神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.386 大岳山からの下り

2025-01-21 00:40:37 | 
(1)山岳小説家で知られた新田次郎の作品『山が見ていた』(1961年、文春文庫)に大岳山が出て来ることをご存じの方もあるでしょう。詳しくは読んでいただくとして、およその話の筋は次のようなことです。
 主人公は仕事の途中で子供をはねてしまいます。当然、救助すべきところですが、怖さのあまりにその場から逃げ去ってしまいます。しかし、それを負い目に感じ、自責の念から死のうとして大岳山に来ます。ところが、山中で道に迷った5人の子どもを助けたことから、死に場所を失うという話です。
 
(2)新田作品は60年以上前のものです。大岳山の雰囲気も今とだいぶ違うでしょう。
 今の大岳山のコースからはここを死に場所に選ぶなどということは想像もできません。ちょっと途中を紹介しましょう。
 1.日当たりがよく、平坦な所
   
 
 2.やや日陰で、石ころがある所
   
 
 3.少し険しいところ。もっと険しいところもあります
   

(3)しかし、18日に登ったサルギ尾根のように人通りの少ない「通常のコース外のコース」や、整備されたコースを外れたところで具合が悪くなったり、ケガで動けなくなったときは、誰にも見つけてもらえないということがあり得ます。スマホなどを持っていても、電池が切れてしまっていたり、電波が届かない範囲に入ってしまうと、不幸なことになり得ます。

(4)とはいえ、天気の良い日なら、特別な装備などなくてもチョイと登れます。
 実際、1月4日には、御嶽神社で受けたお札だけを持って登って来た人を見ました。ケーブルに乗って参拝に来たところ、天気も良いから行ってみるかと思い立ったのでしょうけれど、散歩がてらではやはり危険です。遭難も多いのです。
 また、18日には、外国人10人くらいの集団が、街歩きの服装(ジャンバーに運動靴ばき、リュックを背負っていないどころか水も持たない)で、手ぶらで登って来ました。
 驚いたのはそれだけではありません。この時、時刻はすでに午後1時半を回っていて、まだ頂上まで1時間ほどかかるところでした。この調子だと、おそらく、頂上に着くのは早くて2時過ぎです。少し景色を見て2時半に降り始めたとすると、ケーブル駅に戻った頃はもう4時近くでしょう。そうすると、途中の杉林の近くでは真っ暗ということもあったでしょう。
 山は、陽が落ちると視界が悪くなり、急に寒くなります。夏なら雷雨もあります。それを考えると、彼らは本当に無防備な山知らずの人たちといわなければなりません。

(5)それだけではありません。新田次郎の作品の主人公のように死にに来たわけではないと思いますが、上の外国人グループだけでなく、山登りの装備をしているとはいえ頂上に着いたら2時を過ぎるだろうと心配される人をずいぶん見ました。高齢の夫婦?3組、中年の日本人と外国人のペア?、それから単独行の20代前半の女性です。

(6)私は、上の外国人に「It takes one hour.」と言い、それぞれに「これからですか?」と声をかけました。上の小屋に宿泊するならともかく、明らかに危険と思われたからです。
 とくに、単独行の若い女性には「帰りは暗くなりますよ」とも言いました。すると、「ライトを持っています」と答えました。もちろん私も持っていますが、それは非常用です。何か目的があるというならともかく、暗くなることを承知で出てきていることがわかり、驚きました。仕方ないので、「ちょっと先にご夫婦が上がっていきましたから、追いかけて一緒に行動するように」といって別れました。
 山の怖さを知らない「都会人」には驚かされます。

(7)長くなりました。
 私は14:20にビジターセンター前に着きました。コースタイムでは下までは40分ですから、15時頃にはバス停に着けると読んで歩くことにしました。
 1.少し歩くと、ケーブル・カーの線路をくぐります。実際はもっと明るくて、雰囲気の良いところです。この付近で、若い二人連れの青年が追い越していきました。
    

 2. 道がつづら折れになっていて、しばらく降るとケーブル・カーの線路脇に出ました。その時ちょうどケーブルが上がって来ました。
    

 3.ケーブル・カーはここの少し上で登りと下りが交換します。待っていると、下りが来ました。
    
 
 4.さらに降ると、思い出の場所にきました。
 もうかれこれ40年前のことになりますが、娘と息子がまだ小学生の頃、家族4人でここを上がったことがあります。その時に二人がこの中に入って雨宿りの真似をしたのです。たぶん子供は皆そんなことをするでしょうね。
    

 5.バス停につきました。少し遠くの山を眺めていると、なんと、日ノ出山北尾根が夕陽に照らし出されているではありませんか。少し拡大して撮りました。
 木が伐採されていて尾根筋がよく見えます。まだ取っ付きのところですが、ここをぐいぐいと上がっていく登りは、高度感もあり格別です。
   

 6.バスで青梅線の御岳駅前に着きました。駅前はT字路になっていて、信号脇に東峯園というラーメン店があります。メニューの一番上には「みそラーメン」などがありますが、ここの昔からのお勧めは、メニューの一番下に小さく書いてある「みたけラーメン」です。「通」を気取るわけではありませんが、シンプルな味でオススメです。でも、昨今の野菜価格高騰のためでしょうか、野菜がやや少なくなったように思いました。昔は、野菜をかなり食べてからでないと麺にたどり着けなかったのではないかと思います。そういう記憶を書いている本もあります。

 今日はここで。
 【コレクション】はタイムオーバーにつき、明日に。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.385 サルギ尾根から大岳山へ

2025-01-20 00:55:26 | 
(1)サルギ尾根を通過して、展望台で昼食後、大岳山に向かいました。(地図は、昨日のブログをご覧ください。)
 風もなくぽかぽか陽気で、足も身体もまだイケるといってました。そこで、ムリが効くかどうか試すのは今だと思ったわけです。結果は「ばっちし」でした。
 先日も載せた下の分岐標識から芥場〔あくば〕峠を経てコース時間通り40分で着きました。
   
    
(2)頂上の様子や雰囲気は「No.381」をご覧ください。下に写真を3枚載せました。完全にはつながりませんが、おおむねこの位置関係〔配置〕です。 
 18日は天気が良かったものの、逆光の時間帯になってしまい、富士山が光ってしまいました。でも、これだけ見られれば疲れがいっぺんに吹き飛びます。弁当もおいしいです。
 フフ、そうかい?

  南東:丹沢山塊     南:富士山と3尾根      西:御前山
    
   
1.南東方向に丹沢山塊が見えます。
 左のポツンと高い山が「大山〔おおやま〕」です。
 丹沢山塊の一番高いところ〔中央のやや右〕が「蛭ヶ岳1667m」です。

2.富士山の手前の3尾根は、手前から、御前山から延びてくる「湯久保〔ゆくぼ〕尾根」、その向こうに、かつて一部が御料地になっていた「御林山」から延びて来る「浅間〔せんげん〕尾根」、いちばん向こうに、三頭山〔みとうさん〕・槙寄山〔まきよせやま〕・丸山・熊倉山と連なる「笹尾根」です。この3尾根ともほぼ踏破しましたが、よい尾根です。

3.西は、前にも書きましたが、御前山とその左後ろに三頭山、奥に大菩薩連嶺が見えます。

(3)大岳山から降る途中、陽だまりにきたので足を止めて正面をながめると、午前中に辿ったサルギ尾根でした。
 写真は高岩山から東方向を写したものです。木が少し邪魔していますが、この写真でも尾根の右端の方が急にキレ落ちていく様子がわかります。登り口の上養沢は切れ落ちた先の向こう側です。
 展望台のある「上高岩山」は木々に隠れて見えませんでした。 
   

 この続きはまた。

【コレクション 146 杉浦梅潭〔ばいたん〕】
 これは平成3〔1991〕年11月に刊行されたものです。
 知らない人というのはたくさんあるものですが、こういう日記を全国の史学科のある大学の図書館でどのくらいが備えているものか、今回『御料局測量課長 神足勝記日記』(J-FIC)を刊行したものとして、ちょっと心配になりました。刊行の重要性に気が付いたときにはもう入手不能の稀覯本になってしまっている・・・。司書の力が問われるところです。
 最近は司書もパートばかりになってきて、プロがどのくらいいるのか・・・。私が見た大学の図書館でも、専門研究する先生が在職中は、その分野や当該期間のものがきっちり揃えられて整備もされていましたが、その人が退職・転職されていなくなるとパタッと途切れるというのを見ました。図書館も司書が育つところでないと、「本の物置」にすぎなくなってしまいます。

