すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

問いを持つこと②

2018-05-29 | 心で生きる
こうばるでキャンプの後は東彼杵であってた「はじまりのまつり」へ

到着したらちょうどホロヤカンの演奏が始まり
愛すべきホロヤカンの演奏で踊って
元ダンナのノブ君からノブ米を預かる。
※近々佐世保のハナモグラに持って行きます。佐世保近辺の方~無農薬無肥料のノブ米ぜひ買ってくださいな🌸

ノブ君ベイビー誕生おめでとう~
弥彦さんとノブ君が笑いながら田んぼの話とかしてて

いいな
しあわせだなぁって思った(*´▽`*)





ノブ君とは同じ学び舎で学んだ同窓生みたいでもあり
おっきな家族みたいだ
(別にふだん連絡とるわけでもなく、でも生まれたときには「生まれたー!!」「おめでとー!!」ってメール交わした)



こんな日が来るとは夢にも思わなかった


家の中が暗くて重いものに覆われていた日々も
一人でめちゃくちゃに転げまわって泣き叫んだ日も
(一方ノブ君はノブ君で、一人で壁に頭ぶつけながら泣いたこともあったって・後になって聞いた)
家が近づくと心が重たくなって車がゆっくりになって止まってしまって月を見てたことも
(一方、ノブ君は家に帰れなくて畑の軽トラで夜を明かしたり・・)

どうしたら出口が見つかるのか わからなかった
いっぱい いっぱい
お互い苦しんだけど
こんな日が来るんだね

カタチなんてどんなでもよくて
今お互いの幸せを喜べることが嬉しい




出口があったとしたら
たぶんあの日かなって思い当ることはある。(あくまで私の世界での話)



行き詰まりが極に至って
もうこれ以上は無理かもって
以外に冷静に思ったときがあって
そのとき

私の世界を「この私の世界」でよしとしてるのは、他でもない私やん!って気付いた。

「だったらこんな状況に私は私を置いていてはいけない。」
「もっと、明るくて気持ちのいい家に引っ越す」って決めた。
(その時住んでた家は暗い森にのみこまれそうなところにあって、その環境がノブ君の鬱の原因かもと思ってたし
私自身もそこの場のエネルギーに違和感が生まれていた)

ただそう決めて
今できることをやり始めた(家の周りを片付けたり、快適に過ごす工夫したり)
そしたら、探してもいなかったのに
一か月後くらいに友達が今の家を紹介してくれた。

停滞してたことが、動き出した。
まーそれからもいろいろあったんだけど、
あの時の「じゃあ、どういう世界に住みたいの?!」「こんな世界がいい!」って初めて発した望みが
始まりだったような気がする。





問いは
はじめの入り口
自分オリジナルに帰る道の扉
わかったときはもうシフトしてる
発したときとわかったときはもう違う世界なんだ。(だから言葉では伝わらない)

だから問いは財産
わからなくてもわからないままに
思ったことをやればいいんだ


おもしろいな



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問いを持つこと

2018-05-28 | 心で生きる
土曜日は毎年楽しみにしてる川棚町こうばる地区の「こうばるほたる祭り」へ

今年はキャンプインでゆっくり満喫
こうばるのホタルの乱舞はやっぱり見応えあった~
朝は小鳥のさえずりのなか目が覚めて最高だった(ちょっと二日酔いだったけどw)
草ノ尾ハウスも山の中だけど、小鳥の種類が違ってて新鮮だった(*´▽`*)

で、日曜日はこうばる→東彼杵
ジェンベのお祭り、佐世保のAFOと長崎のホロヤカンとの合同イベント「はじまりのまつり」へ
懐かしい顔ぶれにたくさん会えて嬉しかった!(いちお、ホロヤカンメンバーだったからね)(*´∀`*)





東日本大震災で原発が爆発した直後のこと
福岡で阿部さんの講演会に行った時に
阿部さんにどうしても訊いてみたいことがあって
講演が終わっても最後まで残っていた。



私はそれまで原発やダム計画が早く止まるように、
反対運動に参加したり仲間に呼びかけたり、自分にできることをしていた。
だけど、その活動がなかなか人々に伝わらないばかりか
原発が爆発するという最悪の事態になってしまった。

