人生訓読 ブログ(日本語)

神様と真の御父母様を中心に全世界で御旨を歩む兄弟姉妹達と全ての人々の幸福の為にこのブログを捧げます。

世界経典-38

2022年05月29日 15時32分06秒 | 学習

 

③ラケルとレア

―宗教経典―

主は、レアが疎んじられているのを見て彼女の胎を開かれたが、ラケルには子供ができなかった。レアは身ごもって男の子を産み、ルベンと名付けた。それは、彼女が、「主は私の苦しみを顧みてくださった。これからは夫も私を愛してくれるにちがいない」と言ったからである。レアはまた身ごもって男の子を産み、「主は私が疎んじられていることを耳にされ、またこの子をも授けてくださった」と言って、シメオンと名付けた。レアはまた身ごもって男の子を産み、「これからはきっと、夫は私に結び付いてくれるだろう。夫のために三人も男の子を産んだのだから」と言った。そこで、その子をレビと名付けた。レアはまた身ごもって男の子を産み、「今度こそ主をほめたたえよう」と言った。そこで、その子をユダと名付けた。しばらく、彼女は子を産まなくなった。

ラケルは、ヤコブとの間に子供ができないことが分かると、姉をねたむようになり、ヤコブに向かって、「私にもぜひ子供を与えてください。与えてくださらなければ、私は死にます」と言った。ヤコブは激しく怒って、言った。「私が神に代われると言うのか。お前の胎に子供を宿らせないのは神御自身なのだ。」

ラケルは、「私の召し使いのビルハがいます。彼女のところに入ってください。彼女が子供を産み、私がその子を膝の上に迎えれば、彼女によって私も子供を持つことができます」と言った。ラケルはヤコブに召し使いビルハを側女として与えたので、ヤコブは彼女のところに入った。やがて、ビルハは身ごもってヤコブとの間に男の子を産んだ。

そのときラケルは、「私の訴えを神は正しくお裁きになり、私の願いを聞き入れ男の子を与えてくださった」と言った。そこで、彼女はその子をダンと名付けた。ラケルの召し使いビルハはまた身ごもって、ヤコブとの間に二人目の男の子を産んだ。そのときラケルは、「姉と死に物狂いの争いをして、ついに勝った」と言って、その名をナフタリと名付けた。レアも自分に子供ができなくなったのを知ると、自分の召し使いジルパをヤコブに側女として与えたので、レアの召し使
いジルパはヤコブとの間に男の子を産んだ。そのときレアは、「なんと幸運な」と言って、その子をガドと名付けた。レアの召し使いジルパはヤコ
ブとの間に二人目の男の子を産んだ。そのときレアは、「なんと幸せなことか。娘たちは私を幸せ者と言うにちがいない」と言って、その子をアシェルと名付けた。

小麦の刈り入れのころ、ルベンは野原で恋なすびを見つけ、母レアのところへ持って来た。ラケルがレアに、「あなたの子供が取って来た恋なすびを私に分けてください」と言うと、レアは言った。「あなたは、私の夫を取っただけでは気が済まず、私の息子の恋なすびまで取ろうとするのですか。」「それでは、あなたの子供の恋なすびの代わりに、今夜あの人があなたと床を共にするようにしましょう」とラケルは答えた。夕方になり、ヤコブが野原から帰って来ると、レアは出迎えて言った。「あなたは私のところに来なければなりません。私は、息子の恋なすびであなたを雇ったのですから。」その夜、ヤコブはレアと寝た。神がレアの願いを聞き入れられたので、レアは身ごもってヤコブとの間に五人目の男の子を産んだ。

そのときレアは、「私が召し使いを夫に与えたので、神はその報酬をくださった」と言って、その子をイサカルと名付けた。レアはまた身ご
もって、ヤコブとの間に六人目の男の子を産んだ。そのときレアは、「神がすばらしい贈り物を私にくださった。今度こそ、夫は私を尊敬してくれるでしょう。夫のために六人も男の子を産んだのだから」と言って、その子をゼブルンと名付けた。その後、レアは女の子を産み、その子をディナと名付けた。

しかし、神はラケルも御心に留め、彼女の願いを聞き入れその胎を開かれたので、ラケルは身ごもって男の子を産んだ。そのとぎラケルは、「神
が私の恥をすすいでくださった」と言った。彼女は、「主が私にもう一人男の子を加えてくださいますように」と願っていたので、その子をヨセフと名付けた。
創世記29.31 ~ 30.24 (キリスト教)

―み言選集―

ヤコブがハランに行って21 年を経ながら、ラケルをもらうために7年間苦労したのですが、父のラバンがサタン側のレアを抱かせました。ヤコブが復帰できるアダムの使命を完遂するためには、アダムが堕落したために、レアを通して堕落した過程を経なければならないのです。レアを抱えて越えていって、初めてラケルを抱えるようになりました。

世界全体の摂理を見れば、神様を中心として二人の女性が現れます。堕落した女性と復帰された女性がいるのです。レアが妹ラケルの愛を奪いました。サタン側の代表であるラバンを中心として、救援摂理においてサタンがレアを抱え、ラケルの行く道までふさいでいたのです。その女性二人の愛の争いがヤコブ家庭の問題です。

エデンの園で愛を中心としてカイン・アベルとサタンが出発したように、神様の立場とラケル的な目的に従っていく本然の世界で、カインが現れて自分を中心とする愛を占領するためにしたことと同様の形態が展開するのです。愛を中心としてサタンが先に主導権を握ろうとします。それで、神様の理想を破壊させ……。これが2000 年後にヤコブ家庭に起きるのです。これが蕩減復帰です。

蕩減は、「目には目、歯には歯」のような形態で表れます。サタン側の父がレア側に立っていますが、母はサタン側に勝つためにレアとラケルを一つにしなければなりません。ところが、これを知らなかったのです。リベカ(注27)がアベル(ヤコブ)を立て、カイン(エサウ)の心を動かし、イサクを屈服させるために内的にどれほど苦衷を受けたでしょうか。


今まで歴史時代において、ヤコブがラケルとレアと一つになったところでラケルのみ旨が成し遂げられようとすれば、兄が自然屈服しなければなりません。

兄が100 パーセント屈服し、弟を長子のように侍り、兄のように侍らなければなりません。逆さまにならなければならないのです。(注28)
(244-239 ~ 240、1993.2.14)

今、アメリカ女性の中で幸福な女性がいますか。すべてレアとラケルのような関係になっているので、これが度数を超えて平準化され、フリーセックスまで出てくるようになったのです。サタンがそれを利用します。レアとラケルが妬み嫌うことを中心として、天と一つになるためには、互いが同じ立場に立たなければならない立場にいて、愛を中心として水平基準に置かれるので、フリーセックスのような概念が入ってくるのです。

愛の争いのためにレアを中心とする僕、三人の女性たちが十人の息子を生み、ラケルは二人の息子を生みましたが、これが北朝イスラエルと南朝ユダ、カイン世界とアベル世界に完全に分かれました。家庭での愛の紛争が、北朝イスラエルと南朝ユダに分けたのです。それで10 支派と2支派が互いに怨讐となり、争ってきました。それがイスラエルの歴史です。(注29)
(244-248 ~ 249、1993.2.14)

 

④タマル

―宗教経典―

ユダは長男のエルに、タマルという嫁を迎えたが、ユダの長男エルは主の意に反したので、主は彼を殺された。ユダはオナンに言った。「兄嫁のところに入り、兄弟の義務を果たし、兄のために子孫をのこしなさい。」

オナンはその子孫が自分のものとならないのを知っていたので、兄に子孫を与えないように、兄嫁のところに入る度に子種を地面に流した。(注30)彼のしたことは主の意に反することであったので、彼もまた殺された。

ユダは嫁のタマルに言った。「私の息子のシェラが成人するまで、あなたは父上の家で、やもめのまま暮らしていなさい。」それは、シェラもまた兄たちのように死んではいけないと思ったからであった。タマルは自分の父の家に帰って暮らした。かなりの年月がたって、シュアの娘であったユダの妻が死んだ。ユダは喪に服した後、友人のアドラム人ヒラと一緒に、ティムナの羊の毛を切る者のところへ上って行った。

ある人がタマルに、「あなたのしゅうとが、羊の毛を切るために、ティムナヘやって来ます」と知らせたので、タマルはやもめの着物を脱ぎ、べールをかぶって身なりを変え、ティムナヘ行く途中のエナイムの入り口に座った。

シェラが成人したのに、自分がその妻にしてもらえない、と分かったからである。ユダは彼女を見て、顔を隠しているので娼婦だと思った。ユダは、路傍にいる彼女に近寄って、「さあ、あなたの所に入らせてくれ」と言った。彼女が自分の嫁だとは気づかなかったからである。

「私の所にお入りになるのなら、何をくださいますか」と彼女が言うと、ユダは、「群れの中から子山羊を一匹、送り届けよう」と答えた。しかし彼女は言った。「でも、それを送り届けてくださるまで、保証の品をください。」「どんな保証がいいのか」と言うと、彼女は答えた。「あなたのひもの付いた印章と、持っていらっしゃるその杖です。」ユダはそれを渡し、彼女の所に入った。彼女はこうして、ユダによって身ごもった。

彼女はそこを立ち去り、ベールを脱いで、再びやもめの着物を着た。ユダは子山羊を友人のアドラム人の手に託して送り届け、女から保証の品を取り戻そうとしたが。その女は見つからなかった。

友人が土地の人々に「エナイムの路傍にいた神殿娼婦は、どこにいるでしょうか」と尋ねると、人々は、「ここには、神殿娼婦などいたことはありません」と答えた。友人はユダのところに戻って来て言った。「女は見つかりませんでした。それに土地の人々も、『ここには、神殿娼婦などいたことはありません』と言うのです。」

ユダは言った。「では、あの品はあの女にそのままやっておこう。さもないと、我々が物笑いの種になるから。とにかく、私は子山羊を届けたのだが、女が見つからなかったのだから。」三か月ほどたって、「あなたの嫁タマルは姦淫をし、
しかも、姦淫によって身ごもりました」とユダに告げる者があったので、ユダは言った。「あの女を引きずり出して、焼き殺してしまえ。」ところが、引きずり出されようとしたとき、タマルはしゅうとに使いをやって言った。「私は、この品々の持ち主によって身ごもったのです。」彼女は続けて言った。「どうか、このひもの付いた印章とこの杖とが、どなたのものか、お調べください。」

ユダは調べて言った。「私よりも彼女の方が正しい。私が彼女を息子のシェラに与えなかったからだ。」ユダは、再びタマルを知ることはなかった。

タマルの出産の時が来たが、胎内には双子がいた。出産の時、一人の子が手を出したので、助産婦は、「これが先に出た」と言い、真っ赤な糸を取ってその手に結んだ。ところがその子は手を引っ込めてしまい、もう一人の方が出てきたので、助産婦は言った。「なんとまあ、この子は人を出し抜いたりして。」そして、この子はペレツ(出し抜き)と名付けられた。その後から、手に真っ赤な糸を結んだ方の子が出てきたので、この子はゼラ(真っ赤)と名付けられた。
創世記38.6 ~ 30(キリスト教)

タマルは祭司長の娘だった。彼女の性稟が純潔で自制力があったことを考えるとき、義父と関係をもつことをわざわざたくらんだことは理解し難いことだ。

結局、タマルは徳のある女性だったのであり、娼婦ではなかった。彼女が義父ユダに接近したのは、深奥な志と知恵から来たものである。また、死んだ夫たちに対する衷心からした行動だった。天が彼女を助け、すぐに妊娠できたのは、深い志をもってした行動だったからである。……

ダビデ、ソロモン、さらにメシヤの先祖となるユダヤ王国の種が蒔かれた2人の女性がいる。彼女たちはタマルとルツだ。この2人の女性には共通点がある。2人とも最初の夫を失い、夫に代わるために同じような道を歩んだ。タマルはユダが死んだ夫たちの最も近い近親だったために、ユダを誘惑した。……

ルツはボアズを誘惑したが、ルツ記3章7節に、「ルツは忍び寄り、彼の衣の裾で身を覆って横になった」と記録されている。この2人の女性からユダヤ王国の種が受け継がれ、完成に至るようになった。2 人の女性とも、信仰心が発露となってした行動だったのであり、死んだ夫たちに対する礼を守った。彼女たちは共に血統を受け継ぎ、これから訪れる天の世界を準備するための行動だ
ったのである。
ゾハール1.188ab (ユダヤ教)


―み言選集―

ヤコブの息子の中にユダ支派がいます。ユダは4番目の息子です。ユダの最初の息子が結婚したのですが死にました。イスラエル民族は、兄が死ぬとその弟が兄嫁を引き継いで代をつなげてあげるようになっています。

ところが、その下の息子がどうなったかというと、兄嫁を受け入れないと言いました。それで神様が罰を与えて死にました。その次に、3番目の息子は子供です。3番目の息子は幼いため、この兄嫁がユダ支派の代を引き継ぐ可能性がなくなったの
で大変なことになったのです。

ですから、タマルが代を引き継ごうとすれば、どの系統を引き継がなければなりませんか。ユダ支派の系統を引き継ごうとすれば、幼子しかいないので、自分はすっかり老いて死ぬというのです。ここで革命をするのです。


そして何をするのですか。神様の代を引き継ぐためには、自分の家の恥であろうと、自分がどうなろうと考えない、このような決心をするようになりました。

それで、しかたなく娼婦の服に着替え、自分の義父が農作業で往来する道端に出ていき、自分の義父ユダを誘って関係を結びました。このように関係を結んでから記念品がほしいと言いました。その時、杖をくれ、印と印のひもをくれ、やぎをくれたので、その記念品をもらって赤ん坊を宿して育てるのです。

それはすべて意味がありました。その後、5、6ヵ月たってタマルのおなかがだんだんと大きくなってくるので、村の人たちがユダに「あなたの嫁は寡婦なのに、赤ん坊を宿している。石で打ち殺さなければならない」と言いました。

そのとき、「その赤ん坊の父親は誰か」と言うと、この杖の主人であり、印と印のひもの主人であり、この記念品をくれた人だと言い、ユダのところにもっていって赦しを受けるのです。それで生きながらえました。非正常な道を行く女性たちを通して神様のみ旨が、新しい血統が受け継がれてきたという事実をここで知ることができます。

それはなぜそうなのかというのです。体を先に捧げれば、それは純粋に100 パーセントサタンのものです。100パーセントサタン側にいます。それを否定する立場に立てば、それがかえって……。

ですから、そのような女性、サタン側の女性ではなく、天の側の女性が必要なのです。サタンのものをすべて否定してしまい、天の側に帰ってくることのできる女性が必要です。

このような道理に一致するので、神様はタマルを通して……。タマルはどのようにしたかというと、このような分岐点に立っても神様のみ旨を立てようとしたのです。エバが自分の父をだまし、自分の夫をだましたのと同じように、タマルは自分の父ユダと自分の未来の夫、3番目の息子を否定してそのようなことをしました。ちょうど同じ道を行ったのです。死を覚悟して……。
(92-286 ~ 288、1977.4.18)

「神様、あなたの祝福圏を欽慕し、またあなたの祝福の代を引き継ぐために、私がこのようなことをしでいるので、神様! お赦しください。私がたとえ千万回死ぬことがあっても、この不倫の素行を基盤として神様から祝福を受けることのできる基盤がユダ家門に成し遂げられさえすれば、私は何の遺恨もありません」と、タマルは間違いなくこのように祈祷したでしょう。

そのような切実な内容があったために、タマルは生死を意に介さず、ただ神様の恨が宿ったみ旨を成し遂げてさしあげるために、その死の状況までも克服することができたのです。このように、タマルのみ旨に対する忠節は実に驚くべきものですが、正にこのような場でこそ、摂理歴史を展開できたというのが神様の復帰摂理の事情でした。
(110-222 ~ 223、1980.11.18)


サタンの偽りの愛の種がエバの胎中に蒔かれて悪の生命が生まれたので、神様は母の胎中まで入っていって分別しておかなくては、天の息子が胎中で誕生することができないのです。

ですから、ヤコブの勝利によっても、まだ分別さ
れていない妊娠から40 代までの期間も、サタンの分立がなされなければなりません。結果的にこの責任を任された偉大な母がタマルです。

タマルは選民の血統を続けなければという一念から、売春婦に変装して、舅であるユダを迎え、双子の赤ん坊を身ごもりました。赤ん坊たちが生まれる時、先に手を突き出して出ようとした長子の赤ん坊が再び入り、弟になるべき次子の赤ん坊が兄になって先に生まれたのですが、彼がペレツです。タマルの胎中で長子と次子が争って、分立される胎中復帰がなされたのです。

このような条件の上に、選民の血族を集め、2000 年後にローマ帝国の国家基準に対峙するイスラエルの国家的土台の上に、メシヤを身ごもることができたのです。神様の息子の種が準備された母親の胎中に、サタンの讒訴のない立場を探すことが
できるようになった国家的勝利の土台が造成されたのです。このような基盤の上に、聖母マリヤが摂理の主流に登場するのです。
(277-205 ~ 206、1996.4.16)

 

⑤ラハブ

―宗教経典―

アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロ
モンをもうけ……
マタイによる福音書1.1 ~ 6(キリスト教)

ヌンの子ヨシュアは二人の斥候をシティムからひそかに送り出し、「行って、エリコとその周辺を探れ」と命じた。二人は行って、ラハブという遊女の家に入り、そこに泊まった。ところが、エリコの王に、「今夜、イスラエルの何者かがこの辺りを探るために忍び込んで来ました」と告げる者があったので、王は人を遣わしてラハブに命じた。「お前のところに来て、家に入り込んだ者を引き渡せ。彼らはこの辺りを探りに来たのだ。」

女は、急いで二人をかくまい、こう答えた。「確かに、その人たちは私のところに来ましたが、私はその人たちがどこから来たのか知りませんでした。日が暮れて城門が閉まるころ、その人たちは出て行きましたが、どこへ行ったのか分かりません。急いで追いかけたら、あるいは追いつけるかもしれません。」

彼女は二人を屋上に連れて行き、そこに積んであった亜麻の束の中に隠していたが、追っ手は二人を求めてヨルダン川に通じる道を渡し場まで行った。城門は、追っ手が出て行くとすぐに閉じられた。

二人がまだ寝てしまわないうちに、ラハブは屋上に上って来て、言った。「主がこの土地をあなた達に与えられたこと、またそのことで、私達が恐怖に襲われ、この辺りの住民は皆、おじけづいていることを、私は知っています。あなた達がエジプトを出たとき、あなた達のために、主が葦の海の水を干上がらせたことや、あなた達がヨルダン川の向こうのアモリ人の二人の王に対してしたこと、すなわち、シホンとオグを滅ぼし尽くしたことを、私達は聞いています。それを聞いたとき、私達の心は挫け、もはやあなた達に立ち向かおうとする者は一人もおりません。あなた達の神、主こそ、上は天、下は地に至るまで神であられるからです。私はあなた達に誠意を示したのですから、あなた達も、私の一族に誠意を示すと今、主の前で私に誓ってください。そして、確かな証拠をください。父も母も、兄弟姉妹も、更に彼らに連なるすべての者たちも生かし、私達の命を死から救ってください。」

二人は彼女に答えた。「あなた達のために、我々の命をかけよう。もし、我々のことをだれにも漏らさないなら、主がこの土地を我々に与えられるとき、あなたに誠意と真実を示そう。」ラハブは二人を窓から綱でつり降ろした。彼女の家は、城壁の壁面を利用したものであり、城壁の内側に住んでいたからである。
ヨシュア記2.1 ~ 15(キリスト教)


―み言選集―

お母様が2番目になることも、原理的立場から妥当だという理論が成立することを皆さんは知らなければなりません。責任を果たせないので、神様も仕方なく切ってしまうのです。

マタイによる福音書の第1章を見れば、タマルが出てきて、ルツが出てくるのですが、タマルも妾の行動をしたのであり、ルツも妾の行動をしました。その次に、ソロモンの母バテシバも妾の行動をしたのです。その次に遊女のラハブは娼婦です。娼婦のような部類の人が歴史的背後で、このような局面になっているという事実がマタイによる福音書の第1章に出てきます。
(92-292、1977.4.18)

マタイによる福音書にラハブが出てきます。ラハブはどのような人ですか。遊女でしょう? ところが、彼女が誰を助けてあげましたか。スパイを助けてあげました。それは、現実的には怨讐国家のためになることですが、冒険をしたのです。天の公義のみ旨のためには冒険をしなければなりません。自分の生命とすべての環境、そして自分の特権的なすべてのものを否定しなさいというのです。そのようにするとき、歴史はそこで発展するのです。
(39-196、1970.3.22)

⑥バテシバ

―宗教経典―

ある日の夕暮れに、ダビデは午睡から起きて、王宮の屋上を散歩していた。彼は屋上から、一人の女が水を浴びているのを目に留めた。女は大層美しかった。ダビデは人をやって女のことを尋ねさせた。それはエリアムの娘バテシバで、ヘト人ウリヤの妻だということであった。ダビデは使いの者をやって彼女を召し入れ、彼女が彼のもとに来ると、床を共にした。

彼女は汚れから身を清めたところであった。女は家に帰ったが、子を宿したので、ダビデに使いを送り、「子を宿しました」と知らせた。ダビデはヨアブに、ヘト人ウリヤを送り返すように命令を出し、ヨアブはウリヤをダビデのもとに送った。ウリヤが来ると、ダビデはヨアブの安否、兵士の安否を問い、また戦況について尋ねた。それからダビデはウリヤに言った。「家に帰って足を洗うがよい。」ウリヤが王宮を退出すると、王の贈り物が後に続いた。しかしウリヤは王宮の入り口で主君の家臣と共に眠り、家に帰らなかった。

ウリヤが自分の家に帰らなかったと知らされたダビデは、ウリヤに尋ねた。「遠征から帰って来たのではないか。なゼ家に帰らないのか。」ウリヤはダビデに答えた。「神の箱も、イスラエルもユダも仮小屋に宿り、私の主人ヨアブも主君の家臣たちも野営していますのに、私だけが家に帰って飲み食いしたり、妻と床を共にしたりできるでしょうか。あなたは確かに生きておられます。私には、そのようなことはできません。」

ダビデはウリヤに言った。「今月もここにとどまるがよい。明日お前を送り出すとしよう。」ウリヤはその日と次の日、エルサレムにとどまった。ダビデはウリヤを招く食事を共にして酔わせたが、夕暮れになるとウリヤは退出し、主君の家臣たちと共に眠り家には帰らなかった。翌朝、ダビデはヨアブにあてて書状をしたため、ウリヤに託した。
書状には、ウリヤを激しい戦いの最前線に出し、彼を残して退却し、戦死させよ」と書かれていた。町の様子を見張っていたヨアブは、強力な戦士がいると判断した辺りにウリヤを配置した。町の者たちは出撃してヨアブの軍と戦い、ダビデの家臣と兵士から戦死者が出た。ヘト人ウリヤも死んだ。

ヨアブはダビデにこの戦いの一部始終について報告を送り、使者に命じた「戦いの一部始終を王に報告し終えたとき、もし王が怒って、『なぜそんなに町に接近して戦ったのか。城壁の上から射か
けてくると分かっていたはずだ。昔、エルベシェトの子アビメレクを討ち取ったのは誰だったか。あの男がテベツで死んだのは、女が城壁の上から石臼を投げつけたからではないか。なぜそんなに城壁に接近したのだ』と言われたなら、『王の僕ヘト人ウリヤも死にました』と言うがよい。」

使者は出発し、ダビデのもとに到着してヨアブの伝言をすべて伝えた。使者はダビデに言った。「敵は我々より優勢で、野戦を挑んで来ました。我々が城門の入り口まで押し返すと、射手が城壁の上から僕らに矢を射かけ、王の家臣からも死んだ者が出、王の僕ヘト人ウリヤも死にました。」

ダビデは使者に言った。「ヨアブにこう伝えよ。『そのことを悪かったと見なす必要はない。剣があればだれかが餌食になる。奮戦して町を滅ぼせ。』そう言って彼を励ませ。」ウリヤの妻は夫ウリヤが死んだと聞くと、夫のために嘆いた。喪が明けると、ダビデは人をやって彼女を王宮に引き取り、妻にした。彼女は男の子を産んだ。ダビデのしたことは主の御心に適わなかった。……

ナタンは自分の家に帰って行った。主はウリヤの妻が産んだダビデの子を打たれ、その子は弱っていった。ダビデはその子のために神に願い求め、断食した。彼は引きこもり、地面に横たわって夜を過ごした。王家の長老たちはその傍らに立って、王を地面から起き上がらせようとしたが、ダビデはそれを望まず、彼らと共に食事をとろうともしなかった。


七日目にその子は死んだ。家臣たちは、その子が死んだとダビデに告げるのを恐れ、こう話し合った。「お子様がまだ生きておられたときですら、何を申し上げても私達の声に耳を傾けてくださらなかったのに、どうして亡くなられたとお伝えできよう。何かよくないことをなさりはしまいか。」

ダビデは妻バテシバを慰め、彼女のところに行って床を共にした。バテシバは男の子を産み、ダビデはその子をソロモンと名付けた。主はその子
を愛された。
サムエル記下11.2 ~ 27、12.15 ~ 18、24(キリスト教)

故人となったダビデ王は偉大な賢人だったのであり、転生を信じていた方だ。彼がヒッタイト人のウリヤを見たとき、彼はウリヤがエバを誘惑した蛇であると思った。そして、バテシバを見て彼女がエバであり、自分がアダムであることを悟った。そうして、自分の伴侶として運命づけられたバテシバをウリヤから奪ってこようとした。
預言者ナダンがダビデを非難した理由は、ダビデが性急で待つことができなかったからである。せっかちなためにダビデは復帰の過程なく彼女に接近してしまった。ダビデはまず、バテシバについている蛇によって汚された内容を取り除かなければならなかった。

その後に彼女に近づいていかなければならなかったが、そうすることができなかった。そうして最初の息子が蛇によって不潔なものとなって生まれ、そして死んだ。しかし、その後には、サタンや他の悪の現象は起きなかった。(注31)
セーフェル・ペリア(ユダヤ教)


―み言選集―

バテシバはソロモンの母ですが、そのバテシバは最後までダビデ王を憎んだでしょうか。もしそうであれば、彼女はソロモンの母になれません。ダビデ王が夫ウリヤを戦場に追い出し、計画的に自分を占領しましたが、そのようになったことを運命と受け取ると同時に、それをかえって天の大いなるみ旨があるものとして受け入れたのです。

ダビデ王がこのようにすることは、悪い意味でするのではなく、何かの大いなるみ旨があったためではないかと考えて受け入れました。また、彼女は自分の夫が犠牲になっても国がよくなることを願い、祈祷した烈女だったのです。

バテシバは、自分の夫が死にましたが、その夫が忠臣になるためには、その一身が滅びるのはもちろん、妻である自分までも君王のために捧げられることを喜びとしなければならないという高次的な考えをしたのです。
それで、バテシバは、夫がそのような意味で、「私が君王のために一身をすべて捧げ、精誠と志操をすべて捧げていくのが夫に対する義理ではないか」と考えてダビデ王に接しました。ですから、ここからソロモン王が生まれることができたのです。
(40-97、1971.1.24)

ソロモンの母は誰でしたか。バテシバです。バテシバはどのような女性でしたか。ウリヤの妻でした。ダビデ王がウリヤの妻を奪ったのです。その子供がどのようにしてソロモンになったのですか。

ウリヤの妻はどのような立場かというと、2番目の夫人です。彼らを堕落する前のエデンの園の位置に立ててみるとき、ダビデはアダムの立場、ウリヤは天使長の立場になります。天使長の妻は復帰しなければならないエバの立場です。天使長がアダムの相対者であるエバを堕落させ、引っ張っていきました。愛で占領して盗んでいったのです。
それを蕩減しようとすれば、そのような三角関係に再び戻るようにしなければなりません。そのような原理的基準に立脚した条件を立てた基台の上で生まれたなら、その子供は天の愛を受ける栄光の子供になります。したがって、ソロモンは栄光の子供なのです。(注32)
(35-168、1970.10.13)


⑦マリヤ

―宗教経典―

六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。

天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」

マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。私は男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベツも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」

マリアは言った。「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリザベツに挨拶した。マリアの挨拶をエリザベツが聞いたとき、その胎内の子がおどった。。エリサベツは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。」……

マリアは、三か月ほどエリサベツのところに滞在してから、自分の家に帰った。
ルカによる福音書1.26 ~ 42、56(キリスト教)

また天使たちがこう言ったときを思え「マリヤよ、まことに神はじきじきのおことばで、あなたに吉報を伝えたもう。マリヤの子、その名はメシヤ・イエス、現世でも来世でも高い栄誉を得、また神の側近のひとりであころう」、「かれは揺りかごの中でも、また成人してからも人びとに語り、正義者のひとりであろう」。

かの女は「主よ、何人も私に触れたことはありません。どうして私に子があり得ましょうか」と言った。天使は言った。「このように、神はお望みのものをつくりたもう。かれが一事を決めたまい、有れと仰せになれば、すなわち有るのである。」
クルアーン、3.45 ~ 47(イスラーム)

イムラーンの娘マリヤ、われはかの女の体内にわが精霊を吹きく込んだ、それでかの女は、主のおことばと、その経典を実証し、敬謙なしもべのひとりであった。
クルアーン66.12(イスラーム)


―み言選集―

リベカとタマルの伝統を受け継ぎ……。そして2000 年後にそのみ旨を受け継いだのが誰かというと、マリヤです。聖母マリヤです。み旨のために革命する女性が出てこなければなりまぜん。

天使によって堕落したので、天使長が来てエバを協助するのです。蕩減復帰するのです。その言葉を信じます。絶対的に信じるのです。サタンの言葉を絶対的に信じて堕落したので、この天使長の
言葉を絶対的に信じ、神様のみ旨に従っていきます。ですから、「彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい」というその言葉を信じ、冒険をしたのです

そのときマリヤの立場はヨセフと約婚した立場だったのですが、それはエデンの園でアダムとエバが約婚した立場にいたのと同様の立場でした。アダムとエバは兄と妹ですが、将来結婚する約婚関係にいたのと同じなのです。天使が引っ張っていって堕落したので、天使が引っ張っていって神様の前に復帰するのです。ぴたっと同じです。それで、歴史的伝統を受け継いだので、エバが堕落するときに行動したその内容と同じように、自分の父をだまし、自分の夫をだますことをしなければならないのです。

マリヤは夫と相談しませんでした。父にも分からないようにしました。そのときには、未婚の女性が赤ん坊を宿せば、石の小山ができて……。マリヤは、命を懸けて赤ん坊を宿したということを知らなければなりません。

リベカから、タマルから受け継いだ心情的基台を中心としてイエス様を宿したので、歴史的なすべての蕩減起源を完成した、その腹中から生まれる息子に対しては、サタンが讒訴しようとしても讒訴する道が何もないというのです。ですから、イエス様は、腹中にいるときから神様の息子なのです。
(92-289 ~ 290、1977.4.18)


ヨセフと婚約したマリヤは、自分の身を通してメシヤが生まれるという(ルカ1:31)ガブリエル天使長の驚べきメッセージを受けました。処女の立場で赤ん坊を身ごもれば、死ぬしかないという当時の規則でしたが「私は主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」(ルカ1:38)と言いながら、絶対信仰で神様のみ意を受け止めました。

マリヤは親族であり、尊敬される大祭司長のザカリヤに相談しました。ザカリヤの家庭では、その夫人のエリサベツが神様の能力によって、妊娠した洗礼ヨハネを胎中に身ごもったまま、マリヤに対して「あなたは女の中で祝福された方、あなたの胎の実も祝福されています。主の母上が私のところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう」(ルカ1:42、43)とイエス様の懐胎を証しました。

このように神様はマリヤとザカリヤとエリサベツをして、メシヤの誕生を一番先に知らせました。彼らはイエス様によく侍り、神様のみ旨によく従わなければならない重大な使命をもった者たちでした。ザカリヤ夫婦はマリヤを自分たちの家にとどまらせました。イエス様をザガリヤの家庭で懐胎しました。

エリサベツとマリヤの間柄は母親側のいとこの関係でしたが、摂理上では、姉(カイン)と妹(アベル)の関係でした。ザガリヤの前でエリサベツの助けを受けたマリヤは、レアとラケルがヤコブの家庭で母子が一体になれなかったのを、国家的基準でザカリヤ家庭を通して蕩減する条件まで立てながら、イエス様を誕生させなければなりませんでした。歴史始まって以来、初めて神様の息子の種、真の父となるべき種が、準備された母の胎中に、サタンの讒訴条件なく着地したのです。それによって、地上に初めて、神様の初愛を独占することのできるひとり子が誕生するようになったのです。

当時の法によって、容認されるはずもなく、また、常識でも考えることのできないことを、マリヤが成し遂ければなりませんでした。三人がすべて霊的に感動し、神様から来た啓示に従い、それが神様のみ旨であり、願いであることを無条件に信じ従わなければならなかったためでした。
(277-206 ~ 207、1996.4.16)


⑧マグダラのマリヤ

―宗教経典―

過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。

ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。

弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
ヨハネによる福音書12.1 ~ 5(キリスト教)


イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。私に良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、私はいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。

つまり、前もって私の体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」
マルコによる福音書14.6 ~ 9(キリスト教)

週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペテロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、私達には分かりません。」そこで、ペテロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペテロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペテロも着いた。

彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。

それから、この弟子たちは家に帰って行った。マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。
天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「私の主が取り去られました。どこに置かれているのか、私には分かりません。」こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。

イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。私が、あの方を引き取ります。」

イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意昧である。イエスは言われた。「私にすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。私の兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『私の父であり、あなたがたの父である方、また、私の神であり、あなたがたの神である方のところへ私は上る』と。」
マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「私は主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。
ヨハネによる福音書20.1 ~ 18(キリスト教)


―み言選集―

どうしてキリスト教の中でマグダラのマリヤの名前が残されたのでしょうか。千秋万代に彼女の名前が伝えられてきたのは何ゆえでしょうか。それは、イエス様が彼女の名前を紹介しなさいと言ったからです。

その当時には、一介の貧しい女性の身で300 デナリにもなる香油を若者イエスの足に塗り、髪の毛
でふいたという事実を誰が容認するでしょうか。
弟子たちまであざ笑い、イスカリオテのユダが抗議し、全体が反対するのに、イエス様はどうして福音が紹介される所にマグダラのマリヤの名が記念として語られるとおっしゃったのでしょうか。

イエス様には、愛する弟子、または大勢の人たちよりも、その時間にマグダラのマリヤの精誠が、自分が神様にあらゆる精誠を尽くして捧げたものと同じ条件になったので、そのように語られたのです。
イエス様が十字架で亡くなると、従っていた弟子たちはすべて逃げていきました。しかし、マグダラのマリヤとイエス様の母はイエス様の墓を訪ね
ていきました。彼女たちにも、家庭と夫がいたのであり、固有の旧約思想を中心とするユダヤ教の風習がありました。

ところが、そのようなすべてのものを度外視して、すなわち自分の社会的な威信や体面を考えずに、死んだイエス様の墓を探し回りました。それでマグダラのマリヤはイエス様に出会ったのです。
(4-107、1958.3.16)

イエス様がゲッセマネの園で天に向かって訴えるとき、その声を聞くことができずに居眠りしていた三弟子の姿と、マグダラのマリヤがイエス様の天的な価値を知って、その方の足に香油を塗り、髪の毛でふいてさしあげることによって復活される主の栄光を確認してさしあげるとき、そのマリヤの行為をあざ笑い、遮った弟子たちの姿をご覧になったその心情がイエス様の怨恨になったことを、今日もイエス様に従う聖徒たちは知らずにいます。イエス・キリストは、誰も理解してくれない孤独な道を行かれながら、悲しい心情を感じられました。

ところが、マグダラのマリヤだけはそのようなイエス様を慰労し、心配しながら、過去と現在と未来を代表したイエス様の天的な内的心情を体恤できたために、イエス様は彼女に祝福を下さり、歓喜の恩賜により彼女を神様のみ旨の前に立てることができたのです。
(2-212、1957.5.26)

亡くなったイエス様の墓を訪ねていった人は誰でしたか。その人は、人々が見て微弱な存在でしたが、その人が正にマグダラのマリヤでした。この村から追い出され、あの村で非難され、あちこちで一身に嘲笑を受けていくイエス様を誰よりも愛する心をもってついていったマリヤでした。このように懇切なマリヤの前にイエス様は復活の身で現れたのですが、これは、終わりの日に全世界のキリスト教徒たちに、彼らの行く道を見せてあげた象徴なのです。
マグダラのマリヤはどのような生活をしたでしょうか。イエス様を愛することに、着ること、食べること、すべてを忘れて一片丹心、それだけのために生きました。生死を超越し、体面を考えずについていった彼女の行路は、終わりの日の聖徒たちが歩むべき路程だったのです。

もし今もこの地上にマグダラのマリヤのような心情をもっている人がいるとすれば、その人の目には神様の6000 年摂理にしみ込んだ涙が流れ、天の前に無限に負債を負った自分であることを分かるようになるでしょう。
(4-258 ~ 259、1958.6.29)

 

9.仏陀

文鮮明先生は、仏陀をアジアで最も偉大な聖人として認めている。仏陀の生涯は、真理を探し出すために、家族や友を捨てて旅立ったすべての人たちの典型的なモデルである。

仏陀は悟りのために自分の夫人と子女、家庭、そして富と権勢を捨てて修養の道を求めていったのち、若い人たちを教化する過程で迫害を受けることもあった。仏陀と大勢の仏教信者たちが経験した至福の状態が、仏陀を宇宙の頂上に導いた。すべての人たちは、仏陀の霊的修行を見習えば、幸福な状態を見いだすだろう。

 

①真理修行のために俗世を離れた仏陀

―宗教経典―

皆さん、道の人ゴータマは、母と父が同意せず、涙を流し、泣いているにもかかわらず、髪と鬚を剃り、黄色い衣をまとって、家を捨てて出家された方です。
阿含経長部i.115 (仏教)

太子は音楽を聞いて、その庭園や森をたたえ、こころのなかで、大いに喜び、ぜひとも外へ出かけたいという思いが湧いてきた。……父王は太子が庭園に出かけて楽しみ遊ぼうとしていることを聞き、家臣たちに命じて、飾られた行列を準備させた。王は歩む道々を綺麗にして、みにくいものや、老人や病人、形の悪いもの、おとろえたもの、貧しいもの、苦しんでいるものなどを除きさり、これらを見て、嫌悪感を起こさないようにさせた。

……太子はこの老人を見て、不思議に思い、御者に尋ねた。「いったい、この者はどういう人か。頭が白く、背中はまるくなって曲がっている。目もくぼんで、よく見えないようであり、体はふるえて杖に頼って、弱々しく歩いている。このような人の体は急に変わったのか。この人は生まれ
つき、こうなっていたのか」と。

御者はためらって、ほんとうのことを答えなかった。ところが、シュダアデイヴァーサ天は神通力で、かの御者に真実のことを語らせてしまった。「容貌もで悪くなり、気持ち心うつろに、ほそぼそと、憂い多く、喜び楽しむことも少なくなり、ついには喜びも忘れ、機能も衰微してしまう。これを年老い衰えたすがたというのである。この人ももとは幼児であって、長い間、母の乳で養われた。少年となって大いに楽しみ遊び、やがて青年となって、五官の欲望をほしいままにしていた。しかも、年をとり、すっかり形も衰えて、ついに老人となり……世の中の人はみなこのことを知っていても、若さを求めているのである」と。

……太子は御者に語った。「すぐに車を戻して城に帰るように。刻々と老い衰えるのがやってきている。どうして森のある園に遊び喜ぶことができようか」と。王は太子が喜ばなかったことを聞いて、さらにもう一度ぜひ城を出て遊びに行くよう勧めた。……

天の神はまた病人になって……太子は、この話を聞いて、……ただ驚きおめのくのみであった。……シュダアデイヴァーサ神は、またもや死人となって、四人の者が持つ輿に乗せられて太子の前に現れた。神々は御者に教えて答えさせた。「これは死人です。……」御者は答えた。「みなことごとく死に至る。生というはじめがあれば、かならず死という終りに至るのである。年長者であろうと若かろうと中年であろうと、いつでも、その人間の身体が破壊されて、死に至らない者はいないのである」と。

太子は驚き悲しんで、自分の身を車の横木にもたれかけ、息もたえだえに嘆くのであった。「世の人はどうしてこの誤りをおかしているのであろうか。……世の無常であることを考えようとはしないとは」と。
そこで、すぐさま命じた。「車をもとに引き返せ。このうえ遊び楽しむ時ではない。命も絶え、死が
いつくるかわからないのに、どうしてほしいままに遊ぶことができようか」と。……

従ってきた者たちを安んじなぐさめて、それぞれの場所に座らせた。自身は木陰を作っているジャンプー樹の下に正しく座って、正しく考え、あらゆるものの生死や世界の興起と終滅、ならびに無常なる移り変りを観察した。

太子の心は安定して動ずることなく、五官によって起る欲望の広大な雲は消えさり、……静寂な瞑想状態に入ったのである。「世のなかはきわめて辛く苦しく、老い、病気になり、死によって破壊され、終生、大きな苦しみを受けながらも、自身で覚ろうとはしない。しかも、他人が老い、病気になり、死に至ることを
きらっている。……」

太子は……ただ静寂な境地で、あらゆる煩悩を離れ、真実の知恵の光りはますます明るく輝いていた。そのとき、シュダアデイヴァーサ神は出家者の姿になって、太子のところにやってきた。太子は……尋ねた。「あなたはどなたであるか」と。

神は答えていった。「私は沙門である。老・病・死を畏れ厭うて、出家し解脱を求めている。……永遠なる楽しみと消滅変化することのない境地を求め、……平等に憐れみ愛せる心を抱き、ただ、安らいの場として、山林におもむき、静寂な
気持ちにひたり、欲をもたず……場所のよしあしなど考えもせず、ただ乞食しながら暮らしているだけである」と。……

どういう手段で、望みどおりに出家することができるであろうか。……太子は……いままさに世俗をこえたいという気持ちが生じた。
仏所行讃、厭患品3-5(仏教)

その時摩竭(まかつ)国の著名なる族姓子等、世尊のみ許に於て梵行を行ぜり。人々は呟き憤り毀(そし)れり、「沙門瞿曇(しゃもんくどん)来りて子を奪ふ。沙門瞿曇来りて夫を奪ふ。沙門瞿曇来りて族姓を断絶せしむ。……今又誰を誘ふや」
律蔵i.43 (仏教)

釈尊がコーサンビーの町に滞在していた時、釈尊に怨みを抱く者が町の悪者を買収し、釈尊の悪口を言わせた。釈尊の弟子たちは、町に入って托鉢しても一物も得られず、ただそしりの声を聞くだけであった。

そのときアーナンダは釈尊にこう言った。「世尊よ、このような町に滞在することはありません。他にもっとよい町があると思います。」「アーナンダよ、次の町もこのようであったらどうするのか。」「世尊よ、また他の町に移ります。」

「アーナンダよ、それではどこまで行ってもきりがない。私はそしりを受けたときには、じっとそれに耐え、そしりの終わるのを待って、他へ移るのがよいと思う。アーナンダよ、仏は、利益・害・中傷・はまれ・たたえ・そしり・苦しみ・楽しみという、この世の八つのことによって動かされることがない。こういったときは、間もなく過ぎ去るであろう。」
法句経註(仏教)


―み言選集―

釈迦のような人も同様です。出家して真の道理を求め、すべてのことを克服していきながら、世界の人類と共に生き、公義の法度である天倫を立てようとする神様と共に生きようと、一人孤独に歩んでいったのです。その歩みの前には、個人の涙の海が遮り、家庭の涙の海が遮り、国の涙の海が遮り、人類の涙の海が遮っていたことを皆さんは知らなければなりません。これを克服する修養の道を求めていく聖人の歩みは、最も悲惨だということを知らなければなりません。(注33)
(101-151、1978.10.29)

肉身の快楽にふける俗人の喜びと、清貧を楽しむ道人の喜びとは、全く比べものにならない。王宮の栄耀栄華をかなぐり捨てて、心の住み家を探し求め、所定めぬ求道の行脚を楽しむのは、釈迦一人に限ったことではない。
原理講論、総序


釈迦はどうでしょうか。王子の地位を捨てたので、王族から迫害を受けました。その王族を崇拝する国家から迫害を受けたのです。
(258-87、1994.3.17)

聖人でその国から迫害を受けていない人はいません。インドの釈迦は、その国の王子として生まれましたが、人生は苦海だと言い、真理の道を求めるために王子の地位も捨てたのです。このようにして仏教がインドから出てきましたが、インドには仏教人が多くないのです。聖人でその国から歓迎された聖人はいません。聖人を歓迎してくれた国がなかったのです。いつも迫害しました。
(39-255 ~ 256、1971.1.15)

 

②仏陀の覚醒

―宗教経典―

菩薩は正しいさとりをことごとく体得され、この正しいさとりを不動のものとされた。「生という現象が究め尽せば老いと死とが消滅する。行為としての生存が消滅すれば生が消滅する。執着が消滅すれば生存が消滅する。愛着が消滅すれば、執着が消滅する。感受が消滅すれば、愛着が消滅する。接触が消滅すれば、感受が消滅する。六つの感官が消滅すれば、接触が消滅する。一切の感官が消滅しつくすのは、名称と形態が消滅することによる。認識作用が消滅すれば、名称と形態が消滅する。形成作用が消滅すれば認識作用が消滅する。愚かさ(無知、無明)が消滅すれば、形成作用が消滅するのである」と。

このように偉大な聖仙である太子は完全なさとりを完成したのである。(注34)このように完全なさとりを完成して、ブッダとなられて、この世に出現したのである。正しく道理を見きわめること(正見)をはじめとする、理想に達するための八つの道は平らで、まっすぐの道である。結局、わがものという観念がまったくないからである。まさに薪は燃え尽きて消火したように(煩悩の火は完全に消滅しているからである)。ブッダはなすべきことをすべてなしおわって、完全なさとりを体得したのである。
仏所行讃、阿惟三菩提品14(仏教)

