Thanksgivingが終わった辺りから、
南カリフォルニアは急に寒くなったのだけれど
「LAは年中薄着で大丈夫な最適の気候」
という思い込みから、冬になっても
鳥肌を立たせながら半袖で居続ける
カリフォルニアンは毎年至る所にいる。
ある人が、
「今日はカリフォルニアンの
現実否定が随所で見られた」
と、この現象を指して言ったけれど、これは
的を射た発言で、このように、人間は日常生活の
至るところで無意識に「否認」を行っている。
ご存知の方もおられるかと思うけれど、
「否認」(Denial)とは、心の防衛機制の一つで、
外的世界の現実を拒絶して不愉快な経験を
認めないことにより精神衛生を保とうとする
心の働きである。
例えば、自分が太ったことを認めたくない為に
サイズの小さすぎる服を着続けたり、気に入りの
靴が履き古されてぼろぼろになっているけれど
その消耗を認めずに履き続けたり、遊びに
行きたいが為に、風邪引いて体調が悪いという
事実を否定して無理して外出したり、自分の
年齢には若すぎる服を、加齢を否定して着続けたり
視力が悪くなっているのを否定して度のあわない
眼鏡を使い続けたり、明らかに買い替え時期の
コンピューターを使い続けたり・・・と、枚挙に
暇がないけれど、このように否認とはとても
日常的に使われている防衛機制だ。
しかし、この「否認」という防衛機制は、
上記の例のように、「健康」な人にも見られる
軽度なものもあれば、明確な現実の否定など、
現実検討能力の問題を示す、重篤な精神障害を
表すものもあり、そのレベルは様々である。
ところで、否認は、人間関係の中にもしばしば
見られるものだ。例えば、親が、自分に対する
子供の悪感情だとか、心の問題を否認して
直視することを回避したり、カップルが、
その関係にとって脅威となる事柄を否認したり、
仕事などで、自分の能力が明らかに不足している
のに、それを認めずに固執し続ける人や、
明らかなリストラ候補で、左遷など、会社から
明らかな嫌がらせを受けていることを否認して
その会社に残り続けたり、とにかく人は、
「認めたくないものは認めない」「聞きたくない
ことは聞こえない」「見たくないものは見ない」
「知りたくないことは知らない」という性質を持っている。
しかし、いくら否定したところで、現実は
現実として存在しているので、その否認の内容に
よっては、その人の生活には様々な支障が来される
ようになったりする。
例えば、これは比較的健康な例だけれど、
冒頭のカリフォルニア人は寒さを否定して
薄着し続けることで、身体を壊す。
否認し続けて見ようとしなかった人間関係の溝も、
現実には存在するもので、否定し続けていると
そのうちに溝は取り返しのつかないくらいに
大きくなり、その関係性は破綻するかもしれない。
このように、「否認」という防衛機制では
どうにもならない現実に晒されたとき、例えば
風邪を引いたカリフォルニア人は、しぶしぶと
「きちんと着込まねばならない寒いLA」という
現実を認めて自己調整を図るだろう。
人間関係の問題においても、早いうちに、その
問題の存在を認めて態度を改めたりできる人は
その関係が破綻するずっと前の段階で軌道修正を
図ることができる。
経験的に気付いている方も多いと思うけれど、
この「否認」という防衛機制の強さや頻度には
人によってかなりの個人差があり、他人からの言葉や
フィードバックなどに対して防衛的な人は、常習的な
防衛機制として否認を使うことが多いけれど、
周りに対してオープンで柔軟で、変化に対して抵抗の
少ない人は、あまり「否認」を使わないし、
使ったとしても、その機制はすぐに解けてしまうので
大した問題には発展しない。
いずれにしても、否認とは私たち人間が普段から
自然に使っている心の防衛機制なので、例えば、
生活の中で、何かがうまくいかなくなった時や、
問題に直面したときに、自分や、周りの人間が、
何らかの現実を否定したり、曲解したりしては
いないだろうかと、内省してみると、解決の意図が
見えてくるかもしれないし、より現実的で、
建設的な対処法も見つかりやすくなるものだと思う。
それから、自分の「否認」という防衛機制に敏感で、
正直でストレートな人は、周りの人間の発言や
こころの動きにも敏感なので、風通しのよい
人間関係が展開されやすいものだと思う。