神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.388 いい話

2025-01-23 23:48:49 | 余録
(1)今日は、予定通り、出かけてきました。楽しかったけど、だいぶくたびれました。やっぱり家で作業をしているのがいちばんラクです。
 週に一度は山へ行くか町へ行くか、とにかく動くことにして、ここのところ皆勤賞です。やっぱり、出れば出たなりのことはあります。

(2)ひとつは、資料収集のほかに、偶然ある人と話すことがありましたが、そしたら、その人は『御料局測量課長 神足勝記日記』(J-FIC)をご覧になったようで、ずいぶんのお褒めのことばをくださいました。
 えっ、なんといったか?
 それは、自分では言いにくいものです。まあ、婉曲に、丁重に、です。ありがたいことです。

(3)もう一つは、車中です。
 家にいると机にしがみついて作業ばかりで、どうしてもアレコレの本を読むことがなくなってしまいがちです。その点、電車に乗ると本が読めます。
 暮れから先日までは、若山牧水『みなかみ紀行』(中公文庫)を持って出て、もう何べん読んだか・・・。群馬のことが出てきますし、沼津や天城のこと、とくに御料地や御猟場という言葉が出て来るところがありますから、けっこう繰り返して拾い読みをしました。

(4)今日は内田洋子『モンテレッジョ 小さな村の旅する本屋の物語』(文春文庫、2021年)を持って出ました。内容は読んでのお楽しみとしましょう。
 もうお読みになった方もあるでしょう。私はだいぶ前に買って、積んでおいて、時々写真だけ見たり、拾い読みしたりしてきましたが、今日は前から4分の1くらいまでいきました。
 テレビでドキュメンタリー番組でも見ているかの印象の本です。今週はこの続きをキチンと読む時間を作るつもりです。

【コレクション 148 女子青年界】
 キリスト教については、群馬県の甘楽教会や安中教会のことをどこかで書いたと思いますが、神足勝記の関係でもかかわりがあり、一時期ずいぶん調べました。今でも注意しています。
 特に、熊本出身の徳富蘇峰・蘆花、竹崎順子、その関係の矢島楫子、大久保真次郎・音羽・久布白落実などの活動の影響は大きく、群馬県に遊郭や赤線がなかったのはそのことが大きいといわれています。今でも内村鑑三の胸像を飾っている病院があります。
 
 このパンフは、大きさはB5判8㌻です。B4判の用紙2枚を重ねて二つ折りしてできています。
 1・2㌻ 下に載せました。
 3㌻ 内容見本 
 4~6㌻ 写真と推薦文
      山口光朔 女性史の資料としても
      関屋綾子 先達の誠実な歩みを辿る
      水田珠枝 女性史研究の幅を広げる
      笠原芳光 自由で快活な精神
      一番ヶ瀬康子 真髄をふまえた活用を
 7㌻ 関連雑誌の宣伝
 8㌻ 刊行案内 全3巻・別冊1 体裁:A5判(1~32巻)、B4判(33巻)
         ページ数21,866 本体揃価格748,000円 別冊22,000円
         1992年刊 不二出版

        1㌻


         2㌻


 以上です。
 今日はここで。

   
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No.387 朴葉 

2025-01-21 23:46:56 | 余録
(1)昨日の大岳山からの降り、ケーブル・カーに乗らずに参道を歩いたことを書きました。
 昨年12月3日にこの参道を歩いて日ノ出山に上がった時は、山影だったのと、まだ陽が射し込むも時間になっていなかったのとで、おもしろい景色に出会えませんでした。もちろん、ときどきは休んで呼吸を整えながら周りを見わたしましたが、だいたいは下を向いて喘いでいたせいでしょう、よい景色に気付きませんでした。しかし、昨日は、参道沿いに立ち並ぶ800本もの杉の大木の間に傾いてきた陽の光が差し込む絶好の時間帯だったのもあって、おもしろい写真も撮れました。これはどこかで載せることにしましょう。

(2)しかし、参道の終わりにくると、そこはもう谷間です。幻想的な光景が見えなくなったばかりか、陽もわずかに山の端を照らすだけになって、寂しくなりました。
 そのころ、下の方にケーブル駅の駐車場が見えてきたので急いでいると、上から大きな葉が落ちてきました。見ると朴葉でした。
 朴は私の思い出の木ですから、「どこにあるんだろう?」と探すと、下の写真の光景が目に入りました。左右の杉の大木の向こうに何本も朴の木が見えます。そして、そこから落ちた葉が、風で吹き飛ばされたり吹き寄せられたりということもなく、そのまま、敷き詰めたように広がっています。凄いですね。一面の朴葉です。 

