神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

酒巻芳男『皇室制度講話』の刊行経緯

2023-12-04 23:48:29 | 皇室

  1  酒巻芳男『皇室制度講話』は、昭和9(1934)年に岩波書店から刊行され、その後、1993年に同書店から復刻刊行された。この本は皇室制度を知る手掛かりとなる業績であるが、その刊行について判然としないものを感じた。そこで留意していたところ、酒巻が『皇室制度講話』(以下『講話』)の刊行の前に、『皇室制度概論』(以下『概論』)という講義案を少なくとも2度作り、それをもとに『講話』を刊行したことがわかった。以下はこの結論についての略説明である。詳細は別に発表する予定である。なお、『概論』(二重かぎの概論)は「講義案」であり、「概論」(かぎの概論)は「講義名ないしは講座名」である。両者は別物なので注意されたい。

 2  『講話』の「序」につぎの一文がある。

 「此の小作はもともと私が公務上宮内職員に講じた皇室制度概論の講義案である。」

 これを読めば、「小作(『講話』)」は、「皇室制度概論」という「講座ないしは講義」の「講義案」だった、と理解するのではないかと思われる。つまり、『講話』が講義案だったと読める。ところが、酒巻は続けて次のように書いていた。

 「それを公刊するなどは烏滸〔おこ〕の限りであるが、近しい友人は荐〔しきりに〕之を慫慂し、・・・私に決意を促し、遂に稿を鉛槧〔えんさん=版木〕に附すに至らしめた」

 つまり、烏滸と思うけど友人の勧めで出版した、といっているのである。一般に、講義案に手を加えて公刊することはあることである。しかし、この言い方は、謙遜とはいえ、どうだろうか、ほかの言い方もあったのではないか、というのが私の感想だった。

 3  そこで、これについて言及した研究がないかと目配りしていたところ、梶田明宏「酒巻芳男と大正昭和の宮内省」(『年報・近代日本研究・20 宮中・皇室と政治』一九九八年一一月、近代日本研究会)が見つかった。梶田氏は、当時の宮内省内での職員講習の経緯を説明された後につぎのように書いている。〔 〕カッコ内は大澤の注記。

「・・・『皇室制度講話』の原案となった「皇室制度概論」は、時期的に考えても〔昭和5年より酒巻が講師をしたときの〕「学術講習」の講義案と考えられる。「皇室制度概論」以外の「学術講習」のテキストについては、公刊されたものは見当たらない。」

 ここに、『講話』の原案となった「概論」、「概論」は「学術講習」の講義案、とある。言い直すと、「概論」は『講話』の原案であり、「講習」の講義案である、となる。前に書いたように、私は酒巻が「『講話』は・・・講義案だった」と言っていると思ったのだが、梶田氏は、「「概論」は・・・講義案だった」としている。

 そればかりか、続けて「「皇室制度概論」以外の「学術講習」のテキストについては、公刊されたものは見当たらない」という言い方をされている。これは、「概論」がテキスト〔講義案〕で、「概論」以外の公刊はないと書かれているように読める。(梶田氏は「皇室制度概論」を『皇室制度講話』の意味で用いているようにもみえる。)

 さらに、『講話』は『 』(二重かぎ)だが、「概論」は「 」(かぎ)である。決まっているわけではないが、通常、書籍に『 』、論文名や事項などは「 」を付すことが多い。その前提で判断するかぎりでは、『 』でなく「 」ならば文献名ではない扱いとなる。しかし、「概論」以外の「学術講習」のテキストについては、公刊されたものは見当たらない、という「書き方」をされている。これだと「概論」は、講義名や講座名というよりも、テキストの書名とみえるから、二重かぎで『概論』とすべきなのではないか、というような疑点がうまれる。ともかく、酒巻が「烏滸」と言った意味ははっきりとしないのである。

4  梶田論文のほかには言及した研究の有無は不明だが、5~6年前、古書店で『皇室制度概論』なる本をみつけた。

  A5判大、厚さ約4㎝、背に金文字で『皇室制度概論 落合所有』〔以下『概論』〕とあるのみで、奥付も目次もない。中を見ると、背の『皇室制度概論』と同名の二点の冊子の合綴本であることがわかった。

 1点目〔以下『概論1』〕は626ページからなる本体に旧憲法(13ページ分)が付録として付けられている。2点目〔以下『概論2』〕は262ページである。各冊とも白表紙で、冒頭第1ページに「皇室制度概論 酒巻芳男述」、「皇室制度概論 酒巻芳男講述」と記されて、すぐに記述が始まる体裁である(左の写真を参照されたい)。この2点の冊子を所持者の落合氏が製本して自分の名を入れたとみられるが、『概論1』には、落合氏の前の所持者とみられる人の蔵書印「宮崎蔵書」(1.8㎝✕1.8㎝)がある。「概論2」にはない。

 その後、「酒巻芳男」や「皇室制度概論」をネット検索してみたが、国会図書館や宮内公文書館を含めて、どこにも所蔵の確認ができなかった。(おそらく内部教材として作られたものなので、旧職員の手元には残されているかもしれない。)そこで、いま細かいことは措いて、この内容からわかった結論を2つまとめておくことにする。

 ひとつは、酒巻が『講話』よりも前に『概論』という講義案を二度にわたって作っていたこと、『講話』は「皇室制度概論の講義案」そのものではなく、「皇室制度概論」という講義名なり講座があったとして、それと同名の『皇室制度概論』という講義書を2回にわたって作成していて、それで講義していたということである。なお、『講話』を作ってから(刊行して後)、講義のテキストとしたかどうかはわからない。仮に使われたとしても、ここでの問題には関係ないと思われる。

 もうひとつは、酒巻が「それを公刊するなどは烏滸の限りである」といった意味は、「講義案」として使っていた『皇室制度概論』〔『概論2』〕、「それを公刊するなどは烏滸の限りである」と言ったとみられるということである。

  要するに、酒巻は「概論1」を改訂して『概論2』を作り、これに手を加えて『皇室制度講話』として刊行した。それを「「此の小作はもともと・・・皇室制度概論の講義案である。」と表現していたわけだが(なぜそう言ったのかはわからないが)、「『講話』は、皇室制度を論じるための講義案をもとにして作った」と言えばよかったのである。

  

 

 

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