神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.277 大帆船 

2024-08-29 23:34:53 | 好奇心
(1)むかしは、大気が不安定というと、雷がなるとか、突風が吹くとかいうのが多かったように思いますが、このごろは、きょうの宮崎県や、ちょっと前の茨城県などのように、竜巻の心配も必要になりました。
 私などは、実際に経験したことがありませんから、あの、地上から空に向かって渦巻いて延びる竜巻のさまを見ると、戦慄を覚えます。実際、きょうの宮崎県での台風被害もすさまじい破壊力を示してました。

(2)いつも言うことですが、軍事は外交の力〔言葉の力〕で避けることができますが、地震・噴火・竜巻・雷・台風などは、備えを万全にして、被害を最小限にするしかありません。調査・観測体制を強化し、防災のプロの組織を作るようにしましょう。
 日本が最も警戒しなければならないことは、平和憲法を壊さないこと、同時に、小泉純一郎内閣のイラク派兵から前のめりになってきている、アメリカの世界戦略の片棒を担がされないようにすることです。その意味で、金子兜太さんの「アベ政治を許さない」は言いつくしている、と思っています。
 はやく武力の時代を終わらせるようにしましょう。

    
     アケビ がんばれ!もうじきだ。

【コレクション 72】
 きょうは、『大帆船』です。これは、イギリスの軍艦の話です。
 上で軍事を批判しておいて軍艦を取り出すとは「なんだ」、「けしからん」という人もあるでしょう。しかし、軍事は金がかかる財政問題なのです。日本の防衛費〔軍事費〕も、つい最近まで4~5兆円でしたが、岸田内閣の置き土産で8兆円を超える規模に膨れ上がります。この3~4兆円があるだけでも、火山の研究から農林漁業、中小企業、福祉・年金、授業料免除、奨学金給与などなどいろいろ対策を工夫できます。
 まあ、ともかく次のパンフをご覧ください。なにがわかりますか。


 このパンフは、大きさは A4判、4㌻です。
 1㌻ 上掲
 2~3㌻ 刊行にあたって 内容案内
   *3㌻は下に載せます。
 4㌻ 内容見本 装丁見本〔おおむね1㌻・3㌻と同じ〕
    刊行案内 350㎜✕265㎜ 32㌻ 1800円 1994年4月刊 岩波書店
 以上です。
 これを見ると、とりあえず、大型船・火器(鉄砲・大砲)が見えます。刀・弓矢・投石器ではありません。武器が進化しているのがわかります。
 刀・弓矢・槍なら自弁できるかもしれません。しかし、鉄砲は一人で操作できますが、その購入費や火薬代は個人負担では限界があります。火薬代をケチって打つのをためらうようでは戦争になりません。
 そして、これが船や大砲となると、もはや集団でないと操作できませんし、その操作技術も、知識として習得し、各人がその持ち場で存分に行動できるように訓練しておかないと使い物になりません。
 もちろん、その前に大砲や火薬の製造費・購入費は個人負担というわけにはいきませんから、その資金をまかなうのに足りる資金力を持つ人、とくに国家のように膨大な財政資金を動かせる権力が背景になければならないということになります。そうすると、一方にその知識を教育できるシステムがあることや、資金を経理する知識を持つ人がいて、さらにそれを教育できるのでないと成り立たないことになります。王様の時代も、近世に近づいてくるにしたがって、このことが重要になってきます。財政学でいう官房学の時代がそれです。それに成功したのが、当時のドイツでは、ハプスブルク家やホーエンツォレルン家〔フリードリッヒ大王〕だったわけです。
 もう端折りますが、これが王様が強い軍隊を持てるようになる背景です。これがあって、この図のような場面も可能となりました。
 そして、この舞台裏を描いたのが次のページです。
 目いっぱい大きくしましたが、天眼鏡があっても読みにくいかもしれません。何をやっているかだけでも見てください。一番上の右では、牛のと殺や鶏の卵とりなどもやっています。
 


