興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

認知のゆがみ その10 「極大化と極小化」(Magnification and Minimization)

2014-03-04 | プチ臨床心理学

 ひとは、良くない精神状態にいるときに、ついつい物事の悪い面ばかり強調し、その良い面を見落としがちです。この認知のゆがみを「極大化と極小化」(Magnification and Minimization)と呼びます。これは文字通り、(あるものごとの悪い面の)「極大化」と、(そのものごとの良い面の)「極小化」を、同時に行うものです。つまり、あなたが、ある状況や、他者や、あなた自身について評価しているときに、必要以上にそのネガティブな要素に重点を置き、同時に、その良い側面において、必要以上に軽くあしらってしまう傾向です。この思考パターンも、他の認知のゆがみと同じように、不安やうつと密接につながっていて、実際このパターンは、うつ病や不安障害を持つ人に多く見られるものです。また、これが他人に向くと、人は不満や怒りなどのネガティブな感情を経験します。

 まず、これがどのように鬱感情を引き起こすのか見てみましょう(脚注1)。

 里美さんは、卒業生代表として卒業式にスピーチをしました。しかし、いざ舞台にあがると、聴衆のあまりの多さに圧倒され、頭が真っ白になり、最初の10秒ぐらい、喉が詰まったりしてぎこちなくなってしまいました。しかしそのあと彼女はすぐに調子を取り戻し、とても立派なスピーチをしました。大きな拍手があり、式の後も、先生や友達から、そのスピーチについてほめられました。しかし里美さんは、スタートのぎこちなさが気になってしかたがなく、あれは恥ずかしくてひどい出来であったと思い、2日ほどそのことについて考えて落ち込んでいました。

 お分かりのように、里美さんは、全体として素晴らしかったスピーチの、最初の10秒の問題を「極大化」し、それ以外の良かったところ、また、皆からのポジティブな感想などを「極小化」し、落ち込んでしまいました。それで、卒業式のあとの友達とのパーティーでもなんだか悶々として楽しめずにいました。

 さて、次に、これがどう不安と結びついているのか考えてみましょう

 義明くんは、対人恐怖症の傾向があり、パーティーに参加したい気持ちはあるものの、それはとても恐怖なことでした。しかし、仲の良い悟君の励ましもあり、二人で共通の友人のパーティーに参加しました。珍しくパーティーにやってき義明君のことを皆歓迎してくれ、彼は思いがけず楽しい時間を過ごしました。しかし、そのパーティーのある時に、明子さんとふたりで話す機会があり、なんだか間が持たずに少し気まずい思いをしました。優しくて敏感で明るい明子さんは、それにはあまり気にせずにいろいろな話をしてくれて、悪くない会話でした。しかし義明くんは、パーティー後も、明子さんとの会話のことを悶々と考えていました。なんで自分は人ときちんと会話ができないんだろう。つまらないやつだと思われたかもしれない。嫌われたかも。などと思いました。数か月後、悟君が再びパーティーに行こうと誘ってくれたのですが、義明君は、明子さんとの件のことが頭から離れず、「パーティーの小話が怖い。気まずい思いをしたくないけど、またああなるかもしれない。行きたいけど人とうまく話せるかわからない。つまらないやつだと思われたくない。どうしよう」、と、ものすごい予期不安に悩まされました。

 さて、義明くんは、確かに明子さんとほんの少しだけぎこちないときがあったのですが、優しい明子さんは、全然気にしていなかったし、むしろ義明君と話せてよかったと思っていました。また、義明くんは、全体としては、いろいろな人ときちんと交流できて、8割方良い時間を過ごせたのでした。こうしたポジティブな要素が「極小化」され、ぎこちない時があった、というむしろ些末な要素が「極大化」され、「自分は社交スキルのない人間だ、という結論に至ってしまい、社会不安が続きます。

 義明君は、冷静にパーティ―の全体的な体験を振り返り、客観的にみつめ、この「極大化と極小化」のパターンに陥っていないか検討することが大切です。そのパーティーで良かったものはなんだろう。うまくいったものはなかっただろうか。あのぎこちなさがそんなにまずいものか。あれは誰にだって起こり得るもので、まず自分はパーティーの経験が少ない。少ない経験であれだけ楽しめたのだし、もっと積極的に参加したら、ぎこちなさも減るだろう。という風に考えていきます。

 里見さんについても、「極大化と極小化」のパターンについて、自覚して立ち止まることが大切です。ここでもまた、「自分の最大の批判者は自分自身である」という図式が見られますね。


 

 (脚注1)この認知のゆがみが鬱感情や不安を起こしますが、鬱や不安の特性として、このような思考パターンが起こるのも事実で、このパターンゆえ、そのこころの問題からの脱出が難しくなっているわけです。 


認知の歪み その2 「白か黒か、0か100かの思考パターン」(All-or-nothing thinking)

2014-03-04 | プチ臨床心理学

 これから12回にわたって、この前で紹介した12個の認知のゆがみのパターンについて説明していきます。

 その第一弾は、All-or-nothing thinking--「オールオアナッシング、全か無か、0か100か、白か黒かの思考パターン」です。

 これは、前述のように、Dichotomous thinking(二分法的思考)とも呼ばれるもので、あなたが、自分の置かれている状況や、誰か他者やものごとの評価において、それらを2つだけのカテゴリーとして認識する傾向です。このカテゴリーは通常、良いか悪いか、善か悪か、好きか嫌いかなどの、ポジティブとネガティブの極みです。実際のところ、この世のあらゆるものごとは、連続性のある、スペクトラム的なものであり、カテゴリーではなくて、その程度差なのだけれど、この思考パターンが働いていると、ものごとの黒と白との中間の広いグレーゾーンが見えません。

 いろいろな例があります。たとえば、美由紀さんは、勝君に恋心を寄せていました。美由紀さんは、勝君が恰好よくて、面白くて優しい人であると認識していました。しかしある日美由紀さんは、勝君が煙草を吸っていることを知ります。大の嫌煙家の美由紀さんは、急激に勝君に対して嫌悪感がでてきて、勝君が全然魅力的でなくなってしまいました。「煙草を吸う」という事実で、美由紀さんにとって、勝くんが真っ黒になってしまったのです。今の美由紀さんには、勝君の喫煙以外の、彼女にとって魅力的だったいろいろな良い側面がまったく見えなくなっているのです。これは、仲の良い友達、恋人関係のふたりが喧嘩したときにも、しばしばみられるものです。一時的にではあるけれど、相手が自分にしたひどいことで頭がいっぱいになって、相手のそれ以外の良い面がまったく見られなくなってしまったり、相手の言い分がまったく理解できない、受け入れられない、というような状況です。

 また、ゆかりさんはダイエットをしていて、1週間ほど順調にいっていたのですが、今日はついつい決めていた限度以上の量を食べてしまいました。それによって、ゆかりさんはダイエットも自分自身もすっかり嫌になって、ダイエットをやめてしまいました。もしゆかりさんがこの思考パターンに気付けば、「1週間がんばっていたじゃん。今日はいろいろ辛いことがあったんだし、仕方ないよ。ちょっと食べ過ぎただけだし。明日から頑張ろう。ドンマイ」、と、ダイエットを続けられたかもしれません。

