人生訓読 ブログ(日本語)

神様と真の御父母様を中心に全世界で御旨を歩む兄弟姉妹達と全ての人々の幸福の為にこのブログを捧げます。

私記5

2024年02月25日 22時17分28秒 | 日記
  1. ◆35年前の信者
 35年前に拉致監禁されて脱会した信者の方が何かを証言しているらしいが、強制的に拉致監禁されて自分の信仰を捻じ曲げられてそれで良いとなっている様な信念の無い人がどれだけ信じられるだろうか?
自分の信じて来た道を強制的に変えられた事は大変に気の毒に思いますが、自分の意思を強制的に変えられてロボットの様になっている方を信じられるのかと言えば先ず無理でしょう。
増してや強制的に作られたロボット人間の話を聞きたい人はいないなあ。

左翼の共産主義者達は信仰と言う生き方を全く理解していない事が良くわかる。

人の気持ちを理解もしない、人も信じない、神様も解らず、人への尊厳も無い、人の考えを力で変えようとする、人生の原理を理解できない輩のやりそうな話だ。 どっかの国の力で世界を支配しようなどと威張っている輩と同じで、人の命を何の価値も無いと思っているかの様だ。

食べて寝ていれば良いと言う輩とは生き方が違い過ぎる。 まあ自分の先祖が猿だろうと思っている輩の発想はその程度が限界だね。



◆日本は誰の為の国か
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=J0ebz6Qc3VA&t=49s
宗教審議会は誰の為に有るのか?
政府は誰の為に有るのか?
議員は誰の為に仕事をしているのか?

過去にも現在にも左翼共産主義者、国家が行って来た実績は世界を見渡しても全ての人類を幸福にする事では無い。世界を二分して戦わせるため為の思想であり、人類に怒りと悲しみ、憎しみを生み出す思想でしか無い。

共産主義思想では人類を幸福にする事は決して出来ない。なぜなら思想その者が戦う思想であり、人を分ける思想であり、憎む思想であるからだ。

ここが統一思想とは全く違うのである。
統一思想は故に勝共であり、滅共で有る訳で間違っている共産主義思想を遥かに超えている思想である。
そして一貫して人を幸福にする為の思想である。



◆日本は基本的人権が保証されない国なのか
 月刊「正論」の田北真樹子編集長が言っている様に、誰かが嫌いだからと言って暴力で排除する様な事態が有って良い理由は一切無い。増してや多様性を強調する政府が其れを地で行っている国が日本であるなど信じたくも無いが、左翼共産主義者に引き摺り廻されて、この民主主義国家の柱で有る基本的人権を無視してまでも家庭連合を排除しようとすると言う理由は何なのか?

ほぼ一方的な話の聞き方しかしない岸田氏の何処が話を聞く人間なのか全く理解出来ない。
家庭連合狙い撃ちのこの事態に国民は納得する訳が無い。
「明日は我が身」がそのまま当てはまる構図で有り、家庭連合からすれば何処かの独裁政権と同じ姿を見ている様だろう。
家庭連合の愛国の心情と実績の軌跡は残っていく事に変わりは無いが、この国は何処に迷走するのか?

お粗末政府を振り回す左翼共産主義者はニンマリして、次は自民党解散を狙うかもしれ無い。
だが今は相手が悪いと知るだろう。


◆自由の敵 共産主義
 このIRF会議の動画の中でマイク・ポンペオ氏が明確に共産主義の脅威を指摘していますね。
此れを踏まえれば岸田氏は間違い無く左傾の似非民主主義者でしょう。自由と民主主義を破壊する人物です。

保守本流を破壊して、日本を破壊しようとしています。
自民党を左にリードする、広島の左傾思想で生まれた輩が日本を🇯🇵破壊しようとしています。

これは絶対阻止しなければ成りません。
その前に元凶とも言える河野氏を崩さねばなるまい。



◆マインドコントロールの元凶は左翼思想者である
 献金を誰が幾ら行おうと基本的には個人の自由の筈であって、個人の自由から献金しない者もいる事に間違いはない。
それを法律で規制出来る事は人権の侵害である事は間違いない。

しかも全国弁連は左翼共産主義思想を持って家庭連合に対して組織を潰す事を目的として相談者に対して対応して来た訳だ。

そして会員を暴力的に拉致監禁して棄教させると言う違法行為を行って来た事は間違いない事実である。
政府はそれを見て見ないふりをしてきた経緯が有ったが、今では拉致監禁は家族と言えども完全に違法である事が明確になっている。

しかしその結果亡くなった方もいて、長期間の監禁故の健康被害と社会復帰に障害を起こしている方もいる。
家族を破壊された方もいる。
ましてや、棄教した方を使って家庭連合を訴える様な事を指示して来た訳であり、それこそがマインドコントロールなのでは無いかと考える。

それらに対する償いは未だに為されていない訳である。

その様な行為を共産主義思想者は神を否定する思想に則って宗教迫害を行って来た訳である。
それは信仰の自由の侵害となり、人権侵害であり、尊厳の自由の侵害である事を明確にして行かなければならない事で有る。

それに対して家庭連合は過去の違法行為を認めて謝罪しきっている姿勢は立派だと思う。

国家はそれらを何故に認めずに解散請求と言う国家的迫害を行っているのか理解できない人は一人や二人ではない。
今や世界的に批判が渦巻いているのが現状である。

日本の自由は法律で保障されていないのか? 一体何を基準にしているのか解らない状態である。
適当な軽い嘘交じりの人の発言をした輩の言葉に乗せられて行動している様な岸田氏の政府の責任者で有る立場での言動はあまりにも無責任である。
ほぼ信仰を自由を認めていないと言う裏付けであるのだろう。

だが世界の信仰の基準はステージが全く異なる。
日本の様な信仰の重要性と個人の自由を理解できていない様な背景では無い訳で日本人は認識が浅すぎる。

左翼にマインドコントロールされているのはまさしく日本の政府であり岸田氏では無いかと思う訳である。
そのマインドコントロールをしている最も元凶は河野太郎氏である事がわかっている。
河野氏は選挙に強い背景がある事からかなり強気で有り中国をも支えとしている背景もある様だ。その背景もあって拉致監禁にも関わっている紀藤弁護士を宗教審議会の委員に選んでいる。何が何でも家庭連合を潰そうと掛かっているのだろう。
しかしそんな事が罷り通るのは法治国家では無い事は誰しも知っている。氏へのリバースは必ず有るだろう。
中国より支援はどの様になされているのか?
そして親子の世代を継いで来た選挙基盤はどれ程のものなのかを確と見ようでは有るまいか。


◆自民党の世耕氏の大嘘が露呈してます
 「自民党ってこんな輩が表立っているのか」と言う事が良くわかる。

完全に国民を騙してますからね、この嘘は恥ずかしいだろうな。
こんな嘘を言う人間が日本を代表する国会議員で有るなど恥ずかしい。

日本を代表する恥議員だな。
岸田氏の仲間はこんなもんだろうな。同じ穴の貉だ。

恥を知るべき。


◆宗教審議会の偏向と宗教迫害
 まず、宗教審議会と言う存在は公平であるべき状態では無く、家庭連合潰し有りきの存在であって、最初から家庭連合に反対する左翼弁護士らが何故そこにいるのか、理解できない。

公的機関なら公平であるべきでしょうが、公平ではない。

河野氏がどんな選択をしたのか解らないが、彼が選んだとも言われているが明らかに家庭連合を潰したいと考えている人材が7人中4人もいると言う異常な状態であって、とても政府の中立性が見られないし、明らかな宗教迫害がまかり通っている。

岸田ー河野のラインは自民党リベラル派であり左派と言う事が明確に受け取れるし、河野氏は中共大好き一辺倒の人間である事は良く知られている事である。片や岸田は指導力無しで総理の器ではない。やれて御用聞きだな。

起用する人が一部を除き問題を起こしている人ばかりだ。未だかってみた事が無い。

彼らが指示したこの審議会は家庭連合の話を聞こうとする姿勢が感じられるものでは決して無い。
つまり最初から仕組まれていて、一方的に宗教迫害を助長し応援する会となっている。

以下の動画にも良くそれが言われていて、客観的に理解できる。
https://m.youtube.com/watch?v=J0ebz6Qc3VA

日本や世界に取って、民主主義に取っても有っては成らない会である。
世界に恥を晒す審議会でとなっている。



◆有田氏の名誉棄損裁判
 先日の有田氏のTV番組内における発言は家庭連合に取っての名誉棄損には当たらないと判断されましたが、随分と偏った判決かなと感じました。

有田氏の発言は1990年代から長期間に渡って他の番組でも家庭連合への批判の発言しており、その一連のTV出演の影響をもって民主党からの国会議員への立候補となれた印象は否めないですから、この発言だけで無く今迄に国民に与えて来た影響は相当に大きいと取れても当然の筈でしたが、それもほぼ「影響力のないもの」ものと取られたと考えて良い感じですが、何が「影響力がないもの」の基準とされたのかが解りませんね。
 この影響あり無しの有り無しの基準は何なのでしょうか? TVでも影響力が無いなら人を批判して何でも言って良いのでしょうか。

この判断の「さしたる影響が無い」とした理由は判然としません。

4300人の被害者がいると言われる暴力的拉致監禁にも関わっているとも考えられている氏の発言が「影響が無い」と判断するなら一貫的な根拠が示されなければなりません。

影響が小さいからと言って決して影響はゼロでは有りませんし、それに寄って被害者が居るからこの裁判が起こった事がその証でしょう。

当然判断はそれ以前の過去の長年に渡る有田氏の知名度を知ってTV側が出演させている位しか理由が無いのであってその影響力を買っての出演でありその中の発言な訳で、数秒間でもそれをほぼ影響が無いと判断するのは有田氏の過去の長年の発言は判断に踏まえられていないと言う事かとも思ってしまいます。

また何の地盤も無いのに国会議員になれた事を考えると、TV出演で上げた知名度が有ってこそで、内容も無くてなれるなら誰も苦労はしないでしょう。
実際に氏は国会議員になってもさしたる実績も無いままで一期のみで落選でした。

 TV局は何故その程度の知名度や影響力も無いと断じられる氏に出演を依頼したのか? これは大きな矛盾であって、氏のTV出演に何を期待したのだろうか? 家庭連合への批判を期待しての事はほぼ目に見えている。
それを、今までの長年のTV出演の経緯を踏まえると氏の背景を無視して「発言には大した影響が無い人物」と判断したこの甘さが際立ちます。

それと発言時間が短いともしているが時間の問題では無く内容の問題であり、時間の問題ならちょっとした誹謗中傷も限りなくある様なこの手の判断はありとあらゆる判断に影響するのではないでしょうか。
何故時間の問題なのか。他に理由が無いから揃えたのか。

子供だましかの様なこの判断をした裁判官は誰かな? 左翼主義思想のお仲間が司法には大勢い居ると言う事を示しているものと思いますし、この判断も人権的には家庭連合への人権無視に近いでしょう。

この一連の矛盾は日本の司法の実態を表している感じですね。
「法によって明確にではなく、判断基準の無い司法担当者の思想と気分によって捌く」と言う、イエス当時のピラトの様な人民裁判になっています。

家庭連合はこの手の裁判では確りと裁判官の名前と思想を確認して行く事が必要でしょうね。

荒谷謙介 裁判官 であったようです。





◆LGBTの被害者は本当に誰も居ないのか
 良く「LGBTの被害者は誰も居ない」と言われるが、それは事実とは異なると思っています。

この現象は世界的にも見られている訳であるが、LGBTの被害者は国家であり国民では無いかと、そして強いては全世界の人類なのでは無いかと思っています。

国は国民の繁栄の為に国民に注力しているとは誰しも考えている事だと思います。しかし国民は如何でしょう。一定のルールの下、地域や民族、国家の為を意識して活動する人って各議員位でしょう。一般国民は一々国を意識して活動はせずとも仕組み的には自動的にそうなっているものでしょう。

その枠に当てはまらない存在が有る事も現実です。色々な形態でそうなっている事が考えられます。

それは結果的に国の繁栄繁殖を考えた時、繁殖については国が被害者となって行く事が多々あるのでは無いかと思われます。

つまり国の決定的に重要な繁殖繁栄が成り立たない事が起こる訳で、誰かが意識して居なくともそうなって行きます。

税金は払っているし働いて一般的にお金を稼いで消費しながらも、一点繁殖が出来ない状態って、初めっから両親が居ないと言う状態で親としての正しい姿勢が存在するのだろうか? 

社会的違和感が全く無いとは言い難い気がする。 

それで子供が問題無く育つのだろうかを考えると、結論が今は出し難いがやがて時間が経って行った時に解るのかも知れない。

そして同時に既にその時には「既に遅い」状態になっているのは今迄にもある事なのでは無いだろうか?

真っ当では無いのだから、問題有りきで考えるのが普通では無いかと思える。

世界的な時限爆弾と言う奴か。



◆8:2の割合とは
 実しやかに広まっている家庭連合を勝手に評価しての指示割合が出されているが、この数字は根拠が無く左翼勢力の特徴である「煽動的な内容」でしか無い事を感じている。

実体は「家庭連合を良く知らない」が5割、「家庭連合に反対する左翼勢力」が2.5割、「家庭連合を支持する」が2.5割程度と見るのが実際の所であろう。

風評を初めとして左翼の煽動やマスコミ広告と言った内容に寄ってこう言った勢力は変わって行っているのが現状で有るが、この様な情報には十分に気を付けるべきである。

不要な時間を取られぬ様、取らぬ様にである。
(24.02.29)


◆今後解決されなければ成らない事
https://m.youtube.com/watch?v=gdcWiFt_iTo

上記の動画によれば、一連の左翼共産主義思想者、左翼弁護士、強制改宗支持者と左翼国会議員らによる
家庭連合潰し=自民党潰し=安倍派潰し=日本潰し=民主主義潰し=宗教潰し=人権潰し
 と言う構図が30年以上渡って行われて来ていると言う事実が明確になって来ました。

世界的に民主主義が追い込まれている様な時代になっています。
今や「ロシアや中共の様に力による勢力変更」を目の当たりにしている我々では無いかと思う訳です。

日本と世界のリーダーはこれらを見ながら効果的な手を下せないと言う世界の民主主義の実態を見るならば、今の日本における左翼主義者の家庭連合潰しと全く同じ構図である事を認識すべきです。

これは全世界の人々が悪魔の手の人質になっているのです。

日本と世界のリーダー達はこれを見据えて共産主義思想を超えて行かなければなりません。
それには、やはり文鮮明師が提唱した「父母主義と頭翼思想」が必ず必要となるでしょう。
何故なら人間はほぼ悪の正体とその戦法、活動の目的を理解できていないからです。
どうかこの内容を知って世界を変える活動を行って欲しいと強く願っています。

そして家庭連合にも大きな課題が残っています。
それは言うまでも無く暴力的拉致監禁の問題です。
4300人余りの人達が左翼主義者の牧師、拉致監禁専従者を始め左翼弁護士らが協力した暴力的な拉致監禁強制棄教事件は未だ終わっていません。

政府はこの件に関して個人の問題で有るとして手を下して来ませんでしたが、今後はそうは行かなくなるでしょう。

4300人の被害者には人権が大きな問題としてあるからです。これまで無視されて来た被害者一人一人には間違いなく夫々の生活が有りましたが、立法司法行政がこれを無視して来た事は事実です。
それ故に歪められてきた個人の人権が間違いなくある訳です。

今後はこの事件に焦点が集まって行くでしょう。
(24.02.25)


◆解って来た事実

上記の動画を見て貰えば理解出来るであろう。
共産主義思想を持っている輩が弁護士らを中に据えて家庭連合を潰そうとして来た事実、そして安倍派を潰そうとして来た事実は動かないであろう。

となると安倍元総理はこの共産主義思想を持った輩が山上を安倍元総理に憎しみを持たせる様に嗾けた結果に殺害されたと見ても決しておかしくは無いという事で有る。

特に不自然さを強く感じたのは、山上が安倍元総理を殺害した後の世の中の疑惑の流れが事実も落ち着かない内に、安倍元総理は家庭連合と関係を持っているらしいと言う一事を持って、安倍元総理を殺害した山上が彼等から擁護されていると言う状態を作り出した時間の短さが異様に不自然であるし、まるで其れを待っていたかの様な準備して来たかの様な擁護の流れの早い作り出され方が有り、更にこれも極めて不自然な形のまま、知っていたかの様にマスコミが報道している様であった。

そして其れに続いて家庭連合が諸悪の根源で有るかの様に叩かれ始めたのもまるで段取りが事前にされていたかの様であった事も不自然でならないので有る。

しかしこれで彼等左翼思想家らのシナリオがかなり見えて来たのではなかろうか。

彼等は安倍元総理を中心とした組織と家庭連合と言う彼等に取って都合の悪い組織が邪魔であった事は思想から考えて明確になっている訳で、この二つの存在を消してしまおうと考えた事は全く彼等のシナリオ通りの方向で一致していると考える事が自然であろう。

そしてここに来ての自民党の安倍派を中心に叩かれてる政治資金不正記載事件は共産党が言い出した事で有るが、畳み込みか。

政治資金の不正記載自体は良いとは誰も言わないであろうが、より影響が大きい安倍派へのダメージを狙い、自民党へのダメージを狙ったと言う事は、もう言うまでも無いが山上が安倍元総理を殺害した実際の黒幕はこれらの左翼思想家で有ると言う事も裏が取れると言うおまけとなった形だ。

山上が安倍元総理を殺害しようと仕向けたのはこの共産主義思想家らで有ろうと考えるのは自然だ。

彼等は安倍元総理が居なくなれば喜べる立場で有り、しかも山上と連絡を取れる環境を持ち得て山上を安倍元総理殺害へと「洗脳」出来る様な情報を与え、且つ、家庭連合と結びつきを持たせて亡き者にしようと言う一挙両得を考えた輩しかいないのでは無いだろうかと言う事だ。
ほぼ真っ直ぐに繋がる。


となると果たして誰が善で、誰が悪なのかが相当に明確になって来た事になる。これは下手をすれば政権交代への引き金になりかねない事態で有る。当に日本国家の危機で有るとも言えるのでは無いだろうか。
(24.2.22)



◆カルト、売国奴とは言わせない
今回の家庭連合の勝訴により、カルトや売国奴などの表現は賠償に値するヘイトとして一層定着するだろう。
実際に家庭連合はカルトでは無いし、ましてや売国奴でも無い。
左翼の売国奴らが家庭連合のイメージを落とす為に利用してきたこの表現は彼らにとってブーメランとなった。
だが本質的な問題の解決はこれからである。
(‘24.02.02)


◆拉致監禁を行って来た彼らの正体は?
この話を良く整理してみたら拉致監禁を行って来た宮村峻(みやむらたかし)を初めとした組織的なまでの活動が良く見えて来る。
全国弁連の活動は消費者問題に取り組む以前にスパイ防止法潰しの目的であった事や彼らの思想がはっきりしている事が解りますね。
消費者問題を扱うとしながら他の団体が起こした98%の問題より2%程度しかない家庭連合関連の事に尽力をしてきた事はそれを如実に物語っている。

 見えて来たね、暴力的棄教前提の左翼思想者らによる「暴力的拉致監禁」行動の一環した手法と団体の思想と煽動活動の実態。
 民主主義の裏側において人道の皮を被った人権破壊行為、差別の煽動、強制的暴力的棄教行為は誰が行ったのか。
 自己正当化をしてマスコミを巻き込んで真実や正義闇に隠して、一般民間人には真実を伝えずに誤魔化し、隠し続けて来た数十年間。

 これは誰が利益を被ったかは明白である。
 これらは一切が白日の下に晒されるべきである事を願っています。
 これらの間違った思想が日本において一掃される事を願い、本当の自由と幸福を求めて生活が普通に出来る時が目の前に来ている事願っております。
('24.01.24)


◆北朝鮮がお見舞い

1/6に北朝鮮が日本に対して能登半島地震の事で御見舞いを伝えて来たと言う事です。
これは友好関係を作るなら今かもと言うメッセージも含めているのかもしれない。気まぐれも含めてだろうが、珍しい。
でもその前に拉致被害者は全員帰して貰わないと駄目だからね。


◆岸田氏の影が薄い

 2024年1月1日16:10過ぎに能登半島地震が発生した訳だが、10日過ぎた今でも政府系の要人は誰も被災地を見舞う事すら行なってい無い様だ。
安倍晋三元総理ならば、真っ先に空から現地の見舞いに行っているのでは無かろうかと思うのは私だけでは無いだろう。
自分達の裏金問題を隠す事の方が被災した人を見舞う事より大事なのだろう。
それにしても国会議員の誰かは行っている様だが、未だ多くの議員は対岸の火事の様に見ているかの様に見える。それで災害復旧費用40億円で済まそうと考えている様に見える。
しかし考えて見ればウクライナ支援には6,000億円も使って、そのお金を働いて出した筈の国民自体が被災して200人以上の被害で亡くなった方がいるにも関わらず、見舞う事すらせず、さも自分の懐からの金の様にお情け程度としか思えない40億円のお金。
調査して確認した結果なのかも知れないが、気持ちが本当に薄っぺらい。実態も薄っぺらい。自民党選挙支援者は居ないのかもしれませんが、こうも違うと、ほぼ人種差別かと思ってしまう位だ。
でも40億円で何が出来るんだろう。この被災者の取扱いもマスコミから間も無く消えるかも。

で、新しい資本主義ってどんな主義ですか?
未だに解らないのですが、誰かに聞いたら解るのかな? まさか共産主義と民主主義と資本主義と社会主義と自然主義を足して5で割った主義なんて言って言わないよね。 岸田氏なら何でも言いそうだな。 ( ̄▽ ̄)
‘24.01.14


◆暴力的拉致監禁事件と強制改宗2

 人権弁護士と言われている輩が、小出氏が言っているように「何処何処で裁判を起こして下さい」と親や親族にけし掛けている事がこの話で良くわかった。
大岡裁きでは無いが、子供や親族が可愛いと、愛していると思う親ならば裁判等の選択肢よりもまず話し合いをする事で有り、子供を傷付ける様な事が出来無い事が親心、親の愛では無いかと思います。

 それに20才を過ぎた子供の行動をそこまで拘束する事を勧める弁護士もかなり思想に拘っていると言う事でしょうね。

 話し合いもしないで親のお金を使わせてその親子共に自分の土俵に引き摺り込んで戦わせる様にしている訳ですからね。
彼らは裁判を起こせば自分の懐が潤う訳ですから、渡りに大船どころでは無いでしょう。

