去年のことになるけど
ある人と意見の食い違いみたいになって
口論とまではいかないけど
お互いの言い分がぶつかったまま
平行線になってしまったことがあった。
その時は相手の要求がとても理不尽に思えて
はらわたが煮えくり返るとはこのことか
というくらい
腹がたったのだけど
ひとしきり
ひとりで怒りにもがいたあとは
呼吸をととのえて
「このことを違う視点で見れますように」と
それだけを内側でお願いして
もうそのことを考えるのはやめて
気持ちを切り替えることができた。
数時間後
落ち着いてからふと
その時の押し問答で言い放った、自分の言葉にはっとした。
私はこう言ったのだ。
「それはそちらの都合でしょ?」
、、、
あれ?!
それ言ってる私も「私の都合」言ってるやん!
相手の世界から見たら
その人とまったく同じ、私が見える😳
なーんだ
おんなじやん!😆
そこに気が付いたら
なんだかちょっと可笑しくなって
怒りも消えて
「私も頑なになりすぎてたな、
相手の言い分にできる範囲で応えよう」
という気になった。
なにかしら
苦痛を伴うときって
ある一つの見方に囚われていて
囚われてることすらも気がついてないから
さらに苦しみにはまっていく
だから
苦しいときは
こう思うことにしている。
苦しいということは
なにかが間違ってるんだな。
どういう囚われにはまってるかは
私にはわかりません🙆
わからないけど
このことを
違う見方ができますように。
以上。
(それ以上考えない)
こう宣言することは有効だ。
自分の中の神聖なところに向かって。
目の前の起こってることを
「これはこうだ」と信じてしまっているから
そのようにしか見えないのだから
そこから抜けることは
自分ではできない。
ムリヤリ言葉で言うことはできるけど
そんなのはごまかしだ。
だから
違う見方ができますように、と
その余白を持つ意思を表明する。
そしたら
ほんとうにふわっと
ムリヤリでなく
優しく
固くなった心が
解けていくような出来事が起きたり
気付きがあったり
導かれるようなことが経験できる。
習慣で、とっさに繰り返す
自動反応から
抜けて
私はこっちを選ぶ
と
意志する練習
光を見る練習
何から何まで
ぜんぶ、
教材になる🌞😊
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