神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.224 都知事選挙の日

2024-07-08 00:31:40 | 君へ
(1)7日、きょう、東京は知事選挙でした。私も10時に投票に出ましたが、室外温度計は35・5度くらいありました。でも、まだ平気です。夏は大好き。ひと汗かいても、鉄管ビールで生き返り・・・ます。
 と、よくこういうふうなことを言いますけど、これは多分ウソ。いまは、冷えた麦茶か、できれば麦ジュースが必需品、これが真相です。
 昔は昔なりの方法があって、たとえば、小川や井戸で冷やしたスイカ・トマト・キュウリなどを食べました。もっとも、いまより5度くらい温度が低かったですね。

(2)選挙会場では、大きなヒマワリが待ってました。
 「ウクライナのひまわりと同じかな」と思いながら、1枚を撮りました。
    

(3)あっそうだ、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニ主演のイタリア映画「ひまわり」がありました。反戦映画の金字塔ですね。身につまされます。
 身につまされるといえば、ほかにも映画「自転車泥棒」や「鉄道員」なんかもそうですね。
 
(4)そうだ、選挙でした。
 帰りに見たら、10時の投票率は27%ちょっとでした。
 投票場を出て、よその庭先で写真を撮っていると、「暑いのに、ごくろうさん」とやって来ました。
   
    「君の名は」と問えば、「・・・ムシ」と。

(5)家に帰ると、「お帰り」とハモって、跳ねて喜こぶ声がしました。
 あまり跳びはねて足にまとわりついてくるので、
 「おいおい、お行儀よくしないと踏まれちゃうよ」
 と比較的やさしく言ったのですが、やめる気配がありません。それで、 
 「おい、あぶねぇてゆってるだんべ。行儀わりいと踏んじまうじゃねぇか」
 と叱ると、パッと整列しました。
 代々の付き合いで、上州弁ならわかるようになったみたいです。
 夕方の水やりの時に、ついでにかけてかわいがってやりしました。
   
     
(6)夕方、水やりのあと散歩に出ると、うす紫の花が見えました。静かに咲いていました。
 「八千草薫さん」ですね。
 えっ? 
 つまり、その、「さわやか」ということです。
   

(7)選挙の大勢が決まりしたね。
 小池都政のままでいいと思っている人が、まだこんなにいるとは驚きです。
 この8年間の都政を見る限り、さらに4年すると、伏魔殿といわれた都政に近づく可能性があるので、今後はより意識して都政を専門の財政の方から注意しなければと思っています。
 かつての美濃部都政は赤字を作ったと批判されましたが、これは「都民のための政策」を大きくとった結果でした。赤字はもちろん問題ですが、ほかの人たちは違いました。
 「マイタウン東京」をスローガンにした鈴木都政が「誰のマイタウン」を言っていたのかということを考えてもわかるように、その前の東都政、石原都政、その外も、結局、都民は置き去り、最後は腐臭を垂れ流して去っています。
 小池都政も、いますでに腐臭を発しているのですが、「ほかの候補よりまし」と思われたこともあり得ます。まずは選挙結果の分析からやらねばと思います。
    

(8)私は、あきらめません。No.125を見てください。不当なものには、自分が損をしても抵抗する、これが本領です。いまこそ「広津和郎の散文精神」を思い起こしてください。
 嵐で稲が押し流されれば、それを一つ一つ起こすところから始めるしかないのです。

 では、きょうはここで。



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No.125 

2024-03-31 01:34:15 | 君へ
   
    人も、本当はもっと華やかなはず・・・
 きょうは、まだ先日の余波の頭痛があって、おまけに黄砂もあって、家で読書三昧、もうちょっと具体的にいえば、起きてはあっちの本、しばらくしてこっちの本・・・と読み飛ばし。夜は、NHKスペシャル「シリーズ未解決事件 下山事件」を19:30と22:00の計3時間見ました。下に、少しだけようすを書きます。

(1)拾い読み:
 おもしろかったのは、中岡哲郎『日本近代技術の形成』(朝日選書、2006年11月)で、今日はこの第1~3章をパラパラとめくってみたわけです。
 ヨーロッパを見てきたサムライたちがいくら頑張っても、圧倒的多数の国民はやはり目前の状態から出発するしかない。ヨーロッパ頼みの財政的限界、「在来」が持っている優位性、そこから発する新段階の在来産業の発展ぶり、久しぶりに読み入ってしまいました。
 あまり広げてしまうといけないですが、子供のころ見たおばあさんたちの養蚕・糸取り・機織り、注文に応じて何でも作ってしまう鍛冶屋、たまに廻って来る飴屋、などなどを思い出しながら読んで、在来のものの残存(古いからでなく、生きて新しい現実に対応できる技術)をもっと考えてみる必要がある・・・と。
 古いといえば古いのだが、それは、のちの改良された技術や機械を知っているものの目から見たもので、当時の諸条件を総合するとそれが最適、というところ。私の方からいうと、木曽式伐木運在方式の現場のことなど、もう一度見直す必要があることがあるのかも・・・。

      安保法、ああ、許すまじ!

