神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.379 年末・落穂拾い

2024-12-30 00:54:56 | 多謝
(1)みなさん、ご覧くださりありがとうございました。
 年内はこれで終わりとし、年明けは4日からの予定です。 
 なお、毎日のことなので、記憶違い・明らかな間違い・入力ミスもありました。そのうちの一部は直せましたが、多くはそのままです。この点、ご容赦をお願いします。

(2)28日、ネットのオークションで気に入ったのがありました。次の壺です。 
     
 
 どうですか? 写真で見る限りは、なんとも言えず、欲しいと思います。
 見ると、「入札締切時間19:47、入札スタート価格100円、送料無料」とありました。10円刻みで入札です。すでに1人入札していましたから110円になっていました。
 高くなれば諦めることにして入札ボタンを押すと120円になりました。入札締め切りまであと6時間ほど。
 入札締め切り予定時間の25分前頃にパソコンを開けると、まだ私が最高入札者でした。
 気を良くして、しばらくしてからまたみると、締め切り時間の5分前のはずなのに、17分ほど前と表示されていて、入札者が7人に増え、価格も2000円に競り上がっていました。もう写真を撮りましたし、競る気がないので、この時点で入札を降りました。
 しかし、結果が気になりましたから20時過ぎに見ると、終了までまだあと5分ほどとあって、価格は19500円になっていました。
 要するに、競っている間はどんどん時間延長されて終わらないんですね。付き合ってられません。
 それはともかく、壺だけでなく、書籍・古文書なども含めて、いろいろなものが出品されていますから、見ている分には楽しいものです。それで、今日も少し見ました。すると、なんと上の写真がまた出ていました。「入札締切予定1日、スタート価格100円、送料無料」です。
 もちろん、ぽちっと押しましたよ。でも、またきっとこれ一回だけです。

 (3)麻生山東尾根
 つぎの写真は、肝要峠で撮った麻生山です。左方向が金比羅尾根、右方向が日ノ出山です。山の地図は当然のこと持っていますが、写真でルート確認しようとするとなかなか難しいものです。
 実は、上っているときに送電線の鉄塔の脇を通過しました。それで、正面の尾根を登ったのかと思いましたが、この尾根はずいぶんなだらかですから記憶と一致しません。
 そうではなく、尾根にとび出た岩の塊を越えると急登が現われるという連続でした。それからすると、左の鉄塔のある尾根の方が記憶に合致します。
 今はもう通行禁止になってしまいましたが、日ノ出山北尾根も急登が連続する良いコースです。ハイキングではなく、山登りの醍醐味を味わいたい向きにはお勧めです。
 ただし、急登を時間が短いといって下る人がいますが、カミナリでも鳴りだしたというならともかく、足に負担が大きいのでやめましょう。
 登りは急騰、下りは長くても平坦な道、これが足のためです。
 登りも下りも平坦がよいなら、公園の遊歩道か、堤防がおススメです。
    

(4)馬頭観音
 麻生山・日ノ出山の一帯はあちこちで巨岩が顔を出しています。下に降りてからでもそうです。沢なども覗き込むと岩盤の上を削りながら流れているのがよくわかります。ぜひ味わってください。 
 ところで、左の写真の岩の下部に小さく白い四角い石が見えます。電柱のちょっと左です。   
      

 わかりましたか。そこに馬頭観音があります。正確には「馬頭観世音」と書いてあるようです。
 車では気が付かないでしょうし、歩いていても注意しないと見過ごしてしまうでしょう。
 私はこれを見て、書体にも彫りにも感動してしまいました。キレのある力強い書で、彫の腕前もいいと思います。引き込まれる感じがします。どんな人が書いて、誰が彫ったんでしょうね。
     

(5)金比羅尾根の記憶
 金比羅尾根を通過した際の写真を前にも載せました。2時間くらい歩きましたから、いろいろありました。その中から1枚、私の記憶にあるところを紹介しましょう。
    

 いいでしょう? みなさんも出てみませんか?

 世界に平和を!
 武力でなく、言葉の力で平和を!
 みなさん、どうかよい年をお迎えください。
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No.365 刊行1周年

2024-12-15 22:56:18 | 多謝
(1)『御料局測量課長 神足勝記日記』(J-FIC)刊行から1年経過しました。発行元の日本林業調査会(J-FIC)からまだ連絡がありませんから、どんな刊行経過なのかわかりませんが、もう国公立図書館・大学図書館・林業や測量関係の研究所などには伝わったでしょうから、刊行に伴う自分の役割は終わりとし、このブログも刊行の宣伝から解放しようと思います。「解放」という意味は、看板は変えませんが、内容を見直したいということです。

