改めて振り返ってみると、前回の北京って記録もなければ記憶もないのね。流石に驚いた。
以下、英国メディアが冷静に批評する「関塚ジャパンの実力」(8月9日Sportiva)から引用
英国代表が男女ともに8強で姿を消した直後、現地メディアの目はメダル候補の他競技へと向けられ、サッカーへの関心度は一気に冷めた。
<中略>
BBCのハイライト番組では、今大会のサッカー日本男子の躍進が「幸運」によるものであると分析された。大会前から下馬評の低かった日本は、1次リーグを首位通過したことでブックメーカーの優勝オッズがブラジルに次ぐ2位に急上昇してはいたが、この快進撃について「対戦チーム側の数奇な運命が結果に作用していた」と評したのは、英ミラー紙の記者ホルト氏だ。同氏はエジプト戦直後の番組で次のように分析していた。
「日本は1次リーグから運を味方につけていた。スペイン戦では絶不調の相手に不運な退場も重なり、エジプト戦でも相手が退場者と交代枠使用後の負傷者を出して自滅するという運に恵まれた。エジプトと2戦目のモロッコは、ラマダン(=断食中)という要因もあった。今大会では、セネガルとUAEを含む4チームがラマダンの影響を受けており、エジプトもまた、本調子にはほど遠かったと言える。メキシコ戦では日本の真の実力が見られるだろう」
日本は、初戦でスペインに勝利すると続くモロッコ戦にも勝って2連勝。早々にグループリーグ通過を決め、第3戦のホンジュラス戦では過密日程を考慮して、主力を休ませることもできた。そして、エジプトとの準々決勝では、日本の前半のプレイは評価もされていた。前述のキーオン氏は、「日本は要所で巧みなパス回しを見せた。ボールを失った後も、素早く自陣に戻り、人数をかけて守備をしていた。ボールの取りどころを選び、前線から素早いプレスをかけ、ボールを奪っていた」と称賛。とはいえ、エジプトも断食中だっただけに、ここでも「運が味方した」と英国メディアは手厳しかった。
<中略>
コリアタイムズ紙は「初の五輪メダルを懸け、永遠の宿敵日本と対戦」という見出しを付け、3位決定戦について、「メダル獲得は兵役免除というボーナスが付く。海外のクラブは兵役を煙たがって(韓国人選手と)長期契約を結ばない傾向にあるが、ここでメダルが獲れれば、その問題も解決するだろう」と、選手のモチベーションが高まっていると報じている。
一方で、英国メディアが評したような「幸運」を、日本はまた呼び込むことができるのか、注目が集まる。
以下、因縁渦巻く韓国戦、関塚ジャパンが超えるべき高い壁(8月10日スポーツナビ)から引用
<中略>
くしくも、関塚ジャパンのメンバーはホン・ミョンボ監督率いるU-23韓国代表に大きな因縁がある。2008年、GK権田修一がキャプテンを務めるU-19日本代表は、サウジアラビアの地で、翌年にエジプトで行われるU-20ワールドカップ(W杯)の出場権を懸けて、アジア最終予選に臨んでいた。エース永井謙佑の活躍で、順当にグループリーグを首位で突破し、勝てば出場権獲得という重要な一戦を迎えた。相手はU-19韓国代表である。
<中略>
この時、完全に波にのまれてしまっていたチームメイトに対し、権田は何度も叫んだ。
「焦るな! 怖がるな!」
しかし、選手たちは焦っていたし、恐れていた。
「ボールが来なかった。ロングボールを追いかけてもフォローがない状態だった」
前線で孤立し続けた永井謙佑が語ったように、日本の勝機はゼロに等しかった。試合はほぼハーフコートゲームとなり、21分、84分、後半アディショナルタイムに失点し、0-3の敗戦。8大会連続となるU-20W杯出場がついえたショックもさることながら、韓国のシュート本数が16に対し、日本はわずか1という数字が示す、なすすべなき完敗のショックはそれ以上に大きかった。
<中略>
