庭での愛の紛争が、北朝イスラエルと南朝ユダに分けたのです。それで10 支派と2支派が互いに怨讐となり、争ってきました。それがイスラエルの歴史です。(注29)
(244-248 ~ 249、1993.2.14)
④タマル
―宗教経典―
ユダは長男のエルに、タマルという嫁を迎えたが、ユダの長男エルは主の意に反したので、主は彼を殺された。ユダはオナンに言った。「兄嫁のところに入り、兄弟の義務を果たし、兄のために子孫をのこしなさい。」
オナンはその子孫が自分のものとならないのを知っていたので、兄に子孫を与えないように、兄嫁のところに入る度に子種を地面に流した。(注30)彼のしたことは主の意に反することであったので、彼もまた殺された。
ユダは嫁のタマルに言った。「私の息子のシェラが成人するまで、あなたは父上の家で、やもめのまま暮らしていなさい。」それは、シェラもまた兄たちのように死んではいけないと思ったからであった。タマルは自分の父の家に帰って暮らした。かなりの年月がたって、シュアの娘であったユダの妻が死んだ。ユダは喪に服した後、友人のアドラム人ヒラと一緒に、ティムナの羊の毛を切る者のところへ上って行った。
ある人がタマルに、「あなたのしゅうとが、羊の毛を切るために、ティムナヘやって来ます」と知らせたので、タマルはやもめの着物を脱ぎ、べールをかぶって身なりを変え、ティムナヘ行く途中のエナイムの入り口に座った。
シェラが成人したのに、自分がその妻にしてもらえない、と分かったからである。ユダは彼女を見て、顔を隠しているので娼婦だと思った。ユダは、路傍にいる彼女に近寄って、「さあ、あなたの所に入らせてくれ」と言った。彼女が自分の嫁だとは気づかなかったからである。
「私の所にお入りになるのなら、何をくださいますか」と彼女が言うと、ユダは、「群れの中から子山羊を一匹、送り届けよう」と答えた。しかし彼女は言った。「でも、それを送り届けてくださるまで、保証の品をください。」「どんな保証がいいのか」と言うと、彼女は答えた。「あなたのひもの付いた印章と、持っていらっしゃるその杖です。」ユダはそれを渡し、彼女の所に入った。彼女はこうして、ユダによって身ごもった。
彼女はそこを立ち去り、ベールを脱いで、再びやもめの着物を着た。ユダは子山羊を友人のアドラム人の手に託して送り届け、女から保証の品を取り戻そうとしたが。その女は見つからなかった。
友人が土地の人々に「エナイムの路傍にいた神殿娼婦は、どこにいるでしょうか」と尋ねると、人々は、「ここには、神殿娼婦などいたことはありません」と答えた。友人はユダのところに戻って来て言った。「女は見つかりませんでした。それに土地の人々も、『ここには、神殿娼婦などいたことはありません』と言うのです。」
ユダは言った。「では、あの品はあの女にそのままやっておこう。さもないと、我々が物笑いの種になるから。とにかく、私は子山羊を届けたのだが、女が見つからなかったのだから。」三か月ほどたって、「あなたの嫁タマルは姦淫をし、
しかも、姦淫によって身ごもりました」とユダに告げる者があったので、ユダは言った。「あの女を引きずり出して、焼き殺してしまえ。」ところが、引きずり出されようとしたとき、タマルはしゅうとに使いをやって言った。「私は、この品々の持ち主によって身ごもったのです。」彼女は続けて言った。「どうか、このひもの付いた印章とこの杖とが、どなたのものか、お調べください。」
ユダは調べて言った。「私よりも彼女の方が正しい。私が彼女を息子のシェラに与えなかったからだ。」ユダは、再びタマルを知ることはなかった。
タマルの出産の時が来たが、胎内には双子がいた。出産の時、一人の子が手を出したので、助産婦は、「これが先に出た」と言い、真っ赤な糸を取ってその手に結んだ。ところがその子は手を引っ込めてしまい、もう一人の方が出てきたので、助産婦は言った。「なんとまあ、この子は人を出し抜いたりして。」そして、この子はペレツ(出し抜き)と名付けられた。その後から、手に真っ赤な糸を結んだ方の子が出てきたので、この子はゼラ(真っ赤)と名付けられた。
創世記38.6 ~ 30(キリスト教)
タマルは祭司長の娘だった。彼女の性稟が純潔で自制力があったことを考えるとき、義父と関係をもつことをわざわざたくらんだことは理解し難いことだ。
結局、タマルは徳のある女性だったのであり、娼婦ではなかった。彼女が義父ユダに接近したのは、深奥な志と知恵から来たものである。また、死んだ夫たちに対する衷心からした行動だった。天が彼女を助け、すぐに妊娠できたのは、深い志をもってした行動だったからである。……
ダビデ、ソロモン、さらにメシヤの先祖となるユダヤ王国の種が蒔かれた2人の女性がいる。彼女たちはタマルとルツだ。この2人の女性には共通点がある。2人とも最初の夫を失い、夫に代わるために同じような道を歩んだ。タマルはユダが死んだ夫たちの最も近い近親だったために、ユダを誘惑した。……
ルツはボアズを誘惑したが、ルツ記3章7節に、「ルツは忍び寄り、彼の衣の裾で身を覆って横になった」と記録されている。この2人の女性からユダヤ王国の種が受け継がれ、完成に至るようになった。2 人の女性とも、信仰心が発露となってした行動だったのであり、死んだ夫たちに対する礼を守った。彼女たちは共に血統を受け継ぎ、これから訪れる天の世界を準備するための行動だ
ったのである。
ゾハール1.188ab (ユダヤ教)
―み言選集―
ヤコブの息子の中にユダ支派がいます。ユダは4番目の息子です。ユダの最初の息子が結婚したのですが死にました。イスラエル民族は、兄が死ぬとその弟が兄嫁を引き継いで代をつなげてあげるようになっています。
ところが、その下の息子がどうなったかというと、兄嫁を受け入れないと言いました。それで神様が罰を与えて死にました。その次に、3番目の息子は子供です。3番目の息子は幼いため、この兄嫁がユダ支派の代を引き継ぐ可能性がなくなったの
で大変なことになったのです。
ですから、タマルが代を引き継ごうとすれば、どの系統を引き継がなければなりませんか。ユダ支派の系統を引き継ごうとすれば、幼子しかいないので、自分はすっかり老いて死ぬというのです。ここで革命をするのです。
そして何をするのですか。神様の代を引き継ぐためには、自分の家の恥であろうと、自分がどうなろうと考えない、このような決心をするようになりました。
それで、しかたなく娼婦の服に着替え、自分の義父が農作業で往来する道端に出ていき、自分の義父ユダを誘って関係を結びました。このように関係を結んでから記念品がほしいと言いました。その時、杖をくれ、印と印のひもをくれ、やぎをくれたので、その記念品をもらって赤ん坊を宿して育てるのです。