 パンフレットの大きさは、B5判、6㌻です。B5判3枚分の横長の用紙を三つ折りしてできています。下に、1㌻と2㌻を載せました。
 全体の体裁は、このほかに、
 3㌻ 杉浦らの写真と「杉浦梅潭 目付日記」の内容見本
 4㌻ 五稜郭の函館奉行所の写真と「杉浦梅潭 函館奉行日記」の内容見本
 5㌻ 小野正雄 東京大学史料編纂所教授 杉浦日記「解説」の抜粋
 6㌻ 装丁見本 
    刊行案内 体裁:全2巻 菊判 本文1200㌻ 定価:2冊揃5万円
         刊行:平成2〔1991〕年11月

         1㌻

   
         2㌻

        下に杉浦の略年譜があります。
          名は誠。梅潭は号。(『角川新字源』では、潭=①淵、②=深い、③=きし・みぎわ)
          ウィキペディアに拠ると、1826.2.15生、1900.5.30没。

 今日はここで。
    
   
    今日の雲、このあと雨に
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.384 サルギ尾根

2025-01-18 23:38:35 | 
(1)今日(18日)、「No.382 大岳山 2」で紹介した「サルギ尾根」を登りました。
 あらためて地図も載せておきます。
   

(2)JR武蔵五日市駅8:22発の「上養沢行」のバスに乗りました。バスは、山で道が狭いからなのか、通常は乗る人が少ないからなのか、中型で、一般の人3人を除いて、12人登山者でいっぱいになっていました。

(3)そのうちの、私を含めて6人が「大岳鍾乳洞入口」で下車しました。バスから降りると、全員が養沢神社の左にある社務所脇に異動して身支度を始めました。
 山はおもしろいもので、似たような行程を考える人にこれまでもなんども出会いました。そういう経験から、すぐにこの人たちも「サルギ尾根」へ上がるに違いないとみました。そこで、いちばん近くにいる人に、「そこの神社の脇から上がっていく計画ですか」と聴いてみました。すると、リーダーと思しき人に確認したから、「そのようです」と他人事のように回答しました。
 こうして、「今日は一日一人寂しくかな」と思っていたのが、予想に反して、楽しい通過となりました。なお、高岩山の手前で一人すれ違いました。この人はこのコースの特徴を良く知っていて、それでも降っている人でした。
 *前回「養沢神社バス停」と書きましたが、これは誤りで、地図もバスのアナウンスも「大岳鍾乳洞入口」でした。

(4)9:00頃出発し、10:30頃「高岩山」を通過、11:00ころ「上高岩山」の「展望台」に到着しました。3~4時間はかかることを覚悟していましたが、2時間で通過したので、驚きでした。
 前に紹介したものはそちらを見ていただくことにして、今日のものをいくらか載せましょう。
1.最初の急登を登り切った後
  

2.高岩山付近からの馬頭刈山〔馬頭刈尾根〕。約5km≒下り約4時間の行程。
 馬頭刈尾根は、上の地図にはでていませんが、大岳山から南に降って、南西の武蔵五日市の軍道〔ぐんどう〕に伸びる長い尾根です。
  

3.高岩山からの大岳山
  

4.上高岩山の展望台からの大岳山
  

5.展望台
 向こう側が都心の方向で、前に載せた「日ノ出山-麻生山」の景色が見えます。 
  

 11時20頃、5人グループとここで別れました。彼らは御岳の方に降っていき、私は大岳に向かいました。そこはまた改めて。

 【コレクション 145 コミンテルン資料集】
 これは、今から40年も前の1979年2月に刊行された歴史文書です。レーニン全集もそうですが、今では古書店で二束三文で売られています。
 しかし、その問題点も含めて、今こそ研究が必要になっているのではないかと思います。
 というのは、もちろん各国の進路はその国の国民が決めることですが、国民の移動がどんどん進み、経済の国際化が進んでいるのに、諸国民も経済も分断させられて、国連も十分にその機能を果たせていません。指導機関ではなく、連帯の要となる拠り所が必要です。そういうことをなおざりにしておいて解決策を講じようとすると、「正解を除けておいて正解を求める」というような行動の仕方になってしまうのではないかと危惧しています。
 
 このパンフレットの大きさは、B5判、12㌻です。B4判の用紙3枚を重ねて二つ折りしてできています。下には、1~3㌻を載せました。
     1㌻
    
   表紙:コミンテルン機関誌ドイツ語版『カー・イー』創刊号表紙

     2㌻
     

     3㌻
   

 4~6㌻推薦文 
     江口朴郎 東京大学名誉教授 社会諸科学の研究に資すること多大
     斎藤 孝 学習院大学教授 「資料集」刊行に時代の変遷を痛感
     中林賢二郎 法政大学教授 各国運動史・政治史の比較研究を一挙に高める
     西川正雄 東京大学助教授 余人の追随を許さない努力の結実
     藤田 勇 東京大学教授 かの時代との深刻な対話のために
     藤原 彰 一橋大学教授 日本とアジアの文献重視に期待する
 5㌻上段 編集翻訳の基調
 5㌻下段~10㌻ 各巻のおもな内容
 11㌻ 本資料集の特色 資料見本
 12㌻ 刊行案内 体裁:菊判 8ポ2段組 各巻平均640㌻ 定価:各巻不同
     1979年2月、大月書店刊
 以上。 
 今日はここで。
 