 それから、会社のあるプロジェクトに精を出していた和樹さんは、それが結構な評判だったのに、自分が思い描いていた「大成功」に至らなかったため、「プロジェクトは失敗だ。自分はまったくダメなやつだ」と感じて、とても落ち込んでしまいました。もし彼が、ものごとをもっとスペクトラム的に、程度問題として見つめられたならば、「今回のプロジェクトは完璧ではなかったけど、80%成功かな。次回は90%成功するように頑張ろう」、といった具合に、前向きでいられたかもしれません。

 このような、黒か白かの思考パターンは、完璧主義のひとにもしばしば見られます。「完璧」にできなかったら、それは失敗になってしまうのです。そして、このような思考パターンは、自己批判に直結し、あなたを必要以上に落ち込ませたり、鬱にしたりします。また、これが他者に向いているときは、怒りは必要以上に大きくなるし、必要以上に長引きます(脚注1)。それは人間関係にも悪影響を及ぼすし、ひとは、相手が真っ黒に見えるとき、自分自身も真っ黒な世界にいるこで、本人のこころにとっても有害です。

 あなたが何かを経験して、強烈な落ち込み、落胆、うつ、また、極度の憤慨など感じたときに、立ち止まって、自分がこの白か黒か、0か100かの思考パターンに陥っていないか見つめてみましょう。「もしかして」、と思ったら、今あなたが置かれている状況や、あなたが評価している対象(自分自身かもしれません)において、そのグレーゾーンの可能性を探してみましょう。

 具体的なやり方としては、たとえば、あなたが自分の仕事の出来具合で落ち込んでいたら、そこに0から100までの点数をつけてみましょう。このとき注意すべきは、0と100に、あなた自身の過去の経験に基づいて、基準をつけることです。0点とは、過去のどのときであり、100点とは、過去のどのときか。「100点など経験したことないよ」、というひとは、過去のあなたの最高の出来であった仕事に点数をつけてください。たとえば以下の感じです。過去最低のパフォーマンスであったプロジェクトAは、5点で、過去最高のパフォーマンスであったプロジェクトKは70点。それでは、今回のプロジェクトGの仕事のできは、何点でしょう。このとき、あなたがどのように、過去のプロジェクトAとKを採点したのか、その基準を書き出したりして、頭に入れておいて、その基準をもとに、今回の仕事のできを評価してみてください。0点ではないはずです。「そんなのくだらない」、と思った方、騙されたと思ってやってみてください。ちなみに、こうした「客観性を作る作業」に取り組むこと自体が、この黒か白かの思考パターンからの脱却につながります。このようにして、グレーゾーンを探していきます。

 また、あなたにとって、「失敗」とは何か、また、「成功とは何か」、具体的に定義してみてください。何をもってして、仕事は「成功」といえるのか、何をもってして、仕事は「失敗」といえるのか。オリンピックにおいて、メダルがもらえなかったら失敗だ、という考え方も、この0か100かの思考パターンです。今回のソチオリンピックにおいて、6位に入賞した浅田真央さんは、メダルこそ逃したものの、最初の演技では大きな失敗があったものの、そこからの目を見張る立ち直りと、素晴らしい最終演技に、多くの人は、彼女の大きな達成を認めています。彼女のパフォーマンスに感動し、勇気をもらった、という方は本当に多く、真央さんを「失敗者」とみる人は少ないでしょう。

 このように、ものごとは、0か100、白か黒か、成功か失敗か、善か悪かの2つのカテゴリーではなくて、プリズムのような、無数の段階にわかれています。その、実は確かに存在している、「程度の違い」について、目を向けてみてください。

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脚注1)これは、パーソナリティ障害のひとたちにもよく見られるものです。境界性人格障害の人たちにこの傾向が強いことは知られていますが、自己愛性人格障害の人たちもしばしばこの思考パターンに陥ります。

たとえば、高校の生徒会長の橋上君は、全校の20%ほどの生徒たちが、彼のやり方に疑問を持っていることを知りました。橋上くんは、その「20%の生徒たち」にことを苦々しく思い、「僕がせっかくうちの学校を良くしようとしているのに、僕に反対している分からず屋がいる。あいつらのせいで学校にまとまりがない。こんなのはうんざりだ。今の時点でいったいどのくらいの生徒たちが僕のことを支持してくれているんだろう。ああ、気分悪い」と悶々とし、やがては「わが校の生徒たちの真意を問うために生徒会長を辞任して立候補しなおします。僕に文句のあるやつは対抗馬として立候補して僕と戦うべきです。本当にうちの生徒たちはまだ僕と同じものを見ているのかわからない。選挙をやり直さないといけない!!」などといきり立ってしまいました。生徒たちは橋上くんの自己中心的で大人げなく突拍子もない様子に唖然としています。

橋上くんの高校はとても大きな学校で、本当にいろいろな生徒がいるため、すべての生徒が彼を支持するようなことは現実的ではないのですが、彼にはそれがわかりません。彼には80%の支持者がいるわけで、生徒会長として大変優秀なわけですが、0か100かの思考パターンに陥っている橋上くんにはそのグレーゾーンに留まることが非常に心地悪く、しっくりこないのです。


認知のゆがみ その9 「読心」(Mind Reading)

2014-02-28 | プチ臨床心理学

 あなたが道を歩いていて、お友達とすれ違ったときに、その人があなたに無反応でした。それであなたは、「このひと私のこと嫌いだから気づかないふりしたんだ」、とか、「無視された」、と思って悲しくなりました。このような経験は、だれにでもあるのではないでしょうか。           

  では、そのときあなたはなぜ嫌な気持ちになったかというと、その友人の行動(無反応)をもとに、知らず知らずのうちにその友人の「こころを読む」ことを試みて、悪いほうに解釈してしまったからです。もちろん、実際にその人があなたに気付かない振りをしていたという場合もありますが、後で、その友人は本当にただ単にあなたに気づかずに行ってしまったのだとわかってほっとした、という経験をお持ちの方も多いことでしょう。

 さて、今回お話する認知のゆがみは、この経験のもとになっているもので、「読心」(Mind Reading)と呼ばれるものです。集団主義社会で、相手のこころを察することが重要である日本においてはとくに、他者の気持ちに敏感であることは大切なのですが、問題は、一部の例外を除いて、「人は完全には他者のこころがわからない」わけで、「あなたの予想」と「その人の実際の感情」の間には、必ずズレがあります。たとえば、誰かが難しい顔をしていたときに、「その人のなかで何かあまり好ましくないことが起きている」ところまでは多くの人は察しがつきます。しかし、その人が具体的に何を感じているのかまでは、実際に聞いてみないとわかりません。体調が悪いのかもしれないし、何か未解決の難しい問題について悩んでいるのかもしれないし、何か嫌なことがあったのかもしれないし、何かまずいことを思い出しているのかもしれないし、あるいは、そういう顔がデフォルトであるかもしれません。