更に小出氏の話からすると「暴力を容認している」事も確りと語られていて、こう言う暴力を容認し、且つ裏では人権を語る等は矛盾を地で行く輩のやる事だと思っても間違い無いだろう。

有田氏などは「1年間も閉じ込められて良く平気でしたね」と言ったような言葉を小出氏にかけているようですが、監禁が解ってるならその監禁した者への犯罪者としての非難の言動すら無いと言う、仲間同士感をたっぷりと出している状況が感じられます。

 お陰で今ではX人を何人も囲う有名弁護士となっていると言う噂もある様です。気持ちの悪い輩だ。それが人権を守る事を謳う弁護士のする事か。こんなに煽って親子親族同志をを傷付け合う様にしておいて自分の懐を温めると言う。
これで誰が幸せになったんだろう。

人権や正義が泣くね。

小出氏は自分の気持ちを理解して貰える人が居ない環境で、どれ程に辛かったでしょうか、苦しかったでしょうか、悲しかったでしょうか。
後藤さんや他の4000人を超える被害者も同様です。風評故に唯一の親戚、家族から見放され孤独な思いがどれ程に有ったでしょうか、恐怖と悲しみ、神様を信じる事を理解して貰えない悔しさ、辛さがどれ程で有ったでしょうか。
中にはこの行為故に亡くなってしまった方もおります。
子供達を幸せに導く為に親や親族が居ると思って来たが、これでは亡くなった子供も親や親族もどれだけ無念の思いであったに違いありません。
拉致監禁などしなければ亡くなる事は無かった筈です。

そんな人権問題の事情を抱えた方がこの民主主義、平和主義と言われる日本に4,300人もいた事が驚きな訳ですし、それをマスコミが話題にもしない事がどれだけ家庭連合が嫌われていたのかを表していると思います。

今後はこの方々について真実が明らかにされる事を願っています。

親子の感情の乱れに乗じて煽って金儲けをしている事がよく聞き取れる証明の様な実際の話だと思う。
(23.12.04,24)


◆暴力的拉致監禁事件と強制改宗
新潟シンポジウムが開催されました (Youtube)
 新潟シンポジウム 2023.11.03 開催 「家庭連合には人権が無いのか」 

この4人の証言者の中に出てくる強制改宗を行った人物やそれに関係した人物、監禁事件を記事にした人物(本人曰く「皆が繋がっている」)、監禁事件を起こさせた人物を弁護した人物が下記の人物です。(一部抜粋)

因みに今は家族と言えどもこの様な拉致監禁を行う事は法律で禁じられています。(これらの人達の中には監禁対象者の家族から多額の手数料を貰って居たと言う話もあります。やり放題ですね。)

・宮村峻(みやむらたかし) 脱会屋
・平田広志 (ひらた ひろし) 弁護士 平和の森法律事務所 小出氏の拉致監禁場所に宮村氏や、大沼和子(元弁護士)らと一緒に現れる
大沼和子 元弁護士・元裁判官(定年退職) 同上
・松永堡智(まつなが やすとも) 新津福音教会 牧師 日本同盟基督教団 所属
・廣瀬 薫 (ひろせ かおる)  恵泉女学園学園長宗教法人審議会メンバー、日本同盟基督教団 所属
・有田 芳生(ありた よしふ) 元参議院議員
・週刊文春記者
・紀藤 正樹(きとう まさき) 弁護士
・山口 広 (やまぐち ひろし)弁護士
・他 元信者
・新潟合同法律事務所

基督教の教会を使って強制改修を行い、誰が何時何を行うかを想定したトレーニングを行っていたと言う、人権人道の欠片も無い活動家達の行って来たこの事実は歴史に残って行くであろう。
また、この活動を行って来た輩は、今後は被害者への損害賠償で償う事を余儀なくされるであろう。

人権侵害の余波は全てにおいて大きいものがあると言う事だ。

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拉致監禁被害者 後藤氏会見
拉致監禁被害者・後藤氏

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◇ 解散命令の為の岸田首相の嘘答弁

新聞によりますと岸田首相は2022年10月19日の国会答弁で解散命令要件に民事の不法行為は「入らない」としていた前日の答弁を撤回し「入る」と答弁した。

この撤回行為は事前に立民党の小西洋之参院議員の煽動とも言える答弁が有り、小西氏自身もそう言った答弁が首相の撤回答弁に繋がったと自慢している様である。

岸田氏は15日の答弁では刑事罰を受けた幹部が存在しない教団には「適用できない」と閣議決定を行っていた訳でそれを撤回するには理由が居る。

そこで小西氏は次の様に答弁したら良いと指摘したのだ。
「これまでは文化庁が”信教の自由”の重大性に鑑み、解散命令要件に民法の不法行為は”入らない”として居たが、改めて関係省庁が集まり議論した結果、「入る」と考えを変えたと答弁したら良い、”そこは追及しない”と言ったら首相はその如くに答弁したと言う。」

国会答弁ってこんなに軽い答弁で良いのかを改めて感じた。
一国の首相と言う立場の人間が表現する言葉が無いから他人の言葉を拾って来て答弁し、自分の意志さえ簡単に変えてしまうのか。

これで国民が右往左往する姿が他の国から見たら滑稽だろう。
ましてや自殺者まで出している状況を生み出している人権問題あり、差別であり、信仰の自由を謡いながら、信仰を認めないロシアや中共、北朝鮮並みの国家的迫害を行っている事をどう考えているのか。

全く浅はかこの上ない意志薄弱な存在だと映っている。

こんな感じで野党に良い様にされているから支持率が低いのだとは考えないのだろうか。

現代\版「日本の溥儀」の様だ。
('23.11.11)


◇ 中国製ドライヤーが爆発した様ですね。
refaという製品のドライヤーが爆発事故を起こしていると言う。
詳細にはこの製品のファンが破損して飛び散る事故が起こっていると言う事だ。
製品は中国製でまたかと言う感じだ。

使用開始から2-3年経つとこうなるらしい。

中国製品は悉くこの手の事故や故障が多い事が知られている。
見た目は良く作られているが劣化が非常に早くて、日本製品の4,5倍早い。

家電等は廃棄へと繋がる事から大量のゴミの生産する予備軍の様な状況だ。
中国製品はありと凡ゆる業界でこの様な事故が起こっている事はあまり知られていない様だが、全てに発生していると考えられる。

彼らの生活の周りも同様で、ゴミを出す事を迷惑と考えられて居ないし、その捨て方も迷惑だ。

言われても学習しないのは、朝鮮人も同じで迷惑この上無い。
(23.11.01)


◇ 福島県の処理水排水への嫌がらせ

 先日福島県で放射能処理水の海への排水がおこなわれそれに対する嫌がらせの電話が中国から日本の色々な所にあった様だ。
また国連の場でも北朝鮮や中国から処理水の排水に対する抗議があった事をマスコミが報じている。

しかしながら、これらの抗議はデータに基づかないまるで作り話の様で、日本を貶める目的ありきで如何にも中国や北朝鮮が好きそうな行為である。

IAEAも処理水の排水された近海で調査をしているが、その結果は異常な数値は一切出ていない事を表明している。

其れどころか、中国近海での放射能の数値が日本の10倍どころかそれ以上の数値になっている事を知らしめる形になった事は、東シナ海の中国原発の放射能の排水が如何に汚染されているかを明確に示したものである。

これが共産主義者の為せる行為である事を知って欲しいと思っている。

当に反対の為の反対であり、この思想の危険性を明確に示している事に注目して頂きたいものです。

この思想に真実が無い事、多くの欺瞞と嘘で塗り固めた思想が人の良心を破壊していく事を神様が心配され、世界中の多くの良心家達が憂慮している事を知って頂きたいのです。

共産主義思想に真実は有りません。人権を破壊し、差別し、自由を破壊する事で世界中で何億人もの心ある人達が殺害された歴史を考えれば、人類はその間違った思想を改めなければ世界の人類の平和や幸福を生み出す事が決して出来ない事に気づかなければなりません。

人の心に働く悪魔の行為を助長してはなりません。
(23.10.31)


全国弁連の著名人への質問状

この類の質問状は色々な首長に対して出されていて、主に家庭連合に対して配慮した行動をした公人で有るが故に為されていると考えられます。その意図として「家庭連合に配慮するな」と言った意図が込められてると考えられるからです。

だが、公人でも個人の生活もあり、活動もある訳であり、その個人としての権利を考えるとこの手の質問状等は個人の権利をも抹殺する様な人権侵害共取れる行為にも思える。
未だ良いも悪いも何も決まっていないにも拘らず、あたかも家庭連合を推す様な行為は悪で有るかの様な人権無視の個人攻撃では無いだろうか。

マスコミがそれを報じて、その結果個人としても公人としても社会的攻撃を受ける様な仕組みが作られている事は否め無い。こんなのありかな。

全国弁連はそう言う事も平気で行う人達で有る事が良く解る。人の権利を守る為の権威を持ちながら、特定の偏った思想には支援すると言う偏った考え方が良く解る。
そこには個人の基本的な人権がそもそも無視されている気がする。
本当に人権を守ると言うなら、4300人にも及ぶ暴力的拉致監禁事件は何故殆ど無視されて来たのか理解出来ない。この人達は酷い人権侵害を受けていると考えるが、この事件は全国弁連らにとっては都合が悪いからでは無いのかと思えるので有る。
しかしやがて必ず事の真相があから様になる時が来るであろう。
(23.10.19)

解散命令

 岸田首相は10/12に家庭連合に対して解散命令を出すように決めた。
そして翌日には裁判所に対して請求を出した事を極めて強い異議を感じざるを得ない状態です。

これを強く推したのは言うまでもなく日本共産党、立憲民主党、左翼弁護士らである。

そして、この内容を一言で言うならば、この命令が発出されるならば今後はどんな組織も解散命令発出有りきとなる契機となり得る物であると言う事でしょう。

この様な契機となるのは山上容疑者の安倍元首相殺害事件も一つの契機となったと考えるが出来るが、まだ想定でしかなく実相とは裏付けられていない状態で有る。
マスコミがそれらしいと伝え聞いた事を流してきた事が大きな原因となっている事は確りと押さえて置くべきだ。

事件前から山上容疑者はSら家庭連合を目の敵として来た輩とともにXにて交流を行ってきており、安倍元首相殺害は山上容疑者一人が考えたものとは簡単には断定出来ない状態で有るからだ。
事実、安倍元首相殺害事件後の反家庭連合の輩の動きはまるで準備して来たかのように早かった事が強く印象に残っている。

まるで何も結論が出ていない内に「家庭連合が原因であり、悪いのは家庭連合である」と言う風評が作られ、マスコミが動き、その風評に乗せられて自民党の家庭連合排除が為されそれが地方にも広がって行った。

つまり出来レースであったかも知れないと言う事である。

更にこの命令が裁判所から発出されたならば、これを機にして他の組織をも同様の事態に展開し得る契機となる事でしょう。

法治国家でこんな事が起こっている事は考えらない。
ある意味「煽動に弱い国民である」とも言えるであろう。

真相の解決はこれからだ。

現状で被害者は安倍元首相であり、出汁にされた家庭連合でもあり得る事であり、それを嗾けているのは左翼思想者と言う構図である。
('23.10.14)

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御言葉選集3(8,9)

2024年02月12日 16時08分33秒 | 学習
文鮮明先生御言葉選集 3-8 イエスの真の家族となろう 1957年10月18日

1957年10月18日(金)、前本部教会。

聖書拝読:マタイによる福音書10:16-42


<祈祷>
 困難に直面しても、彼らを目覚めさせるために努力されたお父様! 険しいこの地上に、強烈なサタンの勢力が及んでいる中でも、彼らにお父様を求め、お父様の前で謙遜することを許してくださった恵みにまず感謝申し上げます。
 今日、私たちが存在するのもお父様の努力の結果であり、私たちがお父様の子女であると誇れるのも、お父様の無限の愛の結果であることをこの時再び感じさせてください。
 お父様、この夕べ、私たちは父の言葉を聞きたく集まりました。この時、愛する子供たちに父の勧めの言葉を示してください。切に願います。
 今日の私たちの立場は、かつてイスラエルの60万の民が40年間の荒野の旅で暗闇の勢力と戦った時に、カナンの地の福を目の前にしても、新たな決意と覚悟を持って立ち向かったヨシュアとカレブに従わなかった時と同じです。父よ、このことを勧めてください。また、天がその時、ヨシュアとカレブに対して「強く勇んでいなさい」と強調されたその言葉が今日私たちの心に持つべき言葉であることを心に留めてください。愛する父よ、切に願います。
 何百万ものサタンたちはかつて彼らを巻き込み、苦しめ、十字架を背負わせて彼らの前進を阻止しようとしていますが、彼らは一心不乱な忠臣の態度を持って、天の御心を成し遂げる誇らしい子女たちになれるように許してください。また、この時、彼らの父の前に一歩踏み入れ、「彼らが父に差し上げるべき供え物は彼らの身体であり、心だけであり、受け入れてください」と言える子女に導いてください。愛する父よ、切に願います。
 お父様、この一時間も、私たちが心配していることを私たちは知っています。父よ、私たちの一生でも、暗闇の中に行かせないでください。また、今、父の喜びと栄光を歌わなければならない時が近づいていることを知っています。今日、私たちが自分の仕事を心配して進むべき道を進めないようにしてください。既に行かれた多くの聖賢たちの心情と天の心情を思いやるのに不足がないようにしてください。愛する父よ、切に願います。
 お父様、今この一時間、足りないものが集まって、これまでの生活を悔い改め、再び新たな決意と覚悟で歩み出すことを望んでおります。父の無限の愛の腕の中にもっと進むことができる子女となるように許してください。愛する父よ、切に願い求めます。
 残りの時間も、ただあなたが統率してくださるように願い、悪魔が乗り越えてしまわないように許してください。栄光の恵みとして私たちを保護してください。愛の手で私たちを抱きしめてください。その時、すべての言葉を主の名によって訴えます。アーメン。




