いよいよスペイン旅行の報告をすることになりますが、やはりスペインという国の複雑な歴史などをある程度知っておかねば理解できないこともありますので、先ずはスペインについての説明から入ります。
概要:
正式名 エスパーニャ王国
政体 議会君主制で、それぞれ独自の政府を持つ17の自治州で構成
面積 日本の約1.3倍
人口 約4,800万人
言葉 一般的にスペイン語と言われているのはマドリードやカスティーリャを中心とする「カスティーリャ語(或いは,カステジャーノ)」で、それ以外にもバルセロナを中心とする「カタルーニャ語」や北部で使われる「バスク語」や「ガリシア語」もあり、この4つが公用語となっています
気候:温暖な地中海性気候と思いがちだが、それはバルセロナなどの東部地方のことで、北部は雨が多い海洋性気候で、首都のマドリードを含むカスティーリャ地方は夏と冬/昼と夜の温度差が大きな大陸性気候。
歴史: 極めて複雑なのですが、ごく大雑把にまとめてみます。
・紀元前から色々な人種が住んでいたが、紀元前1,000年頃からはフェニキア人系のカルタゴや、ギリシャ人なども住んでいた。更に、紀元前202年にローマの攻勢でカルタゴが負け、イベリア半島もローマの支配下に置かれるようになった。
・4世紀後半になると、アジアにいた遊牧民のフン族の西方進出で、東ヨーロッパにいたゲルマン民族が移動を始め、これに伴い西ゴート族がイベリア半島にも進出し、西ローマ帝国の衰退もあり、418年にはイベリア半島の大部分は西ゴート王国が支配した。
・その後、西ゴート王国の王位継承に伴う混乱もあり、711年頃からイスラム系の民族がイベリア半島に入り始め北部を除く大部分がイスラム勢力の支配下に置かれることになる。
756年にはコルドバを首都とするコルドバ・アミール国(後ウマイヤ朝)が成立し、その後コルドバ・カリフ国と名前を変え、拡大を続けましたが後継者を巡る争いで1031年に崩壊。
・西ゴート王国を継承する北部のアストゥリアス王国もその後色々と分裂や統合を繰り返しながら南方に領土を拡大したが、追いつめられたイスラム系の住民が北アフリカのイスラム系に支援を求め、再びイスラム系の民族が流入し、ムラービト朝や後継のムワッヒド朝を成立させ、1172年にはイベリア半島の南部の殆どを支配下に置く。
・その間、北部の西ゴート系のキリスト教諸国は統合離散を繰り返していたが、カスティーリャ王国が勢力を伸ばし北部地区を掌握するとともに、レコンキスタ運動が進展し1221年にはムワッヒド朝との戦いにも勝利し、ムワッヒド朝は1228年には消滅し、その後イスラム勢力はグラナダを中心とするナスル朝グラナダ王国を残すのみとなったが、1492年にはこのグラナダも無血開城し、約800年続いたレコンキスタ運動は完了。
・その後、いわゆる大航海時代になりスペインはコロンブスを支援したことにより、南北アメリカ大陸やフィリッピンに足場を気付き、「太陽の沈まない国」とも称されるようになる。
・その後、海洋国家として台頭してきたイギリスが、1588年には無敵艦隊と言われたスペインの艦隊を破るに至り、更に1618年から始まったヨーロッパの30年戦争に巻き込まれて疲弊し、1640年にポルトガルが独立するなど国力は低下し、1701年にはカスティーリャとカタルーニャなどの間でスペインの継承者を巡る継承戦争も起こったが、1714年にカスティーリャが勝利し、現在のスペイン王国に繋がる国家が成立した。
・19世紀になると、ナポレオンが率いるフランスと対立したり、中南米の植民地が相次いで独立し、国力が低下するとともに、スペインでも王政に反対する勢力が伸び、1871年には共和制に移行するも、内部の勢力争いが絶えず、1874年には王政に復活することとなる。
・その後も、中米のキューバ独立を巡って、1898年に起こった米西戦争に負けると共に、フィリピンを含む全ての植民地を失い、領土は大幅に縮小。
更に国内的には産業革命の影響で、労働運動が盛んになりストライキが続発する情勢となり、これを抑えようとする軍部との対立が顕著になり、1923年からは国王の指示の下で、軍事独裁政権となり戒厳令が敷かれた。
1931年の選挙で王政支持派が勝利したものの、共和制を求める民衆の運動が盛んで、ついに国王は退位しスペインは再び共和制になるなど、政治的な混乱が続く。
・更に1934年に労働者が武装蜂起し「スペイン10月革命」が起こるも、軍部により鎮圧されるが、左派がまとまって「人民戦線」を結成し、総選挙により人民戦線政府が成立。
しかし、これに反対する軍はフランコが中心になり1936年に各地で蜂起し、3年簡にわたるスペイン内戦が起こり、人民専制政府は次第に劣勢になるも、1937年にヘミングウェイやマルローなどが参加する国際旅団が成立するなど国際的な関心を集めるようになる。
・最終的にはフランコ軍が勝利し、軍事独裁政権となり第2次世界戦争やその後の難局を何とか乗り切るが、前国王の息子ドン・フアンが王政復古を求めるようになる。
直ぐには実現しなかったが、1975年にフランコが死亡するとともに、ドン・フアンの息子フアン・カルロスが王位につき、今日に至っている。
文化・美術:
このような複雑な歴史により、ローマ/イスラム更にユダヤなども合わさった非常に多様で魅力的な文化・美術が形成され、その様子は残存する教会などの建築物や街の雰囲気にも色濃く残っているが、特筆すべきは絵画でエル・グレコ/ベラスケス/ゴヤ、更に20世紀に入るとピカソ/ダリ/ミロなどの著名画家を輩出している。
更に、今なお建築が進行中のサグラダ・ファミリアやグエル公園やカサ・ミラなどの自然の法則を重視した独創的な建築で有名なガウディもいます。(まさ)
スペインの国旗
「血と金の旗」と呼ばれています。