神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.335 「103万円の壁」の財源は

2024-11-15 23:00:31 | 君へ
(1)国民民主党が主張している基礎控除103万円の壁を178万円に引き上げるという案が物議をかもしています。
 この問題、働く側のパートや学生アルバイトからすれば、物価が3%くらい上がっている状況で生活のためにもっと収入が欲しい、一方雇う側の中小経営(スーパーや飲食業など)からすればもっと人手が欲しい、となります。
 この問題は、働く側からしても、雇う側からしても死活問題ですから、自公与党と国民民主党の政権をめぐる駆け引きのようなことでなく、きちっと国会の場で議論すべきです。

(2)その際、問題は2つあります。
 一つは税収です。控除額が引き上げられるということは、働く側からすると、これまでの103万円を超えても178万円までは免税対象となりますから、働けば働くほど収入が増えます。
 一方、政府・財務省からすれば、これまでの103万円を超えて178万円までの税収がなくなることになりますから、税収減となります。この金額が7~8兆円になる見込みであるといわれています。
 ところが、国民民主党は、103万円の壁のことは言いだしたものの、その税収減の手当てをどうするかは言っていません。ここがもう一つの問題です。

(3)上にも書きましたが、もう死活問題として国民もマスコミも注目し始めました。ですから、今から財源がないといってやめるわけにはいかないでしょう。では財源をどうするのでしょうか。
 1.国債で手当てする。
 これについては、初年度だけ国債で都合をつけるということはやるかもしれません。しかし、この先ずっと毎年7~8兆円の国債発行ということはまず考えられません。

 2.予算を組み換え、経費を節減する。
 予算を組み替えるのは当然ですが、これについては各省庁の調整に時間がかかり難しいかもしれません。また、削るなら、まず岸田内閣が置き土産として増額した防衛費分を削るべきですが、石破内閣も軍拡内閣ですから、防衛費削減などはまずやろうとはしないでしょう。そうすると、結局、文部科学教育費の削減、社会保障関係費の見直し(削減・減額)ですが、しかし、それでは足りないでしょう。

 3.そうすると、増税する。
 これについては、3つ考えられます。
  ① 法人税を引き上げる。
  ② 所得税をひき上げる。
  ③ 消費税を引き上げる。
 今、とりあえずのことをいいますと、①と②は、まず財界がクレームをつけるでしょう。
 また、中小企業なども、「106万円の壁」、「130万円の壁」に関わって社会保険料の負担問題がからみますから、かなりもめるでしょう。
 そうすると、有力なのは「消費税引き上げ」となります。しかし、現在、消費税率は10%で、これによる税収が30兆円ほどです。そうすると単純にいって「1%で3兆円」ですから、「6~7兆円の税収を得るには2~3%の引き上げが必要」となります。今後の防衛費の増額を見込めば、13~ 15%となります。そうすると、現在の物価上昇率3%のところへ、さらにこの分だけ上昇することになりますから、またまたインフレに悩まされることになりかねません。
 村井嘉浩宮城県知事が財源を示してほしいといったそうですが、これは難事です。当然やるべき問題であった問題ではありますが、寝た子を起こしたような事態になるかもしれません。

    

【文献紹介】
 ここのところずっと読んでいた本を紹介します。
 高久嶺之介著『北垣国道の幕末と近代京都』(思文閣、2024年9月刊、A5判、271㌻、7000円)です。
 下に載せたのは表紙カバーの部分です。折り返しに本書の概要が略々説明されています。



 本書の目次を紹介しておきます。
  はじめに
  第1章 生野の変と北垣晋太郎
  第2章 「天狗」騒動から戊申戦争へ
  第3章 京都府知事北垣国道と京都宮津間車道工事
  第4章 琵琶湖疏水工事着工までの経過ー琵琶湖疏水(1)
  第5章 琵琶湖疏水起工後の政治社会状況ー琵琶湖疏水(2)
  第6章 京都府知事最終版の北垣国道(1891~1892年)
  補 論 北垣国道と新島襄
  第7章 北海道庁長官から拓殖務省次官へ
  終 章 北垣の死
  使用文献一覧
  あとがき
  人名索引

