夜。
妻と歯を磨きに洗面所へ行った息子がひとりでリビングのドアを開けてツカツカと珍しい足取りで歩いてきて、私の前まで来ると、
「ねえ、たかさん?」
と、どこか毅然とした様子で尋ねてきた。どこかで見覚えのある表情だった。
息子は状況に応じて、私の事を「パパ」とも「たかさん」とも言う。通常は「パパ」で、恐らく意識をして使い分けているわけではなさそうだが、そこには一定の法則があり、決してランダムではないのが面白い。
「ん? どうしたの、◯◯?」、
と応じると、
「◯◯のいちごのスースーするはみがきこ、たかさんつかった?」、
と言うので、ああなるほどと思い、
「ああ、うん。使ってるよ。だってほら、◯◯、あの歯磨き粉スースーして嫌いって言ってたじゃん。それで今の歯磨き粉使ってるでしょ?」
「つかっちゃダメ」
「え、ダメだったの? 嫌いって言ってたから、誰も使わないし、捨てるのももったいないと思って」
「こんどつかうからだめ」
「そっか、わかった。ごめんね。必要だったんだね」
「うん」
といったやり取りが繰り広げられたところに妻が笑いながら入ってきて、
「◯◯、私の言い方にそっくりだね」
と言うので、確かにそっくりだなと思い、私も笑った。そういえば表情も妻のものだった。ちなみに息子は妻の事も、通常は「ママ」と呼ぶけれど、彼女のファーストネームに「ちゃん」を付けて呼ぶ事がある。私が妻に話しかける時の呼び方だ。
今夜息子はなんらかの理由で、「スースーするいちご味の歯磨き粉」に久しぶりに注意が向いたようだった。
息子に使われなくなったいちご味の歯磨き粉を私はいつしか使い始め、「この歳になってまさかいちご味の歯磨き粉を使うことになるとは思わなかった。人生何が起こるか分からない」などと思い、それは懐かしくも新鮮な感覚で、最近は夜の密かな楽しみとなっていた。しかしその終わりも突然やってきた。残念。人生本当に何が起こるか分からない。