神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.208 約9兆円だよ。あんた、動かせる?

2024-06-22 00:00:52 | 余録
(1)【コレクション 1】
 これも先日の防災訓練の日のことですが、棚を見ていたら、結構いろいろな収集物が見つかりました。余興〔あそび〕として随時紹介します。
 「槐より始めよ」で、きょうは韓国の鬱陵島〔ゥルルンド〕での自分のスケッチです。
 フェリーが着く港のすぐ上に展望台があります。通常はゴンドラで上がれますが、この日は休業日、もちろん自力で上がりました。
 ほかに来る人はなく、のんびりと景色を堪能しました。ご笑覧あれ。
   
(2)都知事選挙、始まりですね。
 この選挙、目下の状況では、将来の『風俗史年表』に文字通りの意味で載ること請け合いです。とはいえ、どの候補者も自由に堂々と政策論争をやってもらいたいと思います。

(3)念のために言えば、淫靡なのや、金儲けや、次の選挙のための売名行為や、受けネライなどなどはあるまじきことです。
 当選すれば、スウェーデン一国の予算に相当する8~9兆円もの資金を動かすトップになるのです。これは一般会計の話ですが、特別会計はさらに2倍からあります。当選してからでもいいと思いますが、猛勉強が必要です。その資金の大きさと政治の面、できれば知って立候補してほしいですが、さて50人余の立候補者の覚悟のほどはどうでしょうか。
 役人が作った文書を代読するのにあたふたしている大臣を最近も見ましたが、選ぶ側はこれからそこを見極める必要があります。

   

(4)それから、ネット検索したところ、ある政党の党首が自らの行動を批判されて、「これは確かに都知事になろうと思ってやっている活動ではありません」と回答した由です。
 都知事選なのに、党首が「都知事になる意思がない」、ほかの目的のために立候補をさせた(募った)ことを表明したのですから、これは明らかに都民に対するハラスメント〔迷惑行為〕です。たぶん、この一言で「選挙妨害」を認めたことになり、責任を問われることになると思います。およそ筋違いです。

   

(5)国会が閉会になり、つくづく戦後の日本は何だったのかと思いました。
 年間600兆円ほどのGDP(国内総生産)に対してその2倍の1200兆円もの赤字を累積しておきながら、いまも法人税や所得税でなく消費税頼み。
 1200兆円を人口約1億人で割ると1人1200万円、4人家族なら4800万円という借金です。家を一軒買い替えるほどの借金です。戦後の政権党はここに至るまで国民をだましだましやってきたわけです。それは総ざんげものです。
 これをどうするかは、国民が自分はどうしたいか考えないと決まりません。考えなければ、考えなしの政権党の政策が続いて、もっと酷くなるだけです。それがここまで酷くしたのです。ちょっと言いすぎですか?

(6)企業の内部留保はドンドン積み上がるのに、国民の給料は物価上昇に追い付かず、実質賃金は目減り、年金に頼る年金生活者の受け取り額は減る一方、それなのに軍事費は増額。
 一方、自動車などの工業製品輸出のために、中小企業の単価切り下げがしきりに行われ、国内農業・林業・酪農業などの切り捨てがどんどんなされて、その存続が危ぶまれてきたものが、政府や日銀の政策の失敗のために異常円安となり、それが原因で国産農産物の自給の必要が叫ばれる事態に至っています。
 小学校の給食が1食300円の由。コンビニ弁当以下。こんな教育政策では子供に申しわけないとおもいませんか。

   
    あけび:今年も実がつきましたが・・・

(7)私はつくづく思います。いままでの日本の政府は、国民を守ろうなどとは考えていません。そう見えるのはフリだけです。なにがしかはやったかもしれません。でも、軍事費を増やすのと比べてみてください。
 これは、野球でいえば、どの番組も、大谷選手のことは話題として売りになりますからまず第一に取り上げますけど、そこそこの成績の選手、ケガをしたり2軍にいる選手、場合によったら廃業の淵に立たされている選手、こういう人たちのことは取り上げません。視野にないでしょう。それと同じです。でも、厚い選手層があって初めて野球界が成り立っているはずです。
 これは例えですから、厳密にはいくらかは違うという人もあるかもしれませんが、国民の諸階層があってこの社会が成り立っているはずなのに、実際には、ごく少数の有力者や、発言力が強い人の意見が採り上げられて実行されていきます。
 でも、その付けが今ここにきて表面化してきて、日本でも世界の主要国でも問題化しています。ロシアのウクライナ攻撃、イスラエルのパレスチナ攻撃など、まさにその表れです。

(8)私は、どういう社会を目指すにせよ、まずその大前提は、目の前の事態をよく見て、これまでの政治を改めるにはどうした良いかを検討することだと思います。
 それには、いちばんは、ウソを言わないひと、見栄ない人を選ぶこと、出たい人でなく出したい人は誰かと考えること、これが大事だと思っています。