屈辱の完敗から2年後の2010年10月。2011年のコロンビアU-20W杯を懸けたAFC U-19選手権に、U-19日本代表は挑んでいた。前回同様にグループリーグは順当に1位通過を果たした。しかし、出場権を懸けた準々決勝の対戦相手はまたも韓国。前回のリベンジを果たすべく、若き日本代表はこの一戦に挑んだ。韓国の戦力は前回に比べれば落ちていた。戦術も前線の屈強な2トップにロングボールを放り込むシンプルなものであった。2トップを目がけるロングボールにさえ気を付ければ、勝てる相手であった。しかし、結果はそのロングボールに沈んだ。
2-3で敗戦が決まった瞬間、宇佐美はその場に座り込み、声を挙げて泣いた。その宇佐美に杉本が歩み寄る。試合後、ロッカールームから宇佐美が出てくるが、上にジャージを羽織った以外は、試合後のままだった。うなだれながら、報道陣の前を通り過ぎようとする宇佐美を、チーム関係者が呼び止めて、取材を受けさせる一幕があるほど、宇佐美は打ちひしがれていた。実力的な完敗と、パワーで完全に押し切られての2つの敗戦。この代償は大きかった。育成世代において、何よりも必要とされるのが『質の高い経験』だ。2大会連続でU-20W杯出場を逃したことで、彼らはこの経験を得ることができなかった。
<中略>
そして、3位決定戦の相手は何の因果か韓国となった。元U-19韓国代表で当時のアジア最終予選に出場していたキム・ボギョン、ク・ジャチョルらは今大会のメンバーにも名を連ねている。08年の韓国戦後、権田が目を真っ赤にはらしながらこう語った言葉が忘れられない。
「悔しい。悔しいという言葉しか出てこない。これは神様が『ロンドンで借りを返せ』と言っていると思う。この悔しさをこれから先、絶対に忘れたくないし、ロンドンにつなげていかないと意味がない。ロンドン五輪に絶対に出て、結果を残すことを意識して、これからやっていきたい」
同じように、10年の韓国戦後、酒井は目に涙を浮かべながらこう口にした。
「単純に力不足。勝つということにこだわれば、違う戦い方もあったと思う。本当に悔しいです。この悔しさは絶対にロンドン五輪につなげていきたい」
あまりに残酷な幕切れでした。後半、追加点が入った時は思わずテレビを消してしまいました。その後、寝起きで吉田選手のインタビューを見たら完全に泣けた。
今回の世代はメディアは当然にしても協会からも見放された感が凄くて、東アジア大会から五輪にかけての盛り上がる、盛り上げようとする空気は皆無で。しかし実際ふたを開けてみれば、どの大会においても過去最高の成績を残してきたのは変えようもない事実で、それは当事者が自らの置かれた立場を自覚して奮起した結果なのでしょう。だからこそ今日の結果は絶対にメンタル的なレベルの話ではないと思うんです。結果論で言うのは趣味じゃないけど、もっと上を目指す為にやれることはあったはずで、韓国の体制を見ているとその想いは強くなるばかりです。そんな意味でも悔しい。
しかしわーわー言っても自分だって全敗を覚悟していたわけだから、今じゃあんなにオリンピックを楽しませてくれた選手へ感謝の気持ちしかないです。この歳になって無粋なナショナリズムを振りかざす気はさらさらありませんが、それでも日韓戦に対して特別な感情を抱いてしまうのは、はるか昔からの潜在的な刷り込みなのでしょうか。いや、ここ数年のこの季節特有の騒ぎのせいかもな。
でも自分が年をとったのは間違いなくて、サッカーに限らずオリンピックを見ていると凄い変化を感じましたね。水泳の北島選手なんてシドニーからずっと追い掛けた選手だったから、メドレーなんか見ていて正直泣きそうでした。今回は個人、団体問わず、競技ごとにチーム感を大切にしていて、それこそアメリカを参考にしたにせよ、良い意味で日本らしくて勉強にもなった。一人では戦えないからだって。さっきも書いたけど、恐ろしいくらいに前回の北京の記憶がないから、今回はやたら胸に突き刺さった。ロンドンって土地柄も相まって、ホントに忘れられないオリンピックに。行けば良かったって話こそ結果論だ。
銀座の閉店、フジの来日、ゼミの結婚。もうこれでもかってくらいに。