 ちなみに、この間、あるテレビ番組を見ていたところ、「トイレはどこにあったか」という設問がありました。
 答えは、帆船は後ろから吹く風を帆に受けて前に進みますから、舳先です。
 きょうはこの辺で。
 
   
     図書館で見た表示

 「個〔人で使える〕室=individual room」です。
 では、「個人の部屋」は? 「個人のもの」は?
 おもしろいですね。ヒマな時に考えてみてください。
 では。
 
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No.271 デカメロン

2024-08-24 00:22:05 | 好奇心
(1)アメリカの民主党大会がおこなわれ、バイデン大統領の出馬辞退後さほどの混乱もなくカマラ・ハリスさんへの継承に成功の見込みのようです。
 トランプさんかハリスさんかというだけならば、トランプさんが品位に欠けるという1点ではハリスさんを支持しますが、しかし、日米関係の問題を具体的に経済・外交・軍事と見ていけば、そう簡単には支持というわけにはいきません。ことは、アメリカの国益と世界戦略がからんでいます。現に、アメリカがイスラエルのガザ攻撃に対してどういう態度をとってきたかを観ればはっきりしています。
 それにしても、あの党大会の運営はどうなっているのでしょうか。政策を正面に据えた議論を相変わらずやりませんし、むしろ演説会です。それも、有名人頼みで、相手候補の批判のほか、悪評でなければ、受けを狙っただけの「Yes,we can.」とか「Yes,she can.」とか、まるで「禅問答」です。そして、それで盛り上がれば成功???。

【コレクション 67】
 きょうは、まんが・マンガ・漫画です。
(1)漫画というと、ヨーロッパではカリカチュア〔風刺画〕だったようですね。そのためか、日本でも、たとえばつぎのようなものが普通だったようです。
 全体はA3判の用紙を3等分して6㌻仕立てにされていますが、下のものはA4判〔1㌻と6㌻の半分〕を載せたものです。 2~4㌻も5㌻もほぼ同様の内容紹介ですから、紹介は略します。なお、1985年 筑摩書房刊。 
 

(2)しかし、日本では、挿絵のような1枚ものもありますが、物語を絵解きしたものが普通です。最近は、次のようなものが印象に残っています。

  

 左の『マンガ日本人と天皇』は2000年に刊行されたものを再編集して講談社α文庫から2003年に刊行されたものです。賛否はともかく、「天皇制天皇制とはなにか」という副題がついているように、企画としてはおもしろいと思います。
 右の『劇画「蟹工船」 小林多喜二の世界』は、名作『蟹工船』を劇画化し、同時に研究者による多喜二の紹介と解説を付したものです。小林多喜二のような人を治安維持法によって抹殺したことが、日本があの悲惨な戦争に陥った背景ですから、まだお読みでなければ、この機会にぜひどうぞ。
 なお、その際、多喜二作品の編集で尽力された手塚英孝さんの『手塚英孝著作集』も参考になります。「落ち葉をまく庭」がおすすめですが、第3巻には多喜二の年譜などが収められています。

(3)ここで、マンガ一般の話をすることはできませんが、私もいろいろなものを見ました〔読みました〕。その中で、圧巻と思うのは、やはり白土三平『カムイ伝』です。
 マンガも表現形式の一つですから、描く方も見る方も〔書く方も読む方も〕かなりの勢力を費やします。かつてある大学で日本経済史の講義を担当した時、夏休みに『カムイ伝』の第1部全冊を読んでレポートを書いた人には、年度末試験の際に考慮〔加点〕するといったことがあります。いずれまたこの本について書きたいと思いますが、この本はそれに値する本であり、格好の経済史の教材とおもいます。

