自己愛性人格障害などを伴った、自己中心的で共感性を欠いた親の元で育った人の多くは、その親子関係の傷から、自己中心性というものを強く嫌悪すりようになります。
親を反面教師として、意識的、無意識的に、その真逆のスタンスで生きていくようになります。
自分の事はいつも二の次、三の次で、周りの人たちの気持ちやニーズを優先して生きているので、人望が厚く、人々からの信頼や尊敬を集めます。
しかしこの傾向が強すぎると、その人は生きづらさに苦しむようになります。
仕事や経済面、体調管理などは意外としっかりできている方が多いですが、これも真のセルフケアではなく、自分のコンディションが整っていないと周りに迷惑を掛けるとか、周りの人のニーズにうまく応えられなくなるので、それを避けるためです。
必要最小限のセルフケアです。
皮肉な事に、こうした人たちは、良い友だちや理解者も多い一方、自分の親のように自己愛の強い人たちにいいように利用されたり、不当な扱いを受けがちです。
相手が彼らと同じくgiving person(与える人)である限り、その人間関係はgive and takeで満たされたとても良いものになっていきますが、問題は、この人たちが、taking person(取る人)と関わり合いになった時です。
Taking personは人に与えません。他者からひたすら取るばかりです。ケチで貪欲で人間関係が搾取的です。
基本的に誰からも信頼されて、それなりにうまくいっていた人たちの人生がうまく回らなくなるのはこうした搾取される関わりが存在する時で、こうした人たちが心理カウンセリングにやってくるタイミングでもあります。
積み重ねるセッションにおける対話の中で、こうした人たちは、自分が極度に自己中心性というものを憎悪している事に気付きます。
それゆえに、自分は自己犠牲的な人生を送っていて、自分のニーズが慢性的に満たされていない事に気づきます。
こうした対話の中で私がしばしば提案するのは、適度な自己中心性、健全な自己中心性です。
人間が自分らしくいきいきと生きていくために必要な、程よい自己中心性です。
自己中心性という語彙に拒絶反応をされる事があるので、セルフケア、自分を大事にする事、などの別の語彙についても話し合ったりします。
相手の気持ちを尊重しながら自分を打ち出していいんだ、相手のニーズと同じように自分のニーズも大事にしていいんだ、時に自分のニーズを他者のニーズに優先してもいいのだと、心の中に落とし込みながら、行動療法的にこうした新しい考えをセッションとセッションの間の日常生活で試していきます。
最初は落ち着かなかったり、あんばいがわからずに、カウンセラーと一緒に試行錯誤しながらその「健全な自己中心性」を試していく中で、その人の自己感はより確かなものになります。
彼らがある意味一番恐れているのは、自分が自分の親のようになる事ですが、もともと利他的な人たちなので、努力して自己中心的になろうとしても親のようにはならないという安心感も出てきて、対人関係は、自分のニーズが相手に伝わる分、さらに良いものになっていきます。
なによりも、その人の自分自身との関係性が改善していきます。