神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.222  中国詩人選集

2024-07-05 23:03:11 | 言葉
【コレクション 13】
 きょうは、「新装版 中国詩人選集」のパンフレットです。
     
     B5判大 4ページ(B4判を2つ折り)

(1)この写真の場所はどこでしょうか。中国の南の方(華南)の桂林の辺りでしょうか。ちょっと暗い感じもありますが、水墨画を思わせる風景は見ていて飽きません。タイトルの配置もマッチしています。このパンフレットをとっておいた理由は、上の写真にあります。

(2)この『選集』自体はたいがいの図書館にあると思われますから、内容紹介を略しますが、ただ、「中国詩人選集」は、第1集が1957-59年に、第2集が1962ー63年に一度刊行されました。このパンフレットは、それから約30年経過した1990年9月25日に発売されたの「新装版」の刊行のものです。右上にそれが書かれています。
 パンフレットの構成は、次の通りです。
 1ページ 上記の表紙
 2~3ページ 各冊1覧
        推薦文 陳舜臣 みごとなかけ橋
            大岡信 これこそ新しい古典
 4ページ 刊行案内と全冊の集合写真

(3)いつのことだったか、「普天王土」〔ふてんおうど=全国の土地も人民も王のものだ〕の語源が『詩経』に出て来ることを知って、上記の旧版の「中国詩人選集」の『詩経国風』(上・下)が手元にあったので調べました。しかし、いくら調べても出てきません。知らないということはこういうことですが、「選集」ですから、もともと入っていなかったのです。

(4)それに気が付いて、次の『詩経』に当ってみました。
    

  この中公文庫版『詩経』を見ると、「国風」のほかに「小雅・大雅・頌」がありました。つまり、『詩経国風』は『詩経』の一部と知ったわけです。
 そこで、これを追っていくと、418ページ(「小雅」の中の「谷風之什」)の「北山」の2つ目に、次のように出てきました。(旧字は新字に改め、ひらがなに)
   原文   読み下し        読み取り
  普天之下 ふてんのもと      大空の蔽うかぎり    
  莫非王土 おうどにあらざるなく  王土ならざるなく
  卒土之浜 そつどのひん      地の続くかぎり
  莫非王臣 おうしんにあらざるなし 王の民でないものはない
 
 ここに、「普天王土、卒土之浜王臣」と出ています。
 そして、これが典拠・根拠となって、明治初期には皇室財産設定で議論が出ました。いま、その議論の場でないので紹介だけですが、皇室財産問題では、あるいは関係する論者たちには、注目するのはここだけだったようです。
 
(5)しかし、あるとき気が付きました。実はこのあとにまだ2行あるのです。
   原文    読み下し        読み取り
  大夫不均  大夫均しからず     王の大夫は公平ならず
  我従事独賢 我事に従いて独り賢なり われのみ事の繁きなり

 これを、上の4行とつなげて読むと、
「王土王民というが、お偉方は平等でない、自分だけがいそがしい」
 と、不満を述べた1節であることがわかるのです。

(6)これをどう理解するかですが、「王土王民」の実態を、下級のものが告発しているという側面から見れば、王の愛が全国津々浦々にまで及ぶとか、全国民を包み込んでいるというような説明がウソであること、「王土王民」が「支配者の論理」であることがわかるわけですから、ずいぶん都合よく切り取ったものだ、ということになります。

(7)だいぶあらぬ方へ来ましたが、私は、たまに・時々、次のものを広げます。
 ひとつは、
    
    全部で千ページ近い大冊です。
 
もう一つは
     
   『旺文社 漢字典』の別冊 表紙とも68ページ。
    教科書にある代表的なものはみな入っていて簡便です。

 漢詩は、あるいは漢文は、内容豊かです。もちろん、中国の封建時代の人々の作り出したものでありますが、感性や感情、語調や表現など学ぶべきものがあります。
 このごろは、訓練を受けたはずのアナウンサーの発音でさえ違和感を覚えることがあります。時代が変わるときは言葉も変化するものですが、それは乱れとは違うので、どの人もよく注意してみる必要があるように思います。漢詩・漢文はその材料としても有効と思います。
 では、この辺で。

