スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

岩殿観音 正法寺

2023-05-10 06:00:29 | 旅 ~国内

昨年秋の警察関係団体の視察研修旅行を最後に1週間ほど埼玉、群馬方面をアップいたします。

よろしくお願いいたします。

昨年(2022年)のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場する源頼朝の家臣として

鎌倉政府成立の立役者となった坂東武者「比企能員(よしかず)…佐藤二朗さんが演じた。」と

深い関わりのある岩殿観音正法寺を訪ねた。

開山期には坂上田村麻呂将軍が岩殿山に住み着いた悪龍を倒した伝説も残り、

それに感銘を受けた桓武天皇の命で延暦15年(796年)に伽藍が建立されたとも伝わっている。

鎌倉時代には源頼朝の庇護を受け、室町時代には観音巡礼をする人々で大いに賑わうこととなったという。

戦国時代には戦火により一山が灰燼に帰すも僧の栄俊により再興され、

続く江戸時代には徳川家康より朱印地を賜るなど大いに栄えた。

ここ巌殿山正法寺は観音信仰に篤い源頼朝が坂東三十三観音霊場の制定にも深く関わり、

ここは坂東つまり現在の関東地方に広がる十番目の霊場になっている。

こんな事も含めて正法寺に関することをわざわざ住職が来て丁寧に説明をしてくれた。

埼玉県東松山市にある坂東礼所の正法寺は一般には岩殿観音の通称で知られている。

寺伝によれば養老年間に沙門逸海が先手観音像を刻み開山し正法庵と称し、

鎌倉時代初期に源頼朝の命で比企能員が復興した。

この岩殿観音は頼朝の妻北条政子の守り本尊だったと伝わっている。

ここ岩殿観音正法寺は養老2年(718年)、諸国を行脚していた逸海という1人の高僧が、

岩殿山に観音菩薩像を安置し、そのかたわらに正法庵という庵を結んだことから始まったという。

源頼朝の没後の正治2年には、亡き頼朝の遺志を継いだ北条政子によって諸堂の再建がされたと伝わる。

本尊の先手観音は12年に一度開帳される秘仏であり、普段は前立ち本尊を拝することができる。

こちらは薬師堂と薬師如来と守護十二神将の像。

関東百八地蔵尊霊場礼所

第13番水子子育地蔵尊

この鐘楼は元禄15年(1702年)寄進によって再建されたもので、

装飾は少なめで簡素な中に雄健な吹き放ちの鐘楼になっている。

朝日にあたって後光がさしているような手水舎。

コロナ後全国的に広がっているのか、ここも花手水になっていて美しい。

本堂の前には大河ドラマ「鎌倉殿の13名」で草笛光子が演じた「比企の尼」のマンガパネルが飾られていた。

島流しとなった頼朝に20年間に渡って支援を続けたのが比企尼。

比企尼は比企郡でとれた米を送り続け頼朝を支えた。

正法寺はこのような岩盤の中にある。

ブラタモリ的に言えばこの岩盤は地質的に何?なのだろう。

本堂の横に安置されていたこの木仏像は強烈なインパクトだったので思わずパチリ。

よく似た仏様を京都蘆山寺で見たのを思い出した。

境内にすごい存在感でそびえていた天然記念物の大銀杏。

この銀杏はひょっとして比企一族の姿を見ていたかもれない。


最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
岩殿観音 (九想)
2023-05-11 01:41:09
私は、岩殿観音の近くに住んでいる者です。
岩殿観音を紹介していただいてありがとうございます。
あそこは素敵なところです。
多くの人に来ていただきたいです。
返信する
Unknown (スミダマン)
2023-05-11 06:13:20
九想さん、コメント有難うございます。 
高坂にお住まいのようですね。 
大河ドラマが始まる前まで、知りませんでした。
静寂の中に威厳のある素晴らしいお寺ですよね。
私もすっかり気に入ってしまいました。
返信する
Unknown (nojyucal moon G)
2023-05-12 02:09:25
真言宗の寺院ですね。
記事を読んで私も行ってみたくなりました。
返信する
Unknown (スミダマン)
2023-05-12 05:42:06
nojyucal moon Gさん、おはようございます。
ここ正法寺はひっそり山の中に佇み、ピーンとした空気が漂う素敵なお寺でした。
そのお寺の背景に鎌倉幕府で一世を風靡した比企一族が居たなんて想像するだけで歴史の世界に入ってしまいます、
是非、機会があったら行ってみてください。
返信する