加賀藩の所領加賀、能登、越中の魅力、海越しに観る山々、風光明媚なシーサイド・ラインの風景・出来事を写真で紹介する。
金澤・能登立山シーサイド・ライン



北前船(買船)はさまざまな物、情報を運んだ。

情報網が発達していなっかた当時、引札、船員の口伝えに情報が全国に伝わっていったのだろう。

引札をもっとじっくり読むことが出来れば当時の様子が見えてくるかも。

引札文化はさまざまなところで発達している。
京都の宇治田「原田村資料館」に所蔵されている引札。単なるチラシの域から脱し、イラスト、アート、芸術と言ってもよい。

 

 

上記画像:月間「茶の間」第二八巻一号より

DATA

田村資料館
〒6100255
京都府綴喜郡宇治田原町大字郷之口小字宇治山13
会館:春・秋 火曜休
TEL 0774-88-3855

書籍
引札―田村コレクション
引札を多数集めている京都府宇治の田村資料館の所蔵品を収載。オールカラー。
編集:花林舎 出版社:京都書院
 
北前船(買船)で運んだものと言えば、前にも紹介した。勝興寺の「唐門」

以下 『たかおか―歴史との出会い―』 平成三年(一九九一)十二月発行
   編集者 高岡市政一〇〇年記念誌編集委員会 発行者 高岡市 より


この門は京都の興正寺(こうしょうじ)の門であった。
現在地に移築(いちく)されたのは明治二十六年(一八九三)で、敷石(しきいし)もろとも京都で買い受け、運搬(うんぱん)には北前船(きたまえぶね)が用いられた。


勝興寺のページ(一部抜粋)はこちらから>>>

とある。

まだ陸上の交通網が発達していなかった当時、海上交通が物流を担っていなかったのだろう。

北前船の模型を見るからのそれほど大きくはない、時化による遭難等リスクは大きかったことだろう。
そんな危険を顧みず船主、海の男たちは、日本の文化を伝え築き上げてきたのかもしれない。

石川県新情報書府のサイトの「北前船~未来海道ものがたり~」で紹介している。

望楼のある廻船問屋 その三
望楼のある廻船問屋 その二
望楼のある廻船問屋


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )