神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.338 荒れ模様

2024-11-19 00:38:22 | 勝記日記
(1)昨日も書きましたが、世界も、日本の国政も、地方も、先が見通せません。
 アメリカならハリス、日本なら政権交代、兵庫なら知事交代、そうなるだろうとみていた私の観測はすべて希望的観測となりました。残念です。

(2)アメリカについては、あの下品なトランプ氏にかけてみようという人があれほどいるとは思えませんでした。
 日本については、腐敗した自公政治をともかく変えようと考えると思ったら、直に政権交代に向かうのではなく、国民民主党やれいわなどに期待する人があれほどいると思えませんでした。裏金問題で議論をリードしていた日本共産党の議席減というのも意外でした。
 兵庫県知事については、まだ審議途中ですが、県議会も批判決議を示していましたから、斎藤氏をかえりみる人がいるとはもう思ませんでした。
 この3点に共通することは、なんでしょうか。いま注目しているのは、経済的窮迫がかなり進んでいるということです。もう一つは情報戦です。特にSNSによる発信・拡散です。もう少し様子を見ないといけませんが、経済対策の是非、情報戦対策が問題になるでしょう。
 
(3)しかし、これは必ずしも私だけの観測ではなかったようで、どこも対応に追われています。追われているだけなら良いですが、対応がうまくいないことがあると、これは大変なことになりかねません。ひょっとすると、あらぬ方へ行くのではないかと心配です。
 たとえば、バイデン米大統領の動きです。任期はもう限られていますから、ノンキに構えていると「死に体」といわれます。また、後任のトランプ氏の手を縛る意味もあるかもしれません。COP29での温暖化問題やウクライナへの長距離兵器使用許可など注目しておくべきです。

  
  夜の訪問者

(4)話が変わりますが、神足勝記の同窓生に木村坦乎(たんこ:ウィキぺディアは担乎)という人がいます。神奈川県で教育に携わっていた人ですが、1853年11月仙台生まれ、1923年9月1日関東大震災で亡くなりました。(神奈川県と書きましたが、当時のことなので、八王子市でも教えていたことが『神奈川県教育史』などに出てきます。)
 元の『神足勝記日記』に2回名前が出てきます。来たというだけで詳しいことは書いてありません(どうも校舎建築の資金援助を頼みに来たようです)が、御料局とも測量とも関係がありませんから、『御料局測量課長 神足勝記日記』(J-FIC)では割愛しました。
 その際、検索して調べたところ、碑があることわかり見てきました。次の碑です。(検索すると、もっときれいな写真が見られます。)
 なお、墓所が保土ヶ谷区大仙寺にあることがわかってますが、まだ行ったことがありません。

 1.碑の在りかは、横浜市北区浅間町 浅間車庫前公園です。名前は「担乎」でなく「坦乎」になっています。神足もそうです。 
  
  供花は造花でした。子供の元気な声が響く公園の端にあります。

 2.説明板です。
  

 【コレクション 112 日本の食生活全集】
 これは、私にとっては子供の頃の生活そのもので、本当になつかしい記録ものです。
 昔は昔なりにおいしいものがありました。おばあちゃんの味です。
   

 この大きさは、A4判8㌻です。A4判4枚分の横長の用紙を左右からそれぞれ4分の1を折り込み、さらにそれを二つ折りするとできます。
 全体は、
 1㌻ 上掲
 2~7㌻ 内容紹介・写真
    *3㌻を下に載せました。写真がないのはこの頁だけです。
   

 8㌻ 刊行案内 昭和63〔1988〕年から刊行。定価:2800~3400円
        農山漁村文化協会
 以上です。
 今日はここで。

   
    昼の訪問者
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No.280 西南戦争警視隊戦記

2024-09-02 00:02:28 | 勝記日記
(1)きょう9月1日は関東大震災の起こった日でした。
 この日、神足勝記も鎌倉で被災して、二男の勝起氏と孫の勝浩氏ともども、間一髪、難を逃れました。そして、その後はこの日のことを忘れないために、毎年あえて握り飯を食べるなど、注意を喚起する日としています。今日いうところの防災の日としていたといってよいでしょう。そのことを神足は日記に書いています。この記述はのちの研究の参考になるものと考えて、『神足勝記日記』(J-FIC)の538㌻以下に全文を残しました。みなさんにも、この際にぜひまたお読みいただき、神足と思いを共有していただけるとよいと思います。

(2)関東大震災といえば、朝鮮人の虐殺のことがあります。
 上にあげた『神足日記』にも「暴鮮人襲来の説あり。復ひ山上に避けんとせしも、風説なるを知り中止す。」と出てきます。神足のような冷静な人でも、噂を聞いて「山上に〔難を〕避けんとせしも」というのですから、一般の不安は相当広がっていたことでしょう。その結果が虐殺事件です。これが事実です。

