神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.187 アメリカの本源的蓄積

2024-05-31 22:01:59 | 余録

    「雨に咲く花」という歌がありましたね。
 
 アサガオも、それからアジサイも、 たしかに雨の日に見ると風情を感じますが、水をたっぷり吸って陽に照らされて咲く姿の方が、やはり見ていて気持ちがいい、映えると思います。
 そもそも、雨の日の庭を部屋の中から眺めているとか、雨の中で傘をさして見るろいうのは、仕方ないとしても、窮屈です。できれば、外に出て、いろいろな咲き方をしている花を見つけ、あっちからこっちから近づいたり遠のいたりして、その花の一番映える姿を探しながら楽しみたいものです。

(1)ところで、きのうの「2つの私的所有」という場合の「私的所有」ですが、これは、経済学的には、「衣食住に関わる様々のものを作り出す生産手段やそれに必要な資産などの所有のこと」であり、同時に「それに拠って生産された生産の成果を受け取る(取得する)権利の所有のこと」です。
 ここで、生産手段や資金の所有者は生産の結果を手に入れる権利を持っています。もし持っていないとすれば、生産したものをむざむざと誰かに取られてしまうのと同じ結果になりますから、つまり、無駄な苦労をしたにすぎなくなりますから、生産などしないでしょう。
 そして、この「私的所有」が歴史的に2つあるということです。

(2)ひとつは「自分の労働に基づく私的所有」、すなわち、「自分や家族といった小規模の人が生産手段などをもって生産し、それに拠って生活を成り立たせているような場合の私的所有」です。
 これは、小規模経営ともいいますが、いまも手を変え品を変えて次々に生まれてきますけれども、だからといって江戸時代のように、社会全体がこれで成り立っているわけではありません。
 逆に、江戸時代にも、丁稚や番頭のように雇われる人がいましたが、現在のように学校の卒業が近づくと就活をするというようなことはまったくありませんでした。

(3)もう一つは「他人の労働に基づく私的所有」でした。
 これは、一つ目の「自分の労働にもとずく私的所有」が解体して社会が分化した結果、社会の一方に大量の生産手段や資金を持つ人(有産者)が現われ、またもう一方に、働くエネルギーを持つけれども、そのエネルギーを発揮する場所・生産手段・資金などを持たない人(無産者)が現われてきます。
 その結果、雇い雇われる関係(資本主義経済)が生まれ、生産手段や資金は「資本」つまり自分の資産を太らせるための手段となります。
 言い換えると、有産者が自分の資産を、雇った人(無産者)に動かしてもらって生産などの経済活動をおこない、生産された生産物を自分のものとして受け取る(取得する)経済、つまり、「他人の労働にもとずく私的所有」、いいかえると「他人の労働に基づく私的(資本主義的)所有」が行われるようになるわけです。
 そして、「自分の労働に基づく私的所有」が解体されて、「他人の労働に基づく私的(資本主義的)所有」へ転嫁する過程、これが(資本の)本源的蓄積といわれるものです。

   

(4)ところで、『資本論』第1巻の最後の章は「近代植民理論」というタイトルになっています。ずいぶん変わったタイトルですが、これを読むと、アメリカでの本源的蓄積のことが書かれているのがわかります。
 アメリカこそ資本主義経済ですから、当然その始まり・「本源的蓄積」の過程があったはずです。ところが、アメリカでは上のようにはいきませんでした。
 どういうことかというと、アメリカには原住民がいましたが、ヨーロッパのような発展をしていませんでしたから、無人地として扱われました。するとそこへ、ヨーロッパから大量の無産者が耕作地を求めて移住してきました。一方、ヨーロッパの資産家が、新天地で一旗揚げるべく、資本として使う資金や資材を持ち込んで経営を始めようとしました。

