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神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.460 肝要峠の下り

2025-04-19 00:33:21 | 外出
(1)肝要峠で昼食をとりました。右から麻生山、タルクボの峰、左へ金比羅尾根と続きます。
 手前は整地されて、花粉の少ないヒノキの樹種(暮れに聴いた話)が植えられています。
 


 あたりには、クマンバチ5~6匹が飛びかっていました。人なつこいのか、好奇心が強いのか、近づいてはホバリングしてこちらの様子を見ます。しかし、写真におさめようとすると、ピューッといってしまいます。それを何回か繰り返していると、ひらひらとアゲハチョウがやってきてとまります。でも、これも取ろうとすると、飛び立って行ってしまいました。
   
(2)肝要峠の下の林道脇に山桜が咲いていました。
1.もうだいぶ散り始めていました。

   

2.アゲハチョウが来て蜜を吸っていますが、この写真では識別ができません。

   

(3)道には野イチゴの花が見えましたから、よい時期に来れば、赤い実を楽しむこともできる・・・。そんなことを思いながら下り始めました。

    
 
(4)少し下ってからの道の様子です。 これなら馬も通れるでしょう。良い道です。
1.
   

2.
  

(5)朴が芽吹いていました。ほれぼれとする夫婦の大木でした。
   

(6)新緑の中に赤く桜の喬木が見えました。
  

(7)脇を見ると、新緑が深く覆っていました。

  

(8)こうして降りたところ、この道の上り口は、私が登りに使った林道を入ってすぐのところにある、危険注意の看板も出ている崩壊寸前の廃屋を過ぎてすぐのところを左に入る道とわかりました。
 私がこれまで登った道はいわば「直道」です。これに対して、ここで下ってきた道は「九十九折れ」です。ですから、やや距離が長くなりますが、それでも1時間くらい見ておけばよいでしょう。どちらも地図にはありませんが、オススメです。上がってから肝要へ降りるのもよし。戻るのもよし、ですが、やはり山ですし、人通りがないので、注意してください。

(9)降りて、青梅の吉野街道、稲荷神社バス停に向かうと、野生のスミレが当り一面に花盛りです。歩いては休み、休んでは歩いて楽しみながら行くと、今度はタンポポが列を作って咲き誇っていました。舗装を突き破って出ています。

   
 
 おもしろ~い! つぎの詩、「どんぐり」のメロデイーで歌ってみて。
   〽タンポポ ポコポコ 芽を出して 道路を押し上げ さあたいへん・・・。

 これだね!人間もポコポコやったらどうだろう!
 「アベ政治を許さない」とか、「アメリカから日本を守れ!」ってね。うふふ。
 それにしても、
 日本代表なのに「格下」だってよ! じゃあ、まだ幕末かい
 
   
   花粉にまみれてます

【コレクション 217 大黄河】
 これは、NHKが1987年放映した同名の番組の取材記です。私は、本は見ていませんが、番組を見て、黄河の雄大さや中国の広さに感動しました。幸いなことに、これが最近(2~3年前)再放送されて、感動を新たにしました。
 パンフの大きさはB5判4㌻です。B4判の用紙を二折りしてできています。下に4㌻とも掲載しましたからご覧ください。なお、2㌻に流域図、4㌻に刊行案内があります。説明は略。

        1㌻


        2㌻


        3㌻

        4㌻

 
 以上です。
 今日はここで。明日はお休みです。

   
     黄昏の月に電線:くびれて見えます。

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No.459 肝要峠を再訪

2025-04-18 00:19:26 | 外出
(1)きょうは、また青梅市と日の出町肝要の間にある肝要峠まで行ってきました。

 念のため、No.378で紹介した地図を再度掲載します。
 地図の右上の実線のところが「梅ヶ谷(うめがた)トンネル」で、その脇にある旧道の峠が「肝要峠」です。(梅ヶ谷峠の下ではなく、肝要峠の下にあるのに「梅ヶ谷トンネル」です。)
 
   

(2)きょうは、ここから北にある三室山まで行く予定でしたが、上がってみたところ、天気も良く、麻生山・日ノ出山を蔽う花々、クマンバチのホバリングやチョウの乱舞、オオタカの飛来を見ているうちに、移動せずに定点観測を決めました。