(3)ところが、このブログのNo.65で取り上げましたが、群馬県の山本一太知事は「公益に反する状況が続いている。一日も早く正さなければいけない」と言って、公園から「朝鮮人追悼碑」を撤去してしまいました。
 しかし、私の出身の群馬県藤岡市でも朝鮮人の虐殺事件がありました。
 これは、市内4丁目の交差点を東に100mほど入ったところに成道寺があり、向かいの墓地に入るとすぐ右手に大きな追悼碑があります。
 関東大震災の当時、成道寺の西脇に警察署があり、暴動を疑われた朝鮮人が、難を避けるために警察署に逃れたものを、市民が引き出して殺してしまったことを反省する追悼碑です。
 こういう事実があるにもかかわらず、一部の出来事があったことをもって「公益に反する状況」との口実にして碑を撤去したのはむしろ「公益に反する非友好的な行為」です。

(4)この点は、東京都知事小池百合子氏も同じです。
 今年も、史実を無視して、都としての追悼文を送りませんでした。ほんとうにツミ深い人を知事にしたものです。「追悼文を送る・送らない」は選挙の時に争点になっていませんでした。むしろ知事は、公務優先をいっていろいろな議論を逃げていましたから、追悼文の件でも都民から支持されたというわけではありません。
 小池さんは、過去に何か後ろめたいことがあるのでしょうね。ですから、過去をちっとも率直に語りません。
  小話:
 「歯石を取るには歯医者さんだね・・・。」
 「では、頭の石はどこへ?」
 「もう、ボチ~ッボチッ、考えて!」
 自分で意識しないと取れない、致命的な重石です。以て他山の石とすべし。

    
       雨の訪問者

【コレクション 74】
 きょうは、『西南戦争警視隊戦記』です。
 これは西南戦争に関しては知られた本ですが、長らく入手不能の稀覯本でした。私は、もちろん西南戦争を研究する者ではありませんが、この戦争で熊本市街が焼失したことによって、神足勝記が母・姉の安否・行方を気遣う場面が『日記』にでてきますので、より具体的に知るために注目しました。
 なお、本ブログのNo.3に相当する「勝記の母とその日記」、No.4に相当する「神足勘十郎と勝記の写真」も併せてごらんください。

     
 
 このパンフの写真や見出しの一文に違和感を覚えるという方もあるかもしれません。私もそうですが、気にしないことにしましょう。中身のすごさはこの通りです。
 このパンフの大きさはB5判、8㌻です。B5判4枚分の横長の用紙を二つ折りし、さらにもう一度二つ折りするとできます。
 1㌻ 上掲
 2~4㌻ 推薦文 中村彰彦 名著『西南戦争警視隊戦記』の復刻を喜ぶ
      刊行案内 B5判 650㌻ 定価1万8千円(予価1万6千円)
           平成28〔2016〕年11月 マツノ書店
 5㌻ 内容見本
 6~7㌻ 総目次 「本書の特徴」
 8㌻ 内容見本
 以上です。
 2つほど書いておきます。
 一つは、上に書いたブログの箇所にもありますが、神足は、西南戦争で熊本城で籠城戦死した神足勘十郎(血のつながりはありませんが、当時の家制度で叔父にあたる)を父とも思い、慕っていて、その死を克明に調べています。すでにその整理もできましたから、いずれ発表したいと考えています。
 もう一つは、No.86・87で取り上げた高橋寛司のことです。
 宮内公文書館で『進退録』を調べると、確かに高橋寛司も西南戦争の時期に一時期だけ宮内省に雇われていました。しかも、県令の推薦という形が取られています。それでは、なぜ高橋らがそうして宮内省に雇われたのかというと、これはまだ推測ですが、西南戦争のために、首都を警護していたで警視らが動員されて手薄になった宮内省周辺の警護のためだったのではないか、と思われます。
 きょうはここで。


  きょうの つかの間の西の空 
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No.193  新刊紹介

2024-06-06 23:50:26 | 勝記日記


(1)山田直利氏が、『GSJ地質ニュース Vol.13 No.5(2024年5月)』に、『御料局測量課長 神足勝記日記 ー林野地籍の礎を築くー』日本林業調査会(J-FIC)の「新刊紹介」を書いてくださいました
 さきほど、検索していて気が付きましたが、驚いたのは、全体がA4判2ページに及ぶ長大なもので、たんに「新刊紹介」するという域を越えていること、また、内容としても、これまでのいきさつを踏まえた書評になっています。
 本書の内容把握の手助けになること請け合いです。ネット検索で読めますので、ぜひご覧いただきたいと思います。
 山田様とGSJ(産業総合研究所)には感謝いたします。
 