<御言葉> このマタイによる福音書10章の言葉は、意味のための最後の覚悟を持ち、また、この地でサタンとの戦いを指導しなければならない重大な使命を持たれたイエス様が愛する弟子たちに最初に伝えられた言葉です。
 この言葉を通じて、私たちはイエス様が非常に悲しい気持ちの中でも、弟子たちに対して無限の愛と愛情の心を持っておられたことが分かります。一方で、イエス様が選ばれたイスラエル民族に新しい福音の言葉を伝えるために弟子たちを送り出される際、去っていく弟子たちのその心情や状況も憐れまれるべきですが、送られるイエス様の心情や状況も誰にも語ることのできない難しい立場であったことを理解する必要があります。また、イエス様は何百万ものサタンと戦わなければならない弟子たちが勝利して父の栄光を歌えるように祈り、もし戦いの中でつまづいてしまい、天の心配を引き起こしてしまうかもしれないと憂慮されているときに語られた言葉であることを理解する必要があります。
 この言葉はイエス様が、愛する弟子たちが最後の戦いに覚悟を持って立ち向かう歩みであったため、そこには必ず敵が現れるだろうとお分かりになり、その時に彼らと戦って勝ち、勝利の記念を呼び、彼らが父の子女であることを証明できる喜びの一時を迎えることを心から願いながら、愛する弟子たちを励まされた言葉であり、今日のあなた方はこの言葉を当時の使徒だけのための言葉として見ないでください。
 すなわち、この言葉は今日のキリスト教徒が戦っていかなければならない前世の闘いを暗示する言葉であり、これまで長い歴史的過程を経て、キリストの意志を中心にこの地上に勝利の基盤を築きたいとする万民に対して語られた言葉です。
 ここでイエス様の心情を推し量ると、去っていく使徒たちの信仰を懸念され、また、使徒たちが信じがたい環境に直面するだろうと感じられるときに語られた言葉であることが分かります。そのためイエス様は愛する弟子たちがサタンと戦って勝利し、父の前で栄光を返上することを願いながら、誰にも語ることのできない固い覚悟と心情で弟子たちに語られたと理解する必要があります。
 また、ここで、イエス様が愛する弟子たちを送り出しつつ、「あなたたちが行くどころか、どこにも歓迎してくれる者がない」と述べられたことを思い出すべきです。これは天の子女となるために天の道を歩む者には常にサタンが狙っていることを知っていて、そのことを語られたことを理解する必要があります。さらに、イエス様が「あなたがたの行く道を遮る者は信じない異邦人でも、選ばれたイスラエル人でも、信仰を持っているユダヤ人でもなく、あなたの家族です。」と言われたことを思い起こすべきです。そして、今日のあなたがたにはたとえ持ち物がなく、天の前に差し出すものがないとしても、イエス様が述べられたその言葉の意味を理解できる人となったとすれば、そのような言葉を述べられたイエス様がどのような心情や覚悟、誓いの心を持って語られたかを考える人とならなければなりません。
 この言葉をイエス様ご自身に照らしてみると、イエス様には当時この地上で互いの心情を共有できる一人の友がいなかったことが分かります。また、国があるけれども、それが自分の国ではなく、選ばれた民族があるけれども、それが自分の民族ではなく、立てられた教会があるけれども、それが自分の教会ではなかったことを示しています。
 したがって、その言葉を述べられたその瞬間は、天を代わって歩まれたご自身の状況をただそのままこの地上の弟子たちに引き継ぐための瞬間であったことを理解するべきです。また、あなたがたが理解すべきことは、「キリストの真の家族とは誰か?」というのがイエス様が今日のあなたに問う内容であるということです。
 この地上には多くの国があり、多くの民族があり、多くの家族があり、多くの人がいますが、その中でイエス様の真の家族はいません。ですから神様は今日までそのような人を探し出し続けておられることを理解しなければなりません。
 それでは、イエス様が愛する弟子たちを敵の手に送り出された目的は何でしょうか?彼らを通じてどのような教団を築くためではなく、彼らを通じて選ばれたイスラエルの民を立て、国を築くためでもありませんでした。まず、愛する弟子たちを送り出し、天が喜ぶことのできる家族、天の御心に生きることのできる天の真の家族を見つけようとされたのです。そのため、「キリストの真の家族とは誰か?」ということが最も重要であることを心に留めておくべきです。
 それでは、今あなたがたはどうすればよいでしょうか?持ち物がなく、知識がなく、誇るものがないとしても、神様があなた一人を通じて、あなたはイエス様の真の家族と言える必要があります。すなわち神様と共に永遠に住むことのできるあなたがなり、神の栄光を示す天の家族として神様が認め、イエス様が認め、あなた自身も認めることのできる姿となるべきです。それが、父が求める人、キリストが求める人、そしてあなたが望む人であることを理解しなければなりません。
 では、これから私たちがイエス・キリストの前で真の家族となるためには、どのようにすればよいでしょうか?皆さんは神の前に現れた真の個人であり、唯一生まれ、すなわち天の家庭で初めて現れた天の子としてのイエス・キリストを、自分の生活領域内で迎え、共に生きることのできるイエス・キリストの家族となるべきです。
 そして、神の前で、天が家庭領域で第一の者として立てられたイエス・キリストの生涯、つまり父の子として父の家で生きることのできる基準を示していたイエス・キリストの生活が、まさに私たちの生活となるべきであるということです。
 イエス様は不信の地に住むイスラエル民族を再び天の腕に抱きしめるための使命を果たす神の子であることを自ら証言し、「私は天の家族です」と証言しました。
 イエス様は誰が反対するかに関係なく、そのことを恐れずに父の御心を伝え、証言され、命を賭けて闘われたことを皆さんは知らなければなりません。
 ですから、今日の皆さんも神の子であったイエス様がこの地上において全ての生涯を神の御心を証言するために捧げられたことと同じように、そのイエス様の心情を証明する者とならなければなりません。また、サタンと戦う者となり、神の御心をこの地上で成し遂げるために死ぬ覚悟のある者とならなければなりません。
 それでは、私たちが証言する目的はどこにあり、戦う目的はどこにあり、なぜ死を覚悟しなければならないのでしょうか?それはこの地上に暗いサタンの力があり、皆さんがイエス・キリストの真の家族となれないようにしているからです。ですから、皆さんが証言しなければなりませんし、皆さんが戦わなければなりませんし、また、皆さんが御心のために死を覚悟しなければなりません。
 しかし、敵は神の心を万民の前に宣言するイエス様を迫害し、イエス様の進む道を阻んだのです。つまり、イエス様一人を殺すためにサタンたちが行ったのです。ですから、イエス様はそのようなすべてのものをこの地上から追放し、滅ぼすために、夜も十分に眠ることもできず、十分に食べることもできず、サタンを従わせるために苦労されました。つまり、イエス様はサタンのすべての攻撃を阻止するために、自らの一切を犠牲にし、戦いの旗を掲げて進まれました。
 ですから、今日の皆さんは、イエス様がこのように神の御心を証言するために死を厭わずに戦いの道に進まれ、十字架の道まで進まれたことを思い起こしながら、これがまさに神の子とされたイエス様の道であったことを知らなければなりません。
 では、今後、私たちがイエス・キリストを信じ、希望することは何でしょうか?それは、私たちが真の神の子女となり、イエス・キリストを迎え入れ、共に生きることのできるイエス・キリストの家族となることを願うことです。ですから、今日の皆さんは、まず最初に、天の心情を代表するイエス・キリストの前で堂々と立つ人とならなければなりません。つまり、皆さん一人ひとりが、父の前で頭を垂れ、一つの領域を形成し、イエス・キリストが安らかに休むことのできる一つの塀を築き上げる、イエス・キリストの真の家族とならなければなりません。
 なぜなら、当時のイエス・キリストはこの地上においても安らかに休む環境を持つ真の家族を持っていなかったため、今日の皆さんはそのようなイエス・キリストの心情を慰め、解放できる、イエス・キリストの真の家族とならなければならないからです。イエス・キリストを私の兄弟として、イエス・キリストを私の兄として、私の家庭に迎え入れ、その方の悲しみが私の悲しみであり、その方の優しさが私の優しさであり、その方の心配が私の心配であると感じ、その心配を共にすることができる心情を持たなければなりません。もし皆さんがそのような心情を持たないならば、皆さんはイエス・キリストの真の家族となることはできません。これを皆さんは覚えておいてください。
 イエス・キリストはヨセフの家族で30年間、愛する兄弟たちと一緒に暮らしていましたが、その家族が天の心情を持つイエス・キリストの真の家族ではありませんでした。家庭はあったが、イエス様が望む家庭ではなかったし、イエス様が望む家族でもなかったため、イエス様はその村から追放され、別の村からも追放されざるを得なかったのです。さらにはユダヤ人から迫害を受け、イスラエルの民からも迫害を受け、今までの歴史の中でも迫害を受けてきたのです。
 そのような迫害の中で、イエス様が悲しい心情を抱き、希望したのは何でしょうか?イエス様はこの地上に来て、父の心情を持ち、父の子として生き、父を迎え、父の家族として生きることを願いました。また、イエス様は愛する家族を抱き、父を慰めるだけでなく、その家族までもが父を慰められることを願ったのです。しかし、イエス様はそのような家族を持てなかったため、ユダヤ教徒やイスラエルの民全体が不信する立場に置かれることになりました。
 ですから、イエス様は「狐には巣穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には頭を懸ける所がない」と述べることで、どこに頼るべきない自分の無念な心情を表現しました。そのため、今日の皆さんは、イエス様のそのような状況に同情し、彼が頭を懸ける場所がなかったという休息所を作り上げる必要があります。
 しかし、もしもあなたがイエス様を迎え入れる家庭がない場合でも、少なくとも自分の心の中にでも、イエス様を迎える心を持たなければなりません。そして、イエス様を迎えて休ませる場所がない場合でも、少なくとも自分のひざの上にでもイエス様を休ませる心情を持たなければなりません。また、あなたはこれまでにこの地上で救いの意志を達成するイエス様の真の家族になることを望んでいたでしょう。ですから、今日のあなたは、イエス様が望みを持って現れる場合に、それに反対する他の要因をすべて取り除くことができなければなりません。
 イエス様は天の心情を通じて、「自分の家族が敵だ」と言われました。イエス様はすべての人を家族と同じように扱い、家族と同じように育てようとしましたが、そのようなイエス様の意志を誰も知らず、信じ、頼りにしていた最も身近な人々がむしろイエス様と対立することになりました。
 したがって、サタンはそれを条件にしてイエス様を十字架にかける楽しみを持つことができるようになりました。ここで、あなたは人類の生命の木としておいでになったイエス様が、そのような自分の状況を代わってくれる真の家族をどれほど望んでいたかを感じることができる人でなければなりません。
 それでは、今日ここに集まったあなたがイエス様の状況と心情を理解し、イエス様と永遠に共に生きることができる家族の立場に立つためには、どうすればよいでしょうか?それをするためには、イエス様の心情を代わって持つことができなければなりません。
 どんな環境、どんな状況でも、天に対して変わらず忠実であったイエス様の心情と人格を見習う人にならなければなりません。また、新しい道を開拓しなければならない使命を背負ったあなたが探し出すべきものは何でしょうか?イエス様が安らかに休まれ、楽しまれる環境を作り上げる真の家族の立場をあなたが築かなければなりません。
 したがって、イエス様が「自分の家族が敵だ」と言われたのは、誰でしたか?イエス様が悲しむときに悲しむことを知らない者が敵であり、天の心情を証言するために傍に共に喜び、悲しむことができなかった者たちが敵であったことを理解しなければなりません。また、あなたはイエス様の道に向かう途中で、イエス様の母や兄弟がイエス様の真の家族となれず、敵となった事実をしっかりと理解しなければなりません。
 さらに、一生懸命に心を尽くし、命を捧げて教え導いてくれた弟子、つまり3年間共に歩んだ使徒たちさえもがイエス様の真の家族となれなかったことを理解しなければなりません。イエス様が死の山、十字架の山に向かおうとしたとき、愛する弟子たちがイエス様の状況と一体化し、真の家族となれずにイエス様の敵となったことです。
 したがって、今日のあなたたちは、私たちの先祖が神の心情を理解せず、神が要求する時機を見計らって神の真の家族にならなかった歴史的な事実を知らなければなりません。
 ですから、今日のあなたたちは、家族という言葉を使っていますが、それは実際には恐ろしい言葉です。もしもあなたが信仰の道で間違った方向に進んでしまえば、イエス様が神の意志を証言していた立場を妨げる敵になるのです。イエス様がサタンと戦っている時に、苦労し、悩み、ため息をつかれたそのすべての心情を共感できる人物であるでしょう。
 ですから、イエス様が十字架の道を歩まれる時、単に従うだけの人はイエス様の家族ではなく、十字架の道に進むまでのその心情を理解できる人こそがイエス様の家族であることをはっきりと理解しなければなりません。
 そして、あなたはイエス様がこの地上においでになり、30年以上もの間、真の証人としての使命を持って現れられた時、あなたのために証言する真の家族を持てず、サタンと戦う中で一緒に戦ってくれる家族、ゴルゴダの十字架を背負って進む道に一緒に行ってくれる真の家族、さらには天に誇ることのできる真の家族を持てなかったことが、最も大きなイエス様の悲しみであったことを知らなければなりません。
 では、今日のあなたたちは何をすべきでしょうか?2000年前にイエス様が神の意志を証言するために労し、今日のあなたも同じように神の意志を証言しなければなりません。また、当時のユダヤ教の宗教指導者やイスラエルの民の反対にもかかわらず、決然とした心情と覚悟を持って、サタンと対決し、天の意志の成就のために心配したイエス様の心情を持ち、代わりに意志を成就させる人とならなければなりません。
 さらに進んで、天の意志を達成するために進む道を阻むすべてのものを取り除くために、生命さえも捧げる覚悟をしていたイエス様のその決然とした心情を理解できる人でなければなりません。また、自ら民族のために十字架を負うという犠牲の精神も持つべきでしょう。
 また、あなたはイスラエルの民の代わりに生け贄となるだけでなく、2000年前のイエスの心情を理解し、イエスの人格を持つ人にならなければなりません。あなたはサタンの前に屈する死んだ生け贄になってはなりません。イエスの心情に共感し、神の意志を証言している間に絶望してはならず、サタンと闘って敗北する人にもなってはなりません。
 したがって、終わりの日に立つあなたは、死の谷を踏み越え、敵を神の愛のふところに導く覚悟と心情を持った人にならなければなりません。
 それでは、イエス様が神の大きな御心を代行し、進まれる際に、誰がイエス様の心情を悲しませたのでしょうか?イエス様と最も親しい人々がイエス様の心情を悲しませました。当時の予備されたイスラエルの人々が反対したことが悲しいことではなく、ユダヤ教の信者たちが反対したことが悲しいことでした。
 3年間も一緒にいた弟子たち、愛する弟子たちが信じるべき時に信じず、証言するべき時に証言せず、戦うべき時に戦わず、死ぬべき時に死ななかったという事実がイエス様にとって最も大きな悲しみでした。これをきちんとお考えください。
 それでは、あなたが天の真の家族として語るにはどうすればよいでしょうか?まず第一に、あなた一人ひとりが一つの心となって動いていかなければなりません。そして、一つの目標に向かって戦うことを知り、また、その一つの目標、すなわち神の意志を達成するために死を覚悟し、進んでいく覚悟を持つ人でなければなりません。また、イエス様が2000年前にこの地上においでになり、天の意志を全うできずに去られたことから生じたその悲しみを解消し、慰める人でなければなりません。これらすべてを成し遂げた時、あなたが天の真の家族として語ることができるということを心に留めておいてください。
 それでは、今日のあなたは自らの信仰の立場で何を持つべきでしょうか?あなたは真の家族を持つ人にならなければなりません。あなたは家に戻ればその家で真の家族を持たなければならず、教会に行けばその教会で真の家族を持たなければなりませんし、社会に出ればその社会で真の家族を持たなければなりません。
 また、あなたはイエス様が神を代表して証言し、神を代表してサタンと戦い、神を代表して帰られたことと同じように、そのようなイエス様のために証言し、イエス様のために戦い、イエス様のために死ぬ覚悟が必要です。
 さらに、そのような立場に立った後に、自分自身を証言するもう一つの仲間を持つ人にならなければなりません。そうすれば、イエス様を証言していた使徒たちがいたように、あなたも自分自身を証言する人になることができます。
 つまり、あなたが神の子娘と呼べる立場に立つためには、あなたを変わらない神の子娘として証言できる一人の仲間を持つ必要があり、あなたのために戦ってくれる仲間を持つ必要があり、あなた自身のために死んでくれる仲間を持つ必要があるということです。
 そのような人になるためには、あなたはどうすればよいでしょうか?誰よりも多くの人のために犠牲の道を進む指導者にならなければなりません。つまり、多くの人のために犠牲の戦いをしなければならないということです。言い換えれば、あなたが多くの人のために犠牲の十字架を負う真の聖者になる前には、あなたを代わりに証言し、あなたを代わりに戦ってくれ、あなたのために死んでくれる人を持つことはできないということです。
 イエス様が神を代表して自分を捨てる道を歩んだため、彼が証言したのは自分自身を証言したのではなく、神を証言したのであり、彼が戦ったのもまた、自分自身のために戦ったのではなく、神のために戦ったからです。また、十字架を負うことも、自分自身のためではなく、神の全体的な計画を実現するためでした。
 そのため、今日まで多くの聖人たちはイエス様のために証言し、イエス様のために戦い、イエス様のために死んでいきました。したがって、今日のあなたも帰還の意志を完成させる過程で、あなたを証言し、あなたのために戦ってくれ、あなたのために死んでくれる仲間を持たなければなりません。もしもそのような仲間を持たない場合、天国の前やイエス様の前で敵対する立場になることを覚えておく必要があります。
 イエス様がこの地上に来られた理由は何か?それは、自分のために死んでくれる人がいなかったからです。イエス様がこの地上で戦った理由は何か?それは、自分のために戦ってくれる人がいなかったからです。また、イエス様が自分自身を証言した理由は何か?それは、自分のために証言してくれる人がいなかったからです。
 したがって、あなたはイエス様の心情を代わり、イエス様の仲間とならなければならず、自分を証言し、戦い、死ぬ覚悟のある一人の仲間を持たなければなりません。もしもそのようなあなたになれない場合、キリストの30年の生涯の中であなたが代償として、父の前に差し出せなかった恨みが残ることを覚えておく必要があります。これを心に留めておいてください。
 では、今日のあなたたちにはどうすべきか?真の仲間を探し出すこの一歩において、あなたたちはイエス様が心配されていたその心配の気持ちを持ち、また神が心配されていたその心配の気持ちを持たなければなりません。さらに、仲間たちのために祈る心を持つ必要があります。また、イエス様が愛した弟子、愛した民族のために祈ったが、イエス様の愛を受け入れずに疎遠になってしまった全ての恨みを解き放ち、慰めていくあなたたちにならなければなりません。
 そのため、今日のあなたがイエス様を中心とした教会や民族を建てるためには、他の人が遊んでいる時に神をサタンの前に証言することが必要ですし、他の人が知らない間にサタンと戦っていく覚悟が必要です。
 では、イエス様は誰のために十字架の死を受け入れられましたか?それはもちろん愛する家族のためでした。さらに、多くの民族や人々のためでもありました。イエス様は祈る時も、自分自身のために祈るのではなく、全ての人のために祈ったのです。そして、彼が証言したことも、戦ったことも、死んだこともそうでした。
 そのため、今日のあなたはそのようなイエス様の仲間になるために、全力を尽くさなければなりません。つまり、あなたは証言の道を通じて、戦いの道を通じて、死の道を通じてイエス様の真の仲間になるために、すべての努力を払って進む必要があります。
 あなたは、自分の価値を決定するために、そのような仲間を持っているかどうかを知る必要があります。したがって、あなたはこれまで信じ、希望し、留まっている立場がどのようなものかを見極める必要があります。
 今日、天国の意志を実現する人はその過程で敵に直面するでしょう。最初に、家庭で自分の行く手を遮る敵が現れるでしょう。つまり、あなたの家庭では、妻が教会に出ると夫が敵になり、夫が出ると妻が敵になるということです。子供が出ると親が敵になり、親が出ると子供が敵になるという状況に直面するでしょう。
 では、今あなたはどのような立場にいますか?今まで持っていた家庭を失い、夫や妻を失う立場にいます。さらには、親を失わなければならない立場にもいます。そのため、今日のあなたは家族の親と一緒に真の親を見つけなければならず、あなたが真の夫または真の妻になり、さらには天国の真の家族にならなければなりません。
 では、今日のあなたがそうなるためにはどうすればよいでしょうか?あなたの家庭で親が悲しんでいるなら、子供も悲しむべきであり、子供が悲しんでいるなら親も悲しむべきです。夫が悲しんでいるなら妻も悲しむべきであり、妻が悲しんでいるなら夫も悲しむべきです。
 もしもあなたの家庭で、家族全員が一心同体になって天国の意志を受け入れ、その意志を実現できる環境を築けないなら、あなたたちのような不幸な人はいないでしょう。そのようになった場合、あなたは家庭から追い出され、社会からも追い出され、国からも追い出されるでしょう。そのような時に、あなたは天国の意志を中心にした家族が必要になります。
 世俗の親に従っている代わりに、真の親を持つ必要があり、夫婦が互いを信じない立場から真の夫婦を形成できる家族の一員を見つけなければなりません。世俗のもので引き裂こうとしても引き裂けない、死の縁まで共に行けるような仲間関係を築く必要があります。
 世俗の親でも子供が死ぬ立場なら、代わりに死ぬ愛の情を持っています。なおかつ、天国の愛で繋がったあなたたちが、世俗の家庭以上の愛を持ち、お互いに与え合う環境を築くことができないなら、あなたが滞在する場所にはイエス様が来られることも、神様が安息されることもありません。そのような時、終わりの最後の瞬間を迫られるとき、あなたはどうすればよいでしょうか?あなたは同じ教会の中でも互いの心を理解し合えず、互いの事情や気持ちを理解できないでいるといけません。それと同様に、互いの事情や気持ちを知らずに生きることが敵です。
 そのため、今日のあなたは隣人に対する関心を持ち、彼の事情が自分の事情であり、彼の悲しみが自分の悲しみであると認識し、永遠で真の家族の関係を築いていく必要があります。つまり、あなたが神の愛の心を持ち、互いに一つの家族として、親子、夫婦、兄弟姉妹の立場から互いに支え合い、生きることのできる真の家族の関係を築いていくことです。
 しかし、あなたが神を礼拝し、神を安息させようとする際、必ずそれを妨げる敵が現れるでしょう。これまであなたが結んできたつながりが敵に変わるということです。そして、その敵はあなたの家庭や社会、国、そしてこの世界で存在していることです。
 ですから、今日のあなたは家庭や社会、国、そして世界に存在する敵を排除しながら、天国へと進んでいく重大な責任を負っています。つまり、あなたは神の計画とイエス・キリストの心を通して、一つの親を持ち家庭を築き、社会や国、世界に連なっていく重大な使命を担っているのです。
 そのため、今後は家族の立場から互いに証しを与え、戦い、死に至る関係を築いていく必要があります。本当にそうしたあなたが、イエス・キリストの真の家族になることを心に留めてください。




<祈祷>
 愛する父よ。今日ここに集まった子どもたち、あなたの真の家族の立場に立たせてください。
 今日の私たちは自分を中心にして父の心と調和しなかったことが、その条件であなたの前で敵の立場に立つこととなったことを、この時知らせてください。
 愛の父よ、今日の私たちは天国の心を理解し、その心を愛する家族に伝えるための証しの戦いをしなければならず、またそれを妨げているサタンと戦わなければなりません。また、そのようなことが実現しない場合でも、生命を捧げてでもその使命を遂行しなければならない責任が私たちにはあることを、この時知らせてください。愛する父よ、熱心に願い求めます。
 イエス様も宇宙的な歴史を行う前に、愛する3人の弟子が問題であったように、今日の私たちの教会が一致して発展するためには、自分が隣にいる3人の家族と一体になれるかが問題であり、父よ、彼らと一体になれるように許してください。また、それがイエス様の前で真の家族になれる道であるということを、この時知らせてください。愛する父よ、熱心に願い求めます。
 まず、私たちの心と体が一つになり、イエス様の心の代理人として、自らサタンに対して証しを立てられ、サタンと戦って死ぬ姿として、父の意志を遂行する使命を完遂しなければなりませんので、その過程で敵の策略を避けることができるように導いてください。また、私たちの教会全体が一致して、今後の民族的な敵の群れを阻止できるように助けてください。そして、さらには神の意志を中心にして三つの民族が団結し、世界的な敵を阻止できるように助けてください。愛する父よ、熱心に願い求めます。
 もし私たち一人一人が民族のために戦い、人類のために祈り、人類のために死ぬ覚悟を持って進むならば、イエス・キリストを私たちの家庭の中心、社会・民族・世界の中心に安心して迎え入れることができます。そして、そうした私たちでなければイエス・キリストの真の家族になることはできないことを知っておりますので、愛する父よ、そうした立場に至るように導いてください。
 切に願い求め、すべての言葉を主の名によってお祈り致します。アーメン。



文鮮明先生の言葉選集 3 - 9. 裏切る者にならないように (1957年10月20日)


1957年10月20日(日)、全本部教会。


英所拝読:マタイによる福音書23:29-39


 お父様、この時、ここに集まった子どもたち、自らが父の尊い子であることを知らず、ただ日々を過ごすことでこれまで生きてきた様子をお許しください。
お父様でなければ彼らを慰めることもできないし、あなたの栄光を彼らに許すこともできないことを知っている私たち、もしかすると私たちの心が罪悪に染まって自分を主張することはありませんか?自分を中心に動いたことが天倫を背叛した行動となった歴史的な事実を私たちは知っていますので、この時のすべてを父の前に差し出し、聖霊の賜物を受けることができるように許してください、愛するお父様、切に願います。
それによってまず私たちの心がお父様の心に、私たちの身体がお父様の身体に表現されるように許してください。お父様の動く心が私たちの心を代わり、お父様が要求する望みが私たちの望みを代わり、願われる意志のために戦うその心の中にも今日私たちの戦いの心が共にすることを許してください、不屈の精神でただお父様の意志だけを受け入れて奉仕できるように祝福してください、愛する父よ、切に願います。

 これまで生きてきた私たちの生活は邪悪なものであり、不正な罪悪の中で脱出できなかったことを知っているので、今や私たちは、時間と空間を超えた絶対的な価値を求めさせ、一つの中心を通じてその価値を示そうとするその意志の前に自分のすべてを捧げることができるように許してください。

 また、その意志の前に私たちの心が活動できる相対基準を形成し、天の栄光をそのままから歌う喜びを持つことができるように許してください、愛するお父様、切に願います。

 今日まで人間のために努力してきた父の苦労の歴史を私たちが知り、また最初にこの地に来た数多くの先祖が父の意志のために流した血痕を私たちが守り、お父様の前で愛され、サタンの前で誇示できる子供になることを許してください、お父様、切に願います。

今でもお父様の御心に自ら感謝することを知らない者がいるでしょうか? お父様! そうした者がいるならば、慈悲の手で包み込んでください。復活の全能で彼らの心を屈服させ、お父様の前で悔い改める心を持たせてください。また、お父様の前で謙遜に感謝する心を持たせてください。お願いします、お父様、切に願います。

 今、お話を拝聴したいと思いますので、お父様、この聴衆をお預かりください。長い間、お父様が悲しい心で彼らを訴えてきたことを知っていますので、その訴えに顔を背ける者にならせないでください。また、自分たちが不足してお父様の御心を阻むことがないように許してください。自分たちが未熟でお父様の御心に背く立場に立たないように導いてください。愛するお父様、切に願います。
この時、父子聖霊が主導してください、私たちが自ら立てたすべてをお父様の前に差し出し、お父様の望まれる御心に従って動くことを許してください。
そのようにして、感謝の美徳を父の前に捧げるその一身一心となることを許してください、愛するお父様、切に願います。この時、イエス様が30年以上も血の汗を流し、あらゆる労苦をもって弟子たちを愛されましたが、結局、彼らの裏切りのために十字架に戻られざるを得なかったその悲しい事実をこの時、再び感じることができますように、お願いします。

 今まで天を信じて歩んできた私たちが、最後まで不変の忠誠を父の前に捧げる様子となれるように許してください。お父様の前に栄光の実として現れるように許してください、お父様、切に願います。
サタンが潜んでいるこの場所とならないように許してください。何百万ものサタンがこの場所を狙っているかもしれませんが、自分が父の前に捧げる生け贄としてこの時間を許してください。

 お父様、この時間も孤独な家族が各地に散ってお父様の前にひざまずいて祈っていることを知っていますので、集まる場所ごとにお父様の勝利の栄光が共にあるように許してください。驚異的な父の栄光が彼らの身心に満ち溢れ、お父様の子供となったことを感謝しながら、お父様の前に栄光を捧げることができる子供たちとなるように祝福してください、切に願います。すべての言葉は主の名によってお祈り致しました。アーメン。