(5)一方に無産者がいて、他方に有産者がいますから、すぐにも雇い雇われる関係が始まるかと思いきや、それがうまくいきませんでした。
 なぜかというと、アメリカにはまだ「広大なフロンティア」がありましたから、ヨーロッパから大量の人が移住してきても、次々に西へ行ってしまい、雇われる人がいなかったからです。つまり、ヨーロッパから移住してきた無産者が、西へ行ってしまい「自分の労働にもとずく私的所有」者になっていくわけです。これでは、資金も資産も「資本」にはなりませんから、儲かりません。ヨーロッパのような「資本主義経済」にはなりません。 
 そこで、移住者が雇われるように、一定期間は西へ移住することを認めないなどの植民政策が提案されるわけです。
 興味のある人は、どんな苦労があったとマルクスが書いているか、読んでみてください。

(6)本源的蓄積=「自分の労働にもとずく私的所有」の解体があって初めて資本主義=「他人の労働にもとずく私的(資本主義的)所有」が可能となること、しかし、資本主義は、今日の世界を見るとわかるように、いろいろな問題・矛盾を生み出します。したがって、やがて、それを見直すことが行われざるを得ない。そこが要点です。
 「生」は「死」を射程に入れる。
 本源的蓄積の結果、資本主義経済生まれましたが、資本主義は自らを否定する要因を作り出し、とってかわられざるを得ない運命にあります。
 つまり、本源的蓄積は資本主義の終焉を射程に入れる、ここが核心です。
 これをどうするかは、現代人の叡知によるほかありません。皆さん、考えましょう。
 では、ここで。

    

 ・・・そうそう、トランプさん、見苦しいですね。
 結局、あれは、前の選挙でクリントンさんと争っているときに、✕✕がバレたら不利になるから、口封じに金を渡したという構図・・・
 違うというなら、真実を法廷で言ってもらいたいものです。

 それから、あの政治資金規正法の妥協案、大阪万博のガス、・・・日本もひどい。


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No.186 2つの私的所有

2024-05-31 00:30:06 | 余録

    ネモフィラとポピー:昭和記念公園

 きのうの「生と死」の関係、納得できましたか?

(1)生命体の例ような自然科学の問題なら、すぐに納得できますね。
 オスとメスという2つの対立する関係が「否定」されて受精・出産されると個体が生まれます。ところが、この個体が発育・成長を続けると、みずからその生を否定する要因を作り出して死に至らしめるのです。
 つまり、最初の「否定」が起こった結果、「その否定」(「否定の否定」)が視野に入ってくるのです。
 これを否定して、「自分は死ぬのはイヤだ、なんとかしたい」ともがくと、不老長寿の薬を求めて実験したり、旅に出るという珍事になります。

(2)では、社会科学の問題になるとどうでしょうか。
 そこで、きのうの「(資本の)本源的蓄積」についてあらためて取り上げてみます。あまり時間もスペースもないので、ザクッと行きます。
 まず、「本源的」は、元はドイツ語の「ursprünglich」で、意味は「最初の」「根源的な」「当初の」というようなことです。ですから、これを「原始的」と訳した例もありますが、要するに、「(資本の)蓄積」が行われるようになる「始まりの蓄積」ということです。
 上の自然科学の例に合わせて言い直しますと、「始まりの蓄積」は「受精」とか「出産」です。そして、「資本」が生まれると、こんどは成長していくわけですが、それにあたるのが「(資本の)蓄積」ですが、「(資本の)蓄積」が発展すると、自分(資本主義経済)を滅ぼす条件を作って行ってしまいます。
 ですから、マルクスは、『資本論』を書いてその仕組みを解明しようとしたわけです。

   

(3)ところで、私的所有には2種類のものがあります。
 ひとつは、日本でいえば、「つい最近までの農民や職人」のように、「自分で農地や道具をもって、自分で稼いでいる人のような所有」です。「自分の労働に基づく私的所有」です。 これより古い時代になると、もっとそうなります。
 これに対して、明治からあと、とくについ最近のことですが、「土地や資金や工場など」をもっているものの、自分では使いきれない人と、これに対して、働くエネルギーや能力を持っているが、それを発揮する場所を持たない人とがいます。つまり、「雇う人」と「雇われる人」が生まれています。
 もう一つの私的所有とは、この「雇う人の私的所有」です。
 大量にもっている資金や工場などを「雇った他人(従業員、労働者)に動かしてもらい、それによって自分の資産や生活を維持する人の所有、つまり、「他人の労働に基づく私的所有」です。

