8.福井の旅 4日目 永平寺 2015.10.5
わたしは若かりしころ、ここで修行をしたいと思ったことがあった。
真摯な若い修業僧の姿を拝見して、そのころの自分を思い出し、こころに込みあげて、嗚咽してしまった。
厳しい修行道場である。
1192 鎌倉幕府開く 武家政権の始まった。
臨済宗の宗祖である建仁寺の栄西は永治元年(1141年)吉備津神社の権禰宜ごんねぎ賀陽貞遠の子として誕生。
曹洞宗の宗祖道元は正治2年(1200年)に生まれた。
父は村上源氏の流れをくむ名門久我家の久我通親であるとするのが通説だが、これには異説もある。
幼時に父母を亡くした道元は仏教への志が深く、14歳で当時の仏教の最高学府である比叡山延暦寺に上り、
仏門に入った。道元には「天台の教えでは、人は皆生まれながらにして、本来悟っている(本覚思想)はずなのに、
なぜ厳しい修行をしなければ悟りが得られないのか」という強い疑問があった。
道元は日本臨済宗の宗祖である建仁寺の栄西に教えを請いたいと思ったが、
栄西は道元が出家した2年後に、既に世を去っていた。
比叡山を下りた道元は、建保5年(1217年)建仁寺に入り、栄西の直弟子である明全に師事した。
しかし、ここでも道元の疑問に対する答えは得られず、真の仏法を学ぶには中国(宋)で学ぶしかないと道元は考えた。
師の明全も同じ考えであり、彼ら2人は師弟ともども貞応2年(1223年)に渡宋する。
道元は天童山景徳寺の如浄に入門し、修行した。
如浄の禅風はひたすら坐禅に打ち込む「只管打坐(しかんたざ)」を強調したものであり、道元の思想もその影響を受けている。
道元は如浄の法を嗣ぐことを許され、4年あまりの滞在を終えて帰国した。
なお、一緒に渡宋した明全は渡航2年後に現地で病に倒れ、2度と日本の地を踏むことはできなかった。
福井の旅 4日目 永平寺 2015.10.05
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