わたくしは幾多の生涯にわたって生死の流れを無益にめぐって来た、家屋の作者をさがしもとめて。あの生涯、この生涯と繰り返すのは苦しいことである。家屋の作者よ! 汝の正体は見られてしまった。汝はもはや家屋を作ることはないであろう。汝の梁はすべて折れ、家の屋根は壊れてしまった。
心は形成作用を離れて、妄執を滅ぼし尽くした。
法句経153 ~ 154(仏教)
天と地において、ただ私だけが尊貴な者である。(注35)
阿含経長部2.15 (仏教)


完全な人がこの世に出現する。如来は、敬われるべき人、悟りを開いた人、知恵と行いの備わった人、よく行った人、世間を知る人、最高の人、人間の御者、神々と人間の指導者、目覚めた人、尊き師である。

この完全な人は、自ら知りつくし、悟り、この世、神々、悪魔の世界、梵天の世界、修行者・バラモ
ンたち、人々、神々・人間に教えを説く。かれは、初めも、中程も、終りもよく、意義も文字もよく備わっている教えを説き、完全な清らかな行いを解き明かす。
阿含経長部xiii、三明経(仏教)

 

―み言選集―

皆さんが90 度の角度になり、このような位置にいる自分になって、宇宙に共鳴する真の愛、内的な神様、外的な神様の愛を慕って一つになるとき、宇宙がすべて私のものになり、私は偉大な人になり、すべての全体が私にぶらさがっていると思うようになるのです。釈迦牟尼のような人も、そのような立場で感じたので、天上天下唯我独尊という言葉も可能なのです。
(178-299、1988.6.12)

道に通じるようになれば心から強力な力が出てきます。ですから、体がしようということをすればするほど、むかむかと気分の悪いにおいがするのです。考えただけでもとても気分が悪いというのです。道に通じた人は、心に強い力が来ることによって、そのままにしておいても体は心がしようというとおりにするというのです。このような二つの方案以外には、体を調整する方案がありません。
それで神様は、体の支配を完成するために、このような作戦を繰り広げていらっしゃるということをはっきりと知らなければなりません。これが今
までの宗教の教えです。したがって統一教会も今そうした公式どおりに行くのです。このようにするようになれば、自然に人間として行くべき高次的な立場、神様の愛を中心とした神様の息子であることを自ら自覚する立場に入るようになるのです。

そのような立場に入るようになれば、一つしかない神様の愛を受けることができるために、釈迦が「天上天下唯我独尊」と言ったように、自分の権威に及ぶ人がいません。独りで自らの価値を称賛できる栄光の立場に入るようになるのです。

もう一度言うならば、神様の愛を独りで受けることができる息子になり、神様が造った被造世界と神様と関係しているすべてのものを自分のものと
して相続できるようになったので、独りで高いと自覚する立場に入るのです。

このような立場にまで行って神様の愛の圏内で生きるために探していく道が、人間が行かなければならない道です。
(38-270 ~ 273、1971.2.8)

 

10.孔子

途絶えることのない戦乱の時期に生まれた哲人、孔子は、当時の苦痛を越えて平和の世界の基礎となる普遍的道徳原理を追究した。彼は弟子たちを呼び集め、あちこちの国々を流浪しながら、彼の理想に関心をもつ統治者を探し求めた。

彼は拒絶され続けたが、天は自分をより高い目的のために用いるという信仰をもち、肯定的な姿勢を常にもっていた。彼が生きている間に自分の志は受け入れられなかったが、孔子の教えは東アジア文明の土台となった。

文鮮明先生は、「天」と呼んだ神様に対する孔子の信仰と、見るべき価値のない環境を飛び越え、より高い真理を一心に追究する孔子を尊敬する。文鮮明先生は、孔子をイエスと同等の聖人とみなす。孔子は、天国の社会的関係の外的形態について教えたのであり、イエスは天国の内的精神を教え、体現した。

①召命意識をもったまま苦難と挫折を経た孔子

―宗教経典―

儀の国境役人が〔先生に〕お会いしたいと願った。「ここに来られた君子がたには、私はまだお目にかかれなかったことはないのですよ。」という。供のものが会わせてやると、退出してからこういった、「諸君、さまよっているからといってどうして心配することがありましょう。この世に道が行なわれなくなって、久しいことです。天の神さまはやがてあの先生をこの世の指導者になされましょう。」
論語3.24(儒教)

お前はどうしていわなかったのだ。その人となりは、〔学問に〕発憤しては食事も忘れ、〔道を〕楽しんでは心配事を忘れ、やがて老いがやってくることにも気づかずにいるというように。
論語7.18(儒教>


孔子は鄭国へ行ったが、門人たちとはぐれ、ひとりで城郭の東門に立っていた。鄭の或る人が子貢に言った。「東門に人が居て、その額は聖入堯帝に似ており、その首筋は舜の臣の犀陽に似ており……疲れたさまは、喪中の家の犬のようでした」と。

子貢がありのままを孔子に告げると、孔子は笑って言った。「容貌についてはどうかと思うが、喪家の犬とは、いみじくも言ったもんだなあ。そのとおりだわい、そのとおりだわい」と。

そこで、共同して兵員を出して、孔子を広野で包囲した。孔子は行<ことができなくなり、食糧か無くなった。……孔子は弟子たちに憤りの心が有るのを知ったので、子路を招いて問うた。「詩に『野牛でもなく、虎でもないのにどうしてこの広野にひき廻さるる!』と、歌っているが、わが道が悪いのであろうか。われはどうしてここに苦しまなければならんのか」と子路が言った。


「思いますに、私達はまだ仁者ではないのでしょう。人がわれわれを行かせないのは!」と。孔子が言った。「どうして、そんなことがあるものか。

由よ、たとえば、仁者が必ず人に信ぜられるものなら、どうして伯夷・叔斎のような仁人が餓死することが有ろうか。智者が必ず行きたい所へ行きうるなら、どうして王子比干が腹を剖かれるようなことがあろうか」と。子路は退出した。

子貢が入ってきて孔子にお目にかかった。孔子が言った。「賜よ、詩に歌っている、『野牛でもなく、虎でもないのに、どうしてこの広野にさまようのか!」と。わが説く道が悪いのか、われはどうしてさまよわなければならなんのか!」と。子貢が言った。「先生の道は至大であります。だから、天下は先生を容れることができないのです。どうして少しくその道を小さく低くなさいませんか」と。

孔子が言った。「賜よ。良農はうまく種を播くが、よく収穫できるとは限らない。良工は器物は作ることは巧みでも、よく人の好みに順うとは限らない。

君子はよくその道を修め、大綱をたてて、それを道筋とし、これを統理することはできるが、必ずしも世人に容れられるとは限らない。今、おまえは、おまえの道を修めないで、世人に容れられんことを求めている。賜よ、おまえの志は遠大でないよ」と。子貢は退出した。

顔回が入ってきて孔子にお目にかかった。孔子がいった。「回よ、詩に歌っている、『野牛でもなく、虎でもない。だのにどうしてこの広野にさまようのか!』と。わしが説く道は間違っているのか。どうして、ここにこの困厄にかかるとは!」顔回が言った。「先生の道は至大でございます。ですから、天下によく容るるものがないのでございます。でありますが、先生には是非ともその道を推して行っていただきたいのであります。世人に容れられないことなどは、どうして憂うる必要がありましょうや。容れられないでこそ、初めて君子たることがわかるのでございます。道の修まらないことこそ、これはわれわれの恥でございます。道がすでに大いに修まっていて、用いないのは、国を有する君主の恥であります。世に容れられないことは、どうして憂うべきことでございましょうや。むしろ、世に容れられなくてこそ、しかる後に初めて君子たることがわかるのでございます」と。

孔子は欣然として笑って言った。「そうあるべきだ、顔氏の子よ。もし、お前が財産家だったら、わしはおまえの家の取締役になろうものをなあ!」と。
司馬遷史記47(儒教)


―み言選集―

孔子は、数千年前、春秋戦国時代の魯の国の人でしたが、彼は数カ国だけを考えたのではありません。そして、自分が生まれた困難な環境、混乱した社会像を見つめながらも、不平を言いませんでした。父母を中心として、兄弟がいなくても感謝の心で自分が助けることができる真の道を模索したのです。

そのような心でその時代に追われながらも感謝し、未来のために、世界のために生きたので、彼は戦国時代を超え、思想的に中原大陸を統一するようになったのです。それだけでなく、アジアを超えて世界万民のために残すことができる一つの道を築くようになりました。与えることができるものは何かという心、真のものを与えたいと思う彼の渇望と欲望が、結局、彼の人格を形成するようになったのです。そこから孔子の教えが出てきたのです。
(33-290、1970.8.21)

孔子の道理は、魯の国の混乱した時代において、その国の処理方法にもなりますが、自分の国と同じ混乱した世界を見つめながら、後代の万民たちが経ていかなければならない人生の道理を模索した教えだったのです。
(32-260、1970.7.19)

歴史時代の聖人たちの中で、イエスも迫害を受け、孔子も喪家の犬と言われながら迫害され、仏教の釈迦牟尼も迫害され、ムハンマドも迫害を受けたのです。そのような迫害されたすべての人たちが聖人になったのは、この原則において……。

歴史が、時間と時が過ぎていくに従って、自然に自分の時として来ることによって勝利するようになるのです。この原則から歴史が動いていくということを知らなければなりません。
(189-205 ~ 206、1989.4.6)

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世界経典-37

2022年05月29日 15時28分36秒 | 学習


②監獄から王宮へのヨセフ路程

―宗教経典―

かれが成年に達したころ、われは識見と知識とをかれに授けた。このようにわれは正しい行いをなす者に報いる。かれの起居する家の婦人が、かれを本心から惑わそうとして、戸を閉めて言った「さあ、おいで、おまえさん」と。かれは祈って言った「神よ、私をお守り下さい、まことにかれ(あなたの夫)は、主人であります、私を気持ちよく住ませていただきます、ほんとうに
不義者は、成功いたしません」。確かにかの女は、かれに求めたのである。

主の明証を見なかったならば、かれもかの女を求めたであろう。このようにしてわれは、かれから罪悪と醜行を遠ざけた。まことにかれは、謙虚で純真な選ばれたわがしもべのひとりである。

そのとき両人は戸の方にあい競い、かの女は、後ろからかれの下着を引き裂き、かれら両人は、戸口でかの女の夫に出会った。かの女は「あなたの家人に悪事を行おうとした者には、投獄されるか痛刑のほかにどんな応報がありましょう」と言った。かれは言った「奥さまこそ、私の意に反して、私をお求めになりました」。

そのときかの女の家人の中の1証人が証言した。「もしかれの下着が前から裂けておれば、奥さまが真実でかれはうそであります」。「だがかれの下着が、もし後ろから裂けておれば、奥さまがうそをおつきになったので、かれは真実であります」。

主人は、ヨセフの下着が後ろから裂けているのを見て言った「これはおまえたち婦人の悪だくみだ。まことにおまえたちの悪だくみは、すさまじいものである」。「ヨセフよ、これを気にしないでくれ。それから妻よ、おまえの罪のお許しを願いなさい。まことにおまえは罪深い者である」。

町の婦人たちは評判して言った貴人の奥方が、青年の意に反し、かれに求めたのは、きっとかれの愛で、奥方がたきつけられたのであろう。私達は、明らかに奥方の誤りだと思う」。かの女は婦人たちの悪意ある陰口を聞くと、使いをつかわし、かの女らのために宴席を設け、めいめいにナイフを渡し、それから(ヨセフに)「かの女らに出て行きなさい」と言った。

かの女らがヨセフを見ると驚ろいて、興奮してその手を傷つけて言った「神の造化の完全無欠なことよ、これは人間ではない。これは貴い天使でなくて何であろう」。かの女は言った「これよ、あんたがたが、私をそしる人よ。たしかに私がひっぱってかれに求めたが、かれは貞節を守ったのよ。もしかれが私の命ずることをしないなら、きっと投獄されて汚名を被る者になるでしょう」。(注24)
クルアーン12.22 ~ 32(イスラーム)

そのとき、例の給仕役の長がファラオに申し出た。「私は、今日になって自分の過ちを思い出しました。かつてファラオが僕どもについて憤られて、侍従長の家にある牢獄に私と料理役の長を入れられたとき、同じ夜に、私達はそれぞれ夢を見たのですが、そのどちらにも意味が隠されていました。そこには、侍従長に仕えていたヘブライ人の若者がおりまして、彼に話をしたところ、私達の夢を解き明かし、それぞれ、その夢に応じて解き明かしたのです。そしてまさしく、解き明かしたとおりになって、私は元の職務に復帰することを許され、彼は木にかけられました。」

そこで、ファラオはヨセフを呼びにやった。ヨセフは直ちに牢屋から連れ出され、散髪をし着物を着替えてから、ファラオの前に出た。ファラオはヨセフに言った。「私は夢を見たのだが、それを解き明かす者がいない。聞くところによれば、お前は夢の話を聞いて、解き明かすことができるそうだが。」

ヨセフはファラオに答えた。「私ではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです。」ファラオはヨセフに話した。「夢の中で、私がナイル川の岸に立っていると、突然、よく肥えて、つややかな七頭の雌牛が川から上がって来て、葦辺で草を食べ始めた。すると、その後から、今度は貧弱で、とても醜い、やせた七頭の雌牛が上がって来た。あれほどひどいのは、エジプトでは見たことがない。そして、そのやせた、醜い雌牛が、初めのよく肥えた七頭の雌牛を食い尽くしてしまった。ところが、確かに腹の中に入れたのに、腹の中に入れたことがまるで分からないほど、最初と同じように醜いままなのだ。私は、そこで目が覚めた。

それからまた、夢の中で私は見たのだが、今度は、とてもよく実の入った七つの穂が一本の茎から出てきた。すると、その後から、やせ細り、実が入っておらず、東風で干からびた七つの穂が生えてきた。そして、実の入っていないその穂が、よく実った七つの穂をのみ込んでしまった。わた
しは魔術師たちに話したが、その意味を告げうる者は一人もいなかった。」ヨセフはファラオに言った。


「ファラオの夢は、どちらも同じ意味でございます。神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお告げになったのです。七頭のよく育った雌牛は七年のことです。七つのよく実った穂も七年のことです。どちらの夢も同じ意味でございます。

その後から上がって来た七頭のやせた、醜い雌牛も七年のことです。また、やせて、東風で干からびた七つの穂も同じで、これらは七年の飢饉のことです。これは、先程ファラオに申し上げましたように、神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお示しになったのです。

今から七年間、エジプトの国全体に大豊作が訪れます。しかし、その後に七年間、飢饉が続き、エジプトの国に豊作があったことなど、すっかり忘れられてしまうでしょう。飢饉が国を滅ぼしてしまうのです。この国に豊作があったことは、その後に続く飢饉のために全く忘れられてしまうでしょう。飢饉はそれほどひどいのです。

ファラオが夢を二度も重ねて見られたのは、神がこのことを既に決定しておられ、神が間もなく実行されようとしておられるからです。このような次第ですから、ファラオは今すぐ、聡明で知恵のある人物をお見つけになって、エジプトの国を治めさせ、また、国中に監督官をお立てになり、豊作の七年の間、エジプトの国の産物の五分の一を徴収なさいますように。

このようにして、これから訪れる豊年の間に食糧をできるかぎり集めさせ、町々の食糧となる穀物をファラオの管理の下に蓄え、保管させるのです。
そうすれば、その食糧がエジプトの国を襲う七年の飢饉に対する国の備蓄となり、飢饉によって国が滅びることはないでしょう。」

ファラオと家来たちは皆、ヨセフの言葉に感心した。ファラオは家来たちに、「このように神の霊が宿っている人はほかにあるだろうか」と言い、ヨセフの方を向いてファラオは言った。「神がそういうことをみな示されたからには、お前ほど聡明で知恵のある者は、ほかにはいないであろう。お前をわが宮廷の責任者とする。わが国民は皆、お前の命に従うであろう。ただ王位にあるということでだけ、私はお前の上に立つ。」ファラオはヨセフに向かって、「見よ、私は今、お前をエジプト全国の上に立てる」と言った。
創世記41.9 ~ 41(キリスト教)


―み言選集―

メシヤは、必ず国を中心として来なければなりません。サタン世界が国を単位としているからです。それで、アベルの国を中心としてカインの国々を屈服させなければなりません。これは、ヤコブ家庭において、ヨセフの歴史と同じです。

11 人の兄弟がすべて彼を殺そうとしたのであり、エジプトに売り飛ばしたのです。ところが、彼は、エジプトに行って総理大臣になり、父母からその一族がすべて滅びそうになるときに助けてあげると、彼らがみな屈服することによって、イスラエル圏の家族基盤が復帰されたのです。
(139-300、1986.1.31)

監獄に行く人たちは、サタン世界で誰の利益を追求した人たちですか。自分の利益を得るために公的なものを破壊した人たちです。そのような人たちが行く所です。サタン世界ではそのような人を嫌い、もう一つ嫌うのが何かというと、もともと神様と怨讐なので、天の側の人が来るのを嫌います。2種類しかありません。今までこの2種類の人がその主権下で、体制下で反対を受け、監獄に行って死に、犠牲になってきたのです。このような歴史的な事実を私達はよく知っています。

天は天の側の人を立て、サタン世界の網を断ち切って天の世界の網をつくり、愛の綱にすべてつなごうとするのです。それでは、サタン世界がいくらどうにかしようとしても、びくとも動けずに手を出すごとができない天の側の人はどのような人でしょうか。そのような人がいればよいでしょう? 手を出せば損害賠償せざるを得ない、そのような種類の人はどのような人かというのです。

「サタン世界の民(注25)を、お前(サタン)が愛する以上、天の愛の基準で愛そう」という人を捕まえれば問題が生じます。何千万倍の損害賠償を支払うことが起きるのです。なぜそうなのでしょうか。

本来サタンは真の神様の愛圏の支配を受け、そこに属している自分であることを知っているので、その愛の前では神様が生きている限り、神様の目の前に出てくることはできません。そのような立場でもし被害を与えれば、歴史を通して永遠に弁償しなければなりません。

それで、歴史時代に神様はそのような天の愛をもった人を天の公義の位置に立て、この地上のサタン世界で故意に問題を起こさせて死ぬような境地に追い込むのです。打たれて死ねば、千年、万年歴史を通して損害賠償を支払わなければならないので、打たれるこの基盤を通して宗教という基盤を世界的に拡大することができたのです。そのような論理的根拠を知らなければなりません。
(167-305 ~ 306、1987.8.20)

 

③ヨセフと兄弟たちの出会いと和解

―宗教経典―

ヤコブは、エジプトに穀物があると知って、息子たちに、「どうしてお前たちは顔を見合わせてばかりいるのだ」と言い、更に、「聞くところでは、エジプトには穀物があるというではないか。エジプトヘ下って行って穀物を買ってきなさい。そうすれば、我々は死なずに生き延びることができるではないか」と言った。

そこでヨセフの十人の兄たちは、エジプトから穀物を買うために下って行った。ヤコブはヨセフの弟ベニヤミンを兄たちに同行させなかった。何か不幸なことが彼の身に起こるといけないと思ったからであった。

イスラエルの息子たちは、他の人々に混じって穀物を買いに出かけた。カナン地方にも飢饉が襲っていたからである。

ところで、ヨセフはエジプトの司政者として、国民に穀物を販売する監督をしていた。ヨセフの兄たちは来て、地面にひれ伏し、ヨセフを拝した。ヨセフは一目で兄たちだと気づいたが、そしらぬ振りをして厳しい口調で、「お前たちは、どこからやって来たのか」と問いかけた。

彼らは答えた。「食糧を買うために、カナン地方からやって参りました。」ヨセフは兄たちだと気づいていたが、兄たちはヨセフとは気づかなかった。ヨセフは、そのとき、かつて兄たちについて見た夢を思い起こした。

ヨセフは彼らに言った。「お前たちは回し者だ。この国の手薄な所を探りに来たにちがいない。」彼らは答えた。「いいえ、御主君様。僕どもは食糧を買いに来ただけでございます。私どもは皆、ある男の息子で、正直な人間でございます。僕どもは決して回し者などではありません。」

しかしヨセフが、「いや、お前たちはこの国の手薄な所を探りに来たにちがいない」と言うと、彼らは答えた。「僕どもは、本当に十二人兄弟で、
カナン地方に住むある男の息子たちでございます。末の弟は、今、父のもとにおりますが、もう一人は失いました。」すると、ヨセフは言った。「お前たちは回し者だと私が言ったのは、そのことだ。その点について、お前たちを試すことにする。ファラオの命にかけて言う。いちばん末の弟を、ここに来させよ。それまでは、お前たちをここから出すわけにはいかぬ。……

では、弟を連れて、早速その人のところへ戻りなさい。どうか、全能の神がその人の前でお前たちに憐れみを施し、もう一人の兄弟と、このベニヤミンを返してくださいますように。この私がどうしても子供を失わねばならないのなら、失ってもよい。」

息子たちは贈り物と二倍の銀を用意すると、べニヤミンを連れて、早速エジプトヘ下って行った。さて、一行がヨセフの前に進み出ると、ヨセフはベニヤミンが一緒なのを見て、自分の家を任せている執事に言った。「この人たちを家へお連れしなさい。それから、家畜を屠って料理を調えなさい。昼の食事をこの人たちと一緒にするから。」……

ヨセフは執事に命じた。「あの人たちの袋を、運べるかぎり多くの食糧でいっぱいにし、めいめいの銀をそれぞれの袋の口のところへ入れておけ。それから、私の杯、あの銀の杯を、いちばん年下の者の袋の口に、穀物の代金の銀と一緒に入れておきなさい。」執事はヨセフが命じたとおりにした。

次の朝、辺りが明るくなったころ、一行は見送りを受け、ろばと共に出発した。ところが、町を出て、まだ遠くへ行かないうちに、ヨセフは執事に命じた。「すぐに、あの人たちを追いかけ、追いついたら彼らに言いなさい。『どうして、お前た
ちは悪をもって善に報いるのだ。あの銀の杯は、私の主人が飲むときや占いのときに、お使いになるものではないか。よくもこんな悪いことができたものだ。』」執事は彼らに追いつくと、そのとおりに言った。
すると、彼らは言った。「御主人様、どうしてそのようなことをおっしゃるのですか。僕どもがそ
んなことをするなどとは、とんでもないことです。袋の口で見つけた銀でさえ、私どもはカナンの地から持ち帰って、御主人様にお返ししたではありませんか。その私どもがどうして、あなたの御主君のお屋敷から銀や金を盗んだりするでしょうか。僕どもの中のだれからでも杯が見つかれば、その者は死罪に、ほかの私どもも皆、御主人様の奴隷になります。」

すると、執事は言った。「今度もお前たちが言うとおりならよいが。だれであっても、杯が見つかれば、その者は私の奴隷にならねばならない。ほかの者には罪は無い。」

彼らは急いで自分の袋を地面に降ろし、めいめいで袋を開けた。執事が年上の者から念入りに調べ始め、いちばん最後に年下の者になったとき、べニヤミンの袋の中から杯が見つかった。彼らは衣を引き裂き、めいめい自分のろばに荷を積むと、町へ引き返した。ユダと兄弟たちがヨセフの屋敷に入って行くと、ヨセフはまだそこにいた。一同は彼の前で地にひれ伏した。「お前たちのした
この仕業は何事か。私のような者は占い当てることを知らないのか」とヨセフが言うと、ユダが答えた。「御主君に何と申し開きできましょう。今更どう言えば、私どもの身の証しを立てることができましょう。神が僕どもの罪を暴かれたのです。この上は、私どもも、杯が見つかった者と共に、御主君の奴隷になります。」

ヨセフは言った。「そんなことは全く考えていない。ただ、杯を見つけられた者だけが、私の奴隷になればよい。ほかのお前たちは皆、安心して父親のもとへ帰るがよい。」ユダはヨセフの前に進み出て言った。「ああ、御主君様。何とぞお怒りにならず、僕の申し上げますことに耳を傾けてください。あなたはファラオに等しいお方でいらっしゃいますから。

御主君は僕どもに向かって、『父や兄弟がいるのか』とお尋ねになりましたが、そのとき、御主君に、『年とった父と、それに父の年寄り子である末の弟がおります。その兄は亡くなり、同じ母の子で残っているのはその子だけですから、父は彼をかわいがっております』と申し上げました。

すると、あなたさまは、『その子をここへ連れて来い。自分の目で確かめることにする』と僕どもにお命じになりました。私どもは、御主君に、『あの子は、父親のもとから離れるわけにはまいりません。あの子が父親のもとを離れれば、父は死んでしまいます』と申しましたが、あなたさまは、『その末の弟が一緒に来なければ、再び私の顔を見ることは許さぬ』と僕どもにおっしゃいました。

私どもは、あなたさまの僕である父のところへ帰り、御主君のお言葉を伝えました。そして父が、『もう一度行って、我々の食糧を少し買って来い』と申しました折にも、『行くことはできません。もし、末の弟が一緒なら、行って参ります。末の弟が一緒でないかぎり、あの方の顔を見ることはできないのです』と答えました。

すると、あなたさまの僕である父は、『お前たちも知っているように、私の妻は二人の息子を産んだ。ところが、そのうちの一人は私のところから出て行ったきりだ。きっとかみ裂かれてしまったと思うが、それ以来、会っていない。それなのに、お前たちはこの子までも、私から取り上げようとする。

もしも、何か不幸なことがこの子の身に起こりでもしたら、お前たちはこの白髪の父を、苦しめて陰府に下らせることになるのだ』と申しました。今私が、この子を一緒に連れずに、あなたさまの僕である父のところへ帰れば、父の魂はこの子の魂と堅く結ばれていますから、この子がいないことを知って、父は死んでしまうでしょう。

そして、僕どもは白髪の父を、悲嘆のうちに陰府に下らせることになるのです。実は、この僕が父にこの子の安全を保障して、『もしも、この子をあなたのもとに連れて帰らないようなことがあれば、私が父に対して生涯その罪を負い続けます』と言ったのです。何とぞ、この子の代わりに、この僕を御主君の奴隷としてここに残し、この子はほかの兄弟だちと一緒に帰らせてください。この子を一緒に連れずに、どうして私は父のもとへ帰ることができましょう。父に襲いかかる苦悶を見るに忍びません。」

ヨセフは、そばで仕えている者の前で、もはや平静を装っていることができなくなり、「みんな、ここから出て行ってくれ」と叫んだ。だれもそばにいなくなってから、ヨセフは兄弟たちに自分の身を明かした。ヨセフは、声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、ファラオの宮廷にも伝わった。

ヨセフは、兄弟たちに言った。「私はヨセフです。お父さんはまだ生きておられますか。」兄弟たちはヨセフの前で驚きのあまり、答えることができなかった。ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか、もうと近寄ってください。」兄弟たちがそばへ近づくと、ヨセフはまた言った。「私はあなた達がエジプトヘ売った弟のヨセフです。しかし、今は、私をここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神が私をあなた達より先にお遣わしになったのです。この二年の間、世界中に飢饉が襲っていますが、まだこれから五年間は、耕すこともなく、収穫もないでしょう。

神が私をあなた達より先にお遣わしになったのは、この国にあなた達の残りの者を与え、あなた達を生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。私をここへ遣わしたのは、あなた達ではなく、神です。神が私をファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです。

急いで父上のもとへ帰って、伝えてください。『息子のヨセフがこう言っています。神が、私を全エジプトの主としてくださいました。ためらわずに、私のところへおいでください。』
創世記42.1 ~ 45.9 (キリスト教)


―み言選集―

神様は、ヤコブの息子12 兄弟の中で11 番目のヨセフをエジプトに売られていくようにして、死ぬような苦労をさせてイスラエルを救いました。同じように、今日この統一教会がダビデと同じ位置で、ヨセフのように犠牲になる立場で冷遇されていますが、天は彼らを立てて国と世界を救おうというのです。

神様のみ旨のためには、自分の生命やすべてのものを犠牲にして国と世界を救おうというのです。
神様のみ旨のためには、自分の生命やすべてのものを犠牲にして国と世界を復帰してさしあげようとしなければなりません。そのような群れだけが神様のコンセプトと一致するのです。

そのようなことを知っているので、先生は迫害を受けながらも恨むことなく、不平を言わず、へたばらず、最後まで撃破したのです。ヨセフが自分の兄弟たちを赦したのは、父母を赦したのと同じです。
私と統一教会がヨセフの立場で見るとき、アメリカは怨讐ですが、神様を信じるので、神様のことを考えても赦さざるを得ないのです。
(146-124 ~ 125、1986.6.8)

ヨセフは、兄弟たちにねたみ嫌われてエジプトに売られていき、ボテパルの妻の謀略で監獄に行くようになりますが、そこでパロの夢解きをしてあげ、エジプトの総理大臣になります。このとき、全世界が凶年に入り、エジプト人だけでなく、各国の人たちが穀物を買いに来るのですが、その人たちの中に自分の兄たちもいました。

自分を殺そうとしていた怨讐であるその兄たちを見たとき、ヨセフはどれほど苦しかったでしょうか。しかし、ヨセフは、彼らが自分と同じ血筋を受け継いだ兄弟の関係であり、自分が父母のそばを離れて外地で生活しているとき、それでも父母に侍り、父母の愛の対象になり、父母の愛する心が彼らを経ていったということを考えて彼らを赦したのです。
(48-312、1971.9.26)
ヨセフも11 人の兄弟が反対しました。殺そうとしましたが、それを一つにしなければエジプトの父母を助ける道がなかったのです。同様の歴史が展開するのです。先生がちょうどヨセフと同じです。ヨセフはエジプトに入っていってすべての基盤を築き、11 人の兄弟を助けてあげました。先生も、キリスト教が滅びるのを助けてあげているのですが、これがちょうどイスラエル民族を代表したヨセフと同じ責任を果たしているのです。
(137-27、1986.1.1)

ヨセフが、エジプトに訪ねてきた11 人の兄弟を許すことができたのは、なぜですか。自分がいない間に父母を養った兄弟たちであることを思えば、許さざるを得なかったのである。それと同じように、我々に反対してきた既成教団を祝福せざるを得ないのは、統一教会が現れる以前に神様に侍ってきた基準があるからである。
御旨の道、指導者


7.モーセ

モーセは、宮中の安楽な生活からミデヤン荒野の困難、そしてイスラエルの民を導いてエジプトから脱出する日から、荒野で長い間さまよいながらイスラエル民族を一つにまとめるために苦痛の闘争をするとぎまで、冒険的な人生を体験した。イスラエル同族へのモーセの熱烈な愛と全能であられる神様への確固たる信仰、この二つが常にモーセのあらゆる歩みを導いた。

聖書は、モーセが独り神様を真正面から理解していたという。文鮮明先生は、モーセの内的生活を特に注目する。イスラエルの民が苦境に直面しているとき、神様の悲痛な心情をモーセははっきりと知っており、彼らを解放しでカナンに国家を建設しようとする神様の燃える意志も感知した。したがって、モーセは神様の苦痛を減らしてさしあげるためのいかなる犠牲も克服し、イスラエル民
族が神様を受け入れられるように尽力したのである。

①モーセの民族解放への熱望

―宗教経典―

モーセが成人したころのこと、彼は同胞のところへ出て行き、彼らが重労働に服しているのを見た。そして一人のエジプト人が、同胞であるヘブライ人の一人を打っているのを見た。モーセは辺りを見回し、だれもいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺して死体を砂に埋めた。翌日、また出て行くと、今度はヘブライ人どうしが二人でけんかをしていた。モーセが、「どうして自分の仲間を殴るのか」と悪い方をたしなめると、「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか。お前はあのエジプト人を殺したように、この私を殺すつもりか」と言い返したので、モーセは恐れ、さてはあの事が知れたのかと思った。

ファラオはこの事を聞き、モーセを殺そうと尋ね求めたが、モーセはファラオの手を逃れてミディアン地方にたどりつき、とある井戸の傍らに腰を
下ろした。出エジプト記2.11 ~ 15(キリスト教)
モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。モーセは言った。

「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」

神は続けて言われた。「私はあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。主は言われた。「私は、エジプトにいる私の民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。それゆえ、私は降りて行き、エジ
プト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る。

見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、私のもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。今、行きなさい。私はあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」

モーセは神に言った。「私は何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」神は言われた。「私は必ずあなたと共にいる。このことこそ、私があなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなた達はこの山で神に仕える。」
モーセは神に尋ねた。「私は、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなた達の先祖の神が、私をここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべ
きでしょうか。」神はモーセに、「私はある。私はあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『私はある』という方が私をあなた達に遣わされたのだと。」

神は、更に続けてモーセに命じられた。「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなた達の先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主が私をあなた達のもとに遣わされた。これこそ、とこしえに私の名、これこそ世々に私の呼び名。さあ、行って、イスラエルの長老たちを集め、言うがよい。

『あなた達の先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である主が私に現れて、こう言われた。私はあなた達を顧み、あなた達がエジプトで受けてきた仕打ちをつぶさに見た。あなた達を苦しみのエジプトから、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む乳と蜜の流れる土地へ導き上ろうと決心した』と。
出エジプト記3.1 ~ 17(キリスト教)

主はミデアンでモーセに言われた。「さあ、エジプトに帰るがよい、あなたの命をねらっていた者は皆、死んでしまった。」モーセは、妻子をろばに乗せ、手には神の杖を携えて、エジプトの国を指して帰って行った。

主はモーセに言われた。「エジプトに帰ったら、私があなたの手に授けたすべての奇跡を、心してファラオの前で行うがよい。しかし、私が彼の心をかたくなにするので、王は民を去らせないであろう。あなたはファラオに言うがよい。
主はこう言われた。『イスラエルは私の子、私の長子である。私の子を去らせて私に仕えさせよと命じたのに、お前はそれを断った。それゆえ、私はお前の子、お前の長子を殺すであろう』と。」途中、ある所に泊まったとき、主はモーセと出会い、彼を殺そうとされた。ツィポラは、とっさに石刀を手にして息子の包皮を切り取り、それをモーセの両足に付け、「私にとって、あなたは血の花婿です」と叫んだので、主は彼を放された。彼女は、そのとき、割礼のゆえに「血の花婿」と言ったのである。

主はアロンに向かって、「さあ、荒れ野へ行って、モーセに会いなさい」と命じられたので、彼は出かけて行き、神の山でモーセと会い、口づけした。モーセは自分を遣わされた主の言葉と、命じられたしるしをすべてアロンに告げた。モーセはアロ
ンを伴って出かけ、イスラエルの人々の長老を全員集めた。

アロンは主がモーセに語られた言葉をことごとく語り、民の面前でしるしを行ったので、民は信
じた。また、主が親しくイスラエルの人々を顧み、彼らの苦しみを御覧になったということを聞き、ひれ伏して礼拝した。
出エジプト記4.19 ~ 31(キリスト教)
それからかれらの後、わがしるしを持ってモーゼとアロンを、ファラオならびにその首領たちにつかわしたが、かれらは、高慢で罪深い民であった。真理がわがもとからかれらに来たとき、かれらは「これは明らかに魔術である」と言った。……

かれの民のうち末輩(まっぱい)を除いては、モーゼを信ずる者はなかった、かれらはファラオ、ならびの首領の迫害を恐れていたのである。ファラオは国内において権勢をほしいままにし、まことに暴君であった。

モーゼは言った「私の人びとよ、あなたがたが、神を信仰するのであり、ムスリムであるのならば、かれにおすがり申せ」と。かれらは祈って言った「私達は神に、おすがり申す。主よ、私達を不義の民のための、一試練となされず」、「あなたのお慈悲をもって、私達を不信心の民から救い出したまえ」。……

モーゼは申し上げた、「主よ、まことにあなたは、ファラオとその首領たちに、現世の生活の栄華と裕福をお授けになります。主よ、かれらはそれで人びとをあなたの道から迷わせます。主よ、かれらの富を壊滅され、かれらの心をかたくなにしたまえ、それで痛刑を見るまで、彼らは信じないでありましょう」。

かれは仰せられた「なんじら両人の祈りは受人れられた、それゆえ、姿勢を正し、無知な者の道に従ってはならぬ」。われは、イスラエルの子らをして海を渡らせ、ファラオとその軍勢に、暴虐
と敵意にみちてかれらを追わしめた。おぼれ死にそうになったとき、「私は信仰いたします、イスラエルの子らが信仰する方のほかに、神はございません。私はムスリムのひとりであります」と言った。(かれに仰せられよう)「なんと、いま信仰するのか、ちょっと前までなんじは反抗していた。しょせんなんじは害悪をなす者のたぐいであった」。
「だが、きょうのところ、われは後の者へのしるしとするため、なんじのからだを救うであろう。だが人びとの多くはわがしるしをおろそかにする」。クルアーン10.75 ~ 92(イスラーム)
―み言選集―

モーセは、豪華絢爛なパロ宮中にとどまっている間、華やかに着飾り、食べ、歓喜にあふれる生活をしていたのではありません。彼が宮中にとどまっているとき、始終一貫、食べて、着て、寝る、その生活のどの一瞬においてもイスラエル民族を心配していないときがありませんでした。

エジプトにいるイスラエル民族の中でモーセだけが、その民族が知ろうと知るまいと、天に対する忠誠心が変わらなかったのです。皆さんには、モーセが血気盛んな人に見えるかもしれませんが、事実はそうではありません。エジプト人とイスラエル人が争うのを見てエジプト人を葬り去ったモーセの義憤心は、その瞬間に衝撃を受けて生じたものではなかったのです。

その光景を見たとき、モーセは40 年間天に向かって悲しい心で民族のために訴えた内的悲しみの心情が爆発したのです。すなわち、イスラエル選民がひどい目に遭っているのを見て、抑えられない義憤心がわき上がってエジプト人を殺しました。このように、イスラエル民族に対する愛とエジプトに対する義憤心が、そのようなモーセの行動の内的な原因だったのです。そして、そのようなモーセの行動には、摂理的なみ旨が内包されていました。

モーセが怒りに勝てずエジプト人を葬ったのは、このイスラエルの運命を心配して責任をもった立場で葬ったのであり、それはエジプト人がイスラエル民族を迫害した罪に比べれば小さなことだったので、神様は誰よりも民族のために心配するモーセを民族の指導者として立てられたのです。

しかし、イスラエル民族は、モーセを誤解し、エジプト人を葬ったことを暴露することによって、
モーセは自分の行動が露見したことを知って、仕方なくミデヤン荒野に身を隠すようになったのです。
(1-141 ~ 142、1956.7.1)


ミデヤン荒野で生活していたモーセは、パロ宮中で豪華に暮らしていたことを恥ずかしく思い、パロ王の娘が自分のためにすべての願いを聞き入れてくれた自由な環境で暮らしていた過去の富貴、栄華をすべて忘れました。

そして、羊飼いの服を着て羊の群れを追い回す無名の牧童の立場でしたが、その羊の群れを見つめて、昔の先祖アブラハムに約束されたカナンの地を慕いました。

今はたとえ羊の群れを追い回しているとしても、いつかは羊の群れを追い立てていくように民族を導き、カナンの地に入っていこうという切なる思いで天に訴えたモーセでした。モーセは、食べても飢えても、寝ても覚めても、労心焦思(心を痛め気をもみ)、そのすべての精誠を尽くして、アブラハムがソドムとゴモラの人が知らない中で彼らのために祈祷していたのと同じように、民族のために心配して祈祷したのです。


モーセは、エジプトの迫害と塗炭の中で苦役を受けているイスラエル民族を見つめるとき、骨が溶けるほどの悲しみを感じたのであり、天に向かって、「主よ! 私を御覧になってこの民族を哀れんでください!」と訴えたのです。

それで、神様は、このようにこの上ない精誠で訴えるモーセを60 万の大衆をエジプトの地から導き出す指導者として立て、人が見るとき取るに足らない、ミデヤン荒野で一介の牧童生活をしていたモーセを、先祖から伝わってきた隠れた根の貞節を継承させ、民族の代表者として立てたのです。
(1-142 ~ 143、1956.7.1)

荒野のあらゆる雨風に苦しむ悲しみを味わったとしても、それをすべてかきわけ、民族から追われたとしても、神様をつかんでいたモーセの変わらない決心があったがゆえに、民族が困難な事情に置かれ、モーセがそのような苦難の環境に入っていったとしても、民族が団結できたのであり、天はモーセを立てて摂理することができたのです。
(4-39、1958.2.23)
その後、モーセが始めた歩みは、すべて冒険的なものでした。現実を超越した神様の摂理の中心を抱いたために、彼の人生全体も超現実的なものであり、見つめるものも、出ていって闘うことも、超現実的なものでした。

神様の命令を受け、モーセがパロ宮中に行くようになるとき、神様が行きなさいと言われたその道を行くモーセを祝福してあげ、保護してあげなければならないのですが、神様はかえってモーセの行く道を妨げ、モーセを殺そうとしました。神様はどうして自分の命令を受けて行くモーセを妨害して殺そうとされたのでしょうか。現実的には到底あり得ないことでした。ここに私達人間が知り得ない内容があります。

現実的に考えてみれば、到底越えることのできない峠でした。しかし、モーセは既に覚悟した身だったので、死のうと生きようと、み旨一つだけが成し遂げられることを願う心情で、神様が妨げ、サタンが妨げる試諌の条件を越えたのです。そうして、パロ宮中で超現実的な神様の実存を確信し、10 度以上の奇跡を起こしたモーセは、4000 年の歴史上にいなかった宇宙的な冒険の革命家だったことを知らなければなりません。このようにモーセは、いかなる人の反対にも屈せず、み旨に対する超現実的な信仰で60 万のイスラエル民族を導きました。このようなことを考えてみるとき、モーセの生涯全体は超現実的な冒険の行路だったことを知らなければなりません。
(1-267、1956.12.2)


②律法を伝授し、ヘブライ人の荒野路程を導いた
モーセの苦難

―宗教経典―

主が、「私のもとに登りなさい。山に来て、そこにいなさい。私は、彼らを教えるために、教えと戒めを記した石の板をあなたに授ける」とモーセに言われると、モーセは従者ヨシュアと共に立ち上がった。

モーセは、神の山へ登って行くとき、長老たちに言った。「私達があなた達のもとに帰
って来るまで、ここにとどまっていなさい。見よ、アロンとフルとがあなた達と共にいる。何か訴えのある者は、彼らのところに行きなさい。」

モーセが山に登って行くと、雲は山を覆った。主の栄光がシナイ山の上にとどまり、雲は六日の間、山を覆っていた。七日目に、主は雲の中からモーセに呼びかけられた。主の栄光はイスラエルの人々の目には、山の頂で燃える火のように見えた。モーセは雲の中に入って行き、山に登った。モーセは四十日四十夜山にいた。
出エジプト記24.12 ~ 18(キリスト教)

モーセがイスラエルの民に言った。「あなた達は、私が律法を得るためにどれほど苦労したかを知らない。どんな苦労、どんな努力でも、私は律法のために耐え抜いた。四十昼夜を私は神と共に過ごした。私は生きている被造物である天使たち、セラフィムと共にいた。私は喜んで彼らに律法を与えた。私が苦労を通して律法を学んだように、あなた達も苦労しながら律法を学ばなければならない。そして、あなた達が苦労して律法を学んだように、あなた達の子孫にも苦労の中で律法を教えてあげなければならない」。
申命記スィフレイ(ユダヤ教)

荒れ野に入ると、イスラエルの人々の共同体全体はモーセとアロンに向かって不平を述べ立てた。イスラエルの人々は彼らに言った。「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなた達は我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」
出エジプト記16.2 ~ 3(キリスト教)

四十日四十夜が過ぎて、主は私にその二枚の石の板、契約の板を授けられた。そのとき、主は私に言われた。「すぐに立って、ここから下りなさい。あなたがエジプトから導き出した民は堕落し、早くも私が命じた道からそれて、鋳像を造った。」……

「私はこの民を見てきたが、実にかたくなな
民である。私を引き止めるな。私は彼らを滅ぼし、天の下からその名を消し去って、あなたを彼らより強く、数の多い国民とする。」

私が身を翻して山を下ると、山は火に包まれて燃えていた。私は両手に二枚の契約の板を持っていた。私が見たのは、あなた達があなた達の神、主に罪を犯し、子牛の鋳像を造って、早くも主の命じられた道からそれている姿であった。私は両手に持っていた二枚の板を投げつけ、あなた達の目の前で砕いた。主の目に悪と見なされることを行って罪を犯し、主を憤らせた、あなた達のすべての罪のゆえに、私は前と同じように、四十日四十夜、パンも食べず水も飲まず主の前にひれ伏した。……

主があなた達を滅ぼすと言われたからである。私はひれ伏して、主に祈って言った。「主なる神よ。あなたが大いなる御業をもって救い出し、
力強い御手をもってエジプトから導き出された、あなたの嗣業の民を滅ぼさないでください。あなたの僕、アブラハム、イサク、ヤコブを思い起こし、この民のかたくなさと逆らいと罪に御顔を向けないでください。我々があなたに導かれて出て来た国の人々に、『主は約束された土地に彼らを入らせることができなかった。主は彼らを憎んで、荒れ野に導き出して殺してしまった』と言われないようにしてください。彼らは、あなたが大いなる力と伸ばされた御腕をもって導き出されたあなたの嗣業の民です。」
申命記9.11 ~ 29(キリスト教)
こう言った。「私は今日、既に百二十歳であり、もはや自分の務めを果たすことはできない。主は私に対して、『あなたはこのヨルダン川を渡ることができない』と言われた。あなたの神、主御自身があなたに先立って渡り、あなたの前からこれらの国々を滅ぼして、それを得させてくださる。

主が約束されたとおり、ヨシュアがあなたに先立って渡る。主は、アモリ人の王であるシホンとオグおよび彼らの国にされたように、彼らを滅ぼされる。主が彼らをあなた達に引き渡されるから、私が命じたすべての戒めに従って彼らに
行いなさい。

強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない。」

モーセはそれからヨシュアを呼び寄せ、全イスラエルの前で彼に言った。「強く、また雄々しくあれ。あなたこそ、主が先祖たちに与えると誓われた土地にこの民を導き入れる者である。あなたが
彼らにそれを受け継がせる。主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない。」
申命記31.2 ~ 8(キリスト教)


―み言選集―

モーセがした、命を掲げて全民族の命を救援する生きた祭物になろうと身もだえしたことを、その民族は知らなかったのです。ただ神様だけが御存じでした。神様だけが友人になってくださったのであり、神様だけが父として彼に対してくださったのです。

