すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

魂の望みは神の望み

2020-08-27 | 宇宙の法則


エゴからではなく
魂の声に従ってとった行動は、
どんなに常識外れでも
どんなに社会的に批判されようと
結果的には
関わったみんなを幸せにする

その時は分からなくても。


なぜなら魂の声は
個人ではなく全体の意思だからだ。

ひとつのピースが
本当の自分の姿に気づけば
その隣のピースも変わらざるを得ない。

変わりたくないエゴにとっては
痛みを伴うが
そこで引き返してはいけない。

恐れや苦しみは
それがあるということが
真実ではないことの証明だから。

本来、全体には恐れも苦しみも存在しないから。


個人というのは究極から言えば、いない。
それはこうやって言葉を使って
肉体が自分だと思って生きている私たちには
わからないことだけれど

その証拠が見たい
本当のことが見たいという
願いを忘れないでいれば
気付かせてもらえる
そんなことがある



人との関わりは
その本当のことを見せてもらうことの
全体(神)との共同作業なんだな


安心して
幸せになればいいんだな



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やわらかおなか

2020-08-26 | サンガ
先日、カヒコでのチャントの発声の時に
自分のお腹が硬いなーってことに気が付いた

そういえばヨガの時にも
お腹柔らかくしてってよく言われてた。
自分でも気が付かないうちに
緊張があるんだろうな。

それで今朝、息を吐きながら
お腹を押しながら発声してたら

硬いお腹がほぐされるときに
硬い殻が破れたように涙がぽろぽろ溢れ出た。
理由はない。
いらないものが溜まってたんだろうな
流れてよかった。



自分でお腹をほぐしていたら
何だか顔までふにゃふにゃする気がする。
そうだ、柔らかいお腹のときって
絶対しかめっ面とか仏頂面にはなってないとおもう。


柔らかいお腹の時って
難しいこと考えれない。

柔らかお腹は心も柔らか

体からのアプローチ



付け足すものはなんにもなくって

いらないものを捨てるだけ。


にわとりさんたちのお尻はたまらんかわいさ💕


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解放

2020-08-23 | サンガ

猛暑のおかげで早起きになりました



一つ前の記事に
「私にくっついていた息苦しさ」と書いたけど
正確には「私が息苦しさ」なんだった。
私あるところに息苦しさがあるのは当然なのだ。


自我は「私がいる」ということを保つために
常に私を監視している。

私がこう思ったのだ
私が決めて
私が行動しているのだ
私が、私が、・・・
常に常に自分に言い聞かせている。

そして
私は間違っていないか
これでよかったのかと
常に監視して
判断して
裁いている。
(自分のみならず他人まで)

だから息苦しくなるのは当然のこと。

「私」とは架空の檻
「私」とは息苦しさ




「私」が剥がれ落ちるとき
それを解放と呼ぶ。

「開放する者」はいない。
勘違い(私)から見ると
開放したと言うけど
ほんとは
"開放"しかない。

勘違いが解けたとき
「私」 は開放に溶けて
そこには誰もいない。


今まで私とか私の心と思ってたものは
私でも私の心でもなかった。





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力は光にある

2020-08-17 | サンガ
いつのころからか
いつも私にくっついていた息苦しさ

ずっとあった
息苦しさの原因は
当然 外側にあるものだと疑わなかったので
いつも誰かのせいや何かのせい
状況のせい・・・
先に原因があって
そのせいで私は苦しいのだ と信じ込んでいた

時代時代で対象は変わっても
常に外側に
問題をこしらえて
その問題のせいで私は苦しいのだと
信じ込んでいた


だから
何か問題と思えることがあるときは
ある意味安定?していたのかもしれない
(問題に立ち向かっているが故の、偽の安定)
(外側を向いているうちは本当のことを直視しないですむから)
あれがダメだこれがダメだ
このままではダメだ

問題がなくなって外側が平穏になると
今度はこころが不安定になった
(とにかく問題が必要だったんだな 笑)




今はよく見える
カラクリがよくわかる



これは
自我の策略

存在しない自我が
私はここにいるのだと
証明しようと
あの手この手で主張しているのだ


ただ静かに
心とともに在るとき
このことがクリアに見える


さざ波が立つように
自我の声は騒ぎだす

それに反応せずに
ただ静かにまっすぐ
見ていれば
波は凪いでいく


自我の声は
夢の中に留まらせようとする罠
(目覚められると自分が消えるから)


見破れば
光にあたれば
崩れ去っていく幻


光がさすと影は消えるのだ



自我の声に振り回されて
右往左往していても
ほんとうは
なにも起きていない

それはぜんぶストーリーだから

ストーリーのことは
どこまで行ってもストーリー

リアルとはけして出会えないのだ


今ここにひろがるあるがままは
「私」には知りようがない

これは知識じゃないから
ただ手放しで
入ってゆくしかない


なにも持ち運べない


ただ経験してゆくのみ


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記憶というフィルター

2020-08-16 | サンガ
記憶は全て曇りになる

良い記憶も悪い記憶も
それを今に持ち込めば
それは視界の曇りになって
今をありのままに見ることができない。
自動的に私たちは過去というフィルターを付けている

よって本当のことを見ることができない。

(それがいけないとかじゃなく
ただそうなのだと知っていることは
深刻さから抜け出す助けになる)


だから全体に(実在に)頭を垂れることが必要なのだ。

私は本当のことが見えていない
ということをみとめる。




見たこと、聞いたこと、そしてその解釈は
信頼するに値しないものかもしれない という
余裕を残しておきたい



何でも自分で「やってるつもり」の自我を
置き去りにしたところに
あるがままは現れている。



これはレッスン

あるがままの今には
愛しかないところに
覆いかぶさってる雲を
取りはらうためのレッスン

私たちにできることは
ストーリーを信じ込んでしまった私にはわかりません と
降参して
本当のことをみたいのです
光をみたいのです と
お願いするところまで。



あとは全体がやってくれる。


日々出会うことはなんでも
このレッスンの教材になる。




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