夢のような時間はもうおしまいです。いや終わりじゃなくて、それこそ始まりって話か。
以下、英国メディアが冷静に批評する「関塚ジャパンの実力」(8月9日Sportiva)から引用
英国代表が男女ともに8強で姿を消した直後、現地メディアの目はメダル候補の他競技へと向けられ、サッカーへの関心度は一気に冷めた。
<中略>
BBCのハイライト番組では、今大会のサッカー日本男子の躍進が「幸運」によるものであると分析された。大会前から下馬評の低かった日本は、1次リーグを首位通過したことでブックメーカーの優勝オッズがブラジルに次ぐ2位に急上昇してはいたが、この快進撃について「対戦チーム側の数奇な運命が結果に作用していた」と評したのは、英ミラー紙の記者ホルト氏だ。同氏はエジプト戦直後の番組で次のように分析していた。
「日本は1次リーグから運を味方につけていた。スペイン戦では絶不調の相手に不運な退場も重なり、エジプト戦でも相手が退場者と交代枠使用後の負傷者を出して自滅するという運に恵まれた。エジプトと2戦目のモロッコは、ラマダン(=断食中)という要因もあった。今大会では、セネガルとUAEを含む4チームがラマダンの影響を受けており、エジプトもまた、本調子にはほど遠かったと言える。メキシコ戦では日本の真の実力が見られるだろう」
日本は、初戦でスペインに勝利すると続くモロッコ戦にも勝って2連勝。早々にグループリーグ通過を決め、第3戦のホンジュラス戦では過密日程を考慮して、主力を休ませることもできた。そして、エジプトとの準々決勝では、日本の前半のプレイは評価もされていた。前述のキーオン氏は、「日本は要所で巧みなパス回しを見せた。ボールを失った後も、素早く自陣に戻り、人数をかけて守備をしていた。ボールの取りどころを選び、前線から素早いプレスをかけ、ボールを奪っていた」と称賛。とはいえ、エジプトも断食中だっただけに、ここでも「運が味方した」と英国メディアは手厳しかった。
<中略>
コリアタイムズ紙は「初の五輪メダルを懸け、永遠の宿敵日本と対戦」という見出しを付け、3位決定戦について、「メダル獲得は兵役免除というボーナスが付く。海外のクラブは兵役を煙たがって(韓国人選手と)長期契約を結ばない傾向にあるが、ここでメダルが獲れれば、その問題も解決するだろう」と、選手のモチベーションが高まっていると報じている。
一方で、英国メディアが評したような「幸運」を、日本はまた呼び込むことができるのか、注目が集まる。
以下、因縁渦巻く韓国戦、関塚ジャパンが超えるべき高い壁(8月10日スポーツナビ)から引用
<中略>
くしくも、関塚ジャパンのメンバーはホン・ミョンボ監督率いるU-23韓国代表に大きな因縁がある。2008年、GK権田修一がキャプテンを務めるU-19日本代表は、サウジアラビアの地で、翌年にエジプトで行われるU-20ワールドカップ(W杯)の出場権を懸けて、アジア最終予選に臨んでいた。エース永井謙佑の活躍で、順当にグループリーグを首位で突破し、勝てば出場権獲得という重要な一戦を迎えた。相手はU-19韓国代表である。
<中略>
この時、完全に波にのまれてしまっていたチームメイトに対し、権田は何度も叫んだ。
「焦るな! 怖がるな!」
しかし、選手たちは焦っていたし、恐れていた。
「ボールが来なかった。ロングボールを追いかけてもフォローがない状態だった」
前線で孤立し続けた永井謙佑が語ったように、日本の勝機はゼロに等しかった。試合はほぼハーフコートゲームとなり、21分、84分、後半アディショナルタイムに失点し、0-3の敗戦。8大会連続となるU-20W杯出場がついえたショックもさることながら、韓国のシュート本数が16に対し、日本はわずか1という数字が示す、なすすべなき完敗のショックはそれ以上に大きかった。
<中略>