<御言葉>
 今日のこの時間に、皆さんと一緒に少し考えようとする説教の題目は「裏切る者にならないように」です。
 現代の私たちが生活している環境は、神の律法を見つけて築くには非常に難しい環境です。また、一人の友人を見つけて永遠の友情の関係を築きながら、生涯を通じて永遠の命の喜びを共に楽しむことができるような友人を持つことは非常に困難です。
 友人だけでなく、家庭でも永遠に共に生きることのできる夫婦や、永遠に共に生きることのできる両親、兄弟を持つことが難しい世の中にいることを、皆さんはよくご存知でしょう。
 私たちの心を見つめると、私の心が変わらず、私が生活している環境のすべてが変わらない中で、驚くべき大きな理念の中で共に生きることを人間は今も切望しています。
 本来、人間は互いに永遠に信頼し、永遠に頼ることができ、また永遠に愛する心を持ち、自分のすべてを他者に託し、自分のすべての良いことを他者に自慢することができる環境の中で生きるようにされています。
 しかし、そのような環境を失ってしまったことで、それを再び見つけ出さなければならない運命を背負うことになりました。この事実は偶然の歴史によってもたらされたものではありません。ここには私たちが知らない折り返しがあるのです。
 今まで歴史を経てきた私たちの先祖たちが、絶対的な神の原則を破った条件や、私たちが知らない、犯された暗闇の条件があるために、それが今日の皆さんの血肉を抑えつけ、同時に皆さんの生活環境まで抑えつけていることを、皆さんは知るべきです。
 では、このような立場にある現代の私たちはどうすればよいのでしょうか?本来、人間が持っているべき本質的な理念を中心に据え、不変の神の姿を持ち、永遠の理念を私の理念とし、永遠の神を私の神として生活領域内で示さなければなりません。そして自分の生涯を超えて永遠に楽しむことができるその日を迎えることです。今日、多くの人々がまさにそのような日を切望して探しています。
 では、私たちはどのような存在なのでしょうか?それはまだ堕落の系譜から抜け出せていない存在です。つまり、罪の縁から解放されていない私たちということです。ですから、今日の皆さんには罪の枷から解放されなければならない責任が残っています。
 これまでの自分の誤った生活を反省しなければなりませんし、誤りの連続を阻止しなければなりません。私たちが楽しむことができる環境と、私たちが楽しむことができる生の理念を見つけない限り、私たちにはまだ残されている運命を知らなければなりません。
 私たちがこのような立場にあるのは、皆が堕落しているからです。その堕落とは何を意味するのでしょうか?人間が永遠に変わり得ない中心体として、信仰の目的を完遂した理念の中心体として、または万物に対して永遠の中心存在として現れなかったことです。
 つまり、互いに変わり得ず、分かれることのない人間と神との関係が分かれ、変化することが堕落なのです。それが今日まで私たちに残されている悲しみです。人間が悲しみを持つのは、天が立てた原則を自ら捨てたからです。すなわち、人間が神が立ててくださった創造の原則を中心に据え、この地上に神を代わりの中心存在として現れなければならないその意志を信じずに破壊したために、悲しみを持つようになったのです。
 では、今日の私自身、つまり私の身体と心を通じて現れる私の生活全般が、神と共に絶対的な善と絶対的な正義を代わりにしなかったことを感じるとき、自分が悲しむべきは何でしょうか?私の身体と心が神を裏切った裏切りの痕跡が残っていることに悲しみを持つべきです。
 人間が天道を裏切らなければ、裏切りという名詞、不信という名詞は存在しなかったでしょう。神と切り離せない父子関係を築くべきアダムとイブが天の意志を裏切ったこの一事実が、今日の宇宙の悲しみであり、歴史上のすべての人生の悲しみとなって残っています。そして、それが今日も私の心と身体の悲しみとして残っていることを、皆さんは明確に知るべきです。
 今、皆さんはこのような歴史的な条件を持っている自分を父の前に差し出して、敵に立ち向かわなければなりません。さらに、自分の生活環境と戦わなければならず、この地上のすべての闇の権力に立ち向かわなければなりません。皆さんはまさにこのような生の運命を背負っていることを知るべきです。
 では、今日の自分の姿を立てて神の絶対的な律法を探して進もうとするとき、自分も知らず知らずのうちに裏切りの立場を取るのをどうすれば防ぐことができるでしょうか?血縁的に結びついており、心と生活と社会環境全体がこのような背景を持っていることをどうすれば突破して進めるでしょうか。これが問題です。
 神が人間を創造された後、6000年の歴史の中で神の摂理に従ってこられたことを、皆さんはご存知でしょう。その過程で、多くの先賢たちを遣わして彼らを信じさせ、永遠に変わらない絆を結ぼうと努められたことも、また、皆さんはよくご存知です。
 では、その神の心情はどうでしょうか?神は無限に人間を愛しようとされました。そのため、神は今まで人間のために裏方で尽力されているのです。ですから、今日の皆さんは、何千年もの歴史の過程を耐え忍んで捨てられなかった神の内なる悲しみ、永遠に変わらない人間として神の永遠の意志を代表して立ち上がる人を探し出そうとしている神の内なる悲しみを理解し、考察することが必要です。
 神とはどのような存在でしょうか?6000年もの間、辛抱強く人間に天を信じる信仰の条件を設けるよう努められた方です。人間が堕落した後、今日まで誰一人として神を裏切らなかった立場から、彼らを許し、抱きしめなければならない悲しい心情を持っておられる神です。これを皆さんは確かに理解しなければなりません。
 では、私たちが信じている父と私たちが敬うイエス、そのイエスと父がこれまで数え切れないほど裏切られながらも信じ、信じ続けた心情を知る人がいるでしょうか。その人は社会的であり、国家的であり、歴史的なあらゆる裏切りの条件を踏み越えて、父と直接協議できる資格を持つ者となるでしょう。皆さんがそのような人になるためには、皆さんは神の心情を正確に理解する必要があります。
 神が信用しない人々を今まで容認してきた心情を知る人が、この地上に何人いるでしょうか?今日この時間に集まった皆さんは、神のその心情を感じることが重要です。裏切る人々を見据えても耐え忍び、彼らを再び受け入れる神の優しい気持ちを感じなければなりません。
 今まで何千年もの歴史の中で裏切られながらも耐え忍んで人間を愛し信じてきた神の心情を知る人でなければ、皆さんは歴史的な裏切りのノウジョンを打破することはできません。
 では、人類の歴史の過程で人間が神を裏切ったのはどこから始まったのでしょうか?最初にアダムとイヴが、家庭を単位として神の愛の支配権を裏切ったことから始まりました。神の創造思想を設けるべきアダムが、天使長によって堕落し、天の意志を信じなくなったことから、裏切りの歴史が始まったことを、皆さんは知らなければなりません。
 これまでの歴史の中で、神は信じられる一人の人を再び見つけて立てようとして、ノアを選ばれました。神はノアに120年間努力させ、神の御心を成し遂げようとしましたが、彼も達成しませんでした。そのため、その御心はノアの後、歴代の信仰の先祖たちを経て、モーセに伝えられました。
 神はアダムの家族が堕落し、地上の多くの民族が乱れたため、その多くの民族の中から信じられる一つのイスラエルの民族を選び、その中からモーセを選んで立てました。しかし、神がモーセを通して不変の律法を確立したにもかかわらず、モーセに従っていたその民族は神を裏切りました。
 そのため、家族でも民族でも神の御心を達成できなかったが、再びイスラエルを正しい水の中から引き抜いて、カナンの民と戦わせる戦いの歴史を経て、4000年の歴史を代表する一人の主人公を送りました。それが誰だったかと言えば、それはイエス・キリストでした。
 その当時、民族的に受け入れるべきモーセを裏切った人々が、国家的に受け入れるべきイエスを果たして受け入れたのでしょうか?むしろ、イスラエルの民はイエス・キリストを家族的にも、社会的にも、国家的にも裏切りました。
 歴史の先祖たち、または歴史の先祖たちが御心の前に立って天の使命を担おうとするとき、神は信じられる彼らがなるよう望みました。そのような歴史的条件を整えるために、天の使命を担うために選ばれたのは、ノア、アブラハム、ヤコブ、そしてさらにはイエス・キリストだったということをあなた方は知るべきです。
 では、イエス・キリストはどのような心境でこの地に現れましたか?イエス・キリストは神の全ての属性を代わりに持ち、神の歴史的な言葉を代わりに伝え、神が求めていた希望の実体として現れた人でした。

 では、イエス・キリストがこの地上に来られて何を感じられたでしょうか?イエス・キリストがご自身が神の言葉を持って現れ、世界に向かって叫びかける時、その言葉は歴史的な言葉でありながら、多くの先人が示そうとした言葉であることを感じました。さらに、その言葉は数多くの人々から裏切られた言葉であり、信じられる地上の姿を無限に探し求めるお父様の悲しい心情を感じられたのです。

 更に、イエスは神がエデンの園ですべてのエネルギーを注いで人間を造り、分裂することのない永遠の理想的な愛の実現を望まれた、その愛の心情を感じ、裏切られたアダムとの関係を自ら修復しなければならない使命感を感じたものでした。イエスの立場は、堕落を懸念された神の立場でもありませんでした。

 イエスは堕落した人類の苦しみを感じ、愛情を込めた歴史の過程で天秤にかけていた立場に立っていました。目に見えない実在に対する見える実体として語りかけ、現れました。また、神の心情を共有し、神の姿として現れました。

 長い歴史の過程で多くの人々から拒絶され、軽蔑されていたその言葉を自分のものとし、軽蔑され、軽視されていたその心情を自分のものとし、神殿としての体を自分のものとし、イエスは現れたのです。このような立場から、イエスは希望として求められ、要求された一つの目的がありました。それは善の一日を築くために戦い、また帰られたのです。

 イエスは、神の前で言葉を持って現れる際に、歴史的な過程で拒絶されたすべての言葉を取り戻し、祖先たちが誤って築いた裏切りの歴史を取り消し、父を慰める責任を感じたのです。ですから、イエスは、「ああ、父よ! 父の聖なる殿と心を踏みにじり、踏みにじった祖先たちの4000年の歴史を見捨てて私を見て慰めてください。」と祈りを捧げる心を持って現れたのです。イエスは、自分が地上で何を清算しなければならない使命を感じたのです。歴史的なすべての裏切りと現実的なすべての裏切りを排除し、再び裏切りの歴史を後世に残さない決意でした。

 イエスはこの使命を負い、天に向かって覚悟を決めました。イエスは神の言葉が呼びかけられる場所に裏切りの歴史が起こることを知り、神の心を持って現れる場所に悲しみや苦悶があることを知りました。そして、神の体が現れる場所には、サタンの矢があることを知り、覚悟を決めたのです。このように、イエスは自分の立場を守り、自分を守ってくれることを望みながらも、信じない人々に対して黙って耐え忍んでいました。

 人々には知らない悲しみを抱え、人類のためにゲッセマネの園で、またはオリーブ山で一人で祈っていたその悲しみの状況を今日の皆さんは知らなければなりません。当時の地上にいる人間とイエスを比較すると、イエスは誰よりも哀れな人物でした。

 そして、歴史の過程で多くの人々から裏切られる言葉を持ち、その言葉の主である神の心を代わりに持って地上に現れたイエス様のように、その言葉を抱きしめ、「ああ、私の主よ、私の花婿よ、私の導き手よ!彼らの命を父の前に導いてください」と祈った人は誰もいませんでした。

 4000年にわたる神の歴史が裏切りによって終結された事実を感じたイエス様でしたが、それでも裏切られたその人類のために涙を流されたのです。しかし、彼は4000年間裏切られながらも人間を求めて来られた神を思い起こすと、裏切られても悲しむことができず、生活が困窮していても絶望することができず、自らの命が犠牲にされる恨みはないという立場にありました。

 4000年間裏切った民族をそれでも捨てずに愛で接する父の心情を感じたイエス様だからこそ、その父を慰めることができました。さらに、父と直接すべてを話し合う立場にいらっしゃったことを、今日の皆さんは確実に知らなければなりません。

 では、イエス様はこの地上で何を望んでいたのでしょうか?裏切りの歴史を清算し、裏切る現実を屈服させて、裏切る子孫たちが現れないようにイエス様は望んでいたのです。しかし、そのイエス様の願いはまだ実現されず、今日の皆さんの願いとして残っています。

 今日の私自身を考えると、私が生きてきた過去が裏切りの立場であり、私が生きている現実が裏切りの環境であり、私は子孫たちに対する裏切りのルーツであることを、皆さんは知っておかなければなりません。そして、それを悲しんで、哀しんでいなければなりません。

 では、イエス様はこの地上で何を望んでいたのでしょうか?裏切りの歴史を清算し、裏切る現実を屈服させて、裏切る子孫たちが現れないようにイエス様は望んでいたのです。しかし、そのイエス様の願いはまだ実現されず、今日の皆さんの願いとして残っています。

 今日の私自身を考えると、私が生きてきた過去が裏切りの立場であり、私が生きている現実が裏切りの環境であり、私は子孫たちに対する裏切りのルーツであることを、皆さんは知っておかなければなりません。そして、それを悲しんで、哀しんでいなければなりません。

 そのような立場で、イエス様は民族の前で拒絶され、国家の前で反逆者として追われ、後には強盗以上に重い罪人として追われることになりましたが、そのような立場でも彼らの罪を彼らに戻さないでいただくようにと祈る彼の心はどこから来たのでしょうか?それは、歴史的な裏切りをする民族に対して数千年にわたって耐えてきた父の優しい心情から生まれたものです。

 自らの生命が犠牲にされるかもしれないとしても、父が4000年間裏切られた心情には比べることはできないと悟ったからこそ、死の山を越えながらも裏切る群れ、裏切る民族に祝福を送ることができたということを皆さんは知らなければなりません。

 また、イエス様はこの地上に来られてから今日まで、ずっと私たちを求めておられます。今日まで人類は信じられない歴史の過程を経てきましたが、イエス様は今もなお人間を信じておられます。時と場所を問わず裏切ることができる状況に置かれた人間を非難することなく、むしろ救いの手を差し伸べておられるのです。しかし、今でもこの地上にはイエス様の言葉を代わりにし、イエス様の体を代わりにし、イエス様の心を代わりにして現れた人は一人もいません。さらに、そのような民族や国もありません。

 当時のイスラエル民族は神の御心を代わりにし、その言葉を受け継ぐべき民族でした。しかし、イエス様がおいでになる場所ごとに歓迎する人はいなく、言葉を持って出ても、いつどこでも誰一人として歓迎する人がいなかったのです。

 イエス様がこのような歴史的な道を辿ったため、皆さんもその言葉を持ち、進む時は必ず兄弟から、または教会から、または民族から拒絶されることになるでしょう。しかし、皆さんはそのような環境でさえも裏切る者たちに祝福を与える人とならなければなりません。

 それでは、今日の皆さんが持っている言葉や信仰、立てている宗教思想はどのような状態にあるでしょうか?2000年前、イエス様は個人から家庭・教会・イスラエル民族・国家から裏切られる立場を経験しました。これが今日の民族・国家を超えて世界に及ぶまでの裏切られる段階に留まっているのです。

 皆さんがエデンの園でカインがアベルを殺した後から今日までの歴史が悪が善を打ち負かす歴史であることは分かりますが、天に向かって進むには裏切る者が真ではなく、裏切られる者が真であり、さらに彼らが天の歴史を成し遂げていることを知らなければなりません。

 それでは、今日のどの民族が世界を代わってすべての面で裏切られる立場にあるでしょうか?天の御心を探し立てて、天の御心を代わり得る、天に近いこのような民族がいるとしても、その民族はその民族が持つすべてのものにわたって裏切られるこのような歴史的な運命を持つことになるでしょう。

 では、その民族は何から裏切られるのでしょうか?アダムとイブが堕落したとき、天使たちとの間で起こったそのすべての条件によって裏切られることになったのです。そのため、最初に言葉を中心にした裏切りを受ける立場になります。園の中央にあるすべての実を摘み取りながら、善悪を知らせる木の実だけは摘み取らないようにする約束の言葉が裏切られる立場に立たされることになります。

 したがって、天使が現れ、その実を食べれば目が開き神のようになるという言葉を通じて、一つの国、一つの思想圏内に他の国の思想的なものが現れるような、そのような歴史が現れることを意味します。

 したがって、一つの思想、一つの目的、一つの中心を目指すべき心が第二の心の形で現れ、新しい目的を紹介するように見えましたが、結局は裏切りの原点を作り出すことになったことを皆さんは知らなければなりません。

 では、この裏切りの原点は何によって生じたのでしょうか?言葉によって生じました。ですから最後には、天の前に立つべき国があるとすれば、その国はある時点で、言語からさえも裏切られる立場にあり、その国の言葉を代わりにする文章があるとすれば、その文章さえも裏切られ、さらにはその国の歴史、その国の民族性さえも侮辱される立場に立つことになります。

 では、今日、世紀末の終末時点を見ると、そのような国がどこにあるかと言えば、それは韓国ということです。韓国は歴史上、多くの民族の侵略を受け、多くの裏切り者が現れました。私たちは日帝の圧制の下で、言葉さえもほとんど失いました。私たちの文字さえも、私たちの民族性さえも、私たちの誇りさえも、私たちの思想さえも、すべて破壊されたのです。

 さらに、今日、同じ民族同士が互いに裏切る立場にあります。同じ民族同士が互いに裏切ると同時に、兄弟同士が裏切り、親戚が裏切り、富める者同士が裏切り、夫婦同士が裏切るという裏切りの局面を経ています。

 では、この民族はどうすれば良いのでしょうか?この民族は神の人類の前に裏切られ、その悲しみの心情をある時点で経験することになります。その時にこの民族は、イエス様が神の心を持って裏切る民族に対して呪わず、むしろ彼らのためにゲツセマネの園で祈っていたことと同様に、今日、この民族も裏切られる世界のために天に向かって祈るべきです。そうすれば、この民族の道があることになります。

 したがって、この民族は裏切る世界を乗り越えなければなりません。むしろその裏切りを通じて、裏切られたイエス様の言葉を自分の言葉として、裏切られた神の心を自分の心として、裏切られた先祖の身体を自分の身体として天の前に伏し、訴えるべきです。

 天が無関心でイスラエルが滅びると思われましたが、イスラエルの中にイエス様が現れたように、この国が滅びるように思われますが、この国に神の希望があるということです。ですから、今この民族がすべきことは、6000年間裏切られた父の言葉を自分の言葉と自分の身体、心として受け入れ、6000年間の父の悲しみを自分の心情として感じることです。

 これからは、誰にも頼らないでください。誰の言葉も信じないでください。誰かを判断しないでください。あなたたちは本来、他人に頼るべきではありません。誰かを信じるべきではありません。また、誰かを判断すべきではありません。本来の人間が不足しているからこそ、他人に頼り、他人の言葉を信じ、他人の行為を判断してしまうのです。

 ですから、本来の目標に向かって進むべきあなたたちは、信頼できる信念の存在そのものにならなければならず、頼れる存在そのものにならなければならず、判断できる存在そのものにならなければなりません。つまり、自分自身を頼りにし、自分自身を信じ、自分自身を判断できるようにならなければならないのです。

 神様が人間に対して黙って耐えてくださったように、あなたたちも誰よりもよく我慢できるようにならなければなりません。そして黙々と、自分自身を頼りにし、自分自身を信じ、自分自身を判断できる人間にならなければなりません。

 さらに、そのような自己を確立し、「父よ、私を見て慰めてください」と言う立場になり、父が私を信じてくださり、私が父を信じ、父が私であり、私が父である関係が築かれるときに、天の悲しみはあなた自身から離れていくことでしょう。そうすると、あなた自身で神様の戦いが終わるということを覚えておいてください。
 今や、アダムとイブが天から授かった本性によって堕落しなかったとしたら、彼らは堕落しなかったでしょう。ですから、今日、あなたもその心が永遠の理念と永遠のルールを通じて、不動の役割を果たす完全性を持っているならば、その心はあなたを堕落させません。
 したがって、今や、何千年もの歴史を通じて裏切られてきた中で弁解することができましたが、一日も一時間も弁解しなかった父や、また、2000年間弁解することができましたが、弁解せずに地球のために心配し続けているイエス様を信じる人々として、黙々と我慢し、弁解しない人々であり、さらに自分が第二の天使の立場であることを明らかにできる人々でなければなりません。

 今日、周囲にはあなたの環境を脅かし、侵害しようとする無数のサタンがいます。このようなとき、あなたは天のルールを知り、感じ、身体で体現しなければなりません。その後で、あなたはすべてを正しく判断できるでしょう。

 したがって、神はその一日を審判の日として待ち望み、イエス・キリストもまた2000年間、無数のサタンと戦いながらその一日を待ち望んでいるのです。言いたいことをすべて言い尽くし、したいことをすべて成し遂げる人は、何も持っていないでしょう。したいことをすべて成し遂げた人は、栄光の基盤を持つことができないでしょう。自分の思い通りに生きたいと思った人は、後世に裏切り者や背信者になることを知らなければなりません。

 裏切られる立場でも、言いたいことを言えず、したいことを思うようには生きられなかった方は、まさにイエス・キリストであり、また私たちの先祖でもありました。ですから、今日の皆さんもこの事実を認識し、自らを不変の存在として抑制することを知っておかなければなりません。

 いつ、どんな時に天を裏切る立場に立つかわからないことを心に留めてください。もしも皆さんが裏切る立場に立つならば、どのような条件にも縛られることになるでしょうか? 皆さんが6000年間の裏切りの悲しみを耐え忍んでいたその父を裏切るとき、皆さんは終末の審判を逃れる方法がないことを意味します。

 天が皆さんに対して6000年の悲しみを一挙に解放しようとしている審判の日を、皆さんは超えることができないということです。ですから、今や皆さんは世界の犠牲になって黙って十字架に戻られたイエス・キリストの心情を代わって持ち出し、持って行かなければなりません。

 進む道は1年ではありません。10年でもありませんし、30年でもありません。一生を通じて後世に受け継ぐ信仰を持って進むべきです。また、皆さんは今日の自分を見つけ、開拓し、国を照らし出さなければなりません。そのようにして、自分と天との関係がこの悪の世界を超え、宇宙的な終末に至ることができることに気づき、自分の生活圏内で父と共に楽しむ勝利の条件を整えなければなりません。その時に皆さんは、天の意志と約束を裏切らず、永遠の勝利の息子娘として立つことができるということを心に留めてください。


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御言葉選集3(7)