 しかし、この「読心」の傾向が強い人は、他人の反応を、以前の記事で扱った、「個人化」(Personalization)をし、悪いほうに解釈する方向にあります。

 たとえばあなたの配偶者やパートナーが仕事から帰ってきて、なんだかあなたに素気ない態度だったとします。それは実は帰宅途中で嫌なことがあったからなのですが、そうとも知らないあなたは、「自分に対してなんだか腹を立ててる。どうしたんだろう。何で怒ってるんだろう」、と、とても不安になります。

 また、治夫さんがパーティーでスピーチをして、薫さんを除いたみんなが治夫さんのスピーチにとても良い反応をしました。しかし治夫さんは表情の乏しい薫さんが気になって仕方がありません。「薫さんは私のことが嫌いなんだ。スピーチはつまらなかったんだ」、と。しかし実のところ薫さんは、このパーティーの数時間前に起きた上司との口論のことで頭がいっぱいなだけだったのです。そうとも知らずに、治夫さんは薫さんの反応を個人的にとらえて悶々としています。

 さて、このように、「読心」の認知パターンは、誰かの何らかの反応をもとに、「その人があなたに対して何かネガティブに思っている」と、個人的に、不正確にその人のこころを読み、それが真実であるかどうか確かめることをしないことです。

 この問題の厄介なことは、その結果、あなたはその人と距離を置いてしまったり、ぎこちなく振る舞ってしまったり、あるいは、ネガティブに反応し返してしまい、実際にその人があなたに対してネガティブな感情を抱く事態を引き起こしてしまうという悪循環です。

 たとえば、治夫さんと薫さんの場合、治夫さんは、薫さんが自分のことをよく思っていないと思い込んで、薫さんから距離をとったり、妙によそよそしく振る舞います。その結果薫さんは、「何この人、嫌な感じ」、と思い、本当に治夫さんのことが嫌いになってしまったりします。

 また、あなたと配偶者・パートナーの例では、相手がわけもわからずに怒っている、と認識した結果、「いったい私が何をしたっていうんだ」、と思い、パートナーに対して不機嫌に振る舞いはじめてしまい、その結果、もともと他のことで頭がいっぱいだったのに、あなたにそのように振る舞われて、相手は実際にあなたに対してイライラしはじめます。状況が悪いと、これが喧嘩に発展してしまったりします(脚注1)。いうまでもないことですが、こうして生じるネガティブな人間関係によって、ひとは不安やイライラを感じたり、不快な気分を長時間に渡って経験したり、うつになったり、自責の念に陥ったりします。

 さて、この「読心」の認知パターンから脱出するには、まず、そうです! 自分がこの認知パターンに嵌ってしまっていることを自覚します。「この人なんだか機嫌悪いなあ。何か自分悪いことしたかな」、などと思い始めたら、立ち止まってください。

 ひとは1日24時間のなかで、あなたと同じように、本当にいろいろな経験をします。その中で良いこともあれば嫌なこともあります。そして、その人の一日において、あなたが知っていることは、相当に限られています。つまり、その人のムードが悪いなんらかの理由が、「あなた以外」にある可能性は大いにあるわけです(これはたとえ、その人が実際にあなたに何か言って、つらく当たってきた場合でさえもです。それはただの八つ当たりかもしれません)。それをよく理解したうえで、その人に、直接何があったのか優しく尋ねてみましょう。原因があなたとは全然違うところにあることに気づいてあなたは驚き、ほっとすることでしょう。

 また、冒頭の、町ですれ違った友人の話にしても、相手が無反応であることに気になったら、すぐにあなたのほうから話しかけてみましょう。それでもし相手が嫌な態度をとるようであれば、それはあなたの予想が正しかったわけですが、そういうことはまずないでしょう。相手はきっと、感じよくあなたに応じることでしょう。

 「気になったら、勇気を出して、直接聞いてみる」ことです。それによって、その後の数時間、何か悶々と相手の真意について悩むことはなくなります。また、このように言葉を使うことを繰り返していくうちに、この認知のゆがみは、「ゆがみである」ことが経験的にわかり、修正されていきます。


(脚注1) これは、以前ここのブログで触れた、投影的同一視(Projective Identification)の現象で、アメリカでは一般には、Self-Fulfilling Prophecy(自ら実現させる予言)と呼ばれるものです。あなたの頭にあったものを、相手が抱いているものであると錯覚し、投影(Projective)した結果、実際にはあなたの持っていたネガティブなものが、相手に乗り移ってしまい、そのようにふるまい始めます。その結果、あなたは「やっぱり相手は私に対してネガティブな感情を抱いていたんだ」、と確認するわけです(Identification)。自分自身で、恐れていたまさにその事態を実現してしまっているという、負の悪循環です。

 


認知のゆがみ その8 「感情的推理」(Emotional reasoning)

2014-02-27 | プチ臨床心理学

 ひとはしばしば、何かネガティブな感情を経験しているときに、まるであたかもそれが現実であるかのように錯覚してしまいます。たとえばあなたが何か新しくて不慣れなこと、気が進まないことをしようとしていて、不安を感じたり、ナーバスになっています。それが徐々にエスカレートしていって、「これはうまくいくはずがない」、「これは失敗する」、と、いつの間にか確信のようになってしまったりします。このように、自分の感情をもとにして、ものごとの悪い成り行きや結果を予想してしまう認知のゆがみが「感情的推理」(Emotional reasoning)です。

 「感情的推理」の深刻なものは、パニック障害を持つ人たちによく見られます。たとえば、車の運転をしていて、渋滞に巻き込まれて、不安な気持ちになり、その不安な気持ちが、「今運転しているのは危険だ。このままでは事故を起こす」、という恐ろしい推測へとエスカレートしてしまい、パニック発作を経験したりします。「不安」であるという感情が、「危険な状況」へとほとんど無意識に変換されてしまうのです。

 また、うつを経験しているひとが、無力感を感じていて、その無力感がまるであたかも本当に自分が無力であるかのように錯覚してしまうこともよくあります。「無力感」という情緒体験が、「私は無力だ」という結論に達してしまうのです。

 あなたの大切なひとが、他のだれかと仲良くしていて、あなたが嫉妬を感じたとします。しかしこの嫉妬心がエスカレートして、いつの間にか、「あの人は私に興味を失った。私のもとを去っていくんだ」、と思い込んでしまうのも、この「感情的推理」の好例です。

 ひとのネガティブな感情というのは、進化心理学的には、「何か良くないこと、間違ったことが起こっているのをあなたに知らせてくれる」有益なもので、そこには通常、何かしらの真実はあるのですが、そのシグナルに敏感になりすぎるのが、この認知のゆがみです。また、パニック障害や、全般性不安障害などの、不安障害を持つ人は、このシグナルが、誤った方向に、つまり、不適応な方向に翻訳されてしまう傾向にあります。

 さて、この認知のゆがみから脱出するのに大事なのは、やはり、まずは自分が知らずのうちに感情を使って結論を出してしまっていることに気づくことです。あなたが不安や怒り、嫉妬、落胆など、何かネガティブなものを経験しているときに、何かネガティブな将来予想がでてきたら、まずは立ち止まってご自分に問いかけてみてください。「その将来予想の根拠はなんだろう」、と。実際に立ち止まって自問していると、明確な根拠はそうそう見つからないものです。