それはすべて意味がありました。その後、5、6ヵ月たってタマルのおなかがだんだんと大きくなってくるので、村の人たちがユダに「あなたの嫁は寡婦なのに、赤ん坊を宿している。石で打ち殺さなければならない」と言いました。
そのとき、「その赤ん坊の父親は誰か」と言うと、この杖の主人であり、印と印のひもの主人であり、この記念品をくれた人だと言い、ユダのところにもっていって赦しを受けるのです。それで生きながらえました。非正常な道を行く女性たちを通して神様のみ旨が、新しい血統が受け継がれてきたという事実をここで知ることができます。
それはなぜそうなのかというのです。体を先に捧げれば、それは純粋に100 パーセントサタンのものです。100パーセントサタン側にいます。それを否定する立場に立てば、それがかえって……。
ですから、そのような女性、サタン側の女性ではなく、天の側の女性が必要なのです。サタンのものをすべて否定してしまい、天の側に帰ってくることのできる女性が必要です。
このような道理に一致するので、神様はタマルを通して……。タマルはどのようにしたかというと、このような分岐点に立っても神様のみ旨を立てようとしたのです。エバが自分の父をだまし、自分の夫をだましたのと同じように、タマルは自分の父ユダと自分の未来の夫、3番目の息子を否定してそのようなことをしました。ちょうど同じ道を行ったのです。死を覚悟して……。
(92-286 ~ 288、1977.4.18)
「神様、あなたの祝福圏を欽慕し、またあなたの祝福の代を引き継ぐために、私がこのようなことをしでいるので、神様! お赦しください。私がたとえ千万回死ぬことがあっても、この不倫の素行を基盤として神様から祝福を受けることのできる基盤がユダ家門に成し遂げられさえすれば、私は何の遺恨もありません」と、タマルは間違いなくこのように祈祷したでしょう。
そのような切実な内容があったために、タマルは生死を意に介さず、ただ神様の恨が宿ったみ旨を成し遂げてさしあげるために、その死の状況までも克服することができたのです。このように、タマルのみ旨に対する忠節は実に驚くべきものですが、正にこのような場でこそ、摂理歴史を展開できたというのが神様の復帰摂理の事情でした。
(110-222 ~ 223、1980.11.18)
サタンの偽りの愛の種がエバの胎中に蒔かれて悪の生命が生まれたので、神様は母の胎中まで入っていって分別しておかなくては、天の息子が胎中で誕生することができないのです。
ですから、ヤコブの勝利によっても、まだ分別さ
れていない妊娠から40 代までの期間も、サタンの分立がなされなければなりません。結果的にこの責任を任された偉大な母がタマルです。
タマルは選民の血統を続けなければという一念から、売春婦に変装して、舅であるユダを迎え、双子の赤ん坊を身ごもりました。赤ん坊たちが生まれる時、先に手を突き出して出ようとした長子の赤ん坊が再び入り、弟になるべき次子の赤ん坊が兄になって先に生まれたのですが、彼がペレツです。タマルの胎中で長子と次子が争って、分立される胎中復帰がなされたのです。
このような条件の上に、選民の血族を集め、2000 年後にローマ帝国の国家基準に対峙するイスラエルの国家的土台の上に、メシヤを身ごもることができたのです。神様の息子の種が準備された母親の胎中に、サタンの讒訴のない立場を探すことが
できるようになった国家的勝利の土台が造成されたのです。このような基盤の上に、聖母マリヤが摂理の主流に登場するのです。
(277-205 ~ 206、1996.4.16)
⑤ラハブ
―宗教経典―
アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロ
モンをもうけ……
マタイによる福音書1.1 ~ 6(キリスト教)
ヌンの子ヨシュアは二人の斥候をシティムからひそかに送り出し、「行って、エリコとその周辺を探れ」と命じた。二人は行って、ラハブという遊女の家に入り、そこに泊まった。ところが、エリコの王に、「今夜、イスラエルの何者かがこの辺りを探るために忍び込んで来ました」と告げる者があったので、王は人を遣わしてラハブに命じた。「お前のところに来て、家に入り込んだ者を引き渡せ。彼らはこの辺りを探りに来たのだ。」
女は、急いで二人をかくまい、こう答えた。「確かに、その人たちは私のところに来ましたが、私はその人たちがどこから来たのか知りませんでした。日が暮れて城門が閉まるころ、その人たちは出て行きましたが、どこへ行ったのか分かりません。急いで追いかけたら、あるいは追いつけるかもしれません。」
彼女は二人を屋上に連れて行き、そこに積んであった亜麻の束の中に隠していたが、追っ手は二人を求めてヨルダン川に通じる道を渡し場まで行った。城門は、追っ手が出て行くとすぐに閉じられた。
二人がまだ寝てしまわないうちに、ラハブは屋上に上って来て、言った。「主がこの土地をあなた達に与えられたこと、またそのことで、私達が恐怖に襲われ、この辺りの住民は皆、おじけづいていることを、私は知っています。あなた達がエジプトを出たとき、あなた達のために、主が葦の海の水を干上がらせたことや、あなた達がヨルダン川の向こうのアモリ人の二人の王に対してしたこと、すなわち、シホンとオグを滅ぼし尽くしたことを、私達は聞いています。それを聞いたとき、私達の心は挫け、もはやあなた達に立ち向かおうとする者は一人もおりません。あなた達の神、主こそ、上は天、下は地に至るまで神であられるからです。私はあなた達に誠意を示したのですから、あなた達も、私の一族に誠意を示すと今、主の前で私に誓ってください。そして、確かな証拠をください。父も母も、兄弟姉妹も、更に彼らに連なるすべての者たちも生かし、私達の命を死から救ってください。」
二人は彼女に答えた。「あなた達のために、我々の命をかけよう。もし、我々のことをだれにも漏らさないなら、主がこの土地を我々に与えられるとき、あなたに誠意と真実を示そう。」ラハブは二人を窓から綱でつり降ろした。彼女の家は、城壁の壁面を利用したものであり、城壁の内側に住んでいたからである。
ヨシュア記2.1 ~ 15(キリスト教)
―み言選集―
お母様が2番目になることも、原理的立場から妥当だという理論が成立することを皆さんは知らなければなりません。責任を果たせないので、神様も仕方なく切ってしまうのです。