 里山を歩いていると、朴葉が群がって落ちているのを見ることがありますが、これほどのすごいのは見たことがありません。

(3)ここは、私の聖地になりそうです。4~5月には、きっと、風を誘って悠然と揺れる朴の花を見ることはできるはずです。
 興味のあるかたはぜひどうぞ。場所は、ケーブルの滝本駅から参道を入って100mくらい歩いたところ、駐車場のすぐ上にあるカーブの付近です。
 〽は~るよ来い!は~やく来い!

【コレクション 147 毎日新聞】
 1970年は70年安保でにぎやかでした。友人に誘われて、代々木公園から青山通りを抜けて国会をへて新橋あたりまでたどるというデモ行進に何度か参加しました。青山通りを歩いたこはありません?が、デモ行進のときに車道から青山を見たことはあります。
 その年の冬のこと、東京の飯田橋の赤ちょうちんで友人とテーブルをはさんで向かい合って飲んでいると、相席となった隣の二人が毎日新聞の人でした。
 そのときの話の筋は覚えていませんが、「もっと批判的な記事を書け」と批判めいたことをいったところ、ソ連びいきと思われたのか、「プラウダとイズベスチャの違いを知ってる」と言い出して、ケムに巻かれたことだけを覚えています。
 もう何年も竹橋で降りて宮内公文書館に閲覧で通ってきましたが、改札口を出ると右が毎日新聞社です。そちらへ向かう人を見ながら、あの頃を思い出すことがあります。

 このパンフレットは、毎日新聞の元になった『横浜毎日新聞』の復刻を知らせるものですが、右上に「93.3.24」とメモされていますから、32年前に収集したことになります。
 大きさは、A4判、4㌻です。A3判の用紙を二つ折りしてできています。
 全体は、1~2㌻を下に載せました。ご覧ください。
 このほか、
 3㌻は第1期配本の概要。
 4㌻は第2期配本概要。刊行案内。
    体裁は、A4判、17000㌻。価格:第1期87万円、第2期123万4千円
    刊行:1992年~。不二出版 
        1㌻

       2㌻


 以上です。
 今日はここで。
 明日は、調査の準備のため、休みます。

   雨の後のロウバイ
   

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No.372 金比羅尾根縦走記 後日譚

2024-12-22 23:47:04 | 余録
(1)今日は、昨日の「金比羅尾根縦走記 4」に載せた「改修記念」碑と「御大典記念」碑について調べるため、午後に昭島市民図書館の郷土資料コーナーを閲覧に行ってきましたました。
 閲覧したのは『日の出町史』の「文化財編」と「通史編下巻」(平成18〔2006〕年)の2冊です。しかし、残念ながら、公式記録であるこの2点の『町史』からは、どちらの碑の存在についても、どちらの開通事業についても、手掛かりが得られませんでした。専門外のことを、にわかに思い立ってちょっと調べてみたまでのことですから、まあ気長に探ろうと思います。

(2)とはいえ、動けば何もないということはありません。一つ、手掛かりが出て来ました。
 それは、「改修記念」碑に「報徳部落」とありましたから、「報徳 日の出町」でネットで検索したところ、日の出町に「報徳会館」があることがわかりました。場所は梅ケ谷〔うめがた〕トンネルのすぐ近くです。
 じつは、もう20年以上前になりますが、「報徳会館小田原」や掛川の「大日本報徳社」に資料閲覧でお世話になったことがあります。ここで、また一つ「点と点の繋がり」がみえてきたようです。

(3)それから、副産物として、『日の出町史』(200~203㌻)に多摩地方の「御料林の払い下げ」問題について言及した記述があることがわかりました。
 これは、近世以降に社寺が所有していた林地は明治4年に国〔官〕に上地されて官有地となりますが、明治23〔1890〕年頃の御料地形成の際にそこからも取り込みました。しかし、面積が小規模で御料局の林業経営に不向きなこと、大部分が保安林に属したこと、社寺の風致林として不可欠なことなどのために、明治33〔1900〕年に「社寺上地御料林野特売規程」を制定して払い下げ処分を決めました。しかし、翌34年には、寺社の風致、事業、縁故、建築、警衛などで必要とするところを無償払い下げを決めました。下の表はそれをまとめたものです。

    

 この結果、神社の財産基盤が充実していきますが、しかし、もともと上地された林地がすべて払い下げられたわけではなく、例えば、大久野村の白山神社〔表の2行目〕の場合には、もともとの所有地3反9畝のうち下げ戻されたのは3畝2歩、約10分の1にすぎなかったことが述べられています。

(4)御料地・御料林の問題もまだまだ未解明な部分が多く、私も手が回っていません。特に、こういう地域と関わる問題では地方史家・郷土史家の参加が不可欠です。
 情報公開法が制定されて、重要資料が見られる時代になりました。昔なら大先生でも見られなかった重要資料を、今は駆け出しの学生でも見られます。だからこそ、積み上げる研究を心がけないといけません。資料を持って来て「どうだ」と並べて見せるだけではいけません。大向こう受けを狙った「皇室財産論」とか「皇室財政論」みたいなことではない研究を心がけることが重要です。

    

【コレクション 140 文学評論】
 私に文学を語る資格があるとは思えませんから、載せるだけです。
 とはいえ、若いころ読んだタカクラ・テルさんの『大原幽学』や谷口善太郎さんの(え~となんといったか、もう忘れてしまいましたが)作品は印象深く読みました。

 パンフレットの大きさは、B5判で4㌻です。B4判の用紙を二つ折りしてできています。
 全体は、
 1㌻ 下に掲載
 2㌻ 下に掲載
 3㌻ 執筆者名紹介 創刊号(昭和9年3月)目次 内容見本
 4㌻ 刊行案内 体裁:菊判 各号平均208㌻ 全31冊(合本全9冊) 揃定価:118,000円
         1984年1月刊 ナウカ㏍ 
    刊行挨拶 
          1㌻


          2㌻


 以上です。
 今日はここまでです。
 
     
     君知るや ながら酒のうまさを
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No.334 もうすぐ1年 

2024-11-15 00:55:49 | 余録
(1)昨日は頑張りすぎました。というより、日ごろもっと出ないといけません。あの玉木さんには及びもないですが、私はトトロです。どこでも行きます。
 〽あ・る・こ~ あ・る・こ~ わたしは~元気~ 歩くの 大好き~!
 
(2)このブログを始めたのが昨年11月26日でしたから、もうかれこれ1年になります。
 始めた目的は『御料局測量課長 神足勝記日記』(J-FIC)の刊行を宣伝するためでした。目的が宣伝といっても、定価が税込み2万2千円もする高額なものですから、一般の人がヒョイと買うわけにはいかないものです。専門に研究しようという人ならば、2万円くらいケチるなといいたいですが、専門外の人にそういうことはできません。そうすると、やはり公立の図書館、大学の図書館・研究機関、林業や測量関係の団体などで備えていただいて、それを利用していただっくのが本来となります。

(3)この『御料局測量課長 神足勝記日記』の在庫があといくらあるかわかりませんが、仮に売り切れた場合、増刷することも、改訂版を刊行することもないと思います。それは、一度は暗礁に乗りかけた本書の刊行が、日本林業調査会のご理解とご協力を得て刊行にこぎつけることができ、編著者としてはそれで十分に目的を達したと考えているからです。また、この本は、タイトル〔書名〕のように、神足勝記の全生涯を知りうる日記を目指したものではなく、「御料局測量課長としての神足勝記」に焦点を当てて編纂したものだからです。ですから、関係機関でまだ供えてない場合には、今のうちにとぜひ促していただきたいと思います。

(4)神足勝記その人について知るには、少なくとも御料局入局前の地質調査所時代の踏査事業を入れる必要があります。そして、できればその前の学生時代も入れる必要があります。そういうと、なんだ全部ではないかということになりそうですが、それでも全日記の80%くらいのものです。
 これを100%の公開するには、この文書を「私的公文書」として評価・認定していただいてしかるべき機関に所蔵していただく必要があるでしょう。もちろん、その旨をご遺族にはお話しました。そして、すでにその方向で寄託・寄贈についてご理解をいただいております。いずれ実現させることができる日を期したいと考えております。