(4)かいつまんで言いますと、本源的蓄積というのは、「自分の労働に基づく私的所有」によって生活をなりたたせていた経済が解体させられて、「他人の労働に基づく私的所有」に移行する歴史的事件の事をいいます。
 前者の私的所有が解体された結果、いまの日本や世界の資本主義経済が始まったわけですが、そうすると、資本や資本家はお互いに競争してますから、負けて没落しないために、できるだけ自分を大きくしようとする結果、儲け一辺倒になりがちです。
 その結果、勤労者は低賃金のままで、内部留保は積み上がるとか、環境が悪化しても対策がなかなかとられないとか、儲かれば憲法違反の武器輸出までやるようになるとか、資本や有力者に有利な税や福祉政策が取られるなど、様々な問題を引き起こすことになり、新しい社会を求める人々を生んでくるというわけです。

   

(5)もう、いままでのやり方でよいと思っている人はないでしょう。問題は、それをどうやるかです。良い知恵を出し合いましょう。
 パーテイー券、キックバック、政治資金、官房機密費・・・まともな説明はせずに逃げ一方です。都議選も動き出しました。国政選挙もありそうです。

 つまり、マルクスが言おうとしたことは、すでに「新しい歴史の過程(本源的蓄積)」が行われた、やがて「その次の過程(その没落)」が必ず起こるということを弁証法の論理に従って起こることとして予言しているわけです。
 マルクスが、やがてそういう動きが出て来るに違いないことを、『資本論』で科学的に研究したうえで論理的予言をしているわけです。科学的予言です。
 でも、どうするかを決めるのはいまの国民です。

 ちょっと頑張りすぎました。では。

   
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No.185 本源的蓄積

2024-05-29 22:21:08 | 余録
      

(1)つい最近、不在中に、社会学をやっていた知人が久しぶりに電話をくれました。電話を受けたカミさんの話しでは、「聴きたいことがあるといっていた」というので、折り返しメールで、「説明が必要なことなら、メールの方がいい」と送ると、質問メールが届きました。

(2)なにかと思ったら、もう亡くなった法政大経済学部のTO先生の説が面白いといい、若手のKSさんの本が面白かった、と感激まじりのことを書いて、ついてはそれについて教えてほしい、という趣旨でした。
 そこで、私は、「どちらのものも、もう自分からは読まないつもりだけど・・・」と書いて、とくにTO先生の代表的な論文を何点か列挙して送ってあげました。 
   

(3)話の趣旨は、『資本論』第1巻の最後のにある「資本の本源的蓄積」・「近代植民理論」に関することでした。
 この箇所をめぐって、マルクスの弁証法(「否定」・「否定の否定」)はどういうものかとか、資本主義社会の次にはどういう社会が来るといっているのかというようなことで、長く議論があったところです。
 日本では、おもに社会主義経済研究者が、当時のソ連の労働者の無権利状態に触発されて、どうしたら労働者は自由になれるのかと、議論していました。

(4)その中の有名な一人が平田清明さんです。
 平田さんは、『資本論』第1巻の末尾のことだから、前から読んできたことで理解するように努めるべきところを、そうせず、自分の都合の良い結論を引き出すために、マルクス・エンゲルスのあっちの文献こっちの文献と探って推測をめぐらしました。
 それだけでなく、その議論に参加した人も、結局同じ轍を踏んでいましたから、論者が増えるごとに議論が華やかになって行きました。
   
    ナンテン

(5)「なんのことかわかんな~い」といわれそうですから、例を挙げましょう。
 話は簡単なのです。
 たとえば、生命体が発生したとします。受精して出産すると、その生命体は1個の個体として生育します。その後、この生命が事故で死んでしまうことがないとすると、その生命体は成長していき、その結果、老化して死亡します。
 マルクスは、本源的蓄積(=資本主義経済の出生)の結果、資本主義経済が始まるが、それが発展を遂げると、やがて自分を死に至らしめる要因を作り出して、とってかわられると言っているのです。