(2)私は何かを人に知らせたいという意識に乏しく、疑問に思っていたことでも、自分で納得したり、解決してしまえば、もう先へ行きたい方です。
 ですから、こういう場でも作っておかないと、発表することがなく、多少のメモ程度のことができると、積んでおくばかりで見向きもしないということがしばしばです。もちろん、売り物になるようなものではありませんが、原稿類が、棚をざっと見ただけでも5冊分くらいはあります。

(3)このヘタクソなブログも今日で365回です。この回数は偶然1年分になっただけで、番外なども数えると、実際にはもっと多くなりす。
 この間、閲覧ページは39584PVで、1日当り108PVです。また、訪問者は29434UUで、1日当りは80UUです。9~10月の入院の時の中断と、先日のロックによる設定不良とで、訪問者・閲覧件数とも少なくなりましたが、それでも毎日50人くらい入るようです。 
 gooblogのスタッフにアピールして閲覧者を増やしてポイントを稼ぐということがあるようで、しきりにその手続きをするようにとの誘いの宣伝が入りますが、私にそういうことを使いこなすスマホだとか機器もないので無関係です。
 書いておきますから、時間のある方はぜひどうぞ。

(3)ブログ開設1年を迎えて、考えているのは次のようなことです。
1.この「神足勝記を追って」は、回数を週に3~5回にし、内容は従来のことを踏襲する。
2.新規開設の「神足勝記を追って 2」は、何かまとめたものを随時に発表する場とする。
 いずれにしてももう今年は終わります。その間に構想を練ってみるつもりです。

    
    陽に映えて 

【コレクション 136 廣澤真臣日記】
 一坂太郎(東行記念館副館長・学芸員当時)は下のパンフレットの推薦文「『広沢真臣日記』について」)で広沢について次のように評しています。
 「いまや故郷山口県においてすら忘れ去られた感のある広沢真臣だが、維新当時は長州藩を代表する「顔」であった。薩摩藩でいえば、西郷隆盛や大久保利通に匹敵する人物といっていいだろう。・・・ところが明治4年1月4日、39歳で東京で暗殺された。・・・研究者の食指が動かなかったのも、案外そんなところに起因するのかもしれない。」
 あの大久保利通でさえ「もし生きて生涯を全うしていたら」といわれることがしばしばですから、歴史の波間に消えていった人をどう顕彰・評価するかは大きな課題です。



 この大きさは、B5判6㌻です。B5判3枚分の横長の用紙を、最初に左から3分の1を折り込み、次に右から3分の1を折り込むとできます。
 全体は、
 1㌻ 上掲
 2~3㌻ 解説 一坂太郎東行記念館副館長・学芸員『広沢真臣日記』について(一部上掲)
      資料・画像
 3~4㌻ 解題 藤井貞文 日本史籍協会 広沢真臣の人と業績 *下に掲載
      内容解説
      刊行案内 体裁:A5判650㌻ 定価:1万3000円 限定450部 
           平成13(2001)年11月 マツノ書店
 5㌻ 内容見本

     3~4㌻

 
 以上です。
 今日はここまで。

 1.左妙義山、右浅間山:藤岡市白石の稲荷山古墳近くより
   

 2.ホオジロ?
     
      とりわたり おもかげみせて さりゆきぬ   

 3.今日は満月
   


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番外 お見舞いありがとう

2024-09-15 08:29:18 | 多謝
 つぎのみなさんがお見舞いにきてくれました。
 ここに記して謝意を表します。

(1)きのうの月
    

(2)トラノオ
    

(3)ヤママユ
    

(4)ヒメアカタテハ
    

(5)ナミアゲハ
    

 以下、芳名だけで失礼します。
(6)シジミチョウ
(7)ぴょんぴょんショウリョウバッタ
(8)ちょろちょろトカゲ
(9)ころころダンゴムシ

 〽わたしは~げんき~
 なお、お見舞いの品等は固くお断りいたします。
 
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No.291 日本生活図引

2024-09-12 23:52:52 | 多謝
(1)目の治療のため、きょうで「しばらく」お休みします。ご覧いただきありがとうございました。とはいえ、ここは開いていますから、いつでもご覧ください。
 目の治療はかれこれ1ヶ月の予定です。その間に、書き残したこと、書いておくべきこと、どう書くかを見直してみようかと考えています。

(2)聞くところによれば、目は「脳の一部が飛び出したもの」だそうです。そうすると、目が悪いということは、「一部」とはいえ、「脳=頭が悪い」ということになります。しかし、頭の悪さ、とくに「使いどころの悪さ」、「要領の悪さ」は極まりなく、そのために人生で損をしてきたことがはっきりしていますから、この際、目の治療がうまくいけば、さぞかし頭がよくなり、要領もよくなるものと期待しております。

(3)このブログは、『御料局測量課長 神足勝記日記』(J-FIC)刊行を関係者・関係機関にお知らせするために始めたものです。学術物は一般に発行部数が多くはありませんから、気が付いて注文した時にはもう在庫がなかったということが起こり得ます。必要とする人や処へうまく渡ることを希望しています。

