加賀藩の所領加賀、能登、越中の魅力、海越しに観る山々、風光明媚なシーサイド・ラインの風景・出来事を写真で紹介する。
金澤・能登立山シーサイド・ライン




旧秋元家住宅

下記:高岡市伏木北前船資料館パンフより 高岡市教育委員会発行

伏木と秋元家の歴史

 伏木は、小矢部川の河口に位置し、遠く古代から知られた日本海沿岸屈指の良港です。18世紀に入ると、能登屋(藤井家)や鶴屋(堀田家)西海屋(堀家)など、自ら渡海船を所有し交易業を営む有力な船問屋が台頭してきました。渡海船は、大阪から瀬戸内海を通り、下関を廻って日本海に入り、北は松前(北海道)まで、各港で買積した商品を売りさばきました。この渡海船を大阪や瀬戸内ては北前船と呼び、この辺りでは買船(ばいせん)と呼んでいました。明冶に入って和船から汽船の時代を迎えると、能登屋4代目藤井能三は灯台や測候所を設置するなど、近代伏木港の礎を築きました。

 秋元家は、文化年間(1804~1818)以前より現在地で海運を家業とした旧家です。屋号は本江屋で当初は船頭や水主(かこ)などの宿泊施設(小宿)でしたが、時代が下るにつれて長生丸や幸徳丸といった船を持つ廻船問屋として繁栄しました。

高岡市指定文化財 旧秋元家住宅

 主屋は、明冶20年(1887)の大火で焼失し、その後 元通りに建て直されたと伝えられています。土蔵は江戸時代後期まで建築年代がさかのぼるものと推定きれます。

 主屋は、切妻造り、一部2階建 妻入りて、梁や束 黒壁の構成か美しいアズマダチの形式を採り入れています。内部は、オモテザシキやオクザシキ、チャシツなど整った室内構成を持ち、数寄屋風の繊細な造りとなっています。
土蔵は二階建て調度蔵と衣装蔵の屋根の上には、港への船の出入りを見張るための望楼が設けられています。 秋元家に伝わる古文書には 安政4年(1857)に加賀藩の重役一行が海岸視察に訪れ、当家で休息した折、蔵前2階へ上って遠眼鏡て港を眺めたということが記されています。現在市内で望楼が残されているのは、この建物だけです。
 旧秋元家住宅は、民家としては建築年代も古く、かつて北前船て繁栄した伏木の廻船問屋の数少ない遺構として貴重なものであると評価され、平成10年7月1日に高岡市指定文化財に指定されました。

以上パンフレットから


江戸時代末ごろの伏木浦
北前船の帆柱が林立し、対岸の六渡寺にも繋船されていたことがわかる(筆者不明、高岡市立伏木小学校蔵)


調度蔵・衣装蔵は展示室になっており、衣装蔵には、北前船の航海用具船主の生活用具、調度蔵には、全国各地の引札が展示してあります。

北前船模型


北前船の絵馬
祈願のため生きた馬のかわりに、馬をはじめいろいろな絵を描いて寺社に奉納するようになったのが絵馬である。


引札:現代風に言えば商店の広告チラシのことで、江戸時代中ごろから明治にかけて作られた。恵比寿や宝船など縁起の良いものや暦が刷り込まれた。(高岡市伏木北前船資料館パンフより)

参考:『たかおか―歴史との出会い―』高岡市政一〇〇年記念誌編集委員会
   高岡市伏木北前船資料館パンフより 高岡市教育委員会発行

望楼のある廻船問屋 その三
望楼のある廻船問屋 その二
望楼のある廻船問屋

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