加賀藩の所領加賀、能登、越中の魅力、海越しに観る山々、風光明媚なシーサイド・ラインの風景・出来事を写真で紹介する。
金澤・能登立山シーサイド・ライン



越中万葉の里 「越中国分寺跡」
高岡は伏木十間道路を気多神社を目印に進むと、50メートルばかり入ったところにひっそりとお堂が建つ。薬師堂である。その横に越中国分寺跡と説明板。この説明板がなければ気が付かない。
薬師堂の横にはタブに木とケヤキ、それらを取り囲むように石仏が並ぶ。
国分寺を思わせるものが何もない。
説明板にあるように発掘調査で奈良時代様式の軒丸瓦、軒平瓦、鉄製扉、鉄鋲、須恵器、土師器、などが発見され、昭和41年再調査で鐙瓦、唐草瓦、宇瓦などが出土している。
また、堂南東の塔跡と思える基壇、堂の正面から西南の向かって国分道が残っているが、ここが国分寺跡と確定するには資料が不足するそうだ。


 



堂内には(下記高岡市史より)
文珠菩薩(もんじゅぼさつ)  一尺六寸二分(四九糎)    鎌倉期
地蔵菩薩            三尺五寸四分(一〇七糎)   鎌倉期
毘沙門天(びしゃもんてん)  四尺七寸(一四二糎)     鎌倉期
帝釈天   二尺一寸(六九糎)      弘仁末期
天部像   五尺七寸(一七三糎)     弘仁期
天部像   四尺六寸(一四九糎)     弘仁期
などが安置されているが、三十三年目のご開帳にしか拝むことは出来ない。




仏像:左から文珠菩薩 、地蔵菩薩、 毘沙門天 、帝釈天、 天部像、 天部像


豪壮華麗だったであろう国分寺、このまま歴史の中に眠らせてしまうには惜しいような気がする。ここに、越中国分寺の全容を明らかにするにも、ここに住む人々の熱い思いがなければ成し遂げられないだろう。




上記写真は七尾市にある能登国分寺跡である。昭和45年頃から発掘調査が行われ平成に入り整備事業が行われ能登国分寺公園としてオープンしている。
幸いに農地として残っていたため用地の取得発掘もうまく進んだのであろう。





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