すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

ほんとうのあなた

2020-02-29 | サンガ


放っておけば自我は必ず不機嫌になる
放っておけば自我は必ず不足を探す
放っておけば自我は必ず恐れのほうに
雪だるま式に転がり落ちる

自我とはそういうもんだ。
ということを
理解してたら
そこから離れることができる


自我を私と信じ込んでしまったことから
始まるドラマ



あたりまえにそこにある「前提」の、
その前の感覚を
掘り起こしてみて



あまりにも
近すぎて
忘れてる感覚




私は、、私が、、私の、、の
「私」を乗っけてる
元の
感覚


誰でもない
それ




意識






それ に帰る。
帰るも何も
そもそもどこにも行ってはいなかったんだけど







それ は、いつもここにある



それ しかないんです



それ は傷付きようがないんです




それ が
ほんとうのあなた

ほんとうのわたし




いつもより
深く
ゆっくり
息を吸って

全身の細胞を巡る空気が
エネルギーに転換されるのを感じて

ありがとうと
吐いて返す



そのときの
しみじみと広がる
よろこび




周りがどんなに荒れ狂おうと
台風の目のように
そこはいつも
静か



あなたの中心
わたしの中心
宇宙の中心




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平戸カヒコ 2月 (続き)

2020-02-27 | 宇宙の法則

方倉神社、水の神様が祀られてる汽水池)




フラは
人も含んだ自然の
よりよい循環のための
叡智




「目覚める覚悟」


潜在意識を目覚めさせると言われるチャントを学ぶ。

先生に「目覚めたいですか?」と問われたとき

覚悟はいい? と言われてるような気がした。


覚悟とは
私が(自力で)目覚めることはできないけど
その「準備ができています」と
自分を差し出すことだと感じた。




宇宙のことだけでいいんですよ」



宇宙(=私の内奥)

という最小単位のなかで
調和をつくることができれば

世界にも
調和が顕れる

なぜなら
世界は
すべては
私の反映だから




世界が私の反映だということをみとめれば
私が現実をどう受けとるか
その受け取り方をしたのは私自身だとわかる。
それが私の責任なのだ



もう、驚かないくらいに
カヒコで学ぶことと
日々出会うメッセージが一致している・・


(今日のあめつちWORKSでも
作りに来られた方とお話ししてたら
その方の口からも
まったく同じ意味のことを聞いた




人(の意識)と土地(環境)の相互作用についても
学んだことを持ち帰り
実践だな~




自分で採ってきた木と竹を加工する
(この手仕事のなかでの気付きのシェアもおもしろかった)