 それから、「感情」はシグナルかもしれないけれど、「感情イコール現実ではない」、とよく覚えておくことが大切です。あなたのこころが感情にハイジャックされないように気を付けてください。そして、エスカレートする方向とは反対の、より現実的で建設的な、新しい可能性を見つけてください。いろいろな可能性があるはずです。


認知の歪み その7-「すべきだの思考パターン」("Should" or "Must" statements)

2014-02-27 | プチ臨床心理学

  ひとは誰でも、そのひとなりの価値基準、道徳、美学などがあり、自分の行いがその自己の基準に達していないと、気持ちが悪いし、ほかの誰かがその基準から逸脱しているのを見ると、批判したい気持ちになったりします。前者の、自分自身が自分の基準に達していない場合、ひとは羞恥心、罪悪感などを感じるし、他人がその基準から外れていると、苛立ち、怒り、軽蔑などを感じたりします。たとえばあなたが疲れていて電車の優先席に座っていたら、おなかの大きな妊婦さんが、辛そうに歩いてきて、あなたの前に立ちました。普段だったらあなたは立って彼女に席を譲っているものの、今日に限っては本当に疲れてしまっていてそれができずにいます。この時、あなたは妊婦さんを前にして、罪悪感を感じているかもしれませんし、自分の行いに心ひそかに羞恥心を感じているかもしれません。逆に、あなたが同様に混んだ電車内で、たまたま優先席の前に立っていたら、おなかの大きな妊婦さんが歩いてきて、あなたの隣、やはり優先席の前に立ちました。そして妊婦さんの前の優先席には、ヘッドホンをして、スマホで何やらゲームに熱中している若者が座っています。妊婦さんはなんだかとてもしんどそうです。このときあなたはこの若者に対して、いらだちや怒りを感じるかもしれません。

 さて、このように、自分もしくは他者が、自分の価値基準にそぐわないことをしていて、あなたが何かネガティブな感情を経験しているとき、あなたはしばしば知らず知らずのうちに、"Should" or "Must" statements--「すべきだ」、「しなければ」、の思考パターンを展開しています。「おなかの大きな妊婦さんには席を譲るべきだ」、「優先席に座っているときは、優先者の存在に注意すべきだ」、「混んだ電車の優先席に座ってスマホのゲームに興じるべきではない」、などの思考が、あなたを不快な気分にします。

 前置きが長くなりましたが、上記の例は、ひとが自然に経験する「すべきだの思考」ですが、この傾向が強すぎると、それはあなたの心の平安に支障をきたします。

 これはあなたが、厳密で凝り固まった考えをもとに、どのようにあなたや他者が振る舞う「べき」であるかの基準をつくり、その基準をあなたや他者が満たさなかった場合において、過度にネガティブな成り行き、結果を予想してしまう傾向です。この基準によってあなたは自分や他人を必要以上に責めてしまったりします。

 この例としては、たとえば、あなたが何か新しいことをしようと思い立って、いつもよりも1時間早く起きることを決意したときに、疲れていてついつい普段の起床時間まで寝過ごしてしまったときに、「ああ、きちんと決めた時間に起きるべきだったのに。私はだめだ。せっかく決めたことをする時間がない。最悪な一日のスタートだ。これだから私は何か新しいことを始められないんだ」、と思ったり、お友達との約束をすっかり忘れてすっぽかしてしまって、「ああ、どうしよう。手帳に書いただけでは足りなかった。スマホ使ったりしてもっと覚えておく努力をすべきだった。馬鹿だなあ。無責任でいい加減なひとだと思われたかもしれない。どうしよう、友達ひとり失ったかな」、などと思って自分を強く責めて、何かとても悪い将来を予想してしまう傾向です。

 また、他人における例としては、あなたと、あなたと同僚と、お客様の3人で取引におけるミーティングがあった時に、あなたの同僚は遅れてきました。「この大事なミーティングに遅れてくるなんて信じられない。彼はもっと自分に責任を持つべきだ。時間にゆとりをもって出てくるべきだったのに。お客様にまずい印象を与えてしまった。もうこの取引はだめだ。もし運よく今回は大丈夫でも、このお客様は次回からは他所にいってしまうだろう」などと思い、同僚にものすごい怒りを感じるようなことです(脚注1)。

 このような認知のゆがみが働いていると、それが自分のことであれば、羞恥心、罪悪感、鬱感情などを経験するし、それが他人のものであれば、いらだちや怒りを経験するわけで、これはまたあなたの精神衛生上よくないのは明らかです。イライラなどの悪いムードは人間関係にも悪く影響します。過度の「すべきだの思考パターン」には良いことがありません。

 解決法としては、あなたが羞恥心、罪悪感、怒りなどを感じたときに、立ち止まって、「自分はいまどうしてこのように感じているのかな」と考えます。そして、あなたがこの「すべきだの思考」に陥っていないか考えます。延々と、「ひとり反省会」をしてはいませんか?これに気づいたら、修正の余地のない、断定的な「すべきだ思考」を、別のものに修正していきます。たとえば、ミーティングに遅れてきた同僚の例ですが、

「この大事なミーティングに遅れてくるなんて信じられない。彼はもっと自分に責任を持つべきだ。時間にゆとりをもって出てくるべきだったのに。お客様にまずい印象を与えてしまった。もうこの取引はだめだ。もし運よく今回は大丈夫でも、このお客様は次回からは他所にいってしまうだろう」

から、「この大事なミーティングに遅れてくるのはどうしたんだろう。彼はもっと時間にゆとりをもって出てきたほうがよかったんだけど、道中何かあったのかな。何か急用が入って、早めに出発できなかったのかな。あとでゆっくり聞いてみよう。起こってしまったことはしかたない。二人でベストを尽くしてこのお客様をもてなそう。もしこのお客様が他所に行ってしまったらとても残念だけど、自分たちには次がある。これが一巻の終わりではない」、という具合です。

 これまでのいろいろな「認知のゆがみ」すべてに言えるのは、「ゆがみ」ゆえに、考えが極端化している、ということです。何か極端な考えがでてきたときに、立ち止まって自分のこころを見つめてみるのは、とても大事なことです。


 

(脚注1)この思考パターンが病的に強い性格を、強迫性人格障害 (Obsessive-Compulsive Personality Disorder、OCPD)といい、OCPDを持つ人は、配偶者やパートナー、周りのひとに、自分の価値基準を満たすことを強く期待し、彼らが少しでもそれに満たないと、激怒したり、不機嫌になったりします。また、周りのひとが自分の意向に沿ってくれるか信用できないため、誰かに仕事を任せたりすることがとても苦手です。なんでもかんでも自分で完璧にやろうとするので、仕事は遅いだけでなく、それを期限内に終えることもままならなかったりします(ところで強迫性人格障害と、強迫性障害〔Obsessive Compulsive Disorder〕は、二つの異なる精神疾患です。この違いについては別の機会に説明したいと思います。質問などある方は、気軽に連絡してください)。


認知の歪み その6-「ポジティブの無効化」(Disqualifying or discounting positive things)