阿部さんがずっと伝え続けていること
いまここにある「これ」がすべてなんだよ・・
あなたはそのままで大丈夫なんだよ・・
起きることが起きていて、それはいつも完璧なんだよ・・


そこに本当のことがある、と感じて惹かれていた。
なのに
これらのメッセージと私が取り組んでいた”社会問題”がどうしても噛み合わない。
これはどう説明がつくのだろう?と、もんもんとしていた。
そして、こんな大変なことが起きてしまった・・と
私は動揺していた。


会場を出ようとする阿部さんに思い切って話しかけた。
私がどんな思いでやってたか
だけど伝わらなくて・・
だけどこんなことになってしまって・・・云々
私が話すことをしばらく黙って聞いた後
阿部さんはでっかい声で

「やればいいじゃないですか!
  やりたかったら!」


それだけ言ってスタスタと行ってしまった。


あのとき私はなにか期待してたんだな。
見事に期待は外れたけどw
スッキリしたかったんだな。
間違ってないよって言ってもらいたかったのかも。


今思えば、うん、それ以外ないよねって思う。



その後もこの問いを宙ぶらりんにさせたまま、やってた。


もし、あの時、言葉でなにか教えられたとしても
あの時の私には、伝わらなかったと思う。
そういうものだと思う。



[問い]は宙ぶらりんにさせておくこと







今はもう
この問いは氷が溶けるように溶けて
私の中に沁みこんでいった。


問いが解けるとき
答えは言葉でやってこないんだな。
もっと深いところに
沁みてくるんだな。








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すべてのみちはここに②

2018-05-19 | 心で生きる
すべてのみちはここに の続きです。



覚えてるいちばん古い記憶では

私はまだ言葉で世界を見ていなかった。


ただ 見ている・・・

そしてただ 感じている・・・



それがキレイとかキタナイとか
良いとか悪いとか
そういう判断がない世界

「私」とか「お母さん」というのも、薄かったように思う。


穏やかで安心感に包まれていて・・・
私がいるというよりも
ただ 在る
任せきっている・・・






言葉を使いはじめる以前の
あの感じ・・・・



言葉は、思考
言葉は、観念
言葉は、レッテル、ラベリング
言葉は、止まっている
言葉は、どんなにがんばったって生(セイ、ナマ)の今から離れる
これが言葉の宿命ではある。




あれ・・・
言葉では表せないけど
「あれ」が存在のベースなんだと、
最近になって思うようになった。
そして
あれはなくなったわけじゃなくて
ずーっと、「ここ」にあったんだ。。。









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明日はそらいろガーデンです

2018-05-19 | お知らせ
明日、日曜日はそらいろガーデンです(*´▽`*)



草ノ尾ハウス、今月の甘酒アレンジドリンクは「いちご甘酒」🍓(ふつうの甘酒もあります)
3月も苺ミルク甘酒出しましたが
今回は苺をコトコト煮詰めて
濃縮苺ソースにして、甘酒とシェイクするので
さらに美味しくなると思います♪
苺はお友達の、佐々のイチゴ農家「piccolo orto」さんの苺です。
他に塩麹、原木☆干しシイタケなども持って行きます。


他にも、オーガニック食品のお店や
無添加化粧品が自分でも作れたり
魔女が薬草のあれこれ持ってきたり
メイクありマッサージあり
ハンドメイドの雑貨や美味しいコーヒーなどなど
心地い~いことがたくさんです。

