神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.223 西園寺公と政局

2024-07-07 00:43:05 | 先行研究
【コレクション 14】
 きょうは『西園寺公と政局』のパンフレットです。

(1)この本は、昭和3年から15年にいたる間の、最後の元老西園寺の言動を、秘書であった原田熊雄が口述したものです。戦後の極東軍事裁判のほか、政治史や憲法史をはじめとする分野の研究で第1級史料として注目されてきたものです。
 最初1950年に刊行され、その後1982年に復刊(再刊)されました。パンフレットはこの1982年の復刊時のものですが、手元に2点(2種類)が残っています。大きさはどちらも、B5 半4ページ(B4を二つ折り)の体裁です。

(2)1点目(5月25日刊行予定 全8巻・別巻1で定価35400円)

    

 構成は、次のようになっています。
 P1.上記表紙 〔表紙の1文(刊行の辞)は読めるでしょうか?〕
 P2~3.「西園寺公と政局」復刊に止せて
    今井清一(横浜市立大学教授) 
      今日なお重要な基本資料 ー校訂編纂にあたった一人として―
    丸山真男・林茂 
      本書校訂編纂作業の経緯およびその作業方針について
       (これは第1巻「あとがき」の抜粋です)      
    全巻の内容
    組方見本 
 P4.刊行案内と全体写真

(3)2点目(9月9日刊行予定 全8巻・別巻1で定価40500円)

     

 内容構成は上記の1点目と変わりませんが、違いは、丸山真男・林茂両氏の第1巻「あとがき」からの抜粋がなくなり、今井清一氏がその分を取り込んで執筆していることです。
 下に、目いっぱいい大きくして載せることにしましたから、読んでみてください。


  これを読むと、ほぼ全文を読んだことになります。

 この後段に神島二郎、藤原弘達、松本三之介、脇圭平の名が見えます。今と違って、この当時はすべて手書き、さぞ苦労されたことと思われ、頭が下がります。かつ、こういう作業に巡り合うことができるとは、うらやましいかぎりです。

    
    さるすべり 曇りの日も赤く燃える

(4)原田熊雄(1888.1.7~1946.2.26)の説明などは略しますが、一言だけ。
 神足勝記の子息に勝孝氏がいます。この人も日記をつけていて、勝記の永眠の際のようすを記していました。私はこれを『御料局測量課長 神足勝記日記』(J-FIC)の624ページに引用しましたが、この場合「画竜点睛」というもの変ですが、これによって勝記の最後をきちっと記すことができました。
 この勝孝氏は、学習院を出て東京帝大に入り、火薬研究をして研究職の海軍中将になった人です。そのために、戦後は公職追放になりますが、その交友は広く、日記に多彩な人々が登場します。その中に、上記の原田熊雄が出てきます。
 たとえば、昭和16(1941)年12月14日の項に次のようにあります。

 「午前9時登庁。午前11時半、原田熊雄男爵、ウイスキー・ミカンを持参。海軍の大戦果に祝意を表する為来廠。午後、省内を巡視。」

 これは、ハワイの真珠湾攻撃での「戦果」を祝うために、原田がみやげ持参で火薬廠に来たことを記しているわけですが、当時を知る重要な記述です。

(5)さて、都知事選挙ですね。
 みなさん(これは都民の皆さんですね)、選挙に行きましょう。 
 いまは、天皇・皇后もひざまづいて話をする時代です。
 えばる人はいやだ。
 「アベ政治」はいやだ。
 利権や、ウソや、ハッタリで動く政治はいやだ。
 エバル・ごねる・隠す人はイヤだ。
 
 よき日よ来たれ!