2024年02月10日 15時25分43秒 | 学習
文鮮明先生御言葉選集 3-7 その国とその正義を求めて立ち上がろう

1957年10月13日(日曜日)、前本部教会

聖書拝読:マタイによる福音書6:16-34


<祈祷>
 天地の父なるお父様、この時もこの地のすべての人々の上に、あなたの悲しみが今も残っていることを、私たちの心と体が理解できるように許してください。エデンから堕落したアダムとイヴを追放された父なる神のその悲しみの痕跡が、今も私たちの心と体に残っていることを、ここに集まった息子たち娘たちが認識できるように許してください。
 私たちの心が望むのは永遠の父なる神の理想郷であり、私たちの体が望むのはサタンと闘って勝利した栄光の姿を、父なる神の前で誇示できるその日を見つけることであります。私たちの心が父なる神の栄光を受け、私たちの体が父なる神の姿に似て、私たちの心と体が父なる神の喜びの対象として現れ、栄光の姿で示されるように許してください、愛する父よ、切に願います。
 そのような勝利の息子娘の姿を持たねばならない私たちですが、今日ここに集まってあなたの前にひれ伏した息子娘たちが、その心を父なる神の栄光の前に、その体を父なる神の姿の前に、自分のすべてを差し出し、熱心な態度で、過去の不足だった自己をこの時、悔い改め、反省できるように導いてください。
 お父様、私たちが真に父なる神の愛を尊び、父なる神の人格に似たいと望んでいる心があるならば、今日の父なる神のその悲しみが私たちの悲しみであり、父なる神の憐れみが私たちの憐れみであるべきことを知っています。愛する父よ、私たちがそうなるように導いてください。
 愛のお父様! 私たちの中に死と暗黒の道に向かっている者がいることを知りながらも、まだ悔い改めていない息子娘がいますか?父よ、力を持って現れてください。父よ、力を持って現れてください。父よ、再創造の復活の歴史を起こしてください。そして、私たちの心と体に父なる神の無限の愛の腕を向けて走り込むことができる能力を与えてください、愛する父よ、切に願います。
過ぎ去った一週間、父なる神の抱擁から離れて生きている者がいますか?自分自身が父なる神の前に悔い改めさせてください。もしくは、私たちの中に正しくない心を抱き、父なる神の意志に逆らった者がいますか?この時、父なる神の前に悔い改めて、父なる神の慈悲深い恵みと愛の中で休息できるように導いてください、愛する父よ、切に願います。
 お父様、時が進むにつれて最後の戦いの日が私たちの目前に迫っていることを知らせてください。その戦場で絶望する者にならないようにお願いします。父を代わって最後の勝利の基準を設けるまで、戦い続けることができる天の兵士になれるように許してください、愛する父よ、切に願います。
 この時も無数のサタンたちは私たちを狙っていますので、父のその愛の恵みを捨て裏切る者がいないようにお願いします。一人でもサタンのもとに引きずられる者がいないようにお願いします、愛する父よ、切に願います。
 愛のお父様、過ぎ去った一週間、私たちは父とはあまりにも遠い場所で生活していましたので、この一時間でも父の愛の腕に抱かれ、父の許し無しには勝手に動かない子供になれるように許してください。この時も地方に散在する孤独な子供たちがサタンとの戦いに疲れて父の前にひれ伏し、訴えていることを知っていますので、どこにいても同じ恵みで共にし、同じ栄光の場所に立ててください。
 この日まで私たちと同じように悲しんでいただき、私たちと同じように戦っていただき、私たちと同じように苦難を受けられた父よ!今、父の望みの一日を見据えて戦わなければならない新しい戦いが私たちに残っていることを知っていますので、父よ、私たちに無限の力を注いでその戦いに勝つことができるようにしてください、決して不足する姿にならないよう助けてください。
 愛のお父様、自身の問題のために父の意志に向かって進まずに留まる者がいますか?そのような者がいないようにしてください、この一日、私たちのすべての行動が父の栄光を示すことができるように助けてください、父の心情を理解し、父の姿に似せることができるようにしてください、愛する父よ、切に願います。
 この時三千万の民族を代表して集まる数多くの祭壇があることを知っていますので、愛の父よ、集まる場所ごとに約束された意志を達成していくことを許してください、聖霊を注ぎ、無数のサタンたちを打ち負かし、父の栄光を明らかにできる貴重な祭壇になれるようにしてください。
 そして、この民族が父の愛の腕に抱かれ、進んで民族を通じてこの地の多くの人々が父の栄光の一日を迎えることができるように許してください。
 また、人類を通じて天国へと向かう、二つではなく一つの世界を形成し、父の栄光を賛美し、父の愛を理解し、新たな帰還の理想郷が早くこの地上に成就するようにしてください、父よ、切に願います。
 ここに臣従した私たちは、目的を達成するためにすべてを捧げて立ち上がった子供たちですので、父であるあなた、その足取りが止まらないようにしてください、どんな困難や逆境が来ようともそれを乗り越えられるように一緒にしてください。
 この時も試練と困難に直面し、孤独ながら父に訴える子供たちが多くいること を知っていますので、愛の父よ、彼らがどこにいても一律の恵みで導いてください、一律の愛で包んでください。
 どうか勝利の日、父の国を成就するその日まで、戦いに疲れ果て倒れないように、父が支えてくださることを切に願い求めます。残りの時間を父に委ねますので、すべてを支配してください。
主の御名によってお祈り致します。アーメン。



<御言葉>
 今日は皆さんと「その国とその正義を求めて立ち上がろう」というテーマで一緒に考えたいと思います。
 現代に生きる多くの人々は、神が予告されたその国とその正義を見つけることができていません。ですから、その国とその正義を求めることが今日の私たち人類の希望であり、また、これまでの何千年もの歴史の中で人類にとって一つの希望であったことを皆さんは理解する必要があります。
 では、このような希望のその国、希望のその正義がどうして私たちの最後の目標として残っているのでしょうか?それは人間が堕落したからです。人間の堕落によって、その国とその正義の中心となる神と人間との関係が全く結べない状態に置かれました。
 つまり、その国とその正義の中心である父について詳しく知らない人間となったために、神はそのような無知な民族や人類を目覚めさせ、その父がどのような方であるかを知らせるために、これまでの歴史の進行で苦労されてきたのです。ですから、その国とその正義を求めることが今も私たちの希望であり、目標として残っているのです。
 このようにその国とその正義をこの地上に立てようとする父がおられるのであれば、その父の意志がこの地上に必ず残っていることを皆さんは知っておかなければなりません。
 それでは、このように人間が希望する神の国、神の正義を立てるために皆さんはどうすればよいのでしょうか?これまでの歴史の進行で人間と関係を結び、その国とその正義を立てるために努力してきた父を探す必要があります。まずその父を見つけなければ、その国とその正義を立てることはできません。
 ですからこの世に生きる人々は誰もがどのような歴史的過程を経てでも、まずその国の主役である父を見つけなければならないのです。しかし、もし人間がその父を見つけられない場合、その父の栄光がこの地上に現れることはできないばかりか、人間が希望する神の国と神の正義をこの地上に立てることもできないのです。
 そしてイエス様が現れるまで、この地上で天と地に向かって「私はその国の主役である」と宣言した人は現れませんでした。つまり、イエス様が来られる前には、その国の正義を代わりに実践し、その正義に従い、その正義の実体と自信を持って叫び出した人はいませんでした。
 しかし、このように希望がない静寂なる天地に、天の希望と正義の血統を引き継いで生まれ、『私はその国の父であり、私がその国の正義の実体』と主張して立ち上がった方がいたことは、この地上の人類にとっては福音の中の福音であり、喜ばしい知らせの中の喜ばしい知らせでした。それは、今日の皆さんが信じているイエス・キリストであることを確実に知っておかなければなりません。
 では、そのイエス様がこの地上に現れて何と言われたでしょうか?4000年の歴史を覆し、「私は神と一体である」と言い、「私は神の子である」と主張しました。
 また、「私を信じるなら、父を知り、私を信じるなら、その国を築く」と言われました。そして、「私は道であり、真理であり、命」であるとも言われました。このように、天の全体的な目的を達成するためには、自分を信じなければならず、自分を通じなければならないとイエス様は力強く語られました。
 そして、天上と地上に障害されているすべてを打ち破って現れ、その国とその正義の中心である神との関係を結べない堕落した人々に、「私を信じることで、各自が自分の生活の中で『神と関係を結んでいける』」とイエス様が言われたことは、堕落した人々にとっては福音の中の福音となったことを皆さんは知っておかなければなりません。
 では、皆さんはイエス様のそのような福音を信じている今日のキリスト教徒にとって、イエス様だけをただ見つめているだけではいけない時が来ていることを知らせなければなりません。
 その国とその正義を築こうとする神の希望は人間や生き物を離れて成し遂げられるのではなく、人間を通して成し遂げられるのです。その希望は真の人間を通して神と万物が調和することでした。
 ですから神様は堕落した人間の前に神を代わって一つの実体として、天の血統を代表する方として、イエス様をこの地上に送られたのです。つまり、イエス様はこの地上に最初に神の歴史的な希望を達成してくださるために来られた方でした。
 したがって、そのようなイエス様については当時言及することさえ不要であり、現代に生きる人類や命を持つあらゆる存在さえも反対すべきではないということです。地上に生きる人類は、その国の栄光とその正義を証明できる生活環境を整えなければならない存在であり、その目的が実現される日を希望しているのです。
 この事実を振り返ると、イエス様が帰られることは、人間にとって無限の悲しみであり、最も悲惨な出来事であるはずがありません。そのために歴史的な苦痛の過程に直面しなければならなくなったのです。
 では、私たちが求めている国はどのような国でしょうか?その国とその正義の本質が何であるかを皆さんは知る必要があります。イエス様はこの地上において人間が求めるその国の正義を示すために努力され、すべての民を愛し、すべての民を救うために犠牲の道を歩まれたのです。
 そのため、イエス様が成し遂げようとされたその国は、『主は愛』が溢れる国であり、奉仕する犠牲の生活が溢れる国であったということです。これは、皆さんが霊的な世界を体験するときに完全に感じることができるものです。
 では、この国を統治される神はどのような方でしょうか?万物に対し、人間に対し情熱的な心を持ち、愛を与えるために努力される方です。そのような神が望まれる生活とは何でしょうか?神は地上のすべての民が自分のすべてを捨て、犠牲を払い、奉仕しながらその国の建設のために労苦を惜しまない生活を望まれるのです。
 今日の皆さんは、人間が求めるその国は本質的な愛が実現された国であり、また愛の本質は愛を与えるために情熱的であることを知り、その正義と共有できるそのような犠牲と奉仕の生活環境を歩んでいかなければなりません。
 では、神の悲しみとは何でしょうか?あなたの愛を完全に捧げられる相手を見つけられなかったことが神の悲しみです。そして、神が人間に対して無限に犠牲を払い、奉仕するように、隣人に対して無限に奉仕し、犠牲することができるそのような人を見つけられなかったことが神の悲しみです。
 それでは、イエス様がこの地上において終わりを予告される際、何を言われたでしょうか?神の心情を受け継ぎ、神の実体として現れたイエス様は、神の愛を語られました。そして、イエス様はこの地上の全ての人々に対して「あなたがたは私の友人である」とおっしゃり、神の愛をすべての民の前に証明し、自ら行われました。
 天国の愛を表現するために努力されたイエス様の心に駆り立てたものは何でしたか?それはどうやって万民に天国の愛を与えることができるかについての思いでした。そして、イエス様がその愛を与えられた目的は何でしたか?その目的は、あなたを信じて従う者だけを愛することではなく、イスラエルの民やユダヤ教会、さらには異邦の民までを愛し、この地を神の愛が満ち溢れる楽園に建設することにあったのです。しかし、その当時、イエス様を信じ従う弟子や群衆、または反対したユダヤ教徒やイスラエルの民の中で、イエス様のその愛の心情と永遠の関係を築くことができた者は一人もいませんでした。
 愛を与えたいと願う神の心に共感する存在を見つけ、教会や民族、イスラエルの国家、そしてさらには世界を通じてこの地上に神の国を築こうとしたのですが、その時、イエス様の意志を邪魔したのは家族であり、教会であり、従っていた弟子であり、イスラエルの民でした。
 ですから、神の意志を再びこの地上で成就するためには、イエス様が再び来られなければなりません。そして、そのような主が再び来るその日が、今日のキリスト教徒たちが望んでいる再臨の日であることをあなたは知らなければなりません。
 また、イエス様が人間を愛する心に共感する一方で、生活の面でも他者のための奉仕の生活を送っていたことを知る必要があります。万民を導くことであれば、自分がサタンの前に引き裂かれ、犠牲になることをいとわない姿勢があるかぎり、一身のすべてを忘れて犠牲と奉仕の道に進んでいたのがイエス様でした。
 しかし、その当時、そうしたイエス様の心情を知り、神の真の子として民衆に拒絶されたイエス様を見て、悲しんだ人がいたでしょうか?いませんでした。もしもそのような人が一人でもいたなら、驚くべき証しの使命を果たしたでしょう。イエス様の望む愛の心情を代弁する人がいれば、イエス様を模範とし、神の意志を成就させることができました。
 しかし、そのような愛を与えたいと願うこの世の楽園、天国の正義を地上の生活で表現できる一人の人間がいなかったために、今日のあなたに天国の国を望み、その正義を求める悲しい立場にいます。だからこそ、今日のあなたはどうしてもその意志を実現させなければなりません。
 あなた方は、世界中に溢れる多くのクリスチャンが結束したからといって、その意志が成就するわけではないことを知る必要があります。神の本質的な愛に100%適合でき、そして、従っていたイエス様の愛の心情を通じて共感できる一つの花嫁になれるかどうかが問題なのです。イエス様は、あなたが実践してきた犠牲と奉仕の生活を代替する存在を探しておられます。また、そのような存在はイエス様だけでなく、神様も探しておられることをあなたは心に留めておかなければなりません。
 この宇宙に関する神の摂理が終わらない限り、この地上にそのような存在になるための一つの基準を必ず設定しなければなりません。もしもあなたがそのような基準を設定しないなら、イエス様が愛情深く「すべてを捨ててただ国とその義を求めよ」と語られたその言葉の目的と、あなたとは何の関係もなくなります。
 では、今日の私たちの悲しみは何でしょうか?私の悲しみは何でしょうか?キリスト教の悲しみは何でしょうか?そして、世界の悲しみは何であり、この地上の悲しみは何であり、天国の悲しみは何でしょうか?与えたいと願う神の愛はどこに留まるでしょうか?これらのすべての問題をまだ解決していないことが、天国のため息であることをあなたは知るべきです。
 今日、この地上に住む人々を見ると、そのような問題を解決できる存在になったかと問われると、そうではありません。ですから、神様はこの時間も愛情を持ってため息をつき、あなたたちの前にはそれを補正し、超えなければならない歴史的な運命、つまり裁きの過程を通って進んでいく運命が掲げられています。
 神様は、あなたがそのような道を進む過程で、あなたが天国の愛を感じないための悲しみではなく、天国の正義を感じないための悲しみではないと言っておられます。人間のどのような思考や概念を超越し、永遠の存在の価値を持つ人間として、自然の法則に従い、神の相手となる心情を持つ存在がいないために、悲しんでいると言っています。
 自然に神の愛を感じ、自然にその国とその義の本質である奉仕の心情を持ち、生活を送ることができるべきなのに、人々はそのような生活をしていません。ですから、あなたは信仰の過程で混乱と矛盾と闘争の過程を経て、神の愛を持ち、奉仕の生活をするために努力しなければなりません。
 それでは、あなたの敵は何でしょうか?民族の敵は誰でしょうか?この世界と天の敵は何でしょうか?それは、見えない無数のサタンが支配しているこの宇宙全体が敵であると言うほかありません。
 しかし、あなた方にとって、そのような敵が問題視されるべきではありません。問題はあなた方個人です。あなた方個人に潜んでいる敵から始めて排除していくことが、緊急の問題であるということです。民衆を救うためにこの地においでになったイエス様の敵は誰でしたか?彼らを絶対的な価値の存在ではなく、相対的な価値の存在として理解する人々こそが、イエス様の敵でした。
 ですから、イエス様は彼らの中から、あなたの本質と関係を築き、「あなたの心であり、私の心でもある」と言える一つの存在が現れることを待ち望まれました。そのような存在が現れれば、イエス様が十字架にかけられても、その人の愛と信念はこの地上に確立されていたでしょうが、そうならなかったことがイエス様の悲しみであったことをあなたは理解しなければなりません。
 また、その国とその義が成された世界はどのような世界かと言えば、互いに奉仕し、犠牲を喜ぶ愛の世界であり、神の御心のために奉仕し、犠牲する生活が輝く世界であることをあなたは理解しなければなりません。ですから、そのような世界は今日の私たちが住んでいるようなこの世界ではないということです。
 では、あなたが神の真の愛を受けるためにはどうすればよいでしょうか?先ほども述べたように、あなた自身が他者のための犠牲の道、奉仕の道に進むときに、ようやく神の愛を受けることができるということを心に留めておいてください。
 この地上の人間をそのような道に導く立場にあるイエス様にとって、当時の地上に住んでいた人々の中には、他者を愛し、他者のために生きようとする人は誰もいなかったのです。むしろ、自分のために生きてもらいたいし、愛されることだけを望む人ばかりだったため、どの人も同情の対象と見られたのです。このように、神の御心をこの地上に実現するために犠牲と奉仕によって神の愛を示す存在を見つけられなかったことが、イエス様にとって最も大きな悲しみであり、苦しみであったことをあなたは理解しなければなりません。
 イエス様は、見せても見えない無知な人々に対して、手渡してもわからない人々を相手にしながら悲しみました。ですから、イエス様は彼らに「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと心配するな」と言われました。それは自分の生活を否定する言葉であり、すべての状況を否定する言葉なのです。
 イエス様は、それが人間が生きるために必要な必然的な条件であることを知らずにそう言われたのではありませんでした。堕落した人間はそのような道を歩み上がって初めて希望の一日を迎えることができるということをご存じだったからです。何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかを心配せずに、まず最初にその国とその義を求めようと言われたのです。最初にその国とその義を実現する人は、この自然の法則圏の中ですべてのものを管理でき、自然にそのようなものに対する心配はする必要がなくなるための言葉なのです。
 イエス様はこの地上に来て、サタンからいくつかの試練を受けました。40日間の断食の間、ますます食べることを求められました。サタンはイエス様の前に現れ、石を命じてパンになるようにしろと言いました。これは飢えた人々にとっては朗報であるでしょう。しかし、イエス様はこれを拒否し、自分が食べ物のために来たのではないことを示しました。むしろ、神の言葉を主張することで、人が生きる実際の生活圏内でのすべての条件を失わなかったという立場を示したのです。
 それまで人間は物質を中心にした闘争の歴史を経てきましたが、イエス様がサタンの第一の試練に勝利することで、そのような物質を中心にした闘争の歴史を終結させることになったことをあなたは知るべきです。
では、その後イエス様はどのような試練を受けたのでしょうか?イエス様はサタンに導かれて教会の聖堂の頂上に立たされ、そこで「もしあなたが神の子であるならば、飛び降りよ」という試練を受けました。
 イスラエル民族やユダヤ教を導く宗教的思想を持って現れたイエス様にとって、「飛び降りよ」というこの言葉は何を意味するのでしょうか?それはユダヤ教的な習慣と彼らの主張に屈し、彼らの指導者の立場を放棄することを意味します。しかし、イエス様はここでサタンの試練に陥ることなく勝利しました。
 その後はどのような試練があったのでしょうか?サタンはイエス様を非常に高い山の頂上に連れて行き、全世界とその栄光を見せながら、「もしあなたがひれ伏して拝むならば、これらすべてをあなたに与えよう」と言いました。しかし、イエス様はここで宇宙的な思想を持ち、神の国、つまり天国を建設しようとする神の御心を示すために、サタンのそのような要求を退けました。
これらの事実は何を意味するのでしょうか?この地上に新しい天と新しい地、つまり天国を建設できる思想を持ったイエス様だったため、その御心を示す実現過程で、歴史的な不信のすべての条件を除去し、回帰する象徴的な条件を設定しなければならなかったのです。
 ですから、終わりの日を迎えた今日のあなたにも、物質的な条件を中心にした闘争が行われることになります。しかし、今日のすべての人間がそのような物質的な闘争で勝利できずに敗北すると、この地は自然に暗黒の世界に変わるでしょう。
 したがって、今日の皆さんはそのような物質的な闘争を乗り越えて、イエス様の天国の思想を受け入れて、そしてさらに、世界中のクリスチャンと力を合わせて神の国をこの地上に建設しなければなりません。
 言い換えれば、昔のイスラエル全体の価値を象徴できるユダヤ教徒と一体となって、世界に帰還しなければならない使命があったように、今日の世界中のクリスチャンにも、世界を代表し、民主主義の思想、そしてその基礎にあるキリスト教の思想を中心にして一致団結し、神の国をこの地上に建設する使命があることを知る必要があります。
 そして、イエス様がサタンのすべての試練を乗り越えて勝利したように、皆さんもそのようなプロセスを経なければならないことを知る必要があります。だからこそ、終末が来ると、物質的な闘争のプロセスを超えなければならず、その次に宗教的な闘争のプロセスを超えなければなりません。ここでは分裂や矛盾を解決し、その通りに進む宗教が現れるということです。これはイエス様が経験した試練を象徴している時代なのです。
 イエス様はどんな逆境の場や死の場面でも変わらない自らの姿を示したように、皆さんもイエス様のそのような人格を似せなければなりません。また、終末に直面した今日のクリスチャンは、過去に好きだった何かに執着することなく、イエス様の生涯に相応しい生活に立つべきです。そして、皆さんは歴史的な使命を持ってこの地に来られたイエス様のその生涯に相応しい生活に立つべきです。なぜならば、皆さんの前には歴史的な闘いの時が待っているからです。
 これまで世界的な栄光を享受してきたサタンが最後の戦いに敗北することで、神の子どもたちがひれ伏して礼拝する時が必ず来るということです。
ですから、そのようにサタンを従わせ、神の御心だけが現れる日が早く訪れるべきであり、また、そのようなことをできる一人の人が現れなければならないということです。しかし、もしもそのような一存在が現れない場合、イエス様がまずその国とその正義を求めるように叫んだその意志がこの地上で実現されることはありません。
 したがって、この世界的な終末時代に直面している皆さんは、誰もが今日を終末と呼んでいるこの時、つまり歴史的な終わり、科学的な終わり、倫理的・宗教的な終わりを予告するこの時に、どのように行動すればよいのでしょうか? イエス様が叫ばれた言葉、つまりまずその国とその正義を求めよという言葉と同様に、自分のすべてを考えずに、この地上にただ神の国と神の正義を築くために不変の忠誠を尽くす人にならなければなりません。その結果、皆さんは宇宙の前で誇りを持つことができ、皆さんは神の代理人の使命を果たす人にならなければなりません。
 つまり、その国の本質的な思想を自己の生活に適用し、それが皆さんの生活の実質的な価値を形成し、永遠の未来を約束する希望のその日を実現しなければならないということです。 しかし、もしもそのようなことができない場合、皆さんは神がアダムとイヴの堕落後、4000年間苦労された後にイエス様を遣わして歴史を進める意志と、イエス様以降、今日までイエス様と聖霊を合わせた三位一体が歴史を進めたその意志とは何の関係もなくなります。
 この視点から、皆さんは今、何を見つけるべきですか? 皆さんはその国とその正義を築くことができない、つまり天主的な思想を築くことができない不正な条件を見つけ出さなければなりません。 その結果、皆さんは一神教の生活から闘いを通じて勝利し、神の子イエス様の代理存在にならなければなりません。
 つまり、皆さん自身がその国にふさわしい人、その国の正義の人々になりたいと思うならば、食べること、着ることだけを持って闘う愚かな人になってはいけません。 食べる問題、飲む問題、着る問題を超えて生きる人になり、むしろそのようなものが自分に少しでも与えられたら、それを裸になり、飢える人に分け与えることができる人でなければなりません。
 皆さん!神の心情はどのようなものかご存知ですか? 一切れのパンがあれば、そのパンを一人で食べるのではなく、多くの人に分け与えたいと思う心が神の心情です。イエス様はこのような心情を持っていましたが、イエス・キリストの前に現れた人々はそうではなかったのです。
 それでは、今日の家庭に争いが生じる原因は何でしょうか? それは家庭が自分だけのために存在すると考えているからです。 食べるものがあれば、それが自分だけが食べるためにあるものだと考えるため、争いが起こり、不和が生じるのです。 これが罪の矢であり、サタンであることを皆さんは心に留めるべきです。
 したがって、今日の皆さんは食べる問題を解決しなければならず、着る問題を解決しなければなりません。 自分だけを思う心、つまり家庭不和の条件を打ち破らなければならず、まさにそのような歴史的な矛盾を明らかにして立ち上がらなければなりません。 これによって、皆さんは衣食住のすべての問題を超えて、神の前で真の勝利者の姿として現れるべき立場にありますことを忘れてはなりません。
 それでは、当時、まずその国とその正義を求めるように呼びかけられたイエス様はどのような立場にいらっしゃいましたか? ひとつの物事でも、それを扱う神の心と人間の心との間に差があるときは、悲しくて悲しいことです。 そのため、イエス様は神の心と自分の心が一体となった状態で、人間の心が自分の心と一体となることを願われたのです。
 しかし、人々がその方を不信し、反対することで彼らと一体になることができなかったため、言い表せない悲しみと悲しみの立場にいたことを皆さんは知っておかなければなりません。 もしも皆さんに食べるものがあるなら、皆さんは何を考えながら食べるべきでしょうか? 神の本質とその国の本質を慕いながら、与えたい愛の心を持って食べなければなりません。
 他者のために犠牲をし、奉仕する心を持って食べるべきです。 このような心を持って生きる人にならなければなりません。 多くの宝を持つことになっても、そのものを自分の気ままに扱うことはありません。
 したがって、皆さんは与えたい父の心が小さなパンの一切れを通じても現れていることを感じながら、食べる人にならなければならず、またこの地上に成就すべき神の意志と、困難な状況に置かれた多くの可哀想な人々を憂いながら食べる人にならなければなりません。 このような人になると、彼には物質的な不足がなくなるのです。
 しかし、今日の皆さんはそのような立場にありません。 皆さんは物質を中心にした闘いに苦しみ、いますぐ神の心を示すべきである行動を取ることができるか、この物質を私よりも愛する父の子供がいるのですか? この物質が私のものではなく、父のものだと思い、それを父に使用させるという謙虚な心を持たなければなりません。
 そのようなときに、皆さんの心に潜んでいた本性が現れ、皆さんは永遠の希望の領域に向かって進むことができるように、イエス様が物質を使用する姿勢について語られたことを知っておかなければなりません。
 したがって、今やあなたがたが敵として対処すべきものは何ですか? それは、あなたがたが自分のものだと考える貪欲な心です。 そのため、あなたがたはパンの一切れでさえも、それをすべての人が分かち合うことを願う神の心を代表できるようにならなければなりません。
 食べ物があれば、それを食べる前に家族のために分け与える心にならなければならず、社会、民族、国家、そして世界の人類のために分け与える心を持つ必要があります。 このような心を持つことが人間が正常な過程を経て完成することができるのに対し、今日の大部分の人々はそれを忘れたまま生きていることをあなたは哀れんでおかなければならず、またそれが堕落の立場であることを知っておかなければなりません。
 では、今日の敵は何によってやってきていますか? 物質的な条件によってやってきています。 しかし、神の祝福も物質を通じてやってきています。 つまり、物質を通じて神と私たちの敵が同時にやってくるということを確実に知り、物質を通じて堅固な信仰の中心を築くことができる人にならなければなりません。
 どんなものでも一つの中心を築くと、自然に相対的な存在が生じるものです。 完全なプラスがあれば、自然と完全なマイナスが生じるのが宇宙の法則ですから、あなたがたはこの地上で原則的な信仰の核、一つの基準を見つけて立てなければなりません。 イエス様がそのような原則をご存じだったので、まずその国とその正義を求めるように呼びかけたことを確実に知らなければなりません。
 次に、あなたがたが知るべきことは何ですか? 食べることによって家族間で争いが起こることです。 食べることによって義理母と嫁、兄弟間で争いが起こり、国家間で争いが起こり、親族間で争いが起こることをあなたは知っておかなければなりません。
 したがって、イエス様もそれを踏み越えるために家族のために、社会、国家、世界のために苦心する心を持っておられたので、その国とその正義を築けない悲しい気持ちを述べられたのです。 ですから、今日の皆さんもイエス様のそのような気持ちを体験し、その人格を模倣しなければなりません。
 その次に、あなたがたの前に着ることによって争いが生じることになります。 あなたの信仰の納得の上で着る問題を解決し、それを乗り越えなければならないプロセスがあります。 ですから、今日の皆さんはサタンのどの中傷にも束縛されることなく、そのような問題を自由に解決できる人でなければなりません。
 このように、あなたがたの食べることや着ることが同時に悪魔となり、悪魔が活動する場となることを理解しなければなりません。ですから、今後、あなたがたが行うすべてのことには、悪魔が侵入しようと狙っていることを知り、悪魔が侵入できる条件を一切与えないような人にならなければなりません。
 そのために、今日のあなたがたは自分だけのために生きてはいけません。より大きな目的のために生きる必要があります。あなたがたが家族に属しているなら、その家族のために生きるとき、それはあなた自身のために生きることになりますし、一つの国に属しているなら、その国のために生きるとき、それはまたあなた自身のために生きることになります。また、あなたがたが天国のために生きるとき、あなたは真に自分のために生きる立場となるのです。
 したがって、今日のあなたがたは、これらすべての事実があなたがたの生活環境を通じて実現し表れていることを心に留めなければなりません。今やあなたがたが神の御心のために、神の心情を理解し、その国とその正義を確立するために立ち上がったのならば、あなたがたはどうすればよいでしょうか? あなたがたに食べるものがあれば、それを持たない人々に分け与え、自分自身を飢えさせる心、また食べるものがあれば、むしろあなたを迫害する人に与える心を持つ人にならなければなりません。
 そうすることで、あなた自身が「自分の実践的な側面で与えたい心に生きているか、奉仕のための理念に生きているか、それとも今日のこの現実を追求し、その国の理念を実現するために奮闘しているか」ということを反省できる人にならなければなりません。そうすることで、あなたはパウロが「ああ、わたしは悩み深い人間である」と嘆いたその気持ちを感じることができるでしょう。
このように、あなたはあなたの実践的な心によって生涯全体の価値を見出す使命があることを理解しなければならず、またそのような使命を果たすためにこの地上に希望の実体としてやって来られた方が、まさに2000年前のイエス・キリストであることを知らなければなりません。
 しかし、今日の人々はイエス様がそのように与えたい心によって生きた方であることを知りません。また、あなたがたが食べるパンや着る一着の服に、神の愛情深い涙の痕跡が込められていることを知らずに生きているのです。これがまさに神の悲しみであり、ため息の条件であることをあなたは確かに知らなければなりません。では、今後再び訪れるべき主は、どのような方として現れるのでしょうか? その方もまた、神の国を建設し、与えることの理念の主役として来られるのです。永遠に変わらない天国の原則によって、親の子に対する愛情を持ち、その愛情を今日の私たち人間に与えるために再び来られるのです。
したがって、あなたがたは来られるその主を通して、人間の祖先の堕落によって失われた人間の尊厳を取り戻すために、これまで6000年間にわたって神の愛情深い心情を受け継がなければなりません。そうすることで、あなたがたはこの地上に来て犠牲となったイエス・キリストの愛情深い心情の仲間として進まなければなりません。
 もしも今日の信者たちがそのような位置に達しないならば、キリスト教はいくら信者が多くても発展することはできず、国にはいくら人が多くてもその国は繁栄することはできないでしょう。ですから、今日のあなたがたは告知された神の御心を受け継ぎ、イエス様がこの地に対して愛情深く持たれた心情をあなたがたの生活領域で体現する人とならなければなりません。
 神様は今この時も、与えたい心に生きる人が現れることを望まれ、イエス様は自分を殺したこの地のすべての悪の勢力を踏みつけて立ち上がることのできる人が現れることを待ち望んでいます。もしもそのような存在が現れれば、彼はまさにこの社会の主役となり、この国の主役となるでしょう。しかし、まだそのような一人の人物も現れないことが神様やイエス様の悲しみであることを、あなたがたは知らなければなりません。
 そのような主役となるためにこの地上に来ていた多くの先知先哲がいましたが、歴史上の先祖たちは彼らを埋め、また迫害し、嘲笑してきました。ですから、今日のあなたがた自身を確立し、そのような歴史的なすべての間違いを清算しようとするのが、神の望みであるということをあなたは理解しなければなりません。
 では、そのような神の望みを果たすためには、あなたがたはどうすればよいでしょうか? まず第一に、神の国と神の正義のために十字架の道を歩まれたイエス・キリストに従う人となり、次にはこれまで6000年間の歴史の中で多くの先知先哲が自らの一神の栄光を捨てて神の御心を達成するために努力したその道をたどる人とならなければなりません。
 しかし、もしもあなたがたがそのような道を歩まず、自らの栄光のための道を歩むならば、あなたがたは神の前や多くの先祖の前で堂々と立つことはできません。また、死んで霊界に行っても、父の前に立つこともできず、父の愛の腕に抱かれることもできません。つまり、信じることも自分のために信じ、死ぬことも自分だけが救われるために死ぬ人は、あの世に行っても父の前に堂々と立つことができないことを、あなたがたは心に留めておかなければなりません。
 したがって、あなたがたは自分を否定し、その国とその正義のために生きる人とならなければなりません。どんな困難な状況にぶつかっても、あなたは自分を向ける父の希望があることを考えながら、その環境と戦って勝つ人とならなければなりません。そのようなあなたがなって初めて、神の真の子や娘であると言えるでしょう。
 では、神の国を建設できる人はどのような人でしょうか? 自己を否定し、愛情深い心で天国を目指す人です。自己を否定し、社会や民族・国家・世界のために尽くす人が、まさに神の国を建設できる人なのです。
 さらに、国や世界を否定し、それでも天国を目指す人が、天国を建設できる人であることです。また、どんな悲惨な状況に直面しても、自己のためではなく、社会や国家・世界、さらには天国のために悲しむ人でなければ、神の国を建設することはできません。
 したがって、今日のあなたは、個人の欲望を満たすために努力するのではなく、より大きな目的のために犠牲を払い奉仕する信仰生活を送らなければなりません。そして、ただ神の御心と人間のために尽力したイエス・キリストの精神的な基準に従うだけでなく、これまで努力してきた神の愛情深い心情を慰める神の真の子女の位置に至らなければなりません。
 そのため、今日のあなたは、不正を見ると怒り、与えたい神の愛を持ち、この世界の果てまで行っても神の国と神の正義を建設するために努力し、さらには人類を救うために努力してきた神の心情を慰めることができなければなりません。
 さらに、あなたが神の国と神の正義を建設する過程で、サタンとの戦いに負けずに勝利し、あなたが個人から家庭・社会・民族・国家・世界を一体化させる人とならなければなりません。
 つまり、あなたがどのような状況にあっても、そこでサタンと戦って勝利する人でなければなりません。社会に出れば、その社会のどんな環境でもサタンと戦って勝利し、国に出ればその国の最も困難な問題を引き受け、サタンたちと戦って勝利する人でなければなりません。
 もしもそのような人が現れれば、私たちが見る限りではすぐには終わりそうにないかもしれませんが、後には成功することをあなたは知っておかなければなりません。また、そのような人がどの家庭や職場・団体・国家の主人であることです。家庭では親のために自らの命を捧げて孝行の道を行い、夫婦がお互いに尊敬し合い、国王のために忠臣の道を行う人が、その家の主人であり、その国の主人なのです。
 したがって、今日のあなたも、6千年の歴史の目的を代表し、今日の現実的な宇宙的イデオロギーを代表して、どのような困難な道でも「父よ、ありがとう」と言いながら威風堂々とそれを乗り越えることができるようになるべきです。そして、あなたの偉大な姿があなたの心から湧き出て身体に溢れ、サタンすらもあなたを尊敬し、従うようになるとき、あなたはその国とその正義を建設する民として立つことができるのです。