(3)まず、麻生山のようすを対比して載せておきましょう。
1.昨年12月
   

2.きょう(4月17日)
   
 
 本当はもっと明るかったのですが、これでも、広葉樹の新緑の中にずいぶんあちこちに山桜があることがわかります。

(3)麻生山の南隣のタルクボ峰の様子です。
 これももっと明るいのですが、花のある場所がわかると思います。

   

(4)林道を南へ200mほど移動すると、別の道が見つかりました。この間、ワラビがにょきにょきと頭をもたげていましたから、一握り頂戴しました。なかなか立派なワラビです。
 なお、帰りはこちらの道を下りてみました。その印象は、つづら折れの尾根道で、馬も行き交う往還道だろう・・・ですが、馬頭観音は気が付きませんでした。

   

(5)階段を上がると、案内標識がありました。

   

(6)そして上りきると、肝要への下り道になります。伐採地の脇を下るようになっています。

    


(7)峠の周辺は、伐採後の地拵えが済んで、すでに植林され、鹿の食害を防ぐための金網も設置されていました。
 向こうに見えるのは青梅線の石神前駅から二俣尾駅の辺りです。 また、正面の木の左に見える尖った山が雷電山です。
 私は、ここで伐採跡地の様子を実地によく見ることにして、昼食としました。

   

(8)座るのに適当な切株を物色していると、お盆のような切り残しが見つかりました。
 
   

 お盆に使う前に年輪を数えたところ、92までいきました。ざっと100年です。このまま朽ち果てさせるのは忍びないので、3分の1ほどを割り取って持ち帰りました。気晴らしに何かを工作してみようと思います。 
 ここは、年末に白岩滝から麻生山に登った時に遭った作業中の林業家の話しでは、花粉の少ない樹種のヒノキを植えるとのことでしたが、すでに、伐採地の4分の1くらいは、作業ができているようでした。
 御料地の林業についての実地を理解する手掛かりとして、しばらくは通ってみようかと思いながらあたりを堪能して、おもむろに下りました。(続きは明日に)。

    
     点が10以上あるテントウムシ:公園で

【コレクション 216 クチンスキー回想録】
 ユルゲン・クチンスキー(1904-1997)は、かつてドイツ民主共和(DDR)を代表する国際的な経済学者です。恩師の宇佐美誠次郎先生とも交流があり、何回もお話を伺ったう機会がありました。
 パンフレットの大きさは、A5判4㌻で、A4判の用紙を二つ折りしてできています。
 ちょっと小さめですが、だいたいのところは読めますので全面を載せておきます。
  
  4㌻               1㌻


 2㌻                3㌻


 以上ですが、読めましたか?
 きょうはここで。
 
   
    きのう見た「黄昏の赤い月」
      〽たそがれそめる~ まっかなつきよ~ 
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No.437 ラッキー!?

2025-03-20 00:05:42 | 外出
(1)きょうは、宮内公文書館へ行ってきました。
 じつは、昨年夏ころに申請した文書類について、内容と量の関係から年明け以降に閲覧許可になるという通知をいただいていました。そこで、さっそく1月9日からほぼ毎週木曜日に閲覧に通い始めたところ、折よくコロナ蔓延の際の規制も緩くなりましたから、ほかの見残していた文書についても追加申請して、きょうまでちょうど10回お世話になりました。今回は全部で100点以上(150点くらい?)の文書が閲覧でき、当面希望するもののほゞすべてを見終えることができました。丁寧に準備していただき、感謝するばかりです。

(2)ところが、きょうは雪となりました。
 雪の日に都心へ出たことは前にもありますが、短時間の降り方としては、最終日ということもあってびっくりしました。そこで、きょうと明日は、その写真をのせることにします。

1.竹橋
    
 
 これだと雨の雰囲気ですが、つぎの画像を見てください。 左にコブシが見えます。

2.竹橋から平川門方向
    

3.国立公文書館
   

4.寒緋桜:むこうに北桔橋門が見えます
    

5.北桔橋門
   
    これは、雪で煙っているのです。

6.お堀の鴨?
   

