老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

北山朝徳君を偲んで…

2019年06月20日 19時50分02秒 | 高齢化社会での生活・終括・社会保障など
 今朝パソコンを開くと、gooニュースで日本サッカー協会が同協会の国際委員であるアルゼンチン在住の北山朝徳(きたやま とものり)君が6月18日に死去されたことが発表されており、びっくりしました。
(https://news.goo.ne.jp/topstories/sports/256/5acd9383c591c8cbbc903f590becf9ae.html?fr=RSS)

 北山君は広島県豊島の出身で、私より少し若いのですが、非常に親しくして頂いた方で、知り合ったのは、商社に勤務時代に私がアルゼンチン駐在としてブエノスアイレスに赴任した直後でした。

 彼は拓殖大学卒業後(専門は?と聞くと、笑いながら「応援部卒」といわれたのがつい先日の様に想い出されます)アルゼンチンに渡り、旅行・貿易・本屋・運送業など出来るものは何でもするという姿勢でTOSHINという会社を設立され、私が知り合った頃は魚群探知機の代理店もされており、漁業並びに観光で有名なブエノスアイレスから400kmほど南にあるマルデルプラタと言う港町にも良く行かれていました。

 私は食糧担当だったので、彼が魚群探知機の営業で知り合った業者を紹介してもらって、鯛や貝類の業者と取引を始めましたが、魚群探知機の営業やアフターサービスで忙しい彼と一緒に夜行バスでルデルプラタまで行ったことを思い出します。
 夜は、私がアルゼンチンでは珍しい新鮮な魚介類を前にして美味しく飲んでいる横で、彼は酒が飲めないので、専ら食べる方に回っていました…。

 仕事では直接の繋がりは無かったのですが、気が合うので、時間を作っては彼が設立したばかりの事務所に良く行っては何かと心安くしていましたし、彼が現地で見染められたエルダさんと結婚されたのもその時期だったと思います。

 私がアルゼンチンに赴任したのは1978年で、丁度アルゼンチンでワールドカップが開催された年でしたが、彼はこの時期に日本のサッカー関係者と出会って色々とお手伝いをされたのを機に、日本サッカー協会(JFA)のお手伝いをされるようになりました。

 そして、日本でのプロサッカー誕生と共に彼とJFAとの関係は深まり、南米の有力選手を日本チームに紹介したり、JFAのサポートをするようになり、その後約40年に亘ってJFAの国際委員として南米各国に遠征する日本チームのサポートや南米のチームを日本に招待する際の交渉役を担い、南米との関係強化に尽力されました。

 その結果として、日本とサーカー強豪国のひしめく南米との関係が深まり、現在開催中の大会も含めて日本が何度もコパアメリカに招待されるようになり、日本サッカーの水準向上が実現した陰には彼の存在が非常に大きかったと思います。


 このように多忙を極める中でも、日本に来た時には必ず連絡をくれ、忙しい彼の列車乗り替えの僅かな時間を利用して新大阪駅で会ったり、彼の泊まるホテルで忙しいコーヒータイムを取ったりしていましたし、私も商社を退職後も次に就職した会社でアルゼンチンとの仕事を続けていましたので、現地に出張時には絶対に時間を空けて、彼と会うのを楽しみにしたり交遊が続いていました。

 その間、TOSHINも日系二世の人などを中心に社員も充実し、社業も確実に拡大しているのは、彼の分け隔ての無く、ユーモア溢れる明るい性格の賜物でしょう。


 彼と最後にあったのは、1974年に最愛の奥さんであるエルダさんが亡くなり、奥さんの希望もあり1975年4月にその遺骨を彼の故郷である豊島の北山家のお墓に納骨するために、二人の息子さんと一緒に来られた時に、大阪のホテルで私のツレアイも交えて朝食を摂った時でした。

 その後も、色々とメールでの情報交換をしていましたが、2年ほど前に彼から「肺がんになった」、「その後好転した」、「また再度入院や」などと連絡があり、心配していた所です。

 彼のユーモア溢れる広島弁の語りが聞けなくなったのは寂しい限りですが、日本とアルゼンチンだけでなく南米全体との関係強化に大きな貢献をされた北山朝徳君のご冥福をお祈りいたします。(まさ)

河川敷も夏模様 

2019年06月19日 20時08分23秒 | 散歩中に見かけた風景
 大阪はまだ梅雨入りをしておらず、蒸し暑さが増したもののまだ晴れ間の多い日が続いているので、今の間と出来るだけ散歩を心がけています。

 ここ数日に淀川の河川敷並びに途中で見かけた風景をお知らせしましょう。
また、一昨夜は夜も晴れていて思わず満丸のお月さんを撮りましたが、丁度満月でした。(まさ)