マタイによる福音書の第1章を見れば、タマルが出てきて、ルツが出てくるのですが、タマルも妾の行動をしたのであり、ルツも妾の行動をしました。その次に、ソロモンの母バテシバも妾の行動をしたのです。その次に遊女のラハブは娼婦です。娼婦のような部類の人が歴史的背後で、このような局面になっているという事実がマタイによる福音書の第1章に出てきます。
(92-292、1977.4.18)
マタイによる福音書にラハブが出てきます。ラハブはどのような人ですか。遊女でしょう? ところが、彼女が誰を助けてあげましたか。スパイを助けてあげました。それは、現実的には怨讐国家のためになることですが、冒険をしたのです。天の公義のみ旨のためには冒険をしなければなりません。自分の生命とすべての環境、そして自分の特権的なすべてのものを否定しなさいというのです。そのようにするとき、歴史はそこで発展するのです。
(39-196、1970.3.22)
⑥バテシバ
―宗教経典―
ある日の夕暮れに、ダビデは午睡から起きて、王宮の屋上を散歩していた。彼は屋上から、一人の女が水を浴びているのを目に留めた。女は大層美しかった。ダビデは人をやって女のことを尋ねさせた。それはエリアムの娘バテシバで、ヘト人ウリヤの妻だということであった。ダビデは使いの者をやって彼女を召し入れ、彼女が彼のもとに来ると、床を共にした。
彼女は汚れから身を清めたところであった。女は家に帰ったが、子を宿したので、ダビデに使いを送り、「子を宿しました」と知らせた。ダビデはヨアブに、ヘト人ウリヤを送り返すように命令を出し、ヨアブはウリヤをダビデのもとに送った。ウリヤが来ると、ダビデはヨアブの安否、兵士の安否を問い、また戦況について尋ねた。それからダビデはウリヤに言った。「家に帰って足を洗うがよい。」ウリヤが王宮を退出すると、王の贈り物が後に続いた。しかしウリヤは王宮の入り口で主君の家臣と共に眠り、家に帰らなかった。
ウリヤが自分の家に帰らなかったと知らされたダビデは、ウリヤに尋ねた。「遠征から帰って来たのではないか。なゼ家に帰らないのか。」ウリヤはダビデに答えた。「神の箱も、イスラエルもユダも仮小屋に宿り、私の主人ヨアブも主君の家臣たちも野営していますのに、私だけが家に帰って飲み食いしたり、妻と床を共にしたりできるでしょうか。あなたは確かに生きておられます。私には、そのようなことはできません。」
ダビデはウリヤに言った。「今月もここにとどまるがよい。明日お前を送り出すとしよう。」ウリヤはその日と次の日、エルサレムにとどまった。ダビデはウリヤを招く食事を共にして酔わせたが、夕暮れになるとウリヤは退出し、主君の家臣たちと共に眠り家には帰らなかった。翌朝、ダビデはヨアブにあてて書状をしたため、ウリヤに託した。
書状には、ウリヤを激しい戦いの最前線に出し、彼を残して退却し、戦死させよ」と書かれていた。町の様子を見張っていたヨアブは、強力な戦士がいると判断した辺りにウリヤを配置した。町の者たちは出撃してヨアブの軍と戦い、ダビデの家臣と兵士から戦死者が出た。ヘト人ウリヤも死んだ。
ヨアブはダビデにこの戦いの一部始終について報告を送り、使者に命じた「戦いの一部始終を王に報告し終えたとき、もし王が怒って、『なぜそんなに町に接近して戦ったのか。城壁の上から射か
けてくると分かっていたはずだ。昔、エルベシェトの子アビメレクを討ち取ったのは誰だったか。あの男がテベツで死んだのは、女が城壁の上から石臼を投げつけたからではないか。なぜそんなに城壁に接近したのだ』と言われたなら、『王の僕ヘト人ウリヤも死にました』と言うがよい。」
使者は出発し、ダビデのもとに到着してヨアブの伝言をすべて伝えた。使者はダビデに言った。「敵は我々より優勢で、野戦を挑んで来ました。我々が城門の入り口まで押し返すと、射手が城壁の上から僕らに矢を射かけ、王の家臣からも死んだ者が出、王の僕ヘト人ウリヤも死にました。」
ダビデは使者に言った。「ヨアブにこう伝えよ。『そのことを悪かったと見なす必要はない。剣があればだれかが餌食になる。奮戦して町を滅ぼせ。』そう言って彼を励ませ。」ウリヤの妻は夫ウリヤが死んだと聞くと、夫のために嘆いた。喪が明けると、ダビデは人をやって彼女を王宮に引き取り、妻にした。彼女は男の子を産んだ。ダビデのしたことは主の御心に適わなかった。……
ナタンは自分の家に帰って行った。主はウリヤの妻が産んだダビデの子を打たれ、その子は弱っていった。ダビデはその子のために神に願い求め、断食した。彼は引きこもり、地面に横たわって夜を過ごした。王家の長老たちはその傍らに立って、王を地面から起き上がらせようとしたが、ダビデはそれを望まず、彼らと共に食事をとろうともしなかった。
七日目にその子は死んだ。家臣たちは、その子が死んだとダビデに告げるのを恐れ、こう話し合った。「お子様がまだ生きておられたときですら、何を申し上げても私達の声に耳を傾けてくださらなかったのに、どうして亡くなられたとお伝えできよう。何かよくないことをなさりはしまいか。」
ダビデは妻バテシバを慰め、彼女のところに行って床を共にした。バテシバは男の子を産み、ダビデはその子をソロモンと名付けた。主はその子
を愛された。
サムエル記下11.2 ~ 27、12.15 ~ 18、24(キリスト教)
故人となったダビデ王は偉大な賢人だったのであり、転生を信じていた方だ。彼がヒッタイト人のウリヤを見たとき、彼はウリヤがエバを誘惑した蛇であると思った。そして、バテシバを見て彼女がエバであり、自分がアダムであることを悟った。そうして、自分の伴侶として運命づけられたバテシバをウリヤから奪ってこようとした。
預言者ナダンがダビデを非難した理由は、ダビデが性急で待つことができなかったからである。せっかちなためにダビデは復帰の過程なく彼女に接近してしまった。ダビデはまず、バテシバについている蛇によって汚された内容を取り除かなければならなかった。
その後に彼女に近づいていかなければならなかったが、そうすることができなかった。そうして最初の息子が蛇によって不潔なものとなって生まれ、そして死んだ。しかし、その後には、サタンや他の悪の現象は起きなかった。(注31)
セーフェル・ペリア(ユダヤ教)
―み言選集―
バテシバはソロモンの母ですが、そのバテシバは最後までダビデ王を憎んだでしょうか。もしそうであれば、彼女はソロモンの母になれません。ダビデ王が夫ウリヤを戦場に追い出し、計画的に自分を占領しましたが、そのようになったことを運命と受け取ると同時に、それをかえって天の大いなるみ旨があるものとして受け入れたのです。
ダビデ王がこのようにすることは、悪い意味でするのではなく、何かの大いなるみ旨があったためではないかと考えて受け入れました。また、彼女は自分の夫が犠牲になっても国がよくなることを願い、祈祷した烈女だったのです。