2014-02-26 | プチ臨床心理学

 今回は、謙虚であることが重んじられる日本文化圏にとくに多く、多くの人が多かれ少なかれ陥りがちな認知のゆがみ、「ポジティブの無効化」(Disqualifying or discounting positive things)について説明したいと思います。正確には、「ポジティブなことの無効化、あるいは割引」ですが、覚えやすくするために、「ポジティブの無効化」とします。「多かれ少なかれ」、といいましたが、この思考パターンが強い人は、鬱や自信喪失に陥る危険があり、また、今臨床的なうつを経験している人には、この思考パターンが習慣化してしまっている人が多いです。また、この思考パターンにはまると、なかなか鬱から抜け出せません。

 これは、具体的にどういうことかというと、あなたが経験した何かよいもの、たとえば、成功、達成などを、何らかの理由をつけて無効化したり、割り引いて捉えてしまう傾向です。

 たとえば、佳恵さんは、今回のお客様との取引がうまく行き、契約にたどり着きました。佳恵さんと仲の良い同僚の恵子さんは、佳恵さんがこのところずっと不調続きで落ち込んでいたことを知っていたこともあり、嬉しくなり、「すごいじゃん!やったね!」、と励ましの声をかけました。しかし、佳恵さん本人はあまり嬉しそうでもなく、「ありがとう。でも今回はたまたまうまくいっただけだよ。最近ずっと駄目だったし、運がよかったんだよ。お客さん話しやすい人だったし」と、どこかそっけなくいいました。

 しかし実際のところ、佳恵さんの今回のお客さんは、特に話しやすいわけでもなく、どちらかというと気難しいところのある人でした。交渉内容も、結構な知識と根気とソーシャルスキルを必要とするもので、「たまたまうまくいく」ような性質のものではありませんでした。つまり、今回の佳恵さんの成功は、彼女の実力に起因するところが大きかったのですが、彼女はこの認知のゆがみのために、それをうまく認識することができません。この他にも、スランプ気味のスポーツ選手の成功、テストの良い結果、コンクールの当選などにおいて、こうした認知のゆがみのために、そこで喜びを経験することができない人がいます。

 ここでも、前回触れた、「自分の最大の批判者は自分自身である」、という事実が見られます。他人である恵子さんからは、佳恵さんの実力による成功であるとはっきり見えることが、本人には、「ただの偶然」になってしまっているのです(脚注1)。そして、前回と同様に、この認知からの脱却の第一歩は、まず、自分がこの認知のゆがみに囚われていることに気づくことです。

 あなたが何か成功したり、何か良い経験をしたときに、「ラッキーだった」、「たまたまだ」、「運がよかっただけ、自分には能力はないんだし」、などと咄嗟に思ったら、ちょっと立ち止まってください。本当にそれはただの運や偶然などの外的要素だけによるものだったのでしょうか。もちろん、ものごとには運はつきものですが、成功が「幸運」のみによって起こることはそうそうありません。運もあったかもしれませんが、そうでない、何かあなたご自分の内的な起因について考えてみてください。ひとつでも良いです、あなたによる成功の要素です。この作業はじつは非常に大切で、実際、自分の成功を見つめてあげる、それにクレジットを与えられることは、あなたの幸福度、良いセルフイメージ、自己評価に直接つながるもので、逆にこれができないと、ひとは低い自画像や、うつを経験します。

 今あなたがこの認知のパターンにはまってしまっていると思ったら、今回のあなたの成功を、あなたの大切な他の誰かがしたとして、考えてみてください。あなたは、どのような言葉で彼らをほめてあげますか。彼らを上手に正直に褒めることは、それほど難しいことではないでしょう。そのようにして、少しでも自分をほめてあげてください。


(脚注1)この傾向を、専門的には、External locus of control(外的統制型)と呼びます。統制型 (Locus of control)とは、ロッター(Rotter)という心理学者が、1966年に提唱した有名な理論で、この「外的統制型」(External locus of control)と、「内的統制型」(Internal locus of control)の2種類あります。ロッターによると、人間には、自分の経験において、この2通りの認知のタイプがあり、「内的統制型」の人は、自分の経験において、自分自身の才能、能力、努力などといった、「内的」な、自分の性質、特性などによる「統制」として認知するのに対し、「外的統制型」の人は、自分の経験は、自分自身の才能、能力、努力などとはあまり関係ない、運や偶然など、「外的」な統制によってもたらされるものだと認知します。この2つの統制型が、その人の行動における信念となります。お分かりのように、佳恵さんは、「外的統制型」(External locus of control)の認知型で、このタイプの人は、自分の生活や人生において、「自分の行動や努力次第で状況は変えられる」といった、Sense of control、ものごとのいくつかは自分でコントロールできる、変えられる、という感覚に欠けます。この認知タイプは、現在鬱を経験している人にも非常によく見られるもので、実際、鬱のひとが、無力感などを感じるのはこの認知によるところが大きいと言われています。また、自分の行動次第で状況が変わるという感覚が持てないため、ものごとに対して消極的になりがちで、そのため、変えられることも行動しないために変わらず、悪循環になりがちです。

 


認知の歪み その5-「破局化」(Catastrophizing)

2014-02-24 | プチ臨床心理学

 ひとは、何らかのネガティブなできごとの最中にいると、そのときに感じている強い不安や落ち込みなどの気持ちによって、ついつい最悪の事態、最悪の結末など予想してしまいます。この認知のバイアスを、Catastrophizing--「破局化」といいます。

 これは、イントロダクションで触れたように、Fortune telling(負の)未来予想、占い、ともいい、あなたが、何か任意のできごと、あなたの今この瞬間の気持ちなどを元にして、他のもっと現実的な要素を考慮にいれずに、ネガティブな将来、最悪の結末を予想してしまう傾向です。この傾向が深刻であると、日常生活において、いろいろなことが心配で仕方がない「全般性不安障害」(Generalized Anxiety Disorder, GAD)という不安障害に陥ったりします(脚注1)。

 破局化について例をあげると、たとえば、何か仕事で失敗をしたときに、「ああ、どうしよう、失敗しちゃった。これで会社クビになるかもしれない」と思ったり、プレゼンテーションがいまいちで、「ああ、駄目だった。これでみんな自分に失望して、敬意を失ってしまった」と思ったりします。お金に困っているときに交通違反で罰金を科せられて、「ああ、どうしよう。お金がない。ホームレスになったらどうしよう」、と思ったり、たまに配偶者と喧嘩をしたら、「離婚を切り出されたらどうしよう」、と思ったりします。友達と何か気まずいことがあったときに、これで相手が自分のもとを去っていったらどうしよう、と思ったりもします。

 しかし、大体において、破局化的な思考には、根拠がなく、不安に思っていることは、冷静に考えてみると、実際には起こりそうもないことがほとんどです。これは、あなたの不安を、仲の良い信頼できる人に話してみると、よくわかります。「何言ってるの?」と、彼らは驚いて、それとはまったく異なった、彼らの視点で見た、より現実的なあなたの状況について、教えてくれることでしょう。

