井上しんごブログ

北九州市議の井上真吾です。何かあったらいつでもどうぞ、私の携帯電話は070-5690-1423です。😄

7月18日・日記 無所属の議員で意見交換、市役所に行き市政相談、夕方は大蔵商店街で今週末にある23日の夏越祭りの会議、地域で自転車修理、聖書勉強会など

2023年07月19日 | 枝光地域
無所属の議員で、市の現状や国の動向について懇談。財政局の職員さんが今年の3月に、システムか何かの不具合で残業が増えたこと。その委託された会社のことで、損害を請求できるのかなどのやりとりと、そのことで、議会の一部で不穏な動きがあることなど、それに対して、理性的な大物議員さんが、そんなことはさせんと一蹴した。議会の常識を代表する旧与党の⭕️⭕️党のならば、そんな一部動きには乗らないだろう、みたいな話でした。

また、市長の動きなど、地元の祭りでの挨拶の変化、いい意味で😃 新旧市長の議員対応の違いなど、海千山千の議員ならではの面白い視点を知ることができました。

議会に行き、相談対応で財政局、技術管理室、住宅管理課、秘書室などと相談しました。

住宅管理課には、東区の市営アパートで下水道の管が損傷しているのではないかと、住民からの問い合わせがあり、市に繋ぎました。業者さんに行ってもらい、応急対応をしてもらいました。

夕方は夏越祭りの実行委員会が大蔵商店街組合であり、参加しました。
4年ぶりの夏越祭りで、商店街の道路を封鎖して、歩行者天国にします。ステージの位置の確認と出店、出演者の着替え場所などについて話しました。

あと祭り八幡東で、大蔵子供山笠保存会のメンバーで、今年は楽しみにしていた山笠巡幸が大雨警報で中止になり、太鼓の練習をした子供たちに何か出番はないかと、話しました。太鼓競演などができればと、今、八幡東区祭り関係者の方と相談しています。

自転車が壊れたとのことで、手持ちの工具で直しに行きました。チェーンの緩んで外れやすいので、締め直しました。子供時代はチャリンコ暴走族で😅
久しぶりのチャリ修理でした。ちゃんと直ってるといいな。多分大丈夫😄

夜は、聖書勉強会でした。

7月17日・日記 フラダンス大会、ブリックホールでのトークライブ、前田祇園山笠競演会

2023年07月19日 | 枝光地域
男性だけのフラダンスチームでの初の出演。三人で踊りましたが、練習の甲斐あって、大きなミスなく、楽しく踊れました。

その後、門司駅前のブリックホールにて、お笑い芸人さんの、実録のトークショウを聴きました。

戻り、前田祇園山笠、今年は土曜日も日曜日も参加できる、不参加で終わるかなと思いましたが、最終日の月曜日、フラダンスの大会後時間があるてな感じで、
車で法被に着替えて、山笠に参加しました。

先輩方から、なん今ごろ来てと、いびられるかなとか考えてましたが、ようきたと言う感じで、まず飲めと。またある方は、無言で握手してくれて、なんか、心配していたことが嘘のようでした。

なので、今は全力でなんでもがむしゃらにしようと言う月間に?😅 なってますので、時間の限り、祭りで命燃やそうと、全力で駆け抜けました。参加できてよかったと。祭りは終わりましたが、私たち政治家の祭り(政)は、ずっと続きます。

これから、私がどんな祭りをしていくかが、大事だと祇園が終わって、心新たに気合を入れ直しました。

7月15日・日記 お寺さんでお坊さんの話を聞く 男性フラダンスの最後の練習 

2023年07月19日 | 枝光地域
土曜日、お寺さんで田川のご住職さんがお説教に来られるとのことで、伺いました。自分の勝手な理解で好きに書くので、説教の話とは違いますが、感じたことは。

闇について、闇は真っ暗というイメージですが、漢字を見ると、音に門、光に門ではありません。音を門で閉ざすという漢字になりますから、音のない世界です。なぜ音のない世界が闇(やみ)なのか。

別に物理的な音がない状態ではなく、音は聞こえていても、心に届かない状態ではないだろうか。ひどく落ち込んだりした時は、周りの励ましや、周りのアドバイスでさえも、雑音に聞こえてしまいます。

どうせ、俺の気持ちなんて誰もわかってくれないとか。そんな気休め言うなよ、と言う感じで、誰にも経験はあると思います。つまりの自分のことでいっぱいになっている状態、自分を客観視できない状態が闇なのではないかと、