 以上ですが、ひとこと。
 目次でわかるように、第1・2章で幕末の生野の変での北垣と彼の働き捉え、第3~6章で、維新後に京都府知事となった北垣と彼が尽力して成った琵琶湖疏水建設について克明に描いています。
 補論は新島襄・同志社にとっての北垣の存在の大きさを明らかにしています。
 第7章は北海道長官としての北垣の人脈や開拓事業(函樽鉄道・池田農場)について、そして、終章では、北垣の死後に見えた北垣像と今後の課題が述べられています。
 本書は、ゆっくり読めば、専門研究者であるかないかに関わらず、臨場感をもって読むことができる労作です。北垣をめぐる政治動向も、琵琶湖疏水事業も、人物像も、資料探索が詳しく、引き込まれる出来栄えの労作です。そういう意味で、大学図書館だけでなく一般の市民図書館も備えてほしい1冊です。
 
 今日はここで。
 
 付録
 1.
   
     朝の庭で
 2.
   
    16時の空
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No.301 運動が人を掴んだ!

2024-10-12 22:53:11 | 君へ
(1)きょうは、日本被団協へのノーベル平和賞授与に関するいろいろな記事を読みました。おそらくみなさんもそうでしょう。
 これまでにいろいろなノーベル平和賞がありましたが、これほど日本や世界を勇気づけたものがあっただろうかと思いました。

(2)ノーベル委員会は次のように述べました。
「被爆者とその証言が、いかにして世界的な広がりを持ったか。いかにして世界的な規範を確立し、核兵器に『二度と、決して使ってはならない兵器』という汚名を着せたか。それこそが、この賞の本質なのです。」
 そしてまた、授賞理由として、次の二つをいいました。
「一つは、核兵器のない世界の実現に尽力してきたこと。もう一つは、核兵器が二度と使われてはならないと証言してきたこと。」
 確かにそうでした。
 ところが、日本は、岸田前首相が軍事費を倍加し、それを踏襲するといっている石破さんは「核共有」を言っている人です。このままいけば核兵器も装備するようになりかねません。アメリカの一翼を担うつもりなのですから・・・。

(3)被団協の受賞に対して、日本政府は、林芳正官房長官が「誠におめでたいことで、心よりお祝いを申し上げたい」と言い、与党自民党は、森山博幹事長が「心よりお祝い申し上げます。」、公明党は、石井啓一代表が「国際世論の形成をリードしてきた市民社会の活動に心から敬意を奉仕ます。」といったそうです。
 なんだかピンボケですね。恥ずかしくてモノが言えないんですね。
 祝うつもりなら、そもそも日本こそが平和国家として世界に核兵器廃絶を発信しなければならなかったはずで、与党の自分たちが率先してやるべきだったのにやってこなかったのです。まあ、お灸をすえられたことになります。だから、まるで他人事みたいな言いようしかできないんですね。そもそも邪魔してきたのではなかったか?

(4)一方、石破茂首相は外遊中のラオスから被団協の田中煕巳(てるみ)氏に電話でお祝いを伝える方向で調整していると出てました。
 しかし、先ほどネット検索をしていたところ、田中さんは、石破首相が言及している「核共有」について「論外だ」と言っています。そして、「政治のトップがそう言っていること自体が怒り心頭だ」といい、さらに「核の恐ろしさを知っているなら本当に考えなさいと言いたい」と述べています。石破さんはどうするのでしょうか?
 
(5)さて、選挙はどうなるでしょうか。裏金議員問題・統一教会問題・防衛費・気候問題・景気・ジェンダー・・・もう進退きわまっています。そこへ被団協へのノーベル平和賞授与で核兵器禁止条約批准などが追い打ちをかけることになるでしょう。
 もうはっきりしているのは、政権交代するしかないということですが、はて、野党はどうですか。公明党と一緒になってツッカイボウをやりたいみたいな野党もありますが、なんとか「堪えがたきを堪え、忍び難きを忍んで」「アベ政治を許さない」で一致してほしいものです。
   
    きょうの月

【コレクション 91 大久保利通】
 これは、大久保についての稀覯本中の稀覯本だったものの復刻のパンフレットです。それについては、下に大久保利謙氏の素一線分を下に載せましたから、お読みください。