(2)下山事件:
 今日はこれを見たという人が多いでしょう。ですから、なにか細かいことは書くことはしませんが、若いころから、三鷹事件・松川事件なども含めて、松本清張の『日本の黒い霧』などで読み、テレビ番組なども見てきました。
 そういうものとして、きょうの番組を見ながら思ったのは、まず番組制作側の調査力、布施検事の執念、新聞記者の矜持、そして、日本の政治家として名を残している面々の厚顔・破廉恥さです。
 私は講義で常々「アメリカから日本を守らなければならない」といってきましたが、昭島市や多摩川で米軍機を見るにつけ、思うのは今もそのことです。米軍がいることや米軍基地があるこのためにむしろ多くの被害や犠牲がありましたし、日本の平和外交を妨げてきた、ということです。
 2015年の安倍内閣の安保法以来、その後もどんどん改悪されて、もう武器輸出に道を開いただけでなく、この先、新しい武器開発に応じていくらでも閣議などでやっていけると、あの「平和の党」も合意しているとのことです。
 「〽 おら~死んじまっただ~」と多くの「英霊」が怒り出すでしょう。
 このままでは「元の黙阿弥」、何百万の死者も報われません。
 
 アメリカの資本のために郵政民営化・解体などなど、もう数え上げたらきりなく被害があります。下山事件はその始まりでもあったのですね。よくいう「対米従属」です。
 もう、あえて言いましょう。上の新聞記事をもういちど見てください。プラカードを持っている人がいます。あれは私です。
 あの日、私は安保法反対の流れを止めてはいけないと考えて、国会前に行きました。
 信濃町で下車して「平和の党」の前で抗議の手を挙げ、徒歩で青山から溜池を通って国会前まで歩きました。たむろしている人がいましたから声をかけてポスターを2枚分けてもらい、3時頃から9時頃まで、ハトバスに手を振り、立ったり座ったりしていました。そのとき、左の方で誰かが写真を撮ったのがわかりましたが、見た時にはもういませんでした。
 翌日の新聞が上のものです。
 不当なものを許さなない、忘れないということは大事なことです。
 布施検事の執念、感じ入りました。
 
  
  御嶽・日の出山付近
 

 
 
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No.121 君は元気か  

2024-03-27 00:47:36 | 君へ
 きょうは、またまた日本の無節操ぶりを世界に示した日になりました。



 日本は、あの悲惨な戦争を引き起こし、日本国民にも周辺諸国にも多大な犠牲と負担を強いた責任を問われ、ふたたび世界に受け入れてもらう条件として日本はポツダム宣言を受諾して、二度と軍事国家にならない、軍事産業は解体すると約束したはずだ。
 ところが、戦後ずっとそれを裏切る経過をたどり、とくに2015年以降はもうとめどなく戦争をできる国家になり、重ねて軍需産業を育成していくべく英・伊と国際協力までし始めた。
 しかも、国民の代表が集まる国会で審議をするでもなく、支持率が低迷して、なおかつパーティー券問題で追い込まれた「死に体の政権」が、国民を道づれにするつもりか、戦闘機の輸出までも閣議決定で決めてしまう・・・。
 そして、歯止めになるかと期待した「平和の党」は、今度もまた、いくらかブッテ見せて、結局、結局、結局、賛成に廻った。

 

 Y・O君、君は元気か。
 上の写真は、わが家の西に見える空だよ。この空を、今は米軍と自衛隊の飛行機やヘリコプターが、ひどいときは、夜9時過ぎの1時間に10回以上も飛び交うこともあるんだよ。もちろん、市には対応を求めて苦情を言ったがね。
 でもね、心配なのは、やがてこの空を日本の爆撃機が飛ぶことになるかもしれないんだよ。君はどう思う。

  

 あのころ君は、君の生い立ちのこと、君の身体をめぐるご両親の悩みのこと、思想上のことを語り、ぼくはぼくで、同じように、本当に親密にいろいろなことを語り、よく相談した。
 中学・高校時代に、君とはよく語った。ぼくにとって君はよい兄だった。

 その君から賀状も来なくなって、もう何十年たつだろうか。
 君の居場所も消息ももうわからないけど、ぼくは君に聞きたい。
 「まだ、おれの考えを間違っていると思うかい。」

 きょうはね、『進退録』昭和19年のところをずっと調べていたんだ。
 そしたらね、1日で5人も戦死者が出てきたよ。
 そのうちの一人は、山林学校を卒業してめでたく帝室林野局に就職できたと思ったら、即日徴兵されて、それから2年も戦地を連れ回され、結局19年3月戦死だよ。いちども自分を生かすことなく終わった。そう追い込まれた。
 たまんないねぇ。君ならわかるだろう?。

 歳のせいかなあ。ふと話したいと思うことがある・・・。
 「うん、おれはまだ元気だ。でも、去年6月に、4つ下の弟が逝ってなあ・・・」

 
 

 


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