(5)ところで、このブログ、これまで誰からもコメントもイイネありませんでした。間違いみたいなのが1回ありましたが、あとは反応なしで、苦情もまったくありませんでした。まあ、箸にも棒に架からない、人畜無害というところだったということでしょうか。ともかく、どんな人がどんなふうにご覧になっているのか、不思議に思って過ごしてきました。
 当初は毎日50~100名くらい、その後は150名前後、今は100名前後です。多い時は日に400名に達することもあり、どういう仕組みになっているのか狐につままれたような感じの時もありました。今日現在では、訪れた人が27583人、ページを見た人が37073人だそうです。
 これだけ見てもらえると、かなりのポイントがもらえるようですが、私はもうケータイもスマホも無関係ですから、ポイントは無縁・無関心。ときどき手続きの案内が来ますけど、すぐに消去します。ただただ書きたいことを書いているだけです。
 しかし、どんなに少ない日でも50~60名は開けてくれる人がいますから、やめるわけにもいかないだろうなあ、コレクションだけの日、写真だけの日、政治・経済批判の日などと少しやり方の検討も必要かなと思案です。

   
   多摩川波静か:拝島橋下流方向

【コレクション 110 本居宣長全集】
 皇室財政を経済・財政問題として考え始めた私にとって、本居宣長に本腰を入れることはなかったといってよいでしょう。読むには読んだという程度かもしれません。
 そういうものにとって、先日入手した『漢学者伝記集成』はよい契機となりました。しかし、宣長全集など、入手しようとすると難しいです。近くの図書館でもきちんとは入っていないようです。



 この大きさは、B5判、表紙とも20㌻です。B 4判の用紙5枚を重ねて二つ折りするとできるパンフレットというよりも小冊子です。
 全体は、
 1㌻ 上掲
 2㌻ 本居宣長肖像
    本全集の特色
 3㌻ 刊行のことば
 4~8㌻ 推薦文 
      石川淳 学ぶべく奪ふべし
      澤瀉久孝 心ひかれる新資料
      小林秀雄 筑摩版全集の刊行を喜ぶ
      久松潜一 可能な限りをつくした全集
      吉川幸次郎 本居宣長の方法
      本居弥生 本居宣長全集刊行によせて
 9㌻ 大野 晋 編者の言葉 *下に載せました。お読みください。
    編集校訂の方法


 
 10~15㌻ 各巻内容
        略年譜 
 16~17㌻ 大久保正 松坂の一夜 ー真淵と宣長
 18㌻ 新刊紹介
 19㌻ 新資料紹介
 20㌻ 刊行案内 造本・体裁:菊判  全17巻 別巻3 平均680㌻
         定価92600円 昭和51〔1976〕年刊 筑摩書房
 以上です。
 
 少し落穂拾いをします。
1.まゆみ
    

2.??? ちょっと暗いですが・・・

  

3.あざやかです。
  

4.カルガモ:のどかです
  

 5.オオタカ?
   水面で魚を取ってから、舞い上がって行きました。
  

 今日はここで。
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No.327 ちょっと緩話

2024-11-07 23:09:05 | 余録
(1)木枯らし一番が吹き、富士山や日光白根山の冠雪のことが夜のニュース番組で報じられてました。温暖化の影響のようで、例年に比べて遅いとのことですが、秋をゆっくり感じる間もなく冬が来てしまいました。
 こんなことを思うと、世界では、何年越しにもなる戦争を仕掛けられているウクライナの冬の苦難など、心が痛むことがあります。アメリカの選挙結果も、その前途を思えば決して明るいニュースとはいえません。むしろ暗いニュースです。
 一方、国内では、東日本大震災以降でももうあちこちで被害が発生していて、そこへ今年は、能登地方だけでも元旦の地震とその後の水害が重なり、その復興も思うように進まないままに冬です。先の選挙の結果にはその怒りがにじみ出ていました。
〔昨日、福島の原発でようやくデブリを1g?(数g?)採取できたと報道がありました。でも、この残りがあと880t(=880,000,000g)あるそうです。いつ終わる?か、ずいぶん先のある話です。〕