(4)長くなりましたが、耳の穴をカッボジクようなといえば、イタリアのボッカッチョ『デカメロン』となる?ようですが、このデカメロンの名を借りたマンガが韓国にありました。下の『劇画 韓国デカメロン 全一巻』です。これについて少しだけ書いておきましょう。
 全体はB5判230㌻で、河出書房社から1985年に初版が刊行されました。内容は、「耳の穴をカッポジク」話しという点では同じですが、こちらは、日本とは異なる民族文化を形成した朝鮮の民衆の、儒教がらみの悲喜こもごもの断面が描かれています。日本も儒教国の側面を持ちますが、江戸時代とは違う庶民風景や、また、洗練された韓国ドラマなどで知る韓国とは違う機微まで知ることができます。

    

 なお、この作家の作品には『李朝水滸伝 革命児・林巨正義の生涯』(全八巻 1985年 JICC出版局)もあります。なお、林巨正や作者金容権については検索すると詳しく出てきます。興味ある方はそちらをどうぞ。
 この作品や作者の評価をよく知りませんが、ともかく、こういう独自文化を持つ朝鮮に土足で入り込んで行ったのが日本だった、というのが私が抱いているところです。

 もっと書こうと思っていましたが、ここまでにします。

   
    きょうの西の空
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No.216 メキシコ万歳(追記)

2024-06-29 22:12:29 | 好奇心
【コレクション 7】
   
    B5判、表紙を含め36ページ。1980年4月発行。定価300円。

 メキシコ万歳は、No.191で採り上げました。その時はこのパンフレットが出こなかったので、入場券だけを紹介しました。話の筋などは、検索で見てください。
 パンフレットの内容は、次のようになっています。
 1.随想 牛原虚彦 「失われたエイゼンシュテイン映画」
 2.映画解説 
 3.作家研究 
    山田和夫 「エイゼンシュテインと「メキシコ万歳」」
    利根山光彦 「エイゼンシュテインとメキシコの画家たち」
 4.対談;エイゼンシュテインの思い出 衣笠貞之助。〔聞き手〕岩崎昶
 5.セルゲイ・エイゼンシュテイン監督の作品総目録
 6.グリゴリー・アレクサンドロフ監督作品総目録
 7.シナリオ メキシコ万歳

 この映画は1931年にセルゲイ・エイゼンシュテインによって撮影されましたが、事実上放置され、1979年に当初予定の一部が未撮影のまま、完成されました。
 この映画が岩波ホールで上映されたのは1980年です。いち早く上映されたことになります。その時の入場券は前に乗せました。チラシが残っていますからそれを紹介します。
    
      B5判
 
 エイゼンシュテインの作品は、池袋や飯田橋にあったの名画座で、戦艦ポチョムキンやイワン雷帝などを見ましたが、その中でも、メキシコ万歳は、大土地所有制・地主制からの解放運動の難しさをリアルに描いて、その印象は強烈でした。

(1)沖縄の事件、被害者には気の毒ですが、日本の政府の対応はなんとも屈辱的です。
 これまでにももう何度も同様の事件が繰り返されてきたのに日本の司法が十分に及びません。
 PFAS問題では、汚染源と疑われているにもかかわらず、立ち入り調査など難航しています。
 憲法違反の自衛隊が、米軍の指揮の下に入って軍事行動をする事態になっています。
 その他、私のところなどは、横田基地からの飛行機・戦闘機の飛来、立川基地とのヘリの往来などに伴う騒音がしばしばあり、落下も危惧されています。米軍や自衛隊に守られているというよりも、その存在自体が不安やキケンの原因になっています。
 防衛費もすでに年8兆円です。国民一人平均8万円の負担、4人家族なら32万円です。