    
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No.178 シャンソン

2024-05-23 04:43:51 | 言葉
    
    夕日に映える朴

 きょうは、少しシャンソンのことです。
(1)1981年に留学から帰って、翌年、すぐにフランス語を始めました。英語・露語・独語についで4つ目です。
 というと、すごいと思われるかもしれませんが、私の語学学習は、「辞書を引ければいい」というのが目標水準です。その理由は、日本語でうまい話ができないものが、外国語で流暢に会話などできるはずがないからです。
 このごろの語学講座を聴いていると、旅行に行ったときに店で値切る練習までしていますが、それはそういう需要がある人のことで、私は、高ければ買わないまでで、値切る気はありませんから、いらない学習となります。
 つまり、基本語と基本文法をいくらか習得すればよいので、ぐっと覚える量が少なくて済みます。あとは、出て来る度合いに応じて、必要なら覚える、使わなければ忘れる。

(2)やっぱり、ちょっと脱線したくなりました。「忘れた例」です。
 だいぶ後になって、スペイン語の講座を勉強した時のことです。
 スペイン語をやったのは、スペイン統一戦線のことや、ゲーリー・クーパーとイングリット・バーグマン主演の『誰がために鐘は鳴る』を見たからです。
 もちろん、上に書いた調子でやりました。古本屋で買っておいた文法書にサッと目を通して、辞書とテキストを手に勉強しました。そして、無事に半年が過ぎ、一応のことがわかりました。その結果どうなったかというと、使わなかったために元に戻りました。でも、ゼロではありません。この講座の最後に、ヒメネス?の詩が紹介されました。(正しく復元できたかは不明。)
 Qué es poesía ?   詩とはなにか。
  Poesía, él est tu.  詩,それは君自身だ。

 う~ん、いいですねえ。ロマンがあります。ネイティブの読んでもらって響きを味わってみてください。

   
   オリーブの花がいくらか開きました。

(3)そうそう、シャンソンです。
 1982にフランス語を始めました。
 最初はフランス革命の関係、のちにはカメラリズム(官房学)の関係もあり、和仏ともにそれなりの文献が集めてあるのですが、結論からいうと、フランス語も、スペイン語と同じ運命というか、結果となってしまいました。
 NHKの語学講座のこの時(4月~9月)の担当者は加藤晴久先生でした。英語の国広正雄先生の時に実力ある人だと思わされましたが、加藤先生もそうでした。
 講座のテンポも、説明内容も、テキストの書き方も、伝えたくて仕方ないと思わせる雰囲気にみなぎっていました。そうして、毎月(4月から9月まで)1曲ずつシャンソンを紹介してくれました。
 ここでは、そのうちの4月から7月の曲名とさわりだけ紹介します。興味がある方は検索してみてください。どれもオススメです。

(4)4月の曲: A la claire Fontaine :澄んだ泉で
   澄んだ泉のほとりを
   散歩していたところ
   あまりに水が美しく
   私は泉で水浴びを
   〔詩は全体で5節あり、下はリフレイン部分〕
   長い間
   あなたを愛したけれど
   これからも/あなたを忘れはしない

(5)5月の曲: Sentimentale:恋はセンチメタル 
   センチメンタルなの
   こうして 踊っていると
   星の下で
   あなたの腕の中に抱かれていると
   〔このあとは4節ありますが、形式はそろっていません〕

 (6)6月の曲: Les canotiers:舟遊び 
   水に沿って、川を下りながら
   舟遊びの舟が滑って行く
   水に沿って、1900年ごろ
   ルノアールが舟遊びの舟を描いた
   生活はこんなに便利ではなかったけれど
   人々はこんなに気むずかしくなかった
   恋びと同士のように舟をこぐのは喜びだった
   今ではみんな高速道路に代わってしまった
   〔このあとは、3節あります。往時への郷愁を歌った揺れるような良い曲です〕

(7)みなさん、ご存じでしたか。私は、この時聴いて新鮮に思いました。
 ちなみに、この後に紹介された曲については次のようになっています。
 7月の曲:Débranche ton Soleil:太陽を消して
 8月の曲:不明
 9月の曲:Ne me quitte pas:行かないで
 