バテシバは、自分の夫が死にましたが、その夫が忠臣になるためには、その一身が滅びるのはもちろん、妻である自分までも君王のために捧げられることを喜びとしなければならないという高次的な考えをしたのです。
それで、バテシバは、夫がそのような意味で、「私が君王のために一身をすべて捧げ、精誠と志操をすべて捧げていくのが夫に対する義理ではないか」と考えてダビデ王に接しました。ですから、ここからソロモン王が生まれることができたのです。
(40-97、1971.1.24)
ソロモンの母は誰でしたか。バテシバです。バテシバはどのような女性でしたか。ウリヤの妻でした。ダビデ王がウリヤの妻を奪ったのです。その子供がどのようにしてソロモンになったのですか。
ウリヤの妻はどのような立場かというと、2番目の夫人です。彼らを堕落する前のエデンの園の位置に立ててみるとき、ダビデはアダムの立場、ウリヤは天使長の立場になります。天使長の妻は復帰しなければならないエバの立場です。天使長がアダムの相対者であるエバを堕落させ、引っ張っていきました。愛で占領して盗んでいったのです。
それを蕩減しようとすれば、そのような三角関係に再び戻るようにしなければなりません。そのような原理的基準に立脚した条件を立てた基台の上で生まれたなら、その子供は天の愛を受ける栄光の子供になります。したがって、ソロモンは栄光の子供なのです。(注32)
(35-168、1970.10.13)
⑦マリヤ
―宗教経典―
六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。
天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。私は男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベツも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」
マリアは言った。「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリザベツに挨拶した。マリアの挨拶をエリザベツが聞いたとき、その胎内の子がおどった。。エリサベツは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。」……
マリアは、三か月ほどエリサベツのところに滞在してから、自分の家に帰った。
ルカによる福音書1.26 ~ 42、56(キリスト教)
また天使たちがこう言ったときを思え「マリヤよ、まことに神はじきじきのおことばで、あなたに吉報を伝えたもう。マリヤの子、その名はメシヤ・イエス、現世でも来世でも高い栄誉を得、また神の側近のひとりであころう」、「かれは揺りかごの中でも、また成人してからも人びとに語り、正義者のひとりであろう」。
かの女は「主よ、何人も私に触れたことはありません。どうして私に子があり得ましょうか」と言った。天使は言った。「このように、神はお望みのものをつくりたもう。かれが一事を決めたまい、有れと仰せになれば、すなわち有るのである。」
クルアーン、3.45 ~ 47(イスラーム)
イムラーンの娘マリヤ、われはかの女の体内にわが精霊を吹きく込んだ、それでかの女は、主のおことばと、その経典を実証し、敬謙なしもべのひとりであった。
クルアーン66.12(イスラーム)
―み言選集―
リベカとタマルの伝統を受け継ぎ……。そして2000 年後にそのみ旨を受け継いだのが誰かというと、マリヤです。聖母マリヤです。み旨のために革命する女性が出てこなければなりまぜん。
天使によって堕落したので、天使長が来てエバを協助するのです。蕩減復帰するのです。その言葉を信じます。絶対的に信じるのです。サタンの言葉を絶対的に信じて堕落したので、この天使長の
言葉を絶対的に信じ、神様のみ旨に従っていきます。ですから、「彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい」というその言葉を信じ、冒険をしたのです
。
そのときマリヤの立場はヨセフと約婚した立場だったのですが、それはエデンの園でアダムとエバが約婚した立場にいたのと同様の立場でした。アダムとエバは兄と妹ですが、将来結婚する約婚関係にいたのと同じなのです。天使が引っ張っていって堕落したので、天使が引っ張っていって神様の前に復帰するのです。ぴたっと同じです。それで、歴史的伝統を受け継いだので、エバが堕落するときに行動したその内容と同じように、自分の父をだまし、自分の夫をだますことをしなければならないのです。
マリヤは夫と相談しませんでした。父にも分からないようにしました。そのときには、未婚の女性が赤ん坊を宿せば、石の小山ができて……。マリヤは、命を懸けて赤ん坊を宿したということを知らなければなりません。
リベカから、タマルから受け継いだ心情的基台を中心としてイエス様を宿したので、歴史的なすべての蕩減起源を完成した、その腹中から生まれる息子に対しては、サタンが讒訴しようとしても讒訴する道が何もないというのです。ですから、イエス様は、腹中にいるときから神様の息子なのです。
(92-289 ~ 290、1977.4.18)
ヨセフと婚約したマリヤは、自分の身を通してメシヤが生まれるという(ルカ1:31)ガブリエル天使長の驚べきメッセージを受けました。処女の立場で赤ん坊を身ごもれば、死ぬしかないという当時の規則でしたが「私は主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」(ルカ1:38)と言いながら、絶対信仰で神様のみ意を受け止めました。
マリヤは親族であり、尊敬される大祭司長のザカリヤに相談しました。ザカリヤの家庭では、その夫人のエリサベツが神様の能力によって、妊娠した洗礼ヨハネを胎中に身ごもったまま、マリヤに対して「あなたは女の中で祝福された方、あなたの胎の実も祝福されています。主の母上が私のところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう」(ルカ1:42、43)とイエス様の懐胎を証しました。
このように神様はマリヤとザカリヤとエリサベツをして、メシヤの誕生を一番先に知らせました。彼らはイエス様によく侍り、神様のみ旨によく従わなければならない重大な使命をもった者たちでした。ザカリヤ夫婦はマリヤを自分たちの家にとどまらせました。イエス様をザガリヤの家庭で懐胎しました。