    
 
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No.218 明治建白書集成

2024-07-02 00:25:00 | 先行研究
【コレクション 9】

         A4判大・平均1100ページ

 『明治建白書集成』は筑摩書房から刊行されました。1986年10月20日に第1回(第3巻)、87年4月20日に第2回(第6巻)発売が予定され、これ以後は半年ごとの刊行が予告されています。平均1000ページ。定価は5万円。
 このパンフレットは、横長の紙を観音開きに三つ折りにして表裏6ページとし、ほかに内容見本として1枚(表裏2ページ)を挿入した計8ページ仕立てです。
 全体の構成と主な内容は次のようなものです。
1.上掲の表紙
2.色川大吉・我部政男 刊行にあたって
3.全巻内容と担当者
  第1巻 明治元~5年3月(内田修道)
  第2巻 5年4月~6年12月(内田修道・牧原憲夫)
  第3巻 7年1月~9月(まきはらのりお(牧原憲夫)
  第4巻 7年10月~8年10月(牧原憲夫・茂木陽一)
  第5巻 8年11月~13年4月(茂木陽一・鶴巻孝雄)
  第6巻 13年5月~15年12月(鶴巻孝雄)
  第7巻 16年1月~18年2月(大日向純夫)
  第8巻 18年3月~20年12月(大日向純夫・安在邦夫)
  第9巻 21年1月~23年12月・索引(安在邦夫)
4.資料調査、提供に協力いただいた方がた
5.内容組見本
6.推薦文
  遠山茂樹(横浜市立大学名誉教授) 明治初期政治史を見直す 【下に掲載】
  柴田三千雄(東京大学教授) 近代を読み直す一大資料
  安岡章太郎(作家) 建白書集成に期待する
7.全体写真
8.特色など
 以上。

   
    キレイキレイ

 このパンフレットの魅力は、原本が掲載されていて、写真とはいえ、直に見ることができるところです。そして、これを読むと、末尾にあたる左端に「武蔵野国西多摩郡深澤村7番地 平民 深澤権八 23年9ヶ月」とあるのがわかります。これは、土蔵から「五日市憲法」が見つかった深澤家と当の深澤権八のことですから、この企画の重要さが一瞬でわかるたいへん興味深いデザインでもあります。
 今回、久しぶりに読み直したところ、「刊行にあたって」に次のような苦労話の一端が書かれていました。
 「・・・十年がかりの大事業となってしまった。」
 「・・・各地の府県資料に・・・、・・・多くの建白書が未公開のまま死蔵されていた・・・。」
 「・・・読解困難な文書を各巻の担当編集委員は黙々と筆写し、原稿化し、何度も校正を重ねるという難行苦行を続けた。」
 「・・・着手以来七年にしてようやく刊行開始にこぎつけた…。」

 私も、『御料局測量課長 神足勝記日記』(J-FIC)の解題の冒頭にいくらかの経緯を書きましたが、こういう文書や作業に出える機会というのはそうはないものです。機会に恵まれたということ自体が研究者として幸せなことと思います。
 最後に遠山茂樹先生の推薦文を載せておきます。ほかのお二方のものは残念ですが割愛します。
   
    上記パンフより

 遠山先生の著書・著作は若いころにずいぶん勉強しました。学恩に感謝。なつかしい。
 きょうもよい日でした。
 まだこれから本論のつもりが、ここまでで手一杯となりました。では。

   
    多摩川有情 

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No.120 備忘録:木曽関係書籍・文書 

2024-03-26 01:33:53 | 先行研究

 今日は、木曽御料地に関するものを抜き出して読んで終ってしまいました。
 まったくの備忘録です。(順不同)。解説を付けるまもなく・・・。 

(1)木曽国有林物語(山下千一編著 昭和48年 下島書店)
  

 山下千一さんご夫妻には、前(No.116)に書いた木曽行の際に開田でお会いしました。電車とバスの時間を見計らって、バスでピストンする時間が取れることがわかって、急遽お伺いしまして挨拶しただけでした。その後は、忙しさにかまけて伺う機会がありませんでした。

(2)木曽山林物語(山下千一著 1991年 章文館)
  