     18日朝7時の月
    

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.382 大岳山 2

2025-01-16 23:28:57 | 
(1)今日は大岳山からの下りです。最初に昨日と同じ地図を載せておきます。
 経路は、地図の左端に見える大岳山から「芥場峠」付近まで戻って、分岐点からサルギ尾根に入り、上高岩山・高岩山を通過して、下の「養沢神社」裏に降りました。
 ここは主な登山コースではありませんから、赤く書かれていません。
    
 
(2)まず、大岳山から芥場峠の間は、行きは登りでしたが、帰りは下りです。登りは、岩や鎖をしっかりと掴んで踏みしめて登らないといけませんが、下りは踏み損ねがないようにしないといけません。
 無事に降って来ると、次の標識があります。
      

(3)次に、芥場峠付近から上高岩山の間はごく平坦な道で何も心配はありません。途中は手入れもされて気持ちの良い森林帯です。
    
 
 ここを行くと、地図に記載されているように「展望台あり」です。展望台は鉄骨でできた東屋風で、御岳山や日ノ出山・麻生山など周辺を一望のもとに見晴るかすことができます。もちろん、都心やスカイツリーも見えます。
 往復と休憩に計1時間かけるつもりいれば、ゆっくり楽しめます。

(4)展望台からの景色を載せましょう。
 2枚並べました。上の地図を利用して位置を確かめてみてください。
 左の写真の二つの山のうち、左が日ノ出山、右が麻生山、その向こうに広がるのは青梅の市街です。
 そして、右の写真の左端にも麻生山がありますが、その右に伸びているのが金比羅尾根です。
 麻生山のすぐ右向こうにスカイツリーが見えていましたが、この写真では判別が難しいようです。
 

(5)しかし、ハイキングに来た人、特に子ども連れの人は「展望台」から先に入らない方がよいでしょう。引き返すのが無難です。多分、そのつもりでここまで来た人でも、歩き出した途端に「これを行くのかな」と思うと思います。というのは、もちろん、ウッカリしない限り道に迷うことはないと思いますが、入る人が少ないせいか、踏み場のはっきりしない急な下りと登りが連続して、膝や爪先に相当の負担になるからです。
 「展望台」から一気に100m近く降り、それからいくつか越えて高岩山になります。
    

 この写真でもわかると思いますが、主要コースではないとはいえ、要所要所に標識もありますし、テープの着いていますから心配はありません。

(6)途中には、炭焼き跡でしょうか、きれいに残っていました。
    
 
(7)高岩山からは徐々に降ってきますが、地図の「サルギ尾根」と書かれたところの右にあるバス案内の付近まで下りながらのアップダウンが続き、そのあたりからさらに急坂となり、「養沢神社」脇に到着しました。
     
      養沢神社(養沢神社バス停から)

 通過してみての感想は、足の負担のためには、このコースは登りに使うべきコースと思います。とはいえ、ほんの2~3時間のことです。
 今度は、天気と体調を見計らって登ってみるつもりです。
 今日はここで。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.381 大岳山 1

2025-01-16 00:09:47 | 
(1)1月4日、大岳〔おおだけ〕山に登りました。下の地図をご覧ください。
 上中央にケーブルの御岳山駅、その南西の左端に大岳山があります。
 ちなみに、暮に辿った日ノ出山と麻生山が東方向に連なっています。

 今回は、青梅線で御嶽まで来てバスに乗り、滝本駅からケーブルで御岳山駅まで上がりました。その後は、御嶽神社下を通過して、大岳山に向かいました。
 帰りは、「芥場峠」まで戻って「サルギ尾根」に入り、高岩山を経て、右下にある上養沢の「養沢神社」裏に降りました。 