(4)先日、知り合いから連絡がありました。そして、「読まないことには始まらないから、ともかく通読した」と。
 これを聞いて私は「それはすごい」と答えましたが、全体の配置をともかく知って(そのために冒頭の「本書をお読みくださるみなさまへ」を書いたのですが、この人はそれを自分の目でやったことになります)、それから拾い読みをするのが一つの方法です。
 しかし、この知人が取った方法は、これを山登りでいえば、樹林帯を黙々と歩くのに匹敵しますから、景色が見えず楽しくなかったかもしれません。でも、これは、通過してしまえば視界が開けて爽快ですし、後で生きてきます。

(5)もう一つは、「私が取った方法」です。これは「とらざるを得なかった方法」という方が正しいかもしれませんが、それは、前から一つ一つ調べながら読む方法です。その際、末尾の人名を必ず確認します。地名・山名・駅名は地図で位置確認し地図に印をつける。通過ルートを追う。要するに、どの事項も必ず確認し、わからないことは必ず調べるという読み方です。
 もちろん、これは手間がかかりますが、めげずにコツコツと続けていると、次第に行間が読めてきて、人や乗り物などが有機的につながってきて、目の前で動いて見えるようになります。

(6)考えてみれば、私のこの方法は学生の頃に宇佐美誠次郎先生のゼミで『資本論』を読んだときのやり方です。わからないことはわからないとし、勝手な解釈をせず、とりあえず先に進み、後から振り返って考えるということを繰り返して、順々と全体を理解していくという方法です。
 私は本書を利用される皆さんに、そうしてもらえることを期待して、注など参考になることを煩瑣になることをいとわずに付けました。
 踏査や測量については『帝室林野局五十年史』でも、全体1000㌻のうちの30㌻くらいしかありませんから、ほとんど具体的なことはわかりません。もちろん、『神足勝記日記』でも十全とはいきませんが、それでも、これを利用すれば、今後の課題もみえてきます。そういうことを知りたいという人には、ぜひ労苦をいとわないでほしいと思います。
 1日に1㌻として、せいぜい2年もかければ終わることです。

    
      弟はこんなに大きくなりました
    〽・・・夏ノ暑サニモ負ケヌ丈夫ナカラダヲモチ
     ・・・ソウイウモノニワタシハナリタイ・・・

【コレクション 85】
 きょうは『写真で見る日本生活図引 [第Ⅱ期]』です。
 パンフの上の方に「高度経済成長期を境に失われたのどかな日常生活の記憶を鮮やかに呼び起こす。」と書かれています。このころに小中高と成長してきたものとして、懐かしい風景です。下に写真があります。記憶にあるお店の雰囲気もほぼこのとおりです。子どもたちは、店先や縁台でよく遊んでいました。男の子は坊主頭、女の子はおかっぱ、青っ洟が往復電車の子が時々いました。悪ガキもいましたけど、面倒見もよかった・・・。


 大きさはA4判、6㌻で、Å4判の用紙3枚分の横長の用紙を、最初に左の3分の1を折り込み、次に右の3分の1を折り込むとできます。
 全体は、
 1㌻ 上掲
 2㌻ 下に載せました。お読みください。
 「刊行にあたって」の末尾に「日本と日本人のよさを発見してもらい、・・・日々の生活に生かしていただけたらと思う。」とあります。
 それから、下の写真。明るくて余裕を感じさせるよい写真ですが、私の頃にはもう町部ではこういうスタイルの人はみなかったように思います。終戦直後から50年代前半かなという印象です。しかし、道路わきに座って物乞いをする傷痍軍人がいた記憶はあります・・・。

 3㌻は4㌻の写真の事項説明
 4㌻ 下に載せました。
 「5畳半の住まい」とありますが、間借りやアパートは世帯の構成人数にもよりますが、多かれ少なかれこういう状態でした。しかしまあ、実によく整頓されています。
 〽ひぐ~れて~ たどるは~ 我が家の~ ほ~そ道~ 
  狭いながらも 楽しい我が家~ 愛の光の射すところ~


 5㌻ 内容抜粋
 6㌻ 装丁見本 
    刊行案内 B5判 各巻約180㌻ 定価各巻4330円 弘文堂 1993年
 以上です。

 上に傷痍軍人についての記憶を書きましたが、2010年5月に友人と韓国に行ったとき、大田か慶州のいずれかで、ローラーのついた板に腹ばいになって移動して物乞いをする傷痍軍人姿の人を見ました。じつに異様でしたが、これは、日本で最近お坊さん姿で寄付を募るというのもあるようですから、同類だったのかも知れません。
 