モーセはそのような神様であられることを知ったので、40 日間食べることを忘れながら、二度とお父様に悲しみと悲運の心情をもたないようにしてさしあげようという責任感を感じ、あらゆる精誠をすべて尽くして訴えることによって、イスラエル民族を復活させることのできるみ言を受けるようになったのです。

これは喜ばしいことでした。ところが、喜びを紹介するためには、人知れず背後で悲しみの祭物となった者がいたことをイスラエル民族は知らなかったのです。もし彼らがこれを知っていれば、荒野で60 万の大衆が倒れることは避けていたでしょう。そのあとにでも、彼らがモーセの十戒に従い、天の悲しい心情を解怨してさしあげるために、自分たちの体は祭物になるとしても屈せずに進んでいこうという信仰があれば、彼らは荒野で倒れなかったのです。
(3-287、1958.1.19)

エジプトで苦難を受けているイスラエル民族を導かなければならなかったモーセは、パロ宮中で40 年間、人知れず心で悩みながら民族を愛する民族精神に燃え上がっていました。

ところが、エジプト人を殺害したことが、荒野で寂しい牧童の生活をするようになった動機になりました。そのような立場にいたモーセは、エジプト宮中の豪華なすべての栄光を一切捨て、ミデヤン荒野での苦役生活が迫ってきたとしても変わらない心を抱き、自分を愛する心よりも神様のみ旨を心配する決心をもつようになりました。

荒野のあらゆる風雨に苦しむ悲しみを味わったとしても、それをすべてかきわけ、民族から追われたとしても、神様をつかんでいたモーセの変わらない決心があったがゆえに、民族が困難な事情に置かれ、モーセがそのような苦難の環境に入っていったとしても、民族が団結できたのであり、天はモーセを立てて摂理することができたのです。
(4-38 ~ 39、1958.2.23)

モーセが天から許諾されたところの約束を受けてエジプトに入っていくようになったとき、彼は喜びにあふれていました。しかし、モーセは決してその喜びだけで満足していませんでした。

彼は、自分の民族をカナンの地に導くために生涯を捧げると天の前に訴えたその志が成し遂げられ、民族の生きる道を開拓するようになりましたが、そのような喜びだけに満足せず、これから第2
の責任を忠実に果たそうという使命感と責任感をもつようになりました。そのときからモーセは、自分を中心として行動せず、小さなことも大きなことも、どれ一つとして神様と因縁を結ばずに遂行したことがありませんでした。

こうしてモーセが暴虐なパロ宮中に入っていき、彼らの神に10 回以上の奇跡を行い、イスラエル民族を険しい荒野に導きだすようになりました。ここでイスラエル民族は、モーセと一つにならなければなりませんでした。

すなわち険しい荒野ですが、自由な環境に脱出してきたイスラエル民族は、カナンの福地に向かうにおいて、モーセの心がすなわち自分たちの心にならなければならなかったのです。彼らは、自分たちをパロ宮中から救出してくれたモーセと心が違ってはいけなかったのです。ところが、彼らはモーセと一つになれず、天倫に背く道を行くことによって滅亡するようになりました。それでは、彼らがこのように滅亡するようになった原因はどこにあったのでしょうか。

彼らは、モーセが民族の指導者になる過程で天に訴えた隠れた精誠の足場を知らなかったのです。そして、彼らは、モーセが自分たちを導いてエジプトを出発したその日からあらゆる困難を経験し、自分たちのために与えたにもかかわらず、このようなモーセの苦労と努力を理解できませんでした。それで、彼らとモーセは荒野で分かれ、結局、彼らは荒野に伏す立場になってしまいました。このように、イスラエル民族がモーセを不信した歴史的事実が、今日終わりの日の聖徒たちにも再び現れているのです。

イスラエル民族と自分か一つになれない事実に直面するようになるとき、モーセは不信する民族を叱責する前に、自分自身の不足を天に訴えました。すなわち、彼はシナイ山に登り、40 日間断食祈祷しながら、「お父様、この民族がどうして許諾された地が目の前に見えるのに、入っていくことができないのですか。その責任は誰にあるのですか。その責任は私にあります。私が責任を果たせなかったからです。ですから、私を祭物として民族の滅亡の道をふさいでください」と訴えたのです。このようなモーセの隠れた精誠の期間があったこ
とを皆さんは知らなければなりません。

もしイスラエル民族が、モーセが人知れず悲しい心で断食することが、モーセ自身のためではなく、自分たちのためであることを知っていたら、彼らはモーセの40 日断食期間に金の子牛をつくって崇拝する不信の行いはしなかったでしょう。また、彼らが民族の祝福を身代わりしたモーセが、一つの隠れた祭物として天に捧げられるようになるとき、モーセの心に同情し、彼の苦労を心配してシナイ山にいるモーセと一緒に涙を流し、天に訴えることができていれば、彼らは神様の懐を離れなかったでしょう。

このように、モーセが独りで民族を代表し、義の道を行ったように、イエス様もそのような道を行かれました。つまり、アブラハムの歴史的な犠牲とモーセの民族を代表した祭物の路程を通して、世界の中心に立てられたイエス・キリストは、アブラハムが家庭を代表してサタンの讒訴条件を防ぎ、モーセが民族を代表してサタンの讒訴条件を防いだのと同じように、世界人類を身代わりして独りでサタンのあらゆる讒訴条件を防がなければならず、勝利的な蕩減の足場を築かなければなりませんでした。
(1-143 ~ 145、1956.7.1)
カナンの地に入っていかなければならないのに、ヨルダン川で天幕をはり、「もう着いたので、ここで千年、万年暮らさなければならない」と言っているので、この天幕を破って外し、川にほうり込まなければなりません。

そのようにするときは、モーセが来て火をつけ、すべて蹴飛ばしてしまわなければなりません。ほうり込まなければならないというのです。水にほうり込むのです。ヨルダン川の水が深いと思っていたら、目を開けてみると深くありません。ひざまでしか上がってきません。川を渡っていって死ななければならないのです。体の3分の2が地についてそこで休んでもかまいません。それはサタンがもっていけません。死んでもかまいません。死んでも成功です。私達の地に入っていって……。それが長い長い40 年間の路程の目的です。……

ヨルダン川も見えない荒野の真ん中では、モーセより先に行けば死にます。そのときはモーセが「私についてきなさい」と言いましたが、ヨルダン川が見えるときは、「先に行きなさい」と言うのです。これが素晴らしいのです。ところが、イスラエル民族はすべて越えていき、モーセだけ越えられませんでした。

どうなったのですか。モーセが、「ああ、呪われる群れだ! 私を捨てて行った。死んでしまえ! 滅んでしまえ!」とは言いません。「おお、私は死んでもよいので、あなた達は永遠に祝福を受けなさい」と言うのです。モーセが手を挙げて、「神様、私より勇猛なあのイスラエル民族を御覧ください。彼らの将来を保護してください! どれほど希望に満ちた彼らだろうか!」と祈るのです。神様は、「ああ、立派な指導者だ! あなたの祈りどおりにしてあげよう! お前は平安に永眠しなさい」と言うというのです。どれほど素晴らしい死でしょうか!
(189-249 ~ 250、1989.4.9)


8.聖書の女性たち

神様の摂理の経綸において、女性たちの偉大な信仰と献身が重要な役割を果たした。イスラエルの母たちからイエスの生涯の中の重要な女性たちに至るまで、聖書は、相当な個人的代価を払いながら神様のみ旨のために努力した女性たちに関して記録している。昔の女性が生きていくのは簡単ではなかったが、このような女性たちは、神様への強い信仰を維持しながら、環境を克服するために努力してきた。

夫アブラハムを助けるために、サラは多くの逆境を克服したのであり、さらにはパロの女性になる冒険もした。バテシバは、自分の夫を殺したダビデ王の妻になったが、ダビデ王に忠誠を尽くすごとによって死んだ夫が栄誉を受けるようにしなければならないという一貫した態度で苦痛に耐えた。

一方、リベカは、息子のヤコブが神様のみ旨を具現するために選ばれたことを知ったために、息子を助けるために夫をだました。ヤコブとエサウのような立場にいたラケルとレアは、姉妹間の競争関係で互いに争った。タマルとマリヤは、神様が願われる婚外の子女を生むために自分の人生を黙って捧げた。マグダラのマリヤは、イエスヘの献身的模範を見せたが、これは12 弟子たちの人生よりも優れた事例として数えられる。

文鮮明先生は、このような女性たちの格別な人生を貫く脈絡を読み取る。彼女たちは、神様の真の血統を準備するために神様の摂理に選択された女性たちである。したがって、神様は、彼女たちの偉大な信仰的基盤を通して、女性エバの失敗を復帰できるよう、彼女たちを現実に挑戦する環境に置いたことを私達は読み取ることができる。


①サラ

―宗教経典―

その地方に飢饉があった。アブラムは、その地方の飢饉がひどかったので、エジプトに下り、そこに滞在することにした。エジプトに入ろうとしたとき、妻サライに言った。「あなたが美しいのを、私はよく知っている。エジプト人があなたを見たら、『この女はあの男の妻だ』と言って、私を殺し、あなたを生かしておくにちがいない。どうか、私の妹だ、と言ってください。そうすれば、私はあなたのゆえに幸いになり、あなたのお陰で命も助かるだろう。」

アブラムがエジプトに入ると、エジプト人はサライを見て、大変美しいと思った。ファラオの家臣たちも彼女を見て、ファラオに彼女のことを褒めたので、サライはファラオの宮廷に召し入れられた。アブラムも彼女のゆえに幸いを受け、羊の群れ、牛の群れ、ろば、男女の奴隷、雌ろば、らくだなどを与えられた。
ところが主は、アブラムの妻サライのことで、ファラオと宮廷の人々を恐ろしい病気にかからせた。ファラオはアブラムを呼び寄せて言った。「あなたは私に何ということをしたのか。なぜ、あの婦人は自分の妻だと、言わなかったのか。なぜ、『私の妹です』などと言ったのか。だ
からこそ、私の妻として召し入れたのだ。さあ、あなたの妻を連れて、立ち去ってもらいたい。」ファラオは家来たちに命じて、アブラムを、その妻とすべての持ち物と共に送り出させた。
創世記12.10 ~ 20(キリスト教)


―み言選集―

アブラハムが出発しようと言うとき、「早く行きましょう」と言ったサラのような人を考えてみてください。アブラハムがサラに、パロの前では兄と妹の関係にしようと言ったとき、サラがどのように思ったでしょうか。「この夫は、これほど苦労させて引っ張り出してきたと思ったら、今度は妻をやめて兄と呼べと言う」、このように思うこともできたのです。

彼らは道を行く途中で夕立が来てもそのまま行ったでしょう。ジプシーの群れになった彼らに、誰が一皿の食事でももっていってあげたでしょうか。きょうはこっちに、あすはあっちにとさまようそのような生活をしたのですが、そのように苦労したことを思えば、サラはアブラハムに対して、「この夫は、夜見ても、昼見ても、朝見ても、運のない夫になった。それなのに、夫の自分を兄と言えとは……」、このように思うこともできたのです。

そのような受難を経てくる中でも、サラはアブラハムの希望の道と一致することができ、何の衝突もなく一つになることができました。理想的な主体がいても、理想的な相対がいなければなりません。理想的な主体であるアブラハムの前に理想的な相対が出てきたのですが、その理想的な相対を打とうとするときは、完全な理想的主体の前に完全な理想的相対型がいるのに、これを打とうとするときは、神様が「おい、こいつ!」とおっしゃることができるのです。
(49-144、1971.10.9)

アベルよりも劣ったノアになってはいけないのであり、ノアよりも劣ったアブラハムになってはいけないのです。それでは、アブラハムの何がノアよりも優れているのでしょうか。アブラハムの妻は、アブラハムが兄と妹のように振る舞おうと言ったときも、「はい!」と言って従いました。

ところが、ノアが「妻よ、あなたと私は兄と妹のように振る舞いましょう」と言うとき、彼の妻
は反対する立場に立ったのです。そのような点からアブラハムの家庭はノアの家庭よりも優れていたのです。ノアの家庭は反対する立場でした。ノアの息子ハムは、そのように不平不満でいっぱいの母親から教育を受けたので、自分勝手に行動するようになったのです。しかし、アブラハムと一つになった母サラの懐で育ったイサクは、命が断ち切られる場でも父の命令に従いました。そのような点で、アブラハムの家庭はノアの家庭よりも優れていました。
(46-322、1971.8.17)

アブラハムは自分でも知らずに、アダムの家庭の立場を蕩減復帰する象徴的な条件を立てるために、このような摂理路程を歩まなければならなかったのである。アダムとエバが未完成期において、まだ兄妹のような立場にいたとき、天使長がエバを奪っためで、その子女たちと万物世界のすべてが、サタンの主管下に属するようになった。

したがって、アブラハムがこれを蕩減復帰するた
めの条件を立てるためには、既に明らかにしたように、兄妹のような立場から、妻サライを、いったんサタンの実体であるパロに奪わせたのち、彼の妻の立場から、再び彼女を取り返すと同時に、全人類を象徴するロトと、万物世界を象徴する財物を取り返さなければならなかったのである(創14・16)。このようなアブラハムの路程は、後日イエスが来て歩まなければならない典型路程とな
るのである。(注26)
原理講論、復帰基台摂理時代3.1.2.1

 

②リベ力

―宗教経典-

リベカは、イサクが息子のエサウに話しているのを聞いていた。エサウが獲物を取りに野に行くと、リベカは息子のヤコブに言った。「今、お父さんが兄さんのエサウにこう言っているのを耳にしました。『獲物を取って来て、あのおいしい料理を作ってほしい。私は死ぬ前にそれを食べて、主の御前でお前を祝福したい』と。私の子よ。今、私が言うことをよく聞いてそのとおりにしなさい。家畜の群れのところへ行って、よく肥えた子山羊を二匹取って来なさい。私が、それでお父さんの好きなおいしい料理を作りますから、それをお父さんのところへ持っで行きなさい。お父さんは召し上がって、亡くなる前にお前を祝福してくださるでしょう。」

しかし、ヤコブは母リベカに言った。「でも、エサウ兄さんはとても毛深いのに、私の肌は滑らかです。お父さんが私に触れば、だましているのが分かります。そうしたら、私は祝福どころか、反対に呪いを受けてしまいます。」母は言った。「私の子よ。そのときにはお母さんがその呪いを引き受けます。ただ、私の言うとおりに、行って取って来なさい。」
創世記27.5 ~ 13(キリスト教)

エサウは、父がヤコブを祝福したことを根に持って、ヤコブを憎むようになった。そして、心の中で言った。「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる。」

ところが、上の息子エサウのこの言葉が母リベカの耳に入った。彼女は人をやって、下の息子のヤコブを呼び寄せて言った。「大変です。エサウ兄さんがお前を殺して恨みを晴らそうとしています。私の子よ。今、私の言うことをよく聞き、急いでハランに、私の兄ラバンの所へ逃げて行きなさい。そして、お兄さんの怒りが治まるまで、しばらく伯父さんの所に置いてもらいなさい。そのうちに、お兄さんの憤りも治まり、お前のしたことを忘れてくれるだろうから、そのときには人をやってお前を呼び戻します。一日のうちにお前たち二人を失うことなど、どうしてできましょ
う。」

リベカはイサクに言った。「私は、ヘト人の娘たちのことで、生きているのが嫌になりました。もしヤコブまでも、この土地の娘の中からあんなヘト人の娘をめとったら、私は生きているかいがありません。」

イサクはヤコブを呼び寄せて祝福して、命じた。「お前はカナンの娘の中から妻を迎えてはいけない。ここをたって、パダン・アラムのベトエルおじいさんの家に行き、そこでラバン伯父さんの娘の中から結婚相手を見つけなさい。
創世記27.41 ~ 28.2 (キリスト教)


―み言選集―

歴史時代に神様のために自分の生命、財産、歴史的伝統やすべてのものを断ち切り、大々的な革命、天の愛の道を取り戻すために大革命をする一人の女性が必要だという結論が出てきます。

ヤコブがイスラエルになるにおいて、自分の母の後援がなかったならば、イスラエルという名前さえ、祝福さえ受けることができなかったのです。長子の特権を奪って祝福を受けることができる位置に立つことができないのです。その母は、自分の上の息子をだまし、夫をだまし、下の息子と一つになりました。

神様のみ旨のためにだましたのです。これが違うのです。長子の特権を奪うということが世の中にありますか。それを見れば、ヤコブも詐欺師であり、母もうそつきです。これがなぜ聖書にあるのですか。神様のみ旨がなぜこのように出発しなければならないのかというのです。これを今まで知らなかったのです。
サタン世界で神様の息子、娘が祝福を奪い、長子の特権を奪ったというのは、すべての世の中を取り戻してくる条件として神様が許諾したのです。ところが、サタン世界に行って公に「おいおい、お前、私はすべての特権を奪いにきたのだから、私と相談してサインしなさい」、このようにしてよいのですか。いけません。それではどのようにしなければなりませんか。「あなたがしたとおり
に私もしなければならない。あなたがしたとおりに私もする」と言うのです。

もともとあなたがしたとおりに私もするというのです。あなたがそのように奪っていったので、私もそのように奪ってくるということです。

それでは、サタンがどのようにして奪っていきましたか。うそをついたのです。その次には、アダムをだましました。息子をだまし、父をだましました。息子と父をだましたのです。さらには、夫までだましました。ですから、「あなたがそのようにしたので、私もそのようにする、こいつ!」と言って奪ってくるのです。天のお父様が天の側なので、天のお父様を中心として女性が一つになります。サタンとエバが一つになって堕落したので、神様と女性が一つになって復帰しなければなりません。女性がサタンと一つになり、アダムを引っ張っていって堕落したので、神様と女性が一つになって男性を引っ張ってくるのです。

その場とは何かというと、神様を中心とするリベカとヤコブが一つになってここに引っ張ってくる場です。自分の息子と夫を引っ張ってくるのです。このために、このようなことがあったというがすべて理解できました。
(105-18 ~ 120、1979.10.4)

エサウが母とヤコブに対して死ぬまで不満をもっている限り、その家庭は永遠に一つになれません。エサウと父を屈服させなければなりません。自然に「称賛します」と言うようにしなければなりません。息子のエサウも、父のイサクも称賛する場に立たなければ本然の位置に戻れません。


ですから、息子と父から母が精誠と苦労で涙を流し、間違っていたと悔い改め、100 回謝罪し、1000 回謝罪して赦されたとしても、ヤコブが現れるとき、その父の心、エサウの心が母の心と同じになれるかが問題です。ここから自然屈服という論理が生まれるのです。カインの立場であるエサウとサタン側の立場である父を自然屈服させなければ、復帰がなされません。

そのようにしようとすれば、その母親がヤコブの何百倍をしなければなりません。それでエサウが、ヤコブが帰ってきても殺さないと何度も約束し、何度も繰り返し誓って実行できるようにするために、母親がエサウをどれほど内外に感化させたでしょうか。母親がそのような責任を果たしたことを皆さんは知らなければなりません。
(244-240 ~ 241、1993.2.14)

エバが堕落するとき、サタンを中心として一つになりました。それでは、エバはどのような存在であり、どのような立場に立ったのでしょうか。神様を否定し、夫を否定する立場に立ったのです。ですから、戻っていくときは、男性が先に戻っていくことはできません。このようなことを蕩減復帰するためには、サタン世界の父と同じであり、サタン世界の夫と同じこのようなものに反対する女性がいなければなりません。そのような女性でなければ、こちらに戻ってくることはできないという結論が出てきます。この公式を中心として、宗教は発展してくるのです。

本来の宗教は、男性の宗教ではなく、新婦の宗教だということを知らなければなりません。ですから、女性たちが宗教生活することに、いつも男性たちは反対するのです。女性たちが神様を求めていく道では、いつもサタンが反対し、男性たちが反対するというのです。
(89-208、1976.11.22)

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世界経典-36

2022年05月29日 15時24分46秒 | 学習


④ソドムとゴモラのためのアブラハムの嘆願

―宗教経典―

主は言われた。「私が行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか。アブラハムは大きな強い国民になり、世界のすべての国民は彼によって祝福に入る。私がアブラハムを選んだのは、彼が息子たちとその子孫に、主の道を守り、主に従って正義を行うよう命じて、主がアブラハムに約束したことを成就するためである。」
創世記18.17 ~ 19(キリスト教)

主は言われた。「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。私は降りて行き、彼らの行跡が、果たして、私に届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。」

その人たちは、更にソドムの方へ向かったが、アブラハムはなお、主の御前にいた。アブラハムは進み出て言った。「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきでばありませんか。」

主は言われた。「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」アブラハムは答えた。「塵あくたにすぎない私ですが、あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。それでもあなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」

主は言われた。「もし、四十五人いれば滅ぼさない。」アブラハムは重ねて言った。「もしかすると、四十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その四十人のために私はそれをしない。」アブラハムは言った。「主よ、どうかお怒りにならずに、もう少し言わせてください。もしかすると、そこには三十人しかいないかもしれません。」

主は言われた。「もし三十人いるなら私はそれをしない。」アブラハムは言った。「あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、二十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その二十人のために私は滅ぼさない。」

アブラハムは言った。「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。もしかすると、十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その十人のために私は滅ぼさない。」主はアブラハムと語り終えると、去って行かれた。アブラハムも自分の住まいに帰った。
創世記18.20 ~ 33(キリスト教)


―み言選集―

ソドムとゴモラの城は、神様から審判の刑罰を受けて当然の所だったのであり、アブラハムがいる所とは関係のない地域でした。しかし、アブラハムはソドムとゴモラの城が天のみ旨を知っていようと知るまいと、その民族が打たれようと打たれまいと何の関係もない人でしたが、天の前に摂理的な使命感をもっただけではなく、果たさなければならないという責任を感じたので、昼も夜もソドムとゴモラの城に対して残念に思い、心配したのです。そのようなアブラハムの内的心情が表れているのがここに書かれたみ言です。

6000 年歴史の終結時期を迎えた今日、皆さんが安らかに眠り、良い服を着て、おいしいものを食べるのは、自分が優れているからではありません。皆さんがそのように思っていては大変なことになります。

今日の世の中がこのようになっても維持し続けていくのは、皆さんの知らない人たちが背後で隠れた根になり、血涙を流す訴えの祭壇を積んでいるからです。皆さんはこのような事実をすべての人たちに知らせてあげるべき使命があるのです。

もしソドムとゴモラの城の中に、アブラハムの懇切な祈祷が天上に届き、神様と一問一答していた事実を知る群れがいたら、また、その群れの中に、アブラハムが認める義人が何人かでもいれば、アブラハムは天に懇切に訴え、ソドムとゴモラに下される審判を避けることのできる条件を提示したでしょう。

アブラハムはソドムとゴモラの城がいくら悪かったとしても、そこには何人かの義人がいることを条件として、神様に「公義で判断され、審判される父よ、義人と悪人を共に火で審判するのはお父様のみ旨ではないではないですか」と訴えることができたでしょう。

しかし、自分自身だけが、自分独りだけがソドムとゴモラを代表し、祈祷するようになることを感じたとき、アブラハムの寂しさは言い表せないほど大きかったことを皆さんは知らなければなりません。
(1-139 ~ 140、1956.7.1)

このソドムとゴモラのような地獄! これに着手してすべて解決できない日には、地上天国が滅びるのです。現在の世界の若者たちを滅ぼし得るものをアメリカがもっているというのです。麻薬の巣窟であり、淫乱の巣窟であり、あらゆる腐敗の巣窟です。それを私の手で収拾しようと思います。
(105-324、1979.10.28)

これからは、日記帳に先生が自分を何度プッシュしたか記しておいてください。100、200、2000、2 万、これが多ければ多いほど先生と同じ役事が続くのです。先生が役事する上に皆さんの名前が残り得るのです。……

それで、アメリカに来て、できる限り多くのことをしながら、多くのアメリカの人たちを苦労させるのです。そのようにして発展すれば、アメリカの福になるのであり、アメリカが神様の下さった責任を果たせなかったことを終息させることができる一つの蕩減条件になります。

そうすれば、私が、「この人たちを見てお赦しください」と祈祷できます。「神様! アメリカは滅んでも、彼らを見て滅ばないように……」。ソドムとゴモラが滅びるとき、義人が10 人いれば赦すと言われたのと同じように、「このアメリカは滅んで当然ですが、このような彼らを中心としてお赦しください!」と祈祷できるのです。
(103-200、1979.2.25)


4.イサク

アブラハムが直面した信仰の試練の中で、息子を燔祭の祭物として捧げなさいという命令より困難なことはなかった。しかし、アブラハムは、神様の命令に従った。

彼は、息子と共にモリヤ山に登っていき、息子を縛って祭壇にあげたのち、葬ろうとした正にその瞬間、天使が現れて止めた。イスラームの伝統では、この息子がイシマエルだとしているが、聖書はこの息子がイサクだと明らかにしている。

モリヤ山に行く途中、イサクの信仰も、アブラハムの信仰のように試練を受けた。イサクはこれから何が起きるか理解できるだけの年齢になっていた。しかし彼は、たとえ命を捧げても、父の願いに従うことを決心した。このような点から彼は模範的な息子である。

文鮮明先生は、私達に問う。あなたは神様の祭壇で死ぬ準備をしたイサクの信仰をもっているか。神様のみ旨のために必要であれば愛する息子を死に追いやるアブラハムの信仰をもっているか。私達は、父母の信仰を協助する準備ができているイサクの信仰をもった子女として育てているか。

―宗教経典―

これらのことの後で、神はアブラハムを試された。神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。私が命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」

次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、アブラハムは若者に言った。「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。私と息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」

アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物
を手に待った。二人は一緒に歩いて行った。イサクは父アブラハムに、「私のお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。私の子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」アブラハムは答えた。「私の子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。

神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。(注14)そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。

そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、私にささげることを惜しまなかった。」

アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。

アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。

主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。御使いは言った。「私は自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたが私の声に聞き従ったからである。」アブラハムは若者のいるところへ戻り、共にベエル・シェバヘ向かった。アブラハムはベエル・シェバに住んだ。
創世記22.1 ~ 18(キリスト教)

アブラハムとイサクがモリヤ山に行く途中、老人に扮装したサタンに出会った。サタンは、「アブラハム、あなたはどこに行かれる途中ですか」と尋ねた。アブラハムは、「私は今、祈りに向かう途中です」と答えた。

「それでは、たきぎと火と剣はなぜもっていくのですか」、「私達はモリヤ山で何日が過ごすの
で、そこでそれらを使って食べ物をつくる予定です」、「あなたは年を取っており、またあなたの妻サラが生んだひとり息子、イサクを連れていますが、それでもあなたの息子を喜んで祭物として捧げるつもりですか」とサタンが嘲弄して尋ねた。
「神がそのようにせよと私に命じられたので、そのようにしなければならない」とアブラハムが答えた。
今度はサタンがイサクに近づき、「イサクよ、おまえは今どこに向かっている途中か」と尋ねた。「神の知恵を学びにいく途中です」とイサクが言った。「おまえは死んでからそのような知恵を学ぶつもりか。あなたの父はおまえを祭物として捧げようとしているのに」。「もし神が、私を祭物として捧げられることを願われるのなら、私は喜んでそのみ意に従います」。……

彼らが天のみ意に従っていこうとする道でイサクが父に尋ねた。「お父さん、私はまだ幼いので、剣を見て祭壇で震え、もしやお父さんを動揺させてしまうか心配です。完全な祭物を捧げたいのですが、私のために祭物が完全なものにならないか恐れています」。(注15)
創世記ラッバー56(ユダヤ教)

それでわれは、優しい思いやりのある一男児の吉報を伝えた。この子がかれと共に働く年ごろになったとき、かれは言った「むすこよ、わしはおまえを、犠牲にささげるのを夢に見る、さあ、おまえは何んと考えるか」と。かれは答えて言った「父よ、あなたが命ぜられたようにして下さい。もし神のおぼしめしならば、私は耐え忍ぶ者であることが、あなたにおわかりでしょう」。

そこでかれら両人は命に服し、かれが額で地にうつぶせになったとき、われはかれに告げた「アブラハムよ」、「なんじは、確かにあの夢を実践した」。まことにわれは、このように正しい行いの者に報いる。これは明らかに一試練であった。われは大きな犠牲で、かれをあがない、われは後の幾世代にわたり、かれのためこの祝福をとどめ、「アブラハムの上に平安あれ」とたたえさせた。

このようにわれは、正しい行いの者に報いる。まことにかれは、わが信心深いしもべであった。またわれは正しい人物、予言者イサクの吉報をかれに伝えた。そしてわれは、かれとイサクを祝福した。(注16)
クルアーン37.101 ~ 113 (イスラーム)

信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。この独り子については、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。

アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。
ヘブライ人への手紙11.17 ~ 19(キリスト教)

アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。息子イサクとイシマエルは、マクペラの洞穴に彼を葬った。その洞穴はマムレの前の、ヘト人ツォハルの子エフロンの畑の中にあった。(注17)
創世記25.8 ~ 9(キリスト教)


―み言選集―

アブラハムは、祝福を成し遂げるために100 歳で得たイサクまで神様に燔祭として捧げなさいという命令を受けたとき、それに従いました。その命令は歴史上になかった一つの冒険的な条件になる命令でした。

それは天地の代身として、天上のことや地上のことなど、億千万事を左右する条件でしたが、これを知らなくてもアブラハムはイサクを祭物として捧げなさいというその命令を受けたあと、息子を祭壇に置いて祭祀を捧げようとしたのです。

愛する息子を祭物とし、剣を上げて切りつけようとしていたアブラハムを、皆さん考えてみてください。これは、それこそ超現実的な儀式でした。その当時に誰がアブラハムのそのような信仰を認めることができたでしょうか。アブラハムが提示したこの冒険的な行動は、すなわちアブラハムが天に属した体であり、アブラハムの家族が天に属した体なので、アブラハムはもちろん、彼の家族と彼のすべての物質までも神様の命令に従わなければならないことを示しているのです。このような事実をアブラハムは、一人しかいない息子を燔祭として捧げる過程で悟りました。

それでアブラハムは、「この息子は私が生みましたが、あなたのものなので、あなたに捧げます」という心でイサクを献祭しようとしたのであり、現実的な環境を打開したのです。このような歴代の先祖たちの信仰の中心を皆さんは悟らなければなりません。
(1-265 ~ 266、1956.12.2)

アブラハムが「象徴献祭」に失敗したのち、再び神はアブラハムにイサクを燔祭としてささげよと命令された(創22・2)。それによって、「象徴献祭」の失敗を蕩減復帰する新たな摂理をされたのである。……

神のみ旨に対するアブラハムの心情や、その絶対的な信仰と従順と忠誠からなる行動は、既に、彼
をしてイサクを殺した立場に立てたので、イサクからサタンを分離させることができた。したがって、サタンが分離されたイサクは、既に天の側に立つようになったので、神は彼を殺すなと言われたのである。

「今知った」と言われた「今」という神のみ言には、アブラハムの象徴献祭の過ちに対する叱責と、イサク献祭の成功に対する神の喜びとが、共に強調されていることを、我々は知らなければならない。

このように、アブラハムがイサク献祭に成功することによって、アブラハムを中心とする復帰摂理は、イサクを通じて成し遂げていくようになっていたのであった。(注18)
原理講論、復帰基台摂理時代3.1.2.2

イサク献祭のときのイサクの年齢は、明らかではない。しかし彼が燔祭の薪を背負って行ったばかりでなく(創22・6)、燔祭の小羊がないのを心配げに、それがどこにあるかと、彼の父親に尋ねてみているところから(創22・7)推測すると、彼は既にみ旨が理解できる年齢になっていたことは明らかである。

そこで、我々はアブラハムが燔祭をささげるとき、イサク自身も、それを協助したのであろうということが推測できるのである。このように、み旨に対して物事の道理が分別できる程度の年齢になっていたイサクが、もしも、燔祭のために自分を殺そうとする父親に反抗したならば、神はそのイサク献祭を受けたはずがないのである。

ゆえに、アブラハムの忠誠と、それに劣らないイサクの忠誠とが合致して、イサク献祭に成功し、サタンを分立することができたと見なければならない。したがって、献祭を中心として、イサクとアブラハムとが共に死んだ立場からよみがえることによって、第一に、アブラハムは、「象徴献祭」の失敗によって侵入したサタンを分立し、失敗以前の立場に蕩減復帰して、その立場から自分の摂理的な使命をイサクに継がせることができ、つぎにイサクにおいては、彼がみ旨の前に従順に屈伏することにより、アブラハムからの使命を受け継ぎ、「象徴献祭」をささげるための信仰を立てることができたのである。(注19)
原理講論、復帰基台摂理時代3.1.2.3

お父様の前に祭物として捧げられるべき、私達自身であるにもかかわらず、そうできませんので、
お父様が追いやってでも、引っ張ってでも、あなたの祭壇まで私達を導いてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。

分別のつかないイサクを連れ、モリヤ山に向かっていくアブラハムに、その子供のイサクが、祭物として使う羊はどこにありますかと聞いたときに、
「それはお前が心配することではない」と言った
アブラハムの心を察する時ごとに、その父母の心を察する時ごとに、私達を導いてくださるお父様の心に、そのどれほど悲しみが前に立っているかを感じるものでございます。
(48-57、1971.9.5)


5.ヤコブ

ヤコブは、聖書で最も偉大な勝利者であると同時に、最も多くの問題を起こした人である。彼は、賢く野心をもっていたが、兄エサウをだまして長子権を奪い、父イサクをだまして兄の祝福を横取りした。しかし、ハランで苦難を経験し、おじのラバンにだまされて不当な待遇を受けながら彼は成熟していった。

こうして彼は、彼に敵対する兄を贈り物と謙遜さで克服できたのである。ヤコブの人生の反転を通して私達は、神様に対するヤコブの純粋な信仰と、ヤコブの先祖アブラハムとイサクの神様に対する伝統を守り、永続させようとする熱望を悟ることができる。

文鮮明先生は、ヤコブが旧約聖書で最も成功した摂理的な人物であると高く評価する。彼の兄エサウと和解することによって、ヤコブは聖書の歴史で敵を愛と犠牲で屈服させた最初の人物になった。
文鮮明先生は、ヤコブの行跡を神様の摂理(人間の堕落によってすべてのものが逆さまになったことを立て直すための復帰過程)と規定される。このような見解によれば、ヤコブは摂理的な次元で多くのものを復帰した人物だった。

天使を屈服させることによってヤコブは、天使長ルーシェルに屈服したアダムの失敗を初めて復帰したのであり、彼の兄エサウから勝利することによってヤコブは初めてカインとアベルの失敗を復帰した。ヤコブは、文鮮明先生のモデルの役割となる人物であり、また逆境を克服し、過去の過ちを回復しなければならないとき、神様は私達に
ある責任を賦与されるという事実を感知する大部分の摂理的な人物にも、モデルの役割となる人物である。したがって、彼は「神様と共に戦う人」の意味で「イスラエル」の称号を受けるにふさわしい人物である。


①ヤコブとエサウの競争

―宗教経典―

イサクは、妻に子供ができなかったので、妻のために主に祈った。その祈りは主に聞き入れられ、妻リベカは身ごもった。ところが、胎内で子供たちが押し合うので、リベカは、「これでは、私はどうなるのでしょう!と言って、主の御心を尋ねるために出かけた。主は彼女に言われた。「二つの国民があなたの胎内に宿っており、二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。一つの民が他の民より強くなり、兄が弟に仕えるようになる。」

月が満ちて出産の時が来ると、胎内にはまさしく双子がいた。先に出てきた子は赤くて、全身が
毛皮の衣のようであったので、エサウと名付けた。その後で弟が出てきたが、その手がエサウのかかと(アケブ)をつかんでいたので、ヤコブと名付けた。リベカが二人を産んだとき、イサクは六十歳であった。創世記25.21 ~ 26(キリスト教)
二人の子供は成長して、エサウは巧みな狩人で野の人となったが、ヤコブは穏やかな人で天幕の周りで働くのを常とした。イサクはエサウを愛した。狩りの獲物が好物だったからである。しかし、リベカはヤコブを愛した。

ある日のこと、ヤコブが煮物をしていると、エサウが疲れきって野原から帰って来た。エサウはヤコブに言った。お願いだ、その赤いもの(アドム)、そこの赤いものを食べさせてほしい。私は疲れきっているんだ。」彼が名をエドムとも
呼ばれたのはこのためである。

ヤコブは言った。[まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい」とエサウが答えると、ヤコブは言った。「では、今すぐ誓ってください。」エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲ってしまった。ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えた。エサウは飲み食いしたあげく立ち去って行った。こうしてエサウは、長子の権利を軽んじた。創世記25.27~34(キリスト教)
イサクは年をとり、目がかすんで見えなくなってきた。そこで上の息子のエサウを呼び寄せて、「息子よ」と言った。エサウが、「はい」と答えると、イサクは言った。「こんなに年をとったので、私はいつ死ぬか分からない。今すぐに弓と矢筒など、狩りの道具を持って野に行き、獲物を取って来て、私の好きなおいしい料理を作り、ここへ持って来てほしい。死ぬ前にそれを食
べて、私自身の祝福をお前に与えたい。」

リベカは、イサクが息子のエサウに話しているのを聞いていた。エサウが獲物を取りに野に行くと、リベカは息子のヤコブに言った。「今、お父さんが兄さんのエサウにこう言っているのを耳にしました。『獲物を取って来て、あのおいしい料理を作ってほしい。私は死ぬ前にそれを食べて、主の御前でお前を祝福したい』と。私の子
よ。

今、私が言うことをよく聞いてそのとおりにしなさい。家畜の群れのところへ行って、よく肥えた子山羊を二匹取って来なさい。私が、それでお父さんの好きなおいしい料理を作りますから、それをお父さんのところへ持って行きなさい。お父さんは召し上がって、亡くなる前にお前を祝福してくださるでしょう。」

しかし、ヤコブは母リベカに言った。「でも、エサウ兄さんはとても毛深いのに、私の肌は滑らかです。お父さんが私に触れば、だましているのが分かります。そうしたら、私は祝福どころか、反対に呪いを受けてしまいます。」

母は言った。「私の子よ。そのときにはお母さんがその呪いを引き受けます。ただ、私の言うとおりに、行って取って来なさい。」ヤコブは取りに行き、母のところに持って来たので、母は父の好きなおいしい料理を作った。

リベカは、家にしまっておいた上の息子エサウの晴れ着を取り出して、下の息子ヤコブに着せ、子山羊の毛皮を彼の腕や滑らかな首に巻きつけて、自分が作ったおいしい料理とパンを息子ヤコブに渡した。
ヤコブは、父のもとへ行き、「私のお父さん」と呼びかけた。父が、「ここにいる。私の子よ。誰だ、お前は」と尋ねると、ヤコブは言った。「長男のエサウです。お父さんの言われたとおりにしてきました。さあ、どうぞ起きて、座って私の獲物を召し上がり、お父さん自身の祝福を私に与えてください。」

「私の子よ、どうしてまた、こんなに早くしとめられたのか」と、イサクが息子に尋ねると、ヤコブは答えた。「あなたの神、主が私のために計らってくださったからです。」

イサクはヤコブに言った。「近寄りなさい。私の子に触って、本当にお前が息子のエサウかどうか、確かめたい。」ヤコブが父イサクに近寄ると、イサクは彼に触りながら言った。「声はヤコブの声だが、腕はエサウの腕だ。」

イサクは、ヤコブの腕が兄エサウの腕のように毛深くなっていたので、見破ることができなかった。そこで、彼は祝福しようとして、言った。「お前は本当に私の子エサウなのだな」ヤコブは、「もちろんです」と答えた。イサクは言った。「では、お前の獲物をここへ持って来なさい。それを食べて、私自身の祝福をお前に与えよう。」

ヤコブが料理を差し出すと、イサクは食べ、ぶどう酒をつぐと、それを飲んだ。それから、父イサクは彼に言った。「私の子よ、近寄って私に口づけをしなさい。」ヤコブが近寄って口づけをすると、イサクは、ヤコブの着物の匂いをかいで、祝福して言った。

「ああ、私の子の香りは、主が祝福された野の香りのようだ。どうか、神が天の露と地の産み出す豊かなもの、穀物とぶどう酒を、お前に与えてくださるように。多くの民がお前に仕え、多くの国民がお前にひれ伏す。お前は兄弟たちの主人となり、母の子らもお前にひれ伏す。お前を呪
う者は呪われ、お前を祝福する者は、祝福されるように。」

エサウは、父がヤコブを祝福したことを根に持って、ヤコブを憎むようになった。そして、心の中で言った。「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる。」

ところが、上の息子エサウのこの言葉が母リベカの耳に入った。彼女は人をやって、下の息子のヤコブを呼び寄せて言った。「大変です。エサウ兄さんがお前を殺して恨みを晴らそうとしています。私の子よ。今、私の言うことをよく聞き、急いでハランに、私の兄ラバンの所へ逃げて行きなさい。そして、お兄さんの怒りが治まるまで、しばらく伯父さんの所に置いてもらいなさい。」
創世記27.1 ~ 29、41 ~ 44(キリスト教)


―み言選集―

本来、神様の祝福を受けるためには、神様の祝福と愛を立てるにおいて長子でなければなりません。次子が神様のみ旨を相続するようにはなっていません。

堕落することによってどのようになったかというと、長子の位置にサタンの息子が先に生まれたのです。ですから、神様は、次子の位置から長子と入れ替わらなければ、神様のみ旨を相続できる道がないので、ヤコブとエサウにあったことのような、歴史にない矛盾したことを経綸せざるを得ないのです。(注20)
(102-177、1978.12.24)

神様の世界では、元から長子が祝福を受けるようになっているのであって、次子が祝福を受けるようになっていません。したがって、次子の立場で長子権を取り戻してこなければ、天の国の息子の位置に立てないだけでなく、祝福を受けることのできる原理基準を身代わりできないので……。
ヤコブが知恵深いのはどういうところですか。兄が狩りに行ってきたあとにおなかがすいていることを知り、パンどレンズ豆のあつものを与えて長子権を買ったという事実は驚くべきことです。それは、父をだましてでも、父が反対しても長子の権限を取り戻す権利があるので、そのようにしたのです。堕落したことを蕩減復帰するためには不可避だったのです。
(131-180 ~ 181、1984.5.1)

ヤコブは、「私がエサウ兄さんより何倍も粘り強く、父や母、神様に兄弟たちよりもよく仕えれば長子になる」と考えました。父母に仕えたり、神様に仕えるにおいて、兄弟を愛し、一族を接待するにおいて、エサウよりヤコブが優れているというときは、すべての人が兄エサウをほうり出してでも、ヤコブを兄にするという理論が成立するのです。

ヤコブはそれを望みました。ヤコブは本当に賢い人です。それは何かというと、ヤコブは出発と最後を見て闘う人です。ヤコブは最後を見て、遠い所を見つめて闘う人であり、エサウはその場の
現実を見て闘う人だということです。
(108-96、1980.6.29)

それで、兄の長子の特権をパンとレンズ豆のあつものを与えて買い、それをすべて奪ってこなければならないのです。羊の皮を腕に巻き、自分の父親をだまして祝福を受けたのですが、これがなぜ神様の経綸の中にあったのかということを、今まで誰も知りませんでした。

それは、なぜそのようにしなければならないのですか。神様の相続を受けるためには、長子の位置に行かなければならないというのが本来の創造理想の原則なのです。創造原理がそうです。それで、これを奪うには、ただそのまま奪うことはできません。兄が弟に売りました。売ったものを弟がもっていくのです。

ヤコブが悪いのではなく、エサウが悪いのです。長子の特権を売ったのです! ですから、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と言いました。そのように代を連結して相続することをヤコブは何よりも願ったのであり、貴く思いました。

それは何かというと、長子の位置に行かなければならないというのです。それで、20 年間死ぬほど苦労したのちにエサウ(注21)に会ったのですが、エサウはヤコブを殺そうとしました。

しかし、エサウはヤコブを殺さず、歓迎することによって、この地上に長子の特権を受け継ぐことのできる横的なイスラエル圏が成立したのです。

それでは、この堕落世界がどのようになったのかというと、長子として堕落した世界が生まれたのですが、次子である天側のヤコブが現れて長子の特権を奪ったので、また別の長子がこの地上に生まれたのと同じだというのです。

世界を中心として見るとき、イスラエルは長子圏世界において、神様のみ旨を中心としてまた別の長子と同じ立場で生まれたのです。二人の長子がいるのです。
国家的にそうです。ですから、このユダヤの国、選民圏とサタン世界のローマを中心とする全世界が、いつも対決するのです。長子の位置で闘います。それでは、選民圏とは何でしょうか。個人から、家庭から、すべてエサウの長子権を奪ったものです。
(102-177 ~ 178、1978.12.24)

長子権は復帰され、父親からの祝福はヤコブに与えられました。しかし、エサウはあまりにも怒り、前にカインがしたようにヤコブを殺そうとしたのです。
(55-112、1972.4.1)


②おじラバンの家でのヤコブの苦役

―宗教経典―

ラバンはヤコブに言った。「お前は身内の者だからといって、ただで働くことはない。どんな報酬が欲しいか言ってみなさい。」ところで、ラバンには二人の娘があり、姉の方はレア、妹の方はラケルといった。レアは優しい目をしていたが、ラケルは顔も美しく、容姿も優れていた。ヤコブはラケルを愛していたので、「下の娘のラケルをくださるなら、私は七年間あなたの所で働きます」と言った。

ラバンは答えた。「あの娘をほかの人に嫁がせるより、お前に嫁がせる方が良い。私の所にいなさい。」ヤコブはラケルのために七年間働いたが、彼女を愛していたので、それはほんの数日のように思われた。

ヤコブはラバンに言った。「約束の年月が満ちましたから、私のいいなずけと一緒にならせてください。」ラバンは土地の人たちを皆集め祝宴を開き、夜になると、娘のレアをヤコブのもとに連れて行ったので、ヤコブは彼女のところに入った。ラバンはまた、女奴隷ジルパを娘レアに召し使いとして付けてやった。

ところが、朝になってみると、それはレアであった。ヤコブがラバンに、「どうしてこんなことをなさったのですか。私があなたのもとで働い
たのは、ラケルのためではありませんか。なぜ、私をだましたのですか」と言うと、ラバンは答えた。