そしてもう一つ、そらいろガーデンのいいところは
知ってる人も知らない人も関係なく
ほんとに垣根のないところ。

ぜひ気楽~に遊びに来てください
そして、はじめてでもおひとりでも、どんどん私たちに話しかけてください





☞先月のそらいろガーデンから
プチ瞑想タイムというのを始めました。

オープンの10時頃の約10分間と
クローズ16時頃の約10分間が瞑想タイムです。
参加無料です。


オープンの時ってけっこう準備からパタパタとせわしなく
いつの間にか始まってる‥ってなりがちですが
10分でも瞑想することで

心が落ち着いて
フレッシュな気持ちでスタートできます。

そしてみんなで瞑想することで
「今日という一日を楽しみ、味わおう」という雰囲気を共有できます。


クローズの時は
たくさんの人と会って話して
楽しかった!だけど、気が上に上がってる状態だったりします。
なので
クールダウン。
10分間の瞑想で
上がった気を静めます。
頭がスッキリし
またそれぞれの日常に帰る区切りにもなります。



10分間のプチ瞑想は
瞑想のお試し版
瞑想を知ってもらうきっかけになればいいな♪との思いもあります。



参加自由ですので
興味のある方はお気軽にご参加ください~!(*^-^*)



******五月の暦より*******


五月五日 「立夏」  立ち昇る陽気に、

五月二十一日 「小満」  緑は茂り、命 満ちる。




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すべてのみちはここに

2018-05-17 | 心で生きる



今でもたまに思い出す光景がある


母におんぶされてる私が見ている世界

背中の体温
母は後ろ髪をゴムでとめていて(輪ゴムだった😆)
頭が動くたびに結んだ髪が左右に動くので
そのクリンクリンしたくせ毛があっちにこっちに動くのをただ見てる。
母はニットを着てたのかな、
ニットの上で髪の束がチクチクこすれてる感じをただ見てたのを覚えてる。

たぶん1~2歳くらい
覚えている中でいちばん古い記憶


あれを経験していたのは私だけど
「私」以前の私
「私はこういう者だ」ということを取り入れる前の私だった。



次の記憶が
私は台所の椅子の背もたれに両手をかけて
料理をしている母の後ろ姿を見ている。
母に尋ねる
「ねーおかーさーん、ともちゃんさんさい?」

母「そうよー、ともちゃんは3さいよー」
っていうそれだけの記憶

その時はもう私は「ともちゃん」で「3さい」というふうに
わたしは何者であるかの材料を外からどんどん集め始めている



それから
何歳の頃かわからないけど
(おそらく3~6歳のあいだくらい)
祖母の家の裏の薪置き場で、下屋の白いビニール波板を通した、やわらかい日の光
それを下から、ただ見ている。

同じく祖母の家 物置部屋(頂き物のお菓子とかがしまってある)の高い窓から
擦りガラス越しに入ってくる柔らかい光をただ見ている。
穏やかで安心感に包まれていて
どうしようもなく退屈な感じ




それからたぶん6歳くらい
夜寝る時、布団の中で考えている。

お母さんが死んでみんな死んで私も死んだら
「私」ってどうなるんだろう????
空をずーーっとずーーーっと行ったら、どうなるんだろう???
もし終わりがあるなら
その終わりの向こうはどうなってるんだろう???????

これを今の言葉に変換するならば、
私を私と認識しているこの「意識」は、死んだらどこに行くのだろう?
肉体の死と共に消えてしまうのか?
消えるってどういうことなんだろう?
消えることを認識する意識はあるのか?
空間には限りがあるのか?
あるとしたらその限りの外側はどうなっているのか?



これを考えて考えて
考えすぎて怖くなって、泣き出した。
泣きながら母の寝床に入れてもらいに行ったら
なんば言いよっとか~、おかしか!と追い返された。_| ̄|○
(母は超ドライな人なのだ 笑)



大人になって
そんなことはくだらないことだと
忘れ去ったかのようにして
そのことはずっと根底にあって
その問いと共に生きてたのかなと今になって思う。






なぜ
そんな、取るにたらないような記憶を
忘れずに覚えているんだろう?って思ってた。

でも、あの感覚は何だったんだろう?とも思ってた。

何十年も持ち歩いていたこのことについて
最近、なにか書けそうな気がしていて
書いている。
長くなったので今日はこの辺で。。 



続く。。。




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