 昔がよかったと単純には言えませんが、懐かしいところがあるのは確かです。
 きょうはここで。

    
      きょうの月
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No.143  お詫びかたがた

2024-04-18 03:51:13 | 多謝
(1)昨日は「羊頭狗肉」みたいなことになってしまい、申し訳ありませんでした。
 書き始めるといろいろなことが浮かんできて、それをどんどん書いていくと、あれもこれもとなって、かつ量が多くなり、結局どこかを削る〔割愛する〕しかなくなります。別にそれで問題ないわけですが、ところが、とりあえずのつもりで書いておいたタイトル〔標題〕の訂正を忘れてしまった、これが昨日の顛末です。だいぶ前に番号だけの時がありましたが、あれも同類です。

    

(2)ところで、『御料局測量課長 神足勝記日記 ー林野地籍の礎を築くー』日本林業調査会(J-FIG)の刊行から4ヶ月が経過しました。
 この間、日本林業調査会や関係者のご尽力のおかげでだいぶ知られてきたようですが、そしてそれが図書館の蔵書検索で判明するようになってきました。ウレシイかぎりです。

 たびたび書いてきましたが、このブログは『神足日記』の刊行を知っていただきたいということのために始めたものです。
 ブログとしては、いまだに、UUとかPVにどんな意味があるのかも、カテゴリーとかハッシュタグの機能などもほとんど理解していませんで、ただ、書き残したいこと、思いついたことを書き綴っているだけです。それでも、内容の重複を避けるチェック〔点検〕や、内容の補助や目の保養で入れた写真の重複を避ける工夫をやりながら、少しずつ書いてきましたが、これを自分用に打ち出したものがすでにファイル〔簿冊〕3冊になりました。毎日のことなので、推敲も十分ではないし、写真との連結も理想通りにはいきませんが、まだいくらでも書けるでしょう。というよりも、ものぐさなので迫られないと考えない・・・。まあ、ハジカキになりそうですが・・・。

   

(3)先日、『神足日記』を読破したと来た人がありました。
 その人としばし、神足の人なりとか、事業や足跡、御料地の意味について話しましたが、最後に質問されました。
 「あれは、全部を自分で入力したのですか」
 と。それで、
 「冒頭の「刊行に寄せて」と「奥付け」のほかは全部自分で入力したものです」
 と答えましたが、これは本当です。
 私は、もともと、日記全文、回顧録、そのほか関係文書類、どれも読み飛ばしということなく記録しています。記録がないのは、読む必要がないと判断したものか、まだこれから読む予定のものということです。下読みは別として、正確に読み取りするとなれば、そうしないとわからなくなってしまい、あとから使いものにならないからです。

   

(4)「解題」のどこかにも書きましたが、読んでいてわからないものは、いちいち全部を検索しました。いまは、むかしと違って非常に研究に便利になってきています。「むかし」という意味は、「ここ20年くらい」のことといってよいと思いますが、パソコンが普及して検索機能が向上する前は、図書館でカード検索していました。このカード化されていることとか、索引が作成などされていること自体が大変便利なものですが、パソコンはその比ではありません。
 ともかく、わからないと感じたことはすべて検索しました。ですから、そこそこに知っていることで検索漏れということはありえますが、それはともかく、同時に、収集した文書は可能なかぎり盛り込みました。

     

(5)おそらく、この本を使えば、作家なら小説でも戯曲でも歴史に残る大作が書けるでしょう〔能力ある作家ならば、です〕。これは、全部を読み入力したものとして請け合います。必要なら、概要を説明もしましょう。
 それから、研究者なら、とくに修士課程とか博士課程のように、やたらと期限を迫られている人なら、それはそれとしてなおさら、1年かけてじっくりこれをお読みなさい。読んで、自分で調べたことと併せてテーマ〔課題〕を検討したなら、いくらでも論文が書けるはずです。できないなら、研究者をやめるか、ほかの分野へ移りなさい。
 なら、自分でやればよいではないか、ということにもなりそうですが、自分には、作家の希望もないし、もっと先へ行きたいという願望の方が強く、ここにとどまっているわけにはいきません。ここが自分の「損な性分」と思いますが、「自分でわかったと思ってしまうと、もうそこにはとどまれない」で、先を急ぎたくなってしまうのです。嗚呼。

   

(6)この先は、ひとえに資金力に掛っていて発表できるかどうかわかりませんが、すでに、情報公開法制定以前にいちど作成した統計書も作り終え、年内には『神足日記』に続く調査が完成し、来年には調査結果の入力もできるでしょう。そうしたら、あと20年かけてそれを文章にまとめ上げたい。「まとめ上げたい」とは、「墓標を建てる」ということです。もはや時間勝負に入りました。
 オット、やっぱりカネ次第です。資本主義ですからねえ・・・。
 〽ケ・セラ~・セラ~

 


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