 選挙は楽しい。よく見なくてはもったいない。では。
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No.207 『言論』創刊号

2024-06-20 23:46:07 | 余録
(1)先日の防災訓練の日、『懐古録』(地質調査所)のほかにも、自分でも忘れていたものが、いくらか棚から出てきました。たとえば、次のものせす。

    

 これは、昭和21(1946)年1月20日付けで高山書院から発行されました。大きさはA5判です。
 私はこれを古書市で手に入れたはずですが、その経緯はにわかにはわかりません。
 なお、購入時から汚損防止のための表紙カバー(ハトロン紙?)がぴっちりとついていて、はずすことができないため見づらいですが、ようすは十分わかると思われます。

(2)これを買った理由は、次の目次を見るとわかります。

   

 筆者を見ると、戦後の論壇をリードした人もみえます。山本安英もみえて興味を引かれますが、私がこれを買った理由は、中央の辺りに「皇室財産」とあるのが見えたからです。
 筆者「内野壮児」については、記事の末尾に「筆者・日本共産党宣伝部員」とありました。

(3)記事はA5判3ページ、各ページは3段に組まれて、3・3・2段、計8段分です。
 また、記事の文章は7段落からなっています。以下に各段落の要点〔見出し程度〕を簡単に上げることにしましょう。
 第1段落
 昭和20年11月1日、各新聞が皇室財産の内容について、政府が報告したものについてのマッカーサー司令部の発表を掲載した。1925年の治安維持法で「国体の変革」、「私有財産制度の変革」が取り締まりの対象になって以降、『帝国統計年鑑』でも皇室財産の統計は削られてわわからなくなったが、これによって、大地主、大資本家であったことが判明した。
 第2段落
 発表された評価額は過小である。
 第3段落 
 皇室財産はどうして築きあげられたか。
 第4段落 
 皇室は、実質上の地代を懐中に入れる、寄生的な封建的地主階級の巨頭である。
 第5段落 
 利札切の寄生的資本家である。戦時利得者の一人である。
 第6段落 寄生的
 ようするに、天皇は日本最大の地主であり、寄生的資本閥の一人である。
 第7段落 
 この問題は、天皇の政治責任、天皇制存廃問題と結びついている。国民生活の危機を救う一つの手段として使用することも必要である。

(4)雑駁な要約ですが、とりあえずのものです。とはいえ、よく見ると、その後の意見の原型とも思えます。批判・検討すべきところがありますが、見方としては、汲むべきところもあるのではないかと思います。
 マッカーサー司令部の発表以後に、これより早い「皇室財産」についての記事発表があったかどうか、まだ探り当てられていませんが、あるいは、この記事が戦後の皇室財産問題についての走りとなったのかもしれません。いまのところは・・・、そう見ています。

(5)こういうものも折々に集めてはあるので、いずれ纏めたいとは思っています。

 では。

    

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No.206 藪の中

2024-06-19 23:46:30 | 余録

(1)「羅生門」は芥川龍之介の作品ですが、これを読んだのは高校1年生の頃だったでしょうか。まだ古典に慣れていなかったのと、人間のキビについての理解が遅れていたためもあって、何を言っているのかよくわかりませんでした。
 その後、黒澤明監督の同名の映画を見たからでしょうか、意味が分かりました。すると、なんだ、でそんなことがどんな意味があるんだと、少し腹立たしく思った記憶があります。
 それもあってか、芥川賞は、相変わらず話題性で読ませようとして、売らんかな式のところがあるので、まずまあ読みません。新聞を読んでいれば時代遅れにはならないと思うので、時間の節約をしています。
 読んだのは、石川達三の『蒼氓〔そうぼう〕』くらい・・・、という印象です。
 
(2)それから半世紀を経て、事態をリアルにとらえる人が増えましたね。
 下の写真、藪の中で、みな精一杯に自分の存在を主張してます。虚栄・虚飾・脚色なんてありません。
弱ければ淘汰されるだけです。
 ・・・でも、相互依存もあるでしょうね。
 いつか、戸倉城山からスカイ・ツリーを見たとき、肉眼では見えませんでしたけど、カメラは捉えてました。主観〔自分の目で見たものや意識したこと〕は重要、でも、客観性〔自分の目で見えないもの、意識の外にあるもの〕を忘れた主観はダメ。
 きっとこの写真で見えないだけです。見えなくてもあるものはあります。大事なことは、「問題意識」です。問題意識をもたずに漠然と見れば、「藪」があるだけ。 
 
    人間はなぜこれらの草を食べるようにならなかったのか?