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御言葉選集3(5,6)

2024年02月03日 15時34分52秒 | 学習
文鮮明先生の言葉集 3 - 5. 捨てられたイエスを探して立てる花嫁になろう (1957年10月4日)

1957年10月4日(金曜日)、礼拝、前本部教会。

聖書拝読:ヨハネによる福音書12:44-50


<祈祷>
 父なる神様、これまで私たちを守ってくださったお父様の前に、心から感謝いたします。特に今日は私たちが覚えておくべき日であることを知っております。
 愛のお父様! 過ぎ去った日を思い出し、その時の敬意と感情を振り返りながら、今日の私自身がどこにいるか、また先週、お父様の前にどれだけの栄光をささげたかを反省できるように、この時間を私に許してくださいと心から願っています。
 多くの人々の中で私たちを最初に呼んでくださり、哀れな国民の中で私たちを最初に見つけ立ててくださったお父様に、心から感謝いたします。私たちが負うべき責任が重いことを知り、愛するお父様、どうかそれを許してくださいと切に願っています。
 私たちの目指す目標は地上の物事ではなく、私たちが追い求めるものは地上の欲望のためではなく、天運に結びついたお父様の意志を解き放つためであることをお父様がご存知ですから、その意志を捨て、後退する者にならないように導いてください。
 さらに、お父様の勝利の旗を高く掲げ、三千万の民族をお父様の愛の前に導き、同志になり得る子供たちになることを許してくださいと切に願います。
そして、三千里半島がお父様の愛の腕に抱かれることを許し、聖霊が宿ることができる場所になるように許してください。
 愛するお父様! 今日は私たちはあなたの前により一層近づきたいという気持ちで集まっています。自分の不足をお父様の前で懺悔し、自分の正しくないすべてをお父様の前で清算し、お父様の命じる命令に従って進んでいけるよう、私たちが許されるようにしてください。愛するお父様、切に願い求めます。
これまで私を中心に据えて行ったことについて、何かございますでしょうか? 自分を主張するために生きてきた何かがありますでしょうか? もしもそのようなものが私たちにあるのであれば、お父様、この時を清算してください。そして、私たち自身がお父様の前に主張できる条件は何もないことを知るようにしてください。
 それによって私たちの持つすべてをお父様に託し、頼り、望むこの一時を許してください。ただし、お父様の許された恵みと、お父様の導かれる歴史だけが現れるようにしてください。愛するお父様、切に願い求めます。
 お父様、ここに集まった家族を統一的な恵みとしてこの時を主宰してください。そして、今夜も地方に散らばる孤独な家族が父の前に伏し、国のために祈っていることを知っています。お父様、彼らの心にも統一的な恵みを共有し、愛の聖霊が彼らの未来を保護し、また喜びの恵みがこの時に彼らの心を満たすように許してください。
 愛のお父様、ここに参加できなかった家族もいますし、試練と逆境の中で孤独を経験している家族もいます。お父様、彼らを守ってください。
今まで耐えてこられた心情、お父様の悲しい心情を、お父様、この一時に解放してください。私たちがお父様の前に献身する代わりに、お父様の実在する子供として現れることができるその日が早く来るように許してください。愛するお父様、切に願い求めます。
 この時点以降のすべての手続きをお父様に託しましたので、愛で保護してください。そして、私たちがお父様の愛を感じることのできる時間に導いてください。切に願い求めながら、すべての言葉を主の御名によってお祈り致しました。アーメン。