 このあとも加藤先生は担当されたようで、その時につぎの曲をとりあげたようです。
 12月の曲:Hymne a  l'amour:愛の讃歌

   
    ユリが出ました。

(8)いくら勉強しても、しばらく使わなければ忘れてしまいますが、全部忘れることはないので、楽しんでます。どの言葉もおもしろくて耳学問としても最適です。
 今のロシアの状況を見るにつけ、自分がロシア語の道を進んでいたら、と思わされますが、韓国へ行ったとき、電車の中で、隣のボックス席の女性が何かを話してました。何を話しているのだろうかと聞き耳を立てると、一瞬ロシア人女性のように思いました。ところが、もっと聞いていると、韓国語〔朝鮮語〕でした。
 おばさんが話す大声では、味はあっても、あまり興味をそそられせんが、若い女性が話す韓国語はロシア語にも聞こえることがあるんですね。
 またまた、脱線しました。では。

   
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No.172 ブラート・オグジャワ

2024-05-16 21:59:57 | 言葉

      じゃがいも

(1)先日、ラジオをつけると、NHKのカルチャー番組をやってました。言語に関することだったので、そのまま聴いていました。すると、つぎの内容のことを言いました。
 牛や馬など、とくに野生の動物は、生まれるやいなや、お母さんがペロペロと少しなめたりする程度で、自力で一緒に動けるようになります。ところが、人間は、半年どころか、1年くらいかからないとそうはならない。手がかかります。これはなぜか。
 それは、脳の形成、とくに言語能力の形成の面から見ると、長い時間、世話や保護をしてもらうことで受け答えを覚えられる。そして、その結果一緒に安全に行動できるようになる。言語習得にそのくらいかかるからではないか。

(2)おもしろいですね。
 これが、この分野の説明としてどのくらいの評価を受けているのかなどはわかりませんから、聴いた限りでの印象ですが、確かに、牛が「モー」と鳴くにしても、馬が「ヒヒン」と鳴くにしても、鳥が「ピーピー」と啼くにしても、ボキャブラリーといえるかどうかわからないまでも、何種類かの用法があることは知られています。
 ところが、人間の言語能力は、複雑さやその体系性において、大きな隔たりがあることははっきりしています。それを習得する時間や期間の差が、生育・保育の差になっているというのです。これ以来、まだ私の頭から離れません。

    

(3)それにしても、言葉・言語は興味深いものです。
 「これまでにカジッタ言語」がいくつあるか、数えてみました。カジッタというのは、入門書・会話集・文法書・辞書などのうちの何か1冊は持っているという程度の意味です。具体的には、NHKの語学講座テキスト・ほかの文法書を買った、ということです。順不同です。
 日本語・英語・ロシア語・ドイツ語・フランス語・ギリシャ語・韓国語・中国語・アイヌ語・スペイン語・イタリア語・チェコ語・スウェーデン語・ポルトガル語・ベトナム語・アラビア語・エスペラント語

 このうち、きちんと話す自信がある言語はゼロです。大半はもう忘れました。辞書があれば少しは何とかなるのがいくつかありますが、それももう忘れる一方。なんとも情けない。

   

(5)とはいえ、忘れない・忘れがたいものがあります。今日はそれを一つ紹介しましょう。
 もう正確な時期はわからなくなっていますが、90年頃のロシア語講座(担当:江川卓先生)で取り上げられたブラート・オグジャワの『グルジアの唄』です。
 テキストには全体4節の原文と大意が書かれています。その第1節を紹介します。

 「ぶどうの種子をあたたかい大地に埋めよう
  つるに接吻し、熟れた房をもごう
  そして友だちを呼び集め
  おのが心を愛に合わせるのだ・・・
  さもなくば、なんでこの久遠の大地に生きる値打ちがあろう」

 講座では、オグジャワ自身のギター演奏と低い声で歌う弾き語りが流されました。私はこれを忘れられず、テープに録音したものがまだ手もとにとってあります。
 それから、ほかの作品も知りたくて、神田のナウか書店に行って買い求めました。行ってオグジャワの名前をいうとすぐに棚に在庫があることを確認してくれ、あちらでは知られた人とわかりました。
 ウィキペディアで紹介されています。興味ある方はオグジャワの名前をネット検索してみください。 
 きょうはここで。

   


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No.141 発音が変 

2024-04-16 03:34:46 | 言葉

 

