昨日の『かばすけ漫遊記』の、入手先はカバヤ食品、発行所は「カバヤ児童文化研究所:京都市中京区壬生町3」です。この、文・絵とも、作者不明です。
いただいた資料によると、100種類以上も発行されていたようです。
朴
さて、「カバの宣伝カー」が来た「中里村神ケ原」は下の地図の中央右です。左の方は上野村です。
前に「笠原先生と・・・」のところで、ほとんど同じ地図を載せました。今度の方が東西に長く取り込んであります。理由は地名紹介(遊び)をしようと思ったからです。
「神ヶ原(かがはら)」の「かが」はちょっと変わってますね。きっと、足利の「かが」や、加賀藩の「かが」と通じるのだろうと思います。
すでに、そういう研究があるのかもしれませんが、素人で知りませんから、スサビゴトとして、お時間がある方はどうぞご覧ください。
(1)住居附〔すまいづく〕:
左上にあります。
前に取り上げた「三浦命助の碑」は、釜石の北の鵜住居〔うのすまい〕の近くでした。どちらも漢字で「住居」ですが、漢字ではなくて、「すまい」という音〔おん〕が表すものはなんでしょうか。
だいたい、山の上の炭焼き小屋から始まったかもしれないところに「住居」などというものかどうか?
(2)魚尾〔よのお〕:
右中央にあります。
中国語でも「魚」を「ヨ・ィヨ」と発音するようですが、「よのう」をローマ字表記すると、「io-noh]・「io-nô」です。そうすると「よの」ですから、埼玉県の「与野」と同じことになります。
前にも話したアイヌ語地名で解釈すると、
「i=それ(アイヌは、神・クマ・蛇など畏れ多いもの、口はばかられるものを代名詞で「それ」と表現します。われわれもそういうことがあります。)」、
「o=川の入り口(アイヌは川を遡るように考えます)」、
「not=岬などの出鼻」。「のっけ」の語源はコレでしょうか。
以上まとめると、「それが多い川の分岐点」です。この場合の「それ」は魚でしょうか。
(3)乙父〔おっち〕:
左中央にあります。「おっち」は「ot-ti」ですが、「i-ot-i」としましょう。そうすると、
「i =上の(2)と同じ」、
「-ot =・・・が群在する」、
「-i =所・物・者・事」
以上まとめると、「それが群生する所」です。この場合の「それ」も「魚」でしょうか。
これは、北海道の「余市」の説明もそうです。余市の場合は、もともと湿地だったそうですから、鮭・くま・蛇があり得ます。
(4)乙母〔おとも〕:
これについてはまだ判断がついていません。
例だけ挙げておきます。東北の気仙沼の近くに「小友」、野辺地の南に「乙供」。
(5)尾附〔おづく〕:
地図の中央にあります。これはローマ字表記は「oduku」ですが、「o-tuku」・「 o-tuk」とできます。「o」は上の(2)と同じです。
「tuk =小山」です。これは「-i」が付いて「tuki」ともなり、これに漢字をあてると、たいがい「月・付・槻」になります。例として、尾附のほかに、大月・大槻・高槻などがあります。
ドイツ人女性の名前にUrsla〔ウルズラ〕がありますが、ドイツ人の発音を聞くと、日本語の「大空(おーぞら)」とおなじに聞こえます。すると、「tuki」は「toki」ですね。
以上まとめると、「川が分かれて遡る入り口」となります。実際地形もそうですね。
「尾附」と名前になる〔固有名詞化する〕するくらいですから、住人々にとって大事な場所です。つまり、神社や祠があります。
これについて、近くの山梨県長野原に2ヶ所の「おづく」があることがわかりましたから紹介します。下の地図を見てください。
中央に長野原町とあります。その真上で、地図の左上隅の赤四角を付けたところです。ここに「尾続」があります。もう一つは、長野原駅を挟んで右下です。赤四角を付けてあります。「小津久」とあります。どちらも、川の分岐点近くで、小高い小山が確認できます。
長くなりますからもう端折りますが、もうひとことだけ。
群馬県高崎市吉井に多胡碑があります。多胡〔たご〕の名前の由来として、「胡(えびす)、つまり外国人が多くいたから」というのがありますが、では、千葉県の田古や青森県の田子はどうでしょうか。むしろ、高尾〔takao〕にも通じる田沢湖の田子「takko」にあたるものの音〔おん〕が変化の方が面白いのではないでしょうか。
さざんか:チャドクガにご注意を