<御言葉>
 今日のこの時は、「捨てられたイエスのものを探して立てる花嫁になろう」と題してお話しいたします。
人々が今まで信じてきたイエス様、または今の時代において、キリストと呼び、主と呼ぶイエス様は、当時地上においでになって栄光を受けなかったことは皆さんもよくご存じです。
 今日信じている私たち自身もそうですが、当時の人々の中にはイエス様が残していかれた言葉を天の言葉と信じた人はおらず、その言葉を自分の命を代わりに捧げる言葉と信じた人も一人もいなかったということです。
このようにして地上に降り立ったイエス様でしたが、地上の人々からは歓迎されなかったということです。個人を代わりに彼を真に歓迎した人は誰もおらず、家族を代わりに彼を歓迎した人も一人もいなかったことを皆さんは理解すべきです。
 イエス様は30年間、ヨセフとマリアの家族で生活しましたが、その家族では誰もがイエス様が抱く心、イエス様の望み、イエス様の生活とやるべきことについて無知でした。さらに、イエス様の言葉の深い意味を理解し、イエス様をキリストとして迎える者は誰もいませんでした。むしろ、イエス様を信じずに拒絶する立場を取っていたのがイエス様の家族でした。
家庭で見いだすべき義務があり、個人に対して見いだすべき使命があり、また生活を通して、仕事を通して見いだすべき使命がイエス様にはありましたが、その当時のユダヤ人たちの中にはそのようなイエス様の使命を自分のものと感じる人は一人もいなかったということです。
 イエス様が見、聞き、語り、行い、働くすべての生活が無知な地上にあったとしても、その生涯は地上の人々のためだけではなく、人々が知らない新しい神の意志のために生きていたのです。したがって、こうして新しい天命のために生きたイエス様には、まさに人知れぬ背後の悲しみが言葉や信念、行動や生活に表れていたことを皆さんは知るべきです。
 さらに、イエス様は家庭で自分の意志を立てることができなくなると、社会を通じてまたは教団を通じて自分の意志が知れ渡ることを望んでいました。しかし、イエス様はユダヤ教の前にまたはイスラエルの民族の前にも歓迎されず、拒絶されたのでした。
 こうしてイエス様の一進が拒絶されただけでなく、さらにはイエス様が述べられた言葉も拒絶され、イエス様の生活とイエス様が成し遂げようとしたその一切がすべて拒絶されたことを皆さんは知るべきです。
 ですから皆さんは、そうして拒絶を受けたイエス様の心情、拒絶を受ける時の孤独さ、心に刻まれたその苦しみがどれほど大きかったかを考えなければなりません。もしもそのようなイエス様の苦しみを知らない者になると、皆さんは4000年の歴史を背負ったイエス様の生涯、彼の信念、彼の生活、彼の業績、そして彼の言葉を知る者として、決して現れることはできません。
 今日私たちは、イエス様のそうした事情が表れている聖書の言葉を通じて少しは知っているかもしれませんが、それもあくまで頭で知っている程度であり、また耳で聞いて知っている程度です。しかし、それだけでは駄目だということです。
昔のイスラエルのユダヤ人たちに対して、イエス様が語りかけたときでも、彼らはただ耳で聞いて頭で理解するだけでした。現実の生活で感じ取れず、耳で聞いて頭で理解するだけだったため、逆に彼らはイエス様を十字架の道に進むようにさせたのです。だからこそ、言葉を頭で理解し、耳で聞いてだけではだめだということを皆さんは明確に理解しなければなりません。
 では、今日私たちはどうすれば良いのでしょうか?  聞いた言葉を頭で知るだけでなく、心で理解し、行動できるようにならなければなりません。しかし、当時、イエス様が十字架の死の道を歩むまで、このように言葉を頭で知るだけでなく、心で理解し、行動する人は一人も現れませんでした。
 イスラエルの民族、ユダヤ教、そしてイエス様が3年間にわたって共に過ごし教えた弟子たちの中でも、そのような人は一人も現れず、全員が不信の立場に追い込まれ、拒絶する結果となりました。
 イエス様は熱心に教え、夢を通じて神の計画を知り、また神の摂理に無知な彼らに「私を見た者は神を見た者だ」と語りかけ、熱心に彼らを覚醒させました。しかし、当時のイエス様の愛する弟子たちは、このようなイエス様の背後の事情をまったく理解していませんでした。聞こえる言葉や見る目、知る頭でなく、言葉を頭で理解し、心で感じ、身体で行動した人は一人もいませんでした。
 それでは、今日、歴史的な終末の時代を迎えるにあたって、私たちの責任は何でしょうか? 失われたイエス様のすべての信念を回復し、この地上のすべての邪悪と戦って勝利し、天国の世界を築き上げ、イエス様を花嫁として迎え入れる資格を持たねばなりません。
 単にイエス様の事情を聞いて知る程度でなく、自分の頭で理解するだけでなく、心で感じ、身体で感じ取れることが必要です。したがって、皆さんはイエス様が語られた言葉の中に、当時の人々の前で父の意志をすべて打ち明けられなかった事情、天命の秘密を全て明らかにし、語られなかった無限の苦悩があったことを理解しなければなりません。
 もしも皆さんが、そのようなイエス様の事情や心情を知らなければ、イエス様の言葉を真に理解することはできません。また、イエス様が言葉を立てるために生活された事情も理解できませんし、地上の諸民族を救うために努力されたイエス様のその使命も理解できません。
 当時のイエス様の心情と、彼に対する人々の心情は無限の差がありました。イエス様は自分の深い心に秘められた言葉を述べることなく、無知な一般の人々を覚醒させるための忠告の言葉だけを述べていたのです。
 それでは、当時のイエス様が話された内容はどのようなものでしょうか? それはサタンの支配する世界、邪悪な地上、敵対者たちの世界に住んでいるが、天の子となることを望む者たちの前で述べた忠告の言葉でした。サタンの支配する世界で試練を受けずに勝利できる手段を提示した言葉でした。言い換えれば、イエス様は人々がサタンの支配下であっても、あなたの言葉を守り、あなたの心情を代わりに生きることができる足場を残していったということです。
ですから、イエス様は私たちに対してどのような最後の言葉を残されたでしょうか? それは「あなたたちは私の花嫁である」という言葉です。当時のイエス様は、このように愛する弟子たちに対しても直接的に話すことができず、後日を約束する立場から話さざるを得なかったということです。このようなイエス様の心情を皆さんは理解する必要があります。
 天が託してくださった意志を抱えて、イエス様はあなた方の弟子やイスラエル民族、ユダヤ教を愛する心に変わりはありませんでした。しかし、無知な民、無知な教団、無知な弟子であったため、イエス様はサタンと戦う先鋒として、一人であらゆる矢を受け、彼らに人生の道を開いてやるために苦難の道を歩まれました。
 つまり、自分の心の奥深くに隠された感情、天の花嫁の信念を告白し、話せる環境を持たなかった悲しいイエス様であったということを、今日の皆さんは確かに知っておかなければなりません。それでは、イエス様が行かれる中で、この地の我々が喜びの一日を迎えることができる希望の兆しとして、「あなた方はわたしの花嫁」と言われた言葉はどうだったでしょうか? 今日、その花嫁の信念はどうなっているのでしょうか? まだ何千年もの歴史の過程を経て、サタンとの激しい戦いに勝利し、イエス様の花嫁の立場に入った者がいなかったということです。
 ですから、今日の皆さんは、2000年前に天から選ばれ、立てられたイスラエルが築けず、愛する弟子たちが築けなかった、イエス様が望まれる花嫁の信念を代わりに築いていかなければなりません。そして皆さん自身がイエス様の心情に立ち向かうことができる人間にならなければなりません。
 それでは、イエス様が話された言葉はどのような立場から話されたものでしょうか? 花嫁の信念を完成させていない立場を置いて話された言葉なのです。彼の言葉は花嫁が信じる人々が真に花嫁の資格を持ち、イエス様の熱意なる事情を通じて進むことができるようにするために残された言葉でした。
 ですから、今日の私たちはイエス様が授けられた言葉の真意を実現し、イエス様が求める花嫁として、花婿の言葉で立ち上げなければなりません。そして、その当時のイエス様が感じられた内面的な心情に感情移入できる立場まで進まなければなりません。もしもこのような立場まで進む者がいなければ、イエス様が30年以上にわたって語られたその言葉の目的は達成されないことを皆さんは知っておかなければなりません。
 それでは、イエス様がこの地上で言葉を伝えた時の状況はどうだったでしょうか? 万民がイエス様の言葉を歓迎せず、むしろ反論し、さらには迫害まで行ったことです。ですから今日の皆さんは、イエス様がそのような状況でも逆に迫害される彼らのために語られた内面的な心情を把握できる人にならなければなりませんし、全人類の花嫁となられたイエス様のその心を感じ取る人にならなければなりません。
 また、皆さんはイエス様が2000年以上前に語られたその内面的な心情が今日の自分の胸と体と頭を震わせている感覚を持っていなければならず、さらにはイエス様を慰められる人にならなければなりません。その上で当時却下されていた言葉を歓迎し、イエス様の言葉の目的をこの地上で確実に果たす聖徒にならなければなりません。
 こうして花嫁となられたイエス様の言葉はこれまで数多くの歴史の難所を越えて私たちに伝えられてきましたが、終末の時を迎えた今日において、その言葉にはどのように対処すべきか? 皆さんはその言葉を頭で理解するだけでなく、心で理解し、身体で理解しなければなりません。
 そして皆さんはイエス様の言葉が却下されたと同時に、イエス様が30年以上にわたって捧げた生涯の節目も却下されたことを理解しなければなりません。つまり、イエス様の言葉が却下されただけでなく、イエス様自身も却下され、またイエス様自身が却下されたことによって、自身の30年以上の生涯も却下されることになったことを理解しなければなりません。
 では、花嫁とならなければならない今日の皆さんは、これから何をすべきでしょうか? イエス様があのように却下された30年以上の生涯の節目を皆さんの一忍で受け入れることができなければなりません。
 イエス様は30年もヨセフの家庭で生活していましたが、彼がしていることを誰もが歓迎したことはありませんでした。また、イエス様はどこでも自由に行ける環境で生活できなかったことを理解しなければなりません。
 イエス様の意向と言葉は、彼がしている生活とは非常に顕著な違いがありました。自分の事情を打ち明けることのできる存在を見つけられなかったため、イエス様は自分が言いたいことを言えず、黙って大工の仕事をしていました。
また、イエス様は神が数多くの預言者を送って成し遂げようとされたその意向を実現できる主役でした。つまり、その時、イエス様は国の中心であり、教団の中心であり、さらには個人の中心だけでなく、全体を代表する中心でした。
しかし、イエス様は自分がこのように地上のすべてを代わりにする主であると同時に、霊的な領域まで支配しなければならないことを理解していました。これらのすべての事実が逆らわれることで、彼はますます苦しい生活をしていきました。
 こうしてイエスの生活を捨てさせた責任は、古代のイスラエル民族だけでなく、ユダヤ教団、ヨセフの家庭、バプテスマのヨハネ、そしてイエス様の愛する弟子たちにもあるという事実です。
 それでは、このような事実に対処するにはどうすればよいでしょうか? 皆さんは再び世界と国を代表して来られるイエス様を、花婿としての希望として慰める存在となり、多くの教団を代表して慰め、今日の多くの家庭を代表して慰め、イエス様の愛する弟子を代表して慰める存在にならなければなりません。
また、神様はイエス様が生きていた時に骨と肉に触れるほど感じた辛い心情を、今日の一信者が感じるためにもがく存在が現れることを望まれて、これまで地上で歴史を支配していることと、また聖霊を通して歴史を支配していることを知らなければなりません。
 イエス様は新しい福音を語るために行く先々で不信を受け、動くたびに迫害されながらも、イスラエルの民族の悩みや難題を引き受けられました。しかし当時、こんなにも一人で全ての人間の悩みを引き受けたイエス様の仕事と言葉を、自分の仕事と言葉として受け入れ、共に努力した者は一人もいなかったのです。
 したがって、今日の皆さんは当時ユダヤ民族がイエス様の言葉を捨て、世界を捨て、イエス様の仕事を捨てたそのすべての誤りと悪を清算し、イエス様の理念をこの地に立て直さなければなりません。
 また、皆さんはイエス様が天の意志を代わりにして創造主となる友になろうとしたそのような理念を見つけ、立て直さなければなりません。そして今日、私たちが聖書の視点から見ると、イエス様は地上に来て当時のユダヤ民族の不信心のために、神の永遠の理想全体を十分に示すことができずに去って行かれました。
 それでは、そのようなイエス様の理想は一体何だったのでしょうか? 彼の理想は天と地を合わせて一つの国、一つの世界、一つの理想郷を築くためでした。しかし、これは簡単なことではないと私たちは知らなければなりません。
一つの国が存在すれば、その国には一つの国家イデオロギーが存在します。また、その国を統治するための政治機関が生まれ、そこには必ず何らかの政策があり、更にはその政策を立てる一つの政党が存在するということです。そのため、国民はそれぞれが一つの政党を中心に据え、個々に異なる方法で生活していることを私たちは知っています。
 一つの国が国家イデオロギーを築くためには、このような複雑なプロセスを経なければ、本来の目的を達成することはできません。そして更には、天の意志を達成するために、人間一人ひとりにイエス様の言葉や生活、仕事を見つけて築く責任があるということを理解する必要があります。
 しかしながら、今までにその責任を果たした人がいないため、イエス様の理念は未だに地上に現れず、神の前で大きな悲しみをもたらしていることを確実に理解する必要があります。
 また、皆さんはイエス様がこの地に新しい天国、つまり楽園を築こうとして天に対して誠実であったその誠実を手本にしていく存在にならなければなりません。イエス様が愛する弟子たちに対して述べた言葉の中で最も重要なものは、「あなたたちは私の花嫁である」という言葉でした。つまり、イエス様はこの地に来て花婿と花嫁の理念を築き、去られたのです。
 したがって、今日の皆さんは花婿と花嫁の位置を経て、家庭を超えて社会や国家、そして世界と結びつき、天の理念である造物主である父と一体化する位置まで進まなければなりません。
 皆さんが進む中で足りない点があるとすれば、それはイエス様がそこに比例するだけの悲しみをもたらすことを理解しておくべきです。したがって、今日の終わりに直面する聖徒たちはどうすべきでしょうか?イエス様と同じ心情を通じて戻ると同時に、生活の理念を戻し、彼の仕事を戻すべきだということです。
 それによって家庭を超えて社会を通り、国家や世界、宇宙全体に通じる人にならなければなりません。イエス様は天国の理念を確立するために呼ばれ、神はイエス様をこの地に立て、この地上に天国を築くための新しい理念を紹介されたからです。
 イエス様はこの使命を引き継ぐために、自分の一生のすべてを捨て去り、一つの宗教を代わりにし、神を代わりにする道を歩まなければなりませんでした。その結果、彼は孤独な道を歩まれ、人類に対する嘆きと祈りの言葉を残して去られたことを、今日の皆さんは忘れてはいけません。
 したがって、現代に生きる皆さんがイエス様の使命を回復し、この地上に天国を築くためには、ますます何を求めなければならないでしょうか?まず、イエス様の思想である御言葉を最初に見つけることが重要です。生活を通して、イエス様の思想を確立していく必要があります。今では捨てられているイエス様の使命を、今後は日常生活の中で見つけ、実践していくことが求められています。
 このようにして、個人を通じて家庭の形を経て、宗教の形を経て、国家や世界にまで進んでいく過程で、神が動くとイエスも動き、イエスが動くとこの地も動く、そのような一体的な関係を築く人にならなければなりません。なぜなら、そのような関係はイエス様と聖霊の力だけで成り立つものではないからです。
 したがって、イエス様の言葉は邪悪な世界、すなわちサタンの侵略を受ける環境で、その苦難を防ぐことができる言葉なのです。では、今、皆さんが理解すべきことは何でしょうか?イエス様がこの地に来て全ての人々に語るべき言葉を果たさないまま、神の計画を果たさないまま、やるべきことをやり尽くさないまま、人々に対して命じずに去られたという事実を理解する必要があります。このように、イエス様がこの地に来て全く達成せずに去られたのは、この内面的で哀れな悲しみの状況を感じることができる人になるためです。
 花嫁として花婿を迎える花嫁は、花婿の希望を自分の希望とし、花婿の生活が自分の生活となり、花婿の言葉も自分の言葉となり、花婿の行動も自分の行動となる絶え間ない関係を永遠に築いていくべきです。同様に、今日の皆さんもイエス様の花婿となるためには、このような花嫁の資格を備える場に立たなければなりません。
 ですから、今日の皆さんは、イエス様が歩まれたその道を皆さんの実生活で感じ、思いやりを持たなければならず、さらには不信仰の群れの前でもイエス様の言葉と御心を伝えなければなりません。また、皆さんが神の御心に対するイエス様の心情が切実であるほど、またイエス様と一体になればなるほど、より謙虚な立場で兄弟と一体となりながら進んでいく必要があります。
 そうしたとき、皆さんはこれまでに人間が歩むべき道、人生の真の道に向かって歩んできた宗教の主人公たちを理解できるでしょう。では、イエス様が今日の終わりの聖徒たちに対して望まれていることは何でしょうか?イエス様はあなたがたがなりうる花嫁となることを望んでいます。
 しかし、その花嫁とはどのような花嫁でしょうか? 単に家庭にとどまる花嫁だけではなく、またはユダヤ教界にとどまる花嫁でもなく、選ばれしイスラエルの民とその国を代表でき、また世界を代表できる花嫁であると同時に、天国地上を代表して神の業を代わりに担いで果たせる花嫁であり、神の意志を実現するために義の法則に従い共に協議できる花嫁であることを望まれ、またそのような花嫁を求めておられるのです。
 今、皆さんは自分が信仰生活をしながらどれだけイエス様が望む花嫁の資格を持っているかを反省する必要があります。皆さんは生活において本当にイエス様の業を見つけていますか?本当にイエス様の思想を実践するために努力していますか?つまり、言葉においても行動においても、皆さんはイエス様の言葉と行いを代わりにしようと努力していますか?これについて皆さんは反省しなければならないということです。
 そして、皆さんは自分の生活が当時のイエス様の思想に関連し、当時のイエス様の業と関連する行動をするべきであり、また天国を代表してこの地に来て全てを失ってしまったあなたのイエス様の内面的な悲しみをすべて引き受けなければならず、さらにはその悲しみを解消できるようにならなければなりません。これらの使命が皆さん一人ひとりに与えられていることをはっきりと理解しなければなりません。
 それでは、今度は皆さんは、イエス様がこの地に来られて花嫁一人を見つけるために努力されていた、その悲しい心情を持ち、あらゆる人間やすべての教団を見ることができなければなりません。つまり、神の御心を達成せずに悲しい悲しみの心情を抱えて死んでいかれたイエス様の心情を理解し、真の勇気を持って戦って進むことができる人にならなければなりません。
 つまり、サタンの前で一人で立ち、十字架の死さえも恐れず、むしろその十字架を踏み越えて天国の前で栄光を讃えられたイエス様の実践的な生活を手本にする人にならなければなりません。そして、皆さんはイエス様の実践的な生活を手本にするだけでなく、ある日サタンと戦って勝利したとしても満足するべきではなく、この宇宙がイエス様の思想によって永遠に支配され、天国の栄光がイエス様の栄光、または皆さんの栄光として現れる場所まで満足すべきではありません。つまり、皆さん自身が天を感動させ、イエス様を感動させ、父を喜ばせて全宇宙が喜べる日を実現することで満足する必要があります。
 天を感動させつつ得るべきなのは何か?最初に皆さんはイエス様の四方を代わった皆さん一人一人を見つけるべきです。そして、皆さん一人一人がかつての12部族を代わった個々の姿にならなければならず、12部族を代表して立てたキリストおよびその12部族とはどのような関係にあるかを明確に知る必要があります。そして、どんな環境でもイエス様と共に歩み、彼の思想をこの地上で成し遂げる天国の主人公にならなければなりません。
 また、皆さんは家庭を代表していたイエス様の悲しみを知り、教会を代表して悲しんでいたその事情を知り、皆さん自身も集まり、最後の使命を引き継がなければなりません。そして、当時のイスラエルとユダヤ教を代われる私たちの教団を作らなければならず、使徒たちが天国を代わってサタンの前で成し遂げなければならなかったすべてを成し遂げる人にならなければなりません。
 もし当時の使徒たちが人間を代わる一人の個人を作り、全イスラエルを代わる一つの民族を作り、また世界を作ったなら、イエス様はもう何も語っていたでしょうか?また、イエス様の言葉に従うべきであり、彼の行動を真似るべきであり、一度でもサタンと戦って勝利しただけで満足すべきではなく、今日の皆さんはこれらすべてを再び見つけて築き直せる人にならなければなりません。
 それでは、今度は皆さんが地上においでになり、お生まれになり、戦い抜かれ、地上においでになりながらも、生涯であなたが求めた意志を一つも見つけることなく、生涯の終焉を迎えたことを知ったとき、単にイエス様のおられた道をたどることで満足するだけではありません。皆さんは、イエス様がおられた内面的な悲しみを感じることのできる人にならなければなりません。なぜなら、イエス様は弟子たちを死の道、死の道に追いやるしかなかった花嫁であり、そしてイエス様の内なる悲しみを知り、花嫁を一人にし、十字架に向かわせた歴史的な誤りを心に留め、希望の日を見つめ、戦い続ける人にならなければなりません。つまり、イエス様の根本的な思想を理解し、彼が抱えられた内なる怨みを解き放ち、彼が残された仕事を成し遂げなければなりません。
 さて、終末に直面している聖徒たちはどうすればよいでしょうか? 6千年の歴史の中で結ばれた神の怨みと、イエス様の怨みを解消する存在にならなければならず、十字架の道であり、茨の道であるとしても、その道を乗り越えて死ぬ覚悟をし、命を捧げてこの地上に神の国、天国を築くために進んでいく天国の英雄にならなければなりません。
 神様は4千年の歴史の中でイスラエル民族を立て、彼らにメシアを送ってくださるという約束どおりに、イエス様をこの地に送ってくださった。しかし、イスラエル民族と使徒たちが不信仰により、イエス様はイスラエル民族に対して話すことができなかったし、弟子たちにも話すことができませんでした。私たちはイエス様にはそのような内面の悲しみがあったことを知るべきです。
また、皆さんはそのような悲しみの怨みが今もなおこの地上に残っていることを知り、この時間も皆さんの胸に響いていることを感じるべきです。
 そして、皆さんはイエス様が失った言葉、失った生活の思想、失った天倫の思想を再び見つけ出さなければならず、今まで逆境の中で苦労してきたこの国の事情を知る人にならなければなりません。
 さらに皆さんは、神と対峙するサタンをイエス様が引き受けたことと同様に、イエス様と戦い、今日の地上の多くの命を担当し、立ち上がることのできる人にならなければなりません。
 したがって、現代の信仰の課題はどこにあるのでしょうか?イエス様が現れることができなかった内なる悲しみと、当時の人々のために努力した場所を引き継ぐための、ひとつの条件をどのように設定できるか、それが問題です。
こういったことを考えると、終末に立つ皆さんが失ったイエス様の言葉を再び見つけるには、どんな試練や迫害にもくじけず、イエス様の代わりに必ず神の御心を果たす決然とした覚悟と決意がなければなりません。
 そして、昔のイエス様を殺そうとし、イエス様の生活を捨てさせようとしたサタンたちがいたように、今日の皆さんがイエス様の御心を代わりに生かそうとするときにも、同じような状況が訪れることを知らなければなりません。つまり、当時イエス様の仕事を家庭が捨て、教団が捨て、国家が捨てた状況が皆さんにも訪れるということです。
 そのような状況にあったイエス様を敵に売り、十字架に渡して自分たちは快適な場所にいようとした者は誰でしょうか。それはイエス様の弟子であり、イエス様が神に選ばれて立てたメシアであることを知らずに不信仰で迫害したイスラエル民族でした。また、その不信仰のために神に対する怨みを引き起こした後、今もなおサタンの歴史が終わらないため、今日の皆さんの信仰の課題においても、イエス様の生涯を捨て、イエス様の言葉を捨て、イエス様の仕事を捨てさせたことと同じく、同じような出来事が現れることを知らなければなりません。
 したがって、今日のサタンは皆さんが個人的な限界を超えられないようにします。イエス様の御心は皆さん個人を通じ、家庭を通じ、社会・国家・世界まで通るものであり、サタンは生活環境で皆さんが個人的な限界を越えられないように妨害しているということです。ですから、皆さんはイエス様当時と同じ生活環境に直面したとき、自らの命をかけ、その環境を乗り越えるために戦わなければなりません。
 イエス様の言葉を代わりにし、サタンに立ち向かおうとするとき、誰もが予測できない厳しい状況に直面することが避けられない立場になることを皆さんは理解すべきです。そして、それに直面しても、イエス様の生涯を代わりにするための直接的な条件を設定し、それを越えて進む覚悟を持つ必要があります。
 ですので、これまで新婦の理念を見据え、信仰生活を進んできた皆さんは、どのようにすればよいでしょうか?イエス様が一生を通じて語った前生涯の理念、つまり宇宙全体の希望の理念をイエス様の代わりに成し遂げることができるようにならなければなりません。その時にイエス様の花嫁の位置に進むことができるということを確実に知らなければなりません。
 今日の皆さんはどこに滞在していますか? 皆さんは自分の個体に固執してため息をつく環境に滞在してはなりません。皆さんはそのような環境を超える人物になるべきです。愛する両親、愛する兄弟はもちろん、愛する人々が反対しても、その反対を無視して歩まれたイエス様の後を追いかけることができる皆さんでなければなりません。そうでなければ、元の人間に戻ることはできず、今日の統一教会は存在価値を失います。
 皆さんがこのような原理原則に基づく神託歴史が展開されている事実を理解するならば、皆さんはそのような道に入るべきであり、またそういった道に入っても個人の欲望を満たすために努力するのではなく、全体のために努力しなければなりません。
 そして、皆さんは失われたイエス様の言葉を代わりにできる言葉を見つけなければなりませんし、イエス様一代の生活を代わりにできる生活をしなければなりません。イエス様は神様が自分に約束された天地の全ての権勢を自分の一信者に許可していただけたその意志が実現しなかったでしょうが、皆さんはそのようなイエス様の人格を学ばなければなりません。
 したがって、今日の皆さんは前進してきたイエス様の足跡を常に追い、常に花嫁となられたイエス様を迎え入れることのできる人物であるか、今の自分はどのような環境に住んでいて、どの山を越えているかについてよく反省しなければなりません。そして、皆さんはいずれも聖徒が進むべき血を流す道を越えて、再び訪れる主様を迎え入れるべきだということです。
 それでは、再び来る主様が神の栄光の中に現れるとき、皆さんはどのようにすればよいでしょうか?再び来る主様を皆さんが迎え入れるならば、その喜びが個人で終わってはならないはずです。永遠を代表し、または無限の天国の理念を代表する喜びとして表現できる人にならなければなりません。
 ですので、一時的な喜びを感じたとしても、そこに満足せず、むしろサタンと戦い、永遠の喜び、神の永遠の愛に満ちたこのような喜びを感じなければなりません。また、恵みを感じる際にも、想像できないほどの驚異的な恵みをイエス様が感じたように、皆さんもそのような恵みを感じなければなりません。
それでは、イエス様がどのような過程を通じてそのような恵みを感じることができたのでしょうか? それはイエス様が自分の生涯で万事を断ち切り、唯一神の御心だけを考えたからです。また、イエス様が復活の栄光を見ることができたのは何故でしょうか? イエス様は天地の栄光と、天地の誠実、地上のどの人間も持たなかった理念すらもすべてが断たれても、自分は変わらず神のために尽くすことができたからです。そして、イエス様は神の直接的な栄光の中に入り、この地上の人間と関係を結ぶ立場になったのです。
 では、今日の皆さんが感じているその喜びは何でしょうか? その喜びは決して皆さん個人のためのものではありません。その喜びはこの地上のサタンの支配と戦う力を吹き込む恵みなのです。ですから、皆さんは自分に喜びを与えてくださった父に感謝しながら、サタンとの戦いで勝利し、これまで地上に結ばれてきた6000年の恨みを解消した歓喜の盃をあげ、父と永遠に一体となり、喜びをもって臨む覚悟を持たなければなりません。
したがって、皆さんが一時的な喜びを感じたとしても、そこに満足せず、むしろサタンとの闘いで勝ち取った永遠の喜び、神の永遠の愛を感じるべきです。また、神の恵みを感じる際には、まるでイエス様が感じたような想像もできないほどの非凡な恵みを感じるべきです。
それでは、イエス様がどのようなプロセスを経てそのような恵みを感じることができたのでしょうか?それはイエス様が自分の生涯で全てを断ち切り、ただ神のみ旨だけを心に留めたからです。また、イエス様が復活の栄光を見据えることができたのは何故でしょうか?それはイエス様が天の栄光や誠実さ、そして他の者が持たない理念まで全てを捨てても変わらずに神のために尽くせたからです。その結果、イエス様は神の栄光の領域に入り、この地上の人間との関係を築く立場に就くことができました。
それでは、今日の皆さんが感じているその喜びは何でしょうか?その喜びは決して個人のためだけのものではありません。その喜びはこの地上でサタンの支配と闘う力を与えてくれる恵みそのものなのです。そのため、皆さんは自分に喜びをもたらしてくださった父に感謝しつつ、サタンとの戦いで勝利し、これまで地上で繋がっていた6000年の怨みを取り除いた歓喜の歌を上げ、永遠に父と一体となり喜ぶ覚悟を持つべきです。
したがって、受けた神の恵みは自分だけのためではなく、むしろサタンとの戦いに挑み、サタンを屈服させるためのものです。
それゆえ、皆さんは与えられた神の恵みを自分の都合だけに利用せず、この地上のあらゆる悪とサタンの影響を取り除く方向に進むべきです。そして、皆さんがこの地上で神の創造目的を成し遂げた勝利の子、または帰還に必要な全ての条件を備えた者として現れるとき、サタンがどんなに妨げても無駄であることを理解するべきです。
さらに、そのような人物が現れる場合、彼はどこに行っても自由であり、彼の足跡には常に勝利の証が残ることを理解するべきです。
したがって、今日、皆さんがこの言葉を聞いて感じること、新たに悟ったこと、探し求めたこと、または統一教会に入り、原理を通じて学んだことがありますか?それが真理の言葉であるならば、皆さんはその言葉を頭で知るだけではいけません。
皆さんはその言葉を頭で知りながら同時に心で知り、心で知りながら身体で知り、また身体で知りながら心で知らなければならないのです。このように皆さんが言葉を頭で知り、心で知り、身体で知り、心で知ることで、皆さんはその言葉の目的を達成するために動かないわけにはいかず、サタンと戦わないわけにはいかなくなります。また、自分の口を開いて父を侮辱し、自分の考えを変えて天を背叛する場に出ようとしても出られないのです。
また、皆さんが言葉を頭で知り、心で知り、身体で知り、心で知る立場になると、周りから無数のサタンの矢が襲ってくることを感じるでしょう。それを感じるほど、皆さんは同じ立場の人々と結束しないわけにはいかなくなります。
したがって相手の事情を自分の事情とし、彼の怨みを自分の怨みとし、彼の怒りを自分の怒りとして相互に頼り合い、協力できる相互一体的な生活環境を整えて新天地を築き上げなければなりません。これが新天地の創設者であるところの人物です。
このように皆さんが受けた神の恩寵を日々の生活を通して実践的な面で示し、どんなサタンの矢もどんなサタンの中傷も防ぎ越える覚悟を持たなければなりません。また、皆さんがそのような心を持つと、どこに行こうと、どのような人に接しても、どのような孤独な場に置かれても、千軍千将が常に皆さんの命を取り巻き、支えるようになります。
イエス様も同様の心を持たれていたために、天にいる無数の聖徒たちが彼を取り巻き、支え、います。もしイエス様がそのような心を持たなければ、地上で歴史を刻むこともできず、千軍千将や父の意志の前に立つこともできないでしょう。
したがって、今日まで皆さんはそのような心を持って、天の栄光の恩寵に浸かって生きる環境をこの地上に作り上げられていないのです。そのために今まで神と天使が地上の人間たちがその栄光の恩寵に向かって進むように裏で協力していることを理解し、またまだ神は悲しい中におられるということを知らなければなりません。
イエス様はこうした神の悲しい心情を持たれていたために、新しい天倫の教えを持ち、それを条件にして地上の人間と永遠の理念の関係を結ぼうとされましたが、当時の人間たちの不信心からその意志を果たすことができず、悲しみ、不当に十字架にかけられたのでした。
では今日、同じように悲しまれたイエス様を探しに出た皆さんは、どのような状況に置かれていますか?今日も昔のようにイエス様の言葉を信じず、イエス様の働きを拒絶している状況が起きています。つまり今日の皆さんもこの地で迫害を受け、すべての人に捨てられて「他の人とは違う」という道を歩んでいるのです。
 したがって皆さんはそのような捨てられる悲しみを打ち破り、必ず天の栄光が喜ぶことができる勝利的な条件を築く努力をしなければなりません。また、私たちの集まりがそのような意志を達成していく集まりであるならば、すべて一心同体となってイエス様が歩まれた足跡を追いかけることができなければなりません。
 今日の皆さんが拒絶され、捨てられる悲しみ、または教会によって捨てられる悲しみを多く受けていますが、皆さんは堂々と帰還原則に従い、その悲しみを踏み越えて立ち上がらなければなりません。つまり統一教会のすべての家族は神の心情と意志を感じ、悲しむ者ではなく、追いかける者、好む者になり、前進し、足跡を追い越すべきであるということです。
 皆さんがイエス様がこの地上に成し遂げようとされていたその意志を代わりにし、歴史と宇宙を代わりにして責任を果たせば、人間の祖先アダムヘとを堕落させたサタンはこの地上から自然に消え去ることでしょう。そのため皆さんは人間がこの地上でサタンとの戦いの一局面を越えるとき、いつも天が共にしてくれると知らなければなりません。
 そしてイエス様が新郎新婦の理念権内にとどまり、世界を代表する中心的な立場にいらっしゃることを知らなければなりません。また、それに対してサタンが中傷できないことを知らなければなりません。
 ですから、今日の皆さんがイエス様の内面の心情を代わりにし、イエス様の国家思想・世界思想を経て、天の栄光に帰還する全体的な価値を自分から見出す主人公として現れるとき、イエス様が失ったすべてを回復し、経験したすべての悲しみを理解する者として、または勝利の価値を持つ者として立つことができることを心に留めなければなりません。