(6)つまり、生は死を射程に入れるということです。それなくして、生はあり得ない、ということです。
 発生があったということは、「生から死までの過程の一部が始まった」ということ、したがって、死の到来、つまり、「生から死までの過程の残りの一部が必ず起こる」はずだということです。
 そして、大事なことは、マルクスは、タイムマシーンで見てきたといっているのでなく、『資本論』第1巻の研究の結果、弁証法的な論理の過程の問題として、当然起こるはずのことだといってることです。
   

(7)会社の方に内部留保が積み上がり、実質賃金はどんどん目減り、生活環境は悪化、地球環境はにっちもさっちもいかなくなってきています。自由な経済活動はよいとして、その結果が全世界的に見直しを迫っているのに、戦争や紛争があちこちで堪えない。国連もお手上げ状態です。世界的にこれまでのやり方をどうするかの声が上がってます。
 むずかしいところへ来ましたが、言葉の力で解決していきましょう。
 それには、フィーリングではなく、よく見極めることが大事になります。

 では。 



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No184 昭和記念公園

2024-05-28 23:40:49 | あそび
 都知事選の候補者が出てきました。候補者がどういうことをよしと考える人かを見極めることが必要です。
     

(1)先日、昭和記念公園へ弁当を食べに行ってきました。
 だいぶ曇っていて、写真には不向き、雨に降られなければまだいい方、といった感じでしたから、通常なら出かけるのを思いとどまるところが、無料公開日でしたから、「タダなんだからいいや」とばかりにでかけてみました。
 ふつうは、「昭島口」といって公園の西にある入り口からさっそうと入るのですが、孫との思い出のところが「大山団地」の方の入り口近くにあるので、そちらに回ってみました。

(2)入ってすぐビックリしました。それが次の写真です。
 この松、この先どうなるのでしょうか。
 こんなになるまで目が行き届かないとは、いったいここの公園管理はどうなっているのでしょうか。早く手を打たないと、蔓延します。心配ですねえ。
   

(3)入ってすぐ孫とのおもいでの場所に行ってみました。
 曇ってましたが、むかしと同じににぎやかでした。
 小さい子が一所懸命にジャンプの真似をしていました。そして、てっぺんに登ろうとする子もいました。でも、5~6年生くらいの大きい子がジャンプすると、その余波で、小さい子たちはいっぺんにひっくり返り、足がふにゃふにゃとして地につかなくなり、中にはトランポリンから放り出されるのではないかと思うほどに飛ばされる子もいました。
 それを見ながら、「あの頃は早く大きくならないかと思ったなあ。今まわりにいる親たちもきっとそう思っているんだろうなあ」と思いました。

   

(3)次に、もう少し大きくなって冒険ができるようになってから遊ばせた、怪獣のいる公園に行ってみました。
   

 ここには、こういう怪獣が全部で4つあって、この怪獣の上を子供たちがおっかなびっくりしながら伝って動き回り、冒険を楽しんでいたものです。
 私は、この怪獣の下で、孫がいつ落下しても支えられるように、足元まで手を上げて警戒していたものですが、この写真のように、いまは誰も乗る人がいません。
 不思議に思って周囲を見ると、上り口がある後ろ側に、立ち入らないように柵が設けられ、柵の外側で遊ぶようにと掲示もありました。
 かつてにぎわったこの一帯は、時々、子供連れの大人がやってきて、怪獣のオブジェを見て通り過ぎるだけの、閑散とした無用の場所と化していました。
 それで、ここを出ようとすると、次の掲示看板があるのに気が付きました。
   

(4)私は、なにかの事故でもあって登るのを禁止したのかと思いましたが、「コンクリート劣化」が原因でした。
 でも、設備が劣化することはわかっていることでしょう。

(5)上の「松枯れ」やこの「怪獣の劣化」を見ると、ほかの設備の維持管理は大丈夫なのか、公園の管理や財政はどうなっているのか、心配になります。
 都庁のイルミネーションの経費は48億円かかるという話でした。それを回せば、という話になりそうですが・・・。