(2)寒がりの私は、もうとっくに半纏やひざ掛け出し、万全な体制をとっています。本来は炬燵が欲しいのですが、パソコンを使用するのに不便なところへ、炬燵があるとゴロ寝をするから健康に良くないと言ってカミさんがいつのころからか炬燵反対派になってしまい、要求しても「予算がない」の一点張りでラチがあきません。

    
    ベコニア

(3)話は違いますが、うちのカミさんはアズキ餡子が苦手です。ですから、いただいた餡子類は全部私の方に回ってきます。
 えっ、ラッキー?
 それが違うんですよ。
 自分が食べないものですから、自発的には調達してきません。戴き物がそう頻繁にあるわけではありませんから、甘いもの食べたさで「砂漠の虫」みたいな状態です。
 「砂漠の虫」ってご存じですか?
 砂漠を旅するとのどが渇きます。のどが渇くと「みッ、水!」ていいますね。「ミミズ」です。
 まあ、なんというか、そのくらい食べたくなるということです。
 そこで、私が「饅頭食べたい、羊羹食べたい、最中食べたい、ああこの前食べたの何年前だったろうか」と聞えよがしに10回くらいボヤクいてもムシです。
 私が絶望して、「餡子の好きなカミさんにすればよかった・・・」と思い始めているころに
しぶしぶ調達してきます。しかし、買ってきたとは言わずに、棚に放置しておきます。
 そんなこととは知らずに何日も私が気付かず、予期せぬ発見をした時のうれしさといったら、たとえようもありません。
 そういう統計があるかどうか知りませんが、結婚するなら、甘党のカミさんの方が生涯に食べられる餡子類は多くなるのではないでしょうか?

    
    武蔵五日市の樽で

(4)オット、話を戻します。
 この時期は、小春日和というか、晴れてさえいれば、山を歩くのには最適です。これからしばらくして、紅葉・黄葉した葉が落ちて登山道に積もると、登りには滑ってスリップして邪魔な時もありますが、尾根歩きや下りのなだらかな道では、射し込む陽の光を浴びながら落ち葉を踏みしめ、あるいはガサガサといわせながらラッセルするのも楽しいものです。

(5)NHKで「日本100低山」とかいう番組をやっています。
 「低山」というから、里山くらいのものかと思って見ていると、なんと優に1000mを超える山だったりします。1000mといえばかなり高く、体力がそれなりに必要です。
 「低山」といいますが、山の「良し悪し」や「難・簡」は高さでは決められません。高くて大きいけどなだらかで、日数をかければ誰でも登れる山がある一方、低くて小さいけど、鎖やハシゴが必要だったり、アプローチ〔経路〕が長く、わかりずらかったりする山もあります。
 そもそも「100低山」という命名は「100名山」のマネッコで付けた名称でしょう。ああいう「独創性のない物まね命名」はいけません。それを真に受けて、安易に真似して入山すると危険です。実際、あの案内役をしている人は二人とも当該山に初登頂で、その山を知らないように見えます。画像は編集されていて、途中の難儀する様子はカット〔除外〕されているかもしれませんから正確にはわかりませんが、中には山行そのものが初めてという人もいて、安易に山ブームを煽るお手軽番組と見えます。もちろん、スタッフは調べているでしょうけど、視聴者に見えるのは、基本的設定としては、あの二人だけです。検討が必要です。

    
    金比羅山の途次

【コレクション 104 久坂玄瑞】
 延ばし延ばししてきたので、今日こそ載せます。
     

 この大きさは、B5判8㌻です。B5判の用紙4枚分の横長の用紙を二つ折りし、さらにもう一度二つ折りするとできます。
 全体は、
 1㌻ 上掲
 2~3㌻ 解題 一坂太郎 萩博物館特別学芸員 資料を集め編む意味
 4㌻ 解題 萩博物館 道迫真吾 明治150年に久坂の往復書簡を集大成
      *下に載せました。お読みください。

 5㌻ 内容見本
 6~7㌻ 久坂玄瑞史料 往復文書 履歴史料 略目次
 8㌻ 内容見本
 以上です。
 
 今日はここで。

 『むし』という月刊誌があるのをご存じですか。
 昭島市民図書館で知ったのですけど、専門書なのに実に面白い。
 ともかく、シジミチョウだって、その生態がどのくらいわかっているのかわからないことがわかりました。植え込みの上をピョンピョン飛んでいる「宝石みたいなチョウ」です。
 1.
   

 2.
    
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