エリサベツとマリヤの間柄は母親側のいとこの関係でしたが、摂理上では、姉(カイン)と妹(アベル)の関係でした。ザガリヤの前でエリサベツの助けを受けたマリヤは、レアとラケルがヤコブの家庭で母子が一体になれなかったのを、国家的基準でザカリヤ家庭を通して蕩減する条件まで立てながら、イエス様を誕生させなければなりませんでした。歴史始まって以来、初めて神様の息子の種、真の父となるべき種が、準備された母の胎中に、サタンの讒訴条件なく着地したのです。それによって、地上に初めて、神様の初愛を独占することのできるひとり子が誕生するようになったのです。
当時の法によって、容認されるはずもなく、また、常識でも考えることのできないことを、マリヤが成し遂ければなりませんでした。三人がすべて霊的に感動し、神様から来た啓示に従い、それが神様のみ旨であり、願いであることを無条件に信じ従わなければならなかったためでした。
(277-206 ~ 207、1996.4.16)
⑧マグダラのマリヤ
―宗教経典―
過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。
ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。
弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
ヨハネによる福音書12.1 ~ 5(キリスト教)
イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。私に良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、私はいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。
つまり、前もって私の体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」
マルコによる福音書14.6 ~ 9(キリスト教)
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペテロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、私達には分かりません。」そこで、ペテロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペテロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペテロも着いた。
彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。
それから、この弟子たちは家に帰って行った。マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。
天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「私の主が取り去られました。どこに置かれているのか、私には分かりません。」こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。
イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。私が、あの方を引き取ります。」
イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意昧である。イエスは言われた。「私にすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。私の兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『私の父であり、あなたがたの父である方、また、私の神であり、あなたがたの神である方のところへ私は上る』と。」
マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「私は主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。
ヨハネによる福音書20.1 ~ 18(キリスト教)
―み言選集―
どうしてキリスト教の中でマグダラのマリヤの名前が残されたのでしょうか。千秋万代に彼女の名前が伝えられてきたのは何ゆえでしょうか。それは、イエス様が彼女の名前を紹介しなさいと言ったからです。
その当時には、一介の貧しい女性の身で300 デナリにもなる香油を若者イエスの足に塗り、髪の毛
でふいたという事実を誰が容認するでしょうか。
弟子たちまであざ笑い、イスカリオテのユダが抗議し、全体が反対するのに、イエス様はどうして福音が紹介される所にマグダラのマリヤの名が記念として語られるとおっしゃったのでしょうか。
イエス様には、愛する弟子、または大勢の人たちよりも、その時間にマグダラのマリヤの精誠が、自分が神様にあらゆる精誠を尽くして捧げたものと同じ条件になったので、そのように語られたのです。
イエス様が十字架で亡くなると、従っていた弟子たちはすべて逃げていきました。しかし、マグダラのマリヤとイエス様の母はイエス様の墓を訪ね
ていきました。彼女たちにも、家庭と夫がいたのであり、固有の旧約思想を中心とするユダヤ教の風習がありました。
ところが、そのようなすべてのものを度外視して、すなわち自分の社会的な威信や体面を考えずに、死んだイエス様の墓を探し回りました。それでマグダラのマリヤはイエス様に出会ったのです。
(4-107、1958.3.16)
イエス様がゲッセマネの園で天に向かって訴えるとき、その声を聞くことができずに居眠りしていた三弟子の姿と、マグダラのマリヤがイエス様の天的な価値を知って、その方の足に香油を塗り、髪の毛でふいてさしあげることによって復活される主の栄光を確認してさしあげるとき、そのマリヤの行為をあざ笑い、遮った弟子たちの姿をご覧になったその心情がイエス様の怨恨になったことを、今日もイエス様に従う聖徒たちは知らずにいます。イエス・キリストは、誰も理解してくれない孤独な道を行かれながら、悲しい心情を感じられました。
ところが、マグダラのマリヤだけはそのようなイエス様を慰労し、心配しながら、過去と現在と未来を代表したイエス様の天的な内的心情を体恤できたために、イエス様は彼女に祝福を下さり、歓喜の恩賜により彼女を神様のみ旨の前に立てることができたのです。