「我々の所では、妹を姉より先に嫁がせることは
しないのだ。とにかく、この一週間の婚礼の祝いを済ませなさい。そうすれば、妹の方もお前に嫁がせよう。だがもう七年間、うちで働いてもらわねばならない。」

ヤコブが、言われたとおり一週間の婚礼の祝いを済ませると、ラバンは下の娘のラケルもヤコブに妻として与えた。ラバンはまた、女奴隷ビルハを娘ラケルに召し使いとして付けてやった。こうして、ヤコブはラケルをめとった。ヤコブはレアよりもラケルを愛した。そして、更にもう七年ラバンのもとで働いた。

主はヤコブに言われた。「あなたは、あなたの故郷である先祖の土地に帰りなさい。私はあなたと共にいる。」ヤコブは人をやって、ラケルとレアを家畜の群れがいる野原に呼び寄せて、言った。

「最近、気づいたのだが、あなた達のお父さんは、私に対して以前とは態度が変わった、しかし、私の父の神は、ずっと私と共にいてくださった。あなた達も知っているように、私は全力を尽くしてあなた達のお父さんのもとで働いてきたのに、私をだまして、私の報酬を十回も変えた。

しかし、神は私に害を加えることをお許しにならなかった。お父さんが、『ぶちのものがお前の報酬だ』と言えば、群れはみなぶちのものを産むし、『縞のものがお前の報酬だ』と言えば、群れはみな縞のものを産んだ。神はあなた達のお父さんの家畜を取り上げて、私にお与えになったのだ。群れの発情期のころのことだが、夢の中で私が目を上げて見ると、雌山羊の群れとつがっている雄山羊は縞とぶちとまだらのものばかりだった。

そのとき、夢の中で神の御使いが、『ヤコブよ』と言われたので、『はい』と答えると、こう言われた。『目を上げて見なさい。雌山羊の群れとつがっている雄山羊はみな、縞とぶちとまだらのものだけだ。ラバンのあなたに対する仕打ちは、すべて私には分かっている。私はベテルの神である。かつてあなたは、そこに記念碑を立てて油を注ぎ、私に誓願を立てたではないか。さあ、今すぐこの土地を出て、あなたの故郷に帰りなさい。』」

ラケルとレアはヤコブに答えた。「父の家に、私達への嗣業の割り当て分がまだあるでしょうか。私達はもう、父にとって他人と同じではありませんか。父は私達を売って、しかもそのお金を使い果たしてしまったのです。神様が父から取り上げられた財産は、確かに全部私達と子供たちのものです。ですから、どうか今すぐ、神様があなたに告げられたとおりになさってください。」
創世記29.15 ~ 30、31.3 ~ 16(キリスト教)


―み言選集―

ヤコブは兄から長子権を買い、あとで神様の祝福を奪いました。そして、家を出ました。彼はハランの地に行き、おじの家で21 年間僕のように働きました。おじは彼にラケルをあげると約束しました。

しかし、7年後にヤコブをだましレアを与えました。皆さんであれば、すぐに飛びかかったでしょう。しかし、ヤコブは何も言わずにまた7年働き、結局、ラケルをもらいました。その後、おじラバンは、神様がヤコブに与えたすべてのものを奪おうとヤコブをだましました。それでもヤコブは不平を言わなかったのです。ここで私達は、ヤコブが最も孤独な境地でも神様のみ旨だけを考えたことを知らなければなりません。

彼の人生でほかのことは問題にならなかったのであり、重要なことは神様のみ旨を成し遂げることでした。それで彼は世の中からだんだんと遠くなりましたが、より多くの神様の愛を受けるようになりました。そして、21 年後には、神様が祝福してくださったすべてのものを再び取り戻し、カナンに帰ってきたのです。
(52-64、1971.12.22)

それでは、家族と親戚から追い出され、拒否される立場に立ったヤコブがその困難にどのように打ち勝てたのでしょうか。天から受けた祝福を忘れず、世の中が変わろうとどうなろうと私は変わらないという天に対する確固たる信仰があったからです。

ヤコブは、天が信じてくれなくても、私は私の家庭が全員信じるようにしよう、また祝福の遺業を取り戻し、天が摂理できる基盤をつくってさしあげようという信仰を提示したのです。そうしてヤコブは、アブラハムの家庭を通して立てようとしていた、その天倫のみ旨を継承しようという思いがあったので、21 年目に信仰の家庭を築いて帰ってくるようになりました。
(4-139 ~ 140、1958.330)

今皆さんは、ヤコブと同じ立場で「神様の祝福は私達にある」という立場に立ち、父母、兄弟の反対を受けて家から出てきたのです。ここで父母たちが反対し、兄弟たちがそれほど喜んでいない人は手を挙げてみてください。

それでは、どこに行くのですか。どこに行くのかというのです。ここではありません。ここには来られません。ヤコブが家を出て神様の前に行くことができましたか。ハランに行ったのです。故郷を離れて他の所に行くのです。
(67-123、1973.5.27)


③ヤコブと天使の格闘

―宗教経典―

皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。

「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」

「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、私の名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。ヤコブは、「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。(注22)
創世記32.24 ~ 31(キリスト教)


―み言選集―

天使が来た時ヤコブは、神様の使者として来たことを知りました。ですから、「私を滅ぼすための使命をもって来たのか、でなければ福を与えるための使命をもって来たのか」と問えば、「福を与えるために来た」と答えたので、「福をくれるならくれればいいのに、なぜくれないのか」と言えば、「責任分担が残っているのでそのままでは与えられない」と言うのです。

すなわち、ヤコブが相撲をして勝たなければ福を与えることができないというのです。言い換えれ
ば、命を懸けて闘わなければ与えられないというのです。そのような条件を懸けていて立った時、ヤコブは「よし、私の指が抜けても、私の腕が抜けても、絶対に負けはしない」と決心し、刀で打たれても放さず、首を切られても離れないという心をもって相撲をしたのです。どれくらい闘ったでしょうか。一晩中闘ったのです。お前が死ぬまで放さないという心で闘ったのです。

ここには、神様も立ち会い、サタンも立ち会っていました。それでは最後の決定をするその場で、ヤコブはどれだけ切ない思いだったでしょうか。天使が腰の骨を打ち、足の骨を折ってしまってもヤコブは放しませんでした。お前が死に、私が死に、二人とも死んだとしても、絶対放さないという思いだったのです。そのように何時間闘ったと思いますか。7 時間以上闘ったというのです。

それでもヤコブは絶対に譲歩できないというのです。そのような中で、ヤコブを見つめる神様の心はどれほど息詰まる思いだったでしょうか。神様は、「天使が今サタンを代表して闘っているので屈服してはいけない」と知らせてあげたかったのですが、そのようにできないので、どれほどあせるような思いでその時間を過ごしたか考えてみてください。

時間が過ぎて最後の決断を下すようになったとき、天使がいくら振り払おうとしても放さないので、そこで神様も公認し、サタンも公認したのです。ヤコブがそのような立場に立って、初めて天使が公認し、ついにイスラエルという名前をもつようになりました。

ヤコブが天使に勝利してイスラエルという名前をもらうようになったとき、天上世界ではどうだったでしょうか。やきもきしていた心が解放されて歓声をあげました。心に積もり積もった悲しみの深いため息をつき、「お父様!」と叫ぶその声の中には、2000 年の積もり積もった事情が問題ではありませんでした。

ヤコブが神様のために20 年間涙を流し、神様の首を抱きかかえる心情の因縁が、アダムとエバが堕落したその因縁を越えることができたので、イスラエルという称号を受けるようになったことを皆さんは知らなければなりません。
(20-229 ~ 230、1968.6.9)

ヤコブがハランでそのように粘り強く21 年間耐える訓練をしていなければ、ヤボク川で負けていたのです。21 年間闘ったすべてのことが、今日この時間に勝敗が決定することを知ったので、ヤコブは粘り強く最後まで……。底力をそこで養いました。その後、エサウを屈服させてこそ父母に会うようになるのです。これが復帰路程です。
(67-126 ~ 127、1973.5.27)

堕落とは何ですか。天使に屈服したことです。ですから、人間が天使を屈服させなければなりません。これに勝っておけば、霊的サタンの支配を受ける天使長の実体も屈服させることのできる道ができるのです。

ですから、神様は天使を送り、ヤコブを打つようにしたのです。それで、ヤコブはその闘いをする
とき、21 年分以上の力を尽くして闘いました。21 年間祝福された以上の精力を尽くし、力を尽くして闘ったのです。足が折れ、死んでも私はみ旨を成し遂げなければならないという、体は犠牲にしてもみ旨を成し遂げなければならないという信念が強かったのです。

このようにして、サタンが祝福してくれました。イスラエルという名前がここから出てきたのです。何に勝ったのですか。天使です。全天使世界に勝ったのです。そうすることによって、これかちヤコブが行く道は神様が協助するだけでなく、天使世界も屈服して協助しなければならないのです。このように霊的に勝ったので、霊的サタンが支配できなくなりました。ですから、エサウも屈服するようになるのです。
(92-285、1977.4.18)

それでは、なぜ天使はヤコブを祝福する前に、彼の腿を打ったのでしょうか。人間の堕落行為は、体のその部分、腿の誤用からもたらされたものでした。ですから、その罪ある部分を打つことにより、償いの法則は全うされたのです。

すなわち、旧約聖書にある「目には目を、歯には歯を」という法則からなされたのです。ですから、天使はヤコブを祝福することができたのです。
(55-113、1972.4.1)


④ヤコブとエサウの和解

―宗教経典―

ヤコブは、あらかじめ、セイル地方、すなわちエドムの野にいる兄エサウのもとに使いの者を遣わすことにし、お前たちは私の主人エサウにこう言いなさいと命じた。

「あなたの僕ヤコブはこう申しております。私はラバンのもとに滞在し今日に至りましたが、牛、ろば、羊、男女の奴隷を所有するようになりました。そこで、使いの者を御主人様のもとに送って御報告し、御機嫌をお伺いいたします。」

使いの者はヤコブのところに帰って来て、「兄上のエサウさまのところへ行って参りました。兄上様の方でも、あなたを迎えるため、四百人のお供を連れてこちらへおいでになる途中でございます」と報告した。


ヤコブは非常に恐れ、思い悩んだ末、連れている人々を、羊、牛、らくだなどと共に二組に分けた。
エサウがやって来て、一方の組に攻撃を仕掛けても、残りの組は助かると思ったのである。

ヤコブは祈った。「私の父アブラハムの神、私の父イサクの神、主よ、あなたは私にこう言われました。『あなたは生まれ故郷に帰りなさい。私はあなたに幸いを与える』と。私は、あなたが僕に示してくださったすべての慈しみとまことを受けるに足りない者です。かつて私は、一本の杖を頼りにこのヨルダン川を渡りましたが、今は二組の陣営を持つまでにな
りました。どうか、兄エサウの手から救ってください。私は兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、私をはじめ母も子供も殺すかもしれません。あなたは、かつてこう言われました。『私は必ずあなたに幸いを与え、あなたの子孫を海辺の砂のように数えきれないほど多くする』と。」


その夜、ヤコブはそこに野宿して、自分の持ち物の中から兄エサウヘの贈り物を選んだ。それは、雌山羊二百匹、雄山羊二十匹、雌羊二百匹、雄羊二十匹、乳らくだ三十頭とその子供、雌牛四十頭、雄牛十頭、雌ろば二十頭、雄ろば十頭であった。それを群れごとに分け、召し使いたちの手に渡して言った。

「群れと群れとの間に距離を置き、私の先に立って行きなさい。」また、先頭を行く者には次のように命じた。「兄のエサウがお前に出会って、『お前の主人は誰だ。どこへ行くのか。ここにいる家畜は誰のものだ』と尋ねたら、こう言いなさい。

『これは、あなたさまの僕ヤコブのもので、御主人のエサウさまに差し上げる贈り物でございます。ヤコブも後から参ります』と。」ヤコブは、二番目の者にも、三番目の者にも、群れの後について行くすべての者に命じて言った。「エサウに出会ったら、これと同じことを述べ、『あなたさまの僕ヤコブも後から参ります』と言いなさい。」ヤコブは、贈り物を先に行かせて兄をなだめ、その後で顔を合わせれば、恐らく快く迎えてくれるだろうと思ったのである。こうして、贈り物を先に行かせ、ヤコブ自身は、その夜、野営地にとどまった。

その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。

ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」
「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、私の名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。ヤコブは、「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。

ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。こういうわけで、イスラエルの人々は今でも腿の関節の上にある腰の筋を食べない。かの人がヤコブの腿の関節、つまり腰の筋のところを打ったからである。

ヤコブが目を上げると、エサウが四百人の者を引き連れて来るのが見えた。ヤコブは子供たちをそれぞれ、レアとラケルと二人の側女とに分け、側女とその子供たちを前に、レアとその子供たちをその後に、ラケルとヨセフを最後に置いた。ヤコブはそれから、先頭に進み出て、兄のもとに着くまでに七度地にひれ伏した。

エサウは走って来てヤコブを迎え、抱き締め、首を抱えて口づけし、共に泣いた。やがて、エサウは顔を上げ、女たちや子供たちを見回して尋ねた。「一緒にいるこの人々は誰なのか。」、「あなたの僕である私に、神が恵んでくださった子供たちです。」ヤコブが答えると、側女たちが子供たちと共に進み出てひれ伏し、次に、レアが子供たちと共に進み出てひれ伏し、最後に、ヨセフとラケルが進み出てひれ伏した。

エサウは尋ねた。「今、私が出会ったあの多くの家畜は何のつもりか。」ヤコブが、「御主人様の好意を得るためです」と答えると、エサウは言った。「弟よ、私のところには何でも十分ある。お前のものはお前が持っていなさい。」

ヤコブは言った。「いいえ。もし御好意をいただけるのであれば、どうぞ贈り物をお受け取りください。兄上のお顔は、私には神の御顔のように見えます。この私を温かく迎えてくださったのですから。どうか、持参しました贈り物をお納めください。神が私に恵みをお与えになったので、私は何でも持っていますから。」ヤコブがしきりに勧めたので、エサウは受け取った。
創世記32.3 ~ 33.10 (キリスト教)


―み言選集―

長子の位置に行かなければならないというのです。それで、20 年間死ぬほど苦労したのちにエサウに会ったのですが、エサウはヤコブを殺そうとしました。しかし、エサウはヤコブを殺さず、歓迎することによって、この地上に長子の特権を受け継ぐことのできる横的なイスラエル圏が成立したのです。
(102-178、1978.12.24)

彼は、兄エサウが自分を殺そうとしていることを知っていました。それでヤコブは、自分のすべての僕と財産を兄エサウにあげようと決めました。彼は、生涯かけて稼ぎ集めたすべてのものを兄エサウに与えようとしたのです。彼の心は、神様が兄エサウを罰せず、自分に祝福されたように兄を祝福してほしいと祈る思いでした。そのような理由でエサウはヤコブを殺そうとしなかったのであり、それでエサウもやはり神様から祝福を受けたのです。
(52-65、1971.12.22)
アベルが家庭に帰ってきて長子の職分を受け、神様の祝福を受けようとすれば、誰が公認しなければなりませんか。「あなたが長子の特権を私の代わりにもっているので、あなたが天の祝福を受けなければならない」という、このようなサインを誰がしてあげなければならないかというと、カインがしてあげなければなりません。カインがサインしなければ、カインが認めなければならないのです。同じように、エサウが認めなければヤコブが祝福を受けられないということです。

ヤコブが出ていって21 年間何をしたのでしょうか。自分の基盤をつくりました。氏族をつくり……。これをやらなければならないのです。すべての面においてエサウより優勢な基盤を築き、エサウを消化させなければなりません。

そのような運動をしなければなりません。そうしてこそ、神様が祝福してくださいます。イスラエルと祝福してくださったのと同じように、継続して祝福してくださるのです。それでお金もたくさんあり、羊もたくさんいて、すべての面でもっているものがエサウよりも多いというのです。母親との因縁をもち、父親との因縁をもち、物も送ってしきりにそのようにしました。兄にどんどん物を送ったのです。

それで、エサウが、「弟は恐ろしい。神様が本当に弟を祝福したのだなあ。長子の特権を売ったのは私の過ちだった。そうだ、私か間違ったのだから、私は弟に及ばない。これから弟が来たら反対してはいけない。歓迎しなければならない」と思ったのです。神様がアベルと同じようにされるのだなあということを分かったのです。これが私達の行くべき伝統の道です。このような公式は、どの時代にも適用されるのです。(注23)
(106-183 ~ 184、1979.12.30)

エサウは、ヤコブがハランで21 年間の苦役を終えて、天の側の妻子と財物とを得てカナンヘ帰ってきたとき、彼を愛し、歓迎したので(創33・4)、彼らは「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てることができたのである。

このように、彼らは、アダムの家庭のカインとアベル、ノアの家庭のセムとハムが、「実体献祭」に失敗したのを蕩減復帰することができたのである。このようにエサウとヤコブが「実体献祭」に成功した結果、既に、アダムの家庭から「実体基台」を蕩減復帰するために続いてきた縦的な歴史路程を、アブラハムを中心とする復帰摂理路程の中で、イサクの家庭で初めて、これを横的に蕩減復帰するようになったのである。

神はエサウを胎内より憎んだとロマ書9章11 節から13 節までに記録されているが、このように彼はヤコブに従順に屈伏して、自分の責任分担を果たしたところから、復帰したカインの立場に立つようになり、ついに、神の愛を受けるようになった。

したがって、神が彼を憎んだと記録されているのは、ただ、彼が復帰摂理の蕩減条件を立てていく過程において、サタンの側であるカインの立場であったために、憎しみを受けるべきその立場にあったということをこう表現されたものにすぎない。原理講論、復帰基台摂理時代3.2
ヤコブが希望の父母に会い、兄弟に会って平和の理想を求めていったのと同じように、私達もそのような世界的な理想世界を求めていくために、カイン・アベルを復帰するための、あるいはエサウとヤコブが一つになる路程を経て、父母に会い、神様に会って世界的な主権国家の世界に入っていこうというのです。
(67-136、1973.5.27)

 

6.ヨセフ

ヨセフは、兄たちに憎まれ、エジプトに奴隷として売られていった。しかし、数年が過ぎたのち、ヨセフは高い地位に登り、自分の兄たちが食糧を求めるためにエジプトに来たとき、彼らの悩みを解決してあげる機会が生じた。

ヨセフが兄たちに憎まれて追い出され、彼らと決定的に和解した事件は、弟ヤコブと兄エサウの一生の間の反目をそのまま反映したものである。しかし、ヨセフの場合は、天の人物が強大な権力の座に登った事例である。ヤコブとは違い、ヨセフは兄たちに報復できる権力をもっていたのであり,
実際にその権力で自分の兄たちをたじろがせ、過去の彼ら自身の犯罪を自認させ得る権力を行使できた。

しかし、結局、ヨセフは、自分の兄たちを赦して助けてあげた。それは、ヨセフの兄たちが自分の父ヤコブを心から保護する善の側面を看破したからである。

文鮮明先生は、ヨセフの数奇な人生、そしてヨセフと自分の兄たちとの偶然の出会い自体が、神様の大いなる摂理的な経綸の一部だったことを明かしている。特に、兄たちに寛容を施したヨセフの動機を重視しながら、文先生は宗教指導者としてキリスト教の「兄たち」に受けた自身の迫害に適用した。


①夢見る者ヨセフ

―宗教経典―

ヨセフがその父ヤコブに、「父よ、私は夢で十一の星と、日と月を見た、私は、それがみな私に、ひれ伏しているのを見ました」と、言った。

かれは言った「むすこよ、おまえの夢を兄たちに話してはならない、そうでないとかれらはおまえに対して策謀をたくらむであろう。まことに悪魔は、人間にとっては公然の敵である」。

「このように主は、おまえをお選びになって、物語や事物の解釈を教えたまい、かれが先におまえの祖先のアブラハムやイサクに、お恵みを全うされたように、おまえとヤコブの子孫にそれを全うしたもう。まことにおまえの主は、全知者・英明者であられる」。


まことにヨセフとその兄弟の物語の中には、真理を探求する者への種々のしるしがある。兄たちが、「ヨセフとその弟は、わしらよりも父にちょう愛されている。だがわしらは勇壮な仲間である。父は明らかに間違っている」と言った。

(ひとりが言った)「ヨセフを殺すか、それともかれをどこか他の地を追え、そうすれば父の好意はおまえたちに向けられよう、その後に、おまえたちは正しい者になれるであろう」。かれらのひとりの者が「ヨセフを殺害してはならぬ、もしおまえたちがどうしてもするなら、むしろかれを井戸の底に投げ込めば、どこかの隊商に拾いあげられることもあろう」と言った。

かれらは言った「父よ、なぜあなたはヨセフを、私達にお任せにならぬのか。私達は、ほんとうにかれに好意を寄せる者ではありませんか」。「あした、私達と一緒にかれを野に行かせれば、かれらは遊んで気を晴らし、私達はかれをきっと十分に守ります」。

ヤコブは「おまえたちがかれをつれて行くのは、私にはどうも心配だ。おまえたちがかれに気をつけないあいだに、オオカミがかれを食いはしないかと恐れている」と言った。

かれらは言った「わしらは勇壮な仲間だから、もしオオカミがかれを食うなら、そのときは、わしらはほんとうに身の破滅であります」。

こうしてかれらは、ヨセフを連れて行った、そしてかれを、井戸の底に投げ込むことに決った時、われはヨセフに啓示した「なんじは必ずかれらのするこの事を、かれらに告げる日があろう。そのときかれらはなんじに気づくまい」。

日が暮れてかれらは泣きながら父に帰って来た。
「父よ、わしらは互いに競争して行き、ヨセフをわしらの品物のかたわらに残しておいたところ、オオカミが来てかれを食いました。わしらは真実を報告しても、あなたはわしらを信じて下さらぬでしょう」と言った。

かれらは、ヨセフの下着を、偽りの血で汚して持って来た。ヤコブは言った「いや、いや、おまえたちが己れのために(大変なことを安易に考えて)、一事件を作ったのだ。それで私としては耐え忍ぶのが穏当だ。、おまえたちの述べることについては、ただ神にお助けをお願いする」。

そのうちに、隊商が来て水くみ人をつかわし、かれは釣瓶(つるべ)を降ろした。かれは言った、「ああ吉報だ、これは少年だ」と。そこでかれらは一つの財貨としてかれを隠した、だが神は、かれらのしわざのすべてを熟知したもう。

かれらは安価にわずかの銀貨でかれを売り払った。かれらは、かれについて多くをむさぼらなかった。
クルアーン12.4 ~ 20(イスラーム)


―み言選集―

ヨセフが夢を見るとき、「日と月と11 の星とが私を拝みました」と言ったでしょう? 未来に起きることが夢の中に現れました。それがそのとおりになりました。そのようになったでしょう? 皆さんにもそのような夢があります。

夢を見ない人はいません。夢を見た人、手を挙げてください。夢を見て、今まで忘れない夢、3年以上たっても忘れない夢は天の啓示です。それを知らなければなりません。そのような夢を見た人、手を挙げてみてください。

皆さんが統一教会に入ってくるときも、レバレンド・ムーンを知らず、統一教会を知りませんが、皆さんは既に統一教会に入ってくる前に、昔東洋の人が来て五色人種がすべて集まり、レバレンド・ムーンについていくのを見ました。

見た人がたくさんいます。そのような人たちが統一教会に入ってきた人には多いのです。
そのようなことがなぜ起きるのでしょうか。それはすべて霊界で人間を教育するための方法が残っているというのです。そのような段階で教育するための方法が残っているので、そのようなことが起きるのです。教えであげる方法も神様が教えてくれるのでしょうか、天使たちが教えてくれるのでしょうか。階級によってすべて違います。様々な階級を通して教えてくれます。自分の先祖が現れて教えてくれることもあります。ですから、昔さんがこれを見分けるのは難しいのです。
(91-274、1977.2.27)

 

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世界経典-35

2022年05月22日 16時31分24秒 | 学習


第9章 神様の摂理歴史

1.創始者、預言者と聖人たち

神様は宗教を立て、人間を救うための摂理を経綸される。宗教は、新文明の創造を先導しながら、人間の道徳性と倫理性を高揚させる。主要宗教は、それぞれの宗教創始者から始まる。文鮮明先生は、このような宗教の創始者を聖人と呼び、イエス、仏陀、孔子、ムハンマドを人類の代表的四大聖人の班列に立てる。

各創始者は、自分が創始した宗教の核心真理を宣布する特別な方である。キリスト教では、ほかの宗教創始者たちの際立った聖業がいくら偉大だとしても救援はイエス様を通してのみ成されると教える。ムスリムの信仰は預言者の「封印」、最後の預言者であるムハンマドのメッセージにより独特に定義される。

確固たる信仰者は、真理の基準であり、模範であり、真の道を具現する一人の人格体と対峙する。「私は道であり、真理であり、命である。だれでも私によらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ14・6)という宣言や、「仏陀の法の外に聖人なし」(法句経254)という宣言や、「ムハンマドは最後の預言者である」(クルアーン33.40)という宣言は、一様に同一な
脈絡である。

しかし、文鮮明先生は、すべての宗教創始者は、唯一なる神様が送った方だと教える。すべての宗教は、神様の真理を一様に証する。すべての創始者は、神様の一定の摂理的な経綸を中心として、各民族と文化を導き、神様の王国に至るように準備する。

したがって、文鮮明先生は、西欧の伝統がアベルとノアから始まり、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、ダビデ、ソロモンと預言者たち、そしてイエスに至るまで、神様の摂理歴史の中で選ばれた方たちの名簿に、仏陀、孔子、ムハンマドを加える。ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラーム、すべて自分たちが伝統的血統の相続者だと主張する。ユダヤ教は、イエス以外の偉大なラビの継承を追加する。イスラームは、イエスをはじめ、イシマエルとイドリスなど、少数アラブの預言者をこの名簿に添加する。

一方、東洋ではヒンドゥー教が様々な時代にわたって犠牲になり、悪の勢力を退け、世界の正義を回復させたアバターの継承を認める。儒教は、独自的な聖人血統、すなわち禹王、文王、武王などを主張し、周公孔子を昔の聖人の知恵と伝統を回生させた方とみなす。ここでは、聖人の共通的特性に関して扱う。いかなる代価を払っても、真理を追究すること、人間と社会をより高い理想に止揚させようとする情熱、国籍と財産と社会的地位を全く差別しない普遍的省察、神様と天国、あるいはより高い存在の力に対する信仰、そして無知な社会の迫害と排斥に耐えようとする意志などがここで省察される。下の部分で、西欧の聖書的伝統に特に関心を置きながら、このような聖人と預言者を個別的に扱う。

①神様のチャンピオンとメッセンジャーたち

―宗教経典―

実に美徳(ダルマ、正法)が衰え、不徳(アダルマ、非法)が栄える峙、私は自身を現わすのである。善人を救うため、悪人を滅ぼすため、美徳を確立するために、私は世期(ユガ)ごとに出現する。(注1)バガヴァッド・ギーター4.7 ~ 8(ヒンドゥー教)

まことにわれは、ノアならびにかれ以後の予言者たちに啓示したように、なんじに啓示した。われはまた、アブラハム・イシマイル・イサク・ヤコブならびに諸氏族、またイエス・ヨブ、ヨナ、アロンならびにソロモンにも啓示した。

またわれはダビデには詩編を授けた。ある使者たちについては、先にわれはなんじに告げたが、ある使者たちは、まだなんじに告げていない。……使者たちに吉報と警告をもたらさせたのは、かれらのつかわされた後、神に対し人びとに論議の余地をなくすためである。神は、偉力者・英明者であられる。
クルアーン4.163 ~ 165 (イスラーム)

天のみ座のこの鳥たち(顕示者たち)がみな、神意の天の国から送り出され、彼らがみな、その方の不可抗力的な信仰を宣布するために起きることであるがゆえに、彼らは一つの霊魂として、同じ人格と見なされる。

なぜなら、彼らは皆、神の愛の杯から飲み、一つの同しじ木の果実を食べるからである。彼ら神の顕示者たちは、それぞれ二重の地位をもつ。一つは純粋な観念と本質的単一性の地位である。このような観点から、もし彼ら全員を一つの名で呼び、彼らに同じ属性があるとすれば、それが誤ったものではない。

その方さえも、「私達はその方の使者の間に差別をおかない」と明らかにされた。なぜなら、彼らはそれぞれ、そしてみな、神の単一性を知らせようと地上の民を呼んでいるからである。
もう一つは、区別する地位として、被造物の世界に属し、その世界の制限を受ける。このような観点から神の顕示者たちは、各自はっきりとした個性、一定の規定された使命、予定された啓示、そして特定の制限点をもつ。彼ら各自は、互いに異なる名で知られており、特別な属性があり、一定の使命を遂行し、そして特殊な啓示を受ける。
確信の書152、176(バハイ教)

世俗のことに心をわずらわされず、世間体を飾ることなく、他人をほどよくあしらうことをせず、衆人の心に逆らわず、天下が平安で民の生命が保たれ、自分も人もともに衣食がじゅうぶんに足りることだけを念願とし、この立場を守ることによって、自分の心を清らかにしようとするものがある。上古の道術のうちにも、このような立場を重んずるものがあった。

宋鋳(そうけい)や尹文は、このような教えを聞いて喜び、上下がひとしくて平らな華山の冠をつくり、これをかぶって自分の平等主義を表明し、万民に接するのにいっさいの差別から離れることを第一の任務とした。そして、人間の心がもつ性質について語り、「心がめざしている方向は、柔和をもとにしてたがいに喜びあい、これによって天下を和合させることにある」と定義した。

そして、この心をあらゆることの根本におくことを念願としたのである。こうして、かれらは人から侮られても恥とせず、怒りをしずめることによって、民のあいだの争いをなくそうとつとめ、また侵略行為をなくし、軍備を撤廃することによって、世のなかから戦争をなくそうとつとめた。

そして、この主義を奉じて天下をひろくめぐり、上は君主に説き、下は民衆に教えさとした。たとえ天下の人びとが採用しなくても、強引に大声で説きたてるという調子であった。だから「上下の人にいやがられても、強引に面会を求めてくる」という評判がたった。(注2)
I 荘子33(道教)

これ以上、何を話そう。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、また預言者たちのことを語るなら、時間が足りないでしょう。信仰によって、この人たちは国々を征服し正義を行い、約束されたものを手に入れ、獅子の口をふさぎ、燃え盛る火を消し、剣の刃を逃れ、弱かったのに強い者とされ、戦いの勇者となり、敵軍を敗走させました。

女たちは、死んだ身内を生き返らせてもらいました。他の人たちは、更にまさったよみがえりに達するために、釈放を拒み、拷問にかけられました。また、他の人たちはあざけられ、鞭打たれ、鎖につながれ、投獄されるという目に遭いました。

彼らは石で打ち殺され、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊の皮や山羊の皮を着て放浪し、暮らしに事欠き、苦しめられ、虐待され、荒れ野、山、岩穴、地の割れ目をさまよい歩きました。世は彼らにふさわしくなかったのです。
ヘブライ人への手紙11.32 ~ 38(キリスト教)

誉れ高き人々をたたえよう、我々の歴代の先祖たちを。主は大いなる栄光を現し、世の初めからその威光を示された。先祖たちのある者は国々を支配し、武勇によって名を輝かせた。ある者は思慮に富んだ勧めを与え、預言の言葉を語った。……。

しかし、先祖たちの中には、後世に名を残し、輝かしく語り継がれている者のほかに、忘れ去られた者もある。彼らは、存在しなかったかのように消え去り、あたかも生まれ出なかったかのようである。彼らの子孫も同様であった。しかし慈悲深い先祖たちの、正しい行いは忘れ去られることはなかった。
シラ書〔集会の書〕44.1 ~ 10(キリスト教)


―み言選集―

天が人間たちにこのような摂理のみ旨に責任をもたせて立てる時には、中心人物を立てるのです。彼が置かれている時代全体を支配し、天の理念圏内に結びつけるために、ある一人を立てていくのです。

言い換えれば、神様は、この地に対して時代と世紀、あるいは歴史過程を通して何を取り戻そうとされるめでしょうか。時代を代表できる人、全世界を代表できる一人、世紀を代表できる一人を神様は求めていらっしゃるのです。さらには、天地の代身として主張できる一人の天の人を求めでいらっしゃるというのです。
(4-192、1958.4.20)

イエス、釈迦、孔子、そしてムハンマドなどを歴史的聖人と言いますが、歴史上のたくさんの人々がその人たちを標準とし、彼らの伝統を受け継ごうとしてきたので、宗教を中心とする文化圏が形成されているのです。それでは、その人たちはこの地に生まれて自分勝手に生きた人たちでしょうか。その人たちは地上で暮らしながら、幸せにそのようなことをした人たちなのかというのです。そうではありません。かえって私達より、平民よりもっと不幸な道を行ったのです。

それでは、彼らはなぜそのように生きたのでしょうか。彼らは自分の本意に従って生きたのではなく、神様が願う、神様の摂理が願う目的のために、神様が願うそのような世界のために、それに従って生きるためにそのような生活をしていった人たちです。

彼らは、個人が生きるとしても、神様の伝統を受け継ぎ得る個人の人格はこのようにならなければならない、人生の生き様がこうでなければならないということを、常に考えざるを得ない人生を生きたのです。

家庭を中心としてもそうです。神様の伝統から見るとき、家庭はこのような家庭にならなければならないということを彼らは常に考えたのです。その次には、社会生活もそうです。神様の伝統から見るとき、個人はこうで、家庭はこうで、社会生活はこうでなければならないということを常に考えたというのです。
(95-271、1977.12.11)

宗教の教主たちは、何を中心として教えたのでしょうか。神様の思想とみ旨を中心として教えたのです。自分のみ旨ではありません。彼ら自身が優れていたというのではありません。神様を中心とする世界観、神様を中心とする人生観、神様を中心とする宇宙観を宣布していった人たちです。
(41-329、1971.2.18)

宇宙的原理の根源は、神様であられます。宇宙の創造で、神様は自らの創造物のために、自らの全体を投入されました。また、歴史を通して自分勝手に生きる堕落した人類を救うために、絶えず犠牲になってこられた方が、正に神様です。神様のみ旨を知った預言者、聖者、そして哲人たちは、自分の人生の中で神様の原理に従いました。

そして、彼ら自身が真理を守ることで満足せず、ほかの人たちに教えるために犠牲の道を歩みました。モーセ、孔子、釈迦牟尼、ムハンマド、ソクラテス、そしてイエス様もすべて苦難を受け、人々に教えるときにも迫害を受けた聖賢たちでした。人類を目覚めさせ、解放させるために、彼らは自分の人生を犠牲にしました。
(234-222、1992.8.20)

聖人の「聖」の字は、「耳」と「口」と「王」です。それでは、耳が王で、口が王というのは何でしょうか。世の中のどんな話を聞いても、それをよく思って王のものとして解釈しなければならないということです。ですから、すべてのものを聞きますが、聞くやいなや、口が「ぱぱぱぱーん」と話すのではありません。それでは大変なことになります。すべてのことを聞きますが、話すにおいて王です。大王が一言話せば法になり、その国の運命が行ったり来たりするのです。一言言えば法になるというのです。
(118-44、1982.5.2)

聖人はどのような人でしょうか。聖人は国境を超越した人です。これを知らなければなりません。聖人は民族のために生きた人ではありません。自分の氏族のために生きた人ではありません。国境を超越して世界人類のために生きた人です。

私が死ぬのは万民のためであり、億兆蒼生のすべての人種と国境を超越し、超国家的であり、超宗派的であり、超人種的な立場で死ぬと思いながら、世界的な立場で全世界の人類と因縁を結び、死の道で勝負を決めていった人たちが聖人です。
(38-350、1971.1.8)


②預言者と聖人の苦難と迫害

―宗教経典―

イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。
マルコによる福音書6.4(キリスト教)

戦場の象が、射られた矢にあたっても堪え忍ぶように、われはひとのそしりを忍ぼう。多くの人は実に性質が悪いからである。
法句経320(仏教)

そのとき、ある律法学者が近づいて、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言った。イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」
マタイによる福音書8.19-20(キリスト教)

み使いは「主よ、まことに私の人びとは、このコラーンを忌むべきものとして、拒みます」と言おう。われはこのように、それぞれの予言者に、罪人の間から一つの敵をつくる。だがなんじの主は、指導者・援助者として万全であられる。
クルアーン25.30 ~ 31(イスラーム)

いずれの地を牧すべきか、牧するためにどこへ私は行くべきでしょうか。人々は自由民からも、アリヤびとからもわたくしを遠ざけ、わたくしが行を共にしようとするもろもろの労役民も、わたくしを満足させず、邦の不義なる暴君どもも、そうしてはくれません。いかにして御身を、マズダーよ、わたくしは満足させましょうか、アフラよ。
アヴェスター・ヤスナ46.1(ゾロアスター教)

先祖の神、主は御自分の民と御住まいを憐れみ、繰り返し御使いを彼らに遣わされたが、彼らは神の御使いを嘲笑い、その言葉を蔑み、預言者を愚弄した。それゆえ、ついにその民に向かって主の怒りが燃え上がり、もはや手の施しようがなくなった。
歴代誌下36.15 ~ 16(キリスト教)
かれらは、「祖先が、一つの道を踏んでいたのをわしらは見て、その足跡によって導かれているのだ」と、言うのである。同じように、われはなんじ以前にも、町に警告者をつかわすたびに、その地の富裕な者たちは「まことにわしらは、祖先が一つの教えを奉じているのを見ている、それでその足跡を踏んでいるのだ」と、言っていた。

使者は、「なんと、祖先が従っていた、おまえたちの知るものよりも、良い導きがもたらされてもか」と、言ったのだが。かれらは、「おまえが届けたものは、わしらは信じないのだ」と言う。それでわれは、かれらに報復した、見よ、信仰を拒んだ者の最後がどうであったかを。
クルアーン43.22 ~ 25(イスラーム)

かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。
使徒言行録7.51 ~ 52(キリスト教)

孔子は鄭国へ行ったが、門人たちとはぐれ、ひとりで城郭の東門に立っていた。鄭の或る人が子貢に言った。「東門に人が居て、その額は聖人堯帝に似ており、その首筋は舜の臣の犀陽に似ており……疲れたさまは、喪中の家の犬のようでした」と。

子貢がありのままを孔子に告げると、孔子は欣然と笑って言った。「容貌についてはどうかと思うが、喪家の犬とは、いみじくも言ったもんだなあ。そのとおりだわい、そのとおりだわい」と。
司馬遷史記47(儒教)


―み言選集―

人間世界で水準が高い人がいるでしょう。そのような人がいれば、その人は高い水準に立って全体を見て、それを同級にしたいと思うでしょう。そのような人が、私達が追求し願う尊敬できる偉大な人ではないでしょうか。

そうだとすれば、歴史的に誇り得る人たちは、どのような人たちでしょうか。高く、大きく考える人です。アメリカのために生きるという偉大なアメリカ人と世界のために生きるという偉大な世界人がいるとすれば、どちらの人がより偉大でしょうか。偉大な世界人です。一緒に暮らし、一緒に生活をしても、より高く、より大きいもののために生き、より大きなものを立てようとする人が偉大なのです。

皆さんは今、四大聖人に歴史的に侍っていますが、イエス・キリストや釈迦牟尼、孔子、あるいはムハンマド、彼らに家がありましたか。彼らに良い家がありましたか。彼らが村をもって生きてみましたか。行く所ごとに非難され、葬り去ろうとするので、追い回される立場だったです。その何が偉大なのですか。

イエス様は、「空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」と言いました。これが偉大な人ですか。孔子は、隣の家の犬だ、と言いました。恵んでもらいながら歩いているからです。いつ就職して大きな仕事ができますか。それで、もらい食いし、歩き回っているので、「村の犬だ」と言ったのです。

また釈迦牟尼は、その時、王の息子として国もあり、家もあり、すべてのものがありましたが、それをすべて嫌いました。それをすべて捨てて出てきて、山中修道をしたのです。山に行って隠遁生活を始めたそこから釈迦牟尼が出発しました。家もなく、国もなく死んでいったその人たちを、今になってなぜ仰ぐのですか。偉大な歴史的人物だと、なぜ誇らしく思うのですか。

彼らの偉大な正義は、過去と今では違うでしょうか。また、未来には変わるでしょうか。変わりません。
(115-14 ~ 16、1981.10.25)

この地に預言者たちが来てしたことは何かというと、世の中についていったのではなく、世の中についていくなととめるのです。国から行くことはできません。激しく打つのです。ですから、みなが「これは何だ」と蹴飛ばし、あらゆる迫害を受け、人扱いもされませんでした。それで人間世界の落伍者を……。

世の中の人たちがみな押しのけて逃げていくので、預言者たちは仕方なくついていかざるを得ないのですが、そのようについていく中でも、世の中の落伍者たち、病人、傷ついた人たち、世の中が嫌うこのような人たちを中心としていくのです。

「あなたはなぜそのようにしているのか」、「私は預言者だが、あの人たちに反対されたのでこのようにしている」と言いながら、新しい因縁を、
人間の落伍者たちを中心として新しい因縁をつくり始めるのです。「そのような国ばかりがあるのではなく、新しい国がある。落胆するな。絶望するな」と言いながら、落伍者を中心として新しい希望を引き起こすのです。

優れた人がみな過ぎ、愚かな人がみな過ぎていったあとに病人、ごみ箱のような人たちが、結局、「ああ、新しい世界があればどれほどよいだろうか!」と言いました。

これはどういうことかというと、優れた父母、優れた息子、娘をもった人、そのような家庭をもった人はなく、サタンにずたずたに、父も、母も、あるいは息子も、娘も、みな傷ついた人たちばかりがいるのですが、この人たちがこの世の中を拒否し、新しい世界があればうれしいと言っています。預言者たちを通してそのような話を聞き、そこから因縁が始まるということです。(注3)
(106-176 ~ 177、1979.12.30)


その時代の聖人はどのようにしたのかというと、人間たちが行くべき真の道を教えました。聖人は、その時代の民のために、これから訪れる世界を教えましたが、無知な民は理解できなかったのです。あまりにも差があったからです。ですから、その時代の主権者たちは、聖人を捕まえては殺害し、迫害し、追い出したのです。

だからといって、その聖人が国を売り、国を滅ぼすようにしたのではありません。その国を混乱の中から救い出し、未来の希望の国にしたり、どの国よりも高貴な国にしようと思っていたにもかかわらず、彼らはその人を理解できず、受け入れることができず、追い出したのです。しかし、聖人は万民が行くべき道に対する道理を備えていたので、世界の人々は、その道理をだんだんと受け入れ、世界的な文化圏を形成してきました。
(39-256、1971.1.15)


③宗教創始者の伝統固守

―宗教経典―

私が来たのは律法や預言者を廃止するためだと思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。(注4)
マタイによる福音書5.17 ~ 18(キリスト教)

聖バガヴァットは告げた。私はこの不滅のヨーガをヴィヴァスヴァット(太陽神)に説いた。ヴィヴァスヴァットはそれをマヌ(人類の祖)に告げ、マヌはそれをイクシュヴァーク(王名)に告げた。
このように、王仙たちはこの伝承されたヨーガを知っていた。しかしそのヨーガは、久しい時を経て失われた。私は今、まさにこの古(いにしえ)のヨーガをあなたに説く。あなたは私を信愛していて、友であるから。実にこれは最高の秘説である。
バガヴァッド・ギーター4.1 ~ 3(ヒンドゥー教)モーセはシナイ山で律法を受け、それをヨシュアに伝えた。ヨシュアは律法を長老に、そして長老たちは預言者たちに、預言者たちは会堂に集まった人たちに伝えた。(注5)
ミシュナ、アヴォート1.1 (ユダヤ教)

先生がいわれた、「〔古いことにもとづいて〕述べて創作はせず、むかしのことを信じて愛好する。〔そうした自分を〕こっそりわが老彭〔の態度〕にも比べている。」
論語7.1(儒教)

また、この経典の中で、アブラハムの物語を述べよ。まことにかれは誠実者であり予言者であった。かれが父にこう言ったときを思え「父よ、あなたは何ゆえに、聞きもせず見もせず、またいささかの益をも与えぬものを崇拝なさるのか」。

「父よ、あなたの授からない知識が、いま、しかと私に下った、それで私に従いなさい、私はあなたを正しい道に導くでしょう」。「父よ、悪魔に仕えてはなりません。まことに悪魔は、仁慈者に対するむほん者であります」。「父よ、まことに私は仁慈者からの懲罰が、あなたに下ることを恐れます、それであなたが悪魔の友になるのを恐れる」。……

アブラハムは言った「あなたに平安あれ、私の主に、あなたのためご寛容を祈る。まことにかれは、私に対し慈悲深くあられます」。「私はあなたがたから離れ、また神以外に、あなたがたが祈るものから離れて、私の主に祈ります。私の主にお祈りすれば、たぶん恵まれぬことはないでしょう」。

それでアブラハムが、かれらならびに神以外にかれらが仕えるものから、離れ去ったとき、われはかれにイサクとヤコブを授けた。そしてわれはかれらを、それぞれ予言者にした。われは、かれらの上に慈悲をたれ、また真理のことばで高い栄誉を授けた。

またこの経典の中で、モーゼのことを述べよ。まことにかれは、純潔な使者であり予言者であった。われはシナイ山の右がわから、かれに呼びかけ、密談のためわれの近くに招いた。またわれの慈悲により、その兄弟のアロンを、予言者としてかれに授けた。

またイシマイルのことを、この経典の中に述ベよ、まことにかれは約束したことに忠実で、使者であり予言者であった。かれはつねにその一族に、礼拝を命じ、主のおぼえめでたいひとりであった。

またイドリースのことを、この経典の中に述べよ、かれは真実な人物であり予言者であった。そしてわれは高い地位に上げた。これらの者は、神が恩恵を施された予言者たちで、アダムの後えい、およびわれがノアと一緒にはこ舟で運んだ者たち、ならびに、アブラハムとイスラエル「ヤコブ」の後えいのうち、われが選んで導いた者たちである。仁慈者のしるしがかれらに復唱されるたびに、かれらは伏して叩頭(こうとう)し涙を流す。
クルアーン19.41 ~ 58(イスラーム)


