その昔、父親が話してくれたことを一つ思い出しました。
お祭りのとき、浅間様へいくと、屋台などと並んで「大イタチ」とかかれた見世物が出ていたそうです。「どんなに大きなイタチなんだろう」と思って入ったところ、「大きな板があって、血がちょっとついているだけだった」と。
これは、一休さんに出て来る「このはし渡るべからず」の類のトンチですが、考えてみれば、昨日の「秘境」には「言葉の魔術」を感じます。
朴:おもいで&あこがれ
昭和30年代ですから、今より不便でした。しかし、もうバスも奥地まで入っていました。(バスに限っていえば、今の方がもっと不便かもしれません)。人口だって今より多かった?
そもそも、近世にもいくらかは物産もあり、鷹の捕獲によってコメなどを供与されるなど、当時の社会に組み込まれていました。また、有害獣捕獲のため、鉄砲を所持して山に入ることも普通にありましたから、もう「秘められてはいなかった」のではないかと思われます。それをどう思うかは勝手ですが、なんとも違和感があり、です。
そういうことを念頭に、本の帯に「秘境ブームになった傑作」とあるのをみると、「このブームは作られたブームだったかもしれない」と複雑な気分になります。
そういうことを考えていて、ふと次の1冊を思い出しました。
『西上州の岩山藪山』(二木久夫〔ふたきひさお〕、現代旅行研究所、昭和56年)です。
この本は、昭和40年代~50年代の、妙義山を中心に南から西の埼玉県・長野県の県境付近をくまなく歩いてまとめたものです。歩いていないところを見つけるのが難しいくらい丹念に歩いていて、うらやましいかぎりの本です。おそらく山好きな人ならば、必ず読むことでしょう。
私も、あと20年若ければ、これを「聖典」(笑)として踏破を目指すかもしれません。
この本は、昨日の『日本の秘境』とは打って変わって、「秘境」などと陰鬱な感情を書きたてるのでなく、どんどん入って行きます。道がなければ道を作ってしまうくらいの勢いです。そしてそれを、克明に記録しています。
『日本の秘境』に「秘境演出」の作為を感じるのに対して、こちらは明るい。臨場感にあふれて健康的です。この本がすぐに手に入る本かどうかわかりませんが、オススメの1冊です。本の大きさは、縦195mm✕横135mm、362ページです。
ちなみに、本の表紙は「尾附天狗岩より望む秋の小倉山と鷹岩」とあります。
これは次の地図をご覧ください。地図中央下に「尾附」、橋倉川に沿ってやや北に「天狗岩」、そこから西を見ると、左〔南〕に「小倉山」と右〔北〕に「鷹岩」があります。
なお、この地図にはありませんが、この地域の少し奥にももっと高い「小倉山」がありますが、そこではないようです。
もう、今日の標題のところを書く時間がなくなってしまいましたが、「秘境」で思い出したことがあるので一言書いておきます。
小学校5年の頃、旺文社か学研の学習月刊誌の付録に、河口慧海のチベット入国についての物語本がありました。当時のチベットは鎖国下にあり、そこへ慧海が仏典を求めて密入国を図ったことが内容ですが、ずいぶん緊張して読んだ記憶があります。慧海の「身を賭して真理を求める姿勢」を忘れることができません。
これも、『かばすけ漫遊記』とは別理由ですが、ずっと探しているものです。
私はこれを夏休みに読んだのかもしれません。
宿題の作文として感想文として提出したところ、金賞・銀賞でない、なにか努力賞のような紙がつけられて返されて、エラク満足したのを覚えています。
ところで、『河口慧海日記』(講談社学術文庫、2007年)が刊行されました。全体は315ページ、半分が日記、半分が解題・解説・研究です。
もはや、幼少時の感動はありませんでしたが、それでも「真摯な探求の姿勢」には学ぶべきものがあると思っています。
『御料局測量課長 神足勝記日記』日本林業調査会(J-FIC)の編纂にあたって、神足の人となりや、課寮の労苦がわかるように工夫したつもりですが、どうでしょうか。
今日はここまでとします。