 このごろは、日本語の発音が変です。
(1)まず、アナウンサーの発音がときどき変です。これは、NHKでも民放でもそうです。
 たとえば、まず「前線」についてです。
 1.「前線」のように、単独で用いる場合。
 2.「前線が近づく」のように、文の一部として用いる場合。
 3.「梅雨前線」のように、ほかの語と結合して用いる場合。
 4.「梅雨前線が近づく」のように、文の一部として用いる場合。
 この4つは、1・2と3・4では発音が違いますね。知り合いに、これを中国語の四声の影響だという人がいますが、それはともかく、3・4のように「梅雨」と「前線」結合することによって後ろに着いた「前線」の語調が変わります。こういうことはあるのですが、では、これを「全線」と比べてみてください。
 4.「全線」のように、単独で用いる場合。
 5.「全線で運転中止」のように、文の一部として用いる場合。
 6,「全線が近づく」と4.に似せて言った場合。
 この4~6は同じですが、どれも1~4とは同じにはなりません。
 ところが、あるアナウンサーは「全線」を「前線」と発音していました。
 つまり、「前線で運転中止」と言っていたことになります。これだと、戦場かどこかでの話しになりそうです。

 
  昭和記念公園

 以下では、例を挙げるだけとし、細かい説明は略します。
(2)NHK語学講座の例:
 1.「探す」を、「性〔さが〕す」とか、「騒がす」みたいな発音をしてました。
 これは、いちどだけうっかりそう発音したというのでなく、すべての場合でです。以下でも、揚げ足取りをするわけではありません。
 
 2.講師の質問に対して、答えを作るための参考文のことを指して、ときどき「かいとうする文」と発音。しかし、これが「解答する文」なのか「該当する文」なのかわかりませんでした。
 ハングル講師は、日本語を上手に話す人でも、語頭の濁音は治りきらないようです。

 3.「よんで」の意味 
「本を読んで」のように「~を読んで」を「呼んで」と発音していました。

 4.このほかは略。なお、いまの語学講座は、有効な番組と思いますが、旅行志願者向けの番組と化しているので、文法事項などを親切に説明しているようでいて、深みがないように思います。ともかく、日本語の発音で問題アリと思います。

   

(3)電車の自動音声による駅名アナウンスはムチャクチャ。これは論外。
 ついでに、ネイティブを使ったアナウンスも、勇ましいばかりでウルサイのがあります。
 それから、最近は車掌がそそくさと英語で説明します。しかし、練習もしていないと思ってしまうほどへたくそで、いやだけどやっているのが見え見え。やるからには、初等英語はやっているはずですから、きちっとすべきと思います。
 とはいえ、昔の電車と違ってドアの上に表示されますから、「余計なアナウンスは騒音」と思いますがどうでしょうか。

   

(4)ところで、うちのカミさんはバイリンガルです。スゴイでしょう。
 え!何語がわかるかって?
 東京弁と上州弁です。
 50年前、お披露目として群馬の親族と会食しました。その折に、叔父が気を使ってカミさんにあれこれと話しかけてくれました。
 ところが、カミさん、正調の上州弁を話す叔父が何かを聞くごとに「わからない」とこちらを向きます。それで、当時は私が通訳したわけです。
 まあ、あとからカミさんにが言うには、私と叔父が話しているのを聞いていたら、ケンカしているのではないかと思ったというのですから、相当のカルチャーショックだったようです。
 ちなみに、カミさん、いまでも正確には聞き取るのが難しいようです。というのは、ときどき、私が言うことを正確にやれてない時があります。

   

(5)「日本は単一民族」なんてバカなことを平気でいう人が今でもいるようですけど、言葉だってかなり複雑ですよ。ちょっと一例をあげましょう。
 「来ない」はどう読みますか?
 「来る」は、文法の時間にカ行変格活用(カ変:「こ・き・く・くる・くれ・こよ」)と勉強しました。これによれば「こない」となります。
 ところが、正調の上州弁では「きない」と読みます。
 高校の時の文法の時間のことです。前の方の席の人が先生にそっと、
「ない」は未然形に付くはず。でも、群馬では「きない」というのに、文法表の未然形に「き」はない・・・。
 すると、先生曰く
 上州弁は文法的に間違っている・・・。

では、ここで。
 

 


  


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