(2)『御料局測量課長 神足勝記日記』(JーFIC)にも時々出てきますが、私はいま『進退録』を調べています。すると、どの人も途中で休職や退職(のちに復職)します。なぜかというと、「一年志願兵」とか「充員召集」とかいって、要するに軍人になるわけです。
 中には、昔のことなので、小学校を出てすぐには就職する人もいますが、その場合は、給仕くらいしか見つかりません。すでにその程度ではすぐには使い物にならないので、すぐには思い通りの就職先が見つからないため、とりあえず入隊ということもあります。つまり、就職先兼ハクをつける機会だったわけです。そして、そこで自分に付加価値を付け、新しい人間関係を作って、除隊後に次の就職先にありつくわけです。あるいは、軍隊経験も在職期間に換算されて昇給の材料とされました。
 これには、過酷な試練に耐えた証として社会的に認知されていくということもあったでしょう。たとえば、戦前も『職員録』というのが発行されていました。国家公務員や地方公務員の年々の職員名簿ですが、これを見ると、その人の軍隊での階級が必ず肩書きとして記されています。

(3)もっとも、同じく御料局(にちに帝室林野局)でも、大学出は将校(尉官)として、農林学校は現場の指揮官(軍曹など)、それ以下は上等兵なら良い方とでもいうように格差があります。
 指揮官としての訓練のために徴兵される人がいる一方、農林学校卒業後、一年ほど支局の出張所に赴任したくらいで徴兵されて、満州を転戦してから南方へ送られ、そのままレイテ島で「名誉の戦死」という人もいます。
 いま、戦争の米軍の指揮下に自衛隊が入りました。今後、アメリカの一翼となっての戦争の危険性が高まれば、自衛隊員の希望者が減るでしょう。その欠員はどうするのか。いないでは済まされないというこわもての主張が出て来るとすれば、あるのは徴兵です。怖いですねえ。

(5)だいぶ話が違うと思われるかもしれませんけど、私は、人手不足だからといって、やたらと実習生だとか、研修生だとかいって、ヒドイ条件で外国人(だいたいアジアの途上国(貧困国)の人)を入れる姿勢を見るとき、あれは体の良い徴兵ではないかと心配して見ています。
 どうして?
 「政府の無策を、社会的弱者を駆り出すことで穴埋め(切り抜けようと)する」からです。
 いま、それに疲れて犯罪に走る「外国人」が増えてませんか。
 太陽光の銅線を窃盗する・・・、あちこちの空き巣狙いをする・・・、「知恵を働かせて」サギをする・・・。「食えないから」、苦肉の策として犯罪に走る。深刻です。
 「ヤスモノ買い(安易な外国人導入)の、銭(日本国民の給与水準引き上げの機会)を失い」。

(6)きょうは、午後から陽が出たので、多摩川へ合歓の木の花を見に行きました。
 バッテリーがなくなるまで撮りました。では、1枚だけ。  
   

(7)帰りに多摩川べりによると、青年がバーべキューをしていました。
 すると、突然、ひとりが、「イッキ、イッキ」と言い出しました。
 これは大変と思い振り向くと、別の一人が、
 「ダメダメ・・・、アブナイ、アブナイ」と。
 安心してまわりの藪を見ていると、ケムリが漂う横の植え込みにテントウムシさんがいました。でも、テンは左右に大きく1個ずつでした。
   
 
 いい日でした。では。
   
   空に雲あれ 雲には乗れぬが 夢は託せる
 

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No.213 魯迅

2024-06-26 23:03:30 | 好奇心


(1)きょうは富士山で4人も遭難死とのこと。どんな装備をしていたのか、どのくらいの経験があったのか、・・・本当に残念です。
 
(2)都知事選挙があらぬことになっています。
 いま騒いでいる人たちは、都知事選を別の目的のために悪用しています。実際、党首がそうだと言明していますし、テレビで放送された候補者の演説を見てもそう言っています。公然とハラスメント(迷惑行為)をおこなっているのですから非常に悪質です。
 というよりも、都民が都知事選出という重大な政治判断をおこなおうとしているときに、その妨害も辞さないというのは意図的犯罪です。
 さらに、そうだからといってその関係者を脅迫するのは重ねての犯罪ですし、事態を悪化させるものです。
 都知事選挙に対する迷惑行為にも犯罪行為にも毅然と抗議してやめさせましょう。

