まんまるログ

融通性か?和・洋・中・無国籍・ジャンクとなんでも食べる胃袋と脳みそ。

闘う者達‥全ての人に歌を

2019年07月23日 | 日記
あたし中卒やからね

仕事をもらわれへんのやと書いた

女の子の手紙の

文字はとがりながらふるえている

ガキのくせにと頰を打たれ

少年たちの眼が年をとる

悔しさを握りしめすぎた

こぶしの中 爪が突き刺さる



私、本当は目撃したんです

昨日電車の駅、階段で

ころがり落ちた子供と

つきとばした女のうす笑い

私、驚いてしまって

助けもせず叫びもしなかった

ただ怖くて逃げました

私の敵は私です



ファイト!

闘う君の唄を

闘わない奴等が笑うだろう

ファイト!

冷たい水の中を

ふるえながらのぼってゆけ



暗い水の流れに打たれながら

魚たちはのぼってゆく

光っているのは傷ついて

はがれかけた鱗が揺れるから

いっそ水の流れに身を任せ

流れ落ちてしまえば楽なのにね

やせこけてそんなにやせこけて

魚たちのぼってゆく

勝か負けるかそれはわからない

それでもとにかく闘いの

出場通知を抱きしめて

あいつは海になりました

ファイト!

闘う君の唄を

闘わない奴等が笑うだろう

ファイト!

冷たい水の中を

ふるえながらのぼってゆけ


薄情もんが田舎の町に

あと足で砂ばかけるって言われてさ

出てくならおまえの身内も

住めんようにしちゃるって言われてさ

うっかり燃やしたことにして

やっぱり燃やせんかったこの切符

あんたに送るけん持っといてよ

滲んだ文字 東京ゆき


ファイト!

闘う君の唄を

闘わない奴等が笑うだろう

ファイト!

冷たい水の中を

ふるえながらのぼってゆけ


あたし男だったらよかったわ

力ずくで男の思うままに

ならずにすんだかもしれないだけ

あたし男に生まれればよかったわ



ああ 小魚たちの群れきらきらと

海の中の国境を越えてゆく

諦めという名の鎖を

身をよじってほどいてゆく

ファイト!

闘う君の唄を

闘わない奴等が笑うだろう

ファイト!

冷たい水の中を

ふるえながらのぼってゆけ

ファイト!

闘う君の唄を

闘わない奴等が笑うだろう

ファイト!

冷たい水の中を

ふるえながらのぼってゆけ

ファイト!
()中島みゆき作詞

…………………………………………………………………………………………………………

中島みゆきさんのこの歌を聞いたのはいつだったか‥少しだけ泣いた。
その事を思い出した。

「どうせ 私が 何言っても 何しても 変わらん」

選挙の時に聴く言葉。
又 仕事場でも毎日のように聞く言葉だ。
あきらめて‥愚痴ばかりが空気の中に漂っている。

それをかわしながら‥時間だけを過ごす。
一人で楽しみながら、与えられた仕事をこなす。
愚痴にも噂話にも加担しない。
どんな場所でも楽しむのは才能だ。
自分で自分に頷く。
心の中には、太陽がある。