禹・湯・文・武の諸王や成王や周公たちは、この計謀や兵力を用いて、すぐれた功業を成したのである。即ちこれら六王はみな礼儀を守った人たちであり、礼儀を用いて各自の道を行い、人民の信望を集め、敵の罪過を明らかにし、仁愛礼譲を守り行い、道義の常法を世に示したのである。もしこの常法に従わない者があれば、たとい権勢を誇る者でも味方を失い、人々から災いと見られて、ついに滅びるであろう。(注6)礼記7.1.2(儒教)

もと、無数の仏に従って、さまざまの道を修めた。
甚だ深遠な、微妙な教えは、見ること難く、理解することも難い。無量億劫のあいだこのもろもろの道を修め終って、道場においてさとりをひらき、私はすでにすべてを知見した者となった。
(注7)法華経2(仏教)


―み言選集―

私達は、歴代の信仰の先祖たちが立てた伝統を尊重しなければなりません。天の伝統を尊重しなければなりません。

ノアおじいさんが120 年間天のために忠誠を尽くしたその精神、アブラハムがカルデアのウルを離れて異邦の荒れ地をさまよっていたその精神、ヤコブがカナンの地を捨ててエジプトに入っていったその精神、イスラエル民族が怨讐の地エジプトを捨て、荒野を経てカナンの地を目指して総進軍したその精神、イエスがこの地に来られてイスラエル民族を収拾し、新しいカナン福地、新しいエデンの福地に向かって走っていこうとしたその精神はどこに行ったのでしょうか。皆さんは伝統を通してこのような精神を継承しなければなりません。
(8-25、1959.10.25)

孔子が出てきて、時代を経て伝統的に伝わってきたものを無視し、歴史にない新しいものを創造したのかというと、それはできませんでした。その前にあったそのような類の思想をただ体系化させて一般化させたにすぎません。
(25-93、1969.9.30)

子孫たちは、偉人や聖人をなぜ追慕しなければならないのでしょうか。彼らの心の中には、精魂込めた歴史的なあらゆる事情が宿っていて、善の事情と曲折がその中に宿っているからです。善の目的を達成するためには、彼らのそのような土台を通して精誠(注8)を尽くさなければなりません。そうでなければ、目的に向かう道と関係を結べません。

たとえ堕落の子孫だとしても、人心は天心と通じるので、大勢の人たちが聖人を追慕し、聖人が歩んだ道を追い求めるのです。ですから、それは本然の価値を追求するものであり、自然なことです。
(17-268、1967.2.15)

復活摂理の歴史において、その使命的な責任をもった人物たちが、たとえ彼ら自身の責任分担を完遂できなかったとしても、彼らは天のみ旨のために忠誠を尽くしたので、それだけ堕落人間が、神と心情的な因縁を結ぶことができる基盤を広めてきたのである。したがって、後世の人間たちは、歴史の流れに従い、それ以前の預言者や義人が築きあげた心情的な基台によって、復帰摂理の時代的な恵沢をもっと受けるようになるのである。
原理講論、復活論2.1

「私」という個性体はどこまでも復帰摂理歴史の所産である。したがって、「私」はこの歴史が要求する目的を成就しなければならない「私」なのである。

それゆえに「私」は歴史の目的の中に立たなければならないし、また、そのようになるためには、復帰摂理歴史が長い期間を通じて、縦的に要求してきた蕩減条件を、「私」自身を中心として、横的に立てなければならない。そうすることによって、初めて「私」は復帰摂理歴史が望む結実体として立つことができるのである。したがって、我々は今までの歴史路程において、復帰摂理の目
的のために立てられた預言者や義人たちが達成することのできなかった時代的使命を、今この「私」を中心として、一代において横的に蕩減復帰なければならないのである。

そうでなければ、復帰摂理の目的を完成した個体として立つことはできない。我々がこのような歴史的勝利者となるためには、預言者、義人たちに対してこられた神の心情と、彼らを召命された神の根本的な目的、そして彼らに負わされた摂理的使命が、果たしてどのようなものであったかということを詳細に知らなければならないのである。
原理講論、後編緒論

歴史時代において、蕩減の使命を背負った先祖たちの気迫を相続するに不足のない息子、娘とならなければなりません。この時代にあなたは称賛し誇る息子の姿、娘の姿をどれほどお慕いになられたでしょうか。

お父様、あなたは内的に約束なさり、祝福して命令なさいましたが、歴史過程に来ては逝った私達の先祖たちは、いつもあなたの心にくぎを打ち、お父様を孤独の場に追放したのが二度、三度ではないことを、私達は知りますときに、私達がお父様の息子となり得る因縁は、喜ばしいことですが、使命的な面においては、悲しい内容が宿っていることを、私達は、先祖たちが歩んだ復帰の恨み多い道をたどってみる時ごとに、考えないわけにはまいりません。
(30-39、1970.3.15)


2.ノア

ノアは、聖書に現れた最初の信仰の祖である。洪水審判に関する神様の命令を信じながらノアが箱舟を造ったことは、いかなる人も肩を並べることのできない卓越した信仰を見せてくれたのである。

文鮮明先生は、妻や家族も理解し難いことをやり遂げたノアの驚くべき信仰を大変強調する。遠からず審判を受けるようになることを知るノアが、一般の人々への哀れみをもったこともまた驚くべきことである。

それで、ノアは神様の命令に従い、自分を嘲弄し迫害する、正にその人たちに神様の審判が迫っていることを宣布し、彼らを箱舟に呼び入れようとしたのである。

ノアの洪水審判は古い歴史的記録にさかのぽる。様々に形を変えて伝わったノアの洪水審判は、古代スメールとバビロンの時まで約5000 年をさかのぼる。約7500 年前、紅海地域に大規模な洪水が起き、すべての文明を一掃したという人類学的証拠から見て、ノアの洪水審判説は、歴史的事実に基づいていると信じる。

聖書のノアの話は、ノアの息子ハムの失敗で終わる。文鮮明先生は、これが神様の摂理を後退させた重要な事件とみなす。常に歴史を家庭の観点から扱う文鮮明先生は、ハムの失敗がノア家庭の一致を挫折させ、神様の摂理に致命傷を与えたことを明らかにした。


①ノアの洪水

―宗教経典―

主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛めちれた。主は言われた。

「私は人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。私はこれらを造ったことを後悔する。」しかし、ノアは主の好意を得た。

神はノアに言われた。「すべて肉なるものを終わらせる時が私の前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、私は地もろとも彼らを滅ぼす。あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟には小部屋を幾つも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい。次のようにしてそれを造りなさい。箱舟の長さを三百アンマ、幅を五十アンマ、高さを三十アツマにし、箱舟に明かり取りを造り、上から一アンマにして、それを仕上げなさい。箱舟の側面には戸口を造りなさい。また、一階と二階と三階を造りなさい。
創世記6.5 ~ 8、13 ~ 16(キリスト教)

ノアにこう啓示された「すでに信仰する者のほかは、もうなんじの民は信仰しないであろう。それゆえかれらの行いについて悩んではならぬ」。
「そしてわれの目の前で啓示に従って箱舟を造れ、また不義を行なう者のために、このうえわれに歎願してはならぬ。かれらはおぼれさせるであろう」。

そこでかれは箱舟を造り始めた。かれの民の首領たちは、そのそばを過ぎるたびにかれらをちょう笑した。かれは言った「たとえおまえたちがいま私達をちょう笑しても、いずれおまえたちがちょう笑するように、私達もきっとおまえたちをちょう笑するのだ」。

「それで、恥辱ある刑がたれに来るか、永久の刑がたれの上に降りかかるかを、おまえたちはやがて知るであろう」。ついにわが命令は下って、大地の諸水がせきをきってほとばしり出たとき、われは言った「それぞれの生きものの一対、なんじの家人、宣告がすでに下された者を除き、信仰する者たちを、その中に乗らしめよ」。だがかれと共に信仰した者は少数にすぎなかった。

ノアは言った「神のみ名によって、これに乗れ、航行にも停泊にもそれによれ。まことに私の主は、寛容者・慈悲者であられる」。箱舟はかれらを乗せて、山のような波の上に動きだした。そのときノアはみなから離れていた。かれのむすこに叫んで「むすこよ、私と一緒に乗れ、不信者たちと一緒にいてはならぬ」と言った。

かれは答えて言った「私は山に避難しよう、それは洪水から救うであろう」と。ノアは言った、「きょうは神のご命令によって、かれの慈悲に浴する者のほかは、何者も救われないのだ」。その時かれらの間に波が来て、かれはおぼれる者のひとりとなった。
クルアーン11.36 ~ 43(イスラーム)
神は昔の人々を容赦しないで、不信心な者たちの世界に洪水を引き起こし、義を説いていたノアたち八人を保護なさったのです。
ペテロの手紙二2.5 (キリスト教)

まことにわれは、ノアをその民につかわし、「痛刑がなんじの民に下る前に、なんじは、かれらに警告せよ」(と命じた)。かれは言った「私の人びとよ、私はおまえたちへの公明な一警告者である」、「おまえたちは神に仕えまつり、かれを畏れ、私に従え」。「かれはおまえたちのもろもろの罪を許し、定められた時期までにおまえたちを猶予したもう。まことに神の時期が来たときは、猶予されない。もしおまえたちがわかっていたならば」。

ノアは申し上げた「主よ、私は夜となく昼となく、私の人びとに呼びかけました」、「だが、私の呼びかけは、ただ正道からの逃避を増すばかりであります」。「私がかれらに、“あなたが、かれらをお許しになるのだ”と、呼びかけるとき、かれらは指を己れの耳にあて、自分で外とうをかぶり、不信心を固執し、ひたすら高慢になります」。
クルアーン71.1 ~ 7(イスラーム)

 

―み言選集―

神様は命令をされるとき、信じる立場で信じられるように命令されるのではなく、信じることができないように命令されるのです。ノアには120 年後にこの世界を審判するから箱舟を造りなさいと命令しました。

ところが、箱舟を海辺や川に造りなさいと言えば納得するにもかかわらず、あの高い山の頂上に造
りなさいと命令しました。船を造ろうとすれば川辺に造らなければならないのに、山の頂上に造りなさいと言うので、それを信じられるでしょうか。

それは、人類始祖が不信することによって堕落したので、神様は絶対的に信じる立場に立てるために、絶対的に信じる者を立てようとしたのです。ですから、神様は絶対的に信じられる命令をされないのです。(注9)
(53-93、1972.2.10)


ノアの家庭について考えたことがありますか。ノアは、山の頂上で箱舟を造りました。平地ならともかく、山の頂上で箱舟を造ったということは、常識を超えた、常識を超えるどころか、度を超えるにも、とんでもなく度を超えたことです。

一般的に見る時、正常な立場で見る時に、ノアは狂った人間に近い行動をしたのです。舟を造ろうとするなら、川辺に造らなければならないのに、山に造ったのですから、これは常識を超えたことです。

これを命令した神様は、冗談で命令したのでしょうか。違います。生涯を捧げて耐え難い道を行かなければならないのが、ノアの路程であることを誰よりもよく知っておられた神様は、ノアの受難の道より平坦な内容をもって命令されたのではないのです。それよりもっと難しい内容があったので、それを条件として解決できる、一つの方便になることを願われる心をもって、ノアに120年の間、受難の道を行けと命令されたのです。そのような神様の心は、どれほど悲惨だったでしょうか。言うに言われぬほど、悲惨だったのです。ですから、ノアがその命令を受け入れるか、受け入れないかという緊張した瞬間において、ノアが順応する立場を取る時、ノアよりもっと喜ばれた方が神様ではないでしょうか。また、ノアよりもっと悲しまれ得る方も神様です。そのように、喜びと悲しみに対して責任をもてる、そのような主人の立場でなければ、神様の立場にはなれないのです。
(48-69、1971.9.5)

もしここに来られた夫人たちがノアおじいさんの夫人だったら、そのようなノアを歓迎するでしょうか。恐らく、そのようにできる夫人はいないと思います。神様の命令を受けたといって、毎日のように山を上り下りするので、昼食を包んであげなければならず、それから身支度や後始末をきちんとしてあげなければなりません。

最初は仕方なく。何日かはしであげるかもしれませんが、ひと月もたたずに問題が起きるのです。それが1年12 ヵ月でもなく、12 年でもなく、120 年間そのようにしなければならないという話を聞いたとき、そのおばあさんは間違いなく狂ったと思い、おじいさんは気が狂うにしてもちょっとやそっとの狂い方ではないと攻め立てざるを得ないというのです。

それでは、神様はどうして正常な環境に従って天のみ旨を進んでいくことができるように命令できなかったのかということを、私達はここで知らなければなりません。神様とサタンは一緒にいられません。サタンがこのように行けば、神様は180 度反対に行かなければなりません。神様は、サタン世界の人たちが信じてくれることさえも嫌われる神様です。サタンと仲良くしていた人たちが好むこと、認めることも、汚れが混ざると思うのです。私達人間においてもそのような心があります。怨讐がいれば、その怨讐がすることであれば、見るものまですべて嫌います。しかし、絶対的な神様が、悪の世界で良いとたたえるものを見て喜ぶでしょうか。ですから、全く信じられないように、全く見向きもしないように役事するのは当然だと思うのです。
(69-94 ~ 95、1973.10.21)
ノアの時を振り返つてみると、1600 年間、神様は言うに言えない悲しい心情が込み上げてきましたが、忍耐の道を歩んでこられました。一時、一瞬も忘れることができない人間に対する悲しみが込み上げてきましたが、それをすべて耐え、自分の悲しみを代わりに万民に、万物にすべて表すためにノアを選び立てたのです。

それでは、神様はどうしてノアを当時の人間たちが理解できない立場に立てられたのでしょうか。1600 年間、人間たちが神様を悲しみにくれさせたので、ノア一人を立てられ、彼が人間を代表し、天的な寂しさと悲しみを感じることができるようにするために、このような理解できない環境に立てたことを皆さんは知らなければなりません。

ノアは120 年間も、自分を不信し、反対し、嘲笑する人間たちの前に黙って現れるようになりました。また、120 年後にこの地を審判するという天の予告を受けたときも、彼は天に対する信仰の道理を尽くしたのです。当時、彼を見て義人だと言いました。義人だったがゆえに、彼は自分が生きていく当時の社会が反逆すればするほど、よりその社会のために心配し悲しんだのです。

大勢の人々が自分良身の安楽を得るために苦しんでいるとき、ノアだけは独り公義の法度を求めるために身もだえし、天倫を心配し、人が願わない環境で悲しんだのです。
(3-169 ~ 170.1957.10,25)


②ハムの失敗

宗教経典

さて、ノアは農夫となり、ぶどう畑を作った。あるとき、ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっでいた。カナンの父ハムは、自分の父の裸を見て、外にいた二人の兄弟に告げた。セムとヤぺテは着物を取って自分たちの肩に掛け、後ろ向きに歩いて行き、父の裸を覆った。二人は顔を背けたままで、父の裸を見なかった。ノアは酔いからさめると、末の息子がしたことを知り、こう言った。「カナンは呪われよ。奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」
創世記9.20 ~ 25(キリスト教)


―み言選集―

40 日審判が終わった直後のノアの立場は、天地創造後のアダムの立場と同様なのである。創造されたアダムとエバが、お互いにどれほど親しくまた近い間柄であったか、また、どれほど神に対しても、その前で隠し立て一つしない、水入らずの関係であったかということは創世記2 章25 節に、彼らはお互いに裸であっても、恥ずかしいとは思わなかったと記録されている事実から推察してみても、十分に理解できるのである。

しかし、彼らは堕落したのち、自ら下部を恥ずかしく思って木の葉で腰を覆い、また、神に見られるのを恐れて、木の間に身を隠した(創3・7,8)。それゆえに、彼らが下部を恥ずかしく思ったという行為は、下部で罪を犯し、サタンと血縁関係を結んだという情念の表示であり、下部を覆って隠れたという行動は、サタンと血縁関係を結んでしまったので、神の前にあからさまに出ることを恐れた犯罪意識の表現であったのである。

40 日審判によりサタンを分立した立場にあったノアは、天地創造直後のアダムの立場に立たねばならなかった。ここで神はノアが裸でいても、その家族たちがそれを見て恥ずかしがらず、また隠れようともしない姿を眺めることによって、かつて彼らが罪を犯す前に、どこを覆い隠すでもなく、ありのままに裸体を現していた、汚れのない人間の姿を御覧になって、喜びを満喫されたその心情を蕩減復帰しようとされたのである。

神はこのようなみ意を完成なさるため、ノアを裸で寝ているように仕組まれたのである。したがって、ハムも、神と同じ立場から、神と同じ心情をもって、何ら恥ずかしがることなくノアと対したならば、ノアと一体不可分のこの摂理の中で、罪を犯す前、恥ずかしさを知らなかったアダムの家庭の立場に復帰する蕩減条件を立てることができたはずなのである。
原理講論、復帰基台摂理時代2.2

ノアおじいさんは、独り孤独でした。そのようなことをするにおいて、絶対信仰をもちましたが、家庭が絶対心情一体にならなかったので崩れていきました。ハムもそうです。父と愛で一体になっていれば、なぜそれを恥ずかしく思いますか。心情が一体になっていれば、裸になっていても恥ずかしく思うことはないのです。自分も裸になって横で昼寝すればどれほどよいでしょうか。

ところが、恥ずかしく思ったのです。一つになっていません。心情一体になっていないのです。ノアおじいさんの横に裸になって一緒に寝ていれば、おじいさん起きてそれを見れば、「いやあ、この息子は私に似たなあ!」と祝福するでしょうか、しないでしょうか。
(268-294、1995.4.3)


3.アブラハム

アブラハムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラームの三つの唯一神宗教の源流である。アブラハムはユダヤ人の先祖であり、キリスト教徒には信仰の祖であり(ローマ4・1~3)、ムスリム(イスラム教徒)にはマッカ(メッカ)にカアバ神殿を建てた人であり、イシマエルを通してアラブ人の先祖になる。

アブラハムは偶像商の家庭で育ったが、神様の真理を信じる最初の唯一神信仰だった。彼は神様の命令に従って故郷を離れ、全く見知らぬ地に向かった。彼は神様が導かれるという信仰のもと、彼の生命と未来を神様の手に任せた。彼はカナンの民の中で異邦人だったが、彼らに対するアブラハムの哀れみは偉大だったのであり、特にソドムとゴモラの問題を仲裁するとき、それが表れた。

文鮮明先生は、神様がすべての摂理をアブラハムに任せたのであり、救援摂理を進行するための地上の条件を立てるためにアブラハムを同伴者としたと教える。したがって、アブラハムのすべての行為、すべての祭祀、すべての祈りは重要性をもつ。

アブラハムが神様の命令に躊躇せずに故郷を離れたとき、神様の摂理は進展した。アブラハムが創世記第15 章に記録された重要な燔祭で、はとを二つに裂かない過ちを犯したとき、神様の摂理は後退し、延長した。アブラハムの家庭でサラとハガルの間の反目が、今日のユダヤ人とアラブ人の憎悪として継続している。アブラハムは、自分の信仰路程で多くの試練を経験した。神様が息子を犠牲にせよと要求したとき、彼の試練は頂点に達したが、これに関しては次の部分で扱う。


①アブラハムの絶対信仰

―宗教経典―

主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、私が示す地に行きなさい。私はあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。

あなたを祝福する人を私は祝福し、あなたを呪う者を私は呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。」アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。

アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。
創世記12.1 ~ 5(キリスト教)

われは先にアブラハムに、方正な行いを授けた、われはかれをよく知っている。かれが父とかれの人びとに、こう言ったときを思え、「あなたがたが崇拝する、これらの偶像は何ものであるか」。かれらは言った「わしらは、祖先がそれらを崇拝するのを見た」。かれは「あなたがたとあなたがたの祖先は、確かに誤っていたのだ」と言った。

かれらは言った「おまえは真理をもたらしたのか、それとも戯れる者なのか」。かれらは言った「そうではない、あなたがたの主は、天と地の主、無から天地を創造された方であられる。そして私はそれに対する証人のひとりである」。「神によって誓う、私はあなたがたが背を向けて去ったあとで、あなたがたの偶像に対し、一つの策をめぐらすであろう」。こうしてかれは、ただ一体の巨像を除き、多分かれらがそれに返って来るであろうと思って、それらをたたきこわした。

かれらは「誰がわしらの神々をこうしたのであろうか、まことにかれは不義の者である」と言った。ある者が言った「わしらは、アブラハムという若者が、その方々をあげつらうのを聞いた」。いかれらは言った「それなら、その者を人びとの目の前に引き出せ、多分みなが証言するであろう」。「アブラハムよ、おまえか、わしらの神々に対しこんなことをしたのは」と言った。

かれは答えて言った「確かに誰かがかそれをしたのだ、かれらのかしらはこれである、かれらに口がきけるなら、かれらに問え」。そこでかれらは、自ら良心に顧みて心に言った「確かにおまえたち自身が悪いのだ」

間をおいて、かれらはまた翻意して言った、「おまえはこれら神々の、口がきけないのをよく知っている」。アブラハムは言った「それならあなたがたは、あなたがたをいささかも益せずまたそこなわない、神以外のものを崇拝するのか」。「ああ、情けないことだ、あなたがた、ならびにあなたがなの神以外を崇拝するものは。あなたがたはなお悟らないのか」。かれらは言った「もしおまえたちがやるのなら、かれを焼き殺せ、そしておまえたちの神々を救え」。そのときわれは「火よ、冷たくなれ、アブラハムの上に平安あれ」と命じた。かれらはかれに対しさらに策動しようとしたが、われはかれらをひどい失敗者にした。われはかれとそのおいのロトを、よろず世のために、われが祝福した地に救った。(注10)クルアーン21.51 ~ 71(イスラーム)

これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。「恐れるな、アブラムよ。私はあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。私に何をくださるというのですか。私には子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」

アブラムは言葉を続けた。「御覧のとおり、あなたは私に子孫を与えてくださいませんでしたから、家の僕が跡を継ぐことになっています。」見よ、主の言葉があった。「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継く。」主は彼を外に連れ出しで言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
創世記15.1 ~ 6(キリスト教)

信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。
ヘブライ人への手紙11.8 ~ 10(キリスト教)


―み言選集―

アブラハムも・父テラの家で革命的な要素を請求しました。そうでしょう?「父よ、この偶像は何だ」と言いながら足で偶像をけ飛ばしたではないでしょうか。家に入っていくたびに、「これはいつか私の手で.……」、何十回も心で決意したのです。
(151-62、1962.10.7)

アブラハムを考えてみてください。偶像商の愛らしい息子として、父母の膝元ですくすくと成長したのですが、神様が彼を呼び、「アブラハムよ、アブラハム! お前はテラの家から離れなさい。カルデアのウルに向かいなさい」とおっしゃったのです。

それは、予告して下された命令ではありません。呼んですぐに下された雷のような命令です。青天の霹靂のような命令が落ちたのです。そのときには、ぐずぐずしていてはいけません。出発するのを待っていたかのように、すぐに出発しなければならないのです。「ああ、少し待ってください」とためらってはいけません。出発が潔くなければなりません。出発が誤れば、千秋万代の歴史の恨になる汚点を残すようになります。それでは、それがサタンの讒訴条件になり、経てきたすべての歴史が否定されるようになるのです。このようなことを知っているので、天の命令に従っていった人たちは、命令を受けて即座に行動するのです。
(43-270、1971.5.1)

神様がアブラハムを導き出そうとするのですが、もしアブラハムの同労者がいれば、ついてくるかと心配せざるを得ない立場ではなかったかというのです。アブラハムは神様の命令を聞くのですが、一般の人も聞くことができますか。アブラハムだけが聞くのです。

また、自分の父母に、「お父さん、お母さん、神様が私にカルデアのウルに行きなさいと言うので、そのようにします!」と言えば、「お前はどうかしている」と言うでしょう。ですから、話もできなかったでしょう。
目指す所も、何十里、何百里ではありません。どこに行くのか分からないのです。アブラハムは、国境を越えてエジプトまで往来しました。アブラハムは自分の父母よりも、自分の故郷よりも、自分の親戚よりも、その何よりも神様のみ言を絶対に信じ、神様を絶対に愛する心があったので、その環境をかきわけて出発できたのではないかというのです。

アブラハムには、神様の命令以外にはないのです。命令を命よりもっと重要視しました。間違いなく夜逃げしたでしょう。こうしてアブラハムは、ジプシーのような行脚の路程、とどまる所なく流れていく生活を続けたのです。アブラハムは、このように世の中のすべてのものをきっぱりと断ち切った人です。完全否定を基礎として出発した人です。
(69-95 ~ 96, 1973,10.21)

アブラハムを見てみましょう。神様は偶像商である彼の父親から、彼を分立させました。彼は、家族、祖国、物質的な富、そして、すべてのものを捨てなくてはなりませんでした。そのように、サタン世界から彼を断絶させることにより、彼は、カナンに入っていくようになったのです。神様は、彼を鍛錬し、彼をして、彼自身の民族だけでなく他の民族、さらには怨讐のためにも泣くことができるようにさせながら、摂理を発展させました。
(52-53、1971.12.14)

天は、選んだアブラハムをカルデアのウルに導き出し、そのような場に送りました。荒れ地のような所に追い込んだのです。アブラハムは、そこで天が立てようとしていた天主権の国が建てられる一日が来ることを待っていました。

天が祝福した息子、娘が砂浜の砂粒のように、天の星のように増え広がり、悪の世の中を打つことができるその日を待ち焦がれながら私達の先祖たちは故国の山河を捨てた事実を私達は知らなければなりません。なぜでしょうか。

怨讐の国、怨讐の鉄条網の中に捕らわれているので、身の毛がよだつように感じられなければなりません。体に鳥肌が立つのを皆さんも感じなければなりません。このようなことを感じることができなければ、皆さんは天の前に完全な信仰者だと言うことはできないのです。

天がアブラハムを立てた目的は何でしょうか。遠い距離にいる人間、敵陣の中にいる人間、サタン世界(注11)にいる人間と連絡できる一つの基盤として、これを土台として横的に広げていこうとしたのです。しかし、もし間違えば天と地の関係が切れるので、仕方なくアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と言い、直系の血統を通して活動してこられたのです。皆さんはこれを知らなければなりません。

イサクとアブラハムが祝福を受けるとき、彼らがもったものは何だったでしょうか。選民だということしかありませんでした。「お前はサタン世界と妥協してはならない。和合してはならない。お前は選民なので、生活も異なり、感情も異なり、願う希望も異なり、お前が夢見る理想も異なる。お前は私を通して勝利の一日を迎えてこそ、お前の子孫が生きる」という観点から、神様はアブラハムを祝福しました。

したがって、アブラハムも、そのような観点からイサクを祝福しなければならなかったのであり、イサクもそのような観点からヤコブを祝福しなければならなかったのであり、ヤコブもそのように彼の後代を祝福しなければなりませんでした。
(7-215 ~ 216、1959.9.13)

 

②アブラハムの祭物失敗

―宗教経典―

主は言われた。「私はあなたをカルデアのウルから導き出した主である。私はあなたにこの土地を与え、それを継がせる。」アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。この土地を私が継ぐことを、何によって知ることができましょうか。」主は言われた。「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩と、鳩の雛とを私のもとに持って来なさい。」アブラムはそれらのものをみな持って来て、真っ二つに切り裂き、それぞれを互いに向かい合わせて置いた。ただ、鳥は切り裂かなかった。荒い鳥がこれらの死体をねらって降りて来ると、アブラムは追い払った。日が沈みかけたころ、アブラムは深い眠りに襲われた。すると、恐ろしい大いなる暗黒が彼に臨んだ。主はアブラムに言われた。「よく覚えておくがよい。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。創世記15.7 ~ 13(キリスト教)
―み言選集―

アブラハムを考えてみましょう。祭物を捧げるとき、牛と羊はすべて裂き、はとは裂かなかったのですが、なぜ裂かなかったのかというのです。もう一度公的に考えて……。

「これは私のためにするのではなく、神様のためにすることであり、人類のためにすることだ」ともう一度考えていれば、はとも裂かなければならないことが分かったはずであり、そうしていれば歴史に汚点を残さなかったでしょう。
(93-314、1977.6.12)

アブラハムは裂くべき鳩を裂かなかったので、その上に荒い鳥が降り、それによって、イスラエル民族はエジプトに入り、400 年間苦役するようになったのである。それでは、鳩を裂かなかったことが、どうして罪になったのだろうか。……

救いの摂理の目的は、善と悪とを分立させ、悪を滅ぼし、善を立てて、善主権を復帰しようとするところにある。ゆえに、アダムという一人の存在を、カインとアベルに分立したのちに、献祭させなければならなかったことや、また、ノアのとき、洪水で悪を滅ぼして善を立てた目的は、みな善主権を復帰せんとするところにあったのである。したがって、神は、アブラハムをして供え物を裂いてささげるようにし、アダムやノアが完成できなかった善悪分立の象徴的摂理をしようとされたのである。……

このように、アブラハムが鳩を裂かずにささげたことは、サタンのものをそのままささげた結果となり、結局、それはサタンの所有物であることを再び、確認してやったと同様の結果をもたらしてしまったのである。
原理講論、復帰基台摂理時代3.1.2

神様は、アブラハムの時に象徴的祭物条件を立てて転換しようとしたことができなかったので、イサクを通して、ヤコブを通して、3段階を経て象徴、形象、実体的過程を通して転換時点をつくったのです。(81-96、1975.12.1)
③アブラハム、イシマエル、そしてイスラームの根

―宗教経典―

アブラムの妻サライには、子供が生まれなかった。彼女には、ハガルというエジプト人の女奴隷がいた。サライはアブラムに言った。「主は私に子供を授けてくださいません。どうぞ、私の女奴隷のところに入ってください。

私は彼女によって、子供を与えられるかもしれません。」アブラムは、サライの願いを聞き入れた。アブラムの妻サライは、エジプト人の女奴隷ハガルを連れて来て、夫アブラムの側女とした。アブラムがカナン地方に住んでから、十年後のことであった。アブラムはハガルのところに入り、彼女は身ごもった。

ところが、自分が身ごもったのを知ると、彼女は女主人を軽んじた。サライはアブラムに言った。「私が不当な目に遭ったのは、あなたのせいです。女奴隷をあなたのふところに与えたのは私なのに、彼女は自分が身ごもったのを知ると、私を軽んじるようにになりました。主が私とあなたとの間を裁かれますように。」

アブラムはサライに答えた。「あなたの女奴隷はあなたのものだ。好きなようにするがいい。」サライは彼女につらく当たったので、彼女はサライのもとから逃げた。主の御使いが荒れ野の泉のほとり、シュル街道に沿う泉のほとりで彼女と出会って、言った。「サライの女奴隷ハガルよ。あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか。」「女主人サライのもとから逃げているところです」と答えると、主の御使いは言った。「女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい。」主の御使いは更に言った。「私は、あなたの子孫を数えきれないほど多く増やす。」主の御使いはまた言った。「今、あなたは身ごもっている。やがてあなたは男の子を産む。その子をイシマエルと
名付けなさい。主があなたの悩みをお聞きになられたから。
創世記16.1 ~ 11(キリスト教)
アブラハムがこう祈って言ったときを思え「主よ、この町を安泰にして下さい、また私と子らを偶像崇拝から遠ざけて下さい」。「主よ、かれらは人びとの多くを迷わせました。私の道に従う者は、まことに私の一類であります。私に従わぬ者は....、だがあなたは、たびたび許したもう方・慈悲深い方であられます」。

「主よ、私は子孫のある者を、あなたの聖殿のかたわらの、耕せない谷間に住まわせました。主よ、かれらに礼拝の務めを守らせ、それで、ある人びとの心をかれらに引きつけさせ、またかれらに果実をお授け下さい、おそらくかれらは感謝するでありましょう」。(注12)
クルアーン14.35 ~ 37(イスラーム)


―み言選集―

アブラハムが「象徴献祭」に失敗しなかったならば、イサクと彼の腹違いの兄イシマエルが、各々,アベルとカインの立場に立って、カインとアベルが成就できなかった「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てるべきであった。

しかしアブラハムがその献祭に失敗したので、神は彼の立場にイサクを身代わりに立たせ、イシマエルとイサクの立場には、各々、エサウとヤコブを代わりに立たせて、彼らをして、「堕落性を脱ぐための蕩滅条件」を立てるように、摂理されたのである。

ゆえに、イサクを中心としたエサウとヤコブは、アダムを中心としたカインとアベルの立場であると同時に、ノアを中心としたセムとハムの立場でもあったのである。(注13)原理講論、復帰基台摂理時代3.2


アブラハムの妾を通して生まれたイシマエルを中心として、反対の立場でカインとアベルのように分かれてきたのです。アブラハムの妾であるハガルがサラと争って怨讐になりました。

本来は一つにならなければならないのです。二人が一つになっていれば、神様もそのようなことをしなかったのです。妾と本妻の争いが起きました。それでサラがハガルを追い出してしまったのです。
そのように分かれたものが、イエスの時代になっても一つになれませんでした。イエス様が死ぬことによって、左右は左右で、前後は前後で分かれたというのです。国で言えば、左翼的な国が生まれ、宗数的な面ではキリスト教と反対の宗教が出てきて中東世界を導いてきました。
(215-253、1991.2.20)

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世界経典-34

2022年05月22日 16時27分33秒 | 学習

②ユダヤ人の苦難

―宗教経典―

我らが敵から敗走するままになさったので、我らを憎む者は略奪をほしいままにしたのです。あなたは我らを食い尽くされる羊として、国々の中に散らされました。御自分の民を、僅かの値で売り渡し、その価を高くしようともなさいませんでした。我らを隣の国々の嘲りの的とし、周囲の民が嘲笑い、そしるにまかせ、我らを国々の嘲りの歌とし、多くの民が頭を振って侮るにまかせられました。

辱めは絶えることなく私の前にあり、私の顔は恥に覆われています。嘲る声、ののしる声がします。報復しようとする敵がいます。これらのことがすべてふりかかってもなお、我らは決してあなたを忘れることなく、あなたとの契約をむなしいものとせず、我らの心はあなたを裏切らず、あなたの道をそれて歩もうとはしませんでした。
あなたはそれでも我らを打ちのめし、山犬の住みかに捨て、死の陰で覆ってしまわれました。このような我らが、我らの神の御名を忘れ去り、異教の神に向かって、手を広げるようなことがあれば、神はなお、それを探り出されます。心に隠していることを神は必ず知られます。
詩篇44.11 ~ 22(キリスト教)

イスラエルの民をオリーブの木に例えることができる。オリーブが強い圧力を受けるとき、あぶらを吹き出すように、イスラエルの民も苦痛を通してこそ、義人の姿に戻っていく。
タルムード、ムナホート53b (ユダヤ教)

「私は恋に病んでいますから」(雅歌2 章5 節)。イスラエルの人々が聖なる主、神の前で言った。「万宇宙の主人よ、私に与えられたすべての疾病が、私をしてあなたにより愛されるようにしてくれました」。

また他の聖句でイスラエルの人々は聖なる主、神の前でこのように言った。「万宇宙の主人よ、私にこの国が与えているすべての苦難の理由も、私があなたを愛するからです」。
雅歌ラッバー2.5(ユダヤ教)

私達は羊の群れ。道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。その私達の罪をすべて、主は彼に負わせられた。(注27)
イザヤ書53.6(キリスト教)


―み言選集―

イスラエルの宗教を中心として見るとき、世界には数多くの宗教があります。仏教が現れており、儒教が現れており、ヒンドゥー教が現れているのです。このように宗教が多いといっても、これらの宗教が戦うのではなく、これらを収拾して一つの世界に行かなければならない、全世界の人類がみな分かれて戦うのではなく、一つにしなければならない、宗教と宗教が戦うのではなく、一つ
にしなければならないという思想がなければなりません。

宗教を一つにできる思想があると同時に、すべてのイスラエルは民族を糾合して一つにし、引っ張っていける思想がなければならないのです。神様の創造理想実現は世界的であり、人類的であるために、その創造理想に一致できるこのような思想的内容をイスラエル教団とイスラエル民族がもたなければならなかったのです。
(168-304、1987.10.1)

世界歴史路程において一番根気よく、長い歴史をもった単一民族(注28)として滅びずにもちこたえてきた国が何カ国になりますか。総合して見るとき、ユダヤの国がそうです。2000 年の開国がなく、数多くの国の馬のひづめに踏まれて血を流し、虐殺に遭い、ありとあらゆる虐待をうんざりするほど受けましたが、いまだにその伝統と威信と姿勢を喪失せずに堂々と残っている、世界の流浪の孤客となっても自分の主導的な民族性をもったまま残っている民族が、ユダヤ民族です。

そのユダヤ民族がそのように苦労して何をしますか。迫害が加重されれば加重されるほど、その刺激によって、この世界を支配することのできるお金が必要だということ、内的な知識が必要だということを、いつも考えたのです。

そのためユダヤ民族は乞食の生活をしながらも、息子を勉強させたのです。そのことをしたのです。お金をもうけなければならなかったのです。「徹天之恨」を解くために、「私が頼る力の杖は、お金であり知識である」と考えたので、そこにすべてのものを集結できる立場に、行くまいとしても行かざるを得なかったのです。

そのような立場で、神様が罰としてユダヤ民族をそのように苦労させるのか、そうでなければ最後まで耐えて残る民族にするために訓練させたのでしょうか。このような問題を取り上げてみるとき、神様が愛されてそのような訓練をさせたなら、世界を制覇できる祝福は、そのようにうんざりするほど苦労した民族が受けるだろうということは、当然の結論です。

神様のみ旨を見るとき、神様が道しるべを立てるのは、道しるべをして山を占領し、占領した特権的な権威をみなもたせるためであり、道しるべの使命のみ賦与するためではないというのです。道しるべの使命のみをするための特殊民族は、その民族の道しるべ的な立場だけの特殊民族です。それをみな済ませたのちに、万民を特殊的な価値と栄光の位置に立てるためのものが神様の救援摂理です。これを考えるとき、その特殊的な民族の内容はどのようなものでなければならないのでしょうか。万民を包括することのできる自主的な力量をもたなければなりません。それをもてなければ、この世界を消化することはできないでしょう。
(81-190 ~ 191、1975.12.28)

すべての宗教を糾合するための神様のみ旨があったことを知らなければなりません。イスラエル民族を犠牲にさせることによって、世界を一つに糾合しようとされた神様のみ旨がありました。600 万が問題ではありません。宗教を一つにすれば、人類が一つになることができるのです。

そのように宗教を糾合する中で、ユダヤ教はどれくらい団結したでしょうか。最も強く団結した宗教団体です。いかなる宗教団体よりも彼らは直接苦難を受けたので、最も強く一つになることができるユダヤ教になったのです。
宗教を一つにするにおいて誰が中心の位置に立てるのでしょうか。ユダヤ教が中心の位置に立たざるを得ません。これが摂理的な観点から見たレバレンド・ムーンが説明する結論です。
(105-126 ~ 127、1979.10.4)
③ユダヤ教とキリスト教の関係

―宗教経典―

私はキリストに結ばれた者として真実を語り、偽りは言わない。私の良心も聖霊によって証ししていることですが、私には深い悲しみがあり、私の心には絶え間ない痛みがあります。私自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。彼らはイスラエルの民です。神の子としての身分、栄光、契約、律法、礼拝、約束は彼らのものです。……

では、尋ねよう。神は御自分の民を退けられたのであろうか。決してそうではない。私もイスラエル人で、アブラハムの子孫であり、ベニヤミン族の者です。……

福音について言えば、イスラエル人は、あなたがたのために神に敵対していますが、神の選びについて言えば、先祖たちのお陰で神に愛されています。神の賜物と招きとは取り消されないものなのです。あなたがたは、かつては神に不従順でしたが、今は彼らの不従順によって憐れみを受けています。

それと同じように、彼らも、今はあなたがたが受けた憐れみによって不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今憐れみを受けるためなのです。神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人を憐れむためだったのです。
ローマの信徒への手紙9.1 ~ 5、11.1、11.28 ~ 32(キリスト教)


―み言選集―

今日、ユダヤの民がこの地上に生きています。ところで、その民族は神様のみ旨に背いた民族なのに、どうして神様は彼らを捨てることができないのでしょうか。もちろんユダヤの民が横道にそれたのですが、神様が選んだ選民として神様のために変わらない心をもってきたからです。天に反対する立場にいますが、いつしか神様を尋ね求めていくようになるときは、どの民族よりも神様が忍耐したこと、耐えられたことを任せることのできる民族なので、摂理の道に背きましたが、捨てることができないのです。

歴史過程でいかなる逆境がぶつかってくるとしても、天のために摂理歴史のために歩んでいく民族がいるとすれば、その民族は世界を支配するでしょう。自分たちがもつ決心と覚悟が天のために生きる心が根拠になっている限り、一時、神様のみ旨に背き、サタンの使いをしたとしても、最後まで忍耐できる貞節をもっていけば、サタンは結局、屈服してしまうのです。
サタンは忍耐しようにも忍耐できず、我慢しようにも我慢できません。サタンが忍耐でき、我慢できれば、神様に背いて6000 年の歴史を逆らってくることはなかったでしょう。

神様を中心とする民族がいかなる逆境にぶつかっても、自分の民族が天の選民だということを主張すれば、その民族は世界からいなくならないでしょう。今日、ユダヤの民が世界の経済圏を握り、それ以外の様々な分野で主導権を行使できるのも一理があることを皆さんは知らなければなりません。
(4-243 ~ 244、1958.5.18)

ユダヤ教は旧約を中心とするみ旨の先祖なので、第一世型の長兄であり、キリスト教は新約を中心とする第二世型の次男であれば、統一教会は約束を成す成約の内容を備えた第三世型の末弟です。この三つの宗教はみ旨の三兄弟なので、彼らの母体であるイスラエルとアメリカと韓国はみ旨の三兄弟国になるのです。
ですから、UNでサタン側の共産圏からこの三カ国が同じように追われているのは、み旨的に共同運命にあるからです。この三カ国が一体化して手を結び、UN本来の使命と機能を回復し、内的には宗教を統一し、外的には世界統一を成し遂げなければなりません。
(88-211, 1976.9.18)


④イスラエルの地

―宗教経典―

シオンのために、私は決して口を閉ざさず、エルサレムめために、私は決して黙さない。彼女の正しさが光と輝き出で、彼女の救いが松明のように燃え上がるまで。諸国の民はあなたの正しさを見、王はすべて、あなたの栄光を仰ぐ。主の口が定めた新しい名をもって、あなたは呼ばれるであろう。

あなたは主の御手の中で輝かしい冠となり、あなたの神の御手の中で王冠となる。あなたは再び「捨てられた女」と呼ばれることなく、あなたの土地は再び「荒廃」と呼ばれることはない。あなたは「望まれるもの」と呼ばれ、あなたの土地は「夫を持つもの」と呼ばれる。主があなたを望まれ、あなたの土地は夫を得るからである。
イザヤ書62.1 ~ 4(キリスト教)


あなたの神、主はあなたの運命を回復し、あなたを憐れみ、あなたの神、主が追い散らされたすべての民の中から再び集めてくださる。たとえ天の果てに追いやられたとしても、あなたの神、主はあなたを集め、そこから連れ戻される。あなたの神、主は、かつてあなたの先祖のものであった土地にあなたを導き入れ、これを得させ、幸いにし、あなたの数を先祖よりも増やされる。
申命記30.3 ~ 5(キリスト教)

われはその後、イスラエルの子らに言った、「この地に住みつけ、だが来世の約束が来るとき、われはなんじらを一雑群にするであろう」。(注29)
クルアーン17.104 (イスラーム)

私達の霊魂のルネサンスとともに世界の文明は新しく生まれるだろう。争いは終息し、私達の復活とともにあらゆる生命体が新しい誕生の喜びで満たされるようになるだろう。宗教は新しく貴重な衣服に衣替えし、汚れて、みすぼらしく、不潔なすべてのものを脱ぎ捨てるだろう。太初に人類のためにイスラエルの井戸端に準備した高潔な光の露を飲み、すべてが和合するだろう。人類に向かうアブラハムの壮健な祝福が実現され、これによリイスラエルの地に新しい豊かさが訪れるだろう。
アブラハム・イサク・グク、シオン主義


―み言選集―

イスラエルはどんなに難しい時代と環境を経たとしても、自分たちが選民であるという意識を失いませんでした。行くところ行くところで迫害と悲しみがいつでも彼らを待ち受けていましたが、彼らはその悲しみを通して一日の希望を標準として行ったのです。

その悲しみが彼らを落胆させたのではなく、かえ
って彼らを団結させ、難しい環境を打開させる歴史的な闘争過程を越えさせたという事実を、私達は知っています。そのため、悲しみというものは落胆の条件になることもできますが、目的をもっていく人には、かえってそれが目的を成就させることのできる内的な力を結成する条件になるという事実を、私達は知らなければならないのです。

それではイスラエル民族が念願したものは何でしょうか。唯一神を中心として国家と民族が心情一致した理念圏内に立つことでした。それを追求してきながら、彼らは死んだとしてもそれを胸に抱いて死にました。そのみ旨を成せないことを恨として残しました。彼らが死ぬとき、父母としてあるいは何らかの指導者として、子孫の前にそのみ旨を成し遂げることを、遺言として残しまし
た。このようなことを見てみるとき、悲しい歴史過程を経てきた民族であればあるほど、その歴史過程を通して世界的な勝利の基盤を迎えることができるという事実を、私達は推測することができるのです。

しかし、彼らは国のない中で悲しい運命にぶつかればぶつかるほど、自分たち民族に現れる環境を眺めれば眺めるほど、いつも国家観念をもち、同族愛を増していったのです。その悲しみにぶつかることによって、新しい国家を追求するようになり、自分たちが拘束された環境を打破して解放された新しい環境を追求することができたのです。その悲しみが正にそのような動機となったのです。そのような民族はいつの時か必ず勝利の一時を迎えるということを、私達は知らなければなりません。(30-247 ~ 248、1970.3.29)
イスラエル民族は、主に会えば、イスラエル民族を中心として天下統一をすると思っていました。愛するものに自分自身を投入し、歴史を再創造して愛の対象を求めていくのが神様のみ旨だということを知らなかったのです。来られる主と共に、イスラエル民族を中心として投入し、ローマとアジアを統一しようという神様の摂理を知らなかったので、イエス様を殺害したのです。

イエス様を殺害することによって、イスラエル民族は2000 年間さまよい、馬蹄で踏み殺され、銃剣で撃たれ、引き裂かれて殺害される、あらゆる屈辱を受けました。その後、主が再び来ることができる再臨時代の1948 年度を中心として、韓国の独立と同じイスラエルの独立が訪れるのです。(注30)
(208-286 ~ 287、1990.11.20)