    

 この大きさは、A5判、8㌻です。A5判大の用紙4枚分の横長の用紙を二つ折りし、さらにもう一度二つ折りするとできます。
 全体の体裁は、
 1㌻ 上掲
 2~3㌻ 推薦文 大久保利謙 本書はまさに唯一の「実話大久保利通電」である
    *下に載せましたから、お読みください。


 4~5㌻ 目次 大久保の肖像
 6~7㌻ 内容見本
 8㌻ 推薦文 桐野作人 作家 「明治の大宰相」の真実を明かす
       *これは、復刻本にも載せられています。
    観光案内 A5判 332㌻ 定価6000円(予価5000円)
         限定300部(予約増加につき、580部に増刷)
         平成15(2003)年8月 マツノ書店松村久

 以上です。
    
     すっかりシジミチョウのファンに

 きょうは孫の運動会でした。天気も良く、半日を楽しく観覧して過ごしました。
 子供たちは、昔の子供らと同様、元気に徒競走をしたり演技をしていましたが、しかし、その様子を見ていてつくづく思ったのは、あの「降る雪や明治は遠くなりにけり」の心境で、目の前の子らは「もう昔の子とは違う」ということでした。体力的にも、その行動の仕方でも,一挙手一投足がまるで違う・・・と思わざるを得ませんでした。
  子らが駆け よさこい踊る運動会 昭和の子らは 敬老席に     

    
      きょうの西の空


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No.253 斎藤 實

2024-08-06 00:03:15 | 君へ
(1)きょう、北アルプスの不動岳の北付近で滑落事故があったそうです。不動岳の位置は、黒部ダムがある黒部湖のいちばん南端で、湖が終る付近の東側の尾根です。そして、その不動岳を出て、北の船窪岳に向かう途中での遭難事故だそうです。
 遭難者は10人のグループ〔パーティ―〕のうちの21歳の女子学生とのことですが、どんなグループで、この遭難者はどのくらいの経験があったのか。

(2)予定では、上高地から糸魚川までを2週間ほどかけて縦走する計画だったそうです。
 このコースのうち、私が経験したのは、槍ヶ岳-上高地間の下り〔行程1日】、北の白馬大池ー白馬岳〔1泊〕ー唐松岳ー五竜岳〔1泊〕-鹿島槍ヶ岳-冷池(つべたいけ)〔1泊〕ー爺ヶ岳までの3泊4日で南下する縦走の行程です。
 残りの、白馬大池から北の朝日岳ー糸魚川と、事故のあった槍ヶ岳ー不動池-船窪岳ー爺ヶ岳は、北アルプスが御料地でなかったこともあり、計画倒れで実現していません。
 
(3)ですから推測ですが、このグループは家から不動岳まで少なくとも2泊3日はかかっていたでしょう。つまり、4日目に不動岳ー船窪岳の間を歩いたかもしれません。そうすると、ようやく体が山に慣れてきて、同時に疲労がたまり始めていたことが考えられます。しかも、ここは地図にも「滑落注意」が書かれる名所です。いわば、最初の難所だったのかもしれません。

(4)さらに、この先の爺ヶ岳ー鹿島槍ヶ岳(鹿島槍)は割合に平坦ですが、ここを過ぎると、「八峰キレット」、五竜岳付近の「赤目」、唐松岳北の「不帰の嶮(かえらずのけん)」など、気が抜けないと行程が連続します。
 言い直すと、不動岳近くまで4日の行程を経てきて、そこからさらに4~5日は気が抜けない行程が続くわけです。
 私は、南アルプスの縦走約7~8日間では、最後に林道を約40km歩いたのもあって、相当な疲労と思いましたが、北アルプスはさらに「気が休まらない」ということがあります。

(5)まあ、この危険地帯といわれるところを、40~50歳ころの私が通過できたのですから、若い人なら大丈夫ということも言えるかもしれませんが、この遭難事故の有無にかかわらず、ムリな計画はやめるべきと思います。

    
      多摩川べりにて

(6)きょうの【コレクション】はきのうの続きです。
 じつは、水沢市に行った際に「斎藤實記念館」にも行きました。そのときのパンフレットがありますから、それを載せることにします。
 この大きさは、A4判の用紙を二つ折りしたA5判で、4㌻です。
   4㌻ 裏表紙             1㌻ 表表紙