(2)暮に日ノ出山に上がった時は、青梅線の御嶽からバスもケーブルも使わずに上まで参道を歩きました。御嶽駅から滝本駅まで30~40分、滝本駅から参道を歩いて「ビジターセンター」まで60分、合計でも2時間足らずです。バスとケーブルを使っても、待ち時間などを入れると、かれこれ1時間近くはかかってしまいますから、元気ならば歩くのもよいでしょう。特に参道はお勧めです。この4日も、冬ですが、子供連れで歩いている人をたくさん見ました。

(3)私は楽をしてケーブルで9:20ころに御嶽山駅広場に着きました。
 広場から東を見ると視界良好でした。
1.スカイツリー
     
      肉眼の方がよく見えたくらいです。
2.筑波山
    
      少し拡大しています。
(4)あとは山道です。
 途中は、日向はぽかぽかでしたが、日影は、3日に小雪が舞ったようで、それがところどころ残っていて、寒々としていました。滝本駅の売店の人が、「今日が一番寒い」といっていましたが、動き出してから体が温まるのにけっこう時間がかかりました。
 
(5)大岳山は、私の住む昭島市などからも結構高く見える山ですが、ケーブルで上がってしまえば、まあ、どうということはない普通のハイキングコースです。とはいえ、山は山ですから注意が必要なことは言うまでもありませんが、御岳山駅から大岳山までには、急登が4ヶ所あります。
 最初が、御嶽神社下にある門前商店通り直下です。
 このあとはしばらくなだらかなアップ・ダウンの「平坦な道」が続きます。しかし、ここでペースを上げすぎて消耗すると、難儀します。
 二つ目は「芥場峠」手前のつづら折れです。しかし、ここは「つづら折れ」というだけで、普通の道です。
 三つめが、大岳神社手前の岩場・クサリ場です。
 ここは、網が付けられたり、クサリがつけられたりして、ずいぶん整備されていますから、注意をしさえすれば大丈夫です。しかし、逆にうっかりすると誰でも滑るところです。気をつけましょう。
 そして、最後が、大岳神社から頂上までです。
 まあ、山はこの喘ぐところがまたいいんですね。大岳に登ったことがないという人は、ぜひ挑戦してみてください。

(6)頂上です。
1.大岳山1266.5m
     
      正面が丹沢方向かと思いますが、今回は取り忘れてしまいました。

2.頂上からの富士山
     

3.富士山(少し拡大)
    

4.御前山
     
     左の手前は三頭山〔みとうさん〕、遠くは大菩薩連嶺

5.頂上 1
     
     南と西は開かれていますが、東と北は林が残されています。
6.頂上 2 北側
     

7.頂上 3 北西
    

8.頂上 4 東
    

 どうですか?いいでしょう。登る労苦をいとわない人だけが味わえる世界です。
 ちなみに、私のカメラは、公文書館などへ資料収集に行ったときに写せればいいだけのボタンを押すだけの簡単なものです。そのカメラでぶれないように写す練習しているだけの写真です。もうちょっと良いカメラの人はもっとエレガントに撮れます。きっと・・・。

(7)そうそう、一つ思い出しました。
 20年近く前、真夏の8月の平日に大岳に登った時のことです。不思議なことに、往復の途中でも、頂上でも誰とも会いませんでした。
 山といっても1200mくらいでは、気温は下界とそんなには変わりません。写真でもわかるように、頂上には日除けになるような東屋もつくられていませんし、おまけに視界をよくするために南側の木は切り払われていて日陰を作るものがありませんから、カンカン照りの中、からだは暑くなるばかりで、休まるどころかとめどなく汗が噴き出てきます。
 仕方なく、上の「5.頂上 1」の写真の道標の辺りに腰を下ろして水を飲み、いそいで弁当を食べて降りることにしました。
 半分くらい食べたときです、頂上の南の端の方に動くものがいるのに気が付きました。見ると、ヤマカガシの子どもでした。
 ちょっとびっくりしましたが、小さいので見ていました。すると、どんどんこっちへ来ます。たぶん、私を見て興味を持ったのではないでしょうか。
 ちょろちょろとこっちへ来るのでどうしようかと思い始めて、ふと親はどこにいるのかとキョロキョロと見回しましたが見えません。ちょっと安心していると、こどもは頭をペタッと地につけて止まりました。そして、じっとこっちを見つめていました。
 何秒でもありませんでしたが、見定めが付いたのでしょうか、くるっと向きを変えて、来た方へ戻っていきました。 夏の大岳を見ると思い出すことです。

 今日はここで。下りは明日にします。

 【コレクション】も載せたいのですけど、いつも時間切れになってしまします。写真だけでも載せることを考えてみましょうかねえ。思案、思案。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする