土曜日、お寺さんで田川のご住職さんがお説教に来られるとのことで、伺いました。自分の勝手な理解で好きに書くので、説教の話とは違いますが、感じたことは。
闇について、闇は真っ暗というイメージですが、漢字を見ると、音に門、光に門ではありません。音を門で閉ざすという漢字になりますから、音のない世界です。なぜ音のない世界が闇(やみ)なのか。
別に物理的な音がない状態ではなく、音は聞こえていても、心に届かない状態ではないだろうか。ひどく落ち込んだりした時は、周りの励ましや、周りのアドバイスでさえも、雑音に聞こえてしまいます。
どうせ、俺の気持ちなんて誰もわかってくれないとか。そんな気休め言うなよ、と言う感じで、誰にも経験はあると思います。つまりの自分のことでいっぱいになっている状態、自分を客観視できない状態が闇なのではないかと、
ある本願寺の信者さんが、毎日お説教を聞きたいと、京都は本願寺の前に宿を構えたそうです。店は従業員に任せ、全国でいいお坊さんがあると聞けば、訪ねてました。あるとき、三河のお坊さんを訪ねたとき。
今までの疑問をぶつけました。毎日、毎日、お説教を聞いているが、一向に心が晴れない。友達は話を聞いて、あースッキリしたと言っていたが、私は全くです。どうしてなのかと、すると、人生の終わりで、自分のことばかりを嘆いている状態では、聖人さんの歩んだ人生はなんだったんだろうと嘆かれる。
自分がスッキリしようが、モヤモヤが残ろうが、理解できようが、出来まいか、ウキウキしたか、沈んでいるかは、関係ない。何年、何十年聞いても同じだと。
自分がどんな状況だろうが、賢かろうが、馬鹿だろうが、そっくりそのまま、お前を、救っちゃる、力になろうと、働いておられるのが阿弥陀様でないか。
いつまで、その自分のことだけを考えているのか。お前の腹の中は、お見通しで、そっくりそのまま、救うと言うのが、阿弥陀様の救いではなかったのか。とそんな話をしたそうです。
スッキリしたからいいとか、苦しいから悪いと言うわけではなく、今のありのままを受け止めると言うことでしょうか。
私も色々、考える性分で、人生とはとか、世の法則など、生きる意味など、考えてましたが、そうかと思い、何か人生が分かった気になっても、また次に日には悩むみたいな感じでした。
世の法則や、人生の哲学を得れば、何か、力がみなぎって、全てがクリアにあって、前に進めるのではないかと、それまで考え続けようと。
で、一体、何年が経ったのでしょうか。46年。いまだに、考えている。宿屋の主人と同じです。何年、悩もうが、何年、お説教を聞こうが、関係ない。変わらないと言うことなんだと思うのです。
つまり、自分に焦点が当たっている以上は、永遠に、そのループからは逃れられない。まさに無限地獄。今の状態がどんな状態であれ、きっと大丈夫だ、きっとうまくという約束を信じれるかどうか。ただそれだけなのかもしれません。
そんなとき、私は面白い東南アジアの動画を見つけました。貧乏を嘆いていてたあるアル中だった、お父さんが、酒を辞め。その愚痴るエネルギーを仕事に転化しました。流れとしては
貧乏だ、なんて貧乏だ
酒やめた
働く
働く
お金を得る
働く
お金を得る
借金を返す
教育を受ける
周りを助ける
嫁ともラブラブ
健康になる
家族仲良し
地域を良くする
みんなを教育する
国を思う
ただ酒をやめて、一所懸命働いただけですが、最後は大統領?になるみたいな、面白い動画です。
その中で、そのお父さんの働きぶりがすごいのです。まさしくがむしゃらに働く。
お父さんがしたことは、ただがむしゃらに働いたことだけです。その結果が、嫁ともラブラブで、国を変えると。
私は、この嫁ともラブラブになることにすごい惹かれました。以前の家族も、これかの家族も失い、結果としてラブラブにはなれなかった。
その結果に苦しんではいますが、考えても考えても、自らの非が目にくつばかりで、失ったことの大きさに絶望し、まさに闇の状態でした。
このアル中のお父さんも、なんで酒浸りになったかは分かりませんが、そんな闇の状態だったかもしれません。
しかし、がむしゃらに働くことで、嫁ともラブラブになり、地域や国をも変えることにつながる
結局、人生とはシンプルなものなのではないかと。どんな状態であろうが、他人がどう思おうが、今、目の前のことでがむしゃらになること。がむしゃらに働くことで、自分も周りも救われるのではないかと。実際、救われるどうかも分かりませんが、ただ、罪人にできることは、がむしゃらに働くことではないかと、
一心不乱に、桑を荒地に振り下ろす、お父さんは、何も考えていないと思います。無我夢中。まさにがむしゃらです。
生きるとは、今をがむしゃらに生きる。過去に生き、未来に生きることはできない。
ただ、今、その瞬間を生きるしか、道はない。そんなことを感じた動画でした。ぜひ、皆さんも見られてください。
夜は、月曜日に迫ったフラダンスの練習で、先生の自宅で練習しました。