ハルシャギク

アレチハナガサ。これからはアレチハナガサが河川敷の主役です

同上 アップ

タイサンボク

同上 アップ


赤川テニスコートの工事も殆ど完了です

コート周辺の側溝や芝生も綺麗になりました

6月17日夜の満月

三室戸寺と石清水八幡へ  その② ~石清水八幡宮~

2019年06月18日 20時24分39秒 | 旅行/色々な風景
 三室戸寺を終えたのがお昼ごろになっていたので昼食をと考えましたが、駅近くにレストランが見当たらず、この日のもう一つの目的地である石清水八幡宮に向うべく、京阪電車を乗り継いで「八幡市」駅まで行きました。

 駅を降りると以前と少し様子が異なっていて、利用予定の男山ケーブルカーが工事中で運行停止となっており、代行タクシーを運行中とのことでした。

 ケーブルカーの駅まで行き、新しいケーブルカーの写真を撮らせて欲しい旨を申し出ましたが許可されず、やむを得ず駅の構外から一枚だけ撮りました。

 尚、今回はリニューアル工事ということで、車両の入れ替えではなく、車両の推進部分の機器の交換と車両の表面のデザイン変更ということで、19日からは新車両で運行されるようです。


 また、以前は駅前に沢山あった食堂が1軒だけになっており、しかもこの日は定休日ということで、やむを得ず近くを探して、お好み焼屋に飛び込み、ツレアイは焼きそば、私はビールと豚平焼きという食事を摂りました。

 その後、乗合タクシーで、住宅街に中を抜けて石清水八幡宮の駐車場に着きました。
そこから本殿に向いましたが、駐車場の直ぐ近くに大きな楠があり、「ご神木 楠木正成公必勝祈願参拝の際奉納の大楠」とありましたが、この前でカメラを構えた人がおられ、伺うと“アオハズクが木の上の方で休んでいる”と言う事で、その場所を丁寧に教えて頂きました。

 私も何とかカメラに収めたいと思い挑戦しますが三脚もなく苦戦していると、その方が丁寧にも“セットしてある自分のカメラの上に置いても良いよ”と言うことだったので、そのお言葉に甘えて何とか1枚の写真が撮れました。

 その後、本殿にも参拝しましたが、境内では夏祭りに備えての茅の輪(ちのわ)の準備をされていました。
ケーブルカーが運休中の為か、人影がまばらな本殿(国宝)に参拝し、帰路は表参道の石段をゆっくりと下ることにしました。

 京阪電車「八幡市」駅に向かう途中に、放生川という小さな川に掛かっている太鼓型の木造りの安居(アンゴ)橋があり、この横で少し休憩し、昼間の空いている時間帯の電車でゆったりと帰阪しまし。

 帰宅したのは3時過ぎで、夕食まで十分な時間がありましたので、ゆっくりとスポーツジムのサウナで疲れを取る事が出来ましたが、やはり近場には車でなく電車を利用しての外出が楽でした(まさ)


京阪八幡市駅前に立てられた代行タクシーの案内

無理やり、新しいケーブルカーの写真を撮りました

試運転中の新ケーブルカー

代行タクシーの中から見えた、京阪電車の木津川鉄橋

ご神木の楠で休むアオバズク

作成中の茅の輪(チノワ)越しに見る南総門と本殿

南総門と本殿

本殿

同上

本殿の吊り燈篭

燈篭と信長塀

燈篭

三の鳥居

安居橋(アンゴバシ)

三室戸寺と石清水八幡へ  その① ~三室戸寺~

2019年06月17日 20時30分11秒 | 旅行/色々な風景
 本格的な梅雨入り前の晴れ間を狙って、6月13日に宇治の三室戸寺に行ってきました。

 この三室戸寺は本山修験宗の別格本山で、西国三十三所第10番札所になっています。
 寺伝によれば、宝亀元年(770年)光仁天皇の勅願により南都大安寺の僧行表が創建したものといわれている古いお寺で、11世紀末頃の西国三十三所巡礼では、三室戸寺は三十三番目、つまり最後の巡礼地であったとも言われています。

 現在では、花の寺として有名ですが、中でも関西でのアジサイの名所ということで、この時期には沢山の方が来られます。

 私達も、昨年の西国三十三所巡礼を思いつく以前の3年前に一度訪れているのですが、その時のアジサイの見事さが強く印象に残っていて、車を手放したものの電車でも行きやすい所として、再訪することにしました。

 9時過ぎに家を出て、京阪電車で、中書島から宇治線に乗り換えて、宇治の一つ手前の「三室戸」で下車。それから、山の方に1km程緩やかな坂道を登るのですが、前後には多くの参拝者がおられ、また早々に見物を終えて駅に向われるすれ違いの方も多かったです。

 参道は結構広くて、真中に石張りがされていて歩きやすい道でしたが、途中で「念仏寺」という標識を見つけて立寄ることにしました。
以前見掛けた観光パンフで、羅漢像が立ち並ぶ写真を見掛けた記憶があるので、一度見て見たいと思ったのですが、住宅地に中にひっそりと佇む小さな寺院で、一般公開はされていないようなので、諦めて三室戸寺に向いました。