イエス様が来られた目的とは何かというと、国を取り戻すことです。氏族的メシヤは、イエス様がイスラエルの国とユダヤ教を中心として国を取り戻すことができなかったので蕩減しなければなりません。そのような面から見るとき、祝福家庭はイエス様の立場に立つので、国を復帰しなければならないのです。

イスラエルは南と北に分かれています。北朝の10 支派と南朝の2 支派に分かれています。レアとラケルによって一つにならなければならなかったのが、戦争によって国家的な基準で分割されてしまったのです。モーセの時代にそのようになりました。イエス様は、そのような立場で亡くなったのです。それを象徴するのが右側の強盗と左側の強盗です。

それがカイン・アベルの立場で世界的な基準になっているので、その基準の上に再臨主が来て転換し、勝利圏を成して統一しなければならないので、再臨主の使命をもつ人は、共産主義を整備しなければなりません。それで先生は、共産主義を打倒する世界一のチャンピオンとして働かざるを得ませんでした。

そして、民主主義を一つにしなければならず、世界を一つにしなければならず、アメリカさえも収拾してあげなければなりません。そして、宗教界と政治界がすべて一つにならなければなりません。今、イスラエルとキリスト教が怨讐でしょう? イスラエルとイスラーム圏の中東が怨讐関係です。これを平和にしなければなりません。
(250-331、1993.10.15)

 

8.キリスト教

キリスト教は、文鮮明先生が受け継いだ宗教であるため、ほかの宗教より深く語ることができる。先生の主な教えも、キリスト教の性格と関連したキリスト教の核心的伝統、教会一致、キリスト教の世界福音化などと直接関連している。

キリストの例に見るようにキリスト教の核心伝統は愛と犠牲である。キリスト教徒は、イエス様がそうしたように、自分の十字架を背負うことや、神様のみ旨のために苦痛を受けるのを躊躇したり恐れたりしない。したがって、キリスト教は簡単で平安な宗教ではなく、常に献身と勇気、そして確信が必要な宗教である。

キリスト教徒の愛は、キリスト教の根本的な核心伝統だ。イエス様は、弟子たちに怨讐を愛し、自分を陥れ、傷つける人を赦しなさいと教える。
キリストの愛を実践するキリスト教徒の教えは、真に崇高で美しいものである。

しかし、キリストの愛が完全に実践されず、時にはほかの教会信者と共感帯を形成できず、キリスト教は、草創期から内部葛藤の問題を内在していた。キリスト教の愛より教理の潔癖主義と教派の利益を前面に立てながら、教会は互いに争い、迫害し、全般的にキリスト教に大きな被害を与えた。

文鮮明先生は、キリスト教の核心真理を明確に解明しながら、愛の実践と教会一致のために献身してきた。キリスト教は、全人類を救援する世界的使命をもっている。文鮮明先生にとってこれは福音を説教したり、異教徒を改宗させる問題ではない。今日、世界の多くの宗教の中で、地球上のあらゆる文明を民主的価値と愛と博愛の倫理で導いたのは、キリスト教の輝かしい貢献である。教会の究極的使命は、このような価値の土台の上に、イエス様が再び降臨するときに立てられる神様の地上天国を準備することである。

この項目は、教会の使命成就に対する成功と失敗の記録として、キリスト教の歴史を示している。キリスト教の歴史は、少なくない欠陥を露呈させた歴史だった。教会が権力と富、そして世の中の権威という世俗的価値を追求したときは、失敗し続けた。反面、教会がキリストの犠牲と伝統を中心として真の信仰の自由を追求するときは一様に発展した。

このような歴史過程において、神様は権威あるキリスト教文明(草創期に中世時代のローマ・カトリックを通し、そして今日ではアメリカを中心とするプロテスタントを通して)を土台として神様の王権を立てようと試みた。ところが、バチカンの指導者たちが愛と犠牲など、イエス様の核心伝統に従う生き方より、権力と世俗的栄光をより追求していた中世文明は、消えた。

今日、この世界を神様の王国に導く使命をもったキリスト教国家の代表国であるアメリカは、中世と似た試練に直面している。


①キリスト教の核心的伝統:愛と犠牲

―宗教経典―

自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、私の弟子ではありえない。
ルカによる福音書14.27(キリスト教)

私のためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。マタイによる福音書5.11~12(キリスト教)

そればかりでなく、苦難をも誇りとします。私達は知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望は私達を欺くことがありません。私達に与えられた聖霊によって、神の愛が私達の心に注がれているからです。
ローマの信徒への手紙5.3 ~ 5(キリスト教)
彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。信者たちは皆一つになって、すべての物を共有し財産や待ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされた
のである。(注31)
使徒言行録2.42 ~ 47(キリスト教)

愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、私達が生きるようになるためです。ここに、神の愛が私達の内に示されました。私達が神を愛したのではなく、神が私達を愛して、私達の罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのように私達を愛されたのですから、私達も互いに愛し合うべきです。いまだかつて神を見た者はいません。私達が互いに愛し合うならば、神は私達の内にとどまってくださり、神の愛が私達の内で全うされているのです。
ヨハネの手紙一4.7 ~ 12(キリスト教)

だが、こうした愛の業、まさにその業のゆえに、一部の人たちからわれわれは刻印を捺されているのである。連中はいう。「見ろ、奴らは互いに愛し合っている」。そういう人々は互いに憎み合っでいるのだ。「奴らは仲間のためにならいつでも死ぬ覚悟でいやがる」。その連中は互いに殺し合う気持ちしかもっていないのだ。
テルトゥリアヌス護教論

キリスト教徒の血は、種子なのである。
テルトゥリアヌス護教論
―み言選集―

キリスト教は十字架で出発して、行く先々で打たれて血を流した。今日、キリスト教は、世界から打たれる立場をとらなければ世界を主管することができない。見てごらんなさい。一番多く倒れたバチカンの丘にキリスト教の宮殿が立ったではないか。
御旨の道、試験・試練

今日のキリスト教が世界的版図を成し遂げるまで、どれほど犠牲の代価を払ったか分かりません。殉教の祭壇に絶えず犠牲にさせることによって、悲惨なその喚声が地球上に響き渡り、その泣き声が聞こえない所がないほど歴史を傷つけてきたのです。そのような血の祭壇が連続し、今日、目前にまで到達した歴史的な恨が絡まっていることを知らなければなりません。これを受け継いで解怨しなければならない厳粛な歴史的課題を抱えている私達は、神様を解放し、キリスト教を再び解放しなければなりません。
(210-361、1990.12.27)
ゲッセマネの園で血涙を流して祈祷されるイエス様の姿、ゴルゴタに向かって十字架を背負っていかれるイエス様の聖なる姿を通して、イスラエル民族は天に背いた反逆の群れになりましたが、彼らを立てるために苦労された神様の悲しい歴史が引き継がれたのです。

この涙の歴史、この汗の歴史、この血の歴史を相続されたのがキリスト教だということをはっきりと知らなければなりません。このような内容を知らない人は滅びます。イスラエル民族がこれを知らずに滅びました。皆さんも、ただ聖書や賛美歌だけを聞いて教会に出入りするのではなく、血を流す神様を身代わりしたイエス様を知り、涙を流す神様を身代わりしたイエス様を知り、汗を流す神様を身代わりしたイエス様を知らなければなりません。このような犠牲と死で世界を占領していくのがキリスト教の伝統であり、神様が人間を取り戻してこられる伝統的な路程です。
(10-281、1960.11.6)


今日、キリスト教がすべきことは、苦痛が伴うことをどのように消化するかが問題です。天の心情を引き込み、「お父様! イエス様が十字架の苦痛を堂々と越え、死の伝統を堂々と越え、かわいそうな万民のために祈ることができたように、私達もそのような立場でイエス様がもっていた心をもつようにしてください」と思える心をもつこと、問題はそれです。
(7-96、1959.7.19)

キリスト教徒たちが好んで語る聖句は、ヨハネによる福音書第3章16 節です。そこに「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」とあります。今、キリスト教徒たちは、「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった」ことを忘れてしまっています。

この世というのは、この宇宙全体を意味するのです。この世を愛されてイエス様を送ったのです。
教会を、ユダヤ教を、ユダヤ人をこのように愛したのではなく、この世を愛してひとり子を送ったという事実を忘れてしまっているのです。

イエス様は、どのような方ですか。世界の中心になる存在です。世界を救うために来た方です。イエス様を信じるというその信仰の中には、世界がすべて入っていくのです。神様も入っていき、この地も入っていき、全体が入っていくという概念を知らずにいます。
(124-294、1983.3.1)

 

②キリスト教の一致

―宗教経典―

体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。
エペソの信徒への手紙4.4 ~ 6(キリスト教)

従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。
エぺソの信徒への手紙2.19 ~ 22(キリスト教)

彼らのためだけでなく、彼らの言葉によって私を信じる人々のためにも、お願いします。父よ、あなたが私の内におられ、私があなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らも私達の内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたが私をお遣わしになったことを、信じるようになります。

あなたがくださった栄光を、私は彼らに与えました。私達が一つであるように、彼らも一つになるためです。私が彼らの内におり、あなたが私の内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたが私をお遣わしになったこと、また、私を愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。
ヨハネによる福音書17.20 ~ 23(キリスト教)

あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。
コロサイの信徒への手紙3.12 ~ 15(キリス教)


―み言選集―

キリスト教は、「教会はイエスの体である」とこのようなことを言っています。この家が、教会がイエスの体なのかというのです。イエスの体とはどのようなものですか。それは教会員たちです。人です。人がイエスの体なのです。

それでは、それがどうしてイエスの体なのですか。イエスの体を中心とするその場に私が代表として立てば、その場に一緒に立っているイエスの体は、人々を代表して立ったものなので、イエスの体の位置に私が入っていくのです。

このように見るとき、二つの教会があり得ますか。今日、たくさんの教派がありますが、これはすべて正しいことではなく、間違った教会であることを知らなければなりません。

このようなことを考えるとき、このような内容を見るとき、今日のキリスト教に分派が多いという事実は、イエスが最も悲しむ事実であることを知らなければなりません。それは何を意味するのかというと、イエスの体をばらばらに引き裂いてしまったということです。2000 年間、キリスト教がしたことは祭物……。

イエスの体と同じ祭物を再び捧げ、勝利の祭物基盤を捧げて越えていくべき世界的な一つの宗教、一つのキリスト教にならなければならないのです
が、このようになったという事実は、イエスにとってとても悲痛なことであり、神様にとってとても悲痛な事実だということを知らなければなりません。

ですから、イエスが心であれば、今日のキリスト教は何ですか。体です。それでは、心と体が別になれますか。なれません。どのようにならなければなりませんか。一つにならなければなりません。

イエスが今までキリスト教を中心としてきた主目的は何ですか。神様は私の神様であり、私達のお父様であり、人類は私達の兄弟であり、この地は私の地だというその観念でした。それ以外にはありません。今日、キリスト教徒たちがこのような思想を受け継がなければならないのです。世界は私の世界であり、万民は私達の兄弟であり、神様は私達のお父様、それで、一つの家の家族にならなければならないというのが神様の思想であり、イエスの思想であり、キリスト教の思想だというのです。

教派が問題ではありません。教派をなくしてでも、民を取り戻さなければならず、教派をなくしてでもこの地を取り戻さなければならないことを知らなければなりません。
(93-12 ~ 25、1977.5.8)

今日、キリスト教の多くの教派はなぜ生じたのでしょうか。キリスト教の中で教派が生じたという事実は、怨讐を愛しなさいというキリスト教の教理とは違います。キリスト教の教理は、怨讐を愛しなさいという教理です。自分の教会内では愛するかもしれませんが、キリスト教徒同士で争っています。
あなたの兄弟を愛しなさいと言いました。キリスト教の兄弟はキリスト教です。長老派は監理教、監理教は聖潔教、すべて兄弟だというのです。
(107-20、1980.2.21)

神様にとって重荷は何ですか。神様にとって重荷とは何か考えてみましたか。それは滅びるキリスト教と多くの宗教が問題だということです。宗教をどのように一つにするのかということが一番の問題なのです。

神様は、宗教をどのように一つにするかということのために頭を痛めていらっしゃるのですが、監理教が、「天のお父様! ほかのキリスト教ではなく、私達監理教に福を下さい」と言えば、それが神様の耳に入っていくでしょうか。400 以上の宗派の中の一つの宗派です。そのようなことを見るとき、神様は「ええい、こいつ!この教派主義者たち! 自分たちのために祈祷する前に、まずキリスト教を一つにしなさい! 一つにしてから祈祷しなさい」、そのように思われるのです。

「そのようにすれば、私が一度祈祷を聞いてあげよう」、このように思われるというのです。キリスト教が一つになったところで、「神様、私達キリスト教を通してあなたが最も頭を痛めた重荷である宗教を一つにするために私達に力を下さ
い! 能力を下さい! 一つになるように協助してください!」と言うとき、天が「お前の祈祷は正しい」と言うのであって、「ええい、こいつ。欲が深い。そのような祈祷は役に立たない」と言われるでしょうか。ですから、神様は教派を崩すことのできる人が出てくるのを願っていらっしゃるのです。教派を崩して一つにできる人が出てくることを待っていらっしゃるというのです。
(98-114 ~ 115、1978.5.7)

それで、世界のキリスト教を統一するときは、神霊で一つにするのです。それで神霊協会なのです。拳で統一するのではなく、銃剣で統一するのではなく、神霊で統一するのです。何で統一するのかというと、人間の力ではできません。これは霊的世界を動かしてこそ可能です。

キリスト教を統一しようとすれば、統一できなかったキリスト教の内容を完全に除去させて、統一できる内容だけを残しておけば統一されます。統一できないものを除去し、統一できるものだけを残しておけば統一されるようになっています。ですから、ここには全世界のキリスト教がもつことができない新しい真理体系、旧約聖書から新約聖書に、そしてこれからの未来に連結される聖
書体系に至るまで、新しい観を形成しなければならないという言葉が成立するのです。その観自体が神様の見る観であり、霊界が見つめる観でなければならないのです。

霊界の協助を受けようとすれば、神様が協助しようといって立ち上がらなければなりません。神様が霊界の王としていらっしゃるなら、王が「う~ん」と言っているのに、部下たちがいくらやってもそれは駄目です。その王である神様が興奮して、「それはそうだろう! 私の時が来た」、このように気分を良くしてこそ、その部下の霊界がすべてついていって一つになれるのであって、神様が反対しているのに、霊界が協助することはできません。神様が心の中で旧約聖書と新約聖書の内容を骨子にまとめたものを鑑定されるとき、「ああ、その人は正しい。統一教会はなかなかいい」という、このような何かがなければなりません。
(113-97、1981.5.1)


③世界に対する教会の使命

―宗教経典―

主である私は、恵みをもってあなたを呼び、あなたの手を取った。民の契約、諸国の光として、あなたを形づくり、あなたを立てた。
イザヤ書42.6 (キリスト教)

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
ヨハネによる福音書3.16 ~ 17(キリスト教)

つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉を私達にゆだねられたのです。ですから、神が私達を通して勧めておられるので、私達はキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。
コリントの信徒への手紙二5.19-20 (キリスト教)

イエスは、近寄って来て言われた。「私は天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民を私の弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
マタイによる福音書28.18 ~ 20(キリスト教)

使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアめ全土で、また、地の果てに至るまで、私の証人となる。」
使徒言行録1.6 ~ 8(キリスト教)
―み言選集―

皆さん、キリスト教徒、イエス様を信じる人たちが一般社会の人よりも悪いという評判を聞いたことがありますか。それはどういうことかというと、神様を信じるという人たちがもっと悪だ、もっと利己主義だということです。

アメリカの人たちがなぜ個人主義になったのですか。イエス様が個人主義者ですか。神様が個人主義ですか。ところが、なぜイエス様をよく信じる国家を代表するアメリカの人たちがなぜ個人主義になったのですか。イエス様を信じたのなら、そのような人になりません。イエス様を信じているのに、なぜそのようになったのですか。

それは端的に何を意味するのかというと、神様を信じることを利用したのであり、イエス様を信じることを利用したのです。自分の利益のために信じたという結論にしかなりません。
(124-294、1983.3.1)

それでは、祭物とはどのような存在ですか。受けられる神様が喜ばれ、万民が喜んだのちに、初めて頭を上げる存在です。ところが、今日のキリスト教が、神様が喜ばれる前に頭を上げ、万民が喜ぶ前に頭を上げたのなら、崩れます。

キリスト教が万民のために奉仕しなければならない使命を負っているのに、そうすることがでぎずにいれば、万民のために祭物にならなければならないのに、そうすることができずにいれば、改革すべき時が来るのです。

ですから、万王の王であり、天の皇太子であるイエス様も喜ぶことができずにいます。なぜかというと、祭物として来られたためです。霊界に行っても、神様は喜ばれ、地上の聖徒は喜んでも、祭物であるイエス様は喜べません。神様と万民が喜んだのちにこそ、初めてイエス様が喜ぶことができる日が来るのです。その日が再臨の日です。これが祭物の行く道です。
(5-79-80、1958.12.21)

イエス様のような方は、ユダヤ教はもちろん、イスラエルの国とローマの国のすべての人々が死の道へ追いやったのです。しかし、彼が行った道は天道に従って行った道であり、価値のない人生として行った道ではなく、崇高で、無限の価値の基準をもって行った道です。

その価値の基準は、全世界が願うことのできる中心内容をもったものなので、彼の教えは、必ず人間が求めるべき希望の基準であり、求めるべき真の道なので、その教えを通して世界が統合され、
今日の民主世界が創建されたという事実を皆さんは知らなければなりません。
(41-70、1971.2.13)

キリスト教文化圏は、この世界の終わりの日に名実共に世界的な文化圏になれるのです。また、全世界の国家は、この文化圏を中心に基盤を定めざるを得ません。
(39-44、1971.1.9)


今日の皆さんは、そのような物質的な闘争を踏み越え、イエス様の天国の理念に従っていかなければならず、さらには、全世界のキリスト教徒と力を合わせ、神様の国をこの地上に建設しなければならないのです。

言い換えれば、イエス様が、昔のイスラエルの全体的な価値と比喩できるユダヤ教団と一つになり、世界を復帰すべき使命があったのと同じように、今日の全世界のキリスト教徒たちにも、世界を代表できる民主主義の理念と、またその民主主義理念の基本となっているキリスト教の理念を中心として一つに団結し、神様の国をこの地上に建設しなければならない使命があることを知らなければなりません。
(3-123 ~ 124、1957.10.13)


④キリスト教の歴史:勝利主義、腐敗と更新

―宗教経典―

私も言っておく。「あなたはペテロ。私はこの岩(注32)の上に私の教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。私はあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」
マタイによる福音書16.18 ~ 19(キリスト教)

真昼の太陽の頃で、一日がすでに午後になりはじめていた頃、コンスタンティヌスによれば、彼らはまさしく己の目で、ほかならぬ天に、太陽の上に懸かる、その形状が光で示された十字架のトロパイオン(トロフィー)を目にされたのです。それには「これにて勝利せよ」と書かれておりました。彼と兵士全員がその光景を見て驚愕しました。兵士はそのとき、彼がある場所に率いて行く遠征に同道していて、その奇蹟を目にしたのです。
エウセビオスコンスタンティヌスの生涯
真の信仰は、聖なるカトリック聖徒たちの教会がただ一つしかないことを信じさせる。私達は確信をもってこれを信じ、率直に告白する。教会の外では、いかなる救いも罪からの赦免もあり得ない。したがって、今私達は宣布し、決定し、はっきりと言う。すべての人類は救いのために必ずローマ聖職者の権威に服従しなければならない。
ボニファティウス8 世唯一の聖なる

信仰を保護するために世俗の権力者たちは、教会が明示した異教徒たちが占領する区域を打尽するために最善の努力をすると公に誓い、努力しなければならないだろう。
第4 ラテラノ公会議、カノン3

ローマ人たちは、賢く自分たちを取り囲む三つの壁を築いてきた。……第一に、世俗の権力が彼らに対する法的権利をもてないようにした。……第二に、ただ教皇だけが聖書を解析できるようにした。第三に、教皇以外に誰も審議を招集できないようにした。……したがって、必要性が提示されるとき、そして教皇が全キリスト教徒たちに反して行動するとき、能力のある人が全キリスト教の真の一員として、真の自由の審議会を招集するために最善を尽くさなければならない。世俗の権力も、誰もこれをすることはできない。
マルチン・ルター教皇権に対して

宗教は、抑圧された生きものの嘆息であり、非常な世界の心情であるとともに、精神を失った状態の精神である。それは民衆の阿片である。
カール・マルクスヘーゲル法哲学批判序説

また神が私達を称讃と光栄の対象となし、後に続いて建設される植民地(プランテーション)について人びとが「主なる神はこれをニューイングランドの植民地のようになし給うた」というようになるとき、イスラエルの神が私達のあいだにい給うことを知るであろう。というのは、われわれは丘の上の町となり、あらゆる人の目がわれわれの上に注がれることを、考えねばならぬ。
ジョン・ウィンスロップキリスト教的慈愛のひな型
人間社会の出来事を司る、見えないその手を認め、敬拝する義務を合衆国の国民より多く負った国民はいません。合衆国の国民が独立国の地位に向かった一歩一歩が、神の摂理を見せてくれるある徴表をつけていたからです。
ジョージワシントン第1 期大統領就任辞

 

―み言選集―

中世の教皇庁を中心として見るとき、当時は既に腐敗して、彼らは教権と教条に縛られ、神様のみ旨は世界を救うことであるということを忘却してしまいました。世界は、すべてほうり出して、自分たちの権力、自分たちが築いてきた基盤が崩れないかと心配で、目を丸くしながら、そこに反対する者はすべて切ってしまいました。世界を救うためには、何倍もの犠牲を支払ってもかまわないと言ったのですが、自分たちの位置と栄光を得るために、その立場の擁護に陥ったのです。

神様が世界を救おうとするみ旨をもっていらっしゃるなら、これをそのままにしておいては何にもなりません。ですから、壊してしまうか、再び立て直さなければなりません。すなわち、新教運動を起こさなければならないのです。

ですから、マルティン・ルターのような人が現れて正面から衝突したのです。あなた方が愛する神様を私達が信じ、あなた方が愛するそれ以上に私達は世界的に平等な立場で自由な立場で指導しようと考えるのです。そのように考える人がいれば、神様は積極的に協助するのです。
(69-102 ~ 103、1973.10.21)

神様は、摂理の基点を失わないために、天を心配する一人の人、ルターを中心として宗教改革を起こしました。このように神様は、一方は滅ぼし一方は立てる摂理をしてこられたのです。そして、キリスト教を通して第2のイスラエル型を経るようにして、文芸復興を経て一大混乱を経験するようにしたのち、人本主義的理性哲学を中心とした啓蒙思想に敵対して立つことのできる摂理をしてこられたのです。

啓蒙主義者であるルソー、モンテスキューのような人たちは、キリスト教が破滅することを知りました。そうして、ドイツでは清廉な人物たちが現れ、神秘性を鼓吹しながら神様の実体的な内的体験を主張するようになりました。それが、英国を経てウェスレイ兄弟が復興運動を起こすようになりました。のみならず、クェーカー派を起こして神秘的な内的な体験をするようになったのです。

一方、人間は神様を愛することも忘れ、人間を愛する理性も忘れて、物質ばかりを愛する唯物思想的な主義にまで到達しました。堕落した人間であるとしても必ず本然の立場に帰っていかなければならないために、いつの時か、その物質を中心とした思想を打つ時が来るようになります。
(4-18、1958.2.16)

すべての人類の救済を標榜して、2000 年の歴史の渦巻の中で成長し、今や世界的な版図をもつようになったキリスト教の歴史を取りあげてみよう。ローマ帝国のあの残虐無道の迫害の中にあっても、むしろますます力強く命の光を燃え立たせ、ローマ人たちをして、十字架につけられたイエスの死の前にひざまずかせた、あのキリストの精神は、その後どうなったのであろうか。

悲しいかな、中世封建社会は、キリスト教を生きなからにして埋葬してしまったのである。この墓場の中から、新しい命を絶叫する宗教改革ののろしは空高く輝きはじめたのであったが、しかし、その光も激動する暗黒の波を支えきることはできなかった。初代教会の愛が消え、資本主義の財欲の嵐が、全ヨーロッパのキリスト教社会を吹き荒らし、飢餓に苦しむ数多くの庶民たちが貧民窟から泣き叫ぶとき、彼らに対する救いの喊声は、天からではなく地から聞こえてきたのであった。これがすなわち共産主義である。

神の愛を叫びつつ出発したキリスト教が、その叫び声のみを残して初代教会の残骸と化してしまったとき、このように無慈悲な世界に神のいるはずがあろうかと、反旗を翻す者たちが現れたとしても無理からぬことである。このようにして現れたのが唯物思想であった。かくしてキリスト教社会は唯物思想の温床となったのである。

共産主義はこの温床から良い肥料を吸収しながら、すくすくと成長していった。彼らの実践を凌駕する力をもたず、彼らの理論を克服できる真理を提示し得なかったキリスト教は、共産主義が自己の懐から芽生え、育ち、その版図を世界的に広めていく有様を眼前に眺めながらも、手を束ねたまま、何らの対策も講ずることができなかったのである。これは甚だ寒心に堪えないことであった。

のみならず、すべての人類はみな同じ父母から生まれた子孫であるという教理に従って、それを教え、かつ信じているキリスト教国家の国民たちが、皮膚の色が違うというただそれだけの理由をもって、その兄弟たちと生活を同じくすることができないという現実は、キリストのみ言に対する実践力が失われ、灰色に塗られた墓場のごとく形式化してしまった現下のキリスト教の実情を、そのまま浮き彫りにする代表的な例だということができよう。
原理講論、総序

中世時代にキリスト教は、この宗教の理念を中心として、その理念のもとにいる人々は上下を問わず吸収し、融合させなければなりませんでした。ところが、この目的を達成することができず、世俗的に堕落することによって、神様までも打つようになりました。もしローマ教皇庁が腐敗せず、自分たちがいるのは世界のためであり、自分たちがいるのは人類のためだという使命感をもち、自分たちが喜べば、自分たちが喜ぶ前に人が喜ぶことができるように、すなわち自分よりも人のために生きる思想を提唱していたなら、教皇庁は崩壊しなかったでしょう。

ところが、ローマ教皇庁がそのようにできなかったので、これをそのままにしておくことはできないので、神様が外的には文芸復興を起こして打たれ、内的には宗教改革を起こして旧教を打たれました。そうして、その後、イギリスを中心としてアメリカ大陸に渡り、キリスト教の理念を中心とする国家を建設するようになったのです。

すなわち、ローマの政治理念、キリスト教の宗教理念、ギリシャの知性主義が融合し、今日の全民主主義を支配する汎米主義が成し遂げられたのです。今後、アメリカが今日の民主主義を統合し、天倫と連結できるその時まで、国家的な使命を身代わりし、所有的な権限を代行できる責任を担おうとすれば、どのような思想をもたなければならないでしょうか。まず、自分第一主義の思想を捨てなければなりません。これがアメリカ国民にとって何よりも肝要なのです。
(5-22 ~ 23、1958.11.9)

 

9.イスラーム

今日、イスラームは、神様が経綸される摂理の中で重要な役割をしている。文鮮明先生は、キリスト教が衰退した今日、イスラームが相対主義時代に必ず要求される確固たる信仰と道徳的純粋性をもっていると語る。先生は、イスラーム世界を西欧の敵と見る「文明の衝突」の脚本を全的に拒否する。なぜならば、イスラームは神様の王国の一つの柱として霊的祝福を受けた高等宗教だからである。

イスラームは正義の宗教であり、その点から、過ちと威信をよく表すユダヤ教やキリスト教より優位であるともいえる。それでも、この時代は、人間の霊的支柱である三宗教が互いに和合することを要求する。文鮮明先生は、これらの宗教の間の葛藤の根源は、教理やムハンマドの使役をめぐる諸事件ではなく、現代世界で不可避に発生する葛藤の種としてイエス様の十字架を指摘する。


イエス様の時代の過ちを解決するためには、その歴史の主役だったキリスト教とユダヤ教、そしてイスラームの子孫たちが共に行う努力が求められる。


①信仰と正義の宗教

―宗教経典―

なんじらは、人類につかわされた最良の教団である。なんじらは正しいことを命じ邪悪なことを禁じ、神を信奉する。
クルアーン3.110 (イスラーム)

神は、なんじらに信仰が好ましく、またなんじらの心の中を、それにふさわしくたまい、なんじらに不信心と邪悪と反逆を、嫌わせたもう。これは正しく導かれた者であり、神からの恵みであり、恩典である。
クルアーン49.7 ~ 8(イスラーム)

「私達は、神と私達に啓示されたものを信じます。またアブラハム・イシマイル・イサク・ヤコブと諸支部族に啓示されたもの、ならびにモーゼとイエスに賜わったもの、および主から諸予言に下されたものを信じます。

それらの間のいずれにも、差別をつけません。かれに私達は服従帰依し奉る」。(注33)
クルアーン2.136(イスラーム)

これはわれが下した、祝福された経典である。それゆえこれに従って、なんじらの義務を尽くせ、おそらくなんじは、慈悲に浴するであろう。これはなんじらに「経典はわしら以前に、ただ二つの宗派にだけ下された。わしらはかれらの学んだことが、ほんとうにわかっておらぬ」と、言わせないためである。

またなんじらに「もしわしらに経典が下されたならば、きっとかれらよりも、よく導きに従ったであろうに」と言わせないためである。いまなんじらの主から明証、ならびに導きと慈悲とがなんじらに来た。それでも神のしるしを偽りだとして、それからそむき去る以上に、はなはだしい不義者があろうか。
クルアーン6.155 ~ 157(イスラーム)


真の信者は、神のことに言及されるとき、その胸が畏敬の念でおののく者たちで、かれらにしるしが読唱されるのを聞いて、信心を深め、主に信頼する者たちである。礼拝の務めを守り、われが授けたものを使う者たちである。これらの者こそ、真の信者である。かれらは主のみもとで高い位階を得、また寛容と栄誉ある給養を賜わる。
クルアーン8.2 ~ 4(イスラーム)

なんじら信仰する者よ、正義にもとづいて立証し、神のために堅固に立つ者であれ、人を憎悪させて、なんじらが不公正にながれるよう刺激してはならぬ。正義を行え、それは最も篤信に近い、神を畏れまつれ。神はなんじらの行うことを熟知したもう。
クルアーン5.8(イスラーム)

 

―み言選集―

イスラームは、総合的な宗教です。キリスト教の新・旧約をすべて引き入れてつくった総合的な宗教ですが、それもやはり神様を中心としたものです。アラビア民族に適合した内容を土台として、神様を中心に、神様による絶対的な真の人間を構想し、求めてきたのです。
(39-316、1971.1.16)

ムハンマドを中心とするイスラームは、ほかの宗教の経典内容を引いてきて総合してつくった宗教なのです。ここには、聖書の内容もあります。したがって、この宗教は天使長格宗教です。宗教的な術語で天使長格宗教だというのです。ですから、このイスラームは共産党と野合するのです。したがって、この宗教は、今後変わっていく世界に火をつけることのできる予言的な宗教になるでしょう。
(39-42、1971.1.9)


イスラームとキリスト教徒は、1400 年の間怨讐です。イスラームでは、ほかの宗教に参席すれば死刑です。それにもかかわらず、シリアのイスラーム大主教が……。

この人は、イランのホメイニのような人です。ローマ教皇庁で言えば、教皇のような人なのですが、その人が霊界から命令を受けました。その人は最高の修道生活をした人なのですが、第2次大戦以降、天からユダヤ教とキリスト教とイスラームが一つにならなければ大変なことになるという啓示を受けたのです。40 年前にその啓示を受け、それを推進したのです。

それを推進するとき、ユダヤ教の人たちは、「こいつ、私達を騙してのみ込もうとしている」とキリスト教の人たちは、「この人たちは私達と怨讐なのに、そのようなことができるか」と言いました。また、自派では、「ユダヤ教やキリス
ト教は私達と歴史的な怨讐なのに、彼らの側につくようなことをしているのか」と言いました。それで監獄にも何度か出入りしたのです。
宗教生活には啓示というものがあります。これは間違いない事実です。その人がそのような使命を受け、責任を果たさなければならないのですが、果たせずにいました。それで私が今やっている世界宗教連合運動のビデオを見て感動し、「ああ、この方を私は訪ねていかなければならない!」と思ったのです。その時がイランのホメイニが死ぬ何日か前でした。
(212-324 ~ 325、1991.1.11)


②既存の宗教を訂正し、立ち向かう宗教

―宗教経典―

まことに神のみもとの教えは、イスラームである。経典を授けられた人びとが、知識が下った後に、相争うのは、ただかれらの間のねたみからである。
神のしるしを拒む者があれば、神は、まことに精算に迅速であられる。
クルアーン3.19(イスラーム)

ユダヤ人は言う「キリスト教徒は、全くよるとこがない」と、キリスト教徒も言う「ユダヤ人は全くよるところがない」と、かれらは同じ経典を読んでいるのである。このように、知識のない人びとも、同じようなことを言う。だが神は審判の日に、かれらの間の異なるところを判決されるであろう。
クルアーン2.113 (イスラーム)

かれらは経典の中の字句の位置を変え、与えられた訓戒の大部分を忘れてしまった。それでかれらのうちわずかの者以外は、つねに背信しているのを、なんじは見るであろう。だがかれらを許して見のがせ。(注34)まことに神は善い行いをなす者をめでたもう。

われはまた「私達は、キリスト教徒だ」と、言う者とも約束を結んだ。だがかれらも与えられた教訓の一部分を忘れた。それでわれは復活の日(注35)まで、不和と憎悪とをかれらのあいだにこびりつかせた。神はかれらに、その行なったことをやがて告げ知らされるであろう。経典の民よ、なんじらが隠している経典の中の多くを、なんじらに解明し、緊要でない多くのものを、取消すために、み使いがまさになんじらに来た。
クルアーン5.13 ~ 15(イスラーム)

また神がこう仰せられたときを思え、「マリヤの子イエスよ、なんじは神のほかに、私と私の母とを二柱の神とせよと、人びとに告げたか」。(注36)かれは申し上げた「あなたにたたえあれ、私に権能のないことを、私として言うべきでありません。もし私がそれを言ったならば、必ずあなたは知りたもう。あなたは、私の心のうちを知りたもう、だが私は
あなたの、み心のうちは知りません。まことにあなたはよろずの秘密を熟知したもう」。
クルアーン5.116(イスラーム)

神も終末の日をも信じない者と戦え、また神とみ使いから、禁じられたことを守らず、真理の教えを認めない者は、経典の民でも、進んで税を納め(注37)、屈服するまで戦え。

ユダヤ人はエズラを、神の子だといい、キリスト教徒はメシヤを、神の子だという。これはかれらが口先で言うところで、いにしえの不信心な者の語をまねたものである。神よ、かれらを討ちたまえ。かれらは真理からなんと迷い去ったことよ。

かれらは、神をおいて、法学者や修道士を己れの主となし、またマリヤの子メシヤを主としている。しかしかれらは、唯一の神に仕える以外には、命ぜられていない。かれのほかに神はないのである。かれらが配するものから高くいますかれにたたえあれ。かれらは口先で、神のみ光りを消そうと望んでいるが、たとえ不信者たちが忌みきらうとも、神は、かれのみ光りを全うする以外のことは拒みたもう。

かれこそは、導きと真理の教えをもってみ使いをつかわしたまい、たとえ多神教徒たちが忌みきらうとも、よろずの宗教の上にそれを現わしたもう方であられる。
クルアーン9.29 ~ 33(イスラーム)


―み言選集―

天の国には、息子がいて、養子がいて、僕がいます。これが平面的に展開するのです。ここでメシヤは息子であり、洗礼ヨハネは養子であり、イスラエル民族は僕です。それでは、この三つが一つになり、誰と相撲しなければなりませんか。ローマと相撲をしなければなりません。ヤボク川で天使長とヤコブが闘ったのと同じように、そのような闘いをしなければなりません。

その時、ローマの主権が疲弊し、あらゆる弱小民族が自主独立国家を主張できる準備が芽生えていたのですが、その時、イエス様がそのような運動をしていればアラブ圏がその時に完全に統一されていたでしょう。

怨讐に対抗することによって、怨讐を嫌う人同士は統一されるのです。大きな怨讐に対抗するとき、大きな怨讐に脅威を受けている群れ、怨讐に反対する群れは一つになるというのです。

そこで、その三つの人が一つになっていれば、ローマは越えていけました。完全に越えていったというのです。ところが、洗礼ヨハネは洗礼ヨハネで、ユダヤ教はユダヤ教で、イエス様はイエス様で別々になったのです。
(111-151.1981.2.10)

イエス様が亡くなることによって、キリスト教が反対方向に行ってしまいました。アジアを中心として全世界を統治しなければならないのですが、イエス様が十字架に打ち付けられることによって、イエス様の体をサタンが占領してしまいました。イエス様の代わりにバラバを赦したでしょう? イエス様が亡くなることによって、バラバが解放されて出てきました。そのバラバ圏というのが今のイスラーム圏になっています。

本来、イエス様が死なずに国を中心として一つになっていれば、今の中東のイスラム圏は12 支派に分割されず、神様の祝福を受けた都市になっていたでしょう。
(250-216、1993.10.15)
神様とイエス様は、怨讐を愛しなさいと言いました。キリスト教の怨讐は誰ですか。ミニスター・バラカンです。中国の怨讐は誰かというとソ連であり、ソ連の怨讐が誰かというと中国です。彼らを愛しなさいと言ったので、愛さなければなりません。レバレンド・ムーンがソ連と中国とアメリカを愛しました。

中国がアメリカを愛し、ソ連が中国を愛しますか。誰もできません。しかし、レバレンド・ムーンだけがやっています。それが神様のみ旨の前で一等になるのです。ですから、今は怨讐がありません。キリスト教圏、イスラーム圏、黒人世界と白人世界だけでなく、霊界の地獄までも怨讐がないのです。
(339-156 ~ 157、2000.12.10)

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世界経典-33

2022年05月22日 16時23分20秒 | 学習

 

4.シャーマニズム、多神教とアニミズム

世界の諸経典は、すべての宗教が共通に強調する普遍的な観点をもっている。それでも、宗教はそれぞれの独特な性格と主眼点をもっている。次の六つの主題は、宗教の独特な特徴を表しながら、特殊な宗数的伝統とそれらに関する文鮮明先生の教えを扱う。

霊性の充足さを失わないまま、唯一の神様(一つの究極的実在)に共通に合致する普遍的性格を大きく逸脱しなければ、自らの宗数的特徴ばかりを度を超して強調する必要がない。

ここですべての宗教を扱うことはできず、文鮮明先生が経験を通して言及した宗教に限る。韓国は、シャーマニズム、仏教、儒教に根を置く宗数的多元主義国家である。韓国には、躍動的なキリスト教の共同体があり、少数グループに成長しているイスラーム共同体もある。

文鮮明先生のシャーマニズムに対する見解は、先生が主に韓国社会で経た多様な経験からのものである。シャーマニズムは、韓国の田舎でいまだに強い影響力をもっており、シャーマニズムを行う人をムーダンと呼ぶが、その大部分が女性である。
霊と交流できるムーダンの能力は印象的である。

文鮮明先生は、アメリカで生活するとき、アラスカのエスキモーのムーダンと交流したり、ブラジルとパラグアイの先住民と友として過ごしたりもした。文鮮明先生は、霊界の現実と、それと効果的に交流するための霊的訓練に関して熟知している。

このような理由ゆえに、先生は聖書中心のキリスト教徒のように、シャーマニズムと物活論に対して独善的な非難はしない。かえって文先生は、シャーマニズムを人間の霊的発達段階の中で低い段階ではあるが、正式段階として認めている。

文鮮明先生の教えの中で注目する点は、シャーマニズムと多神教は本来、堕落した天使を崇拝の対象とする「僕の僕」宗教だとする点である。多神思想は、ギリシャやヒンドゥー神話ではっきりと見ることができるが、様々な神々が世の中の女性たちと好色的な活動をするのは、人間堕落の当時、エバに対するサタンの誘惑に起因するのである。

それにもかかわらず、神様は献身的な修行者たちに、その神々の次元を超えてより高い道徳的品性をもつための権能を賦与するやり方で教えてきた。このような方法を通して人間は「僕の僕」の位置を越え、彼らの位置を格上げしながら、より次元の高い宗教に発展しできた。

ヒンドゥー教とその信徒の諸経典は、このような伝統が時代を経てどのように浮上して次元の高い宗教として変わってきたかを記述している。

 

①自然神崇拝

―宗教経典―

神々よ! あなた方の御名のすべてが崇拝され、尊敬され、敬愛されんことを。天と地から生じたあなた方のすべてが、ここにわが祈願を聞き入れられんことを。
リグ・ヴェーダ10.63.2(ヒンドゥー教)

古来、わが先祖の歴代の天皇は、政治を行なうにあたって、つつしんであつく神々を敬われ、山川の神々を祭って、神々の力を天地にお通わしめになった。このため、陰陽はよく開き和し、神々のしわざも順調に行なわれたと聞いています。(注9)
日本書紀22(神道)

山上の主よ!
内山の七峰よ、
外山の十三名勝地よ。
この名山と帝釈天に
国家の大きな祭壇が将軍の保護を受ける。
そのうちの一つが崔栄将軍ではないか。
大韓の名将、
国民たちが喜ぶ。……
おお、私は大山神だ。
座れば三千里を覆い
立てば九万里に伸びる。
明鏡を見下ろせば、
万里を見ることができる。
おお、私は大山神だ。
お前が私のために何を捧げたのか。
紅い布で包んだ豚で十分なのか。
三色の糸の束で十分なのか。
私にたくさんの絹を捧げよ。
おお、この家の夫婦よ。
誰が食糧を与えるのか、お前は覚えているのか。
誰がお前に家を与えたのか。
誰がお前に財物を与えたのか。
誰がお前に長寿を与えたのか。
私、山上がおまえを祝福したのであり、
必要な時に助けを与えた。(注10)
山の神の招き(韓国巫教)

一軍の戦争主管者たち、私はあなたに挨拶します。あなたの先祖たちよ!私はたった今、霊魂のためにたばこを吸おうと思います。聞いてください、大地の創造者、私は一息のたばこをあなたに捧げようと思います。私の先祖モモシーは、あなたに彼の心を尽くしました。

あなたが彼を祝福した燃える場、あなたが彼に許諾した短い生涯、あなたが私の先祖に与えた祝福の四倍を、私はあなたに直接求めます。私の人生で何かの問題が起きないことを願います。

西側に暮らす雷鳥の頭よ、あなたは私の先祖を強くしました。私は一息のたばこをあなたに捧げます。あなたが彼らの燃える場で、彼らに与えた一双の鹿、その糧を私はあなたに直接求めます。私が捧げるこのたばこを受けられ、私が困難に遭わないように願います。

偉大な黒鷹よ、あなたもまた私の先祖を祝福しました。私はあなたにたばこを捧げます。あなたが彼らに祝福した何かの糧を、私はあなたに直接求めます。私に心配事がないことを願います。……

向かい側、東の方に暮らし、暗闇の中を散策するあなた(夜の霊魂)よ、私はあなたが吸うたばこを捧げます。あなたが私の先祖に祝福したものは何でも、私はあなたに求めます。もしあなたがこのたばこを吸えば、私は決して病弱な人にならないでしょう。

南の方に暮らす疾病の支配者よ、人間のように見える不死身の方、体の片方には死が漂っており、もう片方には生命が漂っている方よ、あなたは白昼、真昼に私の先祖を祝福しました。あなたは食べ物で彼らを祝福し、彼がどんな仕事でも決して失敗しないと言いました。あなたは彼らの家を避けていくと約束しました。

あなたは彼らが楽に食べ物を得ることができるよう、その前に動物を送りました。私はあなたにたばこを捧げます。これを吸われて、そして私がどんなことでも困ることがないように願います。

太陽、光の放浪者よ……祖母の月……聞いてください、私の先祖が祈りを捧げたすべての霊魂よ、あなた達すべてにたばこを捧げます。私の先祖は、彼を祝福したあらゆる方のために宴を開きました。私達の先祖に与えたすべての祝福を、私達に再び施してください。そうすれば私達は弱くならないでしょう。私はあなた達すべてに挨拶します。
浄化の家で、ウィネバコ族の祈願文(アメリカ先住民の宗教)

神よ、来られてコーラの実を召し上がってください。チュクよ、来られてコーラの実を召し上がってください。先祖たちよ、来られてコーラの実を召し上がってください。

エヒリムと呼ばれるクビディの人から聞いた話である。アグネス族の人が彼のサツマイモを盗まれた。それで私はその問題を調べるため、神の司祭たち、アロの所持者たち、長老たちを招集した。ゾクの司祭だった私の父がしたように、私は彼らを呼んだ。
この問題を裁くために集まった人たちの中で、偽りを行ったり、原告でも被告でも、誰であっても偽りの証言をしたりする者がいれば、神、チュク、ゾク、そして先祖たちとオホよ、彼を罰してください。(注11)
イボ族の法廷祈願文(アフリカ伝統宗教)

パルヴァティは、自分の息子のガネシャが生き返ったのを見て、喜んで彼を抱きしめ、彼を新しいマントと装飾で着飾った。彼の顔にキスをした後、彼女は言った。「おおガネシャよ、あなたは生まれたその時から大きな苦痛を背負ってきました。今やあなたは祝福され満足しました。あなたは全ての神々に先だって崇拝されるでしょう。あなたは苦痛から解放されるでしょう。今あなたの顔には朱がぬってあります。だからあなたは全ての人から、常に朱をもって崇拝されるようになるでしょう。」

「あなたを花、ビャクダンの練り粉、香気、縁起の良い食物の供物、光の波、キンマの葉、慈悲に満ちた贈り物、彷徨、そして敬礼をもって礼拝を行う者には、あらゆる成功が確実にもたらされるでしょう。」