(6)公園にはよいスポットもあります。ちょっと曇っているのが残念ですが。
   

(7)それから、つぎのような芸術的な?ものもあります。
   

(8)でもね、いちばんはみんなで楽しめるところでしょう?
 たとえば、つぎのようなです。
   

(9)ところが、公園にいたとき、東にある自衛隊がヘリコプターを飛ばしてうるさく、おまけに米軍の戦闘機が、7回(延べ10機)飛来して耳をつんざき、心配そうに見上げる人も結構いました。
 こういうことをやめさせたい。私は戦争が嫌いです。戦争ごっこみたいなことをやめさせようという人にみんなの代表になってほしいと思っています。

(10)1時間ほどして出ましたが、あこがれの朴が見えました。
   
  
 人と同じように、花にも明日はありません。一期一会。
 では、ここで。


 
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No183 笠取山ー雁坂峠 

2024-05-27 21:58:28 | 
 きのうのフジコ・ヘミングさんの特集のこと、きょうも思うところがありました。
 思ったのは、「不遇の時にも努力してきたから結果がでたのに、結果が出たことでかつての日々に陽が当たる」ということです。本当は、結果に関係なく、努力は努力として注目されるべきなのに・・・。転倒といえば転倒ですね。

(1)きょうは笠取山から雁坂峠をたどったところを書きます。まず地図を載せましょう。

 
    昭文社:『山と高原地図 奥秩父1 1991年』

 まず、笠取山は、東京都・埼玉県・山梨県の3県に跨る雲取山の西方(直線距離約12km、徒歩約10時間)にあります。北は、埼玉県秩父、南は山梨県丹波山村です。
 私は、1991年12月30日に、中1の息子を連れて、奥多摩駅からバスで「お祭」まで行き、下車して「後山林道」を2時間歩いて「三条の湯」泊。翌日31日、稜線まで2時間、のち10時間歩いて笠取小屋迫。92年元旦を笠取小屋で迎えて、雁坂峠まで4時間歩き、息子と相撲を取り、山梨県側にある広瀬湖近くのバス停まで3時間歩いて、塩山駅に出て帰りました。

(2)なお、『御料局測量課長 神足勝記日記 ー林野地籍の礎を築くー』日本林業調査会(J-FIC)の解題(14ページ)に取り上げましたが、第3回の巡回の時に群馬県から秩父に入り、栃本―雁坂嶺ー大藤村とたどっています。上の地図でいうと、左上の箇所を北〔埼玉県側〕から南〔山梨県側〕にたどったことになります。
 なお、私は、雁坂峠の埼玉県側を歩いたことがありませんが、山梨県側は、後日、一人で塩山駅から上がり、甲武信岳ー国師岳ー金峰山ー瑞牆山と縦走し、韮崎駅から帰ったことがあります。

(3)つぎのものは、笠取小屋を出発して、笠取山の下の水干〔みずひ〕を経て、急登のある雁峠の付近から撮ったものと思われます。
 中央に富士山、左が笠取山です。 


(4)この後、しばらくしてご来光が見られました。
 ただ、上の場所で待っていて撮ったものではなく、いくらか移動してから撮ったようです。残念ながら、富士山が入ったのは残っていませんでした。
   

(5)つづら折れのある雁峠付近を通過すると、あとは稜線歩きです。もちろん雪がありましたが、朝のうちのことで雪が硬かったので、かえってアイゼンの必要もなく上がって行けました。
10時頃に雁坂峠に着きました。
 次の写真は、峠から山梨県方面を見たものです。
 谷筋の左上に富士山が薄く見えます。
 右側に人が立っていますが、往年のスターです。この人の左にあるやや尖った山が「黒金山」、右の高いが「国師岳」のようです。 

 
(6)なお、黒金山は上がってませんが、やや南のにある「乾徳〔けんとく〕山」には上りました。上の方が洗濯板のように浸食されたけわしい山でした。
 それから、この一帯の尾根の南〔山梨県〕側は御料地にも関わる林業地で、下にある西沢渓谷には、20代頃に乗った時には、森林鉄道の軌道跡が登山道になっていて、そこには鉄路がまだ残っていました。

 埼玉県側については、後日のこととしましょう。
 今日はここで。
   
    シャクナゲ

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