<祈祷>
 お父様!孤独な者を案じるお父様の心情を知らず、むしろ今まで私たちの悲しみをお父様の前に訴える不忠不孝の立場にいた私たちを許してください。
天の心情がこうして悲しいこと、これほど切ないことだと気づき、お父様の前で私たちの事情を嘆くことができないことを知らせてください。
 お父様、それだけでは足りませんので、お父様の悩み、お父様の心配を今日の私たちの一心によって解消できるように許可してください。そして、お父様の前にこの一時間、私たちのすべてを捧げることのできる子供たちになることを許してください。愛するお父様、熱心にお願いし、望みます。
 今日の私たちが天を向かって価値ある条件を実際の生活領域内で築くために努力しているので、お父様、共にしてください。
 私たちは天の全体的な価値の条件を築く上で、私たちの犠牲が喜ばれない不足していた姿でしたが、これからはお父様の前で無限に利用されながらも喜ぶことのできる心を持つ子供たちになりますので、お父様、許してください。
そのような私たちの足跡をサタンも妨げることはできないということを知っているので、今日も明日も私たちの心が変わらないように助けてください。愛するお父様、熱心にお願いし、望みます。
 お父様、私たちが新郎であるイエス様の花嫁になろうとする場合は、新郎が悩むなら私たちも悩み、新郎が戦うなら私たちも一緒に戦い、死ぬか生きるか新郎と共に動かなければならない立場に置かれている私たちであることを知らせてください。そして戦いの過程を経て解放の恩寵の中でお父様の栄光を歌う新郎の喜びを理解する花嫁の立場に立ててください。
 こうして失っていたすべてを見つけ、お父様の栄光を喜びとして奉納できる日が早くここに集まった一人ひとりの生涯の場に、それぞれの生活に、それぞれの心に現れることを許してください。私たちのすべての言葉をお祈りし、主の御名によってお祈り致しました。アーメン。





文鮮明先生の御言葉集 3 - 6. 私たちは栄光の新しい国を占有しよう(1957年10月6日)

1957年10月6日(日曜日)、前本部教会。

聖書拝読:テサロニケの信徒への手紙5:1-11

もし人間が堕落していなかったなら、「栄光の新しい国」と呼ばれるこの希望の園は今日、私たちの生活領域で楽しむべき世界でした。しかし、人間の堕落により、今日私たちはこの希望の園との結びつきを持てていないことを皆さんはよくご存知でしょう。
 すべての力を尽くし、すべての心を傾け、私たちが持っているすべてを犠牲にしても、この栄光の新しい国を築かなければならない責任と義務が私たちにはあることを、皆さんは今一度考えなければなりません。
 神を中心において人間が完成していれば、人間の喜びは神の喜びであり、人間が享受する栄光は神の栄光となっていたはずです。しかし、人間が自らの喜びと栄光を神が望む基準から享受できなかった結果、人々には悲しみが始まったのです。
 そして罪を犯した人間として、その理念の園とはあまりにも遠くまで離れてきました。こうして離れた人々を再び見つけるための努力の歴史が「復帰摂理歴史」と呼ばれていることを皆さんはよく知っているでしょう。
 それでは、その摂理の園はどのような場所でしょうか? 創造主によって願われて建てられたすべての被造物が、その創造主の理念の中で統一的な栄光を楽しみながら生きている場所です。そのような目的を持った園でしたが、人間の堕落のために、私たち人間は統一された場所で統一の理念を持って神の栄光を歌うことができない場所に置かれてしまいました。
 そのため神は苦労の歴史を繰り返しながら、一つの統一された理念を確立するために長い歴史の過程を経て戦っていると私たちは理解すべきです。
 私たち人間自体を見ると、心と体が一つになり、一つの統一された自己を中心にして全人類が一つになるべきであり、同時に、人類が一つになった立場から自然の運行法則も統一し、さらには天運の法則も統一しなければならない責任があります。そして、私たちには天輪の運行法則と、天輪が動く運行率を一つにする重要な責任があるということです。
 私たちが栄光の新しいイデオロギーを達成し、栄光の新しい国を築くためには、自分の心と体を統一させなければなりません。そして、私を中心にして全体の人類が統一されるべきであり、さらにはこのすべての天地の運行法則と統一され、そして創造主が意志を経験する天輪とも一つにならなければなりません。
 そうでなければ、神の栄光はこの地、すなわち物質世界に現れることはありません。神の栄光が現れないならば、私たち人間は栄光の新しい国と呼ばれるものについてさえ考えることができないことを皆さんは知るべきです。
 このような栄光の新しい国を築くために、人類はどのような歴史の過程を経てきたかを考えると、長い間無限の闘争の歴史を経てきたことがわかります。
私たちは一つの立場で自然の運行法則と一体にならなければならず、同時には天の法則に合わせなければならない立場に置かれています。ですから、堕落した私たちには、闘争の歴史の中で自然の運行法則に合わせる必要があり、同時に天輪の法則に合わせる二つの分かれた責任が課せられています。そして、私たちの先祖がこの責任を果たすために努力したことを忘れてはなりません。
 歴史的なすべての進展過程、すなわち部族社会が部族から国家社会へ進展する段階では、必ずしも闇が支配していたことを皆さんは理解する必要があります。
 私たちが生きる上で直面するすべての死の権力に打ち勝ち、勝利した基盤の上でのみ生命を維持できるように、同様に歴史の進展過程、つまり部族から国家へ、国家から民族へと進展する段階では、必ずしも闇の力、すなわち反対の力が立ちはだかっていたことを理解する必要があります。
 それでは神は何を表現し、主宰されているのでしょうか? 堕落とは何かと言えば、統一性を失ったことです。心と体が分かれ、すべての自然の運行法則と天輪的な運行法則とイデオロギー全体が分かれ、千万の人々がすべて分かれたということです。これを統合するために、時代を通じて部族なら部族、または民族なら民族を中心にして、統一されたものを築き上げる歴史を、天はこれまでにしてきたことを理解しなければなりません。
 それゆえに、部族社会が部族から国家社会に変化し、いくつかの部族社会が集まって民族と国家を形成し、その後には連邦が形成されます。連邦とは、ある原則やイデオロギーを一つに結びつけ、統一的なイデオロギー領域を形成することです。こうして宇宙の運行秩序が維持されていました。
 皆さんは、この動く全宇宙の運行法則を自分の心で調和させると同時に、創造主が望むイデオロギーと法則との関係を築かなければなりません。そうでなければ、皆さんは最大の勝者にはなれず、最も人間らしい姿を持ち、全ての被造物の栄光の価値を代わりに担う資格を得ることができないことを理解する必要があります。
 神は多くの部族をまとめて部族を作り、部族をまとめて民族を作り、国家を連邦して一つの世界に統一していくが、このような摂理は創造の時に神が立てた男と女に結びついています。言い換えれば、始まりに神が人間に授けようとされた栄光の新しい国を築くために、神は帰還の摂理を行っているということを皆さんは知るべきです。
 それでは私たちの嘆きは何か?それは自分自身を中心にして全てが集中できる環境を持っていないことであり、自分が周囲の環境を集中させることができる自己として立てなかったことです。何がこれを作り出したのか?それは暗黒の力がこれを作り出したということです。隅々に線を引く心はあったとしても、この心を互いに通じ合わせることができなかったため、一つの部族または民族になり得る高い光、つまり朝の光や夕方の光といった存在を立て、これらの存在が夜の期間を通じての闘争の歴史の過程を経て現れるようになっています。
 今日、多くの使徒たちは現在の時期を終わりと言っています。今日、民主主義と共産主義の二つの陣営があり、そのうちのどちらか一方は朝を代替することができ、もう一方は夕方を代替することができるものです。これらの二つの陣営のどちらかが妨げられているものが何であるか、それを破る使命を皆さんが担わなければならないということです。
 世界のすべてが混沌として中心を掴むことができず、方向を定めることができない終末的な混沌の世界になりましたが、これを解消する責任が誰にあるかと言えば、それは神にあるわけではなく、自然にもあるわけでもなく、まさに私たち人間にあることを理解しなければなりません。
 神は人間に包括的な統一思想を達成する責任を与えた結果、人間たちは自然を研究する自然科学を一つの統一された形態に発展させており、宗教を通じて心の世界を統合しています。
 16世紀末には宗教と科学が分かれましたが、現代においては再び一つの目的を達成できる統一の段階に移行しています。ここで科学が最初に統一の形を取っているのは、アダムが完全な人間として創造されるまでに最初に体が作られ、後に生命が吹き込まれたように、創造の原則がそうであるからです。
 現代の科学の発展、つまり科学を中心とした現代文明は、統一的な外部のイデオロギーを達成しようとしています。それが世界的な統一のイデオロギー領域に至り、その次には内面的な側面で語り明かされる科学文明ではなく、心で明らかにされる宗教、つまり人間の本性と性格を明らかにする宗教と、全人類が一つになる内面の世界を築く使命を達成しなければなりません。
 今日、宗教と科学はお互いに対立している立場にあります。しかし、原則的にはそうではないということです。終わりには必ず体を持った後に生命を吹き込んで神に代わることができるアダムを創造されたことと同じく、この歴史の終末的な現象もそうして統一されなければならないということです。
 今日の外的な文明、20世紀の文明は、言葉と文字を通じて表現されてきました。神の希望である統一された理想の世界は、言葉で神のイデオロギーを実現するこの形態を備えた後に、心を代わりにする文明と相対的な中心を確立しておかなければなりません。そうでなければ、絶対に一つの世界に統一できないでしょう。
 それでは、どのようにして統一するのでしょうか?外的な文明と内的な文明を統一することができる統一的なイデオロギーがあるとしても、これは論理的には統一されず、ここでもこれを妨げる暗黒の力が存在することです。
 したがって、これを破壊する闘争の労力を先に経なければならないということです。だからこそ今日の世紀末的な二つの儀式がどちらか一つを担当しているのです。すなわち、一方は神の内面を担当しており、もう一方は神の外面を象徴的に担当しています。
 心の中心を代わりにする方が民主主義陣営であるならば、この民主陣営は外部の部分を代わりに担当する共産陣営が自動的に一つの意志を立て、一つの目標に向かって動くことを可能にする必要があります。それができるときが来ていない場合は、天運はどうしても動くことができないのです。
 このように見ると、今日の自然科学だけでなく、宗教的な分野でもこれ以上進むことができない段階に入っているということです。互いに手を触れ合うことができないこのような時に、命令を出しても従わない場合は壊してでも責任を取り、飛躍させる新しい何かが現れなければならない時が来たということです。これを皆さんは理解する必要があります。
 では、新しい国の栄光を持つ者はどのような人物でしょうか?どんなに新しい時代が訪れようとも、自分自身が心を中心にし、そして心と体を中心にして自分の生活環境を一つにするための指導的で主観的な役割を果たせなければならないということです。
 つまり、人倫全体を代表できる勝利的な実績を皆さん自身が見つけて立てれば、その発見は人倫だけでなく、天倫を代表して理路に通じる中心として立ち、人倫的な社会のすべてを代表して立ち上がり、自然のすべての運行法則を代わりに動かすことになります。そうでなければなりません。
 天はこれらの二つの陣営が互いにぶつかる戦いを展開しようとしています。そのため、皆さんはやはり暗黒を打破するための戦いの時期を避けて通ることはできません。このような世界的で宇宙的な戦いの時期が近づくこの時に、皆さんは個体個体もまた天倫の法則を外れることができない連合として、何も知らずにそのような恐怖に巻き込まれることを理解しなければなりません。
 そのような時にも、すべての暗黒の力が自分を巻き込むことを阻止し越える中心を立てなければなりません。今日の20世紀の科学文明が急激に飛躍しているように、皆さん自身もそれに支援を合わせて内面の人格を築かなければならないこの立場にある連合として、内面からも新しい革新的な基準を立て、すべてが巻き込まれようとも中心を押さえ、しっかりと進むことができなければなりません。
 このような中心を持たなければ、皆さんは人類の歴史の中で最後の勝者になりえず、結局は敗者となる怖い時がやってくることを理解しなければなりません。
 神の意志も進化的で革新的な過程を経て現れています。神は旧約時代以前には犠牲を通じて天倫との関係を築く歴史を創り出し、旧約時代には律法として秩序の歴史を展開してきました。
 もし律法が一つの統一的なイデオロギーとして現れ、それをまた天の意志として切望する存在が現れていれば、帰還の法則は言うまでもなく短縮されていたでしょう。しかし、そうならなかったため、律法で外的な条件を設けた後、イエスを送り、彼の肉体を外的な条件として、その霊的な存在を内的な条件として築いて現れたことを理解しなければなりません。
 今日までイエスは信仰の対象として現れていますが、それで止まれば神の法則は完成を見ることができません。この地上で統一のイデオロギーを築き上げ、その仕事を完成させるためには、イエスがその使命を完了できるようになるでしょう。
 外的な科学の発展とともに、内的な条件も一つの統一のイデオロギーとして現れる存在がいれば、既に神を中心とする統一国家が樹立されていたでしょう。
 皆さんがイエスを信仰の目標として持つことも良いでしょう。しかし、ますます皆さん自身がその信仰と信念の実体となり、生活の面でイエスのようにならなければならないことです。こうして自分自身が動く時、全ての自然が動き、全世界が喜べる存在とならなければなりません。そうでなければ新たな栄光の国とは無縁でしょう。新しい国にも指導者がいて、その民がいます。したがって、最初にはその民となり、その指導者を迎え、新しい国を築かなければなりません。
 そして、新しい国を築くことを妨げている闇の力を打ち倒すことができなければなりません。では、私たちの前にどのような戦いがあるでしょうか?イエスの前には血を流す戦いの試練がありました。つまり、イエスが壮大な使命を果たすためにはそのような困難な戦いの試練があったということです。今度は完成的な使命を果たすべく皆さんにも、それ以上の大きな戦いの試練が訪れることになるでしょう。
 皆さんはこれを再考しなければなりません。そうすれば、宇宙的な戦いで勝利し、外的な自然を自分の体とし、神の意志を統一の内的な心として採り入れなければなりません。こうして天倫を自分の心とし、その基盤の上に自分の体となった自然を統一しなければならないということです。
 皆さん一人ひとりにはそれぞれの運命があります。また国にも国としての運命があり、天にも天としての運命があるのです。したがって、個人の信念を国家の信念に、国家の信念を天上的な信念に統一していく必要があります。
堕落した人間には戦いの歴史が避けられません。今日の神様とイエス様は私に対して愛だけを与えておられるのではありません。愛の神、愛のイエス様は、私に対して試練と苦しみをもたらすさばきの神、さばきのイエス様でもあるということです。
 そのため、ここに集まる皆さんは、天に対して己を持って示せる何かを持っていますか?ない場合は、私自身が天に対して立てる条件を見つけなければなりません。
 終末の時代である今日、自己のイデオロギーを持ち、自分を持って立てることのできる人はいません。それが可能なのは唯一、天徳のイデオロギーを持つ人々だけです。それゆえに、人間には恐怖と不安と嘆きと心配があるのです。
こうしたときに人徳を保ち、天徳を保ち、自己を持って立つことのできる天敵的なイデオロギーを持つ人がいれば、その人は誰よりも最上の位置に立つでしょう。そうした人の前には、すべてが論理的に、自動的に歴史として現れるでしょう。
 人間が堕落したため、人間に大きなものを与えるためには、最初に大きな苦しみと試練を与えざるを得ない矛盾した歴史があるとされています。皆さんの中で己に迫るすべての試練を見て失望する人がいますか?そうした人は、天の悲しみを知らない人であり、地上で悲しみが消え去るとき、一緒に消え去ることでしょう。
 このような戦いの中で、神の代わりにサタンとの戦いを引き受け、天徳の前に自分を示した方がいました。それは天の使徒であるイエス様でした。
そのため、終末の時代に直面した今日の歴史も同様の形で現れるでしょう。皆さんは時代的なすべての戦いを制し、超えた立場から天徳との関係を結ぶべきです。
 いずれ闇の死の権力が世界的な罠として現れるでしょうから、我々はこれを破り、踏み越えなければなりません。これはどの良心やどの倫理でもできることではなく、ただ天徳のイデオロギーを見つけ、築かなければならないことです。
 それゆえ、終末には宗教であろうと科学であろうと哲学であろうと、どんなものであれ、このような天倫の理念との関係を結ぶことができないと言う者であれば、天はこれを天倫に従って粉砕するでしょう。イエスの前に現れたバプティスト・ヨハネは、知的な意味でイエスよりも高い位置にあったにもかかわらず、イエスは彼を見て従いなさいと言いました。それはヨハネが自己を中心に置いたが、イエスは永遠を持って自分に従える天倫の理念を持っていたからです。このような天倫の理念だけが終末に新しい楽園の新しい栄光との関係を築いてくれることを心に留めておくべきです。



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