(2-212、1957.5.26)
亡くなったイエス様の墓を訪ねていった人は誰でしたか。その人は、人々が見て微弱な存在でしたが、その人が正にマグダラのマリヤでした。この村から追い出され、あの村で非難され、あちこちで一身に嘲笑を受けていくイエス様を誰よりも愛する心をもってついていったマリヤでした。このように懇切なマリヤの前にイエス様は復活の身で現れたのですが、これは、終わりの日に全世界のキリスト教徒たちに、彼らの行く道を見せてあげた象徴なのです。
マグダラのマリヤはどのような生活をしたでしょうか。イエス様を愛することに、着ること、食べること、すべてを忘れて一片丹心、それだけのために生きました。生死を超越し、体面を考えずについていった彼女の行路は、終わりの日の聖徒たちが歩むべき路程だったのです。
もし今もこの地上にマグダラのマリヤのような心情をもっている人がいるとすれば、その人の目には神様の6000 年摂理にしみ込んだ涙が流れ、天の前に無限に負債を負った自分であることを分かるようになるでしょう。
(4-258 ~ 259、1958.6.29)
9.仏陀
文鮮明先生は、仏陀をアジアで最も偉大な聖人として認めている。仏陀の生涯は、真理を探し出すために、家族や友を捨てて旅立ったすべての人たちの典型的なモデルである。
仏陀は悟りのために自分の夫人と子女、家庭、そして富と権勢を捨てて修養の道を求めていったのち、若い人たちを教化する過程で迫害を受けることもあった。仏陀と大勢の仏教信者たちが経験した至福の状態が、仏陀を宇宙の頂上に導いた。すべての人たちは、仏陀の霊的修行を見習えば、幸福な状態を見いだすだろう。
①真理修行のために俗世を離れた仏陀
―宗教経典―
皆さん、道の人ゴータマは、母と父が同意せず、涙を流し、泣いているにもかかわらず、髪と鬚を剃り、黄色い衣をまとって、家を捨てて出家された方です。
阿含経長部i.115 (仏教)
太子は音楽を聞いて、その庭園や森をたたえ、こころのなかで、大いに喜び、ぜひとも外へ出かけたいという思いが湧いてきた。……父王は太子が庭園に出かけて楽しみ遊ぼうとしていることを聞き、家臣たちに命じて、飾られた行列を準備させた。王は歩む道々を綺麗にして、みにくいものや、老人や病人、形の悪いもの、おとろえたもの、貧しいもの、苦しんでいるものなどを除きさり、これらを見て、嫌悪感を起こさないようにさせた。
……太子はこの老人を見て、不思議に思い、御者に尋ねた。「いったい、この者はどういう人か。頭が白く、背中はまるくなって曲がっている。目もくぼんで、よく見えないようであり、体はふるえて杖に頼って、弱々しく歩いている。このような人の体は急に変わったのか。この人は生まれ
つき、こうなっていたのか」と。
御者はためらって、ほんとうのことを答えなかった。ところが、シュダアデイヴァーサ天は神通力で、かの御者に真実のことを語らせてしまった。「容貌もで悪くなり、気持ち心うつろに、ほそぼそと、憂い多く、喜び楽しむことも少なくなり、ついには喜びも忘れ、機能も衰微してしまう。これを年老い衰えたすがたというのである。この人ももとは幼児であって、長い間、母の乳で養われた。少年となって大いに楽しみ遊び、やがて青年となって、五官の欲望をほしいままにしていた。しかも、年をとり、すっかり形も衰えて、ついに老人となり……世の中の人はみなこのことを知っていても、若さを求めているのである」と。
……太子は御者に語った。「すぐに車を戻して城に帰るように。刻々と老い衰えるのがやってきている。どうして森のある園に遊び喜ぶことができようか」と。王は太子が喜ばなかったことを聞いて、さらにもう一度ぜひ城を出て遊びに行くよう勧めた。……
天の神はまた病人になって……太子は、この話を聞いて、……ただ驚きおめのくのみであった。……シュダアデイヴァーサ神は、またもや死人となって、四人の者が持つ輿に乗せられて太子の前に現れた。神々は御者に教えて答えさせた。「これは死人です。……」御者は答えた。「みなことごとく死に至る。生というはじめがあれば、かならず死という終りに至るのである。年長者であろうと若かろうと中年であろうと、いつでも、その人間の身体が破壊されて、死に至らない者はいないのである」と。
太子は驚き悲しんで、自分の身を車の横木にもたれかけ、息もたえだえに嘆くのであった。「世の人はどうしてこの誤りをおかしているのであろうか。……世の無常であることを考えようとはしないとは」と。
そこで、すぐさま命じた。「車をもとに引き返せ。このうえ遊び楽しむ時ではない。命も絶え、死が
いつくるかわからないのに、どうしてほしいままに遊ぶことができようか」と。……
従ってきた者たちを安んじなぐさめて、それぞれの場所に座らせた。自身は木陰を作っているジャンプー樹の下に正しく座って、正しく考え、あらゆるものの生死や世界の興起と終滅、ならびに無常なる移り変りを観察した。
太子の心は安定して動ずることなく、五官によって起る欲望の広大な雲は消えさり、……静寂な瞑想状態に入ったのである。「世のなかはきわめて辛く苦しく、老い、病気になり、死によって破壊され、終生、大きな苦しみを受けながらも、自身で覚ろうとはしない。しかも、他人が老い、病気になり、死に至ることを
きらっている。……」
太子は……ただ静寂な境地で、あらゆる煩悩を離れ、真実の知恵の光りはますます明るく輝いていた。そのとき、シュダアデイヴァーサ神は出家者の姿になって、太子のところにやってきた。太子は……尋ねた。「あなたはどなたであるか」と。
神は答えていった。「私は沙門である。老・病・死を畏れ厭うて、出家し解脱を求めている。……永遠なる楽しみと消滅変化することのない境地を求め、……平等に憐れみ愛せる心を抱き、ただ、安らいの場として、山林におもむき、静寂な
気持ちにひたり、欲をもたず……場所のよしあしなど考えもせず、ただ乞食しながら暮らしているだけである」と。……
どういう手段で、望みどおりに出家することができるであろうか。……太子は……いままさに世俗をこえたいという気持ちが生じた。
仏所行讃、厭患品3-5(仏教)
その時摩竭(まかつ)国の著名なる族姓子等、世尊のみ許に於て梵行を行ぜり。人々は呟き憤り毀(そし)れり、「沙門瞿曇(しゃもんくどん)来りて子を奪ふ。沙門瞿曇来りて夫を奪ふ。沙門瞿曇来りて族姓を断絶せしむ。……今又誰を誘ふや」
律蔵i.43 (仏教)
釈尊がコーサンビーの町に滞在していた時、釈尊に怨みを抱く者が町の悪者を買収し、釈尊の悪口を言わせた。釈尊の弟子たちは、町に入って托鉢しても一物も得られず、ただそしりの声を聞くだけであった。