それぞれ海に向かい、静かな心で木を削る


塩炊き窯の火を借りて、青竹をあぶる


竹の油が出てきたら磨く


火山の活動を物語る玄武岩の上で。
写真はRumiko María Castro Muto先生のfacebookより拝借しました


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平戸カヒコ 2月

2020-02-26 | 日記


2/25 カヒコ


生月島の方倉神社
山と海の出会うところ
海辺の汽水池に
水の神様が祀られている

去年の秋
その海岸でカヒコをする機会ができ
その場所に意識を向けるようになり
同時期にビーチクリーンが始まったりと
流れがうまれて

今日、そこの神様に
先生が儀式を執り行い
皆でチャントを奉納した。



今日のそこの場の様子
前に見たときとは
ぜんぜん違う。

淀みが流れ始めた感じ
フレッシュな感じ
皆同じようにそれを感じていた。

さらに循環を促すために
次回も清掃、植樹
具体的にできることをすることに。
これからどう変化していくか、、楽しみだ。




チャントをすると
いつも
雨が止んだり
鳥がすーっと寄って来たり
唱え終わると
雨が降ったり
波の音が違って聞こえたり

いろいろなかたちで
応えてくださる


つながっている


私たちの思いや行動さえも
大きな流れの一部なんだな。



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いのちの本来

2020-02-25 | 宇宙の法則
例えば

蝉の幼虫は
何年もの間
土の中にいて
ときが来たら
なんの疑いもなく
地上に出ていって
羽化をする


モンシロチョウは
なんの躊躇もなく
畑のキャベツの葉に
卵を産み付け
卵から孵った幼虫は
なんの疑いもなく
キャベツの葉を食べ始める


トンボは
水が入った田んぼにやってきて
なんの疑いもなく
水の中に産卵する


あした地面が削られるかもしれないとか
あしたキャベツは収穫されるかもしれないとか
あした田んぼの水は抜かれるかもしれないとか
そんな心配はしない



そうやって
小さな小さな世界の中で
なんの疑いもなく
生をいとなんでいる


そのいとなみは
美しく
完璧だ



植物の芽が
土から頭をもたげるとき
芽吹きや
花が開くとき
いつも
あざやかな命を感じる


いのちは
いつも
歓喜のエネルギーを放ってる



そう

いのちは
みんな
そうなんだよ


いのちの
本来は
喜びなんだよ




疑いながら
憂いながら
生きるものは
いない


人間を除いては。




「本当のことが見たいのです」

と言うとき


「本当のこと」とは
社会とか世界とか
そんな既知のものの中でのことじゃない



「知っていること」の外側にそれはある

「知っていると思っていること」は
突き詰めれば
何から何まで
偽物なんだ




だから
「サレンダー」なのだ。




宗教性というのは
その
「既知の世界の外側」を知りたいと
切望することにはじまる道
(宗教性と宗教はまったく別のハナシ)

その道を行けば・・・


「知る者」はいなかった・・ 



非二元
ノンデュアリティ
唯識



いろんな道が伝えてることは
“考え方”とか“情報”じゃない


本当のことを指し示す
“方向指示器”なのだ



本当のことは
言葉では表せない



それは
ひとりひとりの
体験のなかに

今のなかに

いつも。。。







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俯瞰

2020-02-22 | 日記
私は本当のことを見ていません

本当のことが見たいです

本当のことを見ることができますように







本当のことというのは
リアリティ

夢の続きじゃなくて
「あるがままの今」
のこと





もしも
私が宇宙から私を見たら
なんと私に声をかけるだろう?





👼     ←昇ってるところ






あなたはいつも額から頬にかけての鼻腔に詰まりがあって
呼吸もままならない
(子供の時からのアレルギー性鼻炎+慢性副鼻腔炎持ち
鼻詰まりから時々酸欠っぽくなることも(^^;)



呼吸はあなたをいまここに引き戻してくれる大切な友



鼻腔に詰まりがあり熱を持っているときは
頭に寄った気を沈め
肚に気を集め
できる限り
脱力するのです


瞑想と同じ
詰まりを感じたときはいつでもどこにいてもそれをやるといい


その度にあなたの思考は中断され
注目されなくなり
やがて、忘れられる

それでいいのです。


あなたにそれをさせるために
その病はやってきたのだから。

(まぢか!)


そのうちに
思考の監視から解放されたあなたのエネルギーは
のびのびと
ゆったりと
流れだし
今がクリアに見えてくる

その“今”の中で
あなたは今必要なことをしだす




呼吸がままならないときは苦しいかもしれないけど
どうか、そのことを思い出して。。



必ず、どんなことも
善きことへつながっている

無駄なことはひとつもなく
全体の、計画通り。。。









なるほど~っと思って
それから意識してやってみてる

すると「症状」と「呼吸を意識し、力を抜くこと」の間に紐づけができた。

やってると
詰まりが緩んで呼吸しやすくなってきた。



呼吸が苦しいとき
頭が重くなるとき
においがわからなくなるとき
(ほとんどずっとそうなのだけど)
そのことをネガティブに捉えてたのがなくなった。
(物心ついてからずっと、このことを自分の欠陥だと思ってた
意識しないくらいあたりまえにそう思ってたなぁ!)


症状よりも
そのことに対するネガティブな感情が
私を苦しくさせていたんだな




そして
翌日の朝
甘酒仕込みの作業してたら、

「どこをみているのですか?

わたしはここです。」


って声が聞こえた。




耳で聞いたわけじゃなくて


内側
肚のほうから



そんで

「ああ、そうだったね」


って、私も言葉ではないけど答えた。




慣れている単純作業をやってると
手は勝手に動くから
思考はフワフワととりとめもなく
あっちこっち行ってる


だから
あ、そうだったね。って思った



その声が聞こえてから
意識がもっと細やかになったような気がする




私と私を超えた私と

同行二人














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