(3)芥川の作品では、「鼻」も印象的です。
 これは、ある坊さんが、鼻がソーセージのようだと笑われるので、あれこれして普通の人の鼻のようになってよかったと思ったら、こんどはそれで笑われる。それが気になり、かえって元の状態に戻ったら安心したというようなことでした。

(4)考えてみると、自分の身のまわりに似たことがいくつもあります。
 若いころ、友人が何人も自動車の運転免許を取るようになりました。それで、自分もなんとか免許を取りました。
 その結果、車で贈答品を配送するといういくらか割が良いアルバイトを見つけました。じつは、それが新宿の歌舞伎町で、混み入っていて住所がよくわからない。看板と社名が違うので、看板があてになりません。一個配送していくらで、配送し終わるまで帰ってくるなといわれていたので、昼間いなければ、夕方以降に行くしかありません。そこで、ほかを先に配送して、開くのを待っていくと、ネオンが点灯していて、実はラブホ。それでも見つかればいい方で、おまけに受け取りの判子をもらっている間に客が入って来る・・・。
 ということで、一冬で止めました。

(5)しかし、友人はみな貧乏。転居するとなると、免許もっているなら手伝えと頼まれ、自分の車も持っていなければ、ふだんロクロク運転もしないのに、にわかにドライバーにさせられます。田舎の田んぼ道を走るのならともかく、東京の23区で。それを、万一の保険のことなど頓着なしにやる羽目になります。
 それよりも、忘れたころになると、3年に一度だったか、免許の書き換えになり、手続きに行くと、ペーパー・ドライバーなのに、わかり切った講習を聴かされ、この間どのくらい運転したか、などなど書かねばなりません。もううんざり。

(6)結局、事故を起こしたと思って、放棄することにしました。つまり、必要なら、免許を取り直す方が安い、ということです。
 免許がないと不便と思いましたが、車もない、ふだん乗る機会もない東京では、必要なら、新宿から自宅までタクシーに乗っても2~3万円で済みます。
 みなさん、これがいかに安いかよく考えてみてください。おまけに、いまは車が大型化して、ムダばかりです。しかも、車のためにムダな大規模公共事業一辺倒に陥り、日本の農業を破壊して、いま将にその問題が日本を襲ってきています。
 山歩きするようになったのもあり、5~10kmなら1~2時間ですから平気です。
 免許を持ってよかったのは、アノ素晴らしかったガールフレンド〔のちの「愚妻」、今の「ば~ば」〕を乗せて、友人のところを回ったこととか、群馬の妙義神社の方まで行ったことでしょうか。良かったのはほんのわずかです。
 ということで、もはや、車に引かれても、引くことはありません。
 もともと山育ち、そんなセンスないです。歩く方が「楽」です。

(7)芥川の「地獄変」もよく知られています。
 自分が描きたい炎熱の様のために娘が焼かれる様を見るなど、まさに地獄です。「芸術のための芸術」〔芸術至上主義〕は芥川の理智主義をよく示していて興味深いところで、若いころには憧れましたが、彼の目は現実を見るにおいて時代性があるといわざるを得ません。
 では、どうすればよいでしょうか。
 課題は、私の専門とする経済学でも、文学でも同じでしょう。人間が、どこをどう辿ってきて、今どこにいるのか、その図面を描くことだと思います。上條武『孤高の道しるべ』になぞらえれば、『人間の道しるべ』を書くことでしょう。もっと言えば「残るもの」です。たいがいのものは、負の意味で残るかもしれませんが、それでは情けないと思います。
 
では。

    


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No.205 雨の中

2024-06-19 00:26:59 | 余録
 きょうは、雨の中、宮内公文書館へ閲覧に行ってきました。

(1)地下鉄東西線の竹橋駅を出て竹橋を渡ってしばらく誰も見ませんでしたが、向こうから一人ワカラン人が来ました。見ると傘をさしていません。まるで真冬みたいにフードを頭からすっぽり被って、手を上着のポケットに突っ込んで、歩いて来ました。
 あまりに貧乏くさく見えたので、すれ違いざまに目で、
 「おいおい、ここは日本だぜ・・・。日本に来たら、日本人を見ろよ。そんな格好してるの一人もいないぜ。」
 と言ってやりました。
 すでに英語もロシア語もドイツ語も使われるのを嫌がっていました。こういう時は日本語が有効ですが、ここ一番というときにしぶって出たがりませんでした。

(2)晴れていると、北桔橋門が見えてきます。たとえば、次のように。

   

 少しかすんでますか? まあ、朝ですからね。門だって眠いですよ。オット失礼。
 こういう日は、すぐ下の堀もゆったりとしています。鳥も逆さ影も静かなものです。

   

(3)しかし、次のような厳しい日もあります。
 しじまの中で降りしきる雪・・・。これにはなかなか巡り合えません。
 運よくこういう景色を見ると、頭の中はチャイコフスキーの『ピアノ協奏曲1番』です。



 いい写真でしょう? 
 でも、こういう日は、お堀の方も厳しい。

    

