こんな所にこんな立派な神社があるとは、まだまだ日本で知らない所が
いっぱいあるという思いをさせる雷電神社。
板倉町にある雷電神社は関東一円、
特に利根川中上流域に点在する雷電神社の総称で、
創建は聖徳太子によるものだといわれている。
延宝2年(1647年)には上州館林藩主・
徳川綱吉公(後の第5代将軍)の命により社殿の大改修が行われ、
以後徳川三ツ葉葵の紋章の使用を許されている。
主な祭神は火雷大神、大雷大神、別雷大神。
この地は古くから雷の被害が多い土地のこともあって繁栄したのだろう。
それにしてもこの赤い雷の顔はなんとなくかわいい。
はっきり言ってこんな田舎の地にこんな立派な彫刻が
廻らされている社殿があったとは驚きだ。
本社社殿には左甚五郎から10代目の
石原常八の作とされる彫刻が全面に彫られている。
現在の本社社殿は天保6年、奥社社殿は慶応4年の造営である。
明治時代には郷社に列せられ、今日では雷除けはもとより、
氷嵐除けや豊作祈願、厄除けや安全、
特に電気関係をはじめとする請工事の安全の神として名高い。
この奥宮は安産、家内安全、縁結びの女神である
伊邪那美命を祀っている。
東広場の向こうの門の中には災難除け、
元気回復のなまずさん像がある。
なでると地震を除けて自信が湧き出るという。
授与所の前にあるのは御神木だ。
鳥居の近くの一番目立つ石柱にはいつ寄贈されたのかわからないが
金百圓の文字がはっきり読みとれる。
本殿から見た鳥居越しの参道。
入口の近くには左右に名物なまず料理が食べられる
いかにも古そうな食堂が2軒並んでいる。
この日は左側にある鰻の「林家」さんで昼食となった。