シヴァ、ブラフマー、ヴィシュヌは声をそろえて宣言した。「ああ偉大なる神々よ、ちょうど我々が三界のいたる所において礼拝されるように、ガネシャもまたお前達全てによって礼拝されるように。彼は全ての生涯を取り除く者であり、全ての儀式の実を授ける者である。」(注12)
シヴァ・プラーナ、ルドラ・サンヒター18(ヒンドゥー教)


―み言選集―

最も未開な人間から高次的な人間に至るまで教えてくれるのです。それで、昔、未開な宗教はすべて物を見て敬拝しました。神様の代わりに岩に仕え、木に仕え、このようにシャーマニズムのようなものが始まりました。それで、各民族の方向がすべて異なってきたのです。そのように教えてきました。
(91-271、1977.2.27)

ムーダンやこのような女性たちがたくさんの神々に接してするのですが、それは何でしょうか。堕落した天使長とエバがそのような道を行ったのと同じように、その圏内に引きつけられ、霊の僕の位置、愛の僕の位置で、その位置を抜け出すことができず、新しい霊的世界の道を通して、地上に新しい予言をするのです。これは合っています。この地上には、霊界に接してそのようなことをする群れがいることを知らなければなりません。
(76-95、1975.2.1)

霊界は、どのような世界でしょうか。天使世界です。天使世界に当たる霊界の神々がなぜ人間世界と関係を結ぼうとするのかという問題が、今まで分かりませんでした。皆さんは、ムーダンや占術、迷信という言葉を聞いたことがあるでしょう。それは何ですか。いまだに善悪の位置を明らかにしていない立場に立っている宗教形態です。神様が宗教形態を備えていくので、サタンも宗教形態を備えて防御しようというのです。

大概、皆さんがムーダンや占術をする人を見れば、8割以上が女性です。誰と接しているのですか。エバが堕落するとき、天使の指導を受けて引っ張られ、悪の結果をもたらしたのと同じように、復帰時代の道を再現させて従っていくこの地上では、必ず霊界の天使たちが地上に来て女性たちと一つになり、すべてのことを教えるのです。天使たちが教えるとおりにするのが占術やムーダンの役事です。そのようにしながら何をするのでしょうか。堕落したエバと同じように、霊人と暮らしているのです。
(76-95、1975.2.1)
歴史の発展過程を見てみると、必ず信仰というものがいつも問題になっています。最近では迷信と言われるものも、昔は信仰生活の母体だったのです。大きな木を見れば、その木に仕えたり、あるいは雄大な山があれば、その山に仕えたりするのです。ところが、そこにも、人間たちには分かりませんが、守っている神々がいるのです。
(176-287、1988.5.13)

神様は摂理の中で、そのみ旨を成し遂げるために数多くの曲折の歴史過程を経てきたのです。歴史過程の大勢の人間たちは、文化の背景が異なり、風習と習慣が異なると同時に、地域的な環境、あるいは気候の差による環境など、様々な環境によって異なる文化背景で暮らしています。

ですから、神様は、救援摂理を完成させるために、このすべての人類の背後から、私達自身では推量できませんが、その文化背景にふさわしい摂理の道を選んでいきながら、その環境に生きている個人を収拾し、家庭を収拾し、社会、国家を収拾してきたと見ざるを得ません。
このような立場から見るとき、神様の摂理のみ旨の中で歴史が発展するとすれば、その発展する歴史過程に神様の摂理歴史を成し遂げることのできる主流、あるいは非主流の摂理路程がありそうだというのは当然の結果なのです。このように見るとき、世界には数多くの宗教があります。最初は、小さな迷信宗教のような歴史過程を経て神様を迎えようとしながら、だんだんと高次元的な宗教として連合させ、最後には一つの宗教理想を通した救援摂理の完成時代に行くようにするのです。この世の中を愛される神様であれば、そのような摂理をしてこなければならないという結論が成立するのです。(121-298、1982.10.30)

今まで歴史は、東の方に太陽が昇ってくる歴史だということを知っているので、互いがつけておいた火によって、灯火をつけ、神様を中心として、雑神を中心として……。ムーダンたちも、すべて自分の体験があるのです。宗教を信じない人とムーダンでは、どちらがよいでしょうか。信じないより、雑神であっても仕えるほうがよいのです。
(194-315、1989.10.30)
②様々な神々を越えて勝利した人間

―宗教経典―

神々を大切にする存在は人間である。もし一つの霊(崇拝物)があまりに問題を起こせば、それを切ってすべての木を見せよう。私達は祭物を捧げ続けなければならない。そうすれば、とがめがその神々に戻っていくだろう。
アフリカの格言(アフリカ伝統宗教)

迷える人々は、人間の体をとる私を軽んずる。私の万物の偉大な主としての最高の状態を知らないで……。彼らは空しい願望を抱き、空しい行為をし、空しい知識を得、分別を失い、人を迷わせる、羅刹的、阿修羅的な本性(プラクリティ)に依存する。
バガヴァッド・ギーター9.11~ 12 (ヒンドゥー教)

「我は梵なりき」と知るものはあらゆるものに成ることができ、いかなる神も彼の転変を妨げる力はもたないのである。彼は神々そのものの自我にさえ成っているのだから。もし梵以外のある神を崇信して「この神と我とは別のものである」などと思っている者があれば、それは真実のことを知らないのである。

かかる人間は神々にとって家畜のようなもので、ちょうど多くの家畜が一人の人間を養っているように、一人一人が多くの神々を養っているのである。家畜の一頭が奪(と)られても面白くないのだから、まして多くの家畜が奪られるにおいてはなおさらだ。だから、梵を人間どもが知るということは神々にとって好ましいことではないのである。
ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド1.4.10(ヒンドゥー教)

さらには、神々もブラフマンを実現することによって彼らを圧倒しようと努めるヨーガ行者をねたむ。ゆえに、彼らが彼が放心するということを知れば、あらゆる方法で彼を堕落させようと務める。(注13)
シュリーマッド・バーガヴァタム11.20(ヒンドゥー教)
神道とは何か。本当の宗教は、世俗的な人たちが空虚な供え物を捧げる神社にあるものではなく、善行と清い心にある。
加藤健司(神道)

聖なる川で沐浴するあなたの兄弟たちよ、見よ。
小川で沐浴するあなたの僧侶たちよ、見よ。
あなた達の卑しい考えを放棄せよ、
放棄せよ。
他の人の妻に対するみだらな心を捨てよ。
他の人の富に対する貪欲を放棄せよ。
もしこのようなものを放棄しないまま
川に身を浸せば
乾ききった川で喉を洗うのと違わない。
バサヴァンナヴァチャナ642 (ヒンドウ一教)

真実のみ勝つ。虚妄はしからず。真実によりて天神の路も作られたり。この路を辿りて、聖者達はその願望を成就して、真実在なる至上の宝蔵のある処(至上界)へと登りゆくなり。
ムンダカ・ウパニシャッド3.1.6(ヒンドゥー教)

―み言選集―

ユダヤ民族の歴史を見れば、勝利したとして「イスラエル」という名前がヤコブ時代に初めて出てきます。そのような時代は、天使長級と同じです。それは信じることができず、行ったり来たりするのです。

ですから、その前に出てきた様々な宗教、ヒンドゥー教や仏教、ゾロアスター教、太陽神を崇拝するギリシャ宗教、そのようなものが宗教的な名前をもって出てきたのです。それが天使長圏の精神的基盤を通して出てきました。
(220-52、1991.10,14)

宗教運動は、あの未開な所から迫害を受けてきました。それでは、このような役事をさせる方は誰でしょうか。神様です。ここで分かれるのです。……

僕の僕から段階的に分かれてきました。そうすると、僕の僕の中では僕が主人になるのです。主人が僕をこき使うのではなく、僕が主人をこき使うようになります。このような天の国の僕の主人になろうとすれば、サタン世界をすべて合わせた僕の迫害を受けて勝利しなければなりません。
(124-69、1983.1.23)

ムーダンの中にも男性のムーダンがいます。このような人たちは、起源は大概よくありません。性関係に対して乱れ、道義的な道を離れてきました。これが宗教圏と連結されます。これが道義的な出発を中心として、人間はこのように生きなければならない、天を中心として人間は正しい道を行く、家庭生活の伝統を正さなければならないと言うのです。自分の思いどおりに生き、愛の関係を自分勝手に持つ人たちは悪いと言います。この愛の道理を立てていくためのものが人間世界に宗教として現れたのです。
(295-174、1998.8.28)


5.仏教

文鮮明先生は、自身の故郷である韓国の文化に深い影響を与えた仏教に対して、最高の敬意を表している。文先生は、堕落の泥沼から真の本性の自我を回復しようとする世界宗教の教えから、仏教の教え、特に自己否定め実践が最も優れていると考える。文先生は、「零点」、すなわち空の状態に到達するのが真の悟りであると解明された。

しかし、文先生の見解によれば、仏教は根本的に二つの側面、すなわち人格神としての神様に対する知識と真の愛の理想に対する十分な理解が欠如しているという。それでも、釈迦に教えた方も神様であり、東洋に光を与えるために仏教を立てた方も神様だった。すべての宗教者たちは、仏教を通して多くのことを学べるが、特に誤った自我を克服し、真の自我を発見するための自己否定の方法に対して、そうであるといえる。


①仏教の価値

―宗教経典―

もろもろの道のうちでは(八つの部分よりなる正しい道)が最もすぐれている。もろもろの真理のうちでは〈四つの句〉(=四諦)が最もすぐれている。もろもろの徳のうちでは〈情欲を離れること〉が最もすぐれている。人々のうちでは〈眼ある人〉(=ブッダ)が最もすぐれている。

これこそ道である。(真理)を見るはたらきを清めるためには、この他に道は無い。汝らはこの道を実践せよ。これこそ悪魔を迷わして(打ちひしぐ)ものである。

汝らがこの道を行くならば、苦しみをなくすことができるであろう。(棘が肉に刺さったので)矢を抜いて癒す方法を知って、わたくしは汝らにこの道を説いたのだ。
法句経273 ~ 275(仏教)

螺髪を結っているからバラモンなのではない。氏姓によってバラモンなのでもない。生れによってバラモンなのでもない。真実と理法とをまもる人は、安楽である。かれこそ(真の)バラモンなのである。

われは、(バラモン女の)胎から生れ(バラモンの)母から生れた人をバラモンと呼ぶのではない。かれは「〈きみよ〉といって呼びかける者」といわれる。かれは何か所有物の思いにとらわれている。
無一物であって執著のない人、かれをわれは〈バラモン〉と呼ぶ。

すでにこの世において自分の苦しみの滅びたことを知り、重荷をおろし、とらわれの無い人、かれをわれは〈バラモン〉と呼ぶ。

強くあるいは弱い生きものに対して暴力を加えることなく、殺さずまた殺させることのない人、かれをわれは〈バラモン〉と呼ぶ。


敵意ある者どもの間にあって敵意なく、暴力を用いる者どもの間にあって心おだやかに、執著する者どもの間にあって執著しない人、かれをわれは〈バラモン〉と呼ぶ。

芥子粒が錐の尖端から落ちたように、愛着と憎悪と高ぶりと隠し立てとが脱落した人、かれをわれは〈バラモン〉と呼ぶ。(注14)
法句経393、396、402、405 ~ 407 (仏教)

いとも麗しき国王の車も朽ちてしまう。身体もまた老いに近つく。しかし善い立派な人々の徳は老いることがない。善い立派な人々は互いのことわりを説き聞かせる。
法句経151 (仏教)

比丘よ、縁起とは何ぞや。比丘等よ、生に縁りて老死あり。如来{世に}出づるも、若しくは{世に}出でざるも、このことは定まり、法として定まり、法として確立し、即ち相依性なり。
阿含経相応部ii.25 (仏教)

世尊よ、智恵の完成は光輝を与えるものです。世尊よ、私は知恵の完成を礼拝いたします。世尊よ、知恵の完成は礼拝されるべきであります。世尊よ、知恵の完成は汚されておりません。世尊よ、知恵の完成は、世界のいかなるものによっても汚されることがありません。世尊よ、知恵の完成は光明を与えるものです。世尊よ、知恵の完成は、三界のすべての闇黒を除くものであります。

世尊よ、知恵の完成は、煩悩と悪しき見解のすべての暗闇を除くものです。世尊よ、知恵の完成は依拠されるべきものです。世尊よ、知恵の完成は最高のはたらきをなすものであります。世尊よ、知恵の完成は、さとりの助けとなる諸要素に安楽を添えるものであります。世尊よ、知恵の完成は、盲目の友情に光を与えるものであります。世尊よ、知恵の完成は、すべてのおそれと悩みを除く光を与えるものです……

世尊よ、知恵の完成は、自分の特徴をもたないことによって、菩薩大士たちの母であります。世尊よ、知恵の完成は、すべての仏陀の教えという宝を与えるものであるから、(仏陀の)十力をもたらすものであります。世尊よ、知恵の完成は、粉砕されないものです。世尊よ、知恵の完成は、四種の自信をもたらすものであるから、孤独な友情たちを保護するものであります。世尊よ、知恵の完成は、因縁より生ずるものでないことによって、
輪廻の退治者であります。
八千頌よりなる般若波羅蜜経7.1(仏教)


―み言選集―

仏教文化圏を形成した仏教は、古代文明圏内でその環境圏内の主体と対象の関係を中心としてインドを収拾し、新しい理想を提示するための神様のみ旨の中から出てきたのです。(注15)
(144-182、1986.4.24)

インドで発生した仏教を見ても、その理念は世界的な理念です。世界的な観点をもって現実的な生活舞台を越えて超自然的な世界の理念まで内包した宗教であってこそ、終わりの日まで残っていることができるのです。
(9-279、1960.6.12)

仏教を中心として東洋の宗教があるのですが、仏教が摂理に最も近いのです。儒教もありますが、儒教は主流ではありません。神様に対する観がはっきりしていません。そして、仏教にも霊的世界の体験があるにはありますが、仏教では一切法の論理を語ります。ですから、人格的な神様を知りません。人格的な神様を知らなければならないのです。このように神様は、ユダヤ教を中心とす
る東洋の宗教を中心として、アジアを統一できるようすべて準備しておいたのです。(注16)
(208-312、1990.11.21)

仏教は、神様がいることは教えてくれますが、実践の神様よりも法の神様をより強調しています。人格的な神様に対しては……。
(53-297、1972.3.4)

釈迦牟尼は、すべての道理を法に帰一させました。法の対象は、人間の対象的関係である環境であって、人間ではありません。愛を標準としたものではなく、法を標準としたものです。それで法文(注17)と言うのです。ですから、「釈迦」という言葉は自覚を意味します。自覚をして何をするのですか。自覚で終わるのですか。ですから、入山修道をして孤独な生活をしますが、愛の理想世界に対してはやはりあいまいだというのです。
(50-116、1971.11.6)


②仏者の覚醒

―宗教経典―

バラモンよ。流れを断て。勇敢であれ。諸の欲望を去れ。諸の現象の消滅を知って、作られざるもの(=ニルヴァーナ)を知る者であれ。
法句経383 (仏教)

あらゆる存在は、すべて自分の心次第であることが分かる。なぜ自己の心の中で即座に、変わらない清浄な自己の本性を見極めないのか。『菩薩戒経』もいっている、「私はもともと自己の本性が清浄なのである」と。もし自己の本心を認識し、自己本来の真性をはっきりと見届けるならば、誰でも仏が得られた無上の悟りを成就する。
六祖壇経2(仏教)

諸々の仏・如来たちは、存在するものすべてを身体とするものであり、すべての生ける者どもの心想の中に入って来るからである。それ故に、あなた達が心に仏を観想するとき、この心がそのまま仏の三十二の大相であり、八十の小相なのだ。この心が仏を作り、この心がそのまま仏なのだ。智慧海のごときもろもろの仏たちは心想から生ずる。それ故に、一心に思念を集中し、心してかの仏・如来・尊敬さるべき人・正しく眼覚めた人を観想するのだ。
観無量寿経17(仏教)

天と地において、ただ私だけが尊貴な者である。(注18)
阿含経長部2.15 (仏教)


―み言選集―

私達が祈祷する目的、あるいは仏教徒たちが座禅を通して無我(注19)の境地を求めていく目的とは何でしょうか。それは心の核心となり得る要素を悟らせようというのです。そのような一つの基準を立て、見て、聞いて、感じる心の中心を天倫の前に立てたならば、神様に敬拝を捧げ、ハレルヤの栄光をお返しできるようになるのです。
(2-192 ~ 193、1957.5.19)

仏教には、自性(注20)を清めなければならないという言葉があります。「天上天下唯我独尊」と釈迦牟尼が言いましたが、それは何かと言えば、私が私に尋ねれば私に神様が入っていることが分かる、ということです。そのようになれば、できないことがないというのです。

ですから、自分の心を清めなければなりません。心を清めなければならないというのです。心が先生よりもいいのです。心は永遠の私の主人です。ですからよこしまな心をもつなというのです。公理に属した公的立場に立った心をもたなければなりません。
(133-179 ~ 180、1984.7.10)

釈迦牟尼でも、彼がその神秘の境地、「天上天下唯我独尊」と言ったことは、正常な一般人の考えの中でそのような境地に入っていったのではありません。心と体が共鳴できるある境地に投入され、そこでぶつかる自我を覚醒させるとき、天下のすべては、「いやあ、私が一番だ!」という境地に到達するようになります。それは新しい境地の認識を通して起きるのです。
(141-235、1986.2.26)

神様はどこに行っていなければならないのですか。自分を中心とせず、完全に全体のためのゼロ、「大きなゼロ」になる所が神様のいらっしゃる場所です。神様は、「大きなゼロ」の位置に立つのです。そのような神様と出会おうとすれば、皆さんがゼロポイントよりもっと低くならなければなりません。そして、皆さんは肉となってその「大きなゼロ」の位置を保護できなければなりません。
「大きなゼロ」の位置が心の位置であれば、それを囲んでいるのは肉の位置なので、そのゼロポイントを保護しなければならないのです。皆さんはそのようになっていますか。それで、神様的なものを求めるために、仏教では座禅というものを通して、良心とは何かと、心の底を訪ねていこうとするのです。
(230-134、1992.5.1)


③仏教の知恵

―宗教経典―

スブーティよ、「如来は法を教え示した」と、このように説く者があるとすれば、かれは誤りを説くことになるのだ。スブーティよ、かれは、真実でないものに執着して、私を謗(そし)るものだ。それはなぜかというと、スブーティよ、〈法の教示〉〈法の教示〉というけれども、法の教示として認められるようなことがらはなにも存在しないからだ。(注21)
金剛般若経21(仏教)

もろもろの如来によって証得されたところの、言語の分別をはなれ、文字と二つの境とをはなれた、自内証の行境なるものが、わたくしによって証得されたものであり、不滅不増なるものであることである……。

かくの如くにわたくしともろもろの如来とによって証得された、かの法性と法住性と法決定性と如
性と実性と真性とは住する。故にマハーマテイよ、如来が現等覚した夜より般涅槃する夜にいたるまで、その間に如来は一字も宣説せず、また宣説しないであろう。
楊伽経61(仏教)


―み言選集―

東洋に行けば仏像があるのですが、その仏像は話をしますか。仏像を見るとき、その口では話もせず、悪口を言わず、称賛もせず、考えてばかりいます。それが偉大なのです。見つめる所も一箇所だけを見るのであって、あちこち見ません。見ようとすれば、重要な一箇所だけを見ればよいのであって、つまらない雑多なものを見て何をするのですか。究極のものを一つ見ればよいのです。ですから、複雑な世界を収拾する最高の王とは何でしょうか。沈黙だというのです。
(228-77、1992.3.15)


6.儒教

儒教の倫理は、東アジア文化の核心である。今日、アジアの急速な西欧化により多くの人たちが儒教的価値と慣例を軽視している。それにもかかわらず、数千年間儒教の道徳哲学は家庭生活を導いてきたのであり、慈悲、正義、礼儀などで国王の行動半径を規定してきた。

文鮮明先生は、儒教の規範的教えを高く評価する。先生は、儒教の教えが「天の法度と最も近い」と語る。先生は、父母と子女、王と臣下、夫と妻、兄弟間、友人関係を規定した儒教の五倫は、すべての人間のための卓越した倫理であると信じている。

文鮮明先生は、神様に鼓舞されて儒教が生まれたと主張する。先生は、儒教の天の概念がたとえあいまいだとしても、神様の概念を表していると語る。先生が説明する儒教の弱点は、神様に対するあいまいな理解であり、その結果、天と地上の日常生活を適切に連結できないという点である。そして先生は、儒教の長所を有効に利用できる新しい解法を具体的に提示する。神様と人間の関係は、父母と子女の関係であり、その倫理は儒教の「孝」だというのである。

言い換えれば、私達は、神様を父母として侍らなければならず、儒教の倫理が侍ることにおいて必要な、最も卓越した解法を提示しているのである。

 

①儒教の倫理

―宗教経典―

大きいことよ、聖人の道は。(天地に)満ち渡って万物を生育し、高大さは天をも極めてその外にでるものがない。満ち足りて余りあるばかり大きいことよ、大綱の礼は三百条、細目の礼は三千条。至徳の人の出現を待ってはじめて行なわれる。だから、至徳な人でなければ、上の広大な道は成就することができないというのである。
中庸27(儒教)

およそ君子たるものは、ひたすら正しい理法にかなった行為をして、あとはすべて天命に任せて待つばかりである。
孟子VII.B.33 (儒教)

天子から庶民に至るまで、一切みな身を修めることを本とする。その本(である身)が乱れて、末が治まるなどということはない。その厚くすべきもの(家)を薄くして、薄くすべきもの(国や天下)を厚くすることはあり得ないのである。
大学(儒教)

あわれみの心は仁の芽生えであり、悪を恥じ、憎む心は義の芽生えであり、譲りあう心は礼の芽生えであり、善し悪しを見分ける心は智の芽生えである。人間にこの四つの芽生えがあるのは、ちょうど四本の手足と同じように、生まれながらに具わっているものなのだ。それなのに、自分にはとても……

そんな立派なことはできそうにないとあきらめるのは、自分を見くびるというものである。またうちの殿様はとても仁政などとは思いもよらぬと勧めようとしないのは、君主を見くびった失礼な話である。だから人間たるもの、生れるときから自分に具わっているこの四つの芽生えを育てあげて、立派なものにしたいものだと自ら覚りさえすれば、ちょうど火が燃えつき、泉が湧きだすように始めはごく小さいが、やがていくらでも大きくなるものだ。

このように育てて大きくしていけば、遂には天下をも安らかに治めるほどにもなるものだが、もしも育てて大きくしていかなければ、手近な親孝行ひとつさえも満足にはできはすまい。
孟子I1.A.6 (儒教)

君子は根本のことに努力する、根本が定まってはじめて〔進むべき〕道もはっきりする。孝と悌ということこそ、仁徳の根本であろう。
論語1.2 (儒教)

さて、忠孝はすべての徳の根であり、そこからすべての道徳的教えが派生する茎である。どの髪の毛も皮膚の一かけらも、我々の体は両親からいただいたものだから、それを敢えて痛めたり、傷つけたりしてはならない。これが忠孝のはじめである。

我々は、将来に自分の名前を有名にするために、子どもとしての道を踏み行うことによって、自分自身の人格を確立するとき、それによって我々の両親を賞賛することになる。これが忠孝の終わりである。これは両親の奉仕で始まる。それは、為政者の奉仕へと発展する。そして、良い性格の確
立によって完了する。(注22)
. 孝経(儒教)

人の道義とは何であろうか? それは、父の慈、子の孝、兄の良、弟の弟、夫の義、妻の聴、長の恵、幼の順、君の仁、臣の忠である。これら十の道義というのである。
礼記7.2.19 (儒教)

仁、義、礼、智……ただこの四つがあるだけであり、それ以外に他のものはない。
朱熹(儒教)


―み言選集―

儒教では、孔子の教えに従うのですが、孔子のその教えを中心とする礼法を見ると、天法に近いものがたくさんあります。
(31-292、1970.6.4)

儒教は人間の道理を教えました。儒教の中心思想は何ですか。元亨利貞は天道之常であり、仁義礼智は人性之綱であると言いました。(注23)元亨利貞は天道之常とは、ここには人格的な愛がありません。法を語ったのです。仁義礼智は人性之綱ですが、これは三綱五倫を意味します。
(296-272、1998.11.10)

道を歩いていても、東洋思想は、目上の人が前に立たなければなりません。なぜですか。先に生まれたからです。そのように環境を合わせようとするのです。あとから生まれた人は後ろに立つということです。高いものは高いものとして、低ければ低いものとして、前のものは前のものとして、後ろのものは後ろのものとして、上のものは上のものとして、前後を合わせなければなりません。そのような観は、変わるものではありません。それは永遠に不変なのです。
(168-252、1987.9.27)

三綱五倫(注24)の五倫は、父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信で、五大条件です。三綱は忠、孝、烈を意味します。これは人間が行くべき内容です。この内容を見れば、天のみ旨の前に外的内容を中心として、サタンを防御できる環境的与件を成しておいたのが天使長的み旨の宣布だったことを知らなければなりません。
(295-179、1998.8.28)

儒教では三綱五倫を教えています。「孝子」とは何ですか。愛を中心として命懸けで父母に侍る息子のことをいうのではないですか。では「忠臣」とは何ですか。愛を基台として、天の代わりに君主のために生命を捧げて犠牲になりながら行く人を「愛国者」と言います。
(143-153、1986.3.17)

歴史時代に私達の韓国では、儒教思想によって孝子の道理を教育しました。父母が亡くなれば3年の喪に服さなければならないとして、山に行って暮らしたのです。それは、本当にそのようにしたいと思ってそのようにするのです。

韓国民族が世界に誇り得るものとは何ですか。父母のために自分の一生をすべて埋葬してしまい、権威だろうと何だろうと、出世して右大臣、左大臣になったとしても、その道を行かなければならないのです。すべてを捨てて孝の道を求めていくようにさせたのは、天が韓国の民に儒教を立てて教育するための良い伝統だったからです。そこには異議がありません。
(181-217、1988.10.3)

神様と私と、何の関係を結ぶのかというのです。父子の関係が良いことは良いのです。それは何ですか。縦的関係です。儒教の教えは正しいのです。父子の関係は、説明や力で否定できる内容では絶対にありません。自分の父と知っているのに、「それはあなたの父ではない」と言ったからといって、それで説得できますか。父の息子として生まれた私自身であることを間違いなく知るようになるとき、それを否定するものは何もありません。
(198-298、1990.2.5)

個人的には孝子として、国家的、民族的には忠臣の気概をもって天に対さなければなりません。東洋の三綱五倫のようなものには、すべて一理があります。

それを教えてあげるためのものです。天に対する忠孝も同じです。同じことです。父母に孝行できない者が、天の前に孝子にはなれません。国に対する忠臣の志操をもてない者が、天の前に忠臣にはなれません。
(7-66、1959.7.12)


②儒教の天の概念

―宗教経典―

天が助ける相手は天道に従順なる者であり、人が助ける相手は信実な者である。上九の人は信実の徳を履み行ない、天道に従順ならんことを思い、さらにまた下位の賢人を尊ぼうと心がける。さればこそ、「天よ年これを祐く、吉にして利ろしからざるなし」というのである。
易経、周易繋辞上伝1.12.1 (儒教)

楽正子は〔御殿をさがると〕孟子にお目にかかって言いわけをしていった。「私が殿様におすすめし、殿様もここへきて先生にお会いになるばかりでしたのに、お気に入りの近臣減倉と申すものが邪魔をしたので、にわかにお取りやめになったのです。まことに残念でなりません。」

すると、孟子はいわれた。「いやいや、克よ。〔お前は魯の殿のお出ましもお取りやめも、すべて人間わざとのみ考えているが、〕入が出かけるも、取りやめるのも、みなそうさせるものがあるので、人間の力の及ぶところではない。〔そうさせる目に見えない偉大な力、すなわち天命なるものが働いているので〕わしが魯の殿に遭えないは、
天命なのじゃ。減氏の子倅などの力で、どうして遭わせたり遭わせなかったり自由にできようぞ。」
孟子I.B.16(儒教)

君子たるものは、事業のもといをはじめて、その手がかりをのこして、後世の子孫が承けつがれるようにしてやれば、それで宜しいのです。しかしながら、それが成功するかどうかは天命でありまして、人間の力ではいかんともしがたいものです。
孟子I.B.14(儒教)

先生が匡の土地で危険にあわれたときにいわれた、「文王はもはやなくなられたが、その文化はここに(このわが身に)伝わっているぞ。天がこの文化を滅ぼそうとするなら、後代のわが身はこの文化にたずさわれないはずだ。天がこの文化を滅ぼさないからには、匡の連中ごとき、わが身を、どうしようぞ。」
論語9.5(儒教)91

天の怒りを敬み戯れはしゃぐことなかれ。天意の變(かわ)ることを畏れ気ままに振舞ふことなかれ。天つ神明らかにして汝とともに出でまさむ
天つ神明らかにして汝とともにゆきまさむ(注25)
詩経、254 板(儒教)


―み言選集―

礼式において人類を代表できる内容を教えてくれたのが孔子です。孔子は韓国人です。李相軒氏の『霊界の実相と地上生活』を見れば、孔子が笠をかぶり、韓国のトポ(韓国の男子が上着の上に羽織る袖が広くて長い礼服)を着て、テニム(韓国の男性のズボンの裾を締めるひも)を結んでいるのです。そのような事実を見るとき、孔子は韓国人です。ですから、東方の国を相当に追慕したのです。

そのような方を通して、外的な人間の道義的な面のすべてのものを教えてくれました。孔子の伝統的思想とは何かといえば、「元亨利貞は天道之常であり、仁義礼智は人性之綱」と言いました。総評をしました。しかし人格的な神様が分かりませんでした。人格的といえば、知情意を備えていることを意味します。愛を中心として知識を備えて志を立てることのできる、知情意を中心とした意味だというのは、変わることのない知識であり、変わることのない情でなければならなかったのですが、それは絶対的な神様でなくては、そのようになれないのです。そのようなものが分からなかったので、人格的な神様が分かりません。理知的な神様は分かりましたが、人格的な神様が分かりませんでした。これは天使長型です。それで、道義的な面で世界人類に影響を及ぼしたのです。アジア圏です。アジア圏が根源なので、アジア圏に影響を及ぼしたという事実は驚くべきことです。
(295-174 ~ 175、1998.8.28)

儒教を見れば、神様に対しては象徴的です。神様の人格に対して具体的な内容をもっていません。悪を行えば罰を受け、善を行えば福を受けると、行動的な、倫理的な面で教えてくれています。
(53-231、1972.2.28)

孔子は、「為善者は天報之以福であり、為不善者は天報之以禍である」と言ったのですが、これは漠然としています。天とは何かというとき、漠然としているというのです。それで、宗教のようでもあり、そうでないようでもあるのです。(注26)(38-260、1971.1.8)
韓国の法に、目上の人から何かをもらうときは両手でもらうようになっています。それは水平になってこそ、愛を受けることができるという意昧です。受けるのは垂直を通して90 度で受けなければならないのです。その道理を象徴するのです。人心は天心と言うではないですか。私達のすべての規則は、良心の道理に従って相対的に生まれ出てきたものなので、水平にならなければなりません。
(171-237、1988.1.1)

儒教思想は、元亨利貞は天道之常です。天道之常とは何ですか。天のみ旨が行く道です。仁義礼智は人性之綱と言いますが、仁と義を行うのは人が行くべき道です。この二つが合わなければなりません。天を抜かしても駄目であり、仁義礼智を抜かしても駄目です。それを連結させることができなかったというのです。

ですから、天が漠然とした天になったのであり、仁義礼智が漠然としているのです。これをどのように連結させるのかを知りません。それで、この
二つの世界の形態は、歴史においてその実体的基準を形成することができず、流れてしまうのです。
「統一原理」を中心とするものが二性性相として出てきて、どのように私と関係を結び、社会のどのような形態を中心として実体圏を残しているのかというのです。

再創造の実体圏です。私達人間が願う理想とは何ですか。知識でもなく、権力でもなく、お金でもありません。愛の実績を願うのです。したが
って、師弟愛、親子愛、すべて愛ではないですか。君臣の愛……。天にも息子が必要です。天子の愛は、独りではできないようになっています。
(185-272、1989.1.17)


7.ユダヤ教

神様の摂理の中で最初の主要宗教として、ユダヤ教は世界の宗教の中で独特な立場を確保している。はるか昔、偶像崇拝の時代、神様はイスラエルの民を呼ばれ、彼らと永遠の約束を結んだ。今日、多くのユダヤ人たちは、透徹した信仰と神様の恩寵と選民など、特別な運命に対する畏れの中、契約を守ることに情熱的である。

しかし、このような特色をもったユダヤ教は、普遍的使命をもっているという確信によって常にバランスを維持している。預言者たちは、ユダヤ人たちが選ばれたのは彼ら自身だけのためではなく、神様の真理の輝きをすべての国に照らすためであると宣言した。ユダヤの歴史に普遍主義と民族中心主義の間の緊張が継続して高まっている中、文鮮明先生は一貫してユダヤは地球的視角をもたなければならないと主張する。

ユダヤ人たちは、ほかのいかなる民族より多くの苦難を経てきた。600 万のユダヤ人が虐殺されたホロコーストに見るように、2000 年間国を失ってさまよい、抑圧され、迫害を受けてきた。彼らは苦難の渦中でも、どのように神様との関係を継続して結んできたのだろうか。神様の救援歴史において、ユダヤ人の苦難がどのような意味をもつのだろうか。文

鮮明先生は、この質問に対して様々な回答をしている。それは,ユダヤ人を強くしようとされる神様の訓練過程であり、ユダヤ人を一つにまとめてより神様に近づけようとすることであり、この世の中を神様に導ける指導者にするためである。

キリスト教徒たちは、ユダヤ教がイエスを救世主として認めないため、彼らとの和解に困難を経験してきた。それでも、イエスとユダヤ人の弟子の脈絡から見るとき、キリスト教の反ユダヤ主義は弁明の余地がない。

ユダヤ人たちがイエスを受け入れないことによって自分たちの道を失うようになったと考えながらも、ユダヤの兄弟の世話をやめなかった使徒パウロの苦悩が文鮮明先生の教えにも表れている。しかし、パウロと異なり、文鮮明先生は、ユダヤ人の改宗を強調しない。先生は、ユダヤ教、キリスト教、イスラームが独自性を維持しながら互いに赦し、愛しながら、世界平和具現のための宗教間の連合を形成するとき、初めて神様の現在的意志を実現できると教える。

文鮮明先生は、現在のイスラエル国家をユダヤ人の特別な故郷として認めるが、ただほかの人々の苦痛の代価であってはならないと言われる。先生は、イスラエルの生存と繁栄は隣人アラブ――イスラエルの聖書的根拠までさかのぼり、歴史的根に対する葛藤解消――との純粋な平和と和解を通してこそ、可能だと教える。先生は、復帰歴史観の立場により、ユダヤ人とアラブ人の間で互いに愛し、自己の利益を越えることを強く要請している。


①選民

―宗教経典―

イザヤ書60 章21 節に出ているように、この「あなたの民は皆、主に従う者となり、とこしえに地を継ぎ、私の植えた若木、私の手の業として、輝きに包まれる」。すべてのイスラエル民族がこれから訪れる世に、彼らの立場を占有するだろう。
ミシュナ、サンヘドリン10.1 (ユダヤ教)

今、もし私の声に聞き従い、私の契約を守るならば、あなた達はすべての民の間にあって、私の宝となる。世界はすべて私のものである。あなた達は、私にとって、祭司の王国、聖なる国民となる。これが、イスラエルの人々に語るべき言葉である。
出エジプト記19.5 ~ 6(キリスト教)

イスラエルの子らよ、なんじらに施こした、わしの恩典を心に銘じ、私との約束を履行せよ、私はなんじらとの約束を全うするであろう。私をのみ恐れよ。
クルアーン2.40(イスラーム)

聖なる方がイスラエルを貴いものとしようと言われた。そうして彼らに多くの法と戒めを下された。
ミシュナ、マッコート3.16 (ユダヤ教)

あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれてあなた達を選ばれたのは、あなた達が他のどの民よりも数が多かったからではない。あなた達は他のどの民よりも貧弱であった。

ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなた達の先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなた達を導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。あなたは知らねばならない。あなたの神、主が神であり、信頼すべき神であることを。この方は、御自分を愛し、そめ戒めを守る者には千代にわたって契約を守り、慈しみを注がれるが……。

あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。

人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい。あなたの神、主の戒めを守り、主の道を歩み、彼を畏れなさい。
申命記7.6 ~ 9、8.2 ~ 6(キリスト教)

主は母の胎にある私を呼び、母の腹にある私の名を呼ばれた。私の口を鋭い剣として御手の陰に置き、私を尖らせた矢として矢筒の中に隠して、私に言われた。あなたは私の僕、イスラエル、あなたによって私の輝きは現れる、と。

こう言われる。私はあなたを僕として、ヤコブの諸部族を立ち上がらせ、イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。だがそれにもまして、私はあなたを国々の光とし、私の救いを地の果てまで、もたらす者とする。
イザヤ書49.1 ~ 3、6 (キリスト教)


―み言選集―

歴史上に勝利したという立場に立ち、「私達の民族は勝利した民族だ」という内容を提唱した宗教はありません。ユダヤ教以外にはないのです。ヤコブの時代に来て、天使と闘って勝ったのです。天使と闘ったのです。人間世界と闘ったのではありません。霊的世界です。見えない霊的世界の実体存在である天使と闘って勝ったというのです。地上世界の人と闘って勝ったのではありません。霊的世界と闘って勝利した一つの代表的な民族として地上に登場し始めたのがイスラエルの国だったのです。ユダヤ教とユダヤの国を中心に、アダムから22 代を経たのちにイスラエルの国の歴史が始まったのです。

そのようにしてイスラエルという名前を中心に今まできた、神様の選択を受けた民族だというのです。選民思想が透徹した民族として、2000 年間さまよいながらも自分たちのその伝統的歴史を喪失しませんでした。どの環境、どこに行っても、神様に選ばれた民族だということを一辺倒で主張するのは、歴史時代に、いかなる民族からも見いだせません。
(149-85、1986.11.17)

神様がこの地上に、万民がイスラエル民族を称賛するようにと立てたのです。万民がイスラエルを見習い、イスラエルを神様と同じように称賛してくれることを願いました。ところが、イスラエル民族は、そのようこな伝統の歴史を立てられませんでした。神様の愛を通して、チャンピオンの立場であるイスラエル圏はヤコブから始まりましたが、そのヤコブの代を受け継いだイスラエルの民たちは、そのようにできなかったのです。

彼らは、神様のみ旨と神様の摂理を中心として神様を愛し、神様のみ旨を愛するにおいて、世界のいかなる民族よりも優れていなけれはなりません。ところが、イスラエル民族はどのようになりましたか。自分たちが選民だという選民圏は高めましたが、神様のみ旨のための使命と召命圏を忘却したのです。

彼らを選民として立てたのは、神様の代わりに世界を愛し、神様の代わりに愛の中心になるようにするためでした。それにもかかわらず、彼らはその使命を果たせませんでした。その召命圏の位置に高く上がっていき、それを中心に万民をすべて愛さなければならない民族が、愛さずに愛されようとしたというのです。
(169-265 ~ 266、1987.11.1)

それでは、選び立てられたイスラエルの国とイスラエル教団が行かなければならない道とは何でしょうか。それは宇宙的なものです。使命が宇宙的だということです。イスラエルという特定の民族が選ばれたとしても、その特定の民族のために行かなければならないのではなく、人類のために行かなければならない道だというのです。
(168-304、1987.10.1)

 

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世界経典-32

2022年05月22日 16時14分04秒 | 学習


②善良な性稟を育てる宗教

―宗教経典―

みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です。
ヤコブ書1.27 (キリスト教)

神に己れの真心を尽くして服従帰依し、善い行いにいそしむ者は、主のみもとから報奨を賜わる。かれらには恐れもなく憂いもないであろう。
クルアーン2.112 (イスラーム)

実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、私達が不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、私達の救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。キリストが私達のために御自身を献げられたのは、私達をあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。
テトスへの手紙2.11 ~ 14 (キリスト教)

慈悲のモスク、真実の祈りのマットを、正直のクルアーンをつくり、正当な富を起こせ。謙遜があなたの割礼となるようにし、正しい行為があなたのラマダンの断食となるようにせよ。これによってあなたは真のムスリムになるだろう。

善行があなたのカアバとなるようにし、真理があなたの師となるようにし、高潔な徳行をあなたのカリマとし、日々のナマズとせよ。神を楽しませることであなたの念珠となるようにせよ。最後の審判の日に栄光があるだろう。
アーデイ・グラント、ヴァール・マージュ、M.1、p.140(シーク教)

人生で最も避けるべきことは動揺(優柔不断)することと軽率であることだ。最も貴重なものは敬虔な心だ。したがって、我々儒者は、心の誠実さを保とうと努力することであり、敬虔さを最も必需的なものと見なすのである。誠実さと敬虔さは、我々を天地と神と霊魂を結んでぐれることは言うまでもない。しかし、それらの案内者として仏教を採択した、また他の部類の人たちがいる。

彼らは、仏陀に拝み、仏陀の経典を暗唱し、常に敬虔さと畏敬心を保ちながら努力を傾ける。彼らは決して心越しに注意深く守る警戒を解くことはせず、次第に純粋で明るくなり、悪の思いから自由になり、善を行う用意ができるだろう。この悟りは、彼らの最も幸福な地と呼ばれる。

その時、必需的なことは、仏教の人たちがあなたを信じることができないようにする動揺(優柔不断さ)と軽率さを、儒教の人たちのように避けているということである。敬虔さと畏敬心によって節制された心を常に維持せよ。でなければ、仏教経典の暗唱や儒家の談論を何に用いるのか。(注1)

―み言選集―

宗教という文字はこのように不思議な文字ですが、このような文字は初めて見るでしょう? その意味とは何かというと、家で言えば板の間のような教えが宗教だというのです。
(92-309、1977.4.24)

教会とは、何をする所でしょうか。人格を形成し、人格を育てる所です。堕落したので、教会が必要です。家庭と社会で終わるのではありません。人格を復帰するにおいては、そのままでは復帰できません。大学を卒業して何かの博士の学位を受けたからといって、それで人格が復帰されるのではありません。ですから、教会が必要だというのです。
(25-126、1969.9.30)

人間の堕落によって、今日、愛は根本的に自己中心的になってしまいました。このような自己中心的な愛は、精神から来るものではなく、肉体を中心にしています。肉体は、サタンが活動する所です。肉体は、サタンの舞踏場であり、停泊地です。精神は、神様が住まわれる所、すなわち主体の位置になります。

しかし、精神の対象の位置にあるべき肉体がもう一つの主体になろうと努力しながら継続して精神を誘惑し、だましています。人間の生活で、このような関係を修正することは、とても重要です。
ですから神様は、堕落した人間を蕩減復帰しようと、宗教を立てられました。

神様は宗教を通して、神様中心の精神を強化する方法、生活と人格に対する肉体の支配を逆転させる方法を人々に教えていらっしゃいます。宗教がしばしば断食、犠牲的奉仕、従順で謙遜な態度等を要求する理由は、正にこのようなところに由来しています。これは、肉体の勢力を減少させ、肉体をして精神に服従するようにさせる方法です。信仰生活を通して肉体中心的生活習慣から抜け出て、新たに精神中心的な生活方式を作り出すまでには、普通3年ないし5年はかかります。

また、「絶えず祈りなさい」という聖書のみ言があります。これもまた、とても重要なみ言です。なぜならば、サタンは堕落した世界を支配しているからです。サタンは、一日24 時間、あらゆる方向から堕落した人間を誘惑し、苦しめています。反面、神様はただ一つの方向から、すなわち精神の垂直的方向からのみ、力を及ぼすことができます。
(201-208 ~ 209、1990.4.9)

水に溺れた人を救ったということは、溺れる前の状態に戻すことなので、人間の愛の理想を中心として、神様が理想としていたそのみ旨を成し遂げることができなかったのですから、人間自体には宗教が絶対的に必要です。愛の理想を求めていくことを願うのならば、必ず宗教が必要だという結論が出てきます。
(112-298、1981.4.25)

そこが、私達人間が訪ねるべき本郷です。今日、私達は堕落した人生として、本郷から追放された人間になったために、本郷の地に向かって帰るべき運命にあるのです。しかしそこへは、その人間自体としては入ることができないために、神様は、人間が入ることができる道を歴史過程に設定せざるを得ません。それで、その民族の文化背景、風習、あるいは伝統が異なることによって、数多くの宗教を立てて収拾していきました。

そのように収拾するための訓練場として立てたのが宗教です。ですから宗教は、本郷の地に入ることができる資格者を錬磨させる訓練場です。東西、四方の文化背景によって、高い所に前進することができる一つの統一された宗教世界に導いてきています。

そのような本郷の所へ導くべき宗教であるために、宗教は何を教えているのでしょうか。「ため」に生きなさいということを教えていると言わざるを得ません。そして、高次的な宗教であるほど、「ため」に生きるべきだという原則を強調しなければならず、「温柔謙遜であれ」と言うのです。数多くの人を高め、彼らのために生きる立場に立てというのです。「犠牲奉仕せよ」と教えるのです。なぜでしょうか。神の国の法度に合わせる訓練をしなければならないからです。
(78-117 ~ 118、1975.5.6)


③宇宙的共同体を促進する宗教

―宗教経典―

そこではもはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。
ガラテヤの信徒への手紙3.28(キリスト教)

信者たちは兄弟である、それでなんじらは、ふたりの兄弟の間を融和せよ、そして神を畏れまつれ、おそらくなんじらは慈悲にあずかるであろう。
クルアーン49.10 (イスラーム)

イスラエルは、すべてが一つの兄弟意識で連結されるとき、初めて天と出会うことができる。
タルムード、ムナホート27a(ユダヤ教)

見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。かぐわしい油が頭に注がれ、ひげに滴り衣の襟に垂れるアロンのひげに滴り、ヘルモンにおく露のように、シオンの山々に滴り落ちる。シオンで、主は布告された、祝福と、とこしえの命を。
詩編133 (キリスト教)

つどいが和合しているのは楽しい。和合している人々がいそしむのは楽しい。
法句経194 (仏教)

仏教の究極的な目的、そして他の異なる宗教の究極的な目的は、人々の益に寄与することである。
テンジン・ギャツォ、第14 代ダライ・ラマ(仏教)

