昆布は不思議な食品です。北の海(北海道と東北の一部)でしか採れないのに、日本全国で食べられ、様々に加工され利用されています。
一人あたりの消費量は富山県と沖縄県が一位二位を争い、日本の最も北でしか採れない昆布が、一番南の沖縄で毎日の食卓に欠かせない食材となっています。?この不思議から迫りたいと思います。先人の恐るべき行動力と生きんが為の想像を絶する魂の結晶だと素人の私はただただ感心しています。キーワードを挙げます。このワードを織り込んだ歴史物語で、そーなんですか!
繰り返しになりますが、今に至るまでには多くの人の魂と命のたまものなんですね!
キーワード
【北前船・昆布ロード・富山の売薬・薩摩藩の窮状・琉球(沖縄)・清国(中国)貿易】
北前船
・下り荷(北国方面)蝦夷地へ日常生活品
米、酒、飲食品類、衣料洋品、タバコ、塩、紙、砂糖、わら製品・ナワ・ムシロ、蝋燭
・上り荷(畿内方面)ほとんど海産物
昆布、干鰯、干ナマコ、身欠きニシン、数の子、鰊かす(肥料)
昆布ロード
(北海道・越中・薩摩・琉球・清(中国))
富山の売薬・薩摩藩の窮状
薩摩藩は琉球を通じて昆布を清国に売り、代償に薬種(竜脳リュウノウ ・沈香ジンコウ・山帰来サンキライ
・辰砂シンシャ・麝香ジャコウ・牛黄ゴオウ など)を得て日本で売り、財を築きました。
薬種は富山の薬売りが買いましたが、昆布を薩摩に集めたのも富山の薬売りでした。
当時、薩摩藩は大変な財政難でした。500万両もの借金があり、しかも金利1割2分で年間60万両の利子がかかっていたとも言われています。薩摩藩は、正貨が藩外に持ち出されるのを嫌い、他の商人の出入りを禁止していました。しかし、富山売薬「薩摩組」と利益が合致したのが北前船で、薩摩藩は、北海道から運ばれた昆布を風土病に悩む中国に琉球を通じて密貿易し、中国からは貴重な薬の原料を輸入しました。 この密貿易により薩摩藩は財政を立て直し、倒幕、明治維新の表舞台に踊り出ました。富山売薬「薩摩組」は裏方とはいえ、歴史を動かした重要な役割を担っていたのです。
読者の皆さーん! 話の流れにキーワードがはまり込みましたか? まだまだ先人の苦労の数々
と史実探索を「この、インターネットを駆使して楽しんで下さい」ゆっくり時間と興味関心好奇心が
あなたを動かす筈です。ひとまず失礼!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます