かなり興味深かったので以下、トライセラトップスのボーカル和田唱のツイートを引用。
別に久々にディズニーランドに行ったわけではない。なんなら年に一度は行ってる。
でもやっぱりここ最近の甚だしいリニューアルに寂しい思いをしてるのは俺だけじゃないはず。
今からウザいくらいそれについて呟きます。
意味も無く「昔は良かった」なんて言うつもりはない。
昔のものも今のものも、良いものは良い。
変わっていいところと変わらなくていいところがあるんだと思う。
良い部分は変えない方がいい。
で、今の東京ディズニーランドに感じるのは、かつてあった「大人っぽさ」と「本物感」の減退だ。
ミート・ザ・ワールドの名前を昨日出したのはあくまでシャレでw
ああいう日本のオリジナルアトラクションの必要性はディズニーランドにおいては感じない。
だから異論はあれど、なくなって良かったと思う。
なぜならディズニーランドはあくまで「憧れのアメリカ」であっていいと思うから。
好き嫌いは別として、ことエンターテイメントの世界においてアメリカはやっぱりスゴいのであって、
そこに日本風な味付けはいらないと思うのだ。
だからアトラクションは全部英語でいいと昔から思ってる。
子供達に「意味」を伝えるよりも、本物を「体感」させた方がはるかに大事じゃないか。
話がそれてしまった。
俺が指摘したかったのは、ディズニーランドが「本物」な部分を最近変えてしまったことについて。
例えば「カリブの海賊」はあのアトラクション発信でジョニー・デップの映画になった。
それを数年前、逆輸入形式で、アトラクションに映画の要素を加えてしまった。
俺は中途半端になったと思う。
クラシカルな味わいとジョニー・デップ達の新しい要素がうまくブレンドされてないと思う。
カリブの海賊はウォルト・ディズニーが生前最後に関わったアトラクションだ。('67年オープン)
だから冒涜とまでは言わないけど、オリジナルが恋しい。
だったらホーンテッド・マンションの"ナイトメアー仕様"のように期間限定でやればいいのに(あれは最高だ)と思うが、
俺が言ったところでどうしようもない。
ラッキーなのはオリジナルをかつて何度も味わえたこと。
記憶の中にあればいいか...次点、魅惑のチキルーム!"チキルーム"は若かりし頃は地味で好きではかった。
もちろんあの雰囲気も歌も覚えているが。
ところが本家のディズニーランドにもオープン当初からある事を知って、その歴史的価値を味わいたくて入ってみる。
ところが現在のチキルームはまるっきり「別もの」なのだ。冒涜の域である。
あっ!あとジャングル・クルーズの"サム"分かる?
手にぶら下げてるのが干し首じゃなくてバナナになった!ダメだろ干し首じゃなきゃw
子供への影響?時代的にどうのこうの?ファックだろそんなの。
俺は干し首を見てすくすく育ったぞ!子供に「本物」を見せなきゃいけないのに。
ジャングル・クルーズで付け加えさせて頂くなら船長があまりに「下手」になった。
かつてない最低ランクと言っていい。
(上手い人もいるだろうが) もうセリフでくだらない冗談を言わせるのはほどほどにして
「本気でクルージング」させる指導をディズニーのスタッフは行なうべきだ。
...そろそろディズニーランド出入り禁止になりそうなのでww
最後にスペース・マウンテン。
数年前である。どうして変えてしまったんだろう?
レールや動き自体は変わってない。
装飾品、ライティングにロゴマーク、とにかく世界観が一変してしまったのだ。
これはでかい。スペース・マウンテンはスペースシャトルの世界観だった。
本家でオープンした'77年からずっとそうだった。言うなれば宇宙と言えど「現実」の世界だ。
ところが最近になって「エイリアン」か「インデペンデンス・デイ」みたいな現実離れした世界観になってしまったのだ!
本家もそうなの!?エネルギーとか分子って言葉が似合う系!?行った人は分かってくれるでしょう!
並んでる時に真っ暗なガラスの向こうに見えた派手な流星群もなくなり、
乗り場にドカーンとあったスペースシャトルも今は宇宙人が乗るような宇宙船に変わってしまった。
あれじゃジョイポリスである。
タイムレスだったクールな旧ロゴはダサいロゴに変わってしまった。
上がってく時の赤い光のシャワーも、
コースターが宇宙空間に飛び出したとき左にあった赤い球体(俺はあれが怖かった)も無くなった。
当然、出口のところにあった、いつのだよ!っていう古い家族写真のパネルも無くなった。
...本当にウザいほど呟いてしまった。
「今」だって悪いわけじゃない。
プーさんのハニーハントは最高だし、ミッキーのフィルハーマジック(最近出来たやつ)はよく出来てる!
予想を裏切る設定がいい。ミッキーの~と銘打っておいて・・まだの人は是非。
ただし3Dなので良い位置で!グッバイ。
なるほど、しかし正直ディズニーに関しては、
まともに行ったのが、当時の同期と行った2年前だったりするから、
個人的にはお話になりませんが、言いたいことや気持ちはよく分かる。
そこで思うのはこの一年、自分の中で大きく変化したことの1つが『憧れのアメリカ』だった。
なにを隠そう今年の夏にNYへ行ったのは、
自分の中でアメリカという国の文化やなんたらに(今更ながら)興味や憧れを抱いたから他ならない。
しかしそれはむしろ過去の自分からしたら、忌み嫌う価値観だった。
何がそうさせたのか分からないのだが、
とりあえず旅行前後の自分は9.11から10年という節目なのだからと勝手に息巻いていた。
そして今ではすっかり憧れのアメリカなどと言い出す始末だから参ったものだ。
話は上記のディズニーへ戻るが、この夏実際にNYへ行って感じたことは矛盾するようだが、
やっぱNY(=アメリカ?)すげぇ!と思うと同時に、あぁなんだ案外こんなものかって。
それはもちろん数日間でなにが分かるのだという話だが、
今やもう『本物』はないのかもしれないと、無意識のうちに感じていたのもかもしれない。
そんなことにこのディズニーの話から気付かされ、9.11以前は違ったのかもと想像妄想が膨らむのだ。
アメリカの縦断か横断かしらないけど、
全米ツアーは是非ともやってみたいところです。
それはそうとちゃんと観たかったな、今晩の皆既月食。
悲しいこと、嬉しいこと、悲喜こもごも。全てひっくるめてくよ。全てね。
別に久々にディズニーランドに行ったわけではない。なんなら年に一度は行ってる。
でもやっぱりここ最近の甚だしいリニューアルに寂しい思いをしてるのは俺だけじゃないはず。
今からウザいくらいそれについて呟きます。
意味も無く「昔は良かった」なんて言うつもりはない。
昔のものも今のものも、良いものは良い。
変わっていいところと変わらなくていいところがあるんだと思う。
良い部分は変えない方がいい。
で、今の東京ディズニーランドに感じるのは、かつてあった「大人っぽさ」と「本物感」の減退だ。
ミート・ザ・ワールドの名前を昨日出したのはあくまでシャレでw
ああいう日本のオリジナルアトラクションの必要性はディズニーランドにおいては感じない。
だから異論はあれど、なくなって良かったと思う。
なぜならディズニーランドはあくまで「憧れのアメリカ」であっていいと思うから。
好き嫌いは別として、ことエンターテイメントの世界においてアメリカはやっぱりスゴいのであって、
そこに日本風な味付けはいらないと思うのだ。
だからアトラクションは全部英語でいいと昔から思ってる。
子供達に「意味」を伝えるよりも、本物を「体感」させた方がはるかに大事じゃないか。
話がそれてしまった。
俺が指摘したかったのは、ディズニーランドが「本物」な部分を最近変えてしまったことについて。
例えば「カリブの海賊」はあのアトラクション発信でジョニー・デップの映画になった。
それを数年前、逆輸入形式で、アトラクションに映画の要素を加えてしまった。
俺は中途半端になったと思う。
クラシカルな味わいとジョニー・デップ達の新しい要素がうまくブレンドされてないと思う。
カリブの海賊はウォルト・ディズニーが生前最後に関わったアトラクションだ。('67年オープン)
だから冒涜とまでは言わないけど、オリジナルが恋しい。
だったらホーンテッド・マンションの"ナイトメアー仕様"のように期間限定でやればいいのに(あれは最高だ)と思うが、
俺が言ったところでどうしようもない。
ラッキーなのはオリジナルをかつて何度も味わえたこと。
記憶の中にあればいいか...次点、魅惑のチキルーム!"チキルーム"は若かりし頃は地味で好きではかった。
もちろんあの雰囲気も歌も覚えているが。
ところが本家のディズニーランドにもオープン当初からある事を知って、その歴史的価値を味わいたくて入ってみる。
ところが現在のチキルームはまるっきり「別もの」なのだ。冒涜の域である。
あっ!あとジャングル・クルーズの"サム"分かる?
手にぶら下げてるのが干し首じゃなくてバナナになった!ダメだろ干し首じゃなきゃw
子供への影響?時代的にどうのこうの?ファックだろそんなの。
俺は干し首を見てすくすく育ったぞ!子供に「本物」を見せなきゃいけないのに。
ジャングル・クルーズで付け加えさせて頂くなら船長があまりに「下手」になった。
かつてない最低ランクと言っていい。
(上手い人もいるだろうが) もうセリフでくだらない冗談を言わせるのはほどほどにして
「本気でクルージング」させる指導をディズニーのスタッフは行なうべきだ。
...そろそろディズニーランド出入り禁止になりそうなのでww
最後にスペース・マウンテン。
数年前である。どうして変えてしまったんだろう?
レールや動き自体は変わってない。
装飾品、ライティングにロゴマーク、とにかく世界観が一変してしまったのだ。
これはでかい。スペース・マウンテンはスペースシャトルの世界観だった。
本家でオープンした'77年からずっとそうだった。言うなれば宇宙と言えど「現実」の世界だ。
ところが最近になって「エイリアン」か「インデペンデンス・デイ」みたいな現実離れした世界観になってしまったのだ!
本家もそうなの!?エネルギーとか分子って言葉が似合う系!?行った人は分かってくれるでしょう!
並んでる時に真っ暗なガラスの向こうに見えた派手な流星群もなくなり、
乗り場にドカーンとあったスペースシャトルも今は宇宙人が乗るような宇宙船に変わってしまった。
あれじゃジョイポリスである。
タイムレスだったクールな旧ロゴはダサいロゴに変わってしまった。
上がってく時の赤い光のシャワーも、
コースターが宇宙空間に飛び出したとき左にあった赤い球体(俺はあれが怖かった)も無くなった。
当然、出口のところにあった、いつのだよ!っていう古い家族写真のパネルも無くなった。
...本当にウザいほど呟いてしまった。
「今」だって悪いわけじゃない。
プーさんのハニーハントは最高だし、ミッキーのフィルハーマジック(最近出来たやつ)はよく出来てる!
予想を裏切る設定がいい。ミッキーの~と銘打っておいて・・まだの人は是非。
ただし3Dなので良い位置で!グッバイ。
なるほど、しかし正直ディズニーに関しては、
まともに行ったのが、当時の同期と行った2年前だったりするから、
個人的にはお話になりませんが、言いたいことや気持ちはよく分かる。
そこで思うのはこの一年、自分の中で大きく変化したことの1つが『憧れのアメリカ』だった。
なにを隠そう今年の夏にNYへ行ったのは、
自分の中でアメリカという国の文化やなんたらに(今更ながら)興味や憧れを抱いたから他ならない。
しかしそれはむしろ過去の自分からしたら、忌み嫌う価値観だった。
何がそうさせたのか分からないのだが、
とりあえず旅行前後の自分は9.11から10年という節目なのだからと勝手に息巻いていた。
そして今ではすっかり憧れのアメリカなどと言い出す始末だから参ったものだ。
話は上記のディズニーへ戻るが、この夏実際にNYへ行って感じたことは矛盾するようだが、
やっぱNY(=アメリカ?)すげぇ!と思うと同時に、あぁなんだ案外こんなものかって。
それはもちろん数日間でなにが分かるのだという話だが、
今やもう『本物』はないのかもしれないと、無意識のうちに感じていたのもかもしれない。
そんなことにこのディズニーの話から気付かされ、9.11以前は違ったのかもと想像妄想が膨らむのだ。
アメリカの縦断か横断かしらないけど、
全米ツアーは是非ともやってみたいところです。
それはそうとちゃんと観たかったな、今晩の皆既月食。
悲しいこと、嬉しいこと、悲喜こもごも。全てひっくるめてくよ。全てね。
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