(3)史料 木曽御料林事件交渉録(青木恵一郎編 昭和48年 新生社)
  

  立教大学修士の頃に、ロシア語の翻訳を頼みに来た例のK先輩が、「(池袋の)高野書店にあったけど関係ないか」と教えてくれたものです。しかし、修士論文でこれを消化する力はなく、まだ宝の持ち腐れでした。
 のちに、長野へ調査に行ったときに県立図書館にこの原本があることを確認しましたが、そのころは、関心が少し別方向へ行っていて、いまだ未利用。

(4)木曽御料林事件(町田正三著 1982年 銀河書房)
  
 本書は、読み物としても、資料としても大いに役立つ労作です。

(5)木曽山(著者兼発行者徳川義親 大正4年 非売品)
  

 古書店では、自然崩壊直前のひどい状態でした。そのために、コピー取るほどの、予想外に安い価格で手に入りました。自分で製本してこの状態にしましたが、あること自体が珍しい、稀覯本です。もちろん木曽山のことがよくわかる労作です。

 次の(6)と(7)は大きな図書館ならあるでしょう。私は、最初、図書館のものを利用していましたが、入手しようとした際には、もう無くなっていて、とくに(6)の入手が難しかったので、控えとしてコピーを作りました。
 なお、(7)は下の(11)~(14)をいちぶ含んでいます。
(6)木曽福島町史(2)の第5・7節の一部をコピー
(7)長野県史 近代史料編 第5巻(4)産業 林業部分のみコピー

(8)御料地境界ニ関スル書類 全(徳川林政史研究所蔵) 
  

 もとは青焼きだったと思いますが、そのコピーなのでかなり判読が難しくなっています。
 原本も、あるいはもっと劣化が進んでいるかもしれませんから、デジタル化デモされていないとすると、いつまで読みとれるかわかりません。内容は、明治30年頃の土地下げ戻し申請に関わって沿革を記したものです。
 
 次の2点は、入手が面倒でしたが、足を運べば読むことはできます。
(9)は標題とおりの木曽の御料林の林業全般に関するわかりやすい報告です。(10)は資料のみです。
(9)宮内書記官栗原広太調査 木曽御料林之状況(都立中央図書館蔵)
(10)明治35年栗原宮内書記官 管内巡視之際提供書類(国立公文書館蔵)

 上にも書きましたが、(11)~(14)は、長野県史刊行会の収集文書です。なお、これらの文書が、現在どこに所蔵されいるかは、調べていません。
(11)木曽官林境界関係書類(長野県史刊行会収集文書のコピー:元は長野営
   林局蔵)
(12)木曽支庁『例規録』人夫・巡羅他のファイル(同上)
(13)木曽支庁  御料地編入・払下・事業要覧・収入決算書(同上)
(14)木曽支庁  長官諮問への答申・木曽実況報告書・会計予算(同上)

 ブログをはじめて、ずいぶん棚の本や収集文書の見直しができるようになりました。しかし、それを文書にするのはなかなか骨が折れます。
 私は、知人・諸先輩から話を伺っておもしろいことがあると、書き残すように言いますが、つまらないながら、私のブログはNo.120に達しました。『御料局測量課長 神足勝記日記 ―林野地籍の礎を築くー 』日本林業調査会(J-FIC)の紹介から始まったブログですが、もうしばらくは続けられそうです。




 
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No.118 思い出すこと 3

2024-03-23 23:24:44 | 先行研究
   
    朴の葉のかげ

(1)1978年2月14日、黒田久太『天皇家の財産』(三一書房 1966年2月)を、池袋の西口の立教大学へ行く通りにある高野書店で購入した。定価は250円だが、当時すでに希少本で、古書としてプレミアがついて400円だった。それでも、棚を見ていて発見した時はわが目を疑うほどの驚きで、高いとは思わなかった。

