疲れたなー。
風邪を引いています。
11月末に行った山手線RTAのせいか、体調を崩してしまいまして。
先週から今週にかけて、ずっと咳が出ていて。
治そうと思って早めに寝るのですが、咳で夜中や明け方に目が覚めます。
熱が出たら絶対休もうと思っていたのに、肝心の熱が出ない。
夜中に「あっ!これ絶対熱ある!!明日朝イチで測ろう、ヤッピー!!」と思うんですよ。
翌朝、体温計を使うと36.6℃。なぜなのか。
働きたくないょ。
例年この時期になると風邪を引いています。
エアコンによる乾燥のせいでしょう。
以前談春の落語を聞きにいった際も、咳を我慢するのにえらい難儀しました。
また酒を飲んで寝ると、体調を崩すことが多いです。
酒を控えねばな。寂しいことではあるが。
酒を注がずに、衰えゆく自分の身体にまなざしを注がなくてはな。
仕事が忙しく、仕事の夢を見ます。
夢のなかでも仕事をしていて、そのぶんの残業代ほしいょ。
仕事をしながら、人間と人間のあいだをうろうろしながら、ふと考えること。
つい、上手く立ち回って傷つかないようにしたくなります。
しかしながら、ちゃんとぶつかり合わないといけないこともあるなあ、と。
怒ったりぶつかったりするのはエネルギーを使うし、気持ちが揺り動かさたり、落ち込んだりするから嫌なんですが。それも仕事っちゃ仕事なのかな。簡単に割り切れないけどね。
思えば。
人との衝突を避けてきた人生でした。
昔付き合っていた女性とも、ちゃんとぶつかって、喧嘩をしてぐちゃぐちゃになって別れたことがほとんどないかもしれません。
私の方から連絡を取らなくなって、終わり。デタッチな別れ方をしていました。
いま振り返ると、ほんとうに申し訳ないことをしたなと思います。
数年前、大学時代の指導教官や先輩たちと症例検討したことがあって、私が発表をしました。
その時に言われたことが、今でも記憶に残っています。
「○○さんの治療態度、変に上品というか、はっきり言ってへっぴり腰だよね」と。
別の後輩からは「この人にちゃんと向き合っていないように思います」と。
そのあと、落ち込みながら同期と筑波山に登りました。
「私がやっていたのは、やってるふうに過ぎなかったんだな、全部自己満足だったのかもしれない」とか「クライアントに申し訳ないことをした」と呵責の念に苛まれました。
先日亡くなられた谷川俊太郎さんの言葉に「やさしさは愛じゃない」というものがあります。
そうなんですよね、優しくすることが愛ではないんです。ときに厳しいことも、直面化も必要なのです。
でもつい優しくしちゃう。
自分が不快な思いをしたとしても「この人にはこの人なりの理由があるのかも」と思う。
それはね、本当にそう考えてるわけじゃないんです。
他者とぶつからないための「理由探し」をしているだけなんです。
ただのへっぴり腰なんです。
同時に自分のことも大事にしてないんです。
仮にその人なりの理由があったとしても、自分の理由だって等しく存在するはずなんです。
他人の言い分を大事にすることと、自分の言い分を主張することは背反する事象ではないんですよね。
ぶつかりながら、折り合いをつけていくものであって。
超自我的な存在が苦手です。
おそらく、私の両親がかなり超自我的な職業を生業にしていたのもあるのでしょう。
ただ、そうした両親の影響からはとっくに抜け出してもいいはずの年齢です。
この先ちゃんと人とぶつかれるかなあ。
ぶつかりたくないょ。
「そうやって生きていて、楽しいんですか?」と、昔とあるおじさんに言われたのが未だに残っています。
何だって言うんだよ、ちくしょう。
風邪を引いています。
11月末に行った山手線RTAのせいか、体調を崩してしまいまして。
先週から今週にかけて、ずっと咳が出ていて。
治そうと思って早めに寝るのですが、咳で夜中や明け方に目が覚めます。
熱が出たら絶対休もうと思っていたのに、肝心の熱が出ない。
夜中に「あっ!これ絶対熱ある!!明日朝イチで測ろう、ヤッピー!!」と思うんですよ。
翌朝、体温計を使うと36.6℃。なぜなのか。
働きたくないょ。
例年この時期になると風邪を引いています。
エアコンによる乾燥のせいでしょう。
以前談春の落語を聞きにいった際も、咳を我慢するのにえらい難儀しました。
また酒を飲んで寝ると、体調を崩すことが多いです。
酒を控えねばな。寂しいことではあるが。
酒を注がずに、衰えゆく自分の身体にまなざしを注がなくてはな。
仕事が忙しく、仕事の夢を見ます。
夢のなかでも仕事をしていて、そのぶんの残業代ほしいょ。
仕事をしながら、人間と人間のあいだをうろうろしながら、ふと考えること。
つい、上手く立ち回って傷つかないようにしたくなります。
しかしながら、ちゃんとぶつかり合わないといけないこともあるなあ、と。
怒ったりぶつかったりするのはエネルギーを使うし、気持ちが揺り動かさたり、落ち込んだりするから嫌なんですが。それも仕事っちゃ仕事なのかな。簡単に割り切れないけどね。
思えば。
人との衝突を避けてきた人生でした。
昔付き合っていた女性とも、ちゃんとぶつかって、喧嘩をしてぐちゃぐちゃになって別れたことがほとんどないかもしれません。
私の方から連絡を取らなくなって、終わり。デタッチな別れ方をしていました。
いま振り返ると、ほんとうに申し訳ないことをしたなと思います。
数年前、大学時代の指導教官や先輩たちと症例検討したことがあって、私が発表をしました。
その時に言われたことが、今でも記憶に残っています。
「○○さんの治療態度、変に上品というか、はっきり言ってへっぴり腰だよね」と。
別の後輩からは「この人にちゃんと向き合っていないように思います」と。
そのあと、落ち込みながら同期と筑波山に登りました。
「私がやっていたのは、やってるふうに過ぎなかったんだな、全部自己満足だったのかもしれない」とか「クライアントに申し訳ないことをした」と呵責の念に苛まれました。
先日亡くなられた谷川俊太郎さんの言葉に「やさしさは愛じゃない」というものがあります。
そうなんですよね、優しくすることが愛ではないんです。ときに厳しいことも、直面化も必要なのです。
でもつい優しくしちゃう。
自分が不快な思いをしたとしても「この人にはこの人なりの理由があるのかも」と思う。
それはね、本当にそう考えてるわけじゃないんです。
他者とぶつからないための「理由探し」をしているだけなんです。
ただのへっぴり腰なんです。
同時に自分のことも大事にしてないんです。
仮にその人なりの理由があったとしても、自分の理由だって等しく存在するはずなんです。
他人の言い分を大事にすることと、自分の言い分を主張することは背反する事象ではないんですよね。
ぶつかりながら、折り合いをつけていくものであって。
超自我的な存在が苦手です。
おそらく、私の両親がかなり超自我的な職業を生業にしていたのもあるのでしょう。
ただ、そうした両親の影響からはとっくに抜け出してもいいはずの年齢です。
この先ちゃんと人とぶつかれるかなあ。
ぶつかりたくないょ。
「そうやって生きていて、楽しいんですか?」と、昔とあるおじさんに言われたのが未だに残っています。
何だって言うんだよ、ちくしょう。