 ここで、破局化の思考パターンから抜け出す方法です。まず、他のどの認知のゆがみについてもいえることですが、あなたがこの「破局化」の真っただ中にいることに自覚することが不可欠です。仕事で失敗をしたときに「クビ!」という単語が脳裏をよぎったら、立ち止まって、どうしてそういう結論に達したのか、考えてみましょう。プレゼンの失敗が「みんなの落胆」という結論にどう至ったのか、考えてみましょう。それで、実際にあなたの思考を紙に書き出してみるものいいです。たとえば、まずいプレゼンの例でいうと、

「私は今回のプレゼンに失敗した。ひどいできだったと思う。あくびをかみ殺しているひともいたし、テーブルの下で密かにスマホを操作している人もいた。質問も少なく、反応がよくなかった。あのようなプレゼンをして、私はみんなをがっかりさせた。みんな、私に失望し、私の能力に疑問を持っているだろう。馬鹿だと思われたかもしれない。もう彼らの信頼は取り戻せない」

という思考が明らかになるかもしれません。

このときに、この経験をしたのはあなたではなく、あなたと仲の良い同僚や、あなたの大切なひとが経験したものであると、考えてみてください。あなたは、彼らにどのようなアドバイスをするでしょう。人生において、「自分の最大の批判者は自分自身」である場合が非常に多いことを、まず覚えておきましょう。そして、「他者はまず、あなたが自分自身をみているようには、あなたのことを見ていない」、という事実についても覚えておいてください。そして、あなたが経験したことを、もしあなたの大切な他の誰かが経験して、上記の文章な気持ちをあなたに吐露してきたら、あなたはどう答えるでしょう。どうアドバイスするでしょう。たとえば以下のようではないでしょうか。

「あなたは今回のプレゼンはいまいちだった。あまりよくない出来だったかもしれない。確かに、あくびをかみ殺しているひとはいたし、こっそりスマホをいじってるひともいた。でも彼らは他のひとのプレゼンでもあくびかみ殺してるしスマホいじってる。他のひとたちのプレゼンでも、あまり質問がないことだって多い。質問が少ないから悪いプレゼントはいえないし、良い質問をしてくれたひとだっていた。質問を思いつかない内容だったかもしれない。誰かがあからさまな不快感を見せたこともなかったし、批判や反論もなかった。それから、今回のプレゼンの反省点について、よくわかってるし、それを次に生かそう」

という具合です。要約すると、「プレゼンはいまいちだったかもしれないけど、それほどまずいものでもなかったし、今回のことを生かして次回はもっといいものにしよう」、となるでしょう。これをあなた自身に言い聞かせて、こころの留めてください。このようにして、「黒か白かの思考パターン」にもみられるような、極端な「破局化」から抜け出していきます。


(脚注1)全般性不安障害とは、以前は「神経症 (Neurosis)」と呼ばれていたもののひとつですが、現在は、この「神経症」という言葉は臨床心理の現場において使われなくなりつつあります。その代わりに、今まで神経症とされていたこころの問題は、パニック障害(Panic Disorder)と、この「全般性不安障害」に分けられます。ちなにみ、パニック障害を持つ人たちにも、この「破局化」の思考パターンの傾向はよく見られます。さて、全般性不安障害に掛かっているひとは、こうした「破局化」の思考がいろいろな事項において見られます。たとえば、小さな子供のいる主婦の方が、小さな子供が小学校に進学するとき、「子供がいじめにあったらどうしよう」、「通学中に事故にあったらどうしよう」、「学校にいる間に大地震がきたらどうしよう」、また、夫が「過労死したらどうしよう」、「がんなど見つかったらどうしよう」、今度の地域の集会で、「件の未決定事項でXXさんがまた波風立てたらどうしよう。議案が暗礁に乗り上げたらどうしよう。XXが意地悪なこと言ってきたらどうしよう」、などといろいろな不安を経験します。また、こうした不安について、コントロールしたり、気を紛らわせることも難しく、集中力に支障をきたしたり、イライラしたり、落ち着きを欠いたりします。また、身体症状(Somatic symptomes)という、体の不調も見られ、それらは主に、首や肩こり、頭痛、動悸、睡眠障害、消化不良、下痢などです。ところで、この不安障害を経験している人のなかには、上記のような具体的な不安の自覚はなく、ただなんとなくいろいろなことが不安で、身体症状のほうに問題を感じているひとも少なくありません。


認知の歪み その4-「個人化」 (Personalization)

2014-02-24 | プチ臨床心理学

 自分の言動について、その結果や成り行きにおいて、責任を取るのは大切なことですが、責任意識の強い人が陥りがちな認知のゆがみのパターンに、Personalization (過度に個人的に取ること)というものがあります。これは、必ずしもあなただけの責任ではないことに対して、必要以上に自分を責める傾向です。これはまた、誰かがあなたに対してネガティブに振る舞ったときに、その理由についていろいろな可能性を考慮せずに、それは自分に問題があるからだ、と思ってしまう傾向でもあります。

 たとえば今日、どういうわけかあなたの上司の機嫌が悪かった時に、「私何かしたかなぁ。もしかしたらXXXのことかな、YYYのことかな」、などと憶測を立てて、悶々としてしまう人もいますし、あなたの配偶者がなんだかイライラしていたら、それが自分のせいだと思ってしまう人もいます。

 しかし、彼らが悪いムードなのは、あなたとは全然関係のない理由によるかもしれないし、あなたと関係があったところで、もしかしたら、彼らは自分の責任をあなたに擦り付けているだけかもしれません。まず、彼らの悪いムードの理由がわからなかったら、いろいろひとりで憶測せずに、言葉に出して聞いてみるのがいいでしょう。実は自分とはまったく無関係のことで機嫌が悪かったと知ってほっとすることは多いでしょう。ところで、あなたが彼らの悪いムードに巻き込まれてなんとなく気を遣っていると、それが相手に伝わり、今度は本当にあなたに対して彼らがイライラする、ということもあります。つまり、誰かのムードが悪いときに、それを個人的に取らないこと、巻き込まれないことが大切です。

 また、あなたの友人が実際直接何かについてあなたを非難してきたとします。このときに、友人の非難することを鵜呑みにしてしまい、ものすごい罪悪感を感じたり、自己嫌悪に陥ったりしてしまう人もいます(脚注1)。しかし、前にもいいましたが、人間関係というのは、どちらにも責任があるもので、どちらかが100%悪い、というようなことはほとんどありません。人は、誰かを非難しているとき、往々にして、自分自身の責任については忘れがちですが、彼らが忘れてしまった分の責任まであなたが呑み込む必要はありません。話し合ってみて、どこまでがあなたの責任で、どこからはそうでないか、見極めて、その部分について反省し、行動を改め、責任を持てばいいのです。

 また、より現実的な問題として、あなたが仕事で何か失敗をして、その結果、上司や顧客など、誰かが困ったり、腹を立てたりする、ということは実際にあるでしょう。これは、「あなたの失敗」が、実際に彼らの気分を害しているわけですが、この場合においても、「責任をとる」ことと、「個人的に取りすぎる」こととは異なります。その失敗の結果について、反省して、同じことを繰り返さないように気を付けたり、また、その損失について償えることがあればする。それが責任をとる、ということで、自分を責め続けるのは、責任を取ることとは違います。

