
雨晴海岸国道脇にある"もみじ姫公園" ここは、トンネル工事の際に旧道との間のスペースを利用した公園。ここからは雨晴海岸を眺めることが出来る。
ここから奥の谷を紅葉谷と呼んだのだろう?
もみじ姫の名前の由来には悲しい伝説がある。 もみじ姫伝説 「紅葉橋由緒記」に次のような話が伝えられている。
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その場所に太郎は小さな墓を建て、このようなことが二度と起きないようにと橋を架(か)けた。それは紅葉橋と名付けられ、谷をいつしか人々は紅葉谷と呼ぶようになった。
そのあたりは秋ともなると、姫の生まれ変わりであろうか、山一面の紅葉が目も綾(あや)に色づく景勝の地となり、墓の傍(かたわら)にあったという栗の木は以来決して実をつけることがなかったという。

『高岡の伝承―児童文化シリーズ第五集』
編著 高岡市児童文化協会
発行 高岡市教育委員会
もみじ姫伝説より「もみじ姫伝説全体はこちらをご覧ください」