   2㌻                  3㌻ 


 天眼鏡なしでも読めそうですか。まあ、雰囲気はわかっていただけるでしょうから、良しとしましょう。
 なお、「木村栄記念館」は、時間切れで間に合いませんでした。ザンネン。

(7)ところで、私がお土産をもらったときにうれしいものは何だと思いますか。一番はまんじゅう、2番は地酒・・・と思うでしょう。でも違います。
 一番うれしいのは、あちこち(驛・刊行案内所・市役所・図書館など)によく置いてあるパンフレット・市報などです。たいがい、最良の紙を使って、最良の案内をしてくれます。しかも、「欲しい」というと相手も喜びます。タダで、労せずいろいろな情報が手に入る。
 たしか、井原西鶴の『世間胸算用』?のどこかに似た話がありますよ。
 もっとも、私には商才はありません・・・。
 きょうはここまでです。

    
     〽青年の~樹よ~
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No.224 都知事選挙の日

2024-07-08 00:31:40 | 君へ
(1)7日、きょう、東京は知事選挙でした。私も10時に投票に出ましたが、室外温度計は35・5度くらいありました。でも、まだ平気です。夏は大好き。ひと汗かいても、鉄管ビールで生き返り・・・ます。
 と、よくこういうふうなことを言いますけど、これは多分ウソ。いまは、冷えた麦茶か、できれば麦ジュースが必需品、これが真相です。
 昔は昔なりの方法があって、たとえば、小川や井戸で冷やしたスイカ・トマト・キュウリなどを食べました。もっとも、いまより5度くらい温度が低かったですね。

(2)選挙会場では、大きなヒマワリが待ってました。
 「ウクライナのひまわりと同じかな」と思いながら、1枚を撮りました。
    

(3)あっそうだ、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニ主演のイタリア映画「ひまわり」がありました。反戦映画の金字塔ですね。身につまされます。
 身につまされるといえば、ほかにも映画「自転車泥棒」や「鉄道員」なんかもそうですね。
 
(4)そうだ、選挙でした。
 帰りに見たら、10時の投票率は27%ちょっとでした。
 投票場を出て、よその庭先で写真を撮っていると、「暑いのに、ごくろうさん」とやって来ました。
   
    「君の名は」と問えば、「・・・ムシ」と。

(5)家に帰ると、「お帰り」とハモって、跳ねて喜こぶ声がしました。
 あまり跳びはねて足にまとわりついてくるので、
 「おいおい、お行儀よくしないと踏まれちゃうよ」
 と比較的やさしく言ったのですが、やめる気配がありません。それで、 
 「おい、あぶねぇてゆってるだんべ。行儀わりいと踏んじまうじゃねぇか」
 と叱ると、パッと整列しました。
 代々の付き合いで、上州弁ならわかるようになったみたいです。
 夕方の水やりの時に、ついでにかけてかわいがってやりしました。
   
     
(6)夕方、水やりのあと散歩に出ると、うす紫の花が見えました。静かに咲いていました。
 「八千草薫さん」ですね。
 えっ? 
 つまり、その、「さわやか」ということです。
   

(7)選挙の大勢が決まりしたね。
 小池都政のままでいいと思っている人が、まだこんなにいるとは驚きです。
 この8年間の都政を見る限り、さらに4年すると、伏魔殿といわれた都政に近づく可能性があるので、今後はより意識して都政を専門の財政の方から注意しなければと思っています。
 かつての美濃部都政は赤字を作ったと批判されましたが、これは「都民のための政策」を大きくとった結果でした。赤字はもちろん問題ですが、ほかの人たちは違いました。
 「マイタウン東京」をスローガンにした鈴木都政が「誰のマイタウン」を言っていたのかということを考えてもわかるように、その前の東都政、石原都政、その外も、結局、都民は置き去り、最後は腐臭を垂れ流して去っています。
 小池都政も、いますでに腐臭を発しているのですが、「ほかの候補よりまし」と思われたこともあり得ます。まずは選挙結果の分析からやらねばと思います。
    