そのときアーナンダは釈尊にこう言った。「世尊よ、このような町に滞在することはありません。他にもっとよい町があると思います。」「アーナンダよ、次の町もこのようであったらどうするのか。」「世尊よ、また他の町に移ります。」
「アーナンダよ、それではどこまで行ってもきりがない。私はそしりを受けたときには、じっとそれに耐え、そしりの終わるのを待って、他へ移るのがよいと思う。アーナンダよ、仏は、利益・害・中傷・はまれ・たたえ・そしり・苦しみ・楽しみという、この世の八つのことによって動かされることがない。こういったときは、間もなく過ぎ去るであろう。」
法句経註(仏教)
―み言選集―
釈迦のような人も同様です。出家して真の道理を求め、すべてのことを克服していきながら、世界の人類と共に生き、公義の法度である天倫を立てようとする神様と共に生きようと、一人孤独に歩んでいったのです。その歩みの前には、個人の涙の海が遮り、家庭の涙の海が遮り、国の涙の海が遮り、人類の涙の海が遮っていたことを皆さんは知らなければなりません。これを克服する修養の道を求めていく聖人の歩みは、最も悲惨だということを知らなければなりません。(注33)
(101-151、1978.10.29)
肉身の快楽にふける俗人の喜びと、清貧を楽しむ道人の喜びとは、全く比べものにならない。王宮の栄耀栄華をかなぐり捨てて、心の住み家を探し求め、所定めぬ求道の行脚を楽しむのは、釈迦一人に限ったことではない。
原理講論、総序
釈迦はどうでしょうか。王子の地位を捨てたので、王族から迫害を受けました。その王族を崇拝する国家から迫害を受けたのです。
(258-87、1994.3.17)
聖人でその国から迫害を受けていない人はいません。インドの釈迦は、その国の王子として生まれましたが、人生は苦海だと言い、真理の道を求めるために王子の地位も捨てたのです。このようにして仏教がインドから出てきましたが、インドには仏教人が多くないのです。聖人でその国から歓迎された聖人はいません。聖人を歓迎してくれた国がなかったのです。いつも迫害しました。
(39-255 ~ 256、1971.1.15)
②仏陀の覚醒
―宗教経典―
菩薩は正しいさとりをことごとく体得され、この正しいさとりを不動のものとされた。「生という現象が究め尽せば老いと死とが消滅する。行為としての生存が消滅すれば生が消滅する。執着が消滅すれば生存が消滅する。愛着が消滅すれば、執着が消滅する。感受が消滅すれば、愛着が消滅する。接触が消滅すれば、感受が消滅する。六つの感官が消滅すれば、接触が消滅する。一切の感官が消滅しつくすのは、名称と形態が消滅することによる。認識作用が消滅すれば、名称と形態が消滅する。形成作用が消滅すれば認識作用が消滅する。愚かさ(無知、無明)が消滅すれば、形成作用が消滅するのである」と。
このように偉大な聖仙である太子は完全なさとりを完成したのである。(注34)このように完全なさとりを完成して、ブッダとなられて、この世に出現したのである。正しく道理を見きわめること(正見)をはじめとする、理想に達するための八つの道は平らで、まっすぐの道である。結局、わがものという観念がまったくないからである。まさに薪は燃え尽きて消火したように(煩悩の火は完全に消滅しているからである)。ブッダはなすべきことをすべてなしおわって、完全なさとりを体得したのである。
仏所行讃、阿惟三菩提品14(仏教)
わたくしは幾多の生涯にわたって生死の流れを無益にめぐって来た、家屋の作者をさがしもとめて。あの生涯、この生涯と繰り返すのは苦しいことである。家屋の作者よ! 汝の正体は見られてしまった。汝はもはや家屋を作ることはないであろう。汝の梁はすべて折れ、家の屋根は壊れてしまった。
心は形成作用を離れて、妄執を滅ぼし尽くした。
法句経153 ~ 154(仏教)
天と地において、ただ私だけが尊貴な者である。(注35)
阿含経長部2.15 (仏教)
完全な人がこの世に出現する。如来は、敬われるべき人、悟りを開いた人、知恵と行いの備わった人、よく行った人、世間を知る人、最高の人、人間の御者、神々と人間の指導者、目覚めた人、尊き師である。
この完全な人は、自ら知りつくし、悟り、この世、神々、悪魔の世界、梵天の世界、修行者・バラモ
ンたち、人々、神々・人間に教えを説く。かれは、初めも、中程も、終りもよく、意義も文字もよく備わっている教えを説き、完全な清らかな行いを解き明かす。
阿含経長部xiii、三明経(仏教)
―み言選集―
皆さんが90 度の角度になり、このような位置にいる自分になって、宇宙に共鳴する真の愛、内的な神様、外的な神様の愛を慕って一つになるとき、宇宙がすべて私のものになり、私は偉大な人になり、すべての全体が私にぶらさがっていると思うようになるのです。釈迦牟尼のような人も、そのような立場で感じたので、天上天下唯我独尊という言葉も可能なのです。
(178-299、1988.6.12)
道に通じるようになれば心から強力な力が出てきます。ですから、体がしようということをすればするほど、むかむかと気分の悪いにおいがするのです。考えただけでもとても気分が悪いというのです。道に通じた人は、心に強い力が来ることによって、そのままにしておいても体は心がしようというとおりにするというのです。このような二つの方案以外には、体を調整する方案がありません。
それで神様は、体の支配を完成するために、このような作戦を繰り広げていらっしゃるということをはっきりと知らなければなりません。これが今
までの宗教の教えです。したがって統一教会も今そうした公式どおりに行くのです。このようにするようになれば、自然に人間として行くべき高次的な立場、神様の愛を中心とした神様の息子であることを自ら自覚する立場に入るようになるのです。
そのような立場に入るようになれば、一つしかない神様の愛を受けることができるために、釈迦が「天上天下唯我独尊」と言ったように、自分の権威に及ぶ人がいません。独りで自らの価値を称賛できる栄光の立場に入るようになるのです。
もう一度言うならば、神様の愛を独りで受けることができる息子になり、神様が造った被造世界と神様と関係しているすべてのものを自分のものと
して相続できるようになったので、独りで高いと自覚する立場に入るのです。
このような立場にまで行って神様の愛の圏内で生きるために探していく道が、人間が行かなければならない道です。
(38-270 ~ 273、1971.2.8)
10.孔子