 とはいえ、いいですねえ。何を見ているんでしょうか。

(4)晴れていれば、門に入ってからもいい景色が見られます。

    
 
(5)景色ばかりでなく・・・・。
 もう令和も6年になりましたからいいでしょう。

     
 
 
(6)〽 わが胸の 燃ゆる思いにくらぶれば 煙は薄し桜島山
 これは、えーと、半蔵といわれた人の作でしたか?
 これを恋の詩と思っている人があるということですが、そうではなく、幕末の志士の意気込みを歌ったものです。

 なにが言いたいかというと、燃ゆる思いで、きょう雨の中を閲覧に行ったということです。
 行けばね、かならず何かが出てきます。
 きょうもいろいろありましたが、No.24のあたりで紹介した高木三郎『皇室会計法大意』がどこて使われたのかがわかりました。
 〽 Raindrops keep falling on my head ~
 では。
   

 
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No.204 三浦宗次郎遭難碑   

2024-06-17 22:01:42 | 余録

(1)おとといのスタンドパイプ消火訓練から、地質調査所『懐古録』、三浦宗次郎と、あらぬ方に話が行きました。
 ついでですから、きょうは三浦宗次郎遭難碑を見に行った話を書いておきます。

(2)きのうも書きましたが、 明治26(1893)年6月7日、吾妻山の爆裂を調査に行って三浦宗次郎と随行員の西山惣吉が噴石のために亡くなりました。

(この件についての関連文献は、『御料局測量課長 神足勝記日記』100ページ下に注記しました。また、「明治26年6月吾妻山爆裂」とでも検索すると、矢島道子氏が『トリビア』に書かれた紹介も読むことができますから、ここでは省略します。)

 遭難後、現地に次の追悼碑が建てられたことが『地質調査所百年史』21ページに出ています。(なお、この出典は『懐古録』とありますが、手元の『懐古録』には不明)。

   

(3)じつは、神足勝記は明治21年2月に愛知県を調査したとき、三浦宗次郎共同して作業をおこなっていました。そのことが元の『神足日記』には出て来るものですから。三浦についても一応のことを調べ、読んでいました。それもあって、上の遭難碑の存在を知って、2016年9月に見に出ました。
 福島駅からバスで磐梯吾妻スカイラインをたどって終点の浄土平まで行きました。



 地図の、右上の方から来て、中心辺りに浄土平、右下に吾妻小富士、左上に一切経山があります。
 吾妻小富士は現在は活動していませんが、浄土平から一切経山への点線のルートのところの途中に「火山ガス噴出」、「大規模噴気発生中のため・・・登山禁止」と注記されているのが見えます。

(4)ここへ向かう前に、福島駅の観光案内所で「このルートに入って碑を見たい」といって様子を聴くと、「グレードが2に上がっているので、いまは入山はむずかしい」とのことでした。それでもあれこれと訊くと、「浄土平のビジターセンターで様子を聴ける」ということ、「天気が良ければ、碑の辺りの様子は見えるかもしれない」というので、行ってみることにしました。
 しかし、バスに乗って高度が上がって行くにつれて曇ってきて、しまいには小雨までぱらつき、浄土平に就いたころは、もうはっきり絶望とわかりました。
 バスの運転手は、気の毒がっていろいろと説明してくれ、最後に、バスが出るまでに2時間ありますから・・・」と。

 撮った写真もほとんどかすんでいました。きょうそれを探しましたけれども、うまく出てきてくれないので、いま唯一の証拠をお見せしましょう。
 ビジターセンターで記念に買ったクリアホールダーです。山は「吾妻小富士」です。向こうに見えるのは安達太良山でしょうか。それから、右下のスカイライン沿いにビジターセンター、さらにその右下に白く噴気が見えます。
 


(5)浄土平からの福島駅に戻るバスの出発時間までの2時間、けっこうあちこち見ました。
 この間、ビジターセンターで目的を話すと、「晴れていて場所を知っていれば、見えないこともないが、ともかく、しばらくは入山できない」といわれ、きょうはこんなだから、また来てください・・・というばかりでした。
 この間にやや霧も晴れてきたので吾妻小富士に上がり、雲の切れるのを待って少し見ることができました。その後は、残念ながら、まだ実現できていません。

(6)こういう天気ですから、山に上がる人は少なく。おまけに、碑を見に来たのに目的を果たせずに虚しく帰る客を見て気の毒に思ったのでしょう。バスの運転手が、突然「お客さん、時間ありますか」と尋ねてきました。返事をすると、「ここで降りて、入浴して帰るといいですよ。2時間すると次のバスに乗れます・・・。」
 予期せず、いい湯でした。

(7)前に、No.53で院内へ行ったことを書きましたが、あれは、このあと向かったのではなかったかと思います。
 では。
   
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