すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

いまここの車窓から

2018-11-27 | 瞑想
日曜は阿部さんの瞑想会に行ってきた。
普段は車だから
特急列車とか
乗るだけでワクワクする。


いちばん前の車両だったので
前方を線路がずーっと伸びてるのが見えて
遠くの景色がどんどん近づいては過ぎ去っていくのをただ見てた。


景色は瞬間瞬間、変わっていくけど
どの景色も
完璧に美しいって感じた。





動いてるのは列車のほうだけど
こうやってると
存在としての私 はずっと「ここ」にいたんだとわかる。

私の中心に下りていって観てみれば
ずっと「ここ」にいたし
「ここ」以外、行きようがない。

変わっていくのは ただ、景色だ。

これまでも、景色はずーっと変わってきた。

外側のことも内側のことも
すべては動いている。
何ひとつ、確かなことはなかった。
そしてこれからも


いろんなことがあったようでいて
いろんなことが来ては去り、来ては去り、、、移ろいでいるだけで
この「場」というのは
もともとカラッポなんだなぁ。



ほんとに、「いまここ」においては
何も起こってないのだなぁ


苦しみはストーリーの中にしかない。



瞑想はストーリーを横に置いて
ただ 在る という
ありのままの命に帰る時間

そしてそれは
いつもここにある。


それを携えて
今日も娑婆を生きるのだ 



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時間という幻想

2018-11-20 | 心で生きる
私はまだまだ多くの時間、外側から自分の時間を見つめている。

見つめているのはマインド(自意識、思考)だ。

そこには いまとの乖離がある。

マインドはいまに生きられない。

感じることでしか今に生きられない。



他と比べて
劣等感を持ったり
優越感を持ったりするのは、
マインドが
他の時間と私の時間を見比べて
あっちはいいなぁ、こっちはすごいなぁってやってるようなものだ。
切り取ったとたんに真実のすがたは失われるのに。

そんなことはやめて
今という時間の湖底に鎮座しよう
そうすると
時間はないってわかるから。
むろん「他の時間」も「私の時間」も幻想だってわかる。



ごはんを食べているときも
仕事をしているときも
誰かといる時も
一人の時も
ボーっとしているときも
散歩してるときも
どのいまも
優劣はない

かけがえのない、いまを
今日も生きてみよう(*´▽`*)




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不自由の中の自由

2018-11-14 | 心で生きる
以前 ある人とこんな話をした



「境遇」と「幸せ」ってのは関係ないね

どんな境遇にいようと
こんな境遇のせいで不幸だと
不満を言いながら生きることもできるし

境遇とは関係なく、
目の前のどんな些細なことからでも
幸せを見つけることもできるよね

だから例えば戦争の世に生きてたとしても
日々の中に喜びは見つけられると思うし

極端な話だけどさ
病床にあっても
牢獄に入れられても
身体の自由を奪われたって
その中で人は幸せを見つけることができるんじゃないかな

だからどんな不自由や苦しみの中にある人にでも
自由は残されていると思うんだ


そうだね
その気になりさえすればね

明日死ぬとしてもね



・・・





”今に生きる”の今ってのは
時間軸で言う今じゃないんだ

むしろ
時間軸から解き放たれること


「いつか」ではなくて
「今(これ)がすべて」なんだって認めること、諦める(明らめる)こと
「今(これ)が最善」だと
そういう生きる姿勢

「今を生きる」と「愛を生きる」は
同義語だ



この先、私が
傷つかないようにとか
悲しまないようにとか
苦しまないようにとか
損しないようにとか・・・
そういう心配や画策は
結局のところ
私のエネルギーを委縮させる

そんなものはぜんぶ捨てて
手ぶらで行こう


”流れ”がやっていることなんだから
流れに任せて
気楽に行こう



なんにもいらない


手ぶらで気楽に
バカになって
真剣に遊ぼう





今日は朝から虹。しかもダブル!
久しぶりに見た(*´▽`*)
良い兆し♪



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肚のちから

2018-11-10 | 心で生きる
自分の中心に立つ、
今にいる

そのように在る

ってことを

実践、実践で練習中



言葉が出てきては打ち消し踏み倒しながら
歩いてる感じ

何回も何回も転んでは
立ち上がって
また歩く



だから

言葉、書くことも減ってきた。








単純なことなんだ




自分が自分の「主」(しゅ)であるか、否か

私の中心に私がいるか、いないか

もうそれだけ、それだけのことだけど

ちょこっとでもそこから出てったら、
その小さなほころびから
どんどん思考の世界に迷い込むんだ
それは出口のない迷路




私の肚(ハラ)の中心に杭を立てる。

常にそこから離れない。

周りのもののすべては動いていくけど

その「芯」は動かない。

そこにいるということ。

肚を決める。

これ、じっさいの丹田力だったり
呼吸とともにあることだ、ともおもう。




私の中心に還る。

これに集中する。



日々練習



言葉じゃないのよ

やるだけなのよ



1か月くらい前から ヨガはじめた

体も心もリンクしてるのがよくわかる
自分の思い込みがいっぱいってわかる
まだまだわかんないことだらけってわかる
呼吸に気付き続ける練習

これ とてもバランスいいです。





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お知らせ

陶芸教室@草ノ尾ハウス 
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機能美の 生まれるところ

2018-11-01 | 日記


秋は道端の花も色とりどりで、犬の散歩も楽しい♪



小さな陶芸教室
始まってます。



ひもづくり(ひも状にした粘土を積み重ねて作るやり方)で作る。

はじめに形作ったものを
後日、生乾きの固くなったところでひっくり返し
外側や底の形を削り出す。

基本的に内側は削らない。



皆さんはじめは
作りたての見かけを気にされるのだけど

外の見た目は
後の削りで変わる。

そして
削りは
内側の形状によって決まってくる。


自分にとっての、「ある機能」を果たすための内側。

その器を
どんな場面で使いたいのか
どんなふうに使いたいのか

使ったときにどういう具合になるだろうかと具体的に想像したり・・



その内側の形状に則して
一定の厚みで削り出していけば
外側もスキッと芯の通った心地良いカタチが自ずと現れる。


だからいつも
内側のカタチがだいじですよ~ってお伝えする。



あらわれは ぜんぶ そうなんだな





だから私も
内側に意識を向けよう。

カタチはあとからついてくる(*´▽`*)





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