途絶えることのない戦乱の時期に生まれた哲人、孔子は、当時の苦痛を越えて平和の世界の基礎となる普遍的道徳原理を追究した。彼は弟子たちを呼び集め、あちこちの国々を流浪しながら、彼の理想に関心をもつ統治者を探し求めた。
彼は拒絶され続けたが、天は自分をより高い目的のために用いるという信仰をもち、肯定的な姿勢を常にもっていた。彼が生きている間に自分の志は受け入れられなかったが、孔子の教えは東アジア文明の土台となった。
文鮮明先生は、「天」と呼んだ神様に対する孔子の信仰と、見るべき価値のない環境を飛び越え、より高い真理を一心に追究する孔子を尊敬する。文鮮明先生は、孔子をイエスと同等の聖人とみなす。孔子は、天国の社会的関係の外的形態について教えたのであり、イエスは天国の内的精神を教え、体現した。
①召命意識をもったまま苦難と挫折を経た孔子
―宗教経典―
儀の国境役人が〔先生に〕お会いしたいと願った。「ここに来られた君子がたには、私はまだお目にかかれなかったことはないのですよ。」という。供のものが会わせてやると、退出してからこういった、「諸君、さまよっているからといってどうして心配することがありましょう。この世に道が行なわれなくなって、久しいことです。天の神さまはやがてあの先生をこの世の指導者になされましょう。」
論語3.24(儒教)
お前はどうしていわなかったのだ。その人となりは、〔学問に〕発憤しては食事も忘れ、〔道を〕楽しんでは心配事を忘れ、やがて老いがやってくることにも気づかずにいるというように。
論語7.18(儒教>
孔子は鄭国へ行ったが、門人たちとはぐれ、ひとりで城郭の東門に立っていた。鄭の或る人が子貢に言った。「東門に人が居て、その額は聖入堯帝に似ており、その首筋は舜の臣の犀陽に似ており……疲れたさまは、喪中の家の犬のようでした」と。
子貢がありのままを孔子に告げると、孔子は笑って言った。「容貌についてはどうかと思うが、喪家の犬とは、いみじくも言ったもんだなあ。そのとおりだわい、そのとおりだわい」と。
そこで、共同して兵員を出して、孔子を広野で包囲した。孔子は行<ことができなくなり、食糧か無くなった。……孔子は弟子たちに憤りの心が有るのを知ったので、子路を招いて問うた。「詩に『野牛でもなく、虎でもないのにどうしてこの広野にひき廻さるる!』と、歌っているが、わが道が悪いのであろうか。われはどうしてここに苦しまなければならんのか」と子路が言った。
「思いますに、私達はまだ仁者ではないのでしょう。人がわれわれを行かせないのは!」と。孔子が言った。「どうして、そんなことがあるものか。
由よ、たとえば、仁者が必ず人に信ぜられるものなら、どうして伯夷・叔斎のような仁人が餓死することが有ろうか。智者が必ず行きたい所へ行きうるなら、どうして王子比干が腹を剖かれるようなことがあろうか」と。子路は退出した。
子貢が入ってきて孔子にお目にかかった。孔子が言った。「賜よ、詩に歌っている、『野牛でもなく、虎でもないのに、どうしてこの広野にさまようのか!」と。わが説く道が悪いのか、われはどうしてさまよわなければならなんのか!」と。子貢が言った。「先生の道は至大であります。だから、天下は先生を容れることができないのです。どうして少しくその道を小さく低くなさいませんか」と。
孔子が言った。「賜よ。良農はうまく種を播くが、よく収穫できるとは限らない。良工は器物は作ることは巧みでも、よく人の好みに順うとは限らない。
君子はよくその道を修め、大綱をたてて、それを道筋とし、これを統理することはできるが、必ずしも世人に容れられるとは限らない。今、おまえは、おまえの道を修めないで、世人に容れられんことを求めている。賜よ、おまえの志は遠大でないよ」と。子貢は退出した。
顔回が入ってきて孔子にお目にかかった。孔子がいった。「回よ、詩に歌っている、『野牛でもなく、虎でもない。だのにどうしてこの広野にさまようのか!』と。わしが説く道は間違っているのか。どうして、ここにこの困厄にかかるとは!」顔回が言った。「先生の道は至大でございます。ですから、天下によく容るるものがないのでございます。でありますが、先生には是非ともその道を推して行っていただきたいのであります。世人に容れられないことなどは、どうして憂うる必要がありましょうや。容れられないでこそ、初めて君子たることがわかるのでございます。道の修まらないことこそ、これはわれわれの恥でございます。道がすでに大いに修まっていて、用いないのは、国を有する君主の恥であります。世に容れられないことは、どうして憂うべきことでございましょうや。むしろ、世に容れられなくてこそ、しかる後に初めて君子たることがわかるのでございます」と。
孔子は欣然として笑って言った。「そうあるべきだ、顔氏の子よ。もし、お前が財産家だったら、わしはおまえの家の取締役になろうものをなあ!」と。
司馬遷史記47(儒教)
―み言選集―
孔子は、数千年前、春秋戦国時代の魯の国の人でしたが、彼は数カ国だけを考えたのではありません。そして、自分が生まれた困難な環境、混乱した社会像を見つめながらも、不平を言いませんでした。父母を中心として、兄弟がいなくても感謝の心で自分が助けることができる真の道を模索したのです。
そのような心でその時代に追われながらも感謝し、未来のために、世界のために生きたので、彼は戦国時代を超え、思想的に中原大陸を統一するようになったのです。それだけでなく、アジアを超えて世界万民のために残すことができる一つの道を築くようになりました。与えることができるものは何かという心、真のものを与えたいと思う彼の渇望と欲望が、結局、彼の人格を形成するようになったのです。そこから孔子の教えが出てきたのです。
(33-290、1970.8.21)
孔子の道理は、魯の国の混乱した時代において、その国の処理方法にもなりますが、自分の国と同じ混乱した世界を見つめながら、後代の万民たちが経ていかなければならない人生の道理を模索した教えだったのです。
(32-260、1970.7.19)
歴史時代の聖人たちの中で、イエスも迫害を受け、孔子も喪家の犬と言われながら迫害され、仏教の釈迦牟尼も迫害され、ムハンマドも迫害を受けたのです。そのような迫害されたすべての人たちが聖人になったのは、この原則において……。
歴史が、時間と時が過ぎていくに従って、自然に自分の時として来ることによって勝利するようになるのです。この原則から歴史が動いていくということを知らなければなりません。
(189-205 ~ 206、1989.4.6)
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