興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

人が花を好む理由

2006-10-03 | プチ進化心理学

人間は、文化や民族や風習をを超えたところで、
花を愛する存在だけれど、それはどうしてでしょうか。

原始時代といわれる時から、私たちの祖先は、
お墓に花を供えていた証拠も知られていますね。

入院している知人を見舞うときに、私たちは
花束を持って行くけれど、実はこの花束には、
かなり現実的な効果もあります。

花束をもらった患者は、病気からの回復が促進され、
精神的にも向上することは、いくつかの研究によって
支持されています。

世界中の人たちが、花を愛しています。
別に食べられるわけでもないのに、不思議じゃ
ありませんか。

(書いていて菊の花が食べたくなりました。
 それから、桜茶が飲みたい)

「そんなのきれいだからに決まってんじゃん」

と言われると確かにそれまでなのだけれど、
これには、進化心理学的な仮説もあるんです。

その昔、狩猟などが食糧の全てだった時代、
木の実も果物も野菜も何もない冬は、私たちの
祖先にとって、それはそれは過酷な時でした。

花は、そんな過酷な冬の終わりを示唆し、
緑や果物の到来を知らせる、とても大事なサイン
だったわけです。その時から、人類は、花を見ると
こころが明るくなり、その条件反射的な感情が、
長い時代をかけて、私たちの脳の一部に
組み込まれた、という説なんです。

そういうわけで、私たちの祖先は、花によって、
希望に満ちた春の到来を知らされていた、故に
花が好きになった。現代人が花を好むのは、その
進化の過程のなごりである、というお話でした。

これが本当かどうかは、推測はできても、特定する
ことは誰にもできないわけだけれど、感慨深い説だなと
思うんです。そこに、何らかのロマンのようなものを
感じたりします。



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5 コメント

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はじめまして。 (ユリ)
2006-10-04 00:22:57
夜分に失礼します。 花のお話ステキなのに違うことで聞いてもらいたくて‥ 男女間がうまくいかなくなった時距離を置いたりしますよね。冷却期間? その必要性はなんでしょう? 距離を置くことで返って駄目になるケースの方が多くないですか? 互いを見つめ直すのに時に距離は必要だとも思ったり。私事ですが、彼から距離を置かれてます。待たせることはなんとも思わないのでしょうか?男と女の違い? こんなことで勝手に書き込みしてすみません。心理学は大好きで(ナースなので)いつも読ませていただいてます。
返信する
Unknown (Yodaka)
2006-10-04 15:00:04
ユリさん



はじめまして。

コメントありがとうございます。



この答えは、状況により多岐に渡る

もので、例えば、その二者間の関係性の

性質、期間、それぞれの人間の性格、

その背景にある状況や問題点などにより

異なってきます。



よって、ユリさんの状況を全然知らない

現時点で あまり無責任な発言は避けますが

同時に、あまりに一般論にもならないように

気をつけて回答してみます:







「(こころの)距離」と聞いて、

僕が真っ先に頭に思い浮かべるのは、

人間一人一人が持っている、

「パーソナルスペース」と「境界線」です。



普段、「パーソナルスペース」と聞いて

多くの人が思い浮かべるのは、物理的な空間

ですよね。自分が、他者と接するときに取る

心地よい距離。



でも、臨床心理で「パーソナルスペース」と

いうと、物理的な距離とは限らないんです。

以前、「Theory of Mindful Space」で

書いたことと少し重複するけれど、

我々人間の「パーソナルスペース」には、

こころの境界線が含まれます。



ちょっと月並みな話だけれど、

「ハリネズミのジレンマ」ってありますね。

寒い夜に、洞窟の中に二匹のハリネズミが

いて、お互いが、お互いのぬくもりを

求めているのだけれど、あまり近付きすぎると

互いの持っている針で、互いを傷つけてしまう。



傷付けようと 意図していないのに。



でも、痛いからと、離れすぎると、今度は

寒くて仕方がない。それで、二匹はいろいろな

試行錯誤の末に、互いにとって最適な距離を

築いて寒い夜をしのいだと言います。



この話にでてくる、ハリネズミのとげ、

また、この二者間の距離は、物理的なもの

だけでなく、こころの距離も象徴していますね。



人間誰でも、こころの境界線を持っていて、

それが何らかの形で侵されたり、侵されそうに

なったりすると、怒りや、脅威や、不快感など

マイナスの感情が喚起され、境界線を保つような

行動化が促されます。



普段の人間関係(友達や上司や同僚など)では

互いに「大人の距離」が存在しているので

たいていの場合はうまくやっていけるもの

だけれど、恋人同士や、夫婦間の距離というのは、

それ以外の人間関係の距離とは全く別の次元の

ものですね。



それは時に、一体感を体感するほどに、近くて

親密なものです。(我々が、家族との問題に

おいて客観性を保てなくなるのも、こころの

距離が非常に近いからですね)