 

―み言選集―

今日までの人類歴史を回顧してみるとき、いかなる文明もその根本支柱は精神です。時代と時代を越え、世紀と世紀を経ながら、歴史の中で中心を失わず、連綿と受け継がれてきた精神的な支柱の立場にあるのが宗教です。

何かの主義や思想ではありません。仏教を見てください。儒教を見てください。キリスト教を見てください。これらはすべて時代が変わっても、その創設者の精神を受け継ぎ、変わらずに終わりの日に成される目的世界に向かって進んでいるので
す。
(9-277、1960.6.12)

神様は愛と真理を人間たちに伝え、人間を救済しようと宗教を立てました。一定の時代と地域によって様々な宗教を立てました。例えば、2400 年前にインドに仏教を立て、中国に儒教を立て、2000 年前にユダヤにキリスト教を立てました。したがって、絶対的価値観は、神様を信奉する宗教を通してこそ立てられるという論理が成立するようになります。すなわち、宗教を基盤としない人の思想や哲学では、今日の混乱を収拾できる方案を立てるのが難しいのです。

これを言い換えれば、人類を混乱から救出するのは、ただ神様を中心とする宗教によってのみ可能だということです。歴史を振り返るとき、儒教、仏教、キリスト教、イスラームなどは、各々一定の時代と一定の地域において、社会的不安と混乱を一掃し、平和と安全の土台の上に輝かしい文化を花咲かせてきました。
(122-300、1982.11.26)

宗教の中の真の宗教はどのような宗教でしょうか。神様を中心とした父子の関係を結ぶようにさせ、さらには兄弟の関係を結ぶようにさせ、神様を中心として兄弟の家庭を成そうとする、そのような真理の内容を備えた宗教です。そのような宗教が神様の立てられた偉大な宗教であり、人間が主張する最高の宗教だという結論を下せます。
(91-225、1977.2.20)
あの世に行けば、他の国の人同士は一緒にいられませんが、すべての宗教圏は一緒にとどまることができるのです。宗教圏は、一つの世界を願って歩み、一つの神を信じて行くので一緒にとどまることができるのです。

宗教を信じる人々がこの世の人々と違うこととは何かといえば、彼らは一生の間霊界を標準として生活するという点です。宗教というものは、永遠の世界、超然とした世界の内容を中心として、神様なら神様がいらっしゃるところと神様が住んでいらっしゃるところを中心として、私達が関係を結べる内容を教えてくれるのです。
(297-271、1998.12.19)

彼らはたとえ皮膚の色が違い、生活環境が違ったとしましても、み旨に対しては一つの血筋で因縁づけられた兄弟ですので、彼らが集まる所ごとに
あなたが共にいてくださり、恩賜の炎で抱いてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
(10-150、1960.9.25)

全宗教の究極的目標は、神様のみ旨である平和理想世界を成すこと、ただそれだけです。宗教は、教団内の自体救援や個人救援を考える前に、世界救援という神様のみ旨を心配しなければなりません。
(135-221、1985.11.16)


2.真理に至る多様な道

多様な諸経典を見れば、諸宗教が真理の要素を含んでいるが、信仰を共有してはいないことが分かる。あらゆる真の宗教は同一の神様に仕えている。クルアーン(コーラン)はユダヤ教と同じ神様に仕え、キリスト教徒たちはムハンマドの「アッラー」と同じ神様に仕える聖書に従う人々であることを自認している。シーク教の経典は、ムスリムどヒンドゥー教徒が同一の神様に仕えているこ
とを確認する。神道の経典は、神道の最高神は本質的に夫婦と同一だと記述している。

さらに、様々な経典は、個別の宗教が同一の最高目標に至る一つの道であることを確認する。これはあたかも多くの川が大きな海へと流れ込んでいくのと同じであり、頂上に至る多くの登山道があるのと同じことである。

世界の諸宗教は、多様な文化の追求、習慣、環境によって人間性を高揚させ、それらの道はそれぞれ異なって始まったが、より近くなりながら、最後の一つの道へと融合している。

このような脈絡から文鮮明先生は、神様が偉大な宗教の創始者たちに、彼らが生きた時代と文化に適合したメッセージを与え、彼らを呼んで立てたと言う。文鮮明先生の教えによれば、偉大な宗教の創始者たちは、人類が究極的目的に向かって前進できるよう、神様の摂理的な経綸によってこの地上に送られた真の引導者だったというのである。

確かにすべての宗教は自分の道が最高であり最上だと考える。聖書でイエスは「私は道であり、真理であり、命である。だれでも私によらないでは、父のみもとに行くことはできない」と言う。コーランは、かつての啓示に対する正確で唯一の証言が正にコーランであり、ユダヤ教の律法とキリスト教の福音は腐敗と加筆に染まっていると言う。

しかし、私達はより高い神様の知恵の前に謙遜でなければならない。群盲が象に触れる例えで見るように、各宗教の道は全体を見ることができないまま、真理に接していることも分からない。

文鮮明先生は、人間の霊的発展過程でそれぞれ異なる時代に様々な宗教が現れたので、宗教ごとに水準が異なると見る。しかし、宗教開における違いのために、各宗教が共通にもっている核心真理が分かれてはいけない。宗教者たちは、宗教の違いを寛大に認め、共通点を発見できなければならない。


①同一の神様を崇拝し、その方の偉大なみ旨に仕えるすべての宗教

―宗教経典―

ヒンドゥーとムスリムは同じ一つの神に仕えるのだから、一介のイスラーム律法学者や教主に何かできるというのだろうか。
グル・グラント、バイロ一、p.1158 (シーク教)

日の出る所から日の入る所まで、諸国の間でわが名はあがめられ、至るところでわが名のために香がたかれ、清い献げ物がささげられている。わが名は諸国の間であがめられているからだ、と万軍の主は言われる。
マラキ書1.11 (キリスト教)

信仰をそなえ、他の神格を供養する(祀る)信者たちも、〔正しい〕教今によってではないが、実は私を供養するのである。何故なら、私はすべての祭祀の享受者であり、主宰者であるから。
バガヴァッド・ギーター923~24(ヒンドゥー教)
まことにわれは、導きと光明のある律法を、モーゼに下した。それで神に服従帰依する諸予言者は、これによってユダヤ人を、さばいた。聖職者たちや律法学者たちには、神の経典の守護が託され、それによっており、かれらはその証人でもあった。

それゆえ人びとを恐れず、ただ私を恐れよ、わずかな代価で、私のしるしを売ってはならぬ。もし神が下したもうたものによらず、裁判するならば、かれらは不信者である。……

われはかれらの足跡を踏ませて、マリヤの子イエスをつかわし、かれ以前に下した、律法の中にあるものを確証するために、導きと光明のある、福音をかれに授けた。これはかれ以前に下した律法の確証であり、また主を畏れる者への導きであり訓戒である。それで福音の信者をして、神がその中に示したまえるものによって、さばかしめよ。

およそ神が下したまえるものによらずして、さばく者、これらの者は違犯者である。われは真理によって、なんじに経典を下した。それ以前にある経典を確証し、それを守るためである。それで神が下したまえるものによって、かれらの間をさばけ、なんじに賜わった真理にもとづき、かれらの私欲に従ってはならぬ。(注2)

われは、なんじらそれぞれのために、一つの教律と公明な道とを定めた。もし神のみ心なら、なんじらをあげて一つの教団になされたであろう。しかし、これをされなかったのはかれがなんじらに賜わったものによって、なんじらを試みたもうためである。それゆえ相競って善行に励め。なんじらはこぞって、神に帰るのである。そのときかれは、なんじらが論争していたことについて、告げたもう。
クルアーン5.44 ~ 48(イスラム)

ここは神々の地である。民はそれらを敬うべきである。私は毘盧遮那如来であるから、私の民は仏陀の法に帰依すべきである。(注3)
聖武天皇におりた天照大神のお告げ(神道)


人種や宗教が何であろうとも、世界の人々は、一つの天の源から霊感を受けた一つの神の民であるということに何らの疑いもない。彼らの守っている掟の間の相違は、それが啓示された時代の種々の要求や緊急度によって起こるのである。人間の我欲の結果から起こるいくつかの例外を除けば、それらは全て神の定め給うたものであり、神の意志と目的の反映である。
バハオラ落穂集111(バハイ教)

それぞれ異なる所から流れてくる
あらゆる川が海でその水が混ざるように、
おお、主よ、様々な聖賢たちを通して
人々が選ぶ様々な川が
たとえ見た目は異なるように見えても
狭き道に見えたり、
まっすぐな道に見えるとしても
すべてがあなたに通じています。
サンスクリット賛歌(ヒンドゥー教)


人々がいかなる方法で私に帰依しても、私はそれに応じて彼らを愛する。人々はすべて私の道に従う。
バガヴァッド・ギーター4.11(ヒンドゥー教)

まことにコラーンを信ずる者、ならびにユダヤ人、サービ教徒、キリスト教徒で、神と終末の日を信じて、善い行いにいそしむ者には、恐れもなく憂いもないであろう。
クルアーン5.69 (イスラーム)

これから訪れる世に属した異教徒の中にも義人はいる。
トセフタ、サンヘドリン13.2(ユダヤ教)

そこで、ペテロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。
使徒言行録10.34 ~ 35(キリスト教)


またなんじは、信仰する者と感情上最も近いのは、「私達はキリスト教徒だ」と、言う者であることを知るであろう。これはかれらの間に、司祭者と奥義の修道士がいて、かれらが高慢でないためである。

み使いに下されたものをかれらが聞くとき、なんじらは、かれらが認めた真理のために、目に涙があふれるのを見よう。かれらは言う「主よ、私達は信仰します。私達を証人のうちに書きとめて下さい」。(注4)
クルアーン5.82 ~ 83(イスラーム)

他のすべての宗教も、人間の心性の不安を除去しようと努力している。宗教ごとにそれぞれ提示する道があり、それらも生に対する教えと規律、儀礼を紹介している。カトリック教会は、これらの中の神聖さと真なるものに対し、いかなるものも否定しない。

それらが教える概念と教え、人生の道と行動規律に心から敬意を表する。たとえ私達が勧める道と多くの面で異なるとしても、それらもやはり様々な万民を明るく照らす真理の光を反射していることを認める。
第ニバチカン公会議、キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言(キリスト教)


一み言選集―

宗教で信じる神様は、その名前が様々であり、その表現が異なるが、その宗教で信奉する中心存在は一つの神様に帰一されていると見るのです。
(140-11、1986.2.12)

それでは、皆さんも知っている四大聖人はどのような人たちですか。宗主たちでした。宗教を中心とする教主たちでした。例を挙げてみると、イエス様もそのような人であり、釈迦牟尼もそのような人であり、孔子様もそのような人であり、ムハンマドもそのような人です。

どうしてこのような人たちが、人類の案内人として信仰の対象になったのでしょうか。「その人の言葉を絶対に信じなければならない」というのです。異議がありません。なぜそうでなければならないのですか。案内人だからです。

頂上に向かって前進するそこにおいて、たった一人の道案内人、彼はある宗派に責任をもって頂上に向かって上がっていくのです。第1の峰から最高の峰まであるとき、第1の峰に上がっていけば、また違う道と連結させます。このように次元を変えながら、最高の頂上に向かって前進していくのです。

神様は東側の一つの道だけ行くのではありません。それでは西側にいる人が帰ることができないからです。ですから、このような立場で東洋の宗教や西洋の宗教、南方の宗教、北方の宗教など、世界的な地域を考えてこのような宗教を立て、このように主流の最も高い峰に向かって上がっていく方向を示しながら、その間にいる大勢の民族を吸収し、統一の世界に前進していかなければならないのです。
(81-181 ~ 182、1975.12.28)

神様がいなければ、私達統一教会は必要ありません。四大聖人はすべて神様を中心とする人たちですが、聖人たちの頂上とは何ですか。聖人自体ですか、神様ですか。神様です。イエス様も聖人ですが、その上は神様であり、釈迦牟尼もムハンマドも孔子も、その上は神様です。神様を知らない人は聖人と言うことはできません。神様を抜いては聖人という言葉をもつ人はいないのです。

聖人自体が、聖人が教えることとは何ですか。その聖人たちが主張することとは何ですか。善い世界をつくろうと言いましたか。幸福や正義、善というものを中心として、より世界的に拡大させようと主張した群れたちが聖人なのです。歴史的に見れば、それを千年、万年継続しようと主張した人が聖人です。そうです。ですから、何千年前の聖人たちの教えに、今も従っていこうとするのです。
(130-146 ~ 147、1984.1.8)

今日、この地上にはたくさんの宗教があります。人類が分散しているので、これを収拾しようとするので、自然と各民族に合う宗教が必要です。各自、歴史と環境、文化の背景と風俗、習慣が異なるので、このような様々な形態を一つの目的として収拾するためには、数多くの宗派がなければならないのです。
例えば、川を見ると、上流にはたくさんの支流があります。このたくさんの支流が下っていけば下っていくほど、互いに合流しながらその数がだんだんと減り、結局は、一つの川になって大海に入っていきます。同じように、数多くの宗教も一つの幹になりながら、最後には神様を中心にお迎えし、神様の愛を占領する所に一つになり、どどまるようになるのです。
(23-127、。1969.5.18)

宗教というものは何かというと、神様の愛の世界を求めていくための訓練道場です。そこで一段階、一段階高まり、本然の位置まで引っ張っていく使命を分担されたのが世界的宗教だというのです。
(87-177、1976.6.2)

今日、私達が生きているこの世界は、善を中心とする世界ではなく、悪主権内の支配を受ける堕落した世界なので、この世界には、神様と、善神と関係を結ぶことができないように障害が横たわっているのです。

この障害をかき分けるにおいて、人間が中間の役割をしなければならないようになっているので、善神は悪の世界を善の世界にするための運動を、歴史過程を通し、宗教の背景を中心として世界的に発展させてきた事実を知らなければなりません。

世界は民族文化の背景が異なり、習慣と風習が異なりますが、そこに合う宗教の版図を広げていき、地域的な版図から世界的な版図へ宗教を形成してきたのです。今この世界には4大宗教文化圏がありまず。キリスト教文化圏、イスラーム文化圏、インド教文化圏、極東の儒仏仙の三道を中心とする文化圏があるのです。このような宗教版図をして、今日悪の世界にいる人たちを善の世界に転換させることをしています。

それでは、神様がいるとすれば、神様にも希望があるはずですが、その神様の希望とは何でしょうか。宗教を中心として、様々な宗教を残すのではなく、必ず一つの宗教形態を世界的な舞台に展開させたいというのが神様のみ旨に違いありません。これは誰もが考えることです。考えだけでなく、神様御自身に私達が尋ねてみたとしても、この世界に神様の真のみ旨を代表した一つの宗教がなければならないと答えざるを得ません。
(113-313、1981.5.10)

お父様!
私達それぞれに、あなたのみ手を経なかった者のいないことを(私達は)知りましたし、
いかなる国であっても、あなたの願いの中で、
今まで導きを受けなかった国のないことを知るようになりました。
さらには、万民をあなたが理想とされた本然の世界に導くために、
国境を越えに越えながら、
現時点までお父様が御指導してきてくださったことを、
私達はよく知っています。
(76-86 ~ 87、1975.2.1)


②個別的違いの背後にある普遍的なもの

―宗教経典―

そのとき、ある群れの弟子たちが釈迦に近づいて言った。「師よ、ここ舎衛城の街には、絶えず論争することを好むあらゆる遊行者や論師たちが暮らしています。ある人が言うには、世界は永遠で無限なものだと言い、またある人は、世界とは有限で永遠ではないと言います。ある人は、肉身の死と共に霊魂も消滅すると言い、またある人は、肉身が滅んだあとも霊魂は永遠に存在するとい
う話をします。師よ、彼らに対してあなたは何と言われますか」。

釈迦は答えた。「昔、ある王がいたが、ある日、臣下に命じた。『舎衛城に住んでいるすべての盲人たちを一箇所に呼び集めよ。……そして、すぐに象の所へ連れて行ってやれ』、臣下が王の命を受け、この盲人たちを象の元に連れて行き、手を引いて盲人に示した。中には、足を触る者、尾を持つ者、尾の根本を持つ者、腹を触る者、脇腹を触る者、背を触る者、耳を触る者、頭を触る者、牙を触る者、鼻を触る者がいた。盲人たちがそれぞれ象の各部を触ったあと、王が彼らに近づいて尋ねた。『盲人たちよ、象がどのような動物か言ってみよ』。

すると頭を触った者はこう答えた。『象は鉢のようです』。象の耳を観察した者は、『象は箕のようだ』と言った。象の牙を触った者は、『犂(すき)の歯』と言い、象の鼻をつかんだ者は『犂』と言った。そして象の体を感じた盲人は、『象は納屋』と言い、足を触った者は『柱石』と言い、背中に触れた者は『しっくい』と言い、尻尾の毛に触れた者は『筆』と言った。

そして、王の前で『王様、象とは私が言っているものです』と再び言い争いを始めた。ちょうどそれと同じであり、外道に属する遊行者たちは、目がなく前を見ることができず、真の意味を知ることができず……真実はこうだと言い張り、互いに論争に従事している」。そのとき釈迦は、次のようにウダーナを歌われ、その真意を示された。
おお、婆羅門、沙門と自ら称する者たち、彼らはどれほど執着し争うのか!それぞれの見解に貪着するために彼らが互いに争うので、そのような群れは物事の一つの側面ばかりを見でいる。(注5)
ウダーナ68 ~ 69、盲人と象の寓話(仏教)

何人かのインド人が展示用に象を連れてきて、暗い家に入れた。群衆がその獣を見るために暗い所に入っていた。目で見ることができないことを知り、見物人たちは暗闇の中で、一人ずつ手で獣を触った。

一人の手が象の鼻に触れた。「この生物は水柱のようだ」と彼は言った。また他の人の手は象の耳に触れた。その人にはその獣がフライパンのように思えた。また他の人は象の足に触れた。「私は象の形が柱のようだと思う」と彼は言った。また他の人は象の背中に触れた。「この象は王座のような形だ」と彼は言った。

感覚の目は手の平と同じだ。手の平は獣全体を覆うすべをもっていない。海の目は一つであり、泡はまた異なる。泡は流れていくままにしておき、海の目で凝視せよ。昼夜泡のかけらが海で砕ける。驚くべきことではないか。あなた達は、海ではなく泡を注視する。私達は互いに衝突するボートと同じだ。私達の目は暗かったが、きれいな水にいる。
ジャラールッディーン・ルーミー精神的マスナヴィー3、1259 ~ 1272(イスラーム)

あるムスリムとあるユダヤ人が争っていた。ムスリムが言うには、「その方は、この世でムハンマドを選ばれた」と言うと、ユダヤ人が「その方はこの世でモーセを選ばれた」と言い返した。するとムスリムが手を挙げてユダヤ人の顔をたたいた。そのユダヤ人が預言者(ムハンマド)のところに行き、彼とムスリムの間で起きた経緯を告げると、預言者がムスリムを呼び、そのことについて尋ねた。

ムスリムが語ると預言者が言った。「私をモーセの優位に置いてはならない。なぜなら、人類は復活の日にすべて意識を失い、私も彼らと共に意識を失うだろう。私は最初に目覚め、権力の座のそばにいるモーセを見るだろう。私は、彼が私より先に意識を失って目覚めた者の中の一人なのか、神が例外とされた者の中の一人なのか分からない……預言者の間に差をつくるべきではない」。
ブハーリーおよびムスリム・ハディース(イスラーム)

ある人たちは主に「ラマ」と叫び、ある人たちは「トゥダ」と叫ぶ。ある人たちは彼を「コサイン」として、ある人たちは「アッラー」として敬拝する。彼は土台の中の土台であり、惜しみなく与える者であり、情に深ぐ慈悲深い者だ。

ヒンドゥーは彼を得ようと聖なる水で沐浴し、イスラームはメッカを巡礼する。ヒンドゥーはプーチャを行い、他の者たちはマナーズに頭を下げて拝む。ベーダを朗誦する者たちがおり、他の者たち(キリスト教徒、ユダ教徒、ムスリム)はセム族の経典を唱える。

ある人たちは青い法服を着て、ある人たちは白い法服を着て、ある人たちは自らをムスリムと称し、
またある人たちは自らをヒンドゥーと称する。ある人たちはバヒシャット(ムスリムの天国)を熱望し、ある人たちはスワーガ(ヒンドゥーの天国)を渇望する。ナナークが言うに、主のみ意を実現する者は誰でも主の秘密を知るだろう!
アーディ・グラント、ラームカリー、M.5、p.885(シーク教)

ゴタミドよ、何の教えであれ、あなたはこのように確信できるだろう。「この教義こそ、心の落ち着きではなく焦燥、執着から抜け出すのではなく執着に捕らわれること、世俗的なものの減少ではなく増加、倹約ではなく貪欲、満足ではなく不満足、孤独ではなく友人と過ごすこと、元気旺盛ではなく鈍いこと、善なることを喜ぶのではなく悪なることを喜ぶようにするものだ」。

ゴタミドよ、このような教えに対して、このように確信できるだろう。「これは正しい規準ではない。これは修行ではない。これは師の教えではない」。しかし、何の教えであれ、あなたはこのように確信できるだろう。「この教義こそ、心の焦燥ではなく落ち着きに至るようになり……落ち着きではなく焦燥、悪なることを喜ぶのではなく、善なることを喜ぶようになるだろう」。

このような教えに対してこのように確信できるだろう。「これは正しい規準だ。これは正しい修行だ。これは師の伝言だ」。
律蔵2.10 (仏教)


―み言選集―

あらゆる文化で宗教は中心核でなければならず、共義の標準でなければなりませんでした。各宗教は、自分自身の伝統を絶えず守ってきたことに対して誇りをもっています。各自は、自分の宗教をほかのあらゆる宗教よりも優秀な宗教だと考えます。しかし、宗教的な教えは宇宙的な要素をもっているだけでなく、その教えは神様から来たものです。
(234-222、1992.8.20)

残念なことに、今日に至って、宗教は種類の如何を問わず、混乱を収拾できる機能と人間の精神を指導できる能力を喪失してしまいました。今日の宗教は、徐々にその生命を失いつつあり、信仰はだんだんとより形式化しつつあります。

人類は今、宗教からだんだんと関心が遠くなりつつあり、熱い火のように燃え上がるべき信仰の本然の姿勢は、少数の例を除けば、徐々に消えていきつつあります。これは実に重大な事態だと言わざるを得ません。なぜかというと、人類の精神を善導すべき宗教がその機能を完全に喪失したとき、世界は無法天地と化し、人類はあらゆる暴力と乱行と殺戮の海の中へと落ちてしまうからです。

実際に、今日そのような現象が起き始めているのであり、共産主義の策略によって加速化しています。これを一言で、宗数的価値観の崩壊現象と表現できます。

それでは、その崩壊の原因とは何でしょうか。それは、第1に、科学技術の発達と経済成長などにより、人間の精神が物質主義に流れているからです。第2に、共産主義をはじめとする各種の無神論と唯物論思想が急速、かつ広範囲に蔓延しつつあるからです。

第3に、政治分裂の流れのもとで、国家の教育政策において宗教を教育科目から排除することによって、幼い時から無神論の思想を注入するという結果をつくりだしているからです。第4に、共産主義者たちが赤化工作のために、残された価値観さえも意図的に破壊する戦略を用いているからです。第5に、宗数的価値観を理論的に守護する確固たる本体論が欠如しているからです。
(122-300 ~ 301、1982.11.25)

人間たちが生きるにおいて、世の中では平面的に生きるので、外から見れば宗教はすべて同じに見えます。しかし、宗教の背後を調べてみると、復帰摂理をしてくる神様の摂理で見るとき僕の僕の宗教圏があり、僕の宗教圏がありそして、養子、庶子、直系の子女、母の宗教、父の宗教を経てきたのです。このような話が成立します。

そうだとすれば、宗教のその内容は何でしょうか。内容はすべて同じです。神様を愛しなさいということ、神様を絶対主人として侍りなさいということですが、その内容はすべて同じです。大同小異です。

ですから、宗教の内容を見ても、その段階を区別することはできません。内容はすべて似ているのです。だからといって宗教はすべて同じと見るのでしょうか。そうではないのです。摂理の時代を見れば、復帰摂理は終わりの日を通して成し遂げられます。始めから終わりの日が近づけば近づくほど、宗教の目的が成し遂げられる時代が来るのです。
(143-75 ~ 76、1990.12.9)

善悪というものは、思いの中で決定されるものではありません。善悪というものは生活圏内で決定されます。天国と地獄は、皆さんの観念の世界で決定されるのではなく、生活舞台で決定されるのです。これは重要なことです。
(40-294 ~ 295、1971.2.7)


3.寛容、宗教的自由、そして宗教一致

寛容は「ほかの信仰をもった人にどのように対するか」から始まる。非信仰者と信仰者を同じ関心をもって対するよう教える経典の章句を、ここに集めた。宗数的論争や数理的葛藤は非難されるべきである。それらは、時として敬虔に偽装された利己主義の衝動を受け、自分の信仰に合わないものに敵対心を表す。

これを拡大すれば。政府は宗教の自由を認定し、信仰の問題に強制性をもってはならない。多くの人々が宗教の自由を現代民主主義の唯一の特徴として認識しているが、これは十字軍戦争、宗教裁判、30 年戦争などなど、戦争の残酷性で点綴された長い期間の宗数的偏狭から胎動したものである。

一部の文明には宗数的寛容の時期があった。寛容な仏教信者だったアショーカ王(紀元前3世紀)治下のインド、ムガール帝国の啓蒙皇帝アクバル(16 世紀)、アル・アンダルス(ムスリム治下のスペイン、10 世紀)、そして中国の宋王朝時代(10 ~
13 世紀)などがそれである。それにもかかわらず、宗教の自由が地球的価値として確固たる位置を定めたのは、民主主義が確立されてからであった。
文鮮明先生は、神様の摂理の中で最も苦労して成就した勝利の一つが宗教の自由を確立したことだと指摘した。

宗教間の和解と連帯は、宗教の寛容と宗教の自由を越えたより高いビジョンだ。人類が世界の様々な宗教とより親密になり、宗教指導者たちが対話を通して、紛争と過去の偏見をなくそうと努力した結果、このような現代的ビジョンが胎動したのである。

バハイ教は、以前から宗教間の一致を主張してきた。ユダヤ人の大虐殺の恐怖を経たのち、キリスト教徒とユダヤ教徒の関係が変化しながら反ユダヤ主義的要素が宿っているキリスト数の教理に対し、広範囲な再評価が履行された。

しかし、1990年代後半まで、世俗主義の傾向や宗数的偏狭が、いつしか宗教を過去の遺物として残すようになるという見解が支配的だった、しかし今日、それは時代とかけ離れた見解である。宗数的極端主義とテロリズムが急速に広がり、人類は世界平和の具現のために宗教間の協力が必須
の前提条件であることを深く覚醒するようになった。

しかし、文鮮明先生は、宗教の一致が神様の摂理の主要な目標の中の一つであるという信念のもと、50年以上、少しも誇示することなく、黙々とその目標を実現するために尽力してきた。


①他の宗教者に対する寛容

―宗教経典―

自らの教義をたたえながら、他の人たちの教義を見下す者たちは、どんな問題も解決できない。
スーヤガダンガ1.1.50(ジャイナ教)

また最善(の言い方)でなく、経典の民と議論してはならぬ。(注6)
クルアーン29.46 (イスラーム)

異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪れの日に神をあがめるようになります。
ペテロの手紙一2.12 (キリスト教)

我々の師はこのように教えられた。「イスラエルの貧しい者だけでなく、異教徒の貧しい者たちも助けなさい。イスラエルの病人だけでなく、異教徒の病人も訪ねていきなさい。イスラエル人の死体だけでなく、異教徒の死体も一緒に埋めてあげなさい。平和の名によって」
タルムード、ギッティーン61a (ユダヤ教)

カパティカが尋ねた。「賢者はどのように真理を顕示しますか」。仏陀が答えた。「ある人が信仰をもったとき、もし彼が『これは私の信仰だ』と言えば、そのときまで彼は真理を顕示するだろう。しかし、それだけでは『ただこれだけが真理であり、それ以外はすべて偽り』という絶対的な結論に到達することはできない」。
阿合経中部2.176 (仏教)

いろいろな花から蜜を集める蜂のように、知恵のある者はいろいろな経典からその精髄を受け入れ、あらゆる宗教からただ長所だけを見る。
シュリーマッド・バーガヴァタム11.3(ヒンドゥー教)

まるで聖書に根拠を置いているかのように、主なる神がユダヤ人を捨てて呪われたと語るのは正しいことではない。神のみ言を伝え、教理問答を行うにおいて、彼らは福音とキリストの聖霊の真理に反することを教えることはない。さらにすべての人に対する迫害に反対する立場にあるカトリック教会は、ユダヤ人と同じ先祖の伝統を継承しているごとを認める。政治的理由ではない福音の霊的愛に基づき、私達はいつどこで行われるユダヤ人に対する憎悪と迫害、反ユダヤ主義の表現に対し非難するものである。
第二バチカン公会議、キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言(キリスト教)


―み言選集―

真の父母の理想と世界平和の理想は直結しています。すべての国家と民族と文化と宗教が互いに100 パーセント以上ために生き、寛容にしながら和合することによって、世界平和を成し遂げなければなりません。
(205-159、1990.8.16)

神様は、何かの教理で生活する方ではなく、宗教儀式や形式に縛られた方でもありません。神様は生きている霊的な存在であり宇宙の創造者です。宗教は、全人類に対して正しい教えの手本とならなければなりません。神様が同じ宗教内の争議による教派間の闘争や他宗教間の闘争を御覧になるとき、神様の心情は最も痛むのです。

私は、二つの一致化運動として、ニューエラ(New Era)と神様会議を創設し、これらを通してキリスト教内の教派間はもちろん、他宗教開の調和と統一に対する可能性と必要性を試みてみた結果、このような調和と統一は、忍耐と犠牲、そして真の愛の貴重な結実として実現されることを確認するようになりました。

そして、各宗教間の真摯な対話と調和を実現することで、地上に神様のみ旨を促進させ世界平和を実現するために、私は、「世界宗教議会」と「世界宗教連合」を設立しましたが、現在このような機構は、停滞した宗教界に奇跡を起こしています。

そして、私は、人種紛争および宗教戦争を防いで、神様の名のもとの理想的平和世界を立てることに積極的に寄与する青少年の機構を設立しましたが、「世界青少年会議」と「青少年宗教奉仕団」がそれです。私は、このようなすべての機構を通して、宗教界に新しい代案を提示しています。
(167-99、1987.6.30)

一つになるための運動をする人たちが、すべての宗教に対して一つになることができる努力をしなければなりません。道があるとすれば、教理上ですべてのことを解き、説得できる能力があるか、そうでなければ忍耐力があり、寛容心をもってその宗教と一つになるために譲歩していくか、二つの道しかないというのです。
(103-126、1979.2.18)

宗教を中心として見てみるとき、世界が必要とする宗教は、どのような宗教ですか。より平和を提示することができる宗教です。そのような宗教になるには、自分を重要視して、また自分を中心にする所有観念や所有欲をもっていては不可能です。そうしていては、歴史時代に自分たちの祖国を中心として、自分の民族を中心とする主体的な観念に支配された、そのような形態を抜け出ることはできません。

これを脱しようとして、「自分を犠牲にしなさい! 自分を犠牲にしなければならない」と言うのです。そして、自己の利益を追求する世界の歴史についていくようになるときは、戦争の歴史自体から抜け出せません。それを知っている天は、「自分を犠牲にせよ! 自分を否定せよ!」と言ったのです。また、自分が主体の位置にいたとしても、主体の自己利益を追求するのではなく、相対の利益を追求できる道を選びなさいと言ったのです。それで、犠牲を強調し、奉仕を強調し、自分自身を否定する道を求めていくのが宗教の道だということです。
(172-143 ~ 144、1988.1.10)

神様は世界を救おうとするのであって、長老派(プレスビテリアン)なら長老派、監理教(メソジスト)なら監理教、聖潔派なら聖潔派、それ一つだけを救おうとはしません。長老派ばかりを中心とする神様になることはできないのです。世界のために生きる神様です。

教会が真になろうとすれば、「世界のために犠牲になりなさい」というのです。世界を生かすためには、その教会が滅ぶようになるとしても犠牲にならなければなりません。これが原則です。そのようにしてこそ、神様のみ旨が成し遂げられるのですが、教会を中心として世界を審判しながら、「私達でなければならない」と否定し、「私達のために生きなさい」と言いながら、自分を絶対視する教会は滅びます。(69-87、1973.10.20)
神様がこの時代を経綸するために願われる宗教は、「父母の立場にある宗教」です。父母の心情を抱いて生きる宗教を要求されるのです。私は、真の父母思想を教育し、各自がその伝統に似た真の父母になりなさいと教えています。まず家庭において真の父母となり、氏族における真の父母である氏族的メシヤの使命を果たすように指導しています。真の父母の心情を抱いた教会人、真の父母の心情を実践する宗教となってこそ、葛藤と憎悪と罪悪の世界において神様のみ旨を実現することができるのです。

他の宗教や教派を軽蔑し、敵対視する宗教は、世界平和の実現にも、神様の摂理にも有用ではありません。天運は調和した平和世界を指向します。ところが、現実はどうですか。冷戦時代が終息しながらも、いまだに克服すべき対決と紛争の素地があまりに多いのです。人種間の紛争、宗教間の葛藤などの根本を解決し、人類一兄弟、世界一家族の和合時代を成し遂げなければならない課題は、真の父母主義を通してこそ可能です。
(260-128 ~ 129、1994.5.1)
②宗教の自由

―宗教経典―

なんじは人びとを、しいて信者にしようとするのか。神の許しがなければ、何人も信仰にはいることはできないのである。
クルアーン10.99 ~ 100(イスラーム)

宗教には強制があってはならぬ。まさに正しい道は迷誤から明らかに分別される。
クルアーン2.256 (イスラーム)

ところが、民衆全体から尊敬されている律法の教師で、ファリサイ派に属するガマリエルという人が、議場に立って、使徒たちをしばらく外に出すように命じ、それから、議員たちにこう言った。

「イスラエルの人たち、あの者たちの取り扱いは慎重にしなさい。以前にもテウダが、自分を何か偉い者のように言って立ち上がり、その数四百人くらいの男が彼に従ったことがあった。彼は殺され、従っていた者は皆散らされて、跡形もなくなった。その後、住民登録の時、ガリラヤのユダが立ち上がり、民衆を率いて反乱を起こしたが、彼も滅び、つき従った者も皆、ちりぢりにさせられた。

そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」(注7)
使徒言行録5.34 ~ 39(キリスト教)

神の預言者がメディナに到着したとき、そこにいたユダヤ人と条約を結んだ。「パニ・アウプ族のユダヤ人は、ムスリム信者と一つの共同体である。ユダヤ人は自らの宗教を実践し、ムスリムは彼らの宗教を実践する。なぜなら彼らは彼ら自身の富、財産、人々だからである。抑圧を行ったり犯罪を行ったりする者は例外である」。
ハディース(イスラーム)
連邦議会は、宗教の護持にかかわる法律、宗教の自由な活動を禁じる法律、言論または出版の自由を制約する法律、国民が平穏に集会する権利を制約する法律、国民が苦痛の救済を政府に請願する権利を制約する法律の、いずれをも作ってはならない。
アメリカ合衆国憲法、補正第1 条

すべて人は、思想、良心及び宗教の自由に対する権利を有する。この権利は、宗教又は信念を変更する自由並びに単独で又は他の者と共同して、公的に又は私的に布教、行事、礼拝及び儀式によって宗教又は信念を表明する自由を含む。
世界人権宣言第18 条

盲目的な忠誠であれ、あるいは友好的な視角から自分の宗派を示そうとする意図であれ、自分の宗派をたたえながら他の人の宗派を見下す者は、誰でも自分の宗派に相当する害を被る。他の人たちの教えに耳を傾け尊重することによって、和合することが最善である。すべての宗派の信徒たちが徳を学び、教えなければならないというのが皇帝の願いである。
アショーカ石柱勅令12(仏教)

霊魂は真実なものに見えるものだけを受け入れることができ、心は善なるものに見えるものだけを愛することができる。強要は気の弱い人なら偽善者を、勇敢な人なら殉教者をつくるだろう。気の弱い人であれ勇敢な人であれ、彼は迫害の不当さを感じて憤慨するだろう。教授、説得、そして折り、これが宗教の拡張のための方法である。憎悪、憤慨、軽蔑を刺激する方法は敬虔になりえない。
ドニ・ディドロ(ヒューマニズム)


―み言選集―

神様が準備されるもう一つのことは、メシヤが降臨できる環境を造成しなければならないということです。……イエス様が十字架にはりつけになったのは、当時の制度下では避けることのできない事情だったといえます。これをよく御存じの神様は、メシヤが再び来る再臨の時に何よりも必要なのは、人をむやみに捕まえて葬り去ることができない政治制度だということです。

このために、2000 年間汗を流して準備された制度が、正に今日の民主主義です。民主主義は人権を尊重する制度です。民主主義は、少数派も多数派の中に入り込んで生き残れる制度です。民主主義は、とりもなおさず自由を保証する制度です。その自由が正に言論の自由であり、宗教の自由であり、結社の自由であり、出版の自由であり、集会の自由です。

その民主主義のアメリカの憲法を見れば、自由の中の最も絶対的な自由が宗教の自由であり、アメリカの議会と政府は宗教を規制できるいかなる法もつくれないようになっています。
(100-246、1978.10.19)

イエス以後2000 年間の霊的な復帰摂理によって、彼が働き得る社会を造成するために、民主主義時代をつくっておかれたからである。イエスは、初臨のときには、ユダヤ教の反逆者であると見なされて亡くなられたのであったが、彼が再臨なさる民主主義社会においては、たとえ、彼が異端者として追われることがあるとしても、それによって死の立場にまで追いこまれるようなことはないのである。
原理講論、モーセとイエスを中心とする復帰摂理3.3.2

私が神様に感謝することは、人類歴史上、最も困難な時期に私を宗教の自由守護のための指導者として、アメリカの霊的覚醒運動に点火する道具として使っていらっしゃるということです。(注8)
(133-213、1984.7,19)

③宗教共同体と宗教間の紐帯

―宗教経典―

私には、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊も私の声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。
ヨハネによる福音書10.16 (キリスト教)

私の家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。
イザヤ書56.7 (キリスト教)

私は、ずっと以前に、すべての宗教は真であり、またその中に何らかの誤りをもっていると結論を下しました。私は、私自身の宗教を固く守りますが、それにもかかわらず他の宗教をヒンドゥー教のように尊重しなければならないでしょう。

したがって、もし私達がヒンドゥー教徒であれば、キリスト教徒はヒンドゥー教徒にならなければならないと祈ってはいけません。……私達の
最も内密な祈りは、ヒンドゥー教徒はより立派なヒンドゥー教徒になり、ムスリムはより立派なムスリムになり、キリスト教徒はより立派なキリスト教徒になるべきだという祈りです。
モハンダス・カラムチャンド・ガンディー(ヒンドゥー教)

根本的に世界のすべての主要な宗教は、同一のメッセージを伝える。したがって、多様な宗教の調和は重要であり、また必須的だ。各伝統は、異なる性向と精神体系をもつ人たちに適合した価値をもつ。便利な意思伝達が発達したこの世代に私達は相互の宗教伝統を学ばうとさらに努力しなければならない。

これは私達がすべての宗教を一つにしなければならないということを意味していない。私達は多様な宗教の共通目的を認めなければならず、各宗教が内的進展のために蓄積してきた多様な技法を尊重しなければならない。
テンジン・ギャツォ、第14 代ダライ・ラマ(仏教)

カトリック教会は、天の子女たちのために勧告の教えをもっている。教会は慎重と愛情を込め、異なる宗教の信仰者たちと、対話と協力を通して、またキリスト信仰と生の証人として他宗教の社会文化の価値と彼らの道徳的、霊的善を認め、保存し、奨励するものである。
第ニバチカン公会議、キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言(キリスト教)

神の宗教の本質的な目的は人類を統一することだ。聖なる顕現が連帯と愛の媒体の始祖、彼らは、不和、紛争、憎悪をつくろうとこの世に来られたのではなかった。

神の宗教は愛の動機や、もし憎悪と殺戮の原因になるようにつくられたのなら、その不在が存在することよりもよいだろう。なぜなら、その後、それは人間の世界に凶悪で害となり妨害となるものだからである。……。

この華々しい世紀に私達の義務は、聖なる宗教の本質を研究することであり、世界人類が一つになるにおいて基礎となる実在を求めることであり、神聖な愛のひもで人類を連合させる連帯と和合の源泉を発展させることである。このような統一が永遠の光彩であり、聖なる霊性であり、神の光輝であり、王国の贈り物である。
アブドゥルバハー、万国平和の普及(バハイ教)


―み言選集―

私が知っている神様は、宗派主義者ではありません。枝葉的な教理理論に縛られた神様ではないのです。私達は、教義の文字や儀式の条件に融通性なく縛られる神学的葛藤から早く抜け出し、神様と生きた交わりをもたなければなりません。信徒たちの信仰が生き生きとし、各自の霊魂が神様と交流する純粋な宗教風土の造成が急がれていると思います。

神様と父母の心情、そして大いなる愛の中には、民族や顔の色の区分はあり得ません。国家や文化、伝統、洋の東西の壁もありません。神様は、きょうも万民を同じ子女として抱くために努力していらっしゃいます。私達は、宗教間の対話と和合を通して神様の創造目的であり、人類共通の希望である単一平和理想世界を必ず実現しなければなりません。
(135-221、1985.11.16)


今日の人類が直面している一つの大きな問題が、数多くのキリスト教の教派の間で、様々な世界の諸宗教の間で、そして各世界宗教の内部で起きている相互無理解の現象です。この問題を解決しようとする多様な努力にもかかわらず、宗教の共同体間の対立と敵対感は依然として継続しています。

過去数世紀の間に起きた宗教戦争は、今日も終わっていません。相互一致のための多くの運動
が試みられてきましたが、篤実な信者たちの間には、いまだ不寛容、宗数的偏狭および宗教的驕慢の風潮が蔓延しています。それで、大部分の宗教が同じ神様に仕え、さらには同じ教理をもっているケースが頻繁にあるにもかかわらず、宗教者たちは、相互弾圧と敵対行為を継続してきました。

私達は、神様が教団主義や教理、党派主義を超越していらっしゃるという事実を悟らなければなりません。神様の目的は常に全人類を救援しようとされるところにあったのであり、特定の民族や人種、宗教団体だけを救援しようとされたのではなく、これは今この時間にも変わりありません。宗教者として私達が相互間の争いと敵対行為を終息させなければ、世の中を救おうとされる神様を手伝ってさしあげられません。たくさんの宗教指導者たちがこれを痛感してきましたが、様々に複雑な理由のためにこの問題の解決は何度も挫折してきました。

私か強調してきたことは、世界平和のための必須的条件が正に宗教間の和睦だということでした。今まで、ある宗教が神様を完全に代弁することは不可能だったので、宗教がもっている多様な見解は必然的な産物です。しかし、私達全員が唯一の天の父母の子女たちなので、私達は一つの大家族の中の兄弟姉妹であり、したがって、宗教間の葛藤と憎悪は不必要なのです。
(133-274 ~ 275、1984.8.13)

神様が世界とすべて隔離されていますか。神様はそうではないのです。世界を救おうとしています。イスラームを見ても、ムスリムを中心として、自分たちを中心としてやろうとしています。世界を考えていません。仏教もやはり同じです。社会に出て活動することを今までしてこなかったのです。
(99-17、1978.8.27)

ユダヤ教のイスラエルを中心として、中東にある国々がカイン・アベルで一つになったなら、既に6世紀前からインドと中国とユーフラテス川流域に宗教があったので、中央地帯を中心として統一し、自動的に一つになることができる環境をすべてつくっておいたはずです。……

ユダヤ教とイスラエルの国が一つになっていれば、その時は既にローマが腐敗した状態だったので、中東でもどこでも革命を起こすことができたのです。……

そうすれば、ローマ帝国の版図内にインドや中国、この宗教圏が霊界から一つになりなさいという指示さえあれば、一度に回っていくことができました。神様が願うことは、ヒンドゥー教の国ではなく、ユダヤ教の国ではなく、キリスト教の国ではなく、一つの国です!
(406-23、2003.3.2)
東洋では無我の境地を求めて入っていきます。静かな所、何も感じない場を求めていくのです。ところが、西洋では、「ああ、お金がたくさんあり、何々がたくさんある所に行こう!」と言っています。西洋式は「ある所に行こう。たくさんある所に行こう」と思って目が大きくなったのです。目がこのように大きくなりました。目が大きくなり、「ああ、早く行こう、早く行こう」と言うのです。
また、背が大きくなってこのように行きます。東洋の人は小さいです。目も小さくなり、鼻も小さくなり、すべて小さくなりました。足も短いで
す。そのような観点から見るとき、これはどこが内で、どこが外ですか。西洋は外であり、東洋は内なのです。
(118-47、1982.5.2)

宗教の目的は何ですか。宗教の目的は一つの世界を指向することです。宗教で信じる神様は名前が様々で、表現が異なりますが、その宗教で信奉する中心存在は、一つの神様に帰一していると見るのです。このように見るとき、その宗教が教える方向と目的はいつでも一つを標準としているのです。それで、最後にはすべての宗教が自分なりの道を収拾し、一つの一大変革時代を迎えなければなりません。
(140-10 ~ 11、1986.2.1)

「神様のもとの一つの世界」は、神様の永遠、不変、絶対の願いであり目的なので、必ず成し遂げられるのですが、まず宗教統一をしてこそそれが可能です。お一人の父である神様に侍り、一人のメシヤのもとに神主義によって固く結束すれば、神様が共にいらっしゃるので、世界復帰、すなわち地上天国の具現は時間の問題です。
(88-211、1976.9.18)

今日、たくさんの宗教が主張していた世界的な思潮も過ぎていってしまい、最後に残されるものは、再臨主として来られる新郎を中心として新婦たちが出会う、そのような新しい世界的文化圏時代が来るのです。その世界は、言語も統一され、生活も統一され、行動も統一され、希望も統一され、心情も統一された時代が来るというのです。
(50-62、1971.10.31)

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