(8)私は、あきらめません。No.125を見てください。不当なものには、自分が損をしても抵抗する、これが本領です。いまこそ「広津和郎の散文精神」を思い起こしてください。
 嵐で稲が押し流されれば、それを一つ一つ起こすところから始めるしかないのです。

 では、きょうはここで。



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No.125 

2024-03-31 01:34:15 | 君へ
   
    人も、本当はもっと華やかなはず・・・
 きょうは、まだ先日の余波の頭痛があって、おまけに黄砂もあって、家で読書三昧、もうちょっと具体的にいえば、起きてはあっちの本、しばらくしてこっちの本・・・と読み飛ばし。夜は、NHKスペシャル「シリーズ未解決事件 下山事件」を19:30と22:00の計3時間見ました。下に、少しだけようすを書きます。

(1)拾い読み:
 おもしろかったのは、中岡哲郎『日本近代技術の形成』(朝日選書、2006年11月)で、今日はこの第1~3章をパラパラとめくってみたわけです。
 ヨーロッパを見てきたサムライたちがいくら頑張っても、圧倒的多数の国民はやはり目前の状態から出発するしかない。ヨーロッパ頼みの財政的限界、「在来」が持っている優位性、そこから発する新段階の在来産業の発展ぶり、久しぶりに読み入ってしまいました。
 あまり広げてしまうといけないですが、子供のころ見たおばあさんたちの養蚕・糸取り・機織り、注文に応じて何でも作ってしまう鍛冶屋、たまに廻って来る飴屋、などなどを思い出しながら読んで、在来のものの残存(古いからでなく、生きて新しい現実に対応できる技術)をもっと考えてみる必要がある・・・と。
 古いといえば古いのだが、それは、のちの改良された技術や機械を知っているものの目から見たもので、当時の諸条件を総合するとそれが最適、というところ。私の方からいうと、木曽式伐木運在方式の現場のことなど、もう一度見直す必要があることがあるのかも・・・。

      安保法、ああ、許すまじ!

(2)下山事件:
 今日はこれを見たという人が多いでしょう。ですから、なにか細かいことは書くことはしませんが、若いころから、三鷹事件・松川事件なども含めて、松本清張の『日本の黒い霧』などで読み、テレビ番組なども見てきました。
 そういうものとして、きょうの番組を見ながら思ったのは、まず番組制作側の調査力、布施検事の執念、新聞記者の矜持、そして、日本の政治家として名を残している面々の厚顔・破廉恥さです。
 私は講義で常々「アメリカから日本を守らなければならない」といってきましたが、昭島市や多摩川で米軍機を見るにつけ、思うのは今もそのことです。米軍がいることや米軍基地があるこのためにむしろ多くの被害や犠牲がありましたし、日本の平和外交を妨げてきた、ということです。
 2015年の安倍内閣の安保法以来、その後もどんどん改悪されて、もう武器輸出に道を開いただけでなく、この先、新しい武器開発に応じていくらでも閣議などでやっていけると、あの「平和の党」も合意しているとのことです。
 「〽 おら~死んじまっただ~」と多くの「英霊」が怒り出すでしょう。
 このままでは「元の黙阿弥」、何百万の死者も報われません。
 
 アメリカの資本のために郵政民営化・解体などなど、もう数え上げたらきりなく被害があります。下山事件はその始まりでもあったのですね。よくいう「対米従属」です。
 もう、あえて言いましょう。上の新聞記事をもういちど見てください。プラカードを持っている人がいます。あれは私です。
 あの日、私は安保法反対の流れを止めてはいけないと考えて、国会前に行きました。
 信濃町で下車して「平和の党」の前で抗議の手を挙げ、徒歩で青山から溜池を通って国会前まで歩きました。たむろしている人がいましたから声をかけてポスターを2枚分けてもらい、3時頃から9時頃まで、ハトバスに手を振り、立ったり座ったりしていました。そのとき、左の方で誰かが写真を撮ったのがわかりましたが、見た時にはもういませんでした。
 翌日の新聞が上のものです。
 不当なものを許さなない、忘れないということは大事なことです。
 布施検事の執念、感じ入りました。
 
  
  御嶽・日の出山付近
 

 
 
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