7.北桔橋門の守衛所から宮内公文書館方向
   

 画像がくっきりしませんが、ようすはわかります・・・ね。

【コレクション 194 水辺の生活史】
 昭和30年代(1955~65年)の海・川・港など水辺に住む人の生活の写真集です。
 大きさは変則で、縦210✕横222mm、4㌻です。
 4㌻とも載せて説明を略します。なお、刊行は1994年11月です。
     1㌻

    割烹着・子守、少し町の服装の子が見えます。

     2㌻(2・3㌻は見開きです)

    当時は貴重品だった自転車が写っています。
         3㌻


     4㌻ 



 以上です。
 今日はここで。
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No.330 「等距離」ってどういうこと?

2024-11-10 23:50:33 | 外出
(1)いよいよ国会が始まります。
 日本維新はもともと自民党よりももっと右寄りと見られていましたから、あの政党に立憲民主党との共同歩調を期待するのは難しいことでしたが、国民民主党は、全員ではないにしても、一部の人には多分の期待が持てると思いました。ところが、国民民主党が「等距離」を貫くという姿勢のようです。

(2)仮に、国民民主党に立憲民主党と協力する姿勢があるならば、首班指名で「野田」と書くことはもうとっくに決めていたでしょう。
 立憲民主党とは疎遠にしていて、先にドンドン自民党と政策論議を始めていることは誰でも知っていることです。それなのに首班指名で「等距離」ということは欺瞞です。
 これは、「石破」と書いても書かなくても「石破内閣」は誕生するわけですから、ムリして手を汚す必要はない、と考えているとみなければなりません。
 「等距離」は「石破内閣」誕生を黙認〔=消極的支持〕ということです。
 「等距離」は自公政治を批判した国民の期待を裏切りではないでしょうか。

    
     にら

【コレクション 107 昭和2万日の全記録】
 No.318『昭和の時代』を載せました。今日は昭和の2つ目です。
 昭和は1926年に始まり、1989年に終わりました。終わったのは約35年前ですから、下のパフレットの赤ちゃんでもかれこれ40歳でしょう。中学生の男女二人は、早ければもうおじいさん・おばあさんになっているかもしれません。
 写真の「昭和」というのは元号ですから、ふだんはそれ自体にこだわることを私はしていませんが、しかし、私にとっては、昭和の期間はこれまでの半生を占めていて、その間には善しにつけ悪しきにつけ、使い使わされてきましたから、何か特別に染みついたものを感じます。
 うしろの校舎も、今はもうチョットないレトロな雰囲気のものです。

    
 大きさはA4判8㌻です。A4判大の用紙4枚分の横長の用紙を、最初に左右から4分の1を折り込み、それを二つ折りするとできます。
 全体は、
 1㌻ 上掲
 2㌻ 推薦文 組見本 
    *内容が細かすぎて、説明すると煩瑣になりますから省略して下に載せます。
     うまく取り込めていませんが、雰囲気はわかると思いますから、どうぞ。

   

 3~6㌻ 下に載せたような写真と推薦文・昭和社会世相年表。
      下には4㌻を載せました。このほかは、松下幸之助・田辺聖子・黒柳徹子・
      井上ひさし・俵万智・森繁久彌の各氏のもの。
   

 7㌻ 2㌻と同様の組見本
 8㌻ 装丁見本
    刊行案内 造本・体裁:AB判(257mm✕210mm) 
     全18巻・別巻平均336㌻ 定価2800円 1989年刊 講談社
 以上です。

 きのうは、14時半ごろに家を出て、多摩川の土手沿いを上流の高月まで行きました。
 東秋川橋を渡って秋川べりに出たころには、もう陽が傾き始めていました。
 1.上に載せたニラの写真はそのころ撮ったものですが、次のように藪の中にある野生化したものです。きれいです。

     
 
 2.それからしばらく歩いて釣り堀状の深い淀みのところへ行くと、今日は釣人の姿はありませんでしたが、小魚がよほどたくさんいるようで、ぴょんぴょんと跳ねて競い合って歓迎してくれました。残りは後日また載せましょう。

   

 3.ふと西の方を見ると、まだ16時をちょっと過ぎたばかりというのに、もう夕日が沈んでしまって、山際の赤くなったところに小さな金星が見えました。探してみてください。


 
では、今日はここで。
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No.310 あなた27日が見えますか?

2024-10-21 23:46:24 | 外出
(1)今日のニュースで、選挙の期日前投票に行く人が前回よりも少ないと報じていました。
 これは何を表しているのでしょうか。選挙の盛り上がりが感じられないからでしょうか。

(2) 確かに、裏金問題・統一教会問題・防衛費倍加・アベノミクスの失敗などなど、自公与党に投票することに対してためらいがある、ということは大いにあるかもしれません。公明党などは、自民党が裏金問題で非公認にした候補を推薦もするというのですから、熱心な支持者でも判断に困るということはありそうです。

(3) 一方、野党は、政権交代の絶好のチャンスのはずなのに、とくに立民は、前の時の経験を生かして「汚名?」挽回の絶好の機会なのに、それに向かって万難を排して野党をまとめ上げていく力に欠けるきらいがあります。戦略として、口ほどには勝とうという熱意が感じられません。「アベ政治を許さない」で頑張ればよいものを、あれこれと言って、中には自民党とどこが違うのかわからない政策を言ったり、逆に日米同盟を言ったりして、せっかくの機会を無にしているとしか思えません。

(4)もちろん、政権交代できたとしても、途中で抜けていってしまう政党もあるかもしれません。しかし、それでも、国民は政治が少しでも動かせたと、それなりの理解を示すのではないでしょうか。
 さてまあ、期日前投票の低調が何を意味するのか、私にもまだわかりません。
 きょうは、眼の調子もだいぶ良くなってきたので、それを考えながら、多摩川へ「眼ならし」に行きました。

(5)多摩川に着くと、すぐに西の空を米軍機が旋回して来ました。
     
   
 印象ではもっと大きく見えました。
 1960~70年代のベトナム戦争の時、ベトナム人民は米軍機を銃でも迎撃ましたが、多分それが可能なことを実感させる高さです。本当にうるさい。

(6)河川敷に出ると、今までにない光景が広がっていました。いつの雨が原因かわかりませんが、これまで草原になっていたところが洗われて、むき出しになっていたのです。

 1.上流方向です。向かって左が南で、八王子方向です。多摩川本流はこの左の藪を越えたところを流れています。正面に、下りの八高線が拝島方向に向かっているのが見えます。
    

 2.下流方向です。向かって右が南、八王子方向です。多摩川は右の藪を越えたところを流れています。正面の木の影に多摩大橋が一部見えます。
    

(7)目の治療の前の8~9月に来たときは、ここはいくらか湿地が見えましたが、雑草に覆われていました。それが、私の眼の治療中に洗い流されてしまったわけです。しかし、その流れから取り残されたこの一帯は、今はもう流れもほとんど小さくなり、池のようになっていました。
 1.水の中を見ると、閉じ込められたメダカぐらいの魚が、私の足音に驚いて右へ左へと逃げ回っていました。
    
 
 2.よく見ると、田螺〔タニシ〕のようなものも見えました。しばらく、じっと観察していると、触覚なのか、角なのか、突き出たものが見えて、眼の回復を実感しました。
     

 3.水は澱んでいるわけではなく、湧き水が流れ込んでいますから、かすかに流れがあります。実際、病葉〔わくらば〕がおもしろい影を水底に落として動いていました。
     

(8)それから、しばらく下流へ移動すると、湧き出た水が細く流れ込む所がありました。
 1.写真左の藻のところで湧いた水が、Y字状のところを下に流れ込んでいます。
     

 2.水がきれいなので、川底もきれいでした。じっと見ていると、ちょこちょこと動くものが見えました。海老〔エビ〕でした。多摩川の川海老です。
    

 3.じっと見ていると、もう1匹現われ、並びました。
     

 4.見ていると、あとから寄ってきたのが、イジメを始めました。
     

 5.どうなるかと見ていると、イジメではなく、仲好しになったように見えました。
     

 6.向かって下の方が左の藻の方に寄ると、上のほうのがぐっと寄って行きました。
     

 7.私は、多摩川を見に行きました。多摩川は波静かでした。
      

 8.途中、モンキチョウ?が目の回復を祝ってくれました。
      

9.それから、突然、ジャノメチョウ(ヒメジャノメ?)も見舞いに来てくれました。
       

10.しばらくして戻ると、「西部戦線異状なし」でした。
     

 (9)さて、選挙の行方や如何。
 残念ながら、まだそこまでは眼は回復していないようです。
     
      穂に昇る アリ有るを見る 風の中

 では、きょうはここで。
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