神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.202 スタンドパイプ消化訓練   

2024-06-16 00:01:05 | 近況
  

(1)きょうは、「スタンドパイプ消火訓練」に参加しました。
 どういう訓練かというと、正月の石川・能登地震などのように、災害に伴って火災が発生した場合に、倒壊した家屋などが障害となってり消防車がすぐ駆けつけることができないことを想定して、その地域住民が自力で消火活動をおこなう訓練です。
 具体的には、マンホールを開けて消化栓にスタンドパイプという取水口をつけ、ホースとつないで放水活動に入るというものです。
 写真を撮れませんでしたから、代わりに「実施要領」の写真を利用させていただきます。私も、ヘルメットを着用して、概ねこのような訓練をしました。
 


 昭島市の南側の多摩川べりは、水害の危険性がないとは言い切れませんが、私の住む地域や主な市街地は高台にあるので、心配は水害よりも家屋倒壊と火災です。とくに、高齢化が進んでいることもあり、火災が最も心配されています。
 きょうの訓練は有意義でした。とりあえずは合格と思います。しかし、気合を入れてやったせいか、午後からぐったり、なにもできず・・・。
 
(2)ということで、棚の本を見て過ごしました。すると、その中に1冊、
 『懐古録』(地質調査所80周年記念出版物編集委員会編、昭和37年、非売品)
 というのが出てきました。

 地質調査所が設立されたのは明治15(1882)年ですから、それから80年後の昭和37年、1962年に非売品として発行されたとあります。
 この時点で「懐古」といえば、半世紀(50年)前からとして、明治末期以降となります。したがって、私の関心のある神足勝記が在職していた創設期や、宮内省に入省した明治24(1891)年ころの同時代人のことなどはもう出てこないようですが、末尾につけられた「名簿」には神足の名前も記されていますし、なによりも、次の写真があります。



 写真のおもな人について紹介します。
 前列左端が神足勝記。4人目が山上万太郎。6人目が鈴木敏。7人目が遠藤隆吉。
 中列7人のうち、左から3人目が高山甚太郎。5人目が和田維四郎。
 後列左から1人目が中島謙造。3人目が太田健吉郎。5人目が鈴木民作。6人目が恒藤規隆。8人目が巨智部忠承〔こちべただつぐ〕。9人目がマックス・フェスカ。
 なお、この写真は『地質調査所百年史』(昭和57(1982)年)27ページ下段にも出てきますが、これによると、後列右から2人目が三浦宗次郎です。

(3)私がこの写真で注目するのは、やはり、まず神足ですが、次は鈴木民作です。
 鈴木民作については、『孤高の道しるべ』(銀河書房、昭和58年)で上條武氏が詳しく紹介していますが、『御料局測量課長 神足勝記日記』昭和6年7月11日の項に、雑誌『御料林』から引用した「我国山林測量法の先覚者神足勝記君」と、昭和11年1月11日の項に同じく『御料林』から引用した窪田唖雷「親分乾分の涙」をぜひ読んでほしいと思います。
 
 詳しいことはまた別の機会にしますが、ここにいる神足と鈴木の二人は、このあと終生親しく行き来します。『神足勝記日記』にそれがあちこちに出てきてうらやましいほどです。この写真は、その最初の頃を知る唯一のものなのです。
 ほかの人についてはまたいずれ。では。

   
    きのこ???
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No.144 これを好機に

2024-04-19 04:02:20 | 近況
(1)例の化石発見以降、ふだんやりつけない探索と収集に4日も連続で通っているうちに、ついに生活が朝方に変わりました。生活習慣を変えることはなかなかできないことなので、これを好機に生活を変えてようかと思ってます。今日はこれが結論です。

   
    新緑:葉が照り輝く夏が好きです

(2)家から多摩川までは、自転車で花見をしながら行っても20分程度です。行きは下り、帰りは多少の登り坂になるとはいえ、たいしたことはありません。電動自転車でなくとも、まったく気になりません。
 それよりも、笹をかき分け、草を削り、土を少しずつ削っていくという発掘作業は、ふだんボールペン・万年筆を握るとか、せいぜいキーボードをたたく程度の「重労働」しかしていないものにとって、思いのほかキツイ労働です。ハンマーとスコップを交互に持ちかえて作業を続け、汗をかいてそれが眼鏡に落ちて見えなくなるなどということは、まずないことです。おかげで、左右の手は握ると少し腫れぼったい感じがしますし、右手の親指の付け根は、疲労のために骨折したのではないかと思うほど痛みます。

   
    かわいい かわいい

(3)でも、この作業、きついというのは終わってみてのことです。やっているときは、実は楽しく、無心になってやってました。実際どこに何が埋まっているかわからないわけですから当然です。
 前にも書きましたが、小学5年の時には、石器・埴輪・石器探しで朝から晩まで飛び回っていました。
 石器は南の山の上の一帯、埴輪はチョット奥の一帯、化石は三名湖という貯水池の東のはげ山、というようにどこにでも「遊び場」がありました。
 見つけた石器や埴輪などは、たいしたものはなかったですが、だいぶ前に藤岡市の郷土資料館に寄贈して、いまはもう手許にありません。化石は、たいがい小さな巻貝や木の葉ばかりでしたからほとんど持ち帰ることはしませんでしたが、手のひら大の虫か貝の化石が見つかって、それは地元の美九里西小学校へ寄贈しました。
 そういうことを経験しましたから、しかも今度は7~8㎏もある大きなものが見つかったのですから、久しぶりに童心にかえり夢中になりました。