ある本願寺の信者さんが、毎日お説教を聞きたいと、京都は本願寺の前に宿を構えたそうです。店は従業員に任せ、全国でいいお坊さんがあると聞けば、訪ねてました。あるとき、三河のお坊さんを訪ねたとき。

今までの疑問をぶつけました。毎日、毎日、お説教を聞いているが、一向に心が晴れない。友達は話を聞いて、あースッキリしたと言っていたが、私は全くです。どうしてなのかと、すると、人生の終わりで、自分のことばかりを嘆いている状態では、聖人さんの歩んだ人生はなんだったんだろうと嘆かれる。

自分がスッキリしようが、モヤモヤが残ろうが、理解できようが、出来まいか、ウキウキしたか、沈んでいるかは、関係ない。何年、何十年聞いても同じだと。

自分がどんな状況だろうが、賢かろうが、馬鹿だろうが、そっくりそのまま、お前を、救っちゃる、力になろうと、働いておられるのが阿弥陀様でないか。
いつまで、その自分のことだけを考えているのか。お前の腹の中は、お見通しで、そっくりそのまま、救うと言うのが、阿弥陀様の救いではなかったのか。とそんな話をしたそうです。

スッキリしたからいいとか、苦しいから悪いと言うわけではなく、今のありのままを受け止めると言うことでしょうか。

私も色々、考える性分で、人生とはとか、世の法則など、生きる意味など、考えてましたが、そうかと思い、何か人生が分かった気になっても、また次に日には悩むみたいな感じでした。

世の法則や、人生の哲学を得れば、何か、力がみなぎって、全てがクリアにあって、前に進めるのではないかと、それまで考え続けようと。
で、一体、何年が経ったのでしょうか。46年。いまだに、考えている。宿屋の主人と同じです。何年、悩もうが、何年、お説教を聞こうが、関係ない。変わらないと言うことなんだと思うのです。

つまり、自分に焦点が当たっている以上は、永遠に、そのループからは逃れられない。まさに無限地獄。今の状態がどんな状態であれ、きっと大丈夫だ、きっとうまくという約束を信じれるかどうか。ただそれだけなのかもしれません。

そんなとき、私は面白い東南アジアの動画を見つけました。貧乏を嘆いていてたあるアル中だった、お父さんが、酒を辞め。その愚痴るエネルギーを仕事に転化しました。流れとしては

貧乏だ、なんて貧乏だ 
酒やめた
働く
働く
お金を得る
働く
お金を得る
借金を返す
教育を受ける
周りを助ける
嫁ともラブラブ
健康になる
家族仲良し
地域を良くする
みんなを教育する
国を思う

ただ酒をやめて、一所懸命働いただけですが、最後は大統領?になるみたいな、面白い動画です。
その中で、そのお父さんの働きぶりがすごいのです。まさしくがむしゃらに働く。

お父さんがしたことは、ただがむしゃらに働いたことだけです。その結果が、嫁ともラブラブで、国を変えると。

私は、この嫁ともラブラブになることにすごい惹かれました。以前の家族も、これかの家族も失い、結果としてラブラブにはなれなかった。
その結果に苦しんではいますが、考えても考えても、自らの非が目にくつばかりで、失ったことの大きさに絶望し、まさに闇の状態でした。

このアル中のお父さんも、なんで酒浸りになったかは分かりませんが、そんな闇の状態だったかもしれません。
しかし、がむしゃらに働くことで、嫁ともラブラブになり、地域や国をも変えることにつながる

結局、人生とはシンプルなものなのではないかと。どんな状態であろうが、他人がどう思おうが、今、目の前のことでがむしゃらになること。がむしゃらに働くことで、自分も周りも救われるのではないかと。実際、救われるどうかも分かりませんが、ただ、罪人にできることは、がむしゃらに働くことではないかと、

一心不乱に、桑を荒地に振り下ろす、お父さんは、何も考えていないと思います。無我夢中。まさにがむしゃらです。
生きるとは、今をがむしゃらに生きる。過去に生き、未来に生きることはできない。

ただ、今、その瞬間を生きるしか、道はない。そんなことを感じた動画でした。ぜひ、皆さんも見られてください。

夜は、月曜日に迫ったフラダンスの練習で、先生の自宅で練習しました。