ここのところ
日々の何気ない語り合いの中で
あぁ、私ってそういう観念を持ってたのか
そういう前提で生きてきたのか
って気付くことがポンポンと頻発している
自分にとってのアタリマエが
相手にとってはまったくピンとこなかったり
相手にとってのアタリマエが
私にとってはありえないことだったり
前は、そんな場面に出会ったときに
理解できないことに失望のような、寂しいような気持ちになったりして
相手を非難するか
自分に劣等感を感じたり
瞬間的に、自動的に、反応してた
でも最近は
へー
そうなんだ
そういうのもアリなんだなぁ と
違いを「可能性」として見るようになった
自分にとってのアタリマエ(観念)は
きっと生まれてからこれまでの歴史の中で
出会ったいろんなことが絡み合って
いろんな作用をしてきて
結果こういうアタリマエになったってことで
それは人の数だけあるし
人の数だけ宇宙がある
どうしてこういう観念を持つようになったのか?
なんて考える必要はなくて
それは絶対ではない
それは変えることができるものだ と
ただ知っていればいい
その観念をずっと持ち続けたっていいし
ジャマになったら捨てることもできる
観念を変えることは
はじめはそう簡単ではない
パターンから抜けるのは
はじめちょっとの勇気がいる
なんか、負けたような気がしたり
新しい道を行くような感じで不安になったり
古い自分が騒ぐのだ
じっさい観念を捨てることは
まっさらな道を歩くようなもの
馴染みのあるパターンに沿って歩くのではなく
まっさらな道に「いま」足を踏み入れる
どんな足跡が付くのかは後からわかること
変わらない観念を持ち続けることのほうが
辛いことなのかもしれないね
流れに抗うのをやめて
力を抜いたら
新しい景色がやってくるんだな
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あぁ、私ってそういう観念を持ってたのか
そういう前提で生きてきたのか
って気付くことがポンポンと頻発している
自分にとってのアタリマエが
相手にとってはまったくピンとこなかったり
相手にとってのアタリマエが
私にとってはありえないことだったり
前は、そんな場面に出会ったときに
理解できないことに失望のような、寂しいような気持ちになったりして
相手を非難するか
自分に劣等感を感じたり
瞬間的に、自動的に、反応してた
でも最近は
へー
そうなんだ
そういうのもアリなんだなぁ と
違いを「可能性」として見るようになった
自分にとってのアタリマエ(観念)は
きっと生まれてからこれまでの歴史の中で
出会ったいろんなことが絡み合って
いろんな作用をしてきて
結果こういうアタリマエになったってことで
それは人の数だけあるし
人の数だけ宇宙がある
どうしてこういう観念を持つようになったのか?
なんて考える必要はなくて
それは絶対ではない
それは変えることができるものだ と
ただ知っていればいい
その観念をずっと持ち続けたっていいし
ジャマになったら捨てることもできる
観念を変えることは
はじめはそう簡単ではない
パターンから抜けるのは
はじめちょっとの勇気がいる
なんか、負けたような気がしたり
新しい道を行くような感じで不安になったり
古い自分が騒ぐのだ
じっさい観念を捨てることは
まっさらな道を歩くようなもの
馴染みのあるパターンに沿って歩くのではなく
まっさらな道に「いま」足を踏み入れる
どんな足跡が付くのかは後からわかること
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