   
     朴:夕闇近く
(4)ところが、ついつい夢中になってふだんやりつけないことをやったために疲労困憊してしまい、夕食後はいくらもしないで眠りこんでしまうようになりました。おまけにそれが4日も連続しましたから、ついに早寝早起きの生活に変わってしまいました。まあ、健康生活に戻ったわけです。
 ちなみに、自分が早起きをしだしてわかったことがあります。それは、それまでうちのカミさんはずいぶん早起きだと思っていましたが、実はそれは誤りで、じつに朝寝坊をしている、ということです。夫唱婦随ですかなあ。じつに良妻。
 これまで長らく、帰宅して夕食を済ませ、ニュースを見て、それからが自分の時間、そして、なにかを調べたりまとめる作業をしていると、手が離れないために夜遅くまで起きているということになりがちでした。そしてそれはそれで結構楽しいものでした。
 これまでは、山へ行くとか、調査に出る時だけムリして朝型になるということでしたが、しかし、この際、年のこともあるし、早起きすると山などへ出るにも都合がよいので、しばらくはこの生活を続けようかと思っているところです。
 さてまあ、何時まで続くかはわかりませんが・・・。
 
   
    朴蕾:仰いで
 

 


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No.126 春の難事

2024-04-01 01:36:36 | 近況
 
         よしやるぞー!

 きょうはもうシャツ1枚で過ごせるくらいの暑さで、一気に夏でした。
 上の写真、じつに熱い。沸き立ってきます。
 私は、ビンボー人ですから、寒い冬よりも暑い夏の方が好きです。とはいえ、季節の変わり目、これが毎年悩みです。
 花粉や黄砂は工夫次第でなんとかなりますが、この時期の睡気は、毎年のこととはいえ,本当につらい・・・。寝不足だから眠いのでなく、十分寝てても眠い。
 きょうは夕方まで、パソコンの前でひれ伏していました。

  
   釈迦堂遺跡博物館

 それでも、(山へ行くときは、時間調整して朝早く起きるようにしますが)、日ごろ夜型の生活をしていて慣れているからか、夕方からはシャッキリして、おまけに見たいテレビ番組もないので、中岡哲郎『日本近代技術の形成』(朝日選書 2006年11月)の第4章「過渡期の在来産業」を読みました。
 といっても、4章は78~173ページまでの約100ページあるうちの、10ページほどです。だいぶ前に一度読んでいますが、それでも、かなり細密な研究で、通常の『選書』のイメージでありません。文体が「です・ます調」で読みやすく、写真や図解が多いので取り付きやすい印象ですが、しかし、内容はかなり専門的です。これを読みこなせる人は、よほどの専門的な関心を持つ人(学生は一人では根気が続かないでしょう。院生は?)でしょう。
 そう感じたので「はじめに」を読み返したところ、
「第1章から第3章までは・・・メキシコの学生に向かって・・・語る形で書かれている」(4ページ)が、読者は
「そこで適された問題を念頭に、第4章以下に書かれた二つの流れのダイナミックな相互作用と発展をたどっていただくことをお願いしたい」、
「従来なじまれてきたのとは異なる「日本近代技術」像が現われてくることを約束する」
とありました。そうすると、もうこれは「通史」ではなく、最先端の学術研究書を読むイメージです。
 
 誤解されては困るのであえて書きますが、私はこの本の内容のことを言っているのではありません。
 とかくハード・カバーにして立派そうに見せて売る本が多い中で、ペーパー・バックの『選書』ではもったいないと思うのです。手にする方は『選書』として見ます。もっとも、そういうことを言ったら、あの『資本論』だって文庫化も新書化もしているわけですから、きりない・・・。
 買う側が、選ぶ前にいくらか拾い読みしてみればわかることですが、むかしはどこにでもあった普通の道具などのことですけど、でもいまは難しい。そう思います。
 私などの子供の頃には、在来の農機具や機織り機はまだ現役で使われていましたから、一見なんでもないことですが、それでもそれを技術史として克明に説明されると、なかなか取り付きにくい。それを知らない世代に克明に説明したら、それはもうかなり難事。(実際、今日読んだところでない、もっとうしろの方で、機械の説明などがありますが、本当に厄介です)。そうすると、『選書』とはなにかとなりかねない・・・。
 私も、『御料局測量課長 神足勝記日記 ー林野地籍の礎を築くー』日本林業調査会(J-FIC)の刊行では、そういうことに直面しました。
 本を書くことよりも、それを理想的な形で残す〔売り物にする〕ことに苦労する。この著者もそうだったのではないか。いったいどのくらい読まれた『選書』なのだろうか。専門書は、読み捨てや読み飛ばしでなく、じっくり読むことを優先して、判の大きさなども工夫して出せることが必要ではないか。
 一番の理由は資金問題だろうと思われますが、どうも補助金の出し方なども、こういうところに配慮・目配りが足りないのではないかと思います。そういうことを思ってしまいました。春先の難事、簡単にはいかないことに首を突っ込んだかもしれません。