 こういうわけで、人間関係において何かネガティブなことがあったときに、それについて、必要以上に個人的に受けすぎて、自責の念に陥ってしまわぬよう、注意が必要です。自己嫌悪の感情は、うつと密接に結びついています。自責がはじまったときに、「本当に全部自分が悪いのかな」と、まずは疑問を持ってみてください。それから、「すべてあなたが悪い」という事象は、世のなかそうそうないことを念頭に入れておいてください。


 

(脚注1)これとは逆に、誰かが自分に対して腹を立てていることに対して、まったく責任を取ろうとしない人もいます。「あの人はああいう人だ。個人的にとってもしかたない。私のせいじゃない」、といった具合です。また、このように、責任が取れないゆえ、常に非難の矛先が他者に向いてしまうひともいます。こういう人は、うつや不安にはならないかもしれませんが、他者と良い人間関係を築くのは非常に難しく、うつや不安とは全く異なるこころの問題があります。

 


認知の歪み (cognitive distortion) がもたらす鬱、不安とその改善法 その3

2014-02-24 | プチ臨床心理学

 ひとの認知は、もともと、過去の経験やいままでに集めた情報をもとに、状況を分析して一般化する傾向にあり、それは将来の予想や計画を立てたりするのに通常は有益な機能だけれど、これが過剰になると、うつや不安、無力感などの好ましくない精神状態に陥ります。これが、Overgeneralization-「過度な一般化」です。

 これは、あなたが経験したあるひとつのネガティブなできごとを、まるでそれがあなたがこれから経験することすべてに当てはまるように、必要以上に一般化してしまう傾向です。それはまるであたかも、永遠に続く敗北のような錯覚でもあります。あなたが何かを考えたり話したりしているときに、「いつも」(Always)とか、「絶対ない」(Never)などの言葉を使っていたら、要注意です。

 たとえば、接客業に従事している責任感の強い舞さんは、ある日ミスをして、顧客を怒らせてしまいました。そのとき舞さんは、「どうしてあんなこと言っちゃったんだろう。やっぱり私は気が利かないんだ。接客業なんて絶対だめなんだ。この仕事もう辞めたほうがいいのかな」、と思って鬱になってしまいました。「顧客に何か不適切なことを言ってしまった怒らせてしまった」、というひとつのネガティブなできごとが、舞さんの自己評価全体に一般化され、やがては、仕事そのものをやめてしまうことを考え始めていますが、舞さんは長い間今の仕事についていて、顧客を怒らせるようなことは、滅多になかったのです。それで、この認知のゆがみから脱出できれば、舞さんはきっと、「気が利かない自分」に矛盾するような、今までのいろいろな「証拠」を思い起こせたり、顧客側にもあったかもしれない、今回の人間関係の問題の要素についても考えられるかもしれません。「黒か白かの思考パターン」と同様に、過度な一般化は、あなたの視野を狭めて悪いものに意識が集中するようにしてしまう問題があります。

 また、高校野球のバッターの通さんは、このところどうも不調続きで、先週の試合も、今日の試合も無安打でした。そこで通さんはすっかり落ち込んでしまいました。「先週も駄目だったし、今日も駄目だった。今度の試合もきっとだめだ。やっぱり自分には才能がないんだ。自分のような人間は野球部やめたほうがいいかもしれない」、と思ったのです。

 また、大学一年生の直美さんは、3カ月ほど付き合っていたボーイフレンドに振られて、ものすごい落ち込みを経験しています。「もう誰とも付き合えない。付き合ったって、今回みたいに3カ月で駄目になっちゃうんだ。私は恋愛なんて向かないんだ」、と感じています。あるネガティブなできごとが、まるであたかも永遠に続く敗北のように感じてしまう例です。

 さて、この「過度な一般化」からの脱出方法だけれど、まずは、あなたが何かすごい落ち込みや不安、怒りなど、ネガティブな感情を経験したときに、どうしてそう感じているのか、立ち止まって、上記のような文章にしてみましょう。それで、そこに極端な一般化が含まれていないか、検討してみましょう。たとえば直美さんの例において、人間関係というのは、ふたりの人間が互いに作り上げているもので、どちらか一方が100%悪い、ということはそうそうありません。失恋においても、問題は、通常両方にありますし、今回の恋愛がうまくいかなかったから、次も駄目であるとは限りません。また、直美さんの恋は、2週間でも1か月でも2カ月でもなく、3カ月続いていたわけで、完全な失敗ではなかったわけで、恋愛なんて向かない、という結論に達するのは無理があります。

 仕事で失敗をしたら、それきちんと受け止め、パターンを分析しつつも、そこに存在する、今回独特の要素、ユニークな点を見つけます。今回の失敗に、過去のものと共通する何らかの傾向は存在するかもしれませんが、それがあなたの仕事のすべてに当てはまるわけではなく、失敗がずっと続くわけでもありません。このように、立ち止まって、その一般化に対する「例外」を見つけていくことも、この思考パターンからの脱却の糸口となります。


認知の歪み (cognitive distortion) がもたらす鬱、不安とその改善法 その1

2014-02-21 | プチ臨床心理学

 ひとは、何かのできごとによって、うつ、不安を経験しているとき、そのできごとが直接あなたのこころに影響していると考えがちです。しかし、実際のところあなたのこころに直接働きかけているのは、そのできごとではなく、あなたが(ほとんど自動的に、無意識に)どのようにそのできごとを解釈しているか、あなたがそれをどう受け止めているか、その思考パターンに起因します。

 具体的な例を挙げると、あなたが何かの試験を受けて、思っていたような結果が出ずに、がっかりしたり、悲しくなったりします。これは、普通に考えると、「テストの結果が悪かったからブルーになった」、となるけれど、一度立ち止まってみて、「テストの結果が悪かった」ことが「どうして」あなたを鬱にしたのか、ゆっくり考えてみると、実はあなたの「テストの結果」と「あなたの鬱感情」を結びつけている、自動的、無意識的な思いが思い浮かんできます。たとえばある人えは、「あんなに勉強したのに。もうどんなに頑張ってもだめだ」、と思っていたかもしれないし、「私は馬鹿なんだ」、と思ったかもしれないし、「全然勉強しなかったからだ。私は怠け者のだめな人間だ」、と思ったひともいるかもしれません。ところで、この自動的な考えは、専門的にも、読んで字の如く 「自動的思考 (Automatic thought)」と呼ばれます。図式としては、1)できごと(試験の結果)-->2)自動的思考(「もうどんなに頑張ってもだめだ」)-->3)情緒体験(鬱、ブルー)となります。

 また、うつではなくて、そのときに強い不安を感じるひともいるかもしれません。そのとき、そこにはやはり「自動的思考」が働いていて、この場合、たとえば、「どうしよう、再試験のための時間がない」とか、「どうしよう、この結果で昇進は駄目かも」、とか、「もっと勉強しても次に良い結果がでるかわからない」、「どうやったら結果がでるんだろう」、といった思考かもしれません。この場合の図式は、1)できごと(試験の結果)-->2)自動的思考(「昇進は駄目かも)」-->情緒体験(強い不安)、となります(脚注1)。