 前回は、アジサイだけが目的での訪問でしたが、今回はアジサイ以外にも三室戸寺の色々な所を見て見たいと思いました。

 先ず目に付いたのは、本堂への石段を登った所にある鎮座している宇賀神の像です。
頭は老翁、体は蛇で蓮に乗る姿をとっていますが、財運・金運の蛇神で、宇賀神を撫でると、財運(金運)・良運がつくといわれているようで、狛蛇とも呼ばれているようです。

 続いて、本堂にお参りしたいと思いましたが、本堂の前には沢山の人が並んでいます。
良く聞くと、本堂へのお参りで並んでいるのではなく、本来は狛犬がいるはずの本堂前の左右に狛犬の代りに置かれている宝勝牛と狛兎を触りたい人が並んでいるのでした。

宝勝牛
 大きく開いた口中には石の玉があり、これを撫でると勝運がつくといわれ、勝運祈願の宝勝牛と名付けられています

狛兎
 狛兎は、御影石製で、高さ150cm、幅90cmの巨大なものです。兎は、幅60cmの大きな玉を抱いていますが、玉の中に卵型の石があり、それが立てば願いが通じると云われているようです。

 三室戸寺のある地域は、古来より菟道(うじ)と称され、これが後に“宇治”に変ったとも言われているようです。
また、仁徳天皇の弟、菟道稚郎子は宇治天皇とも称され、一時皇位についた可能性もあるようですが、菟道稚郎子が宇治に来た際に、兎が道案内したとの伝承もあり、この地と兎の縁は深いようです。


 その後、多くの人に押されながら、本堂にお参りしたり三重の塔を拝観した後、お目当てのアジサイ園でのアジサイ見物となりました。

 楽しみにしていたアジサイ園でしたが、正直言うと少し期待外れでした。
以前と同じように、沢山のアジサイが植わっており、それぞれに特徴のある花を咲かせていて、それはそれで楽しいのですが、全体として花数が少なく、また小さくて、全体としての迫力が少し足りない状態でした。

 掛かりの人に聞いてみると、やはり今年は雨が少なく、その影響があるのではと言う事でした。


 確かに、花を見るのは非常に難しいです。
私も花が好きで、あちこちと出掛けていますが、相手は生き物です。

 その年の温度・雨量だけでなく、更に当たり年というか裏表というか、同じ気候でも年によって微妙に違う咲き方がありますし、見る時期の少しの違いでも大きく異なります。
従って、昨年見たのが素晴らしかったと思い、丁度その日に合わせて同じ場所に行っても、期待通りに楽しめる保証は無く、逆にがっかりする事が多いのです。

 私も、この春からはサクラ/フジ/ツツジ/菖蒲などをあちこちに出かけましたが、サクラ/フジはどこでも早すぎましたが、ツツジ/菖蒲はタイミングがピッタリ。そしてアジサイに付いては今年のアジサイは天候に恵まれなかったということになるのでしょうか…

 やはり、アジサイには適当に雨が降り、アマガエルかカタツムリが一緒に見えるのが似合うのでしょう。

 ということで、今年の三室戸寺やアジサイの様子をお知らせしましょう。(まさ)


三室戸寺への参道。静かで落ち着いた雰囲気の道です。(人気のない時まで待つのに苦労しました)

この道で見かけた、側溝のグレーチング。モミジのデザインでした。

途中で立寄った念仏寺

<三室戸寺>

山門

本堂への石段

石段の上にある宇賀神(狛蛇)

本堂。前には行列が出来ています。

勝運の牛

狛兎

三重塔

ガクアジサイ

同上

同上

アジサイ園の様子

同上。山門の横です

アジサイ。少しはハート型に見えるかな?

同上。今回で一番目立ちました

ハス。 本堂前にありますが、やっと咲きかけた所です

早くもハギが咲いていました

三室戸寺境内の売店で購入した金平糖アジサイ。とても可愛らしいお菓子です。

太陽光/風力発電の買い取り終了か?

2019年06月16日 19時24分55秒 | 政治・経済・環境・核兵器など
 先日の新聞報道を見て驚いたのは“太陽光買い取り終了へ”(6月13日毎日新聞)という記事でした。

 経済産業省は太陽光や風力発電の事業者がつくった電気を大手電力があらかじめ決めた価格で買い取る制度を終了する事を検討中で、2020年にも関連法を改正するとの内容でした。

 買い取り費用の増加で消費者の負担が高まっており、新たな競争入札制度を導入してコスト低減を進めるためという理由の様ですが、原発依存の電発会社の利益を守るためというのが目的なのは明らかでしょう。

 政府は未だに、再生可能エネルギーを今後の主力電源として拡大する方針という姿勢を表面的には保っていますが、原発依存の体制を改善する様な具体的な指導は一切採っておらず、原発依存の姿勢継続は丸見えです。

 この国が、本当に原発依存を止めて、再生可能エネルギー依存に明確な舵切りをするのは何時の事でしょうか?

 原発の推進に関わる色々な支出や、まだ金額の予想さえ立たない原発関連廃棄物の莫大な処理費用の事を考えれば、その少しでも太陽光や風力発電などに回せば、このような太陽光/風力発電を見捨てる様な政策を取る必要など全くないと思われるのですが…  (まさ)