(2)「きのうの落穂拾い」をしておきます。
 まず、前回の戸倉城山行は、2022年でなく、2023年1月5日でした。
 その時のものが見つかりましたから、紹介します。 
 
 これは、カメラにこう写ったというだけでなく、肉眼でもこのくらいに見えてました。全体にくっきりしています。
 遠方を見るなら、空気が澄んでいる時期、景色を見るなら、青葉のいま頃ということでしょう。私は、夜景と雪景色見に行きたいと思っています。

(3)それから、昨日は、この時期のことで木の葉が延びたため見えませんでしたが、前回は、正月でしたから、御岳神社と宿坊の界隈が見えました。少し拡大して、それも紹介しましょう。
   

(4)それから、頂上とふもとの畑で見たチョウです。
 図鑑を見ましたが、「アオスジアゲハチョウ」と「クロアゲハ」ということでどうでしょうか。


 この畑のすぐ隣に農作業をしている女性がいましたが、なん十匹というチョウが、気兼ねする様子もなく飛び交っていました。
 それを見て、「極楽の宣伝に使えそうだな」、とずいぶん撮りましたが、うまく映ってくれませんでした。多分、「極楽は写真に撮れない」のだと思います。
 ともかく、いい光景を見ました。

(5)それから、近くの畑に次のようなものが植えられていました。
 まず、花の方です。
   

 次に実の方です。
    

 どちらも、トゲトゲがある感じです。
 なんだか、こういうかたちの病原菌がいましたね・・・。
 そう思って、農作業をしていた人に訊いてみようかと思ったのですが、チョウのいる極楽に不穏な空気を持ち込んではいけないと思いやめました。

(6)それから、「天女が現われないかな」と思いながら歩いているとき、おもしろいものがいくつも見つかりました。とりあえず2つだけ。
 ひとつは次のものです。
   

  もう一つは次のものです。
  

 「天女」の代わりに「お化け」が出たかな、「いい気味だ」と自嘲・・・。
 
 きょうは、きのうの急登のために足腰が痛むかなと思いながら用心しましたが、別段なにもありませんでした。
 〽私は~げんき~ 歩くのだいすき~ 
 どんどん行きます。では。

 

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No.145 『測量』の「書評」のこと 

2024-04-19 17:18:57 | 勝記日記
(1)もう一昨日になりますが、日本測量協会の機関誌『測量 The journal of survey 地理空間情報の科学と技術測量』(2024年4月号)が送られてきました。(以下では副題を略して『測量』とします。)

   

(2)『測量』が送られてきたのは、88ページ以下の書評欄「Survey Library」に『御料局測量課長 神足勝記日記 ー林野地籍の礎をきずくー』の書評を山岡光治氏が書いてくださったからです。 
 山岡氏は、長く国土地理院の技官として勤務され、退職後はゼンリンに勤務され、さらに、地図の楽しみ方を知ってもらいたいと、『地図を作った男たち ー明治の地図の物語』(原書房)、『地図に訊け』(ちくま新書)、『地図を楽しもう』(岩波ジュニア新書)などの著書が多数ある人です。著書はわかりやすく、すでに測量関係では知られた人です。
 その山岡氏が、『神足日記』について注目してくださったのは次のところでした。

(3)まず、私は『神足日記』の編纂にあたって、「解題を導入部として日記本体を直に読む努力をしてもらう」ことがこの日記を最も生かすことになると思って編纂しました。ですから、できるだけ私見は述べないようにし、理解に役立つ資料や説明を付けました。そのことを山岡氏は次のように書いてくれています。
 「本書は、・・・御料局の測量事業に関わる部分を主に報告するものである。神足勝記と御料局の業務をたどるには、704ページ、約80万字に及ぶ本書を一々読み解くことになる・・・」
 そうです。あれほど面白い日記もそうはありません。それを私が読み砕いてしまっては、エキスを伝えられたとしても、いちばんよいところを奪ってしまうと考えたわけです。「大変でも、読破してほしい」、この一念です。
 そのために編纂にあたっていくらかの工夫をしましたが、それについて、次のように書いてくれています。
 「そこには、公務出張のようす、日々の公私の出来事、広範な人との出会いなども淡々と記述する日記に沿うばかりでなく、関連文献や史料を基にした追記編集が適宜・適切になされて理解を容易にする配慮がある。」

(4)「配慮」が「適宜・適切」であったかは、今後も検討していくつもりですが、読者には読む努力求め、その努力をする人が一人でも二人でも出て来ることが、この分野の研究を先に進めることになる、その確信が自分にはあります。山に登り切った人だけが見られる世界です。
 山岡氏はそれについても書いてくれました。
 「・・・著者が解題でも述べるように、「これまでは外から観察していた御料局とその事業を、内側から生き生きとした動きとして見られるようになり、現場の目線で考えることができる」研究者には必須の一冊となっている。」
 そうです。情報公開法によって研究者は研究姿勢を改めなくてはならなくなりました。これまでは、資料の制約から、どうしても手に入り易い高官や著名人の書き残したものから断片的に推測する方法しか取れませんでした。しかし、いまは違います。明治天皇の手許書類まで閲覧請求をすることができます。研究者は、高所からでなく、現場の目線でとらえ直す必要に迫られる時代に入りました。そして、そこで自分の居場所を見失わない学問的方法論が要求される時代になっているのです。一級資料を見て二級三級のレベルにならない努力が求められています。前より格段に大変な時代になっているのです。  

   

(5)ところで、いただいた『測量』4月号は「令和6年能登半島地震」の特集号になっていました。さっそく巻頭の2論文を拝読、興味深く読みました。
 ひとつは、私の専門の財政学から見た公共事業費の在り方の件です。
 従来のゼネコン型の大規模公共事業ではない、災害多発国日本の国土保全としての公共事業をどう形成すべきか、このことをもっと考えるべきと思いました。
 もう一つは、この国の研究体制です。
 よく、対米従属・大企業優先といわれますが、また軍事ばかり突出した予算編成がなされていますが、主権者である国民福祉と科学研究にもっと力を入れ、それに裏付けられた環境整備や国土計画が必要となっていますから、それに早く気付くべき時だということです。
 これまでの災害に続いて今度の地震もその警告になっている、これは明らかです。

 おっと、またまた脱線。長くなりました。

   
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No.124 分類

2024-03-30 01:09:11 | 勝記日記
 「御料林」で検索していくと、しばらくして「平塚運一:天城山御料林」に行きあたります。イメージとしては下の写真のようなものですが、興味ある人は検索してみてください。
 ふっくらとした山林の中央にポツンと建物があって、郷愁をそそられる暖かい作品です。

   
     大菩薩山御料林

 2018年7月14日~9月9日に千葉市美術館で「平塚運一展」があり、そのときの展示品の紹介欄につぎのことが書かれています。
 昭和10(1935)年作/木版多色摺/40.4㎝×29.9㎝

 天城御料地は、①天城山御料地 ②棚場山御料地 ③富貴野御料地 ④田中山御料地 の4団地からなる御料地です。(「天城御料地」と「天城山御料地」は厳密には別物です。)
 そのうち、②~④は小さな御料地ですが、天城山御料地は湯ヶ島本谷・筏場・地蔵堂・菅引・奈良木・片瀬・白田・佐賀野・梨木・大鍋・池代・仁科の12の御料地に区別されます。
 
 残念ながら、平塚運一「天城山御料林」を直に鑑賞したことがありません。また、この絵が具体的にどこかをモデルにしたものかも知りません。画像を見ると、周辺にこんもりとした山林が広がる中央に小さく建物が見えます。湯ヶ島のあたりでしょうか。
 上の私の写真はどうですか?

  
   釈迦堂遺跡博物館

 ところで、『御料局測量課長 神足勝記日記 ー林野地籍の礎を築くー』日本林業調査会(J-FIC)ですが、図書館のどこに配架されるとおもいますか。
 考えられるのは、書名(タイトル)のどこをみるかでしょうから、まずそれでポイントを挙げて「:」の右に配架先を例示してみましょう。なお、書誌についての素養はありません。たんなる思いつきです。
(1)御料局:天皇・宮内省関係・皇室財産/日本史(明治・大正・昭和)
(2)測量課長:踏査・測量・測量史関係
(3)神足勝記:大学南校・熊本県関係/郷土史
(4)日記(回顧録):?
(5)林野:山林(史)・林業(史)・国有林(史)・御料地(御料林)
(6)林野地籍:国土・法規・地誌(史)
(7)日本林業調査会:林業

 以上はタイトルから推測してみたものですが、このうち、
 (8)一般的には、御料地形成史に関わることがメインなので(1)。これは、皇室関係法令なども該当します。
 (9)御料地や御料林が多くあった地域では、「御料地」とか「御料林」で独立させるかもしれません。
 (9)山梨県なら「恩賜林」もあるでしょう。
 (10)熊本県なら郷土資料・出身者、あるいは測量関係。
 (11)農林系の大学なら(5)~(7)
 (12)文学部でも、池辺義象の件ほかでかかわりがありますが、これはどこにしましょうか?
 (13)東京大学・南校・開成学校・貢進生などなら教育(史)関係
 (14)御料局の法制・制度・職員などなら総記?

 どうでしょうか。もっとありそうです。
 この本がもし失われていたならどれだけの損失か、お分かりいただけるかと思います。
 こういう本があること、こういう人がいたことをぜひ知っていただきたい、そう思います。
 
  
   朴はあこがれ

 今日はこの辺で。


 

  
 


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