常に、お互いがお互いの境界線の中にいる

ような対人関係が、恋人同士の関係なので、

それがいい感じに作用している時は、特別な

親近感や一体感など、とても心地よい感情が

体験されるのだけれど、



何しろ距離が近いので、何かあると、互いに

ほとんど無意識的に傷付けてしまったりする

わけです。



そのようにして、自分の境界線が脅威に

晒される体験をした時、恋人同士は、

距離を取ろうとします。心が脅威に晒されない

負担の少ない、より良い距離を見つけるために。



つまり、「距離を取る」ことの一つの答えは

人間関係が破壊的にならないようにすることに

あるけれど、中には、どうしても距離の取れない

カップルも存在します。



一方が距離を必要としているけれども、もう

一方は、もっと距離を縮めたくて、近付き

続ける(相手の境界線を犯し続ける)場合です。

すると、互いの持っている針で、二人は致命的に

傷付けあい、二人の関係は時に修復不可能な

ほどに損なわれます。



たいていの場合、一方が距離を持ちたがっている

時、もう一方は、その気持ちに気付いて、

相手の境界線に踏み込まぬよう、付かず離れずの

一定の距離を保とうと試みるけれど、ユリさんの

今の立場はこのようなケースだと思われます。



前置きが長くなったけれど、こうした時に、

二者間のコミュニケーションの「不透明性」は

強くなる傾向があります。つまり、相手が

何を考えていて、どんな意図があるのかが

よく分からない状況です。



こうした、不透明なコミュニケーションの

中で、いろいろな誤解が積み重なって、

こじれたミスコミュニケーションに疲れて

相手を理解することを、理解してもらうことを

諦めてしまうと、その恋人達は終わってしまう

ことが多いですね。



ここで大切だと思うのは、「距離を置く」こと

と、「コミュニケーションを諦める」こととは

全く別物だということなんです。どうも、

多くの人が、「距離を置く」過程で、

「コミュニケーション」を諦めたり、放棄

したりしてしまっている。



不透明な関係性の中で、コミュニケーションを

取り続けるのはとても怖くて、勇気やエネルギー

のいることなので、誰にとっても不快で疲れる

ことだと思います。だから、途絶えがちになって

しまう。そうした中で、気持ちも醒めていって

しまいます。



でも、こうした状況下で、お互いに

コミュニケーションを取ろうという意思が

ある限り、関係性は続いていきますね。



だから、「何故 距離が必要なのか」

「何故 距離を取ろうとするのか」

「どのような関係がより良い関係だと

 思うのか」「自分は今の距離について

 このように感じている」などと

質問して明確にしていったり、自分の気持ちを

表現していくことは、コミュニケーションが

「不透明」になっている時にこそ、

必要だと思うんです。



相手がどのように思っているのかは、

聞いてみないと分からないもので、

でも、聞くのが怖いから、人は聞かずに

いて、それによってさらに相手の気持ちは

不透明になってしまうので、やはり、

コミュニケーションが必要なんですよね。





なんだか、長々と、一般論のようになって

しまいましたが、この回答が何かのお役に

たてば幸いです。取り留めのない回答なので

分かり難いかもしれないし、また気軽に

コメントしてみてくださいね。



コメントありがとうございました。







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ちょっと男の側から経験上・・・ (シオピー)
2006-10-05 21:04:50
 読んでて、ふと思いコメントさせて頂きます。



 僕の個人的な経験で言えば、距離を置きたい時というのは、やはりこっちの気持ちが薄れ、相手に、今のこちら側の距離感を認識して欲しいと願う場合である気がします。

 同じ距離感に、相手にも立ってもらって、その地点から、今後の落とし所を探っていきたいと意図する訳で、つまりは、バランスの偏した、二人の恋愛感情の濃淡を、調節して無理矢理薄い方に合わせ、お互いが解消し易い立ち位置に持ってきて、そこから両者が互いに解消への道を歩む、その際には、一方が一方を一方的に振るという形式を採らずに済む、回避したいと願う男の側の、都合のいい勝手な手法だと僕自身は認識しています。



 男が距離を置こうという場合は、やはり自然に無難に解消に至るための方法を示唆してるような気がします。



 ただ、一度、基本的な人間関係の地点まで濃淡のレベルを落としてみれば、再度再生できる要素に新たに気付くかもしれないという期待も残っているとは言えるでしょう。



 変な事言ってごめんなさい。コメントされてるユリさんの気持ちをそぐ意図は決してございませんのでお許しを。僕の陳腐な経験上の私見にすぎません。何だか昔を思い出し、切なさと不憫さをふと思い出してしまい、この紙面を借りて、コメントさせて頂きました。
返信する
こんばんは (こぐま)
2006-11-18 21:44:25
不透明だから、疑心暗鬼になるんだね。
そして、お互いに近寄るのが怖くなって、
恋が終わってしまうの。

愛が冷めたのなら、冷めたで、
冷めてないのなら、冷めてないで、
白黒はっきりさせて恋は進んでいくんだよ。

男の人は、体の関係を持ったら飽きるというけど、
万人がそういう訳ではない。
もしかしたら、本当の愛がそこにはあるのかも
知れない。
目を大きく見開いて、苦しいけど自分で見極めるの。

頑張ってね。

人は、簡単に、もう冷めたんだよと言いたがるけど、
そして、みっともないことにならないように
たしなめてくれるけど、みっともない位本気で
恋愛してみてね。


まあ、長々と訳の分からないことを書いたけど、
タカさんのお陰で、結婚式の二次会のプレゼント
決まったよ。
花束にしておくよ。

私は、それが一番嬉しかったから。
返信する
Unknown (Yodaka)
2006-12-01 20:23:44
コグマさん

恋愛経験豊富なコグマさんのお話は
とても説得力がありますね。

花束は、最高の贈り物だとつくづく思います。
残るものではないけれど、多分、だからこそ、
何より美しく、人々から愛される贈り物
なのだと思います。

乾杯!
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