  
   黒田久太『天皇家の財産』

 この本は、明治百年となる1968年を前にしての、今から約60年前にまとめられたものである。1966年は昭和41年で、昭和は63年まで続いたから、すでに戦後20年余が経過して経済の高度成長を迎えていたとはいえ、昭和はそののち20年続くわけなので、まだ天皇タブーもかなりあった。その意味では、本書はよくまとめた「労作」と思うだけでなく、その後、これに代わるものがまだないということからも、少し評価を上げてもよいかとは思う。
 しかし、研究の質としては違う。
 私は『明治期皇室財政統計』(法政大学日本統計研究所 1992年7月)の「Ⅵ 解説にかえて」で、本書について「資料の整理と規模の究明には貢献したが、啓蒙書特有の概観的な記述であり・・・」(269ページ)、「方法論にも、批判的精神にも欠ける」(270ページ)と批判したことがある。
 私のこの評価は今も変わっていない。
『御料局測量課長 神足勝記日記 ー林野地籍の礎を築くー 』日本林業調査会(J-FIC)の「解題」で自分の到達点の一端を書いたが、黒田に対する評価は、今も研究課題として変わっていない。

(2)発表されている論文などを見ていると、『天皇家の財産』に対する評価は相変わらずで、いまも「一級資料」の扱いである。これについて、ひとつ思い出がある。
 1977年2月に『現代天皇制 法学セミナー増刊 総合特集シリーズ』(日本評論社)が出ていた。
 まだ、天皇とか天皇制をどうとらえるべきかの視点でさえ怪しい時期のことあったから、ともかく前から読むしかなかった。

   

 表に列記されている「主要論文と筆者」は、当時の錚々たる皆さんだったから、自分にとってはまぶしいばかりであった。それで、どれから読むべきかと迷いながら、おもむろに目次を見たところ、次の論文があることがわかり、手を打った。
 法政大学教授 高橋 誠 「「天皇の財政」とその再編成」

 高橋先生は、法政大学で地方財政を担当されていて、すでに『明治財政史研究』(青木書店 1964年)などもあり、財政関係では知られていた。
 私は、学部では経済原論のゼミだったので、『資本論』とその関連の文献を読むのに手いっぱいで、まだ財政学のイロハも知らなかった。だが、皇室財産・財政をやるには欠かせないので、いくらかは手を広げてはじめていた。
 だから、高橋先生が上の本を書かれていたことを考えれば当然とも思えたが、身近に皇室財政問題に着手されている人がいるとは思いもよらず、「灯台下暗しだった」と思ったものだ。それで、ともかく読んだ。
 論文はA5判大で9ページ分あった。まだ用語自体も知らないものがあって手間取り、一筋の光明を得たというよりも、驚きしかなかった。
 読んでの感想は、
 「先生は、どのくらい資料をお持ちなのだろうか」だった。

 それで、大学院の事務課へ行って事情を話して先生の連絡先を教えてもらった。当時のことで、まだプライバシー問題とかいうことはあまりなく、信頼関係もできていたからすぐに教えてもらえた。
 詳しいことは手紙を書いてお知らせすることにしたが、待ちきれず、挨拶だけするつもりで電話した。そして、思いついて一言だけ「お持ちの資料はどのくらいありますか」と伺った。
 すると、そっけなく、
 「黒田さんの本だけだよ」と。
 
 先生の返事に唖然とさせられたが、「本一冊であれだけのことを書いてしまうのか」と、その文章力に驚嘆してしまって、もう言葉が出てこなかった。

  
   小菅から大菩薩への途次  

 その後、「論文」を何度も読んだ。そして、そのうちにふと思った。
 「要するに、見てきたような・・・ということなんだ」と。
 そして、
 「知る人がもういなくなっているなら、自分が知るしかない・・・。」
  
  

 これが私の基本姿勢です。
 作業は、もういくらかはやりましたから、あと20年あれば終わるでしょう。
 問題は「厭わなければいいだけ」です。

 今日はここまで・・・。



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