TVも新聞も報道しなかったが、街頭でネット(SNS)で、有志たちの寄付で拡散された…れいわ新撰組の闘い。
社会現象を生み出したと思う。

民衆の声、声にもならないつぶやき、日常の生活で汲々としている私目線、弱くても力がなくても心の中にある切実な思い。
呼び覚まされている。

これを民主闘争と言わず何と呼ぶのだろう。

山本太郎さんと彼を応援する仲間 友人たち 私も家族もお隣さんも‥闘う人々にファイト。

動けば動くほど矛盾に当る。

それでも 自分にできる事をする。

そう思いながら投票所にいった。
そんな昨日だった。

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ストロベリー・ムーン

2019年06月17日 | 日記
今日はストロベリー・ムーン。

昼間から雨が上がるように祈っていた。

我が家は、男ばかりでそこに女のこがやって来た。
それはストロベリーの様に甘い感じの娘なのだ。

どこが、どの様に甘いか、酸っぱいか、それともまったりなのか‥未知の部分も含めても尚‥
とにかく甘酸っぱい感じがする娘さんなのは確かだ。

‥と書いてはいるが言葉は不確かで信用できない。

本能も直観も怪しいのが私と言う代物。

その事だけがリアリティがある。

でも、甘い物には本能的に弱い。

好きなのだ。



リアリティと言う言葉はその後に必ず覚悟がついてくる。

人間関係はロマンティックで美しいだけでは済まない。

ストロベリー・ムーン それは夏至のころの満月。

高度が低い関係で 月が赤っぽく見えるからなのだそうだ。

太陽の夕焼け。

高度が低いとそれだけ空気の層を通る距離が長くなるそうで‥。
そうなると赤い光が多く届いて月が赤っぽく見えるんだそうだ。

自然界の不思議。


生きていると、見えてくることがある。

自分の人生の途中でのちょっとした出来事、束の間の出会い、何故あそこでであったのか、何故あの時あの町にいたのか‥

偶然の様に見える事、なんの脈絡もないと思える事、その瞬間 瞬間が、生きて行く上での縁。

その瞬間の延長線が人生の道になっていっている事に気づく。

言いも悪いもない。

丸いも四角いも三角もどっちだっていい。

道(途)の上でぶつかりあい、揉まれあい、矛盾を抱えながら確かに繋がっている。

信念があればあるで、哲学があればあるで、自分だけの形を(それが歪であろうと、なかろうと)創り上げてくる。

只 ぼんやりと流されてはいない事だけが確かだ。

表に出て月を見上げた。

苺よりもオレンジ色に近い月。

隣の部屋で苺娘が眠っている。

何故なのかわからないが、込み上げてくる想いがある。

熟睡できますように。




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毎日が春の日

2019年04月21日 | 日記


庭の山桜が満開だ。

幸せを感じる。

冬来たりなば春遠からじ。

寒さで身体が痛い時にはそう念じたが、そんな事など遠く彼方で春が来た。



家のまわりは、春爛漫。

どうやら息子(長男)の頭の中も、その気配だ。

自分を犠牲にしても他人の為に何かをしたい‥その様子が見える。

“恋”をしている。
格別の相手に出会い、美しいと思える事。
その人のそばに寄添っていこうと思える事。
お互いの存在が生きる糧になるように‥。



幸せになってほしい。

親しみをもてる相手が多いほど人生は豊かになる。

今日もご飯がおいしかった。

明日もまた。

カメムシも百足もごそごそと、顔を見せ始めた。

毎日が春の日。
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齢‥よわいと嘘 続き 四月の雪

2019年04月02日 | 日記
連れ合いの事を“役立たずのゴミ”などと書くとパッシングを受ける。

自分の事はどうなの?
あなた自身も役立たずのゴミの部分があるでしょう?。

『はい もちろんです あるなんて半端で生易しいもんではありません』と思っているし 又そう答える。

言葉は両刃の剣だと思う。
書いた責任は私に帰するものだ。
当たり前のど真ん中の話。

相手に対して言っているように見えても結局わが身に跳ね返るのが言葉だ。
肝に銘じている。
その上で尚 役立たずの‥‥と言える家族は、健康だ。

言われた人間は、お前もそうだよなぁ。
‥と返す余裕がある。

今朝 台所で目の前に白い靄がかかって、いよいよ白内障になってしまったのかと思った。
日頃 老眼で遠くが霞んでぼやけている。
認識がある。

ウンでも‥ どう見ても 、いや目が見えているとは言いがたいが、隣家の屋根が白い。
表に出た。

雪が積もっている。

四月の雪。

韓流ドラマの題名ではないか‥見てはいないがそんなドラマがあったと思う。
一瞬感慨にふける。
記憶は確かなのか?という思念と、寒さで凍える身体という老化現象の真ん中で頭が止まる。
にしても 春なのに雪は驚く。

自分は確かに役立たずのゴミの部分を持っているし、抱えているし、身の内にある。

ただ それは私と言うものの一部分であるだけで、全てではない。

私が言葉を投げつけている相手もそうだ‥社会生活に不向きだとしても、類い稀なる部分も内在している。
家族仲良く‥は厄介だ。

副作用が出る。

依存と利用と憎悪の対象になりやすいのも家族なのだ。

年齢と共にそれが見える。

依存は共存 利用は無用 憎悪は愛‥と嘘をつく。
意識もなく無意識に言葉を置き換える脳みそ。

年(とし)というのは恐ろしい。
経験というか劣化というかはそれぞれの勝手だが‥都合よく納得したいための嘘をついているじぶん。

初めは、我が子の行く末が不憫でついてきた嘘が‥そのうち自分の為の嘘になっている。

にしても 春なのに雪は驚く。

肌が刺す寒さは現実だ。

四月だというのに。
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齢‥よわいと嘘

2019年03月27日 | 日記
今日の夕食は、ホウボウの味噌汁。
ベーコンと野菜炒め‥出汁巻‥天ぷら‥その他(塩辛 松前漬け 雲丹海月)冷蔵庫の中を見渡した結果おさまりがつかないので献立がばらける。
それでも美味しい。
霊水で炊いた米は人生のご褒美。
美味し、美味し。
感謝でいっぱい(自分の料理の巧さに??味付けの巧みさに??)
自画自賛するしかない夕食だった。

誰も褒めてくれない。
当たり前だと思っている。

ほーっとため息をつく。
我が家は母子家庭と言っていいが、息子二人にとっては母主家庭だ。

糞の役にも立たない(生活面でだが)父親の事も彼らは愛している。

ふーっとため息がでる。

私の責任は重い。

そう 嘘ばかりついてきた。

お父さんは役立たずのゴミ。
言えなかった。

本当の事はなかなか言えないものだ。

人の世で生きて行くことは、酷い事や狡い者に逢うという事だ。

仕事をして‥それだけでも大変なのに、家の中で配慮の欠片もない父親がいると脳みそが考える事をやめる。

子供の為に考える事を止めた。

その結果嘘をつくことになる。
騙しているのは息子達ではない。
私自身だ。

身体の無理はそこここに出てくる。

「年齢は正直ですよ」‥医者に言われる。
嘘の代償がたるんだ身体なのだ。



ど田舎の路肩に自動販売機が三台。
ダ○ド○ドリンクという安いジュースの販売機の前に停まっている外車を見た。
ジャガーだ。

この地方に来てこの車種は初めて見る。

何ともそぐわない車が、そぐわない場所にある。

まるで現在の私の様な気がする。

私の場所はどこで、私の居場所はどこかここより別の所にあるのだろうか。


とにかく母は疲れている。

花粉で目が見えず、肌もただれてきている。

脳みそもゴマ粒ほどしかないような気がする。

否、もとよりゴマぐらいだったのかも知れない。

とにかく、腹いっぱいの夕食をすませて‥ゆっくりと眠るつもりだ。

幸福はついた嘘の向こうにある。

自分の為についた嘘ではない。

子供等の為についてきた嘘なのだから。

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