  

  きょうはここまでにします。

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朴:揺れて高みに咲く

2024-01-10 18:46:47 | 近況
 2000年代に入った頃の春先のことだったと記憶していますが、奥多摩行きの古里駅で下車して、丹三郎から大岳を目指して入り、尾根筋をたどって大塚山を通過して、御岳の集落に着きました。しかし、どうも気力が続かず、下山することにしました。

 気が乗らなければ下山する方がよいので、大楢峠の分岐点を城山方向に進み、かなり里の方に来てました。見ると、朴の幼木が1本見えました。
 「欲しいな」と思いながら、いくらか右へ回り込むように歩いて行くと、山仕事をしている人が見えました。
 向こうも気が付いて、互いに「こんにちは」と文字通り「山での挨拶」をして通り過ぎました。

 ほんの少し歩いてから思いついて、聞いてみました。
 「この山はお宅の山ですか。」と。
 「そうだ」というので、
 「あそこにある朴の木の小さいのを分けてもらえませんか」と聞くと、
 「いいよ」という。それで、
 「いくらですか」と聞くと、
 「持って行っていいよ」と返ってきました。
 「もらっていってもいいんですか」と確かめると、
 「いいよ」と。

 それから写真のように成長し、根回り100㎝くらいになりました。


    庭にあった朴

 私はうれしくてうれしくて、なにせ40年以上も思い続けてきたのですから。
 もう何万枚写真を撮ったかわかりません。
   
 どの花も、花は、自分の居場所で、自分が主役だといって咲いています。
 ですから、これは見る側の好みの問題なのですけど、
 「私の一推しは朴です」。
 
 その理由はたいしたことではありません。
  風誘う朴 泰然として 揺れて高みに咲く
 これです。
 
 しかし、15年くらいたったとき問題が起こりました。


 
 冬、風が北から吹くのです。
 南から吹けば、葉がわが庭に集まるものを、北から吹くために、周辺の住宅や道路に飛び散っていき、辺りは「大澤」の「名入れの葉」で溢れ、それを拾い集めると腰痛を覚えるようになり、それが年々募り、いよいよ限界に達したのです。

 それだけではありません。根が成長して側溝も持ち上げ始め、舗装路まで及ぶことが見えてきました。こうなると個人の努力だけでは限界でした。
 
 朴のことや続きは折々に書くことにしましょう。
 なにせ、私の写真の大半は朴なのです。

 そのうちにこのブログのタイトルを「朴を追って」と改訂するかもしれません。
 ではこの辺で。

 
 
 

  


 

   
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この新年に

2024-01-03 23:10:35 | 近況
 
 
 ようやく三が日が明けます。 
 毎年、12月中旬から1月中旬にかけての1ヶ月を有効に過ごす方法はないものかと思ってきましたが、この年末年始は『御料局測量課長 神足勝記日記 ー林野地籍の礎を築く―』日本林業調査会(J-FiC)を刊行できたおかげで、次の課題に取り組むべく、あれこれと見直しができました。
 そこで、少し近況を兼ねて書いておきたいと思います。

 すでに、以前に作成した『明治期皇室財政統計書』(法政大学日本統計研究所、1992年)の続きとなる『大正・昭和期皇室財政統計書』の各年版も累年版もデータ作成が終えました。また、『戦前期皇室財政統計』(同、1995年)も、前は株式年鑑や株主名簿・社史をもとに数値を組み立てましたが、今回は、情報公開法制定によって宮内公文書館の原資料が利用できるようになりましたから、これに基づいて累年版も各年版も(数社の株式引受事情が不明なのを除いて)作業を終えました。
 都合1000万円もあれば片付くほどのものです。このデータを希望される研究機関・大学などがありましたら、ぜひお申し出のほどを。「作成者大澤と記す」という条件のほかは、無償提供します。
 
 また、先ごろこのブログで高木三郎『皇室会計法規大意』や池田秀吉『講師会計法規要義』について紹介しましたが、酒巻芳男『皇室制度講話』などの関係書をもとにした『宮内省財政会計要義』(仮題)も作成を終えましたから、自分としての課題は終わっています。これについては、発表方法を検討中です。
 
 もう一つ、上記の『神足勝記日記』にいくらか注記・引用した『御料地測量簿』もデータ作成ができています。これについても上記と同じ条件で提供する用意があります。興味あれば、お知らせください。

 さて、今後は、20年かけて「御料林の実態・経営分析」をやりたい。これが、『神足勝記日記』の刊行がなった、この年頭に考えていることです。
 そのためにも、上記のものをできれば早くに片づけたい。さもなければ、寝かせておいて遺産となるだけ(笑)というのが現況です。

 このブログも、こういうことを書く分には、自分にとって役立ちますが、読む側にとってはつまらないでしょうから、どうしていくか検討中です。
 では。

 
  



 

  
 
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