(3)さて、きょうは魯迅を取り上げます。
 まず、『魯迅全集』のパンフレットです。
         
    
 精悍でいいですね。
 大きさはB5判大です。1枚の紙を観音開きになるように4つに折り、8ページで構成されています。
 学習研究社が創立40周年記念事業として出版したことが左上に小さく記されていますが、昭和59(1984)年11月に第1回4冊を刊行し、その後、60年と8月に各5冊、12月に6冊を刊行したようです。
 中には、内容紹介のほかに、次の3文があります。
 1.「魯迅全集」編集委員会 「文学と人間を愛する人に捧げる」
 2.井上靖 「出版界における久々の快挙」
 3.松枝茂夫「今日望みうる最も完全な全集」
 このうち、編集委員会は次のように書いています。
 「私たちは、日本の魯迅研究の力を結集することを目指した。・・・魯迅は、・・・近代中国の夜明け前を生き、中国の生みの苦しみを苦しんだ人である。・・・いま大きく変貌しようとしている中国、その変化を通じて貫いている中国の心を知りたいと考える人に、中国の文化が、社会が、これからどこへ行くのかを考えたい人に、日本と中国の明日を大切なことと思う人に、そして文学と人間を愛するすべての人びとに、この全集をささげる。」

(4)実は、これより少し前の1976年10月、魯迅没後40周年を期して、竹内好訳の『魯迅文集』が筑摩書房から刊行されました。次のパンフレットはその時のものです。
   

 これも大きさはB5判大で、パンフレットの仕立ては上の『全集』のパンフと同じです。
 この2つのパンフレットは甲乙付け難く、なおかつ相互補完的なので、この2つがあれば、魯迅の生涯や著作はだいたい見当がつくでしょう。
 1976年10月に第1回配本があり、以下、隔月巻数順に配本されたようです。
 中身は、内様紹介と竹内好の「訳者のことば」のほか、次の4人の推薦文があります。これも、推薦者と、タイトルのみ記します。
 1.大江健三郎 「われわれのアジア文学」
 2.埴谷雄高 「竹内の魯迅か、魯迅の竹内か」
 3.色川大吉 「私たちの存在を激しく打つもの」
 4.武田泰淳 「空頭の文学者となるなかれ」

(5)私には魯迅を語るほどの蓄積はありませんが、いくらか思い出があります。
 30代の頃に上海・蘇州・香港に行く機会がありました。
 今の上海を思い浮かべると隔世の感がありますが、逆に言えば、まだ古きよき中国が上海にも残っていました。そういう処をあちこち歩いて、紅口〔ホンキュ〕公園に憩い、魯迅記念館を訪問しました。その時買ったのが次の切り絵です。
   
  
(6)東京の日野市に「自由書房」という古本屋がありました。
 授業の後に偶然見つけて以来しょっちゅう通い、ずいぶん投資しました。
 親父は、気がよく話好きで、正面のレジのところに座ってタバコをくゆらせているばかり。仕入れた本はというと、ゴミの山同然に積み上げておいて、見たければ、動かしていいですから、崩れるのを気をつけて、とかいうばかりで自分では何もしません。
 ある時、下の方からひょっこり『魯迅全集』が出てきました。状態は、下の方にあったために、たいしてホコリもかぶらす、少しこすれた跡があるもののマッサラでした。しかし、やや違和感がありましたから、縛ってあるヒモをほどいて中を見ると、中国語版でした。
 中国語版にも2種類あるようですが、これは、1987年3刷の「人民文学出版社」版でした。
 そこで、親父に、「こんなのが出て来たよ、いくら」と訊くと、1冊500円で1万円ときちんと計算はするので、考えていると、「7000円でいいや」というので、「老後の備えにもらっていきます」と言って引き取りました。もちろん、いまもマッサラです。中は一応眺めはしましたけど・・・。