 できごとそのものではなく、実際に私たちの気持ちに働きかけているのはこのいろいろな「自動的思考」である、というのは、認知行動療法 (Cognitive Behavioral Therapy)の基本概念であるけれど、これは別の見方をすると、こうした「ある種の不適応的な自動的思考」を「より現実的で、建設的な思考」とすり替えることで、あなたの経験している、うつや不安などのネガティブな情緒体験を改善できる、ということでもあります。そして、この気持ちの変化というのはしばしば驚くほどすぐに起きるもので、これは私がセラピーのセッションでクライアントと一緒にこの活動をしていてもよく感じることです。まず、不適応の自動的思考に気づいた時点で、彼らの鬱や不安は軽減するし、より現実的、客観的で、建設的な思考を思いつくと、彼らの気持ちはさらにぐっと改善します(これは、これから紹介する方法で、あなたひとりでもできるアクティビティです。なるべくわかりやすい説明を心がけますが、これから読んでいって試してみていまいちうまくいかなかったり、疑問がでてきたり、より具体的な援助が必要だ、と感じたら、連絡してください)。

 自動的思考には、良性のものと、悪性のものとありますが、今回取り上げているのは、後者の、悪性のもので、こうしたネガティブな自動的思考には、首尾一貫した、システマティックな、「思考、認知のゆがみ」が関係しています。あなたの思考を特定の、まずい方向にもっていくパターンです。以下に紹介する12個の「認知のゆがみ」パターンは、認知行動療法の創始者、Aaron Beckが数十年前に発見したものですが、これは現在でも、臨床心理の現場はもとより、コーチング、自助本、サポートグループなどでも広く使われていて、非常に役立つものなので、紹介します。なお、こうした認知のゆがみは、臨床的なうつ病、不安障害を経験している人たちにおいては、特に顕著に見られるものです。個人差、程度差がありますが、これらは、多かれ少なかれ、だれにでもあるものです。

 これらをじっくりと読んでみて、自分が該当するパターンを特定して、よく自覚することは、それ自体があなたの精神状態にポジティブに影響します。もちろん、ある種の自動的思考は、現実ですが、多くの場合、それは、誤りであったり、また、いくつかの事実がネガティブに誇張されてしまったものです (12個の認知のゆがみの具体的な例においては、別の記事で追って説明していきます)。自分に当てはまるものが特定できたら、そのゆがみによって見えていなかった可能性について考えたり、書き出してみるのもいいでしょう。視野を広げ、実は存在していたオプションについて認識をすることも、あなたのこころに良い影響をもたらします。人は、「自分には選択肢がある」、「オプションがある」、と感じられるときに、よりポジティブで前向きな気持ちになれます。


1) All-or-nothing thinking--「オールオアナッシング、全か無か、0か100か、白か黒かの思考パターン」

これは、Dichotomous thinking(二分法的思考)とも呼ばれるもので、これは、あなたが、(自分の置かれている)状況を、2つだけのカテゴリーとして認識する傾向です。しかし実際には、状況というのは、連続性のある、スペクトラム的なものであり、物事には、白と黒との間のグレーゾーンというものが存在します。

 

2) Overgeneralization-「過度な一般化」

これは、あなたが、あるひとつのネガティブなできごとを、まるであたかもそれがあなたがこれから経験することすべてに当てはまるように、必要以上に一般化してしまう傾向です。

3) Personalization―過度に個人的に取ること

これは、必ずしもあなただけの責任ではないことに対して、必要以上に自分を責める傾向です。これはまた、誰かがあなたに対してネガティブに振る舞ったときに、その理由についていろいろな可能性を考慮せずに、それは自分に問題があるからだ、と思ってしまう傾向でもあります。

4) Catastrophizing--「破局化」

これは、Fortune telling(負の)未来予想、占い、とも呼ばれるもので、これはあなたが、何か任意のできごと、あなたの今この瞬間の気持ちなどを元にして、他のいろいろな要素を考慮にいれずに、ネガティブな将来、悪い結末を予想してしまう傾向です。

5) Disqualifying or discounting positive things--良いことの無効化、あるいは割引

これは、あなたが経験した何かよいもの、たとえば、成功、達成などを、何らかの任意の理由をつけて無効化したり、割り引いて考えてしまう傾向です。

6) "Should" or "Must" statements--「すべきだ」、「しなければ」、の思考パターン

これはあなたが、厳密で固定された考えをもとに、どのようにあなたが、あるいは他者が振る舞う「べき」であるかの基準をつくり、その基準をあなたや他者が満たさなかった場合において、過度にネガティブな成り行き、結果を予想してしまう傾向です。この基準によってあなたは自分を責めたり、他者を責めたりしてしまいます。

7) Emotional Reasoning--感情的推理

これは、あなたが、今この瞬間の気持ちに基づいて、ものごとの成り行きや将来を推測したり、あなたの属性について結論を出してしまったりする傾向です。

8) Mind Reading--(他者の)こころを読むこと

これは、特に何の根拠もなしに、誰かがあなたに対してネガティブな反応をすると決めつけてしまう傾向です。これは、他人が何を考えているのかわかる、というあなたの信念に基づくもので、その信念が故に、いろいろな他の可能性に目を向けることができません。

9) Magnification and Minimization--極大化と極小化

これは、あなたが、ある状況や、他者や、あなた自身について評価しているときに、必要以上にそのネガティブな要素に重点を置き(極大化)し、同時に、その良い側面において、必要以上に軽くあしらってしまう(極小化)傾向です。

10) Mental Filter--こころのフィルター

これは、Selective abstraction(選択的抽出)とも呼ばれるもので、あなたが、ある状況やできごと、あなたや他人に対して、ある一点のネガティブな細部に集中してしまい、その全体像を見ることができない傾向です。

11) Labeling--ラベリング、レッテル貼り

これは、あなたが、何か固定された、全般的なラベルを他者やあなた自身に貼り付けてしまい、その結果、実際には存在している、そのラベルとは相反する、ポジティブな可能性や側面を考慮することができない傾向です。

12) Tunnel vision--トンネル的視野

これは、あなたがものごとのネガティブな側面だけを見てしまう傾向です。トンネルのように、視野が狭められ、見えるものはネガティブなものだけですが、そのトンネルの周りには実はポジティブな現実もあるのです。


 

以上が、代表的な12個の、人間の認知のゆがみのパターンです。お気づきの方もいると思いますが、これらの12個のパターンは、オーバーラップしていたり、相互に関係しているものが多く、この識別は、あくまで、便宜的なものです。あなたの認知のゆがみについて、正確に特定することが、そのゆがみからうまく脱出することにつながります。さて、次回から、この1つ1つについて、具体的に説明していきます。 

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脚注1)もちろん、ポジティブな情緒体験、たとえば幸せな気持ち、喜び、などにもこの自動的思考が働いていて、たとえば、試験の結果がよかった時に、人がとても嬉しくなるのは、その時に瞬間的に経験している思考があり、それはたとえば、「やっぱり私はできるんだ!」とか、「これで昇進できる!」とか、「頑張ってよかった!努力は報われる!」とか、「これでしばらくゆっくりできる!」といった自動的思考で、図式としては、1)できごと(試験の良い結果)-->2)自動的思考(「これで昇進できる!」-->3)情緒体験(喜び、幸福感、という具合になります。