屈辱の完敗から2年後の2010年10月。2011年のコロンビアU-20W杯を懸けたAFC U-19選手権に、U-19日本代表は挑んでいた。前回同様にグループリーグは順当に1位通過を果たした。しかし、出場権を懸けた準々決勝の対戦相手はまたも韓国。前回のリベンジを果たすべく、若き日本代表はこの一戦に挑んだ。韓国の戦力は前回に比べれば落ちていた。戦術も前線の屈強な2トップにロングボールを放り込むシンプルなものであった。2トップを目がけるロングボールにさえ気を付ければ、勝てる相手であった。しかし、結果はそのロングボールに沈んだ。
2-3で敗戦が決まった瞬間、宇佐美はその場に座り込み、声を挙げて泣いた。その宇佐美に杉本が歩み寄る。試合後、ロッカールームから宇佐美が出てくるが、上にジャージを羽織った以外は、試合後のままだった。うなだれながら、報道陣の前を通り過ぎようとする宇佐美を、チーム関係者が呼び止めて、取材を受けさせる一幕があるほど、宇佐美は打ちひしがれていた。実力的な完敗と、パワーで完全に押し切られての2つの敗戦。この代償は大きかった。育成世代において、何よりも必要とされるのが『質の高い経験』だ。2大会連続でU-20W杯出場を逃したことで、彼らはこの経験を得ることができなかった。
<中略>
そして、3位決定戦の相手は何の因果か韓国となった。元U-19韓国代表で当時のアジア最終予選に出場していたキム・ボギョン、ク・ジャチョルらは今大会のメンバーにも名を連ねている。08年の韓国戦後、権田が目を真っ赤にはらしながらこう語った言葉が忘れられない。
「悔しい。悔しいという言葉しか出てこない。これは神様が『ロンドンで借りを返せ』と言っていると思う。この悔しさをこれから先、絶対に忘れたくないし、ロンドンにつなげていかないと意味がない。ロンドン五輪に絶対に出て、結果を残すことを意識して、これからやっていきたい」
同じように、10年の韓国戦後、酒井は目に涙を浮かべながらこう口にした。
「単純に力不足。勝つということにこだわれば、違う戦い方もあったと思う。本当に悔しいです。この悔しさは絶対にロンドン五輪につなげていきたい」
あまりに残酷な幕切れでした。後半、追加点が入った時は思わずテレビを消してしまいました。その後、寝起きで吉田選手のインタビューを見たら完全に泣けた。
今回の世代はメディアは当然にしても協会からも見放された感が凄くて、東アジア大会から五輪にかけての盛り上がる、盛り上げようとする空気は皆無で。しかし実際ふたを開けてみれば、どの大会においても過去最高の成績を残してきたのは変えようもない事実で、それは当事者が自らの置かれた立場を自覚して奮起した結果なのでしょう。だからこそ今日の結果は絶対にメンタル的なレベルの話ではないと思うんです。結果論で言うのは趣味じゃないけど、もっと上を目指す為にやれることはあったはずで、韓国の体制を見ているとその想いは強くなるばかりです。そんな意味でも悔しい。
しかしわーわー言っても自分だって全敗を覚悟していたわけだから、今じゃあんなにオリンピックを楽しませてくれた選手へ感謝の気持ちしかないです。この歳になって無粋なナショナリズムを振りかざす気はさらさらありませんが、それでも日韓戦に対して特別な感情を抱いてしまうのは、はるか昔からの潜在的な刷り込みなのでしょうか。いや、ここ数年のこの季節特有の騒ぎのせいかもな。
でも自分が年をとったのは間違いなくて、サッカーに限らずオリンピックを見ていると凄い変化を感じましたね。水泳の北島選手なんてシドニーからずっと追い掛けた選手だったから、メドレーなんか見ていて正直泣きそうでした。今回は個人、団体問わず、競技ごとにチーム感を大切にしていて、それこそアメリカを参考にしたにせよ、良い意味で日本らしくて勉強にもなった。一人では戦えないからだって。さっきも書いたけど、恐ろしいくらいに前回の北京の記憶がないから、今回はやたら胸に突き刺さった。ロンドンって土地柄も相まって、ホントに忘れられないオリンピックに。行けば良かったって話こそ結果論だ。
銀座の閉店、フジの来日、ゼミの結婚。もうこれでもかってくらいに。
夢のような時間はもうおしまいです。いや終わりじゃなくて、それこそ始まりって話か。