 では。長くなりました。

   

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No.212 『人生案内』

2024-06-25 23:56:15 | 好奇心
(1)【コレクション 5】
 きのうの吉野作造の写真、いいでしょう?
 それから、吉野の同郷人に三浦篤(明治21〔1888〕年1月3日生)がいます。この人は戦前に宮内事務官になった人ですから、関心があるという人もあるでしょう。追加しておきます。
 
(2)きょう紹介するのは、映画『人生案内』のパンフレットです。
 この映画は、ソ連最初のトーキー映画として製作され、1931年6月11日にモスクワで封切され、東京では神田にあった岩波ホールで1975年5月1日~31日まで1ヶ月間上映されました。

   

 タイトルの『人生案内』は、直訳すると、「人生への優待券」ないし「人生への無料入場券」
というような意味です。
 写真上がセルゲーエフ役のニコライ・バターロフ、下がムスターファ役のイワン・クィルラです。
(3)映画の内容は、1917年革命から6年した23年ころのロシアにいた浮浪児の救済と挫折を取り上げたものです。
 政府は、社会児童保護委員会を組織して浮浪児の一斉収容を図りますが、脱走を図る少年が後を絶ちません。そこで、セルゲーエフは修道院を改築して自治工場を設営し、ムスターファたちを働かせます。彼らは、靴やカバンの生産に喜びを感じ立ち直っていきますが、春期の川の氾濫のために鉄道輸送が泊まり、原料が届かなくなり、挫折させられます。
 そこでセルゲーエフはモスクワに飛んで、今度は原料輸送を可能にする鉄道建設工事の仕事を持ち帰ってきました。ムスターファらは再び活気づきますが、そのころ、自治工場に仲間を奪われたかつての仲間が工事現場に怪しい酒場を儲けて、巻き返しを図ります。
 ・・・・最後の場面は涙涙なので、機会がありましたら、逃さずぜひご覧ください。

(4)著作権のことが気になりますが、その労働に関わって主題歌が出てきます。簡単なメロディーですから、聴く機会があれば、一遍で覚えられます。力強い良い歌です。

   

(5)私この映画をドイツでも見たように記憶しています。
 また、どこでご覧になったのか訊きませんでしたが、恩師の宇佐美誠次郎先生もこの映画のことをよくご存じで、お宅へ伺った際に話題になって驚き、嬉しかったことを思い出します。
 
(6)このパンフレットの魅力は、多数の人が推薦の執筆をされていることです。お見せできなくて残念ですが、筆者とタイトルを書いておきます。
 1.ニコライ・えっク 人生案内・40周年!
 2.岩崎 昶 作品研究『人生案内』 ーПутевка в жизньー
  ー注.Путевка〔プチョーフカ〕=優待券、無料入場券
     в〔ブ〕=~への / жизнь〔ジーズニ〕=人生・生活
 3.新藤兼人 『人生案内』のシナリオについて ー無声映画には詩があったー
 4.淀川長治 わが感激の追憶…『人生案内』
 5.真下信一 ヒューマニズムの絶唱 ―「人生案内」のこと―
 6.丸木正臣 『人生案内観て観て
 7.古在由重 『人生案内』・・・人間への讃歌
 8. 矢川徳光 ほんものの人間になれ!・・・「人生案内」の意味 

 すごいですね。いい時代でした。
 調子がつかめるまで、しばらくこの調子でやってみます。

(7)きょう、公園で歓迎され、だいぶ話しました。ポーズも取ってくれました。

      

(8)散歩から帰ると、来訪者がありました。
 何語を話せばよいかと考えているうちに、帰ってしまいました。
 腹が透けて見えていましたから、怪しい人ではないようです。

   

(9)西の空